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ノート:海城中学校・高等学校の人物一覧

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ノートでの議論への招待

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こんにちわ。個人情報保護法の観点から問題があるとのことですが、私は法律の専門家ではないのでどのように問題があるのか教えていただけますでしょうか。書籍等で公開されている情報から記載したもので、私は問題がないと思うのですが。--西の果て 2007年11月24日 (土) 09:41 (UTC)[返信]

すぐにはお返事を頂けなかったので、人物一覧の記載を戻させてもらいます。--西の果て 2007年11月25日 (日) 14:29 (UTC)[返信]

質問に答える気はないのでしょうか?であるならば、人物一覧の記載を戻さないで頂きたい。どうぞよろしくお願いします。あなたのウィキペディアでの活動が充実したものでありますように。--西の果て 2007年11月28日 (水) 03:23 (UTC)[返信]

みなさんにもわかるようにノートで議論しましょう。この会話を移植しておきます。--西の果て 2007年11月28日 (水) 03:29 (UTC)[返信]


以上は私西の果てHokusaiさんに送った会話。ノートで議論しようと移植しました。--西の果て 2007年11月28日 (水) 03:32 (UTC)[返信]


人物一覧の基準について

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個人情報保護法からすると、人物一覧は公人に限るべきでしょう。公人とは現職政治家等、財界関連では有価証券報告書に記載されている現職役員等、学界では現職大学教授等、マスコミ・芸能界関係者等です。もし公人以外の実名を記載するなら本人の了解を取る必要性があります。勝手に記載することは許されません。そもそも海城中学校・高等学校人物一覧については客観的にみても全く著名でない人物や記載するには値しない人物を多数掲載しすぎです。Wikipediaは同窓会組織でもないし、ましてや学校を誇張して宣伝する道具ではありません。世直し三太郎 2007年11月28日 (水) 09:28 (UTC)[返信]


大部分の人物は検証可能な書籍から記載していますが、Wikipediaに相応しくない人物(個人情報の卒業生名簿からは一切ありません)も記載してしまい私も反省しています。それについては削りましょう。それと、あのそもそも現職でなければならないんでしょうか?現役を退かれた、亡くなられた方でも問題がないと思うのですが。あなたの意見だと、多くの小中高大の卒業生の記載を直さなければなりません。いかがでしょう?--西の果て 2007年11月29日 (木) 15:56 (UTC)[返信]

部外者ながら、一言言わせてもらいますと、海城高校の人物掲載にとくに問題はないと思いますよ。--210.198.131.198 2007年12月1日 (土) 08:56 (UTC)[返信]

合意形成に向けて

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Wikipediaのガイドラインや他校での議論から、現職でなくても問題がないとわかりました。そのため、編集保護からの解除に向けて、内容について合意形成を行いたいです。2007年11月28日 (水) 04:02の版より、別に議論を要するであろう商議員・議定員・歴代理事長・歴代校長・海原会歴代会長・学校長・教職員、あまり著名でない人物を除いてみました。どうでしょう?


論争当事者にも会話で参加を呼びかけたのですが、あと一週間ほど待っても意見がない場合は提案賛成として、保護解除依頼に出します。--西の果て 2007年12月12日 (水) 18:04 (UTC)[返信]


では、提案賛成として保護解除依頼に出します。--西の果て 2007年12月21日 (金) 16:05(UTC)

保留

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その他関係者

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試作

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海城中学校・高等学校人物一覧(かいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこうじんぶついちらん)は、海城中学校・高等学校の創立者・教員・出身者・関係者などの一覧である。

創立者

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創立者

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創立者一族

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商議員

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草創期の商議員(評議員)

議定員

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草創期の議定員12名

歴代理事長

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初代 古賀喜三郎 1891年11月~1914年12月
第2代 吉見乾海 1914年12月~1930年3月
第3代 古賀博 1930年3月~1945年10月
第4代 八坂正雅 1945年10月~1947年2月
第5代 松村昇 1947年2月~1948年6月
第6代 天野敬一 1948年6月~1966年7月
第7代 古賀博 1966年7月~1989年月
第8代 古賀喜博 1989年6月~

