コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

シンコウラブリイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シンコウラブリーから転送)
シンコウラブリイ
欧字表記 Shinko Lovely[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1989年2月2日[1]
死没 2011年12月5日(22歳没)[2]
Caerleon[1]
ハッピートレイルズ[1]
母の父 ポッセ[1]
生国 アイルランドの旗 アイルランド[1]
生産者 B. R. and Mrs Firestone[1]
馬主 安田修[1]
調教師 藤沢和雄美浦[1]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀5歳以上牝馬(1993年)[1]
生涯成績 15戦10勝[1]
獲得賞金 5億3787万5400円[3]
勝ち鞍
GI マイルCS 1993年
GII NZT4歳S 1992年
GII 毎日王冠 1993年
GII スワンS 1993年
GIII ラジオたんぱ賞 1992年
GIII クイーンS 1992年
テンプレートを表示

シンコウラブリイ(欧字名:Shinko Lovely1989年2月2日 - 2011年12月5日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

アイルランドで生産された外国産馬である。1993年JRA賞最優秀5歳以上牝馬。1993年のマイルチャンピオンシップGI)を優勝し、黒衣の名牝[4]と呼ばれた。藤沢和雄調教師に初の重賞GI制覇をもたらした。

その他の勝ち鞍は、1992年ニュージーランドトロフィーGII)、ラジオたんぱ賞GIII)、クイーンステークスGIII)。1993年の毎日王冠GII)、スワンステークスGII)。

生涯

[編集]

デビューまで

[編集]

ハッピートレイルズは、ポッセを父に持ち、1984年にアイルランドで生産された牝馬である[5]。競走馬として5戦未勝利[5]。引退後は繁殖牝馬となり、初年度はカーリアンと交配した[6]。1989年2月2日、アイルランドのファイアーストーン夫妻の下で初仔となる鹿毛の牝馬(後のシンコウラブリイ)が生産された[1]。3歳となった1991年6月、産まれた仔を大樹ファームの赤澤芳樹が購買し、大樹ファームが所有するアイルランドの牧場に移動[7]。アイルランドを訪れた藤沢和雄調教師は、仔を見て高く評価していた[3]。育成を経て、同じ牧場の6頭とともに日本に渡り、成田国際空港[8]北海道門別町の北海牧場[7]にて、合計3か月の検疫を受けた[7][3]

日本に来た7頭は、藤沢の仲介で大樹ファームを紹介された安田修と、そのアドバイザー兼秘書の鬼塚義臣による検分を受けた[7][9][10]。その7頭の中から、安田と鬼塚は、最も安い7000万円に設定された仔(後のシンコウラブリイ)を見出し[7][9][10]、安田が購入。値切り交渉の末、設定価格よりも1000万円安い、6000万円での取引となった[7][10]

(シンコウ)ラブリイはまず歩様がギクシャクして悪く、牡馬のように武骨で、ノーザンダンサー系によくある背中の堅い感じの馬でした。ただ、柔らかさはなく、見かけは良くないが、ダンプカーの荷台のようなどっしりとした重味〔ママ〕があり、強烈なスプリントを感じたんですね。 — 鬼塚義臣[7]

鬼塚はこう語り、購入金額くらいは稼ぎ、万が一活躍しなくとも、父がカーリアンであることから繁殖牝馬としても期待できると考えていた[7][10]。アイルランドでの育成が進んでおり、日本で生産された馬よりも筋肉の発達が早く、検疫を終えると、まもなく美浦トレーニングセンター藤沢和雄厩舎に入厩[7]。当初、藤沢と鬼塚は900万円以下までは勝ち進むだろうと目論んでいた[9][10]

競走馬時代

[編集]

3歳(1991年)

[編集]

