ノート:海城中学校・高等学校の人物一覧
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ノートでの議論への招待
[編集]こんにちわ。個人情報保護法の観点から問題があるとのことですが、私は法律の専門家ではないのでどのように問題があるのか教えていただけますでしょうか。書籍等で公開されている情報から記載したもので、私は問題がないと思うのですが。--西の果て 2007年11月24日 (土) 09:41 (UTC)
すぐにはお返事を頂けなかったので、人物一覧の記載を戻させてもらいます。--西の果て 2007年11月25日 (日) 14:29 (UTC)
質問に答える気はないのでしょうか?であるならば、人物一覧の記載を戻さないで頂きたい。どうぞよろしくお願いします。あなたのウィキペディアでの活動が充実したものでありますように。--西の果て 2007年11月28日 (水) 03:23 (UTC)
みなさんにもわかるようにノートで議論しましょう。この会話を移植しておきます。--西の果て 2007年11月28日 (水) 03:29 (UTC)
以上は私西の果てがHokusaiさんに送った会話。ノートで議論しようと移植しました。--西の果て 2007年11月28日 (水) 03:32 (UTC)
人物一覧の基準について
[編集]個人情報保護法からすると、人物一覧は公人に限るべきでしょう。公人とは現職政治家等、財界関連では有価証券報告書に記載されている現職役員等、学界では現職大学教授等、マスコミ・芸能界関係者等です。もし公人以外の実名を記載するなら本人の了解を取る必要性があります。勝手に記載することは許されません。そもそも海城中学校・高等学校人物一覧については客観的にみても全く著名でない人物や記載するには値しない人物を多数掲載しすぎです。Wikipediaは同窓会組織でもないし、ましてや学校を誇張して宣伝する道具ではありません。世直し三太郎 2007年11月28日 (水) 09:28 (UTC)
大部分の人物は検証可能な書籍から記載していますが、Wikipediaに相応しくない人物(個人情報の卒業生名簿からは一切ありません)も記載してしまい私も反省しています。それについては削りましょう。それと、あのそもそも現職でなければならないんでしょうか?現役を退かれた、亡くなられた方でも問題がないと思うのですが。あなたの意見だと、多くの小中高大の卒業生の記載を直さなければなりません。いかがでしょう?--西の果て 2007年11月29日 (木) 15:56 (UTC)
- 部外者ながら、一言言わせてもらいますと、海城高校の人物掲載にとくに問題はないと思いますよ。--210.198.131.198 2007年12月1日 (土) 08:56 (UTC)
合意形成に向けて
[編集]Wikipediaのガイドラインや他校での議論から、現職でなくても問題がないとわかりました。そのため、編集保護からの解除に向けて、内容について合意形成を行いたいです。2007年11月28日 (水) 04:02の版より、別に議論を要するであろう商議員・議定員・歴代理事長・歴代校長・海原会歴代会長・学校長・教職員、あまり著名でない人物を除いてみました。どうでしょう?
