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エルサレム総主教庁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリスト教 > 東方教会 > 正教会 > エルサレム総主教庁

エルサレム総主教庁(エルサレムそうしゅきょうちょう)は、エルサレム総主教の機関・座所を言う。

エルサレム総主教/エルサレム総大司教(いずれも英語では Patriarch of Jerusalem[注 1])は現在3人いる。

古代五大総主教座の1つであるとともに、新約聖書使徒言行録』で初代教会とされるエルサレム教会に連なるキリスト教世界最古の歴史を持つ。

正教会(ギリシャ正教)のエルサレム総主教

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ナザレイスラエル)の生神女福音聖堂(エルサレム総主教庁所属)。

ギリシャ正教系のエルサレム総主教庁は、正教会の9つの総主教庁の1つ。

451年までエルサレムには主教座が置かれていたが、カルケドン公会議でエルサレム主教に総主教の地位が認められたため、以後は総主教を名乗っている。

記録に残る最古のエルサレム主教は62年に没したヤコブスであり、これは伝承によれば「主の兄弟ヤコブ」(義人イヤコフ)と同一の人物である。

イスラム教登場後、パレスチナアラブ人に征服された後、イスラム教徒は、エルサレムはこの地方におけるキリスト教の中心地であり、エルサレム総主教がその指導者であると認識した。

十字軍エルサレム攻囲戦後の1099年ローマ・カトリックによる十字軍はエルサレムに西方教会総大司教を任じ、正教の主教をエルサレムから追放したため、1187年に至るまで正教のエルサレム総主教はコンスタンティノポリスに在住した。

現在エルサレム総主教庁は、エルサレム旧市街東エルサレム)の聖墳墓教会に置かれている。

エルサレム主教の一覧 (38年? - 451年)

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※ギリシャ正教と非カルケドン派が分裂する以前

  • ヤコブス(主の兄弟ヤコブ)(38? - 62年
  • シメオン1世(クロパの子シメオン)(106 - 107年
  • ユストゥス1世(107 - 111年
  • ザッケウス(?)
  • トビアス(?)
  • ベニヤミン(?)
  • ヨハンネス1世(?)
  • マティアス1世(?)
  • フィリップス(?)
  • セネカス(?)
  • ユストゥス2世(?)
  • レビ(?)
  • エフレス(?)
  • ヨセフス1世(?)
  • ユダス・クィリアクス(? - 134年
  • マルクス(134 - ?)
  • カッシアヌス(?)
  • ポプリウス(?)
  • マクシムス1世(?)
  • ユリアヌス1世(?)
  • ガイウス1世(?)
  • シンマクス(?)
  • ガイウス2世(?)
  • ユリアヌス2世(?)
  • カピトゥス(?)
  • マクシムス2世(?)
  • アントニウス(?)
  • ウァレンス(?)
  • ドリキアヌス(?)
  • ナルキッスス(185 - 211年
  • ディオス(213年
  • ゲルマヌス(213年)
  • ゴルディウス(213年)
  • アレクサンデル(213 - 251年
  • マザバニス(251 - 260年
  • イメネウス(260 - 298年
  • ザムダス(298 - 300年
  • ヘルマス(300 - 314年
  • マカリウス1世(314 - 333年
  • マクシムス3世(333 - 348年
  • キリルス1世(350 - 386年
  • ヨハンネス2世(386 - 417年
  • プラウリウス(417 - 422年