入厩して約1カ月後の11月2日、東京競馬場新馬戦(芝1600メートル)で橋本広喜が騎乗しデビュー[9]、2番人気の評価された[9][11]。先行し最後の直線で抜け出し、後方に4馬身離して初勝利[7]。続いて2週間後の福島3歳ステークス(OP)は、1番人気の支持で出走。好位から最終コーナーで先頭となり、騎乗した坂本勝美が追うことのないまま2連勝、レコードタイムを更新した[7]。それから12月1日、阪神3歳牝馬ステークスGI)では、岡部幸雄に乗り替わった。無敗の3連勝中だったニシノフラワーが単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、それに次ぐ2.8倍の2番人気[12]。外枠14番から発走し、ニシノフラワーをマークする好位の外側につけた。ところが、第3コーナー途中で進路を失う不利を受けて後退、結局ニシノフラワーから離れて、大きく外を周回することを余儀なくされた[3]。直線で追い上げたものの、内枠から終始内を進んだニシノフラワーには敵わず、さらにサンエイサンキューにもかわされた3着となった[13]

4歳(1992年)

[編集]

外国産馬は桜花賞優駿牝馬(オークス)の出走が不可能だったため、4歳となってもしばらく出走せず、長期休養となった[13]。5月23日、牝馬限定競走のカーネーションカップ(OP)で半年ぶりの復帰[13]。参戦直前に砂浴びを行ったところ、自らの脚で蹄底に傷をつけた[14]。直ちに治療する必要があったが、春闘厩務員ストライキとの関係のために適切な治療ができず、完治していない状態ながら1番人気で出走[14]。出遅れや折り合いを欠いたことで、直線全く伸びず、6着に敗れた[13][15]。続いて、春の目標に据えていた6月7日のニュージーランドトロフィー4歳ステークスGII)に参戦。出走10頭の中から、京都4歳特別GIII)など重賞3勝を含む4連勝中の外国産馬、ヒシマサルが1.7倍の1番人気に推された。同じく外国産馬で京成杯GIII)を制したエーピージェットが2番人気、クリスタルカップGIII)を制し、菖蒲ステークスではエーピージェットを下した2連勝中の内国産馬サクラバクシンオーが3番人気と続き、シンコウラブリイは11.4倍の4番人気の支持であった[13][16]。スタートから2番手を保ち、直線ではサクラバクシンオーが逃げて直線で失速するのを尻目に先頭に立ち、追い上げるヒシマサルに1馬身半差離して、先頭で入線[13]。重賞初制覇となり、厩舎開業5年目の藤沢にとっても初の重賞タイトルとなった[8]。それから、外国産馬の出走が本年から解禁となっていたラジオたんぱ賞GIII)に出走[10]。鞍上は3戦連続で騎乗した岡部から、坂本に戻り、1番人気に推された[10]。逃げた2頭から離れた3番手で進み、第3コーナーから前2頭に接近[10]。最後の200メートルで抜け出して差を広げ、後続に2馬身半離して勝利した[10][注釈 1]

3か月の休養を経て、10月4日のクイーンステークスGIII)に再び岡部とともに出走。2000メートル及び中山競馬場初参戦だったが1番人気に推された。2番手を保ち直線で抜け出すと、後方に3馬身離して勝利、重賞3連勝とった[3]。その後は、4歳牝馬の目標であるエリザベス女王杯に進むと考えられていた[3]。エリザベス女王杯は、外国産馬のシンコウラブリイが、牝馬三冠の中で唯一出走可能な競走であったが、藤沢はジャパンカップGI)を目標に設定[3]。それに向けて、エリザベス女王杯と同じ日に行われる富士ステークス(OP)に参戦することを決めた[18]。この決定は「批判的な眼で眺める向きも少なくなかった[3]」(阿部珠樹)という。

富士ステークスは馬なりの状態のまま、1.3倍の1番人気に応えて勝利[13][19]。岡部はジャパンカップでも期待できると発言したが、藤沢はシンコウラブリイの適性がやはり短中距離にあると見極め、芝2400メートルで行われるジャパンカップへの出走を断念[13]。急遽、連闘マイルチャンピオンシップGI)に出走、この藤沢の采配は「ジャパンカップ出走を表明した時よりもさらに大きな疑問の声があがった[3]」(阿部珠樹)という。4.1倍の1番人気に推された。スタート直後は8番手につけ、中途で好位まで押し上げて追走[3]。最終コーナーでは内を突き追い上げたが、逃げる2番人気のダイタクヘリオスを捉えることはできず、1馬身半差の2着となった[13][20]