- 論争当事者にも会話で参加を呼びかけたのですが、あと一週間ほど待っても意見がない場合は提案賛成として、保護解除依頼に出します。--西の果て 2007年12月12日 (水) 18:04 (UTC)
- では、提案賛成として保護解除依頼に出します。--西の果て 2007年12月21日 (金) 16:05(UTC)
保留
[編集]その他関係者
[編集]- 田中角栄 - 元内閣総理大臣 / 旧制海城中学の2、3年に編入する予定だった
- 有栖川宮威仁親王 - 皇族 / 古賀喜三郎の海軍兵学校時代の教え子で本校式典に臨席
- 山階宮菊麿王 - 皇族 / 本校式典に臨席
- 小松宮依仁親王 - 皇族 / 本校式典に臨席
試作
[編集]海城中学校・高等学校人物一覧(かいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこうじんぶついちらん)は、海城中学校・高等学校の創立者・教員・出身者・関係者などの一覧である。
創立者
[編集]創立者
[編集]創立者一族
[編集]- 江頭安太郎(娘婿) - 海軍中将
- 江頭豊(孫) - チッソ社長、海城学園名誉学園長
- 古賀博(孫) - 海城学園第7代理事長
- 古賀喜博(曾孫) - 海城学園現理事長
- 江藤淳(曾孫) - 文芸評論家、海城学園元理事
商議員
[編集]- 草創期の商議員(評議員)
- 仁礼景範(海軍中将、海軍大臣、海軍兵学校校長、子爵)
- 安保清康(海軍中将、元老院議官、海軍兵学校校長、海軍大学校校長、男爵)
- 中牟田倉之助(海軍中将、枢密顧問官、海軍兵学校校長、海軍大学校校長、子爵)
- 榎本武揚(海軍中将、海軍卿、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣、子爵)
- 磯辺包義(海軍少将、貴族院議員)
- 児玉利国(海軍少将)
- 本山漸(海軍少将、海軍兵学校校長)
- 渋沢栄一(実業家、日本資本主義の父、子爵)
- 川崎八右衛門(実業家、川崎財閥の創始者、男爵)
- 加藤正義(実業家、日本郵船理事)
- 吉川泰次郎(実業家、日本郵船社長)
- 土田安五郎(実業家)
- 佐野常民(元老院議官、枢密顧問官、大蔵卿、農商務大臣、日本赤十字社創始者、伯爵)
- 楠本正隆(東京府知事、衆議院議員、衆議院議長、男爵)
- 船越衛(千葉県令、元老院議官、石川県知事、宮城県知事、貴族院議員、宮中顧問官、男爵)
- 高田早苗(貴族院議員、衆議院議員、早稲田大学総長、文部大臣)
- 佐々友房(衆議院議員、教育者)
- 片岡健吉(衆議院議員、衆議院議長)
- 島田三郎(衆議院議員、衆議院議長)
- 大石正己(衆議院議員、農商務大臣)
- 河島醇(貴族院議員、衆議院議員、日本勧業銀行総裁、滋賀県知事、福岡県知事、北海道庁長官)
- 近衛篤磨(貴族院議員、貴族院議長、学習院院長、公爵)
- 赤松則良(貴族院議員、男爵)
- 杉渓言長(貴族院議員、男爵)
- 菅野退輔
- 松林義規
- 水野太一
議定員
[編集]- 草創期の議定員12名
- 西郷従道(元帥、海軍大将、文部卿、陸軍卿、農商務卿、海軍大臣、内務大臣 、侯爵)
- 伊東祐亨(元帥、海軍大将、海軍大学校校長、連合艦隊司令長官、伯爵)
- 樺山資紀(海軍大将、海軍大臣、台湾総督、内務大臣、文部大臣、伯爵)
- 伊藤雋吉(海軍中将、海軍兵学校校長、海軍次官、貴族院議員、男爵)
- 安保清康(海軍中将、元老院議官、海軍兵学校校長、海軍大学校校長、男爵)
