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アメリカ大陸諸国の独立年表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アメリカ大陸諸国の独立年表(アメリカたいりくしょこくのどくりつねんぴょう)とは、北アメリカ南アメリカ諸国の独立に関する年表である。

概要

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新大陸では原住民族の諸帝国が滅ぼされて欧州諸国の植民地となって以降、18世紀後半まで独立国はひとつもなかった。18世紀後半のアメリカ合衆国の独立の後、ヨーロッパでフランス革命とこれに続くナポレオン戦争が起こると中南米でも独立の動きが活発になった。1830年までに、アラスカ、カナダ、カリブ海諸島、ギアナなどを除く主要な地域が独立を宣言または達成し、カナダは1867年に自治権を獲得、キューバも1902年に独立した。

年表

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18世紀 中南米で反乱が散発的に起こる。
1775年 - 1783年 アメリカ独立戦争アメリカ合衆国イギリスから独立。
1780年 ペルーで、インカ帝国最後の皇帝であったトゥパク・アマルの後裔を名乗るホセ・ガブリエル・コンドルカンキによるトゥパク・アマルの反乱が起こる。
1789年 ヨーロッパでフランス革命が起こる。
1791年 ハイチで独立運動が起こる(ハイチ革命)。
1803年 - 1815年 ヨーロッパでナポレオン戦争が起こる。
1804年 ハイチフランスから独立。
  • ナポレオンが登場するとハイチの独立運動は1802年に鎮圧され、独立運動の指導者フランソワ・トゥサンは捕らえられ獄死したが、その後も反乱は続き、ハイチは1804年に独立を宣言した。世界最初の黒人による共和国となった。独立の余勢をもって同じイスパニョーラ島東部のスペイン植民地も解放したが、後に支配を嫌った住民によりドミニカ共和国1844年に独立した。
  • 独裁政権やクーデターが繰り返され、1915年から1934年の米国による軍事占領などもあり、今に至るも政情は安定せず、失敗国家(崩壊国家)とされている。
1807年 ヨーロッパでナポレオンがポルトガルに侵攻。
1808年 ヨーロッパでナポレオンがスペインに侵攻。
1809年 ラプラタ(現在のアルゼンチン)で独立の動きが起こる。
  • ナポレオンがたてたスペインの傀儡王朝に対して、ラプラタの議会は退位させられたフェルナンド王を支持。1810年5月にスペインの総督を倒し、自治に移行した。
1810年9月 メキシコで独立戦争がはじまる。→ メキシコ独立革命
  • ミゲル・イダルゴらが反乱を起こした。この反乱は1811年にスペイン軍に鎮圧され、イダルゴは処刑されたが、その後もメキシコの独立の動きが続いた。
1811年7月 ベネズエラの議会がスペインから独立を宣言。
1811年8月 パラグアイがスペインから独立を宣言。
  • ラプラタ連合(アルゼンチン)とは同調せず、5月にブエノスアイレスに対して自治を求める蜂起を起こし、8月にスペインに対して独立宣言を行い、独自の道を歩んだ。
1812年 - 1814年 米英戦争
  • アメリカ合衆国の第2の独立戦争と評されることもある。経済的にもイギリスから独立。
1814年 ヨーロッパでナポレオンが失脚。
1816年7月 ラプラタ連合がスペインから独立を宣言。
1818年 チリがスペインから独立。
1819年12月 ボリバルコロンビア共和国 (大コロンビア)を宣言。
1820年1月 ヨーロッパ、スペインリエゴ革命が起こる。
  • 自由主義勢力がスペインの王朝を倒し、一時革命政府を樹立した。メキシコ、コロンビアなどで独立運動を鎮圧中のスペイン軍も一時休戦した。これを機にメキシコ、大コロンビアなどが相次いで独立を達成し、スペインの中南米における植民地の多くが解体することになった。
1821年 ブラジルにいたポルトガル王室が本国に帰還。
  • 王子のドン・ペドロが摂政としてブラジルに残った。この後、本国との対立やブラジル人からの擁立によりブラジルは独立へと向かった。
1821年2月 メキシコがスペインから独立宣言。
1821年6月 ベネズエラスペインから独立。
1821年6月 ペルーがスペインからほぼ独立(承認は1824年)。
1821年9月 中米グアテマラのスペイン総督府が独立を宣言
1822年5月 エクアドルスペインから独立。
1822年5月 メキシコ、メキシコ帝国へ( - 1823年3月)。
1822年7月 シモン・ボリバルホセ・デ・サン=マルティンが会談。
  • サン=マルティンは独立運動から身を引き、ボリバルが引き継いだ。
1822年9月 ブラジルポルトガル (ブラガンサ王朝)から独立を宣言。
  • 摂政ドン・ペドロが独立を宣言、12月にペドロ1世として即位しブラジル帝国となった。1825年にポルトガルも独立を承認。1889年まで立憲君主国家となり、その後、共和制に移行した。
1822年 アメリカ合衆国がアルゼンチン、大コロンビア、メキシコの独立を承認した。
1823年7月 中米連邦を結成。
1823年12月 アメリカ合衆国モンロー宣言を発する。
1825年8月 ボリビアがスペインからの独立を宣言(1847年承認)。
  • アントニオ・ホセ・デ・スクレがスペイン軍を降伏させ、独立を達成した。ボリビアの国名はボリバルの名にちなむ。スクレは1826年にボリビアの初代大統領に就任。
    ブラジルのポルトガルからの独立が承認される。
1825年11月 ラプラタ連合アルゼンチンに名称を変更。
1828年 ウルグアイの独立が承認される。
1830年 大コロンビアの解体。
1838年 - 1841年 中米連邦の解体。
1844年 ドミニカ共和国がフランス植民地から独立したハイチの支配から独立。
  • その後も、1861年から1865年のスペインへの併合、1916年から1924年の米国による軍事占領、独裁政権やクーデターなど今に至るも同じイスパニョーラ島西部のハイチ同様に政情は安定していない。
1847年 ボリビアがスペインから正式に独立。
1867年 カナダが政治的にほぼ独立。自治領カナダ。
1867年 アメリカ合衆国ロシア帝国からアラスカ州を買収。
1868年10月 キューバがスペインから独立を宣言。その後、長い間、独立戦争となった。
1898年 米西戦争
  • アメリカ合衆国がキューバの独立運動に介入し、スペインと戦争になった。キューバは1902年に独立を達成したが、傀儡政権によるアメリカの半植民地状態となった。フィリピンも同じ時期にスペインの手を離れ、アメリカの植民地となった。
1903年 パナマコロンビアから独立。
1931年 カナダウェストミンスター憲章により完全に独立。

20世紀後半

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第二次世界大戦が終了した時点で、ヨーロッパとアメリカ合衆国の植民地は、カリブ海西インド諸島(イギリス領、アメリカ保護領など)、ユカタン半島の現在のベリーズに相当する領域を支配していたイギリス領ホンジュラスと南米ギアナ(イギリス領、フランス領、オランダ領)だった。

旧宗主国との関係

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関連項目

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