5歳(1993年)

[編集]

長期休養となり、4月24日の京王杯スプリングカップGII)で始動。前年の安田記念優勝馬ヤマニンゼファーを抑えて1番人気に推された。最後の直線ではヤマニンゼファーとの競り合いに屈し、1馬身半遅れた2着に敗れた[13]。続く安田記念(GI)は3番人気の支持を集め、2番人気ヤマニンゼファー、14番人気イクノディクタスにも先着されて3着に敗れた[3]。それから休養前の北海道輸送を兼ね、札幌日経オープン(OP)に出走。単勝支持率73パーセントの支持を集め、単勝オッズ1.0倍という「元返し」状態の1番人気に推された[13]。好位から抜け出し、迫るゴールデンアイをクビ差ばかり退けて勝利、7カ月ぶりの勝利を果たした[13]

秋となり、毎日王冠GII) に1番人気で出走。マイスタージンガーが逃げる中、3番手に位置、残り300メートルで先頭となると、追い込んだ8番人気セキテイリュウオーを1馬身4分の3馬身離し、レコードタイムで勝利[21]。続いて、外国産馬のために出走することのできない天皇賞(秋)を尻目にスワンステークスに出走[21]、初の重馬場となったが1番人気に推された。5番手から直線で先頭となり、迫るステイジヒーローをクビ差退けて勝利[21]。この直後にマイルチャンピオンシップを引退レースとなることが決定した[3]

それから11月21日、前年2着に敗れたマイルチャンピオンシップに参戦。当日の朝から小雨が降ったが、第7競走の京都3歳ステークス(OP)は良馬場で行われナリタブライアンがレコードタイムを樹立していた[21]。ところが、発走1時間前には激しい雨に変わり、視界が煙で遮られるほどになった[21]。馬場状態は、稍重を経ずに悪化、不良での発走となった[21]。単勝オッズ2.3倍の1番人気に推され、続く3.6倍の2番人気にニシノフラワーとなり牝馬2頭が上位人気を占めた[22]。イイデザオウが逃げる中、シンコウラブリイは馬群の外側の4番手の好位。ニシノフラワーが後方で不良馬場に苦戦する中、直線コースで抜け出すと、逃げ粘るイイデザオウを1馬身4分の1差をつけて先頭で入線した[3]GI初制覇となり、藤沢にとっても初のGIタイトル獲得となった[3]

シンコウラブリイにとって手に届きそうで届かなかったGIの勲章。これで引退の花道が飾れました — 岡部幸雄[21]

岡部は、レース後の観客席のファンにシンコウラブリイの引退を改めて発表[21]。年末には、JRA賞最優秀5歳以上牝馬に選出された[21]

繁殖牝馬時代

[編集]

マイルチャンピオンシップから5日後の11月26日に大樹ファームに移動[21]。安田の預託で大樹ファームにて繁殖牝馬として繋養された[23]。場長のハリー・スウィーニィによれば、特にジローディタリア[24]と仲が良かった[23]。大樹ファームでは、ロードクロノス、レディベローナの2頭の仔を生産。1996年からは、安田オーナーが用意したシンコーファームに繋養された[25]2011年ディープスカイの牝馬(後のプレイフォーマザー)を産み繁殖を引退[26]。以後は同ファームで余生を送っていたが、蹄葉炎が再発したため同年12月5日に死亡した[27]

競走成績

[編集]