- 中牟田倉之助(海軍中将、枢密顧問官、海軍兵学校校長、海軍大学校校長、子爵)
- 榎本武揚(海軍中将、海軍卿、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣、子爵)
- 磯部包義(海軍少将、貴族院議員)
- 本山漸(海軍少将、海軍兵学校校長)
- 土方久元(宮中顧問官、元老院議官、農商務大臣、宮内大臣、枢密顧問官、伯爵)
- 佐野常民(元老院議官、枢密顧問官、大蔵卿、農商務大臣、日本赤十字社創始者、伯爵)
- 近衛篤磨(貴族院議員、貴族院議長、学習院院長、公爵)
歴代理事長
[編集]初代 | 古賀喜三郎 | 1891年11月~1914年12月 | |
第2代 | 吉見乾海 | 1914年12月~1930年3月 | |
第3代 | 古賀博 | 1930年3月~1945年10月 | |
第4代 | 八坂正雅 | 1945年10月~1947年2月 | |
第5代 | 松村昇 | 1947年2月~1948年6月 | |
第6代 | 天野敬一 | 1948年6月~1966年7月 | |
第7代 | 古賀博 | 1966年7月~1989年月 | |
第8代 | 古賀喜博 | 1989年6月~ |
歴代校長
[編集]初代 | 古賀喜三郎 | 1891年11月~1914年2月 | |
第2代 | 吉見乾海 | 1914年12月~1942年11月 | |
第3代 | 島祐吉 | 1942年11月~1945年10月 | |
第4代 | 川崎武親 | 1945年10月~1946年8月 | |
第5代 | 清水岬 | 1946年10月~1961年11月 | |
第6代 | 福岡高 | 1962年1月~1965年10月 | |
第7代 | 池城安伴 | 1965年10月~1974年4月 | |
第8代 | 伊藤太一郎 | 1974年4月~1987年4月 | |
第9代 | 奥山稔 | 1987年4月~1992年4月 | |
第10代 | 小川嘉一郎 | 1992年4月~2002年4月 | |
第11代 | 和田征士 | 2002年4月~ |
海原会歴代会長
[編集]- 海原会(同窓会)の歴代会長
学校長・教職員
[編集]学校長
[編集]教職員
[編集]- 金田一京助(言語学者、東京帝国大学教授)
- 鈴木三重吉(小説家、児童文学者)
- 石川啄木(歌人、詩人)
- 加藤玄智(宗教学者、東京帝国大学教授)
- 谷口藍田(儒学者)
- 守屋荒美雄(帝国書院創立者、吉祥女子中学校・高等学校創立者)
- 石原純(物理学者)
- 上田敏(文学者)
- 真崎誠(学習院教授)
- 石橋五郎(京都帝国大学名誉教授)
- フレデリック・イーストレイク(英語教育家、日本の英語教育の父)
- 松岡文太郎(数学者)
- 堀英四郎(慶應義塾大学教授、海軍兵学校文官教授)
- 松本喜一(帝国図書館長)
- 利根山光人(美術家、画家、現海城学園校章をデザイン)
- 尾木直樹(教育評論家、法政大学教授、早稲田大学客員教授)
著名な出身者
[編集]軍事
[編集]- 野村吉三郎(海軍大将、外務大臣・駐米大使・参議院議員・学習院院長を歴任、明治29年卒)
- 小林躋造(海軍大将、海軍次官・貴族院議員・国務大臣・連合艦隊司令長官を歴任、明治29年卒)
- 百武源吾(海軍大将、第7代九州帝国大学総長、明治32年卒)
- 古川針三郎(海軍中将)
- 左近司政三(海軍中将、海軍次官・貴族院議員・商工大臣・国務大臣を歴任、明治30年卒)
- 島祐吉(海軍中将、海城学園第3代校長、明治31年卒)
