コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ほていや (ユニー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社 ほていや[1][2]
Hoteiya.Co.Ltd
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
名古屋市中区3-22-11[2][1][3]
設立 1950年昭和25年)3月13日[1][4]
業種 小売業
事業内容 スーパーマーケット業など
代表者 高木久徳[1][3]
資本金 2億5500万円[1] → 3億8610万円[3]
売上高 410億円[1] → 600億円[3]
従業員数 社員3,700名[2]
決算期 8月[2]
主要株主 古川正範[2]、猪飼光義[2]、古川秀一[2]、高木久徳[2](古川秀一の妹婿[5]
主要子会社 関東ほていや[2]、中部ほていや[2]
特記事項:上場時の株式会社ユニー(2代目)は、当社が西川屋チェン株式会社ユニー(初代)などを合併した法人であった[4]
テンプレートを表示

株式会社 ほていやは、中部と関東でスーパーマーケットなどを店舗展開していた株式会社である。 食品や文化品はセルフサービス方式の売り場となっていたが、衣料品は対面販売を続けていた[6]

1969年(昭和44年)8月に「タキヒョー」や「株式会社 西川屋チェン」と共同仕入れ会社の「株式会社ユニー(初代)」を設立し[7]、1971年(昭和46年)2月21日に当社が「西川屋チェン」や「株式会社ユニー(初代)」などを合併し[4]、経営統合した[8]

概要

[編集]

創業から戦時統制での休業へ

[編集]

古川政次郎」が1927年昭和2年)に[9][10]、遠縁にあたる[9]水野常蔵氏が1912年大正元年)に横浜市伊勢佐木町に開いた「越後屋呉服店[11]に1年ほど勤めたのちに独立[9][注釈 1]

1929年(昭和4年)2月24日には「古川呉服店」として[13]横浜市伊勢佐木町で間口二間半・奥行四間半の店舗を開いたのが始まりである[14]。 開業当初は一般的な呉服太物を取り扱っていたものの[9]、早々に「モスリン」専門店となり[9]、「古川モスリン店」と称した[15]

その後、業績拡大と共に呉服を再び取り扱うようになり、販売力のある店舗として同業社内でも注目されるようになった[9]

しかし、その後の戦時体制下での繊維統制の影響で事業を休止した[14]

戦後の再開から全国5位のスーパーへ

[編集]

戦後の1945年(昭和20年)に[16]、古川政次郎が横浜市弘明寺で「ほていや呉服店」を開業[14]。 弟の古川秀一は名古屋市大須で「古川呉服店」を開業した[14]

古川呉服店」を古川秀一の縁故者が開いていた「今枝呉服店」と「猪飼呉服店」を統合する形で事業拡大を目指すこととし[17]、1950年(昭和25年)3月13日に資本金50万円で[1][4]株式会社 ほていや呉服店」を設立し[18]、同月17日に大須・万松寺通りに「ほていや万松寺店」を開いた[17]

1951年(昭和26年)には仕入部を設置してチェーン本部機能を整え始め、1953年(昭和28年)に古川政次郎が経営していた会社も経営統合し、1958年(昭和33年)には全店一括の仕入部を設置するなど体制整備を進め、東海道を結ぶチェーン展開を目指していった[19]。 そして、呉服の専門店から品ぞろえを広げるため、1958年(昭和33年)に洋品売り場を開設し[20]、1959年(昭和34年)には全店に洋品雑貨を取り入れて呉服店から総合衣料店に転換した[21]

その後、1961年(昭和36年)12月8日に浜松市肴町に[22]セルフサービスを導入した店舗を開き[23]、1962年(昭和37年)5月20日に[24]横浜市の弘明寺で生鮮3品を含めた食料品も扱うスーパーマーケットを開設した[25]

1962年(昭和37年)6月には「株式会社 ほていや(初代)」へ社名を変更し[18]、同年8月に[26]株式会社 ほてい産業」を縫製部門として設立した[27]

1963年(昭和38年)に物品購入部門の「株式会社 ほてい物産」と「株式会社 関百貨店」を設立[27]。 同年10月には、本社ビルとして「ほていやセンタービル」を開設した[27]

また、京都の「嵯峨野の美しさ」から名称を採った[28]株式会社 嵯峨美」を1964年(昭和39年)に設立して[27]伊勢佐木町4丁目に出店し[28]、横浜ではトップクラスの高級品を扱う呉服専門店となるなど、呉服の販売にも力を入れていた[28]

1967年(昭和42年)8月に「株式会社 関東ほていや」を設立し、1968年(昭和43年)8月には「株式会社 中部ほていや」を設立して、各々の地区ごとの営業部門を移管し、当社は両社への商品供給などの業務を行うようになった[18]

当社は、ユニーとして経営統合する直前には、店舗数80で売上高約635億円を上げ、全国第5位のスーパーマーケットチェーンへと発展していた[8]

提携から経営統合によるユニーへ

[編集]

