コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

サタデーナイトショー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さんまのサタデーナイトショー』は、1981年10月3日から1984年3月31日までテレビ東京で毎週土曜深夜に放送されていたバラエティ番組。放送時間は毎週土曜日24:10-24:55(1981年10月3日-1983年3月26日)→同24:00-24:55(1983年4月2日-1984年3月31日)

明石家さんまの初の冠番組としてスタートした。

概要

[編集]

局名が「東京12チャンネル」から「テレビ東京」に変更されたのに合わせて始まった深夜番組で、司会には東京進出2年目の明石家さんまが起用された。スタートのころは淡路恵子と司会を組んでいたが、途中で淡路が降板してからは、明石家さんまがメイン司会となり、さんまのキャラクターが最大限に発揮された。

さんまによると、深夜0時台の放送にもかかわらず最高視聴率は13%を超え、当時のテレビ東京全番組中で最高の視聴率を獲得した人気番組であったが、「局の最高視聴率番組がお色気番組というのは体裁が悪い」という当時の上層部の夫人の抗議があったことで局が打ち切りを決めたという[1]。その後、さんま本人もたびたび「人気番組だったのにテレ東の上層部に潰された」「もしこれがTBSフジだったら、逆にゴールデンに昇格させている」と語っており、このことが原因でテレビ東京製作番組への出演を控える傾向があった[2]

その後、1990年10月の小堺一機が司会を務めるコントバラエティ『今夜もイッキに大回転!!』へのゲスト出演のほか、2014年4月の『主治医が見つかる診療所』にラサール石井密着VTRの見切れで出演した件までテレビ東京の放送に登場することはなく[3]、正式なゲスト出演は2018年7月放送の『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』SPとなり、実に34年の月日を要した[4]。テレビ東京のスタジオ収録での出演に至っては2024年8月放送予定の特別番組『さんまさん!ここで問題です~回答者・明石家さんまVSクイズさん~』まで、約40年間同局社屋には踏み入れなかった[5]

出演者

[編集]

司会

[編集]

コーナーレギュラー

[編集]

アシスタント

[編集]

ナレーター

[編集]

テーマ曲

[編集]

オープニングテーマ

[編集]

コーナーテーマ

[編集]

コーナー

[編集]
夜の訪問者
ゲストの若手お笑い芸人グラビアアイドルポルノ女優[注 1]に、年代が違って予備知識の無い淡路がインタビューするコーナー。天然なのかボケなのかが分からない淡路のインタビュー内容と、それに対するさんまのツッコミが笑いを誘い、人気コーナーになった。
美保純のレポート
話題のお色気系スポットや一人暮らしの男性の部屋を美保が訪問するコーナー。
モモンガー由美に挑戦!
ロデオマシンに長く乗り続けていられるか、女性の挑戦者が女王という設定のモモンガー由美と対決。挑戦者側のセコンドはコント赤信号、実況は土居壮が担当。
お色気スター千一夜
にっかつロマンポルノの最新作の名場面を紹介。紹介後は、さんまと主演女優の対談が行われていた。コーナータイトルは、フジテレビで放送されていた『スター千一夜』をもじったもの。
SATURDAY NIGHT SHOWTIME
このコーナーにデビュー当時の浜田麻里がゲスト出演した。

スタッフ

[編集]

ネット局

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 山田邦子片岡鶴太郎ヒップアップらブレーク寸前の若手芸人、桂文珍間寛平木村進ら関西のお笑い芸人、寺島まゆみ畑中葉子小森みちこらポルノ女優のほか、初代タイガーマスククラッシュギャルズダンプ松本プロレスラーも多数登場した。

出典

[編集]
テレビ東京 土曜深夜のお色気番組
前番組 番組名 次番組
独占!おとなの時間
(1977年4月2日 - 1981年9月26日)
さんまのサタデーナイトショー
(1981年10月 - 1984年3月)
夜はエキサイティング
(1984年10月6日 - 1985年3月23日)