歴代校長

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初代 古賀喜三郎 1891年11月~1914年2月
第2代 吉見乾海 1914年12月~1942年11月
第3代 島祐吉 1942年11月~1945年10月
第4代 川崎武親 1945年10月~1946年8月
第5代 清水岬 1946年10月~1961年11月
第6代 福岡高 1962年1月~1965年10月
第7代 池城安伴 1965年10月~1974年4月
第8代 伊藤太一郎 1974年4月~1987年4月
第9代 奥山稔 1987年4月~1992年4月
第10代 小川嘉一郎 1992年4月~2002年4月
第11代 和田征士 2002年4月~

海原会歴代会長

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海原会(同窓会)の歴代会長

学校長・教職員

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学校長

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教職員

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著名な出身者

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軍事

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政治

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行政

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経済

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文学

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学問

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芸術

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芸能

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マスコミ

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スポーツ

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教育

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  • 古賀博(海城学園第7代理事長 / 古賀喜三郎の孫、大正12年卒)
  • 古賀喜博(海城学園現理事長 / 古賀喜三郎の曾孫、昭和34年卒)

--西の果て 2008年1月13日 (日) 14:45 (UTC)[返信]


明治25年発行の東京遊學案内によると、

『海軍豫備校』

「本校ハ海軍兵學校ヘ入学志願ノ生徒ヲ養成スル所ニシテ・・・」


  • ☆皇族に連なる古賀一族によって経営されている海城学園の最盛期☆


昨今の東大合格者数ランキングの躍進が海城学園の最盛期と思われる方も少なくないと思うが、本当の最盛期は明治時代にあった。


海軍兵学校学校別合格者数(明治30年9月)[当時の海軍兵学校は募集人数が少なく、全国最難関のエリート校だった。]  

全国1位 海軍予備校(海城) 55名 

全国2位 攻玉社      32名 

全国3位 国民英学会    14名       

東京府立尋常中学校(日比谷高校) 3名

東京以外の府県立尋常中学校  48名 

その他私学 22名  

家庭自学者  5名

さらに凄い年もあるのだが、他校も正確にわかるのは上のだけ。

中村文雄氏の『軍諸学校入学資格獲得をめぐる私学と官学との抗争』より


  • さらに明治時代の最盛期の卒業生の弁を借りよう。


島祐吉(海軍中将、明治31年卒)の弁

『・・・その頃の生徒の気風は、世間も同様であったが、粗野乱暴の風があり、殊に本校は攻玉社と共に定評があった。 併しその反面勉学の方も群を抜き、当時より其方で優秀なりと世評があった一中、四中(今の日比谷高校、戸山高校) も眼中になかった。従って成績も抜群で、当時の優秀学校であった海軍諸学校への入学率は全国より海軍に入学する 総数の五分の一から、多い時には、三分の一以上に達することもあり、全国の海軍入学志願者は風を望んでまず本校に 入学しようと上京し来るというが如き有様だった。暫くして明治三十年頃を頂点とする前後10年間位は全盛を極むる 状況であった。そのころ既に海軍諸学校の入学試験はむずかしいといわれ数年反復受験して後入学する者も極めて多く、 又一旦高等学校(旧制)に入学して後海軍に受験入学する者も相当あった有様であるから我校の成績優秀だったことが、 推測出来ると思う。・・・』

  • 東京私立
  • 【海城】

野村吉三郎(海軍大将・外務大臣・駐米大使) 小林躋造(海軍大将・貴族院議員・国務大臣)百武源吾(海軍大将・九州帝国大学総長) 左近司政三(海軍中将・貴族院議員・商工大臣・国務大臣) 中島今朝吾(陸軍中将・第16師団長) 江連力一郎(海賊・日本海賊史に名高い剣客) 伊達順之助(馬賊・伊達政宗の直系子孫)豊田豊吉(衆議院議員) 鈴木茂三郎(衆議院議員・日本社会党委員長) 佐藤観次郎(衆議院議員) 簡牛凡夫(衆議院議員) 八田一朗(参議院議員) 浅岡信夫(参議院議員) 河本三郎(衆議院議員) 中野譲(衆議院議員) 高山智司(衆議院議員) 加々美武夫(大阪市長) 代田朝義(大田区長) 小室和秀(イスラエル大使) 向井喜雄(ライオン歯磨社長)斉藤文也(南洋興発社長) 成吉競(日本無線社長) 斉藤昌司(東京汽船社長) 松崎一雄(森永製菓相談役・安倍昭恵の祖父) 江頭豊(チッソ社長・徳仁親王妃雅子の祖父) 前田又兵衛(前田建設工業創設者) 泊懋(東映アニメーション社長) 佐久間美成(岩田屋社長) 上原英治(東京ガス社長) 楠正臣(近畿相互銀行頭取) 大野要(岡部社長) 田口俊明(トヨタ自動車顧問)

