京成ストア
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 千葉県市川市市川3-30-1 |
設立 | 1973年(昭和48年)12月21日[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 2010601012151 |
事業内容 | スーパーマーケット業など |
代表者 | 代表取締役社長 東原光陽[広報 1] |
資本金 | 4億7541万円 |
純利益 |
9582万6000円 (2024年2月期)[広報 2] |
純資産 |
7億1954万8000円 (2024年2月期)[広報 2] |
総資産 |
80億8889万4000円 (2024年2月期)[広報 2] |
従業員数 | 社員239名・パート社員1,498名[広報 1] |
主要株主 | 京成電鉄 100% |
外部リンク | https://www.keiseistore.co.jp/ |
株式会社京成ストア(けいせいストア)は、「リブレ京成(LIVRE KEISEI)」の名称でスーパーマーケットなどを店舗展開する株式会社である。京成電鉄完全子会社であり、京成グループの企業の一つである。京成カード(リブレ京成・リブレキッチン・セルカ・京成フラワー・GIFT KEISEI JAPNESE SOUVENIR のみ)加盟店。
歴史・概要
[編集]1958年(昭和33年)3月20日に設立された京成興業が[4]1960年(昭和35年)4月20日に常盤平店を開店したのが始まりである[5]。
1973年(昭和48年)12月21日に京成興業の100%出資で株式会社京成ストアが設立され[5]、翌年1974年(昭和49年)1月16日に[6]京成興業のストア部門と駅売店部門を継承して事業を開始した[5]。 そして、同年10月2日に本部事務所を京成上野ビルに移転した[7]。
1979年(昭和54年)4月に商品の発注管理システムを導入し[8]、1984年(昭和59年)2月にメーカーや問屋などとの間をオンライン化してコンピューターによる発注業務自動化を実施した[9]。 また、同年10月1日に市川京成を吸収合併した[10]。
1981年(昭和56年)11月1日に「京成電車時刻表」を創刊して発売を開始した[11]。
1983年(昭和58年)8月に総合信販と提携し、同年9月から「GC京成ファミリーカード」の発行を開始した[12]。
当初スーパーマーケットは社名と同じ「京成ストア」と称していたが、創業25周年にコーポレートアイデンティティ (CI) を導入して、1985年(昭和60年)6月5日に「リブレ京成(LIVRE KEISEI)」となった[13]。
1986年(昭和61年)6月に「フレッシュ京成」が八千代市と習志野市で宅配事業を開始した[14]。 同年12月に生鮮食品についても発注管理システムを導入した[15]。
1994年(平成6年)10月に[16]千葉市中央区にあった食品と衣料品の物流センターの運営を西野商事に委託し、1995年(平成7年)6月に雑貨の物流センター業務も同社に委託した[17]。
1996年(平成8年)9月5日に新柴又店を開店し、初の直営インストアベーカリーと直営惣菜売り場の運営を開始した[18]。
2017年(平成29年)6月5日に本社を千葉県市川市市川に移転した[広報 3]。
2020年(令和2年)7月に八千代市で当社のとくし丸1号車の営業を開始し、移動スーパー事業へ参入した[19]。
店舗
[編集]京成電鉄沿線を中心にスーパーマーケット20店舗[広報 1](東京都東部7店舗と千葉県13店舗を展開している[広報 4](2024年7月時点)。 2009年(平成21年)までは茨城県南部、埼玉県1店舗)でも店舗を展開していた。メイン出店地域の千葉県内の店舗も急速に数を減らしている(「#かつて存在した店舗」参照)。[要出典]
同社で他に展開している事業としては、ドラッグストア2店舗(マツモトキヨシのフランチャイズ店舗[20])、花卉販売店「京成フラワー」4店舗[広報 1]、「GIFT KEISEI JAPANESE SOUVENIR」[広報 5]、レンタルビデオ業(TSUTAYAのフランチャイズ店舗、2店舗)[広報 1]、業務スーパー(フランチャイズ店舗、5店舗)などがある[広報 1]。
現行店舗の詳細については公式サイト「店舗案内」を参照。
かつて存在した店舗
[編集]1974年(昭和49年)1月16日に[6]当社として事業を開始した時点ではストア部門の他に駅売店も京成興業から継承していた[5]。 そのため1992年(平成4年)時点では京成駅構内売店70店舗の運営を行っていた[21]。
東京都
[編集]- 売場面積655m2[24]
- (初代)京成青戸ビル1階と地下1階に出店していた[25]。
- 1989年(平成元年)3月24日に開業した「青戸ユアエルム」の[26]3号館に[27](2代目)青戸店が開店した[26]。
- 売場面積1,050m2[29]
千葉県
[編集]千葉市
[編集]- 売場面積462m2[31] → 1,123m2[30][32]
- [『千葉中央ショッピングセンター Mio』リニューアルに伴い、2021年10月29日に『リブレ京成 千葉中央店』として復活という形である。[要出典]
- 売場面積588m2[31]
- 地上4階建て[34]、売場面積2,299m2[34]
- 千葉都市モノレール千城台駅前のショッピングセンター「ラパーク千城台」に長崎屋と共に核店舗として出店していた[34]。
- 2020年2月にラパーク千城台から撤退し閉店、3月にはラパーク千城台自体が撤退。[要出典]
- ラパーク千城台跡には、2020年(令和2年)7月26日にロピアを核店舗とするイコアス千城台が開業した[35]。
松戸市
[編集]- 店舗面積1,356m2[42]。
柏市
[編集]流山市
[編集]- 売場面積2,975m2[37]
- 売場面積622m2[2]
- 現・コモディイイダ[要出典]
我孫子市
[編集]- 売場面積1,530m2[50]