以下の内容は、netkeiba.com[28]およびJBISサーチ[29]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上がり3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
1991.11.02 東京 3歳新馬 芝1600m(良) 12 2 2 004.00(2人) 01着 R1:35.5(36.7) -0.7 0橋本広喜 51 (ナイキナイト) 440
0000.11.16 福島 福島3歳S OP 芝1200m(良) 10 7 8 002.10(1人) 01着 R1:09.9(35.9) -0.1 0坂本勝美 53 (マイネルヤマト) 434
0000.12.01 阪神 阪神3歳牝馬S GI 芝1600m(良) 15 8 14 002.80(2人) 03着 R1:36.4([注 1] -0.2 0岡部幸雄 53 ニシノフラワー 434
1992.05.23 東京 カーネーションC OP 芝1600m(良) 16 1 2 001.40(1人) 06着 R1:36.0(37.8) -0.5 0岡部幸雄 54 タレントサンダー 446
0000.06.07 東京 NZT4歳S GII 芝1600m(良) 10 7 8 011.40(4人) 01着 R1:34.9(35.3) -0.2 0岡部幸雄 54 ヒシマサル 440
0000.07.05 福島 ラジオたんぱ賞 GIII 芝1800m(良) 9 2 2 002.00(1人) 01着 R1:48.6(37.3) -0.4 0坂本勝美 55 (ポットリチャード) 430
0000.10.04 中山 クイーンS GIII 芝2000m(良) 15 8 15 001.40(1人) 01着 R2:00.7(35.4) -0.6 0岡部幸雄 54 (パーシャンスポット) 434
0000.11.15 東京 富士S OP 芝1800m(良) 6 3 3 001.30(1人) 01着 R1:47.6(34.2) -0.1 0岡部幸雄 53 (キョウエイボナンザ) 440
0000.11.22 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 18 4 7 004.10(1人) 02着 R1:33.5([注 2] -0.2 0岡部幸雄 53 ダイタクヘリオス 438
1993.04.24 東京 京王杯スプリングC GII 芝1400m(良) 12 3 3 001.50(1人) 02着 R1:21.2(34.7) -0.2 0岡部幸雄 55 ヤマニンゼファー 438
0000.05.16 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 16 4 7 005.50(3人) 03着 R1:33.7(35.7) -0.2 0岡部幸雄 55 ヤマニンゼファー 436
0000.06.13 札幌 札幌日経オープン OP 芝1800m(良) 12 7 11 001.00(1人) 01着 R1:47.6(35.9) -0.1 0岡部幸雄 55 (ゴールデンアイ) 444
0000.10.10 東京 毎日王冠 GII 芝1800m(良) 13 5 6 002.30(1人) 01着 R1:45.5(34.8) -0.3 0岡部幸雄 56 セキテイリュウオー 448
0000.10.30 京都 スワンS GII 芝1400m(重) 16 2 4 001.40(1人) 01着 R1:21.9(35.1) -0.0 0岡部幸雄 56 (ステイジヒーロー) 442
0000.11.21 京都 マイルCS GI 芝1600m(不) 15 3 5 002.30(1人) 01着 R1:35.7(36.2) -0.2 0岡部幸雄 55 (イイデザオウ) 448

繁殖成績

[編集]
生年 馬名 毛色 馬主 管理調教師 戦績 勝ち鞍 出典
初仔 1995年 ロードクロノス 栗毛 トニービン (株)ロードホースクラブ 藤沢和雄美浦 30戦8勝(抹消) 2001年中京記念GIII[注 3] [30]
2番仔 1996年 レディベローナ 鹿毛 サンデーサイレンス 3戦0勝(繁殖牝馬 [31]
3番仔 1997年 レディミューズ 栗毛 ティンバーカントリー 18戦3勝(繁殖牝馬) [注 4] [25]
4番仔 1998年 トレジャー 黒鹿毛 ブライアンズタイム 市川義美 43戦4勝(抹消) 2003年都大路S(OP)[注 5] [32]
5番仔 1999年 ロードアポロン 鹿毛 不出走(血統登録) [33]
2000年 種付けせず [34]
6番仔 2001年 レディクローリス 鹿毛 フォーティナイナー (株)ロードホースクラブ 宗像義忠(美浦) 12戦2勝(繁殖牝馬) [35]
7番仔 2002年 ピサノグラフ 鹿毛 サンデーサイレンス 市川義美 藤沢和雄(美浦) 29戦4勝(繁殖牝馬) [注 6] [36]
8番仔 2003年 ロードアルファード 鹿毛 エルコンドルパサー (株)ロードホースクラブ 山内研二(栗東) 42戦3勝(抹消) [37]
2004年 不受胎 フレンチデピュティ [34]
9番仔 2005年 サムワントゥラブ 鹿毛 シンボリクリスエス 金子真人ホールディングス(株) 角居勝彦(栗東) 17戦1勝(繁殖牝馬) [38]
2006年 流産 キングカメハメハ [34]
10番仔 2007年 マザーウェル 鹿毛 シンボリクリスエス 吉田和美 平田修(栗東)
→中塚猛(園田
18戦1勝(繁殖牝馬) [39]
2008年 不受胎 ロックオブジブラルタル [34]
2009年 流産 アドマイヤムーン [34]
11番仔 2010年 フューチャステップ 鹿毛 嶋田賢 池江泰寿(栗東) 13戦1勝(抹消) [40]
12番仔 2011年 プレイフォーマザー 鹿毛 ディープスカイ 嶋田賢 池江泰寿(栗東) 5戦0勝(繁殖牝馬) [41]