- 四竈孝輔(海軍中将、侍従武官)
- 野辺田重興(海軍中将、艦政本部第六部長)
- 和田秀穂(海軍中将、日本の航空パイロット第一号)
- 黒島亀人(海軍少将、太平洋戦争期の連合艦隊先任参謀、中退)
- 筑土次郎(海軍少将、呉防備隊司令)
- 迎邦一(海軍大佐、戦艦「三笠」艦長)
- 山口三郎(海軍中佐、神兵隊事件の神兵隊の一員、中退)
- 小澤一彦(海軍中尉、ジャーナリスト、日本戦没学生記念会(わだつみ会)常任理事、昭和15年卒)
- 中島今朝吾(陸軍中将、第16師団長、明治29年卒)
- 小川権之助 (陸軍中将、第89師団長、明治42年卒)
- 高田利貞(陸軍中将、第64旅団長、明治42年卒)
- 田村理七(陸軍少将、朝日生命元顧問)
- 江連力一郎(海賊、日本海賊史に名高い剣客)
- 伊達順之助(馬賊、小説『夕日と拳銃』の主人公のモデル、中国名は張宗援 / 伊達政宗の直系子孫、大正3年卒)
- 伴野丈夫(海上自衛隊海将、第19代海上自衛隊第1術科学校長)
- 沖為雄(海上自衛隊海将、元横須賀地方総監、三笠保存会元理事長、昭和22年卒)
政治
[編集]- 益谷秀次(元衆議院議員、衆議院議長・副総理・建設大臣・自民党幹事長を歴任、中退)
- 豊田豊吉(元衆議院議員、明治42年卒)
- 鈴木茂三郎(元衆議院議員、日本社会党委員長・政調会長・書記長を歴任)
- 佐藤観次郎(元衆議院議員、ジャーナリスト、中央公論元編集長)
- 簡牛凡夫(元衆議院議員)
- 八田一朗(元参議院議員、日本レスリング界の父、大正13年卒)
- 浅岡信夫(元参議院議員、日活俳優)
- 河本三郎(衆議院議員、元文部科学副大臣、昭和44年卒)
- 中野譲(元衆議院議員、昭和60年卒)
- 高山智司(衆議院議員、平成元年卒)
- 加々美武夫(元大阪市長、明治41年卒)
- 代田朝義(元大田区長)
行政
[編集]経済
[編集]- 向井喜雄(ライオン歯磨元社長)
- 斉藤文也(南洋興発元社長)
- 菅原通済(江ノ島電鉄元社長、日本自動車道創設者、鉄道工業会長としてフィクサーでも有名、中退)
- 成吉競(日本無線元社長、大正7年卒)
- 斉藤昌司(東京汽船元社長、大正7年卒)
- 松崎一雄(森永製菓元相談役 / 元首相夫人安倍昭恵の祖父、大正7年卒)
- 江頭豊(チッソ元社長・会長・終身相談役、海城学園名誉学園長 / 徳仁親王妃雅子の祖父、大正14年卒)
- 前田又兵衛(前田建設工業創設者、社長・会長・名誉会長を歴任、大正16年卒)
- 秋山哲兒(元東洋文庫理事 / 秋山好古の孫)
- 宮崎誠之介(菱電商事元社長、昭和18年卒)
- 阿形明(弁理士、日本科学振興財団理事長、昭和23年卒)
- 泊懋(東映アニメーション会長・元社長、昭和23年卒)
- 佐久間美成(岩田屋相談役・元社長、昭和29年卒)
- 上原英治(東京ガス相談役・元社長・会長、昭和29年卒)
- 楠正臣(近畿相互銀行元頭取、昭和33年卒)
- 大野要(岡部会長・元社長、昭和35年卒)
- 田口俊明(トヨタ自動車顧問・元相談役、昭和35年卒)
- 益子修(三菱自動車工業社長、昭和42年卒)
- 杉山知之(デジタルハリウッド学校長、デジタルハリウッド大学・大学院学長、昭和47年卒)
- 田辺大(社会起業家、平成元年)
- 内藤裕紀(ドリコム社長、平成9年卒)
文学
[編集]- 鈴木善太郎(作家、劇作家、翻訳家、明治33年卒)
- 佐々木邦(作家、英文学者、紫綬褒章受章)
- 吉田一穂(詩人、評論家、童話作家、大正7年卒)