1969年(昭和44年)3月11日に「松喜屋」と合併契約を締結して傘下に入れ[29][30]、同月に三井物産と提携した[31]。 同年8月にタキヒョー西川屋チェンと共同仕入れ会社の株式会社ユニー(初代)を設立し[7]、同年9月には仕入れと支払業務を同社に移管した[32]、1970年(昭和45年)2月にはタキヒョー西川屋チェンと共に株式会社ユニー(初代)に仕入れ業務を一本化した[33]。 同年10月にはユニードと衣料品の海外での共同生産を開始した[34]。 同年11月17日に[35]ほていやの不動産会社・名浜株式会社[36]トヨタ自動車販売との折半出資で東名クラウン開発株式会社を設立[37]。 同年にはその他にも焼津の「大勝堂」を傘下に入れている[31]

1970年(昭和45年)2月にタキヒョー西川屋チェンと共に株式会社ユニー(初代)に仕入れ業務を一本化した[33]

そして、1971年(昭和46年)2月21日に「西川屋チェン」と経営統合するため[8]、同社や「株式会社ユニー(初代)」などを合併して「株式会社ユニー(2代目)」となった[4]。 同時に、「株式会社 関東ほていや」は「株式会社 関東ユニー」に、「株式会社 中部ほていや」は「株式会社 中部ユニー」となり、引き続き店舗の営業を行った[18]

この経営統合後、仕入れも本部も資本面も、西川屋系とほていや系は別になっており、「株式会社 中部ユニー」と「株式会社 関東ユニー」は実質的にほていや系として営業を続けた[8]

その為、上場による更なる発展を目指して完全に統合することとし[38]1975年(昭和50年)2月21日株式会社ユニー(2代目)が「株式会社 中部ユニー」と「株式会社 関東ユニー」のほか「株式会社 東海ユニー」を吸収合併した[4]

その後、1974年(昭和49年)4月15日には完全子会社として「株式会社さが美」を設立して[39]、同年8月に同社に呉服部門を継承させて「株式会社ユニー(2代目)」から分社化した[40]

1976年(昭和51年)8月21日には株式会社ユニー(2代目)が「名浜株式会社」と「株式会社松喜屋」のほか「株式会社西川屋」と「犬山食品株式会社」を吸収合併した[4]

なお、猪飼社長達が1975年(昭和50年)に商標権を買戻し[41]、呉服部門の拡充して保有する商標に合わせる形で1976年(昭和51年)に「株式会社 ほてい産業」が「株式会社 ほていや(2代目)」へ社名を変更[42]。 呉服専門店チェーンの「ほていや」としてユニーから分離独立している[26]

年表

[編集]
  • 1927年昭和2年) - 「古川政次郎」が「越後屋呉服店」に勤め始める[9][10]
  • 1929年(昭和4年)2月24日 - 「古川政次郎」が横浜市伊勢佐木町で「古川呉服店」を開業[13]
  • 1945年(昭和20年)[16] - 古川政次郎が、横浜市弘明寺で「ほていや呉服店」を開業[14]
  • 1950年(昭和25年)3月13日 - 資本金50万円で[1][4]株式会社 ほていや呉服店」を設立し[18]、同月17日に大須・万松寺通りに「ほていや万松寺店」を開業[17]
  • 1951年(昭和26年) - 仕入部を設置してチェーン本部機能を開始[19]
  • 1953年(昭和28年) - 古川政次郎が経営していた会社を経営統合[19]
  • 1958年(昭和33年) - 全店一括の仕入部を設置[19]。洋品売り場を開設[20]
  • 1960年(昭和35年)3月 - 「株式会社 ほてい商事」を設立[18][43]
  • 1961年(昭和36年)12月8日 - 浜松市肴町に[22]セルフサービスを導入した店舗を開業[23]
  • 1962年(昭和37年)
    • 6月 - 株式会社 ほていやへ社名を変更[18]
    • 8月 - 縫製部門の子会社「株式会社 ほてい産業」を設立[27]
    • 8月31日 - 岐阜市柳ケ瀬に岐阜店を開店し、岐阜県へ進出[44]
  • 1963年(昭和38年)
    • 10月 - 本社ビルとして「ほていやセンタービル」を開設[27]
    • 物品購入部門の「株式会社 ほてい物産」と「株式会社 関百貨店」を設立[27]
  • 1964年(昭和39年) - 「株式会社 嵯峨美」を設立[27]
  • 1965年(昭和40年)9月20日 - 「株式会社 ほてい商事」を合併[4]
  • 1967年(昭和42年)8月 - 「株式会社 関東ほていや」を設立[18]
  • 1968年(昭和43年)8月 - 「株式会社 中部ほていや」を設立[18]
  • 1969年(昭和44年)
  • 1970年(昭和45年)
    • 7月 - 「新名浜株式会社」を設立[18]
    • ほていや」桜山店、中村店、今池店の[45]社員食堂の運営を「サガミチェーン」に委託[46]
  • 1971年(昭和46年)2月21日 - 「株式会社西川屋チェン」や「株式会社ユニー(初代)」などを合併して「株式会社ユニー(2代目)」となる[4]
  • 1975年(昭和50年)
    • 2月21日 - 株式会社ユニー(2代目)が「株式会社 中部ユニー」と「株式会社 関東ユニー」のほか「株式会社 東海ユニー」を吸収合併[4]
    • 猪飼社長達が「ほていや」の商標権を買戻す[41]
  • 1976年(昭和51年)
    • 8月21日 - 株式会社ユニー(2代目)が「名浜株式会社」と「株式会社松喜屋」のほか「株式会社西川屋」と「犬山食品株式会社」を吸収合併[4]
    • 株式会社 ほてい産業」が「株式会社 ほていや(2代目)」へ社名を変更[42]ユニーから分離独立[26]