市川市
[編集]- 当初は1階のみであったが、1984年(昭和59年)10月1日に市川京成を吸収合併し、2階から5階も当社の運営となった[10]。
- 店舗面積6,177m2[2]。
- 2013年(平成25年)9月25日に京成電鉄本社が移転して業務を開始した[52]。
- 店舗面積900m2[2]。
- 店舗面積2,174m2[54]。
- 同じ地番に本社事務所がある。
- 2017年(平成29年)9月1日に本社移転と耐震工事に伴って売り場面積を縮小して「リブレキッチン国府台店 with コミュニティ・ストア」(284m2)として新装開店した[55]。
- 2018年9月1日、「リブレキッチン国府台店」としてリニューアル・オープン
浦安市
[編集]- 敷地面積約15,000m2[60]、鉄骨造地上2階建て[60]、延べ床面積約11,853m2[60]、店舗面積約6,402m2[60](当社店舗面積約2,934m2[60])、駐車台数約250台[60]。
- 鉄骨造り地上2階建て[63]、店舗面積1,647|m2[2]。
- 首都圏では珍しいオープンモール型低層ショッピングセンターの「パークスクエア」の核店舗として出店していた[63]。
船橋市
[編集]- 延べ床面積661m2[25]、売場面積430m2[64]
- 前原団地の入り口付近に出店していた[25]。
- 2003年(平成15年)11月8日に(2代目)前原店が開店した[65]。
- 現・くすりの福太郎、現在営業中のアルビス前原店とは別店舗[要出典]
- 売場面積525m2[37]
- 延べ床面積910m2[25]、店舗面積560m2[25]。
- 新京成電鉄高根公団駅前に出店していた[25]。
- 1995年(平成7年)11月8日に開業した「エポカ高根台」の核店舗として移転する形で(2代目)高根台店が開店した[66]。
- 現・業務スーパー、マツモトキヨシ[要出典]
- 現・ロピア[要出典]
習志野市
[編集]八千代市
[編集]- 店舗面積666m2[70]。
- 1977年(昭和52年)12月3日に八千代台東1-1-10に開業した「ショッピングパーク ユアエルム」[71]1階に[72]八千代台ユアエルム店が開店し[73]、スクラップアンドビルドの形で閉店となった[23]。
- 店舗跡は解体され、一部の跡地にセブンイレブンとドラッグストア クリエイト村上団地店が開店しました[75]。
- 店舗面積800m2[54]、駐車場100台[76]。
- 現・ドラッグストア クリエイト[要出典]
四街道市
[編集]- 敷地面積6,193m2[77]、延床面積2,008.m2[77]、売場面積1,494m2[77]、駐車台数100台[77]
- 四街道駅南口から徒歩10分の場所に住宅都市整備公団が市と共に開発した住宅地「四街道美しが丘」に出店していた[78]。
佐倉市
[編集]- 売場面積1,695m2[37]。
- 売場面積496m2[2]
- 佐倉井野店(佐倉市、2012年4月29日閉店)
- 現・業務スーパー[要出典]
君津市
[編集]木更津市
[編集]- 売場面積274m2[2]
- 売場面積495m2[2]
埼玉県
[編集]- 長崎屋が開発した郊外型ショッピングセンター「ラパーク三郷」の[87]地下1階の食料品売り場として出店していたが[89]、2008年(平成20年)6月にMEGAドン・キホーテ業態に転換した際にドン・キホーテと長崎屋は直営の食品売場を導入したことから閉店することとなった[88]。
- 三井不動産の商業施設「ララガーデン春日部」の核店舗として出店していた[90]。
茨城県
[編集]
旧京成デパート・京成デパート系列店舗・過去に存在した系列店舗
[編集]- 敷地面積約8,187m2[99]、延べ床面積約7,467m2[99] → 約10,274m2[98]、売場面積約1,880m2[101]、駐車台数約100台[99] → 約340台[98]。
- みつかいどうプラザの核店舗で土浦京成百貨店の100%出資子会社だった京成フードと同社が60%を出資した京成ファミリアの2社で出店していた[102]。
- 当店に代わる核店舗として、1979年(昭和54年)12月9日にヨークマートが出店した[103]。
かつて存在した事業所
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
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- ^ 大川照雄 『大型店と競う共同店舗・街づくり その計画・成否の事例研究』 工業時事通信社総合開発センター、1981年5月17日。 pp139
- ^ 佐藤一段 『ビッグストアの流通支配戦争 スーパー・百貨店の次の狙いは何か』 日本実業出版社、1978年12月10日。 pp43
- ^ 大川照雄 『大型店と競う共同店舗・街づくり その計画・成否の事例研究』 工業時事通信社総合開発センター、1981年5月17日。 pp142
- ^ 『流通会社年鑑 1976年版』 日本経済新聞社、1975年11月13日。 pp175
- ^ 『会社総鑑 未上場会社版 1984年版 下巻』 日本経済新聞社、1984年5月15日。 pp2724
広報など1次資料
[編集]- ^ a b c d e f “会社案内”. 京成ストア. 2024年7月6日閲覧。
- ^ a b c 株式会社京成ストア 第51期決算公告
- ^ 本社移転のお知らせ - 京成ストア・2017年6月5日[リンク切れ]
- ^ “店舗情報・チラシ”. 京成ストア. 2024年7月6日閲覧。
- ^ “GIFT KEISEI JAPANESE SOUVENIR”. 京成ストア. 2024年7月6日閲覧。
- ^ “リブレ京成ラパーク千城台店は2月24日18時をもちまして閉店いたします。”. 京成ストア. 2024年6月27日閲覧。
- ^ “リブレ京成高津店は8月31日をもちまして閉店いたします。”. 京成ストア. 2024年6月27日閲覧。