- 妻木新平(作家)
- 菊岡久利(作家、詩人、中退)
- 西澤實(放送劇作家、元日本放送作家協会理事長、紫綬褒章受章)
- 窪島誠一郎(美術評論家、昭和35年卒)
- 小谷野敦(文芸評論家、東京大学非常勤講師、昭和56年卒)
- 方波見大志(作家、平成11年卒)
学問
[編集]- 鹿子木員信(慶應義塾大学教授、九州帝国大学法文学部長を歴任)
- 河村幹雄(九州帝国大学名誉教授)
- 松岡梁太郎(成蹊学園理事長、成蹊大学教授を歴任)
- 桂井当之助(元早稲田大学教授)
- 尾後家省一(元早稲田大学教授)
- 大桐馨毅(元明治大学教授)
- 辰濃尚次郎(元星薬科大学教授、大正2年卒)
- 中村佐一(早稲田大学教授・政治経済学部長を歴任、大正2年卒)
- 升本喜兵衛(中央大学名誉教授、中央大学理事長・総長・学長を歴任、大正4年卒)
- 西村伝三(元早稲田大学教授)
- 田原敏弘(元立正大学教授)
- 大林良一(一橋大学名誉教授、第9代成城大学学長、大正10年卒)
- 岩本徳一(國學院大學名誉教授)
- 大塚新太郎(名古屋大学名誉教授、昭和14年卒)
- 林亮勝(大正大学名誉教授、第27代大正大学学長、昭和19年卒)
- 山口猛央(東京工業大学教授、東京大学兼担教授、昭和59年卒)
芸術
[編集]- 厚田雄春(映画キャメラマン、大正11年卒)
- 深町幸男(演出家、舞台監督、映画監督、紫綬褒章受章、昭和23年卒)
- 小川紳介(ドキュメンタリー映画監督、昭和29年卒)
- 青葉益輝(グラフィックデザイナー、紫綬褒章受章、昭和33年卒)
- 永田錦心(琵琶師、「錦心流」創始者)
- 鈴木保徳(洋画家、元多摩美術大学教授)
- 立川談笑(落語家、昭和59年卒)
- 赤松健(漫画家、講談社漫画賞受賞、昭和62年年卒)
- 粕谷淳司(建築家、平成2年卒)
芸能
[編集]- 早川雪洲(俳優、米国映画批評会議賞受賞、明治37年卒)
- 東郷久義(俳優)
- 伊達信(俳優、大正13年卒)
- 鮎川浩(俳優、昭和16年卒)
- 岸田森(俳優、昭和33年卒)
- 溝口舜亮(俳優、昭和36年卒)
- 倉田保昭(俳優、昭和39年卒)
- 加藤壮門(俳優、平成16年卒)
- 崎本大海(俳優、平成17年卒)
- 能勢一幸(クイズ王、昭和62年卒)
- 伊藤強(音楽評論家、元日本レコード大賞審査委員長、昭和29年卒)
- 中村治雄(音楽家、昭和43年卒)
- 菅原直洋(音楽プロデューサー、平成11年卒)
- 楠部工(クリエイター、脚本家)
マスコミ
[編集]- 西山柳造(元毎日新聞政治部記者、「憲法草案スクープ」で有名、昭和9年卒)
- 康芳夫(プロデューサー、昭和31年卒)
- 石田弘(フジテレビプロデューサー、昭和37年卒)
- 徳光和夫(フリーアナウンサー、元日本テレビアナウンサー、昭和34年卒)
- 志摩悦二郎(NHKアナウンサー、昭和44年卒)
- 大湖弘之(NHKアナウンサー、昭和49年卒)
- 栗田勇人(NHKアナウンサー、昭和61年卒)
- 伊奈正高(NHKアナウンサー、昭和63年卒)
- 田中朋樹(NHKアナウンサー、平成元年卒)
- 厚井大樹(NHKアナウンサー、平成7年卒)
- 四家秀治(元テレビ東京アナウンサー(現・報道局)、昭和52年卒)
- 小島秀公(テレビ東京アナウンサー、平成元年卒)
- 藺草英己(福島テレビアナウンサー、昭和62年卒)
- 石井貴士(元信越放送アナウンサー、心理カウンセラー、平成4年卒)
スポーツ