かつて存在した店舗

[編集]

愛知県

[編集]

名古屋市

[編集]
中区
[編集]
売場面積33m2[17] → 264m2[47]
取扱商品:衣料品[47]
  • 中店(?、1950年(昭和25年)6月開店[49]
売場面積53m2[49]
売場面積54m2[49]
  • 万松寺嵯峨美(名古屋市中区裏門前町1-64[50]、?開店)
  • 角店[51] → 万松寺嵯峨美(名古屋市中区裏門前町1-64[1]、1952年(昭和27年)11月開店[49]
売場面積40m2[49]
  • 栄町店(名古屋市中区栄3-4-4[1][52]、1957年(昭和32年)3月26日開店[52]
売場面積190m2[52]
取扱商品:呉服[52]
  • (初代)栄町店[44] → 栄町サガミ(名古屋市中区栄3-6-17[1]、1951年(昭和26年)開店[44]
  • 嵯峨美センター店(名古屋市中区栄3-7-16[1]、1965年(昭和40年)12月5日開店[52] - 1972年(昭和47年)3月30日閉店[53]
売場面積230m2[52]
取扱商品:呉服[52]
  • 嵯峨美中日タウン店(名古屋市中区新栄町1-6[1][54]、1967年(昭和42年)8月22日開店[54]
売場面積462m2[54]
取扱商品:呉服[54]
中村区
[編集]
  • 新名センター店(名古屋市中村区本陣通1-1[1]、1963年(昭和38年)12月1日開店[54]
売場面積2,343m2[54]
取扱商品:衣料品・雑貨[54]
  • フード店(名古屋市中村区本陣通1-1[1][55]、1963年(昭和38年)12月1日開店[55] - 閉店)
売場面積660m2[55]
取扱商品:食料品・衣料品[55]
売場面積660m2[52]
取扱商品:食料品・雑貨[52]
  • 清正公店(名古屋市中村区鷹羽町2[1]、1968年(昭和43年)11月27日開店[52]
売場面積660m2[52]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[52]
売場面積4,142m2[47]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[47]
東区
[編集]
売場面積1,419m2[54]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[54]
  • (2代目)大曽根ショッピングセンター(名古屋市東大曽根町南3-134[1]、1969年(昭和44年)10月25日開店[52]
敷地面積8,380m2[56][57]、鉄筋コンクリート造地上3階一部4階建て[57]、延べ床面積12,783m2[57]、売場面積9,900m2[57]、駐車台数約150台[57]
北区
[編集]
  • (初代)大曽根店(名古屋市北区東大曽根町通3-76[1]、1962年(昭和37年)12月12日開店[52]
売場面積400m2[52]
取扱商品:衣料品[52]
  • 黒川ショッピングセンター(名古屋市北区黒川本通4-38[58]、1970年(昭和45年)5月開店[59]
敷地面積2,905.67m2[60](駐車場込4,792m2[61])、鉄筋コンクリート造5階建て[60][61]、延べ床面積8,969.40m2[60]、売場面積8,580m2[61](直営店舗面積約6,600m2[61])、駐車台数約100台[61]
ユニーほていや黒川ショッピングセンターとして開店した[61]
西区
[編集]
売場面積594m2[54]
取扱商品:衣料品[54]
  • 庄内ショッピングセンター(名古屋市西区庄内通2-16[1]、1967年(昭和42年)5月31日開店[54]
売場面積3,894m2[54]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[54]
千種区
[編集]
売場面積1,007m2[55]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[55]
  • 今池サガミ(名古屋市千種区千種通1-21[55]、1963年(昭和38年)11月23日開店[55]
売場面積792m2[55]
取扱商品:衣料品[55]
瑞穂区
[編集]
売場面積3,400m2[54]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[54]

尾張(名古屋市以外)地区

[編集]
売場面積1,419m2[54]
取扱商品:食料品・衣料品[54]
  • 瀬戸フード店(瀬戸市深川町46-1[1]、1966年(昭和41年)5月11日開店[54]
売場面積330m2[54]
取扱商品:食料品[54]
売場面積4,422m2[52]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[52]
売場面積726m2[47]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[47]
銀座通りにあった常滑日活を買収して開店した[63]

