サンディ・ショー
サンディ・ショー Sandie Shaw | |
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サンディ・ショー(1967年) | |
基本情報 | |
出生名 | Sandra Ann Goodrich |
生誕 | 1947年2月26日(77歳) |
出身地 | イングランド エセックス州ダゲナム |
ジャンル | ポップス |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1964年 - 2013年 |
レーベル | パイ、リプリーズ、Palace、ポリドール、ヴァージン、EMI |
公式サイト |
www |
サンディ・ショー[1](Sandie Shaw、MBE、出生名:サンドラ・アン・グッドリッチ、1947年2月26日 - )は、イングランドの歌手である。エセックス州ダゲナム生まれ。
「裸足の女王」として人気を博したスウィンギング・ロンドン時代の歌姫。誕生名「Sandra Ann Goodrich」で女性ポップ・シンガーとして活動。デビュー以降、イギリス、フランスなど欧州各国及びカナダ、オーストラリアなどでも人気を博し、1967年の「パリのあやつり人形 (Puppet On A String)」は、ユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝曲となる。
1964年、パイ・レコードと契約してシングル「As Long As You're Happy Baby」でデビュー。同曲は不発に終わるが2曲目「恋のウェイト・リフティング ((There's) Always Something There To Remind Me)」が米国52位、英国1位を記録。1967年のユーロヴィジョン・コンテストで優勝。
以降、1964年から1994年にかけて通算で米国で3曲、英国で22曲がチャートイン。英国では8曲(1位3曲)がトップ10ヒットを記録するなど、1960年代後半の英国を代表する女性ポップ・シンガーとして成功を収める。1970年代以降は子育てに専念し、表立った活動はあまりなくなったが、1980年代からはアルバムもリリースした。
17歳のファースト・アルバムは、全英アルバムチャート第3位を記録した彼女の代表作。ボーナス・トラックには、全英ナンバーワン「恋のウェイト・リフティング」ほかの傑作シングルを収録。デビュー・アルバムと2枚目のアルバム現在はデジタルリマスター盤となっている。
作詞・作曲家のクリス・アンドリュース (Chris Andrews)が、英国でのトップ10ヒット中5曲を提供。
人物
[編集]学校卒業後、地元の自動車会社のオペレーターとして働きつつ、歌手になることを夢見ていた。1964年、17歳の時にアダム・フェイスのコンサート後に行われたオーディションで合格。歌手への道が本格的に開かれた。そしてアダム・フェイスのマネージャー、イヴ・テイラーと契約するが、彼女に「サンディ・ショー」という芸名を与え、裸足で歌うよう指示したのも彼であった。
同年7月、クリス・アンドリュース作のシングル「As Long As You're Happy Baby」でデビュー。チャート入りを逃すが、9月リリースのセカンド・シングル「恋のウェイト・リフティング」(作詞ハル・デヴィッド、作曲バート・バカラック。ルー・ジョンソンのカバー)がイギリスで1位に輝き、一気にスターへの仲間入りを果たす。その後も11月リリースのサード・シングル「I'd Be Far Better Off Without You」のB面曲「ガール・ドント・カム」(全英3位)、1965年2月リリースのシングル「恋はノーストップ」(全英4位)、5月リリースの「ロング・リヴ・ラヴ」(全英1位)、9月リリースの「Message Understood」(全英6位)、1966年1月リリースの「明日はお別れ」(全英9位)とクリス・アンドリュース提供楽曲でヒットを連発。
しかし8月リリースのシングル2枚「Run」(全英32位)と「Think Sometimes About Me」が全英トップ30入りを逃したこともあり、彼の楽曲をしばらく取り上げなくなる。そしてポール・ヴァンス&リー・ポックリスを起用した1967年1月リリースのシングル「I Don't Need Anything」(全英50位)もあまりヒットしなかったが、3月リリースのビル・マーティン&フィル・コウルター作のシングル「パリのあやつり人形」でヨーロッパ最大の音楽コンテスト「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」に出場して見事優勝。イギリスのチャートでも久々に1位を獲得する。その「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」優勝もあり、その後も7月リリースした同じくビル・マーティン&フィル・コウルター作の「Tonight In Tokyo」(全英21位)、9月にリリースしたクリス・アンドリュース作の「You've Not Changed」(全英18位)、1968年2月にリリースした同じくクリス・アンドリュース作の「Today」(全英27位)といったシングルもヒットとなった。
その後、彼女は結婚するが、4月と6月にリリースしたクリス・アンドリュース作の「Don't Run Away」と「Show Me」、8月にリリースしたハリー・ニルソン作の「Together」、9月にリリースされたジーン・ラスキン作でメリー・ホプキンのデビュー・シングルと競作となった「Those Were the Days(悲しき天使)」といったシングルはチャート入りを逃す。 しかし、イギリスのBBCテレビで彼女をメインにした番組が始まってからは、1969年1月にリリースしたクリスチャン・ブルーン&ピーター・カレンダー作のシングル「Monsieur Dupont」(全英6位)がイギリスでトップ10に入る大ヒットとなり、続く5月にリリースされたクリス・アンドリュース作のシングル「Think It All Over」(全英42位)もチャート入りするが、9月にリリースしたトニー・マコーレイ&ジョン・マクロード作のシングル「Heaven Knows I'm Missing Him Now」はチャート入りを逃してしまい、1970年代に入ってからもチャートに姿を見せることはなかった。
その後も育児を中心にしながらも歌手活動をマイペースに続けており、1984年には彼女の大ファンであるモリッシーが在籍するザ・スミスの「Hand In Glove」(全英27位)をカヴァーして再び注目を集めたりもしている。
ディスコグラフィ
[編集]- 『サンディ』 - Sandie (1965年)
- 『ミー』 - Me (1965年)
- 『パペット・オン・ア・ストリング』 - Puppet On A String (1967年)
- Love Me, Please Love Me (1967年)
- The Sandie Shaw Supplement (1968年)
- Reviewing the Situation (1969年)
- Choose Life (1983年)
- 『ハロー・エンゼル』 - Hello Angel (1988年)
脚注
[編集]- ^ 「サンディ・ショウ」の表記もある。