[編集]- 深澤政介(早稲田大学漕艇部創部者、第一回早慶レガッタ創始者)
- 小林信秀(元サッカー日本代表、昭和27年卒)
- 寺島達夫(元プロ野球選手、俳優、昭和29年卒)
- 坪口高樹(元プロ野球選手、昭和29年卒)
- 岩瀬剛(早稲田大学応援部監督、旭総合警備社長、昭和40年卒)
- 明石顕(陸上競技選手、世界陸上選手権日本代表、平成7年卒)
教育
[編集]--西の果て 2008年1月13日 (日) 14:45 (UTC)
明治25年発行の東京遊學案内によると、
『海軍豫備校』
「本校ハ海軍兵學校ヘ入学志願ノ生徒ヲ養成スル所ニシテ・・・」
- ☆皇族に連なる古賀一族によって経営されている海城学園の最盛期☆
昨今の東大合格者数ランキングの躍進が海城学園の最盛期と思われる方も少なくないと思うが、本当の最盛期は明治時代にあった。
海軍兵学校学校別合格者数(明治30年9月)[当時の海軍兵学校は募集人数が少なく、全国最難関のエリート校だった。]
全国1位 海軍予備校(海城) 55名
全国2位 攻玉社 32名
全国3位 国民英学会 14名
東京府立尋常中学校(日比谷高校) 3名
東京以外の府県立尋常中学校 48名
その他私学 22名
家庭自学者 5名
さらに凄い年もあるのだが、他校も正確にわかるのは上のだけ。
中村文雄氏の『軍諸学校入学資格獲得をめぐる私学と官学との抗争』より
- さらに明治時代の最盛期の卒業生の弁を借りよう。
島祐吉(海軍中将、明治31年卒)の弁
『・・・その頃の生徒の気風は、世間も同様であったが、粗野乱暴の風があり、殊に本校は攻玉社と共に定評があった。 併しその反面勉学の方も群を抜き、当時より其方で優秀なりと世評があった一中、四中(今の日比谷高校、戸山高校) も眼中になかった。従って成績も抜群で、当時の優秀学校であった海軍諸学校への入学率は全国より海軍に入学する 総数の五分の一から、多い時には、三分の一以上に達することもあり、全国の海軍入学志願者は風を望んでまず本校に 入学しようと上京し来るというが如き有様だった。暫くして明治三十年頃を頂点とする前後10年間位は全盛を極むる 状況であった。そのころ既に海軍諸学校の入学試験はむずかしいといわれ数年反復受験して後入学する者も極めて多く、 又一旦高等学校(旧制)に入学して後海軍に受験入学する者も相当あった有様であるから我校の成績優秀だったことが、 推測出来ると思う。・・・』
- 東京私立
- 【海城】
野村吉三郎(海軍大将・外務大臣・駐米大使) 小林躋造(海軍大将・貴族院議員・国務大臣)百武源吾(海軍大将・九州帝国大学総長) 左近司政三(海軍中将・貴族院議員・商工大臣・国務大臣) 中島今朝吾(陸軍中将・第16師団長) 江連力一郎(海賊・日本海賊史に名高い剣客) 伊達順之助(馬賊・伊達政宗の直系子孫)豊田豊吉(衆議院議員) 鈴木茂三郎(衆議院議員・日本社会党委員長) 佐藤観次郎(衆議院議員) 簡牛凡夫(衆議院議員) 八田一朗(参議院議員) 浅岡信夫(参議院議員) 河本三郎(衆議院議員) 中野譲(衆議院議員) 高山智司(衆議院議員) 加々美武夫(大阪市長) 代田朝義(大田区長) 小室和秀(イスラエル大使) 向井喜雄(ライオン歯磨社長)斉藤文也(南洋興発社長) 成吉競(日本無線社長) 斉藤昌司(東京汽船社長) 松崎一雄(森永製菓相談役・安倍昭恵の祖父) 江頭豊(チッソ社長・徳仁親王妃雅子の祖父) 前田又兵衛(前田建設工業創設者) 泊懋(東映アニメーション社長) 佐久間美成(岩田屋社長) 上原英治(東京ガス社長) 楠正臣(近畿相互銀行頭取) 大野要(岡部社長) 田口俊明(トヨタ自動車顧問)
