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アルバート・ウォール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルバート・ウォール
プロフィール
リングネーム アルバート・ウォール
アルバート "ロッキー" ウォール
ニックネーム ドンカスターの岩男[1]
ザ・ドンカスター・パンサー
(The Doncaster Panther)[2]
身長 185cm[1]
体重 110kg(全盛時)[1]
誕生日 1935年????[3]
死亡日 2017年12月31日[3]
出身地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
サウス・ヨークシャー州
ドンカスター[3]
デビュー 1957年[3]
引退 1978年[1]
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アルバート・ウォールAlbert "Rocky" Wall1935年 - 2017年12月31日[3])は、イギリスプロレスラーサウス・ヨークシャー州ドンカスター出身。

ランカシャー・レスリングの継承者として[1]、イギリスや西ドイツのマット界で活躍した[3]

来歴

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1957年にデビューし、英国マット界の統括組織ジョイント・プロモーションズで活動。1966年2月20日にはノッティンガムにて、ビリー・ライレー・ジム師範代でもあったビリー・ジョイスからブリティッシュ・ヘビー級王座を奪取した[4]

1968年5月、当時ヨーロッパを外国人招聘ルートとしていた国際プロレスに初来日[5]。得意技の「人間ミサイル」ことフライング・ヘッドバットで若手時代のラッシャー木村を吹っ飛ばしたシーンは語り草となった[1][6]1969年春の再来日では、4月23日に板橋にてビル・ロビンソンが保持していたヨーロピアン・ヘビー級王座に挑戦したが[7]、この試合で肩を負傷し途中帰国を余儀なくされている[1]

英国ではケンドー・ナガサキアル・ヘイズハロルド坂田シーン・リーガン、そして当時ジャン・フェレと名乗っていた駆け出し時代のアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦[2]1970年4月13日には王座決定戦でスティーブ・ベイダーを下し、ビル・ロビンソンのアメリカ進出で空位となっていたブリティッシュ・ヘビー級王座を再び獲得した[4]。以降、ロビンソン渡米後の英国マット界をヘビー級のトップとして支え、1972年1月8日にはジョージ・ゴーディエンコから英連邦ヘビー級王座を奪取[8]1974年2月4日にはホースト・ホフマンを破ってヨーロピアン・ヘビー級王座も獲得している[9]

1975年からは独立団体のリングに単発的に出場し[2]1978年に引退したとされる[1]。国際プロレスへの来日時はスタン・スタージャックドリー・ディクソンなど北米の選手ともタッグを組んだが、ロビンソンらのようにアメリカ本土に遠征することはなかった[6]

2017年12月31日、死去[3]

得意技

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獲得タイトル

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  • ブリティッシュ・ヘビー級王座:3回[4]
  • 英連邦ヘビー級王座:1回[8]
  • ヨーロピアン・ヘビー級王座:1回[9]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『THE WRESTLER BEST 100』P176-177(1981年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d Albert “Rocky” Wall”. Wrestling Heritage. 2013年6月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g Albert Wall: places”. Wrestlingdata.com. 2020年6月27日閲覧。
  4. ^ a b c British Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年6月3日閲覧。
  5. ^ IWE 1968 World Selection Series”. Puroresu.com. 2015年4月28日閲覧。
  6. ^ a b 『世界名レスラー100人伝説!!』P146-147(2003年、日本スポーツ出版社、監修:竹内宏介
  7. ^ IWE 1969 World Selection Series”. Puroresu.com. 2015年4月28日閲覧。
  8. ^ a b British Empire/Commonwealth Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年6月25日閲覧。
  9. ^ a b European Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年6月3日閲覧。
  10. ^ アルバート・ウォールのフライング・ヘッドバット”. ミック博士の昭和プロレス研究室. 2013年10月22日閲覧。

外部リンク

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