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みごろ!たべごろ!笑いごろ!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みごろ!たべごろ!笑いごろ!

みごろ!ゴロゴロ!大放送!!
ジャンル バラエティ番組
企画 渡辺プロダクション
演出 小杉潤
出演者 加山雄三
伊東四朗
小松政夫
キャンディーズ
秋野暢子
ばってん荒川
西田敏行
海援隊
ほか
製作
プロデューサー 前原雅勝
制作 NET→テレビ朝日
放送
放送国・地域日本の旗 日本
みごろ!たべごろ!笑いごろ!
オープニング「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!のテーマ」(キャンディーズ)
放送期間1976年10月11日 - 1978年3月27日
放送時間月曜 20:00 - 20:54
放送分54分
回数72
みごろ!ゴロゴロ!大放送!!
オープニング軍艦マーチ
放送期間1978年4月 - 1979年3月
放送時間月曜 20:00 - 20:54
放送分54分
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みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(みごろ!たべごろ!わらいごろ!)は、1976年10月11日から1978年3月27日までNET系列局(一部の系列局を除く、NETは1977年4月に全国朝日放送(当時の通称:テレビ朝日)に社名変更)で放送されたバラエティ番組である。企画・制作は渡辺プロダクション。放送時間は毎週月曜 20:00 - 20:54 (JST) 。

ここでは、1978年4月から1979年3月まで同系列局で放送された後継番組『みごろ!ゴロゴロ!大放送!!』についても記載する。

概要

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当時人気絶頂だったアイドルグループキャンディーズをメインに、伊東四朗小松政夫を絡めたコントメインのバラエティ番組として立ち上げられた。また、コントの箸休めとして、キャンディーズや加山雄三による非コントコーナーも設定された。

漫画家の石森章太郎(後の石ノ森章太郎)がこの番組のためにデザインしたキャラクターデンセンマンが、デンセン音頭を踊って人気を博した。その後、西田敏行と、海援隊武田鉄矢中牟田俊男千葉和臣)をレギュラーに加えたりするという小変更を行っている。

高い視聴率を誇ったが日本PTA全国協議会には「低俗テレビ番組」と目されており、1978年に発表された子供に見せたくない番組「ワースト7」の中にランキングされている[1]

1978年4月、メイン出演者だったキャンディーズが解散のため降板、さらに加山雄三も降板させ、代わりにミュージカル女優の木の実ナナを加え、タイトルを『みごろ!ゴロゴロ!大放送!!』に変更。武田鉄矢と西田敏行を前面に推しだし、放送局のオープニングからクロージングまでの流れをパロディ化した内容にリニューアルされた(他番組パロディが多いのはこのため。オープニングでは新聞の番組表に似せたタイムテーブルのロールテロップが出、クロージングも制作された)が、1979年3月をもって終了した。

