コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ランフランコ・デットーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ランフランコ・デットーリ
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 イタリアの旗 イタリアミラノ
生年月日 (1970-12-15) 1970年12月15日(54歳)
身長 163 cm
騎手情報
初免許年 1985年
免許区分 平地
テンプレートを表示

ランフランコ・"フランキー"・デットーリ (Lanfranco "Frankie" Dettori、1970年12月15日 - )は、イタリアミラノ生まれの騎手MBE。現役の騎手のなかで世界トップクラスの騎乗技術をもつといわれている。

1994年から18年にわたりゴドルフィンの専属騎手を務め、アラブ首長国連邦(UAE)とイギリスを主戦場としていた。その後はジョン・ゴスデン厩舎の主戦騎手として活躍した。

概要

[編集]

ラムタラスウェインデイラミドバイミレニアムエレクトロキューショニストファンタスティックライトなどの名馬とコンビを組み、これまでに凱旋門賞6勝をはじめとする数々の大レースを制覇。イギリスダービーも2007年に制覇した。世界各国でG1レースに勝利した回数は220回、日本のGIレースを4勝している。

1996年9月28日、アスコット競馬場で、1日全7レースの完全制覇を史上初めて達成[1]

父のジャンフランコ・デットーリもボルコンスキー、ウォローで英2000ギニーを連覇し、日本にも第2回と第3回のジャパンカップに2度来日した名騎手だった。また、母親はサーカス団にいたことがあり、馬の曲乗りを得意にしていた。このことに関して本人は「身体が柔らかいのは母親譲りだと思う」と発言している。

大レースに勝利した際に、馬の背で立ち上がりそこから飛び降りる通称「デットーリジャンプ(フライングディスマウント)」が有名で、日本でもデットーリと非常に仲のよい横山典弘が彼の真似をしている。

サイドビジネスとして、「フランキー・デットーリ・ピザ」や「フランキー・デットーリ・イタリアン・レストラン」を経営しており、ロンドン上海に店舗を展開している。

2012年10月に18年にわたって続いたゴドルフィンの主戦騎手を終了すると[2]、その後はジョン・ゴスデン調教師とのコンビで大舞台を湧かせており、英ダービーなどを制したゴールデンホーンをはじめ、凱旋門賞連覇など圧倒的な実力を発揮するエネイブルチャンピオンステークス連覇のクラックスマンステイヤーズミリオン完全制覇を達成したストラディバリウスダーレミの子供であるラーティダーやトゥーダーンホットなどで数多くのレースを制している。

2022年4月、イギリス競馬の殿堂入りを果たした[3]

2022年6月、騎乗ぶりをめぐる軋轢から、長年パートナーを組んでいたジョン・ゴスデン調教師との関係を凍結することを発表した[4]

2022年12月17日、イギリスの競馬メディア「itv racing」のインタビューにおいて、「来年2023年が、ジョッキーとしてのプロ最終年になる」と語り[5]、翌2023年を最後に騎手を引退することを表明した[6]。しかし2023年シーズンに入り、当初の11月のアメリカ・ブリーダーズカップを最後に引退する予定を延期し、11月のメルボルンカップなどオーストラリアで騎乗を続けることを発表した[7]。さらに同年10月12日、前述の引退表明を撤回して現役を続行し、2024年はアメリカ・カリフォルニア州を拠点として騎乗を続けるプランを発表した[8]

2024年3月3日、サンタアニタハンデキャップをニューゲートで制し、アメリカへ移籍して初となるG1勝利を果たした[9]

日本での活躍

[編集]

1991年11月24日のジャパンカップドラムタップス英語版に騎乗するために初来日を果たす(JRA初騎乗は前日23日のインターナショナルジョッキーズ(1)で8着)。

1992年1993年中山競馬場で行われたヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップに招聘され、2年連続の優勝(1992年のファイナルカップでJRA初勝利)。特に1993年は全4戦中3戦を勝利している。

1996年のジャパンカップをシングスピールで制し、JRA・GI競走初制覇を果たす。同年および1998年ワールドスーパージョッキーズシリーズに参戦(6位、13位)。

2002年には中山競馬場に振り替えられたジャパンカップをファルブラヴで勝利(ジャパンカップ2勝目)。しかも前日にはイーグルカフェに騎乗しジャパンカップダートに勝利。同馬にNHKマイルカップ以来のGI勝ちをもたらした。2日連続でテクニカルな中山コースでG1勝利を挙げる辣腕ぶりに、吉田照哉は「デットーリが乗ると5馬身違う」と感嘆した[10]

2005年にジャパンカップをアルカセットで勝ち、ジャパンカップ3勝目でこの時点で単独最多勝利騎手となった(2023年現在では武豊クリストフ・ルメールが4勝を挙げているため、歴代3位タイとなった)。しかもジャパンカップの3勝は全てがハナ差でのもので、接戦をものにしたその手腕を如実に示している。小島太調教師の実子の小島良太調教助手とは初来日時から親交があり[11]、来日時にはよく騎乗依頼を受けている。

近年のジャパンカップでは日本馬が圧倒的に有利のため、有力外国馬でも優勝するどころか掲示板にすら載らないことが多い。そんななか、21世紀に入って外国調教馬を2度も優勝に導いており、その2度ともが僅差での勝利で、なおかつ東京中山とそれぞれ違う種類でのコースでの勝利であった。