子孫

[編集]
  • 子孫の表示は、直仔、重賞、オープン競走を制覇した馬、それらの母に限る。JRA重賞及びダートグレード競走太字強調にて表す。
  • 情報は、2021年5月6日現在。

血統表

[編集]
シンコウラブリイ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ニジンスキー系
[§ 2]

Caerleon
1980 鹿毛
父の父
Nijinsky
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
父の母
Foreseer
1969 黒鹿毛
Round Table Princequillo
Knight's Daughter
Regal Gleam Hail to Reason
Miz Carol

*ハッピートレイルズ
Happy Trails
1984 鹿毛
*ポッセ
Posse
1977 栗毛
Forli Aristophanes
Trevisa
In Hot Pursuit Bold Ruler
Lady Be Good
母の母
*ロイコン
Roycon
1975 鹿毛
High Top Derring-Do
Camenae
Madelon *セントクレスピン
Azurine
母系(F-No.) Azurine系(FN:4-d) [§ 3]
5代内の近親交配 なし [§ 4]
出典
  1. ^ [47]
  2. ^ [48]
  3. ^ [49]
  4. ^ [47]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 4Fの計測値48.0
  2. ^ 4Fの計測値46.5
  3. ^ 2002年七夕賞GIII)2着(優勝:イーグルカフェ
  4. ^ 2000年チューリップ賞GIII)2着(優勝:ジョーディシラオキ)、優駿牝馬GI)4着(優勝:シルクプリマドンナ
  5. ^ 2001年セントライト記念GII)2着(優勝:シンコウカリド)、2002年ダービー卿チャレンジトロフィーGIII)2着(優勝:グラスワールド)、2004年目黒記念GII)2着(優勝:) 2004年小倉大賞典GIII)3着、2005年ダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)3着。
  6. ^ 2006年ターコイズステークス(OP)3着
  1. ^ ラジオたんぱ賞および、後継のラジオNIKKEI賞において牝馬の優勝馬はシンコウラブリイ以降存在しない(2021年現在)[17]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p シンコウラブリイ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年1月25日閲覧。
  2. ^ “マイルCS制したシンコウラブリイ死ぬ”. 日刊スポーツ. (2011年12月7日). https://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20111207-873818.html 2021年11月21日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『優駿』2007年10月号 65-71頁
  4. ^ 『週刊100名馬 25』産業経済新聞社。 
  5. ^ a b ハッピートレイルズ(IRE)”. JBISサーチ. 2021年5月6日閲覧。
  6. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|ハッピートレイルズ(IRE)”. JBISサーチ. 2021年5月6日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k 『優駿』1994年11月号 78頁
  8. ^ a b 『優駿』1992年8月号 144頁
  9. ^ a b c d e 『優駿』1997年8月号 42頁
  10. ^ a b c d e f g h i 『優駿』1992年9月号 144頁
  11. ^ 3歳新馬|1991年11月02日”. netkeiba.com. 2021年5月6日閲覧。
  12. ^ 阪神3歳牝馬S|1991年12月01日”. netkeiba.com. 2021年5月6日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h i j k l 『優駿』1994年11月号 79頁
  14. ^ a b 東京スポーツ・2011年12月25日付 16面
  15. ^ カーネーションカップ|1992年05月23日”. netkeiba.com. 2021年5月6日閲覧。
  16. ^ NZT4歳S|1992年06月07日”. netkeiba.com. 2021年5月6日閲覧。
  17. ^ “【ラジオNIKKEI賞&CBC賞】レースの注目点”. サンケイスポーツ. (2020年7月1日). https://race.sanspo.com/keiba/news/20200701/ope20070112290015-n1.html 2021年5月7日閲覧。 