- 東京私立
- 【海城】
益子修(三菱自動車工業社長) 杉山知之(デジタルハリウッド学校長) 内藤裕紀(ドリコム社長) 鈴木善太郎(作家) 佐々木邦(作家) 吉田一穂(詩人) 西澤實(放送劇作家) 窪島誠一郎(美術評論家) 小谷野敦(文芸評論家)方波見大志(作家)鹿子木員信(慶應義塾大学教授) 河村幹雄(九州帝国大学名誉教授) 松岡梁太郎(成蹊学園理事長) 桂井当之助(早稲田大学教授) 尾後家省一(早稲田大学教授) 中村佐一(早稲田大学教授) 升本喜兵衛(中央大学総長) 西村伝三(早稲田大学教授) 大林良一(一橋大学名誉教授) 岩本徳一(國學院大學名誉教授) 大塚新太郎(名古屋大学名誉教授) 林亮勝(大正大学学長)厚田雄春(映画キャメラマン) 深町幸男(演出家) 小川紳介(ドキュメンタリー映画監督) 青葉益輝(グラフィックデザイナー) 鈴木保徳(洋画家) 立川談笑(落語家) 赤松健(漫画家) 早川雪洲(俳優)伊藤強(音楽評論家)康芳夫(プロデューサー) 石田弘(フジテレビプロデューサー)徳光和夫(フリーアナウンサー) 小林信秀(サッカー日本代表) 寺島達夫(プロ野球選手) 坪口高樹(プロ野球選手)明石顕(陸上競技選手)
- 江藤淳(曾孫)の著書を読み、海城学園創立者・古賀喜三郎先生を知る。
- 『一族再会』 江藤淳 講談社文芸文庫
- 『夜の紅茶』 江藤淳 牧羊社
- 『腰折れの話』 江藤淳 角川書店
--咲くのか咲かないのか 2008年1月31日 (木) 04:27 (UTC)
掲載にあたって
[編集]- 特に異見が出てないようなので人物一覧に掲載すればいいのではないでしょうか?それと、明治半ばまでの中等教育段階では複数校在籍が多く見られるので、海兵合格者数云々で競うよりも、卒業者と共に一時在籍者も含めて掲載しても差し障りはないかと思いますが。さらに言わせてもらうと、学校関係者に雅子妃の掲載は若干趣旨が外れているのかなと。江藤淳が上で挙げられているもの以外でもたしか「再々こもんせんす」?!などの著書でも海城の創立者については触れていますし、学校関係の肩書も持つようなので掲載するのならこの辺までではないでしょうか?--一粒 2008年2月3日 (日) 10:44 (UTC)
私もやはりあくまで学校に関係する人物のみを掲載すべきだと思います。ですから、皇太子妃は除くべきです。あと、保留になっていた人物は関係者なので問題ないでしょうから、直しておきました。--國分紀一郎 2008年2月22日 (金) 15:55 (UTC)
編集合戦回避のため
[編集]2009年2月28日 (土) 11:46の版から、この記事をより良くするために意見を交わしましょう。--らんぷす 2009年2月28日 (土) 12:10 (UTC)
海の城さんの「議員・教員(教授以上)・財界人は現職のみ記載」という方針はどこからくるのでしょうか?
・修道中学校・修道高等学校の人物一覧等、参考になると思うので見てみてください。--らんぷす 2009年3月1日 (日) 04:01 (UTC)
久保裕丈の扱いについて
[編集]久保裕丈が本記事への記載に値するか、値するとして、「経済」か「芸能」か「マスメディア」か。
ほぼ『バチェラー・ジャパン』の初代バチェラーとしての知名度に依拠するものの、[1]みたいな活動も見られたり。
--240F:111:D94F:1:7C46:F543:923:98B0 2019年5月8日 (水) 05:35 (UTC)