出演者

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登場キャラクター

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主なコーナー

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悪ガキ一家の鬼かあちゃん
伊東四朗が母親、小松政夫とキャンディーズが息子(ランスー)「役名はラン助とスー吉」と娘(ミキ)「役名はミキ子」役の設定であるコント。小松は、母親やキャンディーズ扮する兄弟達からいじめられるが、母親と二人きりになると「実はお前が一番可愛い」と慰められ、そこから2人のやり取りが始まる。しかし、キャンディーズ達が戻ると途端に態度が一変し、小松を再度しゃもじで頭を叩いたうえに、「この大バカ!」とどなる。締めは全員が去って暗転した中、小松にピンスポットが当たり、「酷うございますぅー」と泣き崩れて終わる。
キャンディーズ解散が公表された後は、ミキ、スー、ランの順にオチとなるネタを出し、ランだけがこけて場を白けさせ、その空気に耐えかねたランが柱に寄りかかって泣き出すと、ミキとスー「ラーン、私たちには時間が無いのよ!」と駆け寄って励まし、「さぁ、笑って」と元気づけるとランが「うん」と顔を上げて笑顔でうなずくといったミニコントを行うことが定番となった。この際に蘭が述べた「私、のー(どう)したらいいの。」という件が当時流行語になった。
このミニコントは「ドリフ大爆笑」など他の番組でも行われた。また、顔を上げたランが柱にかけられた小さなくす玉を割ると、中から「打倒竹下景子」という垂れ幕が下がるというパターンもあった。当時伊藤蘭は、解散後女優になることを表明しており、人気女優であった竹下景子の名を使ったものと思われる。
キャンディーズ解散後は後継者として6人の候補者から3人が選ばれ、「フィーバー」とグループ名が付けられた。
しらけ鳥音頭
上記「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」コーナー内で母親(伊東四朗)と政太郎(小松政夫)が会話中に場が白けると政太郎が突然右手にしらけ鳥のパペットを持って「しらけ鳥音頭」を歌いだす。後に小松の歌にのせてしらけ鳥の着ぐるみが踊ったり、挙句の果てには巨大化したしらけ鳥が街を破壊しながら踊る「怪鳥!しらけ鳥」という特撮コーナーまで出来た。
本番組の放送と同時期に小松は『ドリフ大爆笑』(フジテレビ)でも「しらけ鳥音頭」を歌ったことがある。このときは「交通違反」にちなんだコントで、人の交通違反の処罰を押し付けられた小松が、その状況を嘆いて歌った。
デンセンマンだよ!電線音頭
まず前振りとしてキャンディーズが、その師匠役の設定である東八郎に礼儀作法や日本舞踊を教わるコーナーがあり、そこへ伊東四朗扮するベンジャミン伊東(初回はジャック伊東と自ら名乗る)と電線軍団が乱入して電線音頭を踊るコーナーに早変わりする。司会者の小松政夫がベンジャミン伊東を紹介すると伊東が「人の迷惑かえりみず、やって来ました電線軍団!」と口上を述べる。そしてお立ち台としてセットされた炬燵の上で1人ずつ踊っていく。数人が踊った後にデンセンマンが稲光とともに華々しく登場し、電線音頭を踊って何処ともなく去ってしまう。
後にこのコーナーは出張版(ロケ構成)や、デンセンマンが悪玉と戦うもの、ベンジャミン伊東が途中夢想状態に陥り、その中で現れたジルディと「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ)のメロディーに合わせダンスを踊るものなど、デンセンマンシリーズ数編が制作された。
キャンディーズ主演ドラマ第1作「美しき伝説」→第2作「目覚めれば秋」
キャンディーズ主演の連続スポ根ドラマ(短編)。第1作目「美しき伝説」はバレーボールを、第2作目「めざめれば秋」は柔道を題材としている。ともに昭和9年会のメンバーである森岡賢一郎森山周一郎が、それぞれ劇伴音楽、ナレーションを担当。主題歌は第1作は「卒業」、第2作は「悲しきためいき」(歌はともにキャンディーズ)。超がつくシリアスドラマで、特に第1作は余命いくばくもない選手の物語である。
童謡大全集
タキシードを着たキャンディーズが童謡を歌うコーナー。ミキとスーは真面目に歌うがランだけ異様に絶叫して歌い、二人から冷たい視線を浴びる。冠タイトルが付けられており、キャンディーズ主演の時期には「キャンディーズ・童謡大全集」と、フィーバー主演の時期には「トン・チン・カン・童謡大全集」となる。
暢子・四朗のピンピンピン
