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しずてつジャストライン藤枝営業所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

しずてつジャストライン藤枝営業所(しずてつじゃすとらいんふじえだえいぎょうしょ)は、かつて静岡県藤枝市に存在したしずてつジャストライン株式会社の事業所である。ペットマークはであった。2006年(平成18年)に焼津営業所と共に岡部営業所に移転統合され廃止となった。

所在地

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志太郡藤枝町の中心市街地の東側に位置し、東海道田中城下、焼津への結節点であった。また、藤枝駅前(藤枝市前島2842 現在の静岡銀行藤枝駅前支店付近)にも営業所事務所(藤枝営業所藤枝駅前売札所)と観光案内所を併設していた。[1][2]

静岡鉄道駿遠線の廃止後に大手駅が所在した場所に移転した。なお、営業所の移転後も大手交差点の拡幅工事が行われる1980年頃まで藤枝大手売札所(藤枝市市部614)が存続していた。[3]営業所廃止後は静岡銀行藤枝支店と戸田書店藤枝東支店となった。

概説

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藤相鉄道の乗合自動車事業を源流とし、藤相鉄道静岡電気鉄道の共同出資によって設立された駿遠自動車(のちに静岡乗合自動車)藤枝営業所、戦時統合によって誕生した静岡鉄道の藤枝営業所を経て、2002年(平成14年)にバス事業の分社化によって誕生した営業所である。藤相鉄道志太地域で展開していた路線に加え、戦前に静岡電気鉄道が計画した静岡鉄道の基幹路線である「国道本線」と、同線を区間分離して誕生した「中部国道線」を担う営業所であった。

終戦から1950年代にかけては、静岡鉄道自動車部藤枝営業所の管轄下に藤枝営業区、焼津営業区相良営業区、遅れて1957年頃に島田営業区が開設されたが、1958年に機構改正により各営業区は営業所となった。

1970年代までは藤枝営業所のあった藤枝大手が藤枝市内のバス路線における中心ターミナル(ハブターミナル)であったため、管内のほとんどの路線が藤枝大手を起終点としていた。1980年代に入ると東海道本線藤枝駅前にもバスターミナルが整備され「瀬戸ノ谷線」や「葉梨線」といった北部山間路線が藤枝大手と藤枝駅前の双方を発着する一方、藤枝駅南部の路線も入出庫便を除き藤枝駅前を発着するようになり、徐々に中心ターミナルが藤枝大手から藤枝駅前に遷移していった。

1980年代中盤には国鉄分割民営化に前後して東海道線島田 - 興津間に高頻度平行ダイヤが導入され、六合西焼津に新駅が開業したことで藤枝 - 静岡間のバス利用がJR東海道線に移行したことに加え、1980年代後半から2000年代にかけて藤枝駅周辺の再開発事業が進行したことにより、藤枝駅へのフィーダー輸送が中心となっていった。

1990年代中盤には市立病院の移転に伴い、各路線から新病院への乗り入れが開始され、1990年代末期には市立病院への直通が考慮された大規模な路線再編が行われた。

2006年に営業所は焼津営業所と共に廃止となり、島田市を除く志太地域の路線が岡部営業所に集約された。

藤枝営業所車庫以外に、峠(瀬戸ノ谷線)、つつじ平団地(藤枝忠兵衛線)、吉永下河原(藤枝吉永線)などに夜間滞泊があったが、路線の縮小や自主運行バスへの移管等により、岡部営業所移管後の2010年代にはいずれも廃止されている。

沿革

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所管していた路線

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しずてつジャストライン藤枝営業所の発足時には次の路線を管轄していた。

中部国道線

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葉梨線

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  • 概説
    • 藤枝大手から現在の県道215号に沿って藤枝市葉梨地区、さらに葉梨川上流域の大沢地区を結ぶ路線である。
    • 1980年代には日本ビクター藤枝工場への支線が誕生し、焼津駅前 - 五十海北間を運行する「大覚寺線」直通便や、瀬戸谷地区の上滝沢地区から「瀬戸ノ谷線」直通便が乗り入れを開始した。また藤枝大手から「中部国道線」に乗入れ藤枝駅前を結ぶ系統も誕生した。
    • 1980年代後半から山間地の通学手段の確保のために藤枝市による欠損補助が開始され、1990年代末期には通院手段の確保のために藤枝駅への系統の一部が「駿河台線」を経由して藤枝市立総合病院への乗り入れを開始したが利用者減少に歯止めがかからず、現在は平日のみの運行路線となっている。
    • 上大沢系統の西方 - 上大沢間には狭隘区間が存在するため、ツーマン運行廃止後はバックカメラ・モニタ付きの中型バスでの運行であったが、1999年(平成11年)7月の豪雨による地すべり災害以降、同区間の運行は廃止されている。
  • 沿革