三河地区

[編集]
豊田市
[編集]
売場面積3,023m2[47]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[47]
地上3階建てで、1階が食品売り場、2階が日用雑貨売り場、3階が家電売り場となっていた[64]
後に、ユニー豊田リビングセンターとなった[64]
  • 豊田衣料センター店(豊田市喜多町2-102[1]、1967年(昭和42年)11月21日開店[47]
売場面積2,063m2[47]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[47]
地下1階・地上5階建ての「横井ビル」を賃借して出店していた[64]
後に、ユニー豊田ショッピングセンターの開設に合わせて閉店した[64]
西三河(豊田市以外)
[編集]
売場面積924m2[52]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[52]
地下1階・地上5階建ての延べ床面積約3,300m2の富士ビルを借りて出店した[65]
敷地面積約1,980m2[66][67]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て塔屋付[66]、延べ床面積約9,240m2[66][67]、店舗面積7,260m2[66](直営店舗面積約6,270m2[66])。
ユニーほていや東岡崎ショッピングセンターとして開店した[66]
豊橋市
[編集]
売場面積2,904m2[47]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[47]
延べ床面積5,389m2[70]、売場面積3,218m2[47]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[47]
常盤通のセントラルビルに出店していた[71]地下1階・地上3階建ての店舗だった[70]
1984年(昭和59年)4月21日にハートスタッフ豊橋として新装開店[70]

岐阜県

[編集]
  • 駅前店(岐阜市神田町7-16[62]、1962年(昭和37年)3月22日開店[62]
売場面積198m2[62]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[62]
  • 岐阜嵯峨美(岐阜市神田町5-18[1]、?開店)
  • 岐阜神田町店[48] → 岐阜センター店[1](岐阜市神田町4-16[1]、1951年(昭和26年)3月2日開店[62] - 1976年(昭和51年)8月22日閉店)
売場面積1,036m2[62]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[62]
売場面積257m2[62]
取扱商品:呉服[62]
  • 柳ヶ瀬西店[72] → 柳ヶ瀬サガミ[1](岐阜市柳ヶ瀬通1-3[72][1]、1964年(昭和39年)6月6日開店[62]
売場面積426m2[62]
取扱商品:衣料品[62]
  • 日の出町店(岐阜市日の出町1-7[72]、1962年(昭和37年)開店[23]
売場面積429m2[23]
  • 劇場通り店(岐阜市神室町2-14[68]、1962年(昭和37年)開店[23]
売場面積165m2[23]
  • 長良北町店(岐阜市平和通1-3[1]、1963年(昭和38年)8月13日開店[62]
売場面積900m2[62]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[62]
  • 関店(関市本町2-8[1]、1963年(昭和38年)10月27日開店[62]
売場面積1,383m2[62]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[62]

静岡県

[編集]

静岡市

[編集]
売場面積1,023m2[73]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[73]
  • 七間町店(静岡市七間町16-4[1]、1962年(昭和37年)12月4日開店[74]
売場面積1,683m2[73]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[73]
  • 静]岡嵯峨美店(静岡市七間町16-3[75]
  • 呉服町センター店(静岡市呉服町2—1[1]、1967年(昭和42年)11月27日開店[73]
売場面積2,500m2[73]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[73]
ほていや呉服町センター店(1,380m2)と呉服町フード店(780m2)、呉服町ニューほていや店(1,450m2)の3店として出店した[76]
  • 北安東店(静岡市北安東[68]、1964年(昭和39年)開店[77]
売場面積825m2[77]

浜松市

[編集]
売場面積1,221m2[22]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[22]
地下1階から地上5階までを直営売場に使う地元業者との共同ビルを建設して増床し、1969年(昭和44年)末に新装開店した[78]
売場面積1,056m2[79]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[79]
  • 千歳店(浜松市中区千歳町73[1]、1963年(昭和38年)4月20日開店[80]
売場面積96坪[80]
取扱商品:食料品・その他[80]

焼津市・藤枝市

[編集]
  • 焼津ショッピングセンター(焼津市焼津字東782-2[1]、1969年(昭和44年)7月3日開店[73]
売場面積3,779m2[73]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[73]
  • 藤枝店(藤枝市本町1141[73]、1967年(昭和42年)11月15日開店[73]
売場面積1,617m2[22]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[73]

沼津市

[編集]
  • 沼津呉服寝装センター店(沼津市大手町仲見世通り67[1]、1961年(昭和36年)4月29日開店[73] - 1976年(昭和51年)10月閉店)
売場面積1,040m2[73]
取扱商品:呉服・寝具[73]
  • 沼津洋品センター店(沼津市大手町仲見世通り69[1]、1964年(昭和39年)5月2日開店[22]
売場面積2,260m2[22]
取扱商品:衣料品[22]
ほていや沼津センター店(1,350m2)と沼津ニューほていや店(450m2)の2店として出店した[81]
  • 沼津食品文化品センター店(沼津市上本通町8[1]、1968年(昭和43年)10月25日開店[22]
売場面積1,337m2[22]
取扱商品:食料品・雑貨[22]

磐田市

[編集]
売場面積1,287m2[73]
取扱商品:衣料品[73]
  • 磐田食品文化品センター店(磐田市中泉240-1[1]、1966年(昭和41年)12月18日開店[73]
売場面積808m2[73]
取扱商品:食料品・雑貨[73]

