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アール・メイナード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アール・メイナード
プロフィール
リングネーム アール・メイナード
ブラック・クルセーダー2号
ニックネーム ミスター・ユニバース[1]
身長 185cm[2]
体重 108kg(全盛時)[2]
誕生日 (1935-11-28) 1935年11月28日(89歳)
出身地 バルバドスの旗 バルバドス[2]
スポーツ歴 ボディビル[1]
デビュー 1961年[2]
引退 1976年[2]
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アール・メイナードEarl Maynard1935年11月28日 - )は、当時のイギリスバルバドス出身の元プロレスラー

イギリスからアメリカ合衆国に渡り、鍛え抜かれた肉体美を持つベビーフェイス黒人レスラーとして活躍した[1]アクション俳優としても数々の映画作品に出演している[1]

来歴

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キプロスに駐屯していたイギリス空軍を除隊後、ボディビルダーを経て、1961年イギリスのマット界にてデビュー[2]。以降、イギリスおよび西ドイツプロレスラーとして活動する一方、1964年にはボディビルのミスター・ユニバースMr. Universe)となっている[3]。英国マットではアルバート・ウォールシーン・リーガンポール・バションゴードン・ネルソンなどと対戦[4][5]レス・ソントンビル・ロビンソンとも邂逅したという[1]

1967年[2]、プロモーターのグスト・カラスに招かれて初渡米[1]NWAセントラル・ステーツ地区において、トーア・カマタボブ・ブラウンボブ・ガイゲルマイク・デビアス、そしてディック・ザ・ブルーザーとも対戦[6]。同年5月12日にはミズーリ州セントジョセフにてジン・キニスキーNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[7]

並行して参戦していたAWAでは、当時ベビーフェイスだったアーニー・ラッドのパートナーに起用され、ラリー・ヘニング&ハーリー・レイスが保持していたAWA世界タッグ王座にも各地で挑戦[8]クリス・マルコフ&アンジェロ・ポッフォのデビルズ・デュオとも対戦した[8]

1968年からはWWWFに参戦。ゴリラ・モンスーンプロフェッサー・タナカギロチン・ゴードンバロン・シクルナブル・ラモスハンス・モーティアルー・アルバーノなどのヒール勢と対戦し、ブルーノ・サンマルチノともタッグを組んだ[9]ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンではジョニー・ロッズルーク・グラハムから勝利を収めている[3]

1969年より太平洋岸に進出[1]カナダバンクーバーでは日系アメリカ人ディーン樋口と組み、同年5月12日のトーナメント決勝でキニスキー&バッド・ボーイ・シールズを破り、空位となっていたNWAカナディアン・タッグ王座を獲得した[10]サンフランシスコではピーター・メイビアロッキー・ジョンソンと共闘して、パット・パターソンスタン・スタージャックと抗争を展開した[11]

1971年2月、ミル・マスカラススパイロス・アリオンと共に日本プロレスに初来日。2月24日に秋田県立体育館において、大木金太郎アジアヘビー級王座に挑戦した[12]。日本プロレスには翌1972年5月にも再来日しており、6月2日の岡山市大会では黒人レスラーの総帥ボボ・ブラジルと組んでジャイアント馬場&大木と対戦している[13]

その間、アメリカではロサンゼルスを主戦場にドリー・ディクソンとの黒人コンビで活動[3]キンジ渋谷&マサ斎藤とNWAアメリカス・タッグ王座を争った[14]。シングルでも1971年6月5日に渋谷、1973年1月20日にリッパー・コリンズを破り、TV王座を2回獲得している[15]。ロサンゼルスでは日本で邂逅したマスカラスともタッグを組んでおり、マスカラスはメイナードを「数少ない気の合ったパートナーの一人」として評価していた[16]

1973年9月、新日本プロレスの『闘魂シリーズ』に参戦。アントニオ猪木とのシングルマッチも3回行われた[17]。シリーズ中はWWWFでも組んでいたビクター・リベラ、さらには外国人エース格のジョニー・パワーズや特別参加のジョニー・バレンタインとのタッグチームも実現した[18]

1974年には深南部ジョージア地区において一時的に覆面レスラーに変身し、タイガー・コンウェイ・ジュニアブラック・クルセーダーズThe Black Crusaders)なる黒人覆面タッグチームを結成。テリー・ガービン&ロニー・ガービンのガービン・ブラザーズと抗争した[19]

キャリア末期は古巣のサンフランシスコ地区に出場。1976年にはポークチョップ・キャッシュペドロ・モラレスをパートナーに、ノーマン・フレデリック・チャールズ3世&ロード・ジョナサン・ボイドロイヤル・カンガルーズと対戦した[20]

引退後はハリウッドにてアクション映画俳優として活躍[1]。約20本の映画に出演した後、バルバドスに戻って不動産事業主に転じた[1]

獲得タイトル

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NWAオールスター・レスリング
NWAハリウッド・レスリング

出演作品

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 など

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i ‘Mr. Universe’ Earl Maynard returns to the fold”. Slam Wrestling. 2022年2月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g ‘Earl Maynard”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  3. ^ a b c Earl Maynard”. Online World of Wrestling. 2022年2月26日閲覧。
  4. ^ The matches Earl Maynard fought at UK in the year 1964”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  5. ^ The matches Earl Maynard fought at UK in the year 1965”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  6. ^ The CSW matches fought by Earl Maynard in 1967”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  7. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1967”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月26日閲覧。
  8. ^ a b The AWA matches fought by Earl Maynard in 1967”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  9. ^ The WWE matches fought by Earl Maynard in 1968”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  10. ^ a b NWA Canadian Tag Team Title [British Columbia]”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月26日閲覧。
  11. ^ The PCAC matches fought by Earl Maynard in 1970”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  12. ^ JPWA 1971 Dynamic Big Series”. Puroresu.com. 2022年2月26日閲覧。
  13. ^ JPWA 1972 Golden Series 1”. Puroresu.com. 2022年2月26日閲覧。
  14. ^ a b NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月26日閲覧。
  15. ^ a b Beat the Champ Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月26日閲覧。
  16. ^ 『Gスピリッツ Vol.59』P15(2021年、辰巳出版ISBN 4777827437
  17. ^ NJPW 1973 Toukon Series”. Puroresu.com. 2022年2月26日閲覧。
  18. ^ The NJPW matches fought by Earl Maynard in 1973”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  19. ^ The GCW matches fought by Earl Maynard in 1974”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  20. ^ The PCAC matches fought by Earl Maynard in 1976”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  21. ^ a b c d e f g h Earl Maynard: Filmography”. Internet Movie Database. 2022年2月26日閲覧。

外部リンク

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