瀬戸ノ谷線

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  • 概説
    • 藤枝大手、旧藤枝町市街地から現在の県道32号に沿って藤枝市北部の瀬戸谷地区、瀬戸川上流域を結ぶ路線であった。
    • 1950年代後半から1960年代には地元の要望もあり市ノ瀬から蔵田地区、さらには県道220号線に沿って大久保地区まで延伸した。
    • マイカーの普及によって1970年代以降は利用者減少が進み、ワンマン化によるコスト削減等により路線を維持してきたが、1987年度より瀬戸谷小学校から上流域について通学手段の確保のため、藤枝市からの欠損補助が開始された。また減便が進む一方で、藤枝大手方面から藤枝駅前方面への系統の比率が高まっていった。
    • 1990年代末期には大規模な路線の再編が行われ、藤枝市立総合病院に延伸した。2003年(平成15年)には温泉施設「ゆらく」の開業に伴う増便も行われ、路線維持のための工夫も図られたが、利用者減少に歯止めはかからず岡部営業所に移管後の2009年(平成21年)に全線が廃止となり、藤枝市自主運行バスへと移行している。
  • 沿革
    • 1924年(大正13年)藤相鉄道が藤枝自動車商会を買収し、上伝馬 - 中山間の路線免許を承継した。
    • 1926年(大正15年)3月 - 中山から市ノ瀬間、坂下に路線を延伸した。
    • 1934年(昭和9年)藤相鉄道の時刻表では「中山線」として次の2系統を運行していた。[5][47]
      • 大手 - 上傳馬 - 中山 - 市ノ瀬
      • 大手 - 上傳馬 - 中山 - 坂下
    • 1939年(昭和14年)6月1日改正の静岡乗合自動車の連絡乗車券に「中山線」が記載されている。
    • 1953年(昭和28年)9月現在の静岡鉄道の時刻表および路線図では「瀬戸ノ谷線」として次の区間を運行しており、市ノ瀬系統が1日4往復、上滝沢系統が1日3往復の運行であった。[38]
      • 藤枝大手 - 中山 - 市ノ瀬
      • 藤枝大手 - 中山 - 上滝沢
    • 1958年(昭和33年)12月現在の時刻表では市ノ瀬系統が蔵田まで延伸している。[40]
      • 藤枝大手 - 上伝馬 - 矢崎橋 - 中山 - 市ノ瀬 - 蔵田
      • 藤枝大手 - 上伝馬 - 矢崎橋 - 中山 - 上滝沢
    • 1961年(昭和36年)1月27日 - 藤枝市議会議員、瀬戸谷地区各区長から静岡鉄道に蔵田行バスの増発の懇請書が提出された。[48]
    • 1964年(昭和39年)- 大久保まで延伸した。[49]
    • 1977年(昭和52年)2月の路線図では藤枝大手・営業所発着に加えて藤枝駅前発着の系統が存在している。[34]
      • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 千才 - 茶町 - 清水山入口 - 矢崎橋 - 中山 - 瀬戸ノ谷小学校前 - 中里 - 市ノ瀬上 - 蔵田 - 大久保
      • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 志太温泉 - 矢崎橋 - 中山 - 瀬戸ノ谷小学校前 - 中里
      • 静鉄藤枝営業所 - 藤枝大手 - 千才 - 茶町 - 清水山入口 - 矢崎橋 - 中山 - 瀬戸ノ谷小学校前 - 中里 - 市ノ瀬上 - 蔵田 - 大久保
      • 静鉄藤枝営業所 - 藤枝大手 - 千才 - 茶町 - 清水山入口 - 矢崎橋 - 中山 - 上滝沢
    • 1981年(昭和56年)3月に日本ビクター藤枝工場が操業を開始し「葉梨線」を経由して日本ビクターへの乗り入れを開始した。また、同年には金吹橋が竣工し、志太温泉経由が矢崎橋経由から金吹橋経由に変更された。
    • 1985年(昭和60年)4月の時刻表では 志太温泉経由の中里発藤枝駅前行が朝1便のみ、上滝沢 - 日本ビクター区間便が朝晩の1往復が設定されていた。[50]