長野県

[編集]
  • 長野ショッピングプラザ(長野市権堂町1437[82]、1970年(昭和45年)4月26日開店[83] - 1982年(昭和57年)4月閉店[84]
衣料品スーパー[85]。地場資本の仁科と提携して出店した[86]長野県下初の本格的な総合スーパーとして開業した[87]
店舗面積約4,099m2[88]

北陸地区

[編集]

富山県

[編集]
売場面積198m2[89]
取扱商品:衣料品[89]

石川県

[編集]
敷地面積約1,700m2[91]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[91]、延べ床面積約6,370m2[91]、売場面積3,200m2[90]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[90]
地下鮮魚部は「近江町センター」が出店していた[92]
金沢店(830m2)とサガミ金沢店(790m2)、金沢フード店(780m2)、ニューほていや金沢店(1,000m2)の4店として出店した[93]
跡地の建物は改装され[94]、当社の呉服専門店子会社のさが美が運営する「竪町パティオ」が1979年(昭和54年)4月28日に開店した[95]
2006年(平成18年)2月から建て替えを始め[96]、2007年(平成19年)4月20日に金沢パティオがオープン[97]

福井県

[編集]
  • 福井ショッピングセンター店(福井市元町401-1[1][98]、1968年(昭和43年)9月28日開店[1]
売場面積4,307m2[98]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[98]
  • 福井店[99] → 福井呉服寝装センター店(福井市中央1-3-1[99][1]、1967年(昭和42年)9月13日開店[1]
売場面積1,386m2[98]
取扱商品:呉服・寝具[98]

関東地区

[編集]

東京都

[編集]
売場面積165m2[100]
取扱商品:呉服[100]
大森山王会館内に出店[101]

神奈川県

[編集]
横浜市
[編集]
  • 古川モスリン店(横浜市中区伊勢佐木町3-107[15][102]1929年(昭和4年)2月24日開店[13]
  • イセザキセンター店(横浜市中区伊勢佐木町3-105[1]、1969年(昭和44年)4月25日開店[103]
売場面積3,845m2[103]
取扱商品:食料品[103]
売場面積140m2[103]
取扱商品:衣料品[103]
  • 横浜店[48] → 二丁目店[1](横浜市中区伊勢佐木町2-76[1]、開店 - 閉店)
  • 趣味の店 → 横浜嵯峨美[104](横浜市中区伊勢佐木町4-109[48][104]、1953年(昭和28年)7月15日開店[104]
売場面積50m2[104]
  • 四丁目店(横浜市中区伊勢佐木町4-117[1]、1963年(昭和38年)4月26日開店[105]
売場面積1,550m2[105]
取扱商品:食料品・雑貨[105]
  • 名品街店(横浜市西区南幸1-3[1]、1958年(昭和33年)9月19日開店[105]
売場面積100m2[105]
取扱商品:呉服[105]
売場面積980m2[103]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[103]
売場面積5,100m2[107]
  • 中山店(横浜市緑区台村町往還下231-1[1][24]、1967年(昭和42年)11月18日開店[24]
売場面積2,739m2[24]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[24]
  • 弘明寺店(横浜市南区中島町4-78[24]、1962年(昭和37年)5月20日開店[24]
売場面積860m2[24]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[24]
1971年(昭和46年)4月27日に火災で被災した[108]
売場面積137坪[109]
売場面積1,254m2[103]
売場面積990m2[24]
取扱商品:衣料品[24]
横須賀市
[編集]
売場面積2,020m2[24]
取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[24]
売場面積約650m2の関東ほていや横須賀店として開店[110]。地下1階・地上3階建てに増改築して食料品売場を開設すると共に、ほていや大滝町店に改称した[110]
  • 衣笠衣料センター店(横須賀市衣笠栄町1-13[1]、1968年(昭和43年)4月3日開店[110]
売場面積1,485m2[24]
取扱商品:衣料品[24]
  • 衣笠店[111] → 衣笠食品文化品センター店(横須賀市衣笠栄町1-17[111][1]、1964年(昭和39年)3月17日開店[24]
売場面積1,190m2[24]
取扱商品:食料品・雑貨[24]
  • 衣笠嵯峨美店(横須賀市衣笠栄町1-12[24]、1967年(昭和42年)11月15日開店[24]
売場面積265m2[24]
取扱商品:呉服[24]
その他
[編集]
売場面積2,310m2[105]
取扱商品:食料品・衣料品[105]
売場面積3,447m2[112]

過去に存在した事業所

[編集]

過去に存在した関連会社

[編集]
  • 名浜株式会社(横浜市中区伊勢佐木町2-76[114]1953年(昭和28年)4月設立[18]
不動産賃貸業・保険代理店[114]
  • 新名浜株式会社(名古屋市[115]1970年(昭和45年)7月設立[27]
不動産管理[115]
  • 東名クラウン開発株式会社(1969年(昭和44年)11月17日設立[35]
不動産賃貸業[35]
株式会社 名浜[36]トヨタ自動車販売との折半出資で設立[37]
  • 株式会社 ほてい商事(名古屋市中区沢井町10[43]1960年(昭和35年)3月設立[18][43]
  • 株式会社 ほてい産業(名古屋市中区栄3-22-1[116]1962年(昭和37年)8月設立[27]
猪飼社長達が1975年(昭和50年)に商標権を買戻し[41]、呉服部門の拡充して保有する商標に合わせる形で1976年(昭和51年)に「株式会社 ほていや(2代目)」へ社名を変更[42]

