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パトリック・ヴィエラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パトリック・ビエラから転送)
パトリック・ヴィエラ
2016年のヴィエラ
名前
愛称 プレデター
ラテン文字 Patrick Vieira
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
セネガルの旗 セネガル
生年月日 (1976-06-23) 1976年6月23日(48歳)
出身地 セネガルの旗 セネガルダカール
身長 192cm
体重 85kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1995 フランスの旗 カンヌ 49 (2)
1995-1996 イタリアの旗 ミラン 2 (0)
1996-2005 イングランドの旗 アーセナル 279 (29)
2005-2006 イタリアの旗 ユヴェントス 31 (5)
2006-2010 イタリアの旗 インテルナツィオナーレ・ミラノ 67 (6)
2010-2011 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 28 (3)
通算 456 (45)
代表歴
1993-1994  フランス U-19 4 (0)
1995-1996  フランス U-21 7 (0)
1997-2009[1] フランスの旗 フランス 107 (6)
監督歴
2016-2018 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・シティ
2018-2020 フランスの旗 ニース
2021-2023 イングランドの旗 クリスタル・パレス
2023- フランスの旗 ストラスブール
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パトリック・ヴィエラPatrick Vieira, 1976年6月23日 - )は、フランスの元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

経歴

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セネガルの首都ダカールで生まれた。母方の祖父はカーボヴェルデ出身。ガボン人の学生だった父が家族を捨てたため、幼少の頃に母に連れられてフランスへ渡り、1993年にASカンヌでプロデビューを果たした。その後1996年にACミランへ移籍するが出場は僅か2試合にとどまり、才能を開花させたのはプレミアリーグアーセナルFCに移籍してから。同胞のアーセン・ヴェンゲル監督のもとで冷静さと戦術眼に磨きをかけ、チームの中核に成長した。2003-04シーズンは無敗優勝の立役者にもなった。

1997年の初招集以来、フランス代表にも長く名を連ねており、1998年フランスW杯EURO2000の連続制覇の時は、貴重なバックアップとして経験を積んだ。自国開催のワールドカップ決勝では、後半アディショナルタイムに、ダメ押しとなるプティの3点目をアシストした。2006年から2009年にかけて、フランス代表キャプテンを務めた。

2004年、ペレが選ぶ「FIFA 100」に選ばれた。2005-06シーズンは3年間キャプテンを務めたアーセナルからセリエA・ユヴェントスFCへ移籍し、スクデット獲得に貢献したが、クラブの大規模な不正疑惑の影響で剥奪されて幻となってしまった。結局ユベントスは2部落ちし、2006-07シーズンからは同じくセリエAのインテルへ移籍。だが、このシーズンから怪我が多くなった。

かつてシニシャ・ミハイロヴィチと試合中に口論になり、黒人差別発言をされたことがある(ただし、ヴィエラも「ジプシー野郎」と発言したとされる)。インテル移籍により同じクラブでコーチと選手という間柄になったが、ヴィエラ曰く「あの件はもう過去のことですから」とのことだった。しかし、2006-07シーズン最初のミラノダービーの試合後、ロッカールームで乱闘騒ぎを起こした(後述)。

2010年1月8日、出場機会を求めてマンチェスター・シティFCへの移籍が決定した。契約期間は半年で、シーズン終了後には1年の契約延長オプションが付いている。

2011年7月14日、現役引退を表明した。引退後はそのままマンチェスター・シティのアカデミー(下部組織)のコーチ・マネージャーに就任し[2]、2013年からはリザーブチームの監督を務めている。

2016年から2018年まで、ニューヨーク・シティFCの監督を務めた。

2018年6月11日、OGCニースの監督に就任した[3]。2020年12月4日、直前に公式戦5連敗していたこともあり、OGCニースを解任された。

2021年7月4日、クリスタル・パレスFCの監督に就任した[4]。2022年末から公式戦11試合未勝利となり、2023年3月17日を以てクリスタル・パレスFCの監督を解任された[5]

2023年7月2日、RCストラスブールの監督に就任した。契約期間は3年間[6]

エピソード

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  • 前述のミラノダービーでは、ヴィエラが試合後半に負傷。その後アシスタントコーチのシニシャ・ミハイロヴィチに対し、(負傷でもうプレイ出来ないので)交代を申し出ていたが、監督の采配によりヴィエラはそのままゲームに出し続けられたのが原因と推測される。ゲーム終盤は、片足を引きずってプレイする。
  • なお、試合終了後に不満を露にするヴィエラに対し、監督が「試合に勝つためには君が必要だった」と伝え、その場を抑えたとも言われている。
  • アーセナル時代にも当時、熾烈なライバル関係にあったマンチェスター・ユナイテッドロイ・キーンと入場前に口論となって乱闘寸前にまでいったり、挑発してきたルート・ファン・ニステルローイに掴みかかったりしている。ただ、最近のインタビューではいい思い出とも言っている[要出典]。2013年に、テレビ番組でキーンと対談し、[7]二人は握手を交わしている。
  • 2000年にベルナール・ラマら数人と共同出資で母国セネガルにアマチュアクラブ「ジャンバルスFC」を設立している。同クラブは2009年にプロサッカークラブとなり2013年にはリーグ初優勝を果たした。
  • アーセナル時代、レアル・マドリードから100億円以上のオファーが来たと報道され、移籍しなかったことを後悔していたといわれていた。
  • 名字であるvieiraはスペイン語では『ホタテ』の意味がある。

個人成績

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クラブでの成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
1993-94 カンヌ 20 リーグ・アン 5 0
1994-95 6 31 2
1995-96 13 0
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1995-96 ミラン 19 セリエA 2 0 1 0
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
1996-97 アーセナル 4 プレミア 31 2 5 0
1997-98 33 2 4 0
1998-99 34 3 5 0
1999-00 30 2 16 0
2000-01 30 6 14 2
2001-02 36 2 12 1
2002-03 24 3 6 1
2003-04 29 3 10 0
2004-05 32 6 7 0
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2005-06 ユヴェントス 4 セリエA 31 5 7 0
2006-07 インテル 14 20 1 3 0
2007-08 16 3 2 0
2008-09 19 1 2 0
2009-10 12 1 1 0
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2009-10 マンチェスター・C 24 プレミア 13 1 0 0 1 0 14 1
2010-11 15 2 1 0 6 3 22 5
通算 フランス 49 2
イタリア 100 11 17 0
イングランド 307 32 79 4
総通算 456 45

代表での成績

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出典[1]


フランス代表国際Aマッチ
出場得点
1997 5 0
1998 5 0
1999 8 0
2000 17 0
2001 13 2
2002 12 2
2003 5 0
2004 11 0
2005 7 0
2006 17 2
2007 4 0
2008 2 0
2009 1 0
合計 107 6

監督成績

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2023年3月17日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ニューヨーク・シティ アメリカ合衆国の旗 2016年1月1日 2018年6月11日 90 40 22 28 151 137 +14 044.44
ニース フランスの旗 2018年6月11日 2020年12月4日 89 35 22 32 106 115 −9 039.33
クリスタル・パレス イングランドの旗 2021年7月4日 2023年3月17日 74 22 25 27 84 87 −3 029.73
合計 253 97 69 87 341 339 +2 038.34

タイトル

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インテル時代のヴィエラ

選手時代

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クラブ

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アーセナルFC
インテルナツィオナーレ・ミラノ
マンチェスター・シティ

代表

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フランス代表

個人

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指導者時代

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マンチェスター・シティ EDS
  • プレミアリーグインターナショナルカップ:1回(2014-15)

栄誉

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脚注

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出典

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外部リンク

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