      • 藤枝駅系統
        • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 千才 - 茶町 - 清水山入口 - 矢崎橋 - 中山 - 上滝沢
        • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 千才 - 茶町 - 清水山入口 - 矢崎橋 - 中山 - 瀬戸ノ谷小学校前 - 中里 - 市ノ瀬上
      • 藤枝駅系統 区間便
      • 藤枝駅系統 志太温泉経由
      • 大手・藤枝営業所系統
        • 静鉄藤枝営業所 - 藤枝大手 - 千才 - 茶町 - 清水山入口 - 矢崎橋 - 中山 - 上滝沢
        • 静鉄藤枝営業所 - 藤枝大手 - 千才 - 茶町 - 清水山入口 - 矢崎橋 - 中山 - 瀬戸ノ谷小学校前 - 中里 - 市ノ瀬上 - 蔵田 - 大久保
      • 大手・藤枝営業所系統 区間便
      • 葉梨線直通 日本ビクター系統
        • 日本ビクター - 藤枝大手 - 千才 - 茶町 - 清水山入口 - 矢崎橋 - 中山 - 上滝沢
    • 1986年(昭和61年)瀬戸ノ谷小学校前 - 大久保、並びに中山 - 上滝沢区間の廃止計画が静岡鉄道から藤枝市に伝達されたが、児童生徒、園児の通学通園のため、昭和62年度より欠損補助方式によって存続することが決定した。[43]
    • 1987年(昭和62年)の時刻表ではそれまで藤枝営業所発着のみだった蔵田系統に藤枝駅前発着の系統が誕生している一方で、藤枝駅前 - 上滝沢系統と中里発着の系統が廃止されている。平日の藤枝営業所発着便は藤枝営業所発が15便、藤枝営業所着が14便となっている。また「市ノ瀬上」停留所はびく石登山口に名称変更されている。[51]
    • 1993年(平成5年)4月の時刻表では、平日の藤枝大手、藤枝営業所系統が1987年(昭和62年)には1日14.5往復あったものが5往復まで減便される一方で、藤枝駅系統は藤枝駅前着17便、藤枝駅前発14便にまで増加している。また志太温泉経由が廃止され、日本ビクター直通便も清水山入口まで区間縮小されている。[52]
    • 1998年(平成10年)5月25日 - 静岡鉄道から藤枝市に対して「藤枝市内におけるバス路線廃止・再編成計画について」の申し入れが行われ、「葉梨線」「志太温泉線」「駿河台線」等と共に路線の再編や藤枝市立総合病院への乗り換え無しでの乗り入れが協議された。[45]
    • 1999年(平成11年)4月1日 - 減便の一方で、1日6本が藤枝市立総合病院への乗り入れを開始した。[46]
    • 2003年(平成15年)4月1日 - 7月にオープンする「瀬戸谷温泉ゆらく」への誘客のため、平日2本、土日祝日6本の増発を行い、平日13本、土日祝日5本の瀬戸谷小学校止まりが中里まで延伸した。これに伴い、瀬戸谷温泉施設「ゆらく前」バス停留所には平日往路16本、復路18本、土日祝日は往路16本、復路13本が停車した。[53]また、1999年(平成11年)に廃止された「中部国道線A」の市役所経由が瀬戸ノ谷線に組み入れられ、4年ぶりに市役所経由が復活した。なお、藤相田沼街道を経由するルートは廃止され、かつての「代行バス大手線」の藤枝駅発青木経由と同ルートの経由であった。[54][55]
    • 2006年(平成18年)4月1日 - しずてつジャストライン岡部営業所に移管された。
    • 2007年(平成19年)3月末の運行を以って瀬戸ノ谷小学校 - 大久保間、中山 - 上滝沢間が廃止され、藤枝市自主運行バスへと移行した。これに伴い藤枝駅系統の藤枝駅 - 瀬戸ノ谷小学校区間のみとなった。
    • 2009年(平成21年)3月末の運行を以って全線が廃止され、同地域の路線は藤枝市自主運行バスへと完全移行した。