呉服専門店チェーンの「ほていや」としてユニーから分離独立している[26]

  • 株式会社 ほてい物産(名古屋市中区栄3-22-1[117]1962年(昭和37年)8月設立[118]
包装品・消耗品調達部門を独立させて設立[23]
  • ほていやフード株式会社(名古屋市中村区本陣通1-1[119]1963年(昭和38年)設立[119]
  • 株式会社 関百貨店(名古屋市中区栄3-22-1[120]1963年(昭和38年)設立[27]
  • 株式会社 関東ほていや(横浜市中区伊勢佐木町4-117[2]1967年(昭和42年)8月設立[18]
  • 株式会社 中部ほていや(名古屋市千種区千種通1-16[2]1968年(昭和43年)8月設立[18]
  • 株式会社 嵯峨美(名古屋市千種区千種通1-16[121]1964年(昭和39年)設立[121]
ほていや」のレストラン部門[122]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 越後屋呉服店」は1912年大正元年)頃に「水野常蔵」が創業したが、病気で業務を出来なくなって茅ヶ崎で静養に入り、「岩崎賢三郎」が営業を続けた[11]。「水野常蔵」は病気から回復したものの、1927年昭和2年)に「岩崎賢三郎」が全てを継承している[11]横浜市伊勢佐木町1-9に所在していた[12]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp670
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『ダイヤモンド会社要覧 非上場会社版 1970年版』 ダイヤモンド社、1970年。pp670
  3. ^ a b c d “ほていや・西川屋チェン・ユニー=新会社名「ユニー」で年内合併”. 新日本経済 1970年3月号 (新日本経済社) (1970年3月1日).pp9
  4. ^ a b c d e f g h i j k l “新規上場企業紹介 ユニー株式会社”. 証券 1977年11月号 (東京証券取引所総務部) (1977年11月).pp68
  5. ^ “問題かかえたユニーの大合併 上場控え名実ともに必要な一本化”. 中部財界 1975年2月号 (中部財界社) (1975年2月).pp11
  6. ^ 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 信用交換所大阪本社、1967年9月15日。pp1944
  7. ^ a b c 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp10
  8. ^ a b c d “問題かかえたユニーの大合併 上場控え名実ともに必要な一本化”. 中部財界 1975年2月号 (中部財界社) (1975年2月).pp9
  9. ^ a b c d e f g 『織物商要鑑 昭和10年度編纂 関東之部』 信用交換所東京局、1935年10月30日。pp303
  10. ^ a b 『東京紳士録 昭和39年版』 東京探偵社、1964年3月10日。ppふ26
  11. ^ a b c 『織物商要鑑 昭和5年度調査 関東之部 其ノ1』 信用交換所東京局、1930年10月30日。pp394-395
  12. ^ 『日本紳士録 28版』 交詢社、1924年12月12日。pp横浜之部47
  13. ^ a b c 『日本小売業経営史』 公開経営指導協会、1967年5月20日。pp584
  14. ^ a b c d e 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp103
  15. ^ a b 『横浜市商工案内 昭和12年版』 横浜市産業課、1937年3月11日。pp191
  16. ^ a b 『就職ガイド ダイヤモンド 1969年版』 ダイヤモンド社、1968年。pp774
  17. ^ a b c d e 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp104
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n “新規上場企業紹介 ユニー株式会社”. 証券 1977年11月号 (東京証券取引所総務部) (1977年11月).pp70
  19. ^ a b c d 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp110
  20. ^ a b 『企業への招待 1968年版』 日本リクルートセンター、1968年。pp894
  21. ^ 大橋隆士 “計数的資料をもとに好成績のチェーンづくり(名古屋・ほていや)”. 商店界 1963年11月号 (誠文堂新光社) (1963年11月).pp29-31
  22. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp345
  23. ^ a b c d e f g 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp122
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp264
  25. ^ “初代店長が語る「創業のころの現実とロマン」(第3回)ほていや(ユニーの前身)総合大型店チェーン化第1号店・弘明寺店 古川一成店長(現静岡地区本部長)の巻”. 販売革新 1978年6月号 (アール・アイ・シー) (1978年6月).pp265-268
  26. ^ a b c d “業績好調で大島紬が人気の中心 毎年10%以上成長の(株)ほていや”. 中部財界 1983年12月号 (中部財界社) (1983年12月).pp78
  27. ^ a b c d e f g h i j k 『事業と人 1966年版』 中部経済新聞社、1966年。pp565
  28. ^ a b c 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp118
  29. ^ a b ““消えた赤トーダイ” 「ほていや」と「松喜屋」の合併。強まるスーパーの資本系列化”. 神奈川新聞(神奈川新聞社). (1969年3月12日).pp3
  30. ^ a b “日誌 3月”. 旬刊商事法務研究 1969年3月25日号 (商事法務研究会) (1969年3月25日).pp25
  31. ^ a b c “ハイライト 戦国時代に突入する名古屋流通業界”. 新日本経済 1969年8月号 (新日本経済社) (1969年8月1日).pp66
  32. ^ “中京短信 ほていや・西川屋チェン・ユニー 新会社名「ユニー」で年内合併”. 新日本経済 1970年3月8日号 (新日本経済社) (1970年3月1日).pp41
  33. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 23号(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp47