フジテレビママとあそぼう!ピンポンパン』のパロディコント。秋野暢子がお姉さん、伊東四朗がお兄さん役で出演した。コーナーオープニングは「集まりましたまんねん、集まりましたまんねん、集まりましたまーんねん!」と3回唱える。本家のオープニングテーマソングの一節「集まりましたー、集まりましたー、集まりまーしたーよっ!」をアレンジしたコールになっている。これは、酒井ゆきえがお姉さん時代のオープニングテーマであった。タイトルは『ピンポンパン』の立派なパロディだが、内容的に見れば、同番組の大人向けトークに仕上がっている。出演者も秋野暢子と伊東四朗のみで、本家のような大人数の出演者は起用しなかった。セットも本家とそっくりであり、同番組からの一部流用もある。「ピンポンパン体操」のパロディ「ピンピンピン体操」も存在したが、なぜか「げんこつ山のたぬきさん」のラストを「ピン、ピン、ピン」と歌うものだった。後にお姉さん役が秋野暢子から二木てるみに交代すると「ピンピンピン体操」は森進一が持ち込んだ設定でのわらべうた「ヒッテさんとハッテさん」に突然変更された。「♪ちょいとひきもどし」まではそのままの歌詞とほぼ同等な曲調だったが、以降アレンジが挿入され最後はやはりピンピンピンだった。なおデンセンマンが人気になってくると、当コーナーで「山寺の和尚さん」をアレンジした替え歌「ピッカリピンピン」も披露されている。
若大将コーナー
加山雄三の歌とテレビエッセイ。加山雄三所有の光進丸船上で収録されたロケ構成。
若大将とハゲ大将
加山雄三と荒井注が船上で釣りをしながら掛け合いのトークをする内容。
若大将とカバ大将
上記の加山によるコーナーには笑いの要素がいっさい無いため、テコ入れの意味も兼ねて内容を一新。コメディリリーフに、西田敏行が敵役「カバ大将」として登場。加山と何かと張り合った。のちに加山・西田共通の敵役として武田鉄矢が「イモ大将」として登場。三つ巴の音楽バラエティとなった。加山の主演映画「若大将シリーズ」を使ったもの。
三文オペラ
上記の加山によるコーナーを一新させ、加山は降板。西田と武田が主役となり、マドンナ役に木の実ナナが登場。脇を、武田と同じ海援隊メンバーである千葉と中牟田、それに大阪から応援出演のセントバーナード犬ぬいぐるみ伝次郎」(中の人は関西テレビさんまのまんま』の「まんまちゃん」と同じ)が固めた。エンディングは木の実のヒット曲「うぬぼれワルツ」で、ゲタ投げによるデタラメな天気予報がテロップに乗った。
パンダ 奥様愛の劇場
フジテレビ『ライオン奥様劇場』およびTBS花王 愛の劇場』をパロディ化したドラマ。『みごろ!ゴロゴロ!大放送!!』移行後に放送された。実際に昼メロでヒロインを務めたことのある女優(例として稲垣美穂子長内美那子など)が主演し、相手役は毎回伊東四朗が務めた。コーナー冒頭では、ジャイアントパンダの映像に「パンダ、パンダ、パ・ン・ダー♪」という男声コーラスが合わさる、本来の意味を成さないオープニングキャッチが流れていた(これはライオン油脂・ライオン歯磨=当時=のそれのパロディである)。延々とあらすじがなぞられ、肝心の本編は極めて短時間であり、アクセントを高めて「つづく!!」と言ってオチをつける。オープニングとあらすじだけで「つづく!!」になった時期もある。
12時のあなた
同局『アフタヌーンショー』、フジテレビ『3時のあなた』といった、いわゆる「昼のワイドショー」のパロディコント。『みごろ!ゴロゴロ!大放送!!』移行後に放送された。武田鉄矢と小林一枝(当時テレビ朝日アナウンサー)が司会役となり、事件レポートや、話題の人のインタビュー、さらには生CM(「透明食品」の「透明焼きそば」、「北極製氷」の「ホット氷」、「日本千倍公社」の「すいがら」など)をコント仕立てに行った。話題の人物インタビューは長内美那子が、長島茂雄江川卓などの著名人を模した衣装で登場して、それらの人物になりきってインタビューに応じる形式であった。[4]
また、テーマ曲を流しているときにワイドショーに付きものの生放送ならではのハプニングとして、テーマ音楽が突然おかしくなったと思いきや、テープが変になっていた(もちろん、コントであるため、面白おかしくするために、意図的にやっていた)、最後に武田が「それでは、チャオ」と言ってしめる。
3児のわたし
一般視聴者参加のミニコーナー。『みごろ!ゴロゴロ!大放送!!』移行後に放送された。内容は街頭インタビュー風のつくりで、母親がタイトルコーナー名の鼻歌(この曲はリズムは『3時のあなた』のテーマ曲に酷似していたがメロディは別)を歌った後、出演している3人の子どもの名前を順にカメラに紹介して4人で手を振る、というものであった。コーナータイトルは、『3時のあなた』に、「3人の児童=3児、抱える母親=わたし」を掛けあわせた。
水戸拷問
いそがしバンド(のちのビジーフォー)による、TBS『水戸黄門』をパロディ化したショートコント。『みごろ!ゴロゴロ!大放送!!』移行後に放送された。冒頭で「再放送劇場 水戸黄門」・「徳川葵」のテロップが表示された後、助さん(スリム冬樹(のちのモト冬樹))・格さん(高田裕三(のちのグッチ裕三))が道中で悪代官(島田与作)に絡まれて、黄門様(ウガンダ・トラ)に助けを求めるというもの。ところが黄門様は、助けるどころか一発ギャグやリアクションを披露しては場の空気を悪くするため、他の3人に袋叩きや水をかけられたりして「水戸黄門拷問 つづく -いそがしバンド-」というテロップ表示でオチを付ける。