志太温泉線

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  • 概説
    • 藤枝駅 - 大手間を志太温泉を経由して結ぶ1日数本の路線であったが、1970年代以降に県道32号に沿って茶町、音羽町エリアで大規模な宅地造成が行われことから増便された路線である。
    • 1980年代以降は藤枝大手から藤枝駅前への中心(ハブ)ターミナルの移行期であったため、1980年代後半からは循環系統の開設によって便数を維持していたが、「瀬戸ノ谷線」などとの重複区間が多いため、それらの路線の減便により、たびたび経路やダイヤの再編が行われた。
    • 現在は藤枝市の欠損補助により循環路線として運行されている。
  • 沿革
    • 1958年(昭和33年)12月現在の時刻表では、次の経路を運行していた。[40]
    • 1973年(昭和48年)の時刻表では、1日4往復の運行であった。[56]
    • 1974年(昭和49年)10月 - 静鉄不動産によって旭ヶ丘 275区画が分譲されるなど、茶町、音羽町地区の宅地開発が進行した。[25]
    • 1977年(昭和52年)2月の路線図では、次の経路を運行していた。[34]
      • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 瀬古 - 志太温泉 - 堀の内農協前 - 矢崎橋 - 清水山入口 - 茶町 - 千才 - 藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所
    • 1981年(昭和56年)金吹橋が完成し、矢崎橋経由から金吹橋経由にルート変更された。[57]
    • 1985年(昭和60年)4月の時刻表では 次の経路を運行しており、平日は上り19本、下り17本が運行されていた。[58]
      • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 瀬古 - 志太温泉 - 金吹橋 - 清水山入口 - 茶町 - 千才 - 藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所
    • 1987年(昭和62年)4月1日 - JR発足時のダイヤ改正では、フリークエントサービスの試みとして藤枝駅前を起終点とする循環系統が誕生しており、平日は藤枝営業所系統が上り23本、下り19本に加えて、循環系統の瀬古まわりが11便、千才まわりが5便運行されていた。
      • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 瀬古 - 志太温泉 - 金吹橋 - 清水山入口 - 茶町 - 千才 - 志太温泉入口 - 藤枝駅前
      • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 瀬古 - 志太温泉 - 金吹橋 - 清水山入口 - 茶町 - 千才 - 藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所
    • 1993年(平成5年)4月の時刻表では、平日は藤枝営業所系統が1日8往復、循環系統が瀬古まわりが1日8便、千才まわりが9便まで減便されている。[59]
    • 1998年(平成10年)5月25日 - 静岡鉄道から藤枝市に対して「藤枝市内におけるバス路線廃止・再編成計画について」の申し入れが行われ、既に藤枝市からの欠損補助が行われていた「瀬戸ノ谷線」「葉梨線」等と共に路線の再編が協議された。[45]
    • 1999年(平成11年)4月1日 - 「瀬戸ノ谷線」「葉梨線」「大手市立病院線」と共に重複区間の運行が見直され、循環系統が廃止された。
      • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 瀬古 - 志太温泉 - 金吹橋 - 清水山入口 - 茶町 - 千才 - 藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所
    • 2006年(平成18年)4月1日 - 岡部営業所に移管された。
    • 2009年(平成21年)4月1日 - 「瀬戸ノ谷線」の廃止を機に路線再編が行われ、藤枝市役所経由で循環系統が復活した。[60]
      • 藤枝駅前 - 志太温泉入口 - 瀬古 - 志太温泉 - 金吹橋 - 清水山入口 - 茶町 - 千才 - 商工会議所 - 藤枝市役所 - 藤枝駅前

駿河台線

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  • 概説
    • 1984年(昭和59年)1月に藤枝駅北西部の高台に駿河台の分譲が開始され、これに伴い開設された路線である。[29]
    • 1980年代後半から1990年代半ばにかけて宅地開発に加え、現在の静岡産業大学藤枝市立総合病院等の施設が開設されたため通勤需要に加えて通学、通院需要が創出されていった。
    • 1990年代末期から2000年代にかけては路線再編により他の路線から「駿河台線」直通で藤枝市立総合病院へ乗り入れる系統が誕生した。
    • 開設当初は中型バスによる高頻度ダイヤを組んでいたが、現在は他の路線からの直通便も含めツーステップバスから大型ノンステップバスまで運用車両が多様化している。
    • 岡部営業所に移管後の2009年(平成21年)には藤枝エミナース閉館に伴い藤枝市立総合病院 - 藤枝エミナース区間が廃止された。
  • 沿革