ギリシャ正教のエルサレム総主教の一覧

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ディキリとトリキリを両手に持ち、会衆を祝福する、エルサレム総主教セオフィロス3世(2005年5月8日撮影)。頭にはクロブークを被っている。
  • ユベナリウス(422 - 458年
  • アナスタシウス1世(458 - 478年
  • マルティリウス(478 - 486年
  • サッルスティウス(486 - 494年
  • エリアス1世(494 - 516年
  • ヨハンネス3世(516 - 552年
  • マカリウス2世(552年)
  • エウストキウス(552 - 564年
  • マカリウス2世(再任)(564 - 575年
  • ヨハンネス4世(575 - 594年
  • アモス(594 - 601年
  • イサアクス(601 - 609年
  • ザハリアス(609 - 632年
  • モデストス(632 - 634年
  • ソフロニオス1世(634 - 638年
  •  空位(638 - 681/692年?)
  • アナスタシオス2世(681/692? - 706年
  • イオアンニス5世(706 - 735年
  • セオドロス(735 - 770年
  • イリアス2世(770 - 797年
  • ゲオルギオス(797 - 807年
  • ソマス1世(807 - 820年
  • ヴァシリオス(820 - 838年
  • イオアンニス6世(838 - 842年
  • セルギオス1世(842 - 844年
  •  空位(844 - 855年
  • ソロモン(855 - 860年
  •  空位(860 - 862年
  • セオドシオス(862 - 878年
  • イリアス3世(878 - 907年
  • セルギオス2世(908 - 911年
  • レオンティオス1世(912 - 929年
  • アサナシオス1世(929 - 937年
  • フリストドゥロス(937年)
  •  空位(937 - 950年
  • アガソン(950 - 964年
  • イオアンニス7世(964 - 966年
  • フリストドゥロス2世(966 - 969年
  • ソマス2世(969 - 978年
  •  空位(978 - 980年
  • イオシフ2世(980 - 983年
  • オレスティス(983 - 1005年
  •  空位(1005 - 1012年
  • セオフィロス1世(1012 - 1020年
  • ニキフォロス1世(1020 - 1084年
  • イオアンニキオス(?)
  • ソフロニオス2世(?)
  • エフシミオス1世(1084年)
  • シメオン2世(1084 - 1106年
  • サーヴァス(1106 - 1156年
  • イオアンニス8世(1106 - 1156年)
  • ニコラオス(1106 - 1156年)
  • イオアンニス9世(1156 - 1166年
  • ニキソロス2世(1166 - 1170年
  • レオンティオス2世(1170 - 1190年
  • ドシセオス1世(? - 1191年
  • マルコス2世(1191 - ?)
  • エフシミオス2世(1223年頃)
  • アサナシオス2世(1224 - 1236年
  • ソフロニオス3世(1236 - ?)
  • グリゴリオス1世(? - 1298年
  • サデオス(1298年)
  •  空位(1298 - 1312年
  • アサナシオス3世(1312 - 1322年
  • グリゴリオス2世(1322年
  • アサナシオス3世(再任)(1322 - 1334年
  • ラザロス(1334 - 1344年
  • アルセニオス(1344年)
  • ラザロス(再任)(1344 - 1368年
  •  不詳(1368 - 1376年
  • ドロセオス1世(1376 - 1417年
  • セオフィロス2世(1417 - 1424年
  • セオファニス1世(1424 - 1431年
  • イオアキム(1431 - ?)
  • セオファニス2世(1450年
  • アサナシオス4世(1452年 - ?)
  • イアコヴォス2世(1460年頃)
  • アヴラアム(1468年
  • グリゴリオス3世(1468 - 1493年
  • マルコス3世(1503年
  • ドロセオス2世(1505頃 - 1537年
  • イェルマノス(1537 - 1579年
  • ソフロニオス4世(1579 - 1608年
  • セオファニス3世(1608 - 1644年
  • パイシオス(1645 - 1660年
  • ネクタリオス1世(1660 - 1669年
  • ドシセオス2世(1669 - 1707年
  • フリサンソス(1707 - 1731年
  • メレティオス(1731 - 1737年
  • パルセニオス(1737 - 1766年
  • エフレム2世(1766 - 1771年
  • ソフロニオス5世(1771 - 1775年
  • アヴラミオス(1775 - 1787年
  • プロコピオス1世(1787 - 1788年
  • アンシモス(1788 - 1808年
  • ポリカルポス(1808 - 1827年
  • アサナシオス5世(1827 - 1845年
  • キリロス2世(1845 - 1872年
  • プロコピオス2世(1872 - 1875年
  • イェロセオス(1875 - 1882年
  • ニコディモス(1883 - 1890年
  • イェラシモス(1891 - 1897年
  • ダミアノス(1897 - 1931年
  •  不詳、恐らく空位(1931 - 1935年
  • ティモセオス(1935 - 1955年
  •  不詳、恐らく空位(1955 - 1957年
  • ヴェネディクトス(1957 - 1980年
  • ディオドロス(1981 - 2000年
  • イリネオス2001 - 2005年
  • セオフィロス3世(2005 - )

※人名は、620年以前は古典ラテン語、以後は中世~現代ギリシア語

アルメニア使徒教会のエルサレム総主教

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アルメニア使徒教会のエルサレム総主教は、コプト正教会シリア正教会などの非カルケドン派正教会が一致して認めるエルサレム総主教である。

638年ビザンティン帝国領であったエルサレムを含むパレスチナ地域が、正統カリフ時代のアラブ・イスラーム勢力の侵攻によってその支配下に降った。同年にはギリシャ正教のエルサレム総主教ソフロニオス1世永眠して、ギリシャ正教がエルサレムに後任の総主教を任命しなかったことを承け、サーサーン朝ペルシア帝国の属州であったサーサーン朝領アルメニアの後ろ盾があったアルメニア使徒教会は、エルサレムに独自の主教を任命し始めた。主教は後に総主教に昇格した。主教座は、幾度かの断絶を経て今日まで続いている。

現在の平常時の主教座は、エルサレムの聖ヤコブ主教座聖堂である。また、聖墳墓教会をギリシャ正教、ローマ・カトリック等とともに共同管理している。

ローマ・カトリック教会のラテン・エルサレム総大司教

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1099年第1回十字軍はエルサレムを占領してエルサレム王国を建国し、ギリシャ正教のエルサレム総主教を追放した上で、ローマ教皇庁の支配下でローマ・カトリック教会のエルサレム総大司教を任命した。

1291年にエルサレム王国がマムルーク朝によって征服されると、総大司教座はキプロス王国に遷り、さらに1374年にはローマ市内のサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂に遷って、以後長らく完全に名目上の地位となっていた。

そののち、1847年ローマ教皇ピウス9世によってエルサレムに総大司教座が復興され、現在に至る。

総大司教座は、現在はギリシャ正教と並立する形で聖墳墓教会に置かれている。

脚注

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  1. ^ 同じ「Patriarch」でも、ギリシャ正教や東方諸教会の「総主教」とローマ・カトリック教会の「総大司教」では、地位や位置付けが全く異なる。

外部リンク

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