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はまゆう (日本カーフェリー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はまゆう
日本カーフェリー時代のはまゆう
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 宮崎カーフェリー(初代法人)(1971-1972)
日本カーフェリー(1972-1990)
シーコムフェリー
マリンエキスプレス(1990-1992)
運用者 宮崎カーフェリー(初代法人)(1971-1972)
日本カーフェリー(1972-1990)
シーコムフェリー
マリンエキスプレス(1990-1992)
建造所 林兼造船下関造船所
姉妹船 るぴなす
IMO番号 7204538
改名 はまゆう(1971-1992)
SUPERFERRY 3(1996-)
経歴
進水 1971年
竣工 1971年10月30日[1]
就航 1971年11月7日[2]
最後 2000年、火災により廃船
要目
総トン数 5,886トン[1]
全長 118.0 m[1]
垂線間長 106.0 m[1]
20.4 m[1]
深さ 8.0 m[1]
満載喫水 6.7 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 NKK-SEMT ピルスティク 10PC2V 2基[1]
推進器 1軸[1]
最大出力 9,300馬力[1]
最大速力 21ノット[1]
航海速力 20.0ノット
旅客定員 980名[1]
車両搭載数 トラック40台、乗用車113台[1]
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はまゆうは、宮崎カーフェリー(初代)、日本カーフェリーが運航していたフェリー

概要

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宮崎カーフェリーの第一船として林兼造船下関造船所で建造され、1971年11月7日に神戸 - 日向航路に就航した[2]

1975年11月、大阪航路へ転配され、同じく神戸航路に就航していた僚船のるぴなすは海外売船された。 1992年12月、美々津丸の大阪航路への転配により引退した。

1993年フィリピンのアボイティスへ売却された[3]1996年スーパーフェリー英語版に売却され、SUPERFERRY 3と改名して就航した[3]2000年、入渠中に火災が発生し焼損、廃船となった。

航路

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宮崎カーフェリー(→日本カーフェリー)

本船の就航により、日向航路は隔日運航から毎日運航へ増便された。当初は、日本カーフェリーから用船していたはいびすかすと運航されたが、るぴなすの就航により、「はいびすかす」は返却された[2]

日本カーフェリー

  • 大阪港 - 細島港

スーパーフェリー

船内

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ふぇにっくす型の準同型船だが、夜間航行が中心の航路事情を反映しラウンジのバー機能を強め、供食施設はグリルレストランを設けず一般レストランを広くとりカフェテリア式の営業にすると行った変更が行われた[4]

船室

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  • 貴賓室(2名)
  • 特等(60名)
  • 一等(214名)
  • 二等(668名)
  • ドライバー室(36名)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 世界の艦船(1972年3月号,p105)
  2. ^ a b c 世界の艦船(1972年1月号,p96)
  3. ^ a b c 世界の艦船(1998年11月号,p129)
  4. ^ 第III部 良平の船舶事典 続・フェリーとコンテナ船 - 柳原良平「第3船の本」(至誠堂 1972年)