  • 東京私立
  • 【海城】

益子修(三菱自動車工業社長) 杉山知之(デジタルハリウッド学校長) 内藤裕紀(ドリコム社長) 鈴木善太郎(作家) 佐々木邦(作家) 吉田一穂(詩人) 西澤實(放送劇作家) 窪島誠一郎(美術評論家) 小谷野敦(文芸評論家)方波見大志(作家)鹿子木員信(慶應義塾大学教授) 河村幹雄(九州帝国大学名誉教授) 松岡梁太郎(成蹊学園理事長) 桂井当之助(早稲田大学教授) 尾後家省一(早稲田大学教授) 中村佐一(早稲田大学教授) 升本喜兵衛(中央大学総長) 西村伝三(早稲田大学教授) 大林良一(一橋大学名誉教授) 岩本徳一(國學院大學名誉教授) 大塚新太郎(名古屋大学名誉教授) 林亮勝(大正大学学長)厚田雄春(映画キャメラマン) 深町幸男(演出家) 小川紳介(ドキュメンタリー映画監督) 青葉益輝(グラフィックデザイナー) 鈴木保徳(洋画家) 立川談笑(落語家) 赤松健(漫画家) 早川雪洲(俳優)伊藤強(音楽評論家)康芳夫(プロデューサー) 石田弘(フジテレビプロデューサー)徳光和夫(フリーアナウンサー) 小林信秀(サッカー日本代表) 寺島達夫(プロ野球選手) 坪口高樹(プロ野球選手)明石顕(陸上競技選手)

  • 江藤淳(曾孫)の著書を読み、海城学園創立者・古賀喜三郎先生を知る。
  • 『一族再会』 江藤淳 講談社文芸文庫
  • 『夜の紅茶』 江藤淳 牧羊社
  • 『腰折れの話』 江藤淳 角川書店


--咲くのか咲かないのか 2008年1月31日 (木) 04:27 (UTC)[返信]

掲載にあたって

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特に異見が出てないようなので人物一覧に掲載すればいいのではないでしょうか?それと、明治半ばまでの中等教育段階では複数校在籍が多く見られるので、海兵合格者数云々で競うよりも、卒業者と共に一時在籍者も含めて掲載しても差し障りはないかと思いますが。さらに言わせてもらうと、学校関係者に雅子妃の掲載は若干趣旨が外れているのかなと。江藤淳が上で挙げられているもの以外でもたしか「再々こもんせんす」?!などの著書でも海城の創立者については触れていますし、学校関係の肩書も持つようなので掲載するのならこの辺までではないでしょうか?--一粒 2008年2月3日 (日) 10:44 (UTC)[返信]


私もやはりあくまで学校に関係する人物のみを掲載すべきだと思います。ですから、皇太子妃は除くべきです。あと、保留になっていた人物は関係者なので問題ないでしょうから、直しておきました。--國分紀一郎 2008年2月22日 (金) 15:55 (UTC)[返信]

編集合戦回避のため

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2009年2月28日 (土) 11:46の版から、この記事をより良くするために意見を交わしましょう。--らんぷす 2009年2月28日 (土) 12:10 (UTC)[返信]


海の城さんの「議員・教員(教授以上)・財界人は現職のみ記載」という方針はどこからくるのでしょうか?

福岡県立修猷館高等学校の人物一覧

京都府立洛北高等学校・附属中学校の人物一覧

修道中学校・修道高等学校の人物一覧等、参考になると思うので見てみてください。--らんぷす 2009年3月1日 (日) 04:01 (UTC)[返信]

久保裕丈の扱いについて

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久保裕丈が本記事への記載に値するか、値するとして、「経済」か「芸能」か「マスメディア」か。

ほぼ『バチェラー・ジャパン』の初代バチェラーとしての知名度に依拠するものの、[1]みたいな活動も見られたり。

--240F:111:D94F:1:7C46:F543:923:98B0 2019年5月8日 (水) 05:35 (UTC)[返信]