  18. ^ 『優駿』1992年12月号 132頁
  19. ^ 富士ステークス|1992年11月15日”. netkeiba.com. 2021年5月7日閲覧。
  20. ^ マイルチャンピオンS|1992年11月22日”. netkeiba.com. 2021年5月7日閲覧。
  21. ^ a b c d e f g h i j 『優駿』1994年11月号 80頁
  22. ^ マイルチャンピオンS|1993年11月21日”. netkeiba.com. 2021年5月7日閲覧。
  23. ^ a b 『優駿』1994年11月号 81頁
  24. ^ ジローディタリア(IRE)”. JBISサーチ. 2021年10月11日閲覧。
  25. ^ a b レディミューズ”. JBISサーチ. 2021年5月2日閲覧。
  26. ^ “93年マイルCS優勝、シンコウラブリイ死す”. スポーツニッポン. (2021年5月7日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2011/12/08/kiji/K20111208002196020.html 2021年5月7日閲覧。 
  27. ^ シンコウラブリイ : SHINKOH FARM”. SHINKOH FARM (2016年3月4日). 2021年5月5日閲覧。
  28. ^ シンコウラブリイの競走成績”. netkeiba.com. 2021年5月5日閲覧。
  29. ^ 競走成績:全競走成績|シンコウラブリイ(IRE)”. JBISサーチ. 2021年10月11日閲覧。
  30. ^ ロードクロノス”. JBISサーチ. 2021年5月2日閲覧。
  31. ^ レディベローナ”. JBISサーチ. 2021年5月2日閲覧。
  32. ^ トレジャー”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  33. ^ _________”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  34. ^ a b c d e 繁殖牝馬情報:牝系情報|シンコウラブリイ(IRE)”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  35. ^ レディクローリス”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  36. ^ ピサノグラフ”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  37. ^ ロードアルファード”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  38. ^ サムワントゥラブ”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  39. ^ マザーウェル”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  40. ^ フューチャステップ”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  41. ^ プレイフォーマザー”. JBISサーチ. 2021年5月5日閲覧。
  42. ^ クインズサターン”. JBISサーチ. 2021年5月6日閲覧。
  43. ^ シンメイフジ”. JBISサーチ. 2021年5月6日閲覧。
  44. ^ ロードマイウェイ”. JBISサーチ. 2021年5月6日閲覧。
  45. ^ ムイトオブリガード”. JBISサーチ. 2021年5月6日閲覧。
  46. ^ レトロロック”. JBISサーチ. 2021年5月6日閲覧。
  47. ^ a b 血統情報:5代血統表|シンコウラブリイ(IRE)”. JBISサーチ. 2016年7月18日閲覧。
  48. ^ シンコウラブリイの血統表”. JBISサーチ. 2016年7月18日閲覧。
  49. ^ 平出貴昭『日本の牝系』競馬通信社、2001年、256頁。ISBN 4434013882 

参考文献

[編集]
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1992年8月号
      • 吉川彰彦「【今月の記録室】 第10回ニュージーランドT4歳S(GII)」
    • 1993年9月号
    • 1992年12月号
      • 白石俊「【今月の記録室】 第40回クイーンS(GIII)」
    • 1993年12月号
    • 1994年11月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 102】英国からのベスト・マイラー シンコウラブリイ」
    • 1997年8月号
      • 優駿編集部「理想の馬を求めて 安田修」
    • 2007年10月号
      • 阿部珠樹「【サラブレッド・ヒロイン列伝 77】シンコウラブリイ 愛国からの女神」
  • 東京スポーツ』2011年12月25日

外部リンク

[編集]