2019年の第39回ジャパンカップルックトゥワイスで参戦。

2011年には、東京優駿(日本ダービー)でH.H.シェイク・モハメド殿下の所有馬であるデボネアに騎乗するため、5月28・29日のみで短期免許を取得[12]。身元引受調教師は中竹和也、身元引受馬主は猪熊広次[13]となっていた。その後しばらく来日から遠のいていたが、2019年11月23日から12月2日まで短期騎手免許を取得した。この際の身元引受調教師は藤原英昭、身元引受馬主は吉田照哉だった[14]。この際はジャパンカップやチャンピオンズカップにも騎乗したが海外調教馬の騎乗はなく[15]、2週間(競馬開催日4日)の短期間ながら6勝を挙げている。

2024年12月8日、阪神ジュベナイルフィリーズに海外調教馬として初めて参戦するメイデイレディに、同馬がデビュー以来騎乗しているデットーリが引き続き騎乗することとなった。2019年12月1日以来のJRA騎乗となる(短期免許ではなく競走限定免許での来日参戦。エキストラ騎乗も可能)[16]

エピソード

[編集]
  • イタリア人騎手ながら、母国で騎乗することは少なく、1年の大半は世界中を飛び回っている。そのため、英語やフランス語が堪能で、日本語も少し話すことができる。
  • 2000年6月に小型飛行機墜落事故に遭い重傷を負うが、2ヶ月後に復帰。

騎乗成績

[編集]

主な勝ち鞍[17]

[編集]

年度別成績

[編集]
  • 日本(中央競馬)
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1991年[18] 0 0 0 2 .000 .000 .000
1992年[18] 1 2 0 4 .250 .750 .750
1993年[18] 4 1 0 9 .444 .556 .556
1996年[18] 3 2 2 11 .273 .455 .636
1998年[18] 0 0 1 7 .000 .000 .143
1999年[18] 0 1 1 4 .000 .250 .500
2000年[18] 0 2 1 10 .000 .200 .300
2002年[18] 4 0 0 7 .571 .571 .571
2005年[18] 3 2 1 10 .300 .500 .600
2006年[18] 2 2 1 12 .167 .333 .417
2011年[18] 1 1 3 8 .125 .250 .625
2019年[18] 6 2 1 21 .286 .381 .429
合計[18] 18 13 10 84 .214 .369 .488

略歴

[編集]

出演

[編集]
記録映画
  • DETTORI 2022年に上映され、グリーンチャンネルでも字幕スーパーの言語版で2023年7月に放送[21]。デットーリ自らが本人役で主演し、これまでの騎手人生を赤裸々に告白したもの

脚注

[編集]
  1. ^ 【世界の騎手紹介 Vol.11】ランフランコ・デットーリ”. JRA-VAN ver.World. 2021年12月30日閲覧。
  2. ^ Cook, Chris (2012年10月21日). “Frankie Dettori to split from Sheikh Mohammed and Godolphin next year” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/sport/2012/oct/21/frankie-dettori-sheikh-mohammed-godolphin 2024年2月4日閲覧。 
  3. ^ 【海外競馬】ダンシングブレーヴとデットーリ騎手が英競馬殿堂入り”. ヤフーニュース (2022年4月25日). 2022年4月25日閲覧。
  4. ^ デットーリ騎手とゴスデン師の蜜月に終止符…騎乗批判後に両者が会談「関係を休養する」 - 海外 | 競馬 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年6月29日閲覧。
  5. ^ 名騎手デットーリ、2023年限りで引退”. www.afpbb.com. 2023年1月17日閲覧。
  6. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年12月17日). “世界ナンバーワン デットーリ騎手が来年いっぱいでの引退を発表”. サンスポZBAT!. 2022年12月17日閲覧。
  7. ^ 世界的名手L.デットーリ騎手 引退予定を延長してメルボルンCに騎乗へ - netkeiba.com 2023年6月27日
  8. ^ 'It could be three months. It could be three years' - Frankie Dettori cancels retirement plan and will move to America” (英語). racingpost.com. 2023年10月12日閲覧。
  9. ^ 木南友輔. “フランキー健在!デットーリがサンタアニタHで米移籍後G1初制覇「これ以上はない」 - 海外 | 競馬 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年3月5日閲覧。
  10. ^ “生ける伝説”デットーリ、8年ぶり日本来た!ジャパンCへ「勝つことがターゲット」 スポーツニッポン、2019年11月21日、同日閲覧
  11. ^ 小島良太公式ブログ「馬なりぃ」2011年5月26日発信分「デットーリ騎手について」
  12. ^ 実際には5月29日のみしか騎乗しなかった。
  13. ^ 2019年の東京優駿(日本ダービー)勝馬・ロジャーバローズの馬主。
  14. ^ ランフランコ・デットーリ騎手に短期免許交付 - 競馬実況web(ラジオNIKKEI)2019年11月20日
  15. ^ ジャパンカップはルックトゥワイス、チャンピオンズカップはオメガパフュームに騎乗した。
  16. ^ 【注目馬動向】アメリカのメイデイレディは主戦のデットーリ騎手で阪神JF出走へ - UMATOKU(報知新聞社)2024年11月19日
  17. ^ Frankie Dettori | Statistical Summary | Racing Post Racing Post 2018年1月3日閲覧
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m L. デットーリの年度別成績 - netkeiba.com、2017年2月23日閲覧
  19. ^ フランキー・デットーリ騎手、英国3,000勝を達成 ジャパン・スタッドブック・インターナショナルより 2017年8月28日閲覧
  20. ^ "【英・オークス】デットーリ騎手「熱いナイフでバターを切るかのよう」スノーフォールの16馬身差圧勝に". Netkeiba 競馬ニュース. 株式会社ネットドリーマーズ. 5 June 2021. 2021年6月5日閲覧
  21. ^ 新春ロードショー「DETTORI」

外部リンク

[編集]