その他

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この番組の開始以前、桂三枝(現・六代桂文枝)をメインに据えた『ドカンと一発60分!』が放送されていた。東京キー局制作による三枝番組の第一号で、三枝も相当注力していたが、視聴率が振るわないうえに、芸人をトラの檻に入れるドッキリ企画で非難を浴び、番組は打ち切られた。三枝が考案した「電線音頭」はこの番組に引き継がれたが、「電線音頭」がこの番組でブレイクしたことを、三枝は相当悔しがったという。

加山雄三とナベプロという、一見あまりつながりのなさそうな取り合わせについては、加山が「若大将シリーズ」で売り出していた頃からの長い付き合いで、加山は東宝専属俳優であったと同時に、ミュージシャンとしてはナベプロとも契約していた(加山の楽曲の管理は、ナベプロ傘下の渡辺音楽出版が行なっていた)。なお番組冒頭で加山がボート上でトークしてからオープニングとなっていた。

デンセンマンのスーツアクターとして、当時番組のADだった森昌行(現:オフィス北野代表取締役社長)や秋山武史(のちに俳優に転身)などがデンセンマンを演じていた。構成は基本的に台本に忠実で、アドリブはほとんど無かった。

2005年に、同番組とタイアップしたパチンコ機「CRデンセンマン」が、ニューギンより登場した。

番組を収録したDVDBOXが、6巻まで発売されている。発売元はポリドール映像販売ユニバーサルミュージック)。BOX1は2004年12月に発売、BOX2は2005年2月に発売、BOX3は2005年4月に発売された。2010年4月に、上記のDVD素材をデジタルリマスタリングにより高画質ステレオ音源化したBlu-ray BOX「みごろ!たべごろ!笑いごろ!! キャンディーズ プレミアムBOX」が発売された。

スタッフ

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ネット局

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1977年9月に一時終了。1978年4月から放送再開。

出典

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  1. ^ TVワースト7 放映の中止を要求 日本PTA全国協議会『朝日新聞』1978年(昭和53年)8月9日朝刊、13版、22面
  2. ^ 福島民友』1977年5月12日付朝刊、9面。
  3. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1978年7月14日号 p.32「北川まゆみプロフィール」、1978年7月21日号 p.32「岡広いづみプロフィール」、1978年8月4日号 p.32「渡井なおみプロフィール」
  4. ^ 日刊スポーツ』1978年10月23日付テレビ欄、番組紹介より。
  5. ^ 北海道新聞』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  6. ^ 東奥日報』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  7. ^ 日刊スポーツ』1978年2月4日 - 3月25日付、テレビ欄。
  8. ^ 河北新報』1976年10月11日 - 1979年3月26日付朝刊、テレビ欄。
  9. ^ 福島民報』1977年7月2日 - 9月23日付朝刊、テレビ欄。
  10. ^ 『福島民報』1978年4月16日 - 1979年4月1日付朝刊、テレビ欄。
  11. ^ 『日刊スポーツ』1978年2月1日 - 3月22日付、テレビ欄。
  12. ^ 『日刊スポーツ』1977年1月8日 - 1月31日付、テレビ欄。
  13. ^ 信濃毎日新聞』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  14. ^ 『日刊スポーツ』1978年2月5日 - 3月26日付、テレビ欄。
  15. ^ 山梨日日新聞』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  16. ^ 北日本新聞』1978年11月5日付朝刊、テレビ欄。
  17. ^ 北國新聞』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  18. ^ 中日新聞』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  19. ^ 京都新聞』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  20. ^ 山陰中央新報』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  21. ^ a b c 山陽新聞』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  22. ^ 愛媛新聞』1978年3月5日付朝刊、テレビ欄。
  23. ^ a b 熊本日日新聞』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  24. ^ 『熊本日日新聞』1976年12月各日朝刊テレビ欄
  25. ^ a b 宮崎日日新聞』1977年9月各日朝刊テレビ欄
  26. ^ 『宮崎日日新聞』1976年12月8日付朝刊テレビ欄
  27. ^ 沖縄タイムス』1978年8月26日付朝刊、テレビ欄。

関連項目

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NET→テレビ朝日系列 月曜20時台
前番組 番組名 次番組
みごろ!たべごろ!笑いごろ!

みごろ!ゴロゴロ!大放送!!
(1976年10月 - 1979年3月)