  34. ^ a b “流通年事表”. 流通情報 財団設立15周年記念特集号 (流通経済研究所) (1980年5月).pp74
  35. ^ a b c d “新会員紹介”. ショッピングセンター 1987年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年12月1日).pp51
  36. ^ a b c “内側からみた流通革命第3ラウンド(1)”. 販売革新 1970年1月号 (アール・アイ・シー) (1970年1月).pp17-36
  37. ^ a b c 杉岡碩夫 “商業 クリアランスされる側の論理(経済帝国 日本のネガ像)”. 現代の眼 1973年1月号 (現代評論社) (1973年1月1日).pp145
  38. ^ “問題かかえたユニーの大合併 上場控え名実ともに必要な一本化”. 中部財界 1975年2月号 (中部財界社) (1975年2月).pp10
  39. ^ “新規上場企業紹介 さが美”. 証券 1985年11月号 (東京証券取引所総務部) (1985年11月).pp71
  40. ^ “新規上場企業紹介 さが美”. 証券 1985年11月号 (東京証券取引所総務部) (1985年11月).pp73
  41. ^ a b c “ほていや 59年 本社新社屋完成”. 中部財界 1983年12月号 (中部財界社) (1983年12月).pp72
  42. ^ a b c “情報の交叉点”. ヤノニュース 1976年11月5日号 (矢野経済研究所) (1976年11月5日).pp134
  43. ^ a b c 『日本会社録 第6版』 交詢社出版局、1968年11月20日。pp336
  44. ^ a b c d 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp109
  45. ^ “大野望クローズアップ(6)中京圏そばうどんチェーンサガミの首都攻略”. 月刊食堂 1986年7月号 (柴田書店) (1986年7月).pp236-238
  46. ^ 長尾秀美 “かけはしインタビュー 雇用最前線 大卒採用を大量に続ける うどんとそばの日本一のチェーン店”. かけはし 1996年10月号 (産業雇用安定センター) (1996年10月).pp13
  47. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp369
  48. ^ a b c d e f g h 『愛知年鑑 1959年版』 中部経済新聞社、1959年6月1日。pp789
  49. ^ a b c d e f 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp107
  50. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp353
  51. ^ a b 『愛知年鑑 1958年版』 中部経済新聞社、1957年11月20日。pp695
  52. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp367
  53. ^ 小林修 『年表昭和の事件・事故史』 東方出版、1989年9月11日。ISBN 978-4885912207
  54. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp368
  55. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp366
  56. ^ “ハイライト 戦国時代に突入する名古屋流通業界”. 新日本経済 1969年8月号 (新日本経済社) (1969年8月1日).pp65
  57. ^ a b c d e 『日本のショッピングセンター その全容と今後の方向 1970年版』 日本繊維経済研究所、1970年2月20日。pp249
  58. ^ “中部財界レポート”. 中部財界 1973年12月号 (中部財界社) (1973年12月).pp88
  59. ^ 『日本商業年鑑 1970年版』 商業界、1970年。 pp371
  60. ^ a b c 谷川正己 “土着の建築家たち あるいは外輪山的建築家たち-5-名古屋の建築家-2-”. 建築 1971年3月号 (中外出版) (1971年3月).pp123
  61. ^ a b c d e f 『日本のショッピングセンター ショッピングセンターの現状分析 1971年版』 日本繊維経済研究所、1971年1月10日。pp258
  62. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp329
  63. ^ 大橋隆士 “日本のスーパーマーケット地図〈愛知県の巻〉”. 販売革新 1964年1月号 (アール・アイ・シー) (1964年1月).pp103-107
  64. ^ a b c d 豊田市教育委員会豊田市史編さん専門委員会『豊田市史 4巻 (現代)』 豊田市、1977年3月。pp698
  65. ^ 新編岡崎市史編さん委員会『新編岡崎市史 第5巻 現代 本文編』 岡崎市、1985年12月28日。
  66. ^ a b c d e f g h 『日本のショッピングセンター ショッピングセンターの現状分析 1971年版』 日本繊維経済研究所、1971年1月10日。pp263
  67. ^ a b c d 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp581
  68. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp313
  69. ^ 『東三河の経済と社会 第一輯』 愛知大学 中部地方産業研究所、1973年3月。
  70. ^ a b c 酒井義光 島崎富数 “激戦地SC生き残り戦略”. ショッピングセンター 1984年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1984年7月1日).pp71
  71. ^ 『豊橋めぐり』 東三文化会、1982年8月。pp197
  72. ^ a b c 『メリヤス総合名簿 1965上巻』 センイ・ジヤァナル、1964年。pp193
  73. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp344
  74. ^ 『商業界二十年 : 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年10月17日。pp173
  75. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp312
  76. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp348
