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グリフィス・スタジアム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グリフィス・スタジアム
Griffith Stadium
1925年
施設データ
所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Washington, DC
開場 1911年4月12日
閉場 1961年9月21日
取り壊し 1965年1月26日 ~ 8月14日
所有者 ワシントン・セネタース
グラウンド 天然芝
設計者 オズボーン・エンジニアリング
旧称
ナショナル・パーク(開場 ~ 1919年)
使用チーム • 開催試合
ワシントン・セネタースI(開場 ~ 1960年)
ワシントン・レッドスキンズ(1937年 ~ 1960年)
ワシントン・セネタースII(1961年)
収容人員
32,000人(1921年) 、27,550人(1961年)
グラウンドデータ
球場規模 左翼 - 388 ft (約118.3 m)
左中間 - 380 ft (約115.8 m)
中堅 - 421 ft (約128.3 m)
右中間 - 373 ft (約113.7 m)
右翼 - 320 ft (約97.5 m)
バックネット - 61 ft (約18.6 m)
フェンス 左翼 - 6.5 ft (約2.0 m)
中堅 - 6 ft (約1.8 m)
右中間スコアボード - 41 ft (約12.5 m)
スコアボード最上部 - 56 ft (約17.1 m)
右翼 - 31 ft (約9.4 m)

グリフィス・スタジアムGriffith Stadium)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.にかつて存在したスタジアムである。スタジアムという呼称を初めて用いた球場である。

スタジアムの歴史

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グリフィス・スタジアムが建っていた土地には、元々1891年からバウンダリー・フィールドという野球場があった。その球場は1891年からワシントン・セネタースが本拠地として使用したが、1900年にリーグが縮小された際、セネタースは削減対象となり解散した。

1904年アメリカンリーグワシントン・セネタース(現ミネソタ・ツインズ)アメリカン・リーグ・パークからバウンダリー・フィールドがあった場所に移転してきた。セネタースは前本拠地からスタンドなど設備を移築し、新球場の名前を前本拠地と同じ「アメリカン・リーグ・パーク」にした。ワシントンD.C.という立地から、大統領も観戦に訪れたりしていたが、客足は芳しくなかった。そして1911年3月17日、配管工がもっていた溶接用の小型バーナーから出火し、アメリカン・リーグ・パークは全焼してしまった。

シーズン開幕が目前に迫っていたため、新球場の建設が急ピッチで進められた。しかし開幕までに間に合うわけもなく、仕方なく4月12日、ほとんどの部分が未完成のまま開場した。新球場が全面完成したのはシーズン半ばのことだった。新球場はナショナル・パークNational Park)と名付けられた。

その後、1920年にセネタースのクラーク・グリフィス球団オーナーの名を取って球場名をグリフィス・スタジアムに改称した。グリフィス・スタジアムは1937年からはNFLワシントン・レッドスキンズの本拠地にもなり、野球アメリカンフットボールの兼用球場となった。またこの頃にはニグロリーグのホームステッド・グレイズの試合も開催されていた。グリフィス・スタジアムはワシントンD.C.のスポーツの中心地だった。

1950年代に入り、セネタースの観客動員が減少し始めた(1946年から1950年までの5年間で1試合平均約10750人を動員していたのが、1951年から1955年までの5年間で同約7600人まで減少している)。球団は移転を検討し始め、最終的にミネソタ州へ1960年シーズン終了後に移転することに決定した。またレッドスキンズも、グリフィス・スタジアムの老朽化が進んでいたので1961年からは新しく建設されたロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアムへ移転することになった。

1961年にはメジャーリーグ球団拡張を実施し、新たなワシントン・セネタース(現テキサス・レンジャーズ)が誕生した。しかし新セネタースがグリフィス・スタジアムを本拠地として使用したのは最初の1年のみで、その翌年にはロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアムへ移転した。使い手がなくなったグリフィス・スタジアムは1965年に取り壊され、跡地にハワード大学病院が建設された。

フィールドの特徴

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  • 外野が広く、ホームランが出にくい。この球場が大リーグ球団の本拠地だった41年間のうち、34シーズンで「大リーグの全本拠地の中で一番ホームランが少ない球場」だった。
  • 外野フェンスがジグザグになっているが、これは土地を売却するのを拒否した5軒の家屋を避けた形で球場が設計されたからである。

外野の広さの変遷

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年度 左 翼 左中間 中 堅 右中間 右 翼
1911 407 391 421 不明 328
1921 424 391 421 不明 326
1926 358 391 421 不明 320
1931 407 391 421 不明 320
1936 402 391 421 不明 320
1942 405 391 421 不明 320
1948 402 391 421 不明 320
1950 386 380 421 不明 320
1951 408 380 421 不明 320
1952 405 380 421 不明 320
1954 388 380 421 378 320
1955 388 380 421 372 320
1956 386 380 421 373 320
1957 350 380 421 373 320
1961 388 380 421 373 320

※単位はフィート、1フィート≒30.48センチ

主要な出来事

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開催イベントとテナント
前本拠地:
アメリカン・リーグ・パーク
1901 - 1910
ミネソタ・ツインズの本拠地
1911 - 1960
次本拠地:
メトロポリタン・スタジアム
1961 - 1981
前本拠地:
フェンウェイ・パーク
1933 - 1936
ワシントン・レッドスキンズの本拠地
1937 - 1960
次本拠地:
RFKスタジアム
1961 - 1996
前本拠地:
n/a
-
テキサス・レンジャーズの本拠地
1961 - (1シーズン限り)
次本拠地:
RFKスタジアム
1962 - 1971
先代
ブレーブス・フィールド
1936年
MLBオールスターゲーム
開催場
第5回(1937年
次代
クロスリー・フィールド
1938年
先代
ミルウォーキー・カウンティ・スタジアム
1955年
MLBオールスターゲーム
開催場
第23回(1956年
次代
スポーツマンズ・パーク
1957年