大手市立病院線

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  • 概説
    • 1995年(平成7年)に藤枝市立志太病院が藤枝市駿河台に移転新築し藤枝市立総合病院となったこと伴い、藤枝市からの強い要望によって大手、西益津、平島地区からの乗り換えなしでのアクセス向上のために開設された。[62]
    • 他の病院乗り入れ路線との重複区間が多く非効率路線であったため、開設4年で欠損補助が開始され、岡部営業所移管後の2008年には運行委託方式の自主運行路線となり、2010年に廃止された。
  • 沿革
    • 1995年(平成7年)4月1日 - 開設当初は1日15本が運行されていた。[61]
      • 藤枝市立総合病院 - 保健センター前 - 谷稲葉入口 - 金吹橋 - 千才 - 藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所
      • 藤枝市立総合病院 - 保健センター前 - 谷稲葉入口 - 金吹橋 - 千才 - 以降ループ区間(藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所 - 郡 - 平島中 - 平島団地 - 上当間 - 八幡橋 - 藤岡入口 - 藤枝大手)
    • 1998年(平成10年)「乗合バス不採算路線計画」における事業者単独で維持できない不採算路線として静岡鉄道から藤枝市に廃止の申し出が行われ、協議の結果、翌年度より藤枝市による欠損補助にて路線が維持される事となった。
    • 2006年(平成18年)4月1日 - 岡部営業所に移管された。
    • 2007年(平成19年)4月13日 - 「中部国道線」や「志太温泉線」、藤枝市自主運行バス「藤岡市立病院線」などとの重複区間が多く非効率な路線となっていたため、しずてつジャストラインから静岡県生活交通確保対策協議会に退出意向の申し出が行われた。[63]
    • 2008年(平成20年)4月1日 - 欠損補助方式から運行委託方式の自主運行バスに変更された。[64]
      • 藤枝市立総合病院 - 千才 - 以降ループ区間(藤枝大手 - 藤枝大手一丁目 - 郡 - 平島中 - 平島団地 - 上当間 - 八幡橋 - 藤岡入口 - 藤枝大手)
    • 2010年(平成22年)3月末をもって廃止され、4月からは藤枝市自主運行バス「藤枝駅平島線」と共に路線再編が行われ「城南平島線」に承継された。[60][65]

藤枝吉永線

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藤枝忠兵衛線

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  • 概説
  • 沿革
    • 1977年(昭和52年)2月の路線図では「忠兵衛飯淵線」が上新田中まで区間短縮され、上新田辻 - 飯淵間は「藤枝吉永線」に整理統合されており、路線名も「藤枝忠兵衛線」に変更されている。[34]
    • 1978年(昭和53年) 旧大井川町上泉地区につつじ平団地(戸建て320戸、雇用促進住宅80戸)が造成され、反転地とバス待機場が整備され、大洲小学校前系統がつつじ平団地行となった。
    • 1982年(昭和57年)科研化学が科研製薬に社名変更されたこと受け、停留所名が変更された。
    • 1984年(昭和59年)4月の路線図では次の2系統が確認できる。また、島田営業所の管轄する「細島線」が藤枝駅まで乗り入れている。[57]
    • 1985年(昭和60年)の時刻表では平時1日30往復が運行されているが、つつじ平団地 - 藤枝営業所の直通便は藤枝営業所行5本、つつじ平団地行3本のみとなっている。[70]
    • 1993年(平成5年)4月の時刻表では休校日運休で県立藤枝養護学校通学便が設定されていた。また、つつじ平団地 - 藤枝営業所の直通便は、平日が日中の藤枝営業所発つつじ平団地行1本のみ、日曜祝日が藤枝営業所行2本、藤枝営業所発3本となっている。
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 千才 - 藤枝駅前 - 文化センター前 - 喜多町 - 青島中学入口 - 県立藤枝養護学校 - 忠兵衛 - 大洲小学校前 - 大洲中学校入口 - 弥左エ門 - つつじ平団地
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 千才 - 藤枝駅前 - 文化センター前 - 喜多町 - 青島中学入口 - 県立藤枝養護学校 - 忠兵衛 - 日清紡 - ニチビ工場 - 科研製薬 - 持田製薬 - ネッスル工場
    • 1998年(