  77. ^ a b 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp122-123
  78. ^ “浜松・メガロポリス拠点都市を目指す”. 商店界 1970年1月号 (誠文堂新光社) (1970年1月).pp108-111
  79. ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp112
  80. ^ a b c 『全国スーパーマーケットストア・スーパーチェーン名簿』 日本化学繊維協会、1963年10月。pp192
  81. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp349
  82. ^ 『信毎年鑑 1975年版』 帝国興信所、1974年10月1日。pp393-394
  83. ^ “長野 競合時代迎えた観光都市の小売業”. 商店界 1970年7月号 (信濃毎日新聞社) (1970年7月).pp217-221
  84. ^ “長野県にみる小売新業態の台頭”. 経済月報 1985年6月号 (長野経済研究所) (1985年5月).pp11
  85. ^ 『信毎年鑑 1973年版』 帝国興信所、1972年10月1日。pp386
  86. ^ 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1972年7月号 (食品と科学社) (1972年7月).pp58-61
  87. ^ 高橋恒 “県下小売業の変遷と価格志向強める小売新業態 ディスカウントストアを中心として”. 経済月報 1994年11月号 (長野経済研究所) (1994年10月).pp17
  88. ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。
  89. ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp287
  90. ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp295
  91. ^ a b c 『ショッピングセンター名鑑 1985年版』 日本ショッピングセンター協会、1985年12月27日。pp677
  92. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp665-666
  93. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp295
  94. ^ 松原光也“地方中核都市金沢における都市政策と公共交通体系の課題”. PG Labディスカッションペーパーシリーズ 第37号 (関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構 関西大学政策グリッドコンピューティング実験センター) (2009年3月)
  95. ^ 『1980年代店舗産業・企業グループの競争力分析』 矢野経済研究所、1979年12月1日。pp38
  96. ^ “中心部が駅前に対抗 金沢パティオ建て替えへ”. 北國新聞 (北國新聞社). (2005年11月24日)
  97. ^ “金沢パティオ全面開業 ドコモ・タテマチ・クレモも”. 北國新聞 (北國新聞社). (2007年4月21日)
  98. ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp301
  99. ^ a b 『デパート・ニューズ調査年鑑 1968年度版』 デパート・ニューズ社、1968年。pp319
  100. ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp235
  101. ^ 『会員・特定商工業者名簿 昭和37年版』 東京商工会議所、1962年1月1日。pp40
  102. ^ 『横浜商工名鑑 昭和14年版』 横浜商工会議所、1939年12月22日。pp126
  103. ^ a b c d e f g h i j k 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp263
  104. ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp265
  105. ^ a b c d e f g h i 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp265
  106. ^ 『愛知年鑑 1959年版』 商業界、1959年。pp790
  107. ^ a b c 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp313
  108. ^ “大口被災(4月分)”. インシュアランス. Insurance 1971年5月号第3集(2498) 損保版 (保険研究所) (1971年5月20日).pp13
  109. ^ a b c 『全国スーパーマーケットストア・スーパーチェーン名簿』 日本化学繊維協会、1963年10月。pp131
  110. ^ a b c d 創立60周年記念特別委員会 横須賀経済経営史年表編纂委員会 『横須賀経済経営史年表』 横須賀商工会議所、1990年。
  111. ^ a b 『デパート・ニューズ調査年鑑 1968年度版』 デパート・ニューズ社、1968年。pp318
  112. ^ a b “直撃ルポ 流通戦争 食品小売流通の最前線「藤沢」乱立ストアのツケに振り回される食品問屋 その生々しく無謀な商戦の現実を浮きぼりにする”. 総合食品 1978年9月号 (総合食品研究所) (1978年9月).pp61
  113. ^ a b c 『日本職員録 第13版 下』 人事興信所、1970年。ppほ9
  114. ^ a b 『横浜商工名鑑 昭和34年版』 横浜商工会議所、1959年。pp226
  115. ^ a b “業界の動き”. ジャパンフードサイエンス 1971年1月号 (日本食品出版) (1971年1月).pp70
  116. ^ 『名古屋商工名鑑 昭和42年版』 名古屋商工会議所、1968年。pp197
  117. ^ 『名古屋商工名鑑 昭和42年版』 名古屋商工会議所、1968年。pp300
  118. ^ 『帝国銀行・会社要録 第51版』 帝国興信所、1970年。pp愛知159
  119. ^ a b 『名古屋商工名鑑 昭和42年版』 名古屋商工会議所、1968年。pp251
  120. ^ 『会社企業名鑑 昭和43年版』 日本統計協会、1968年。pp1407
  121. ^ a b 『名古屋商工名鑑 昭和42年版』 名古屋商工会議所、1968年。pp431
  122. ^ “展望台”. 食品と科学 1969年12月号 (食品と科学社) (1969年12月).pp36-47

広報など1次資料

[編集]
  1. ^ 平成18年2月期 決算参考資料 (Report). ユニー. (2006年4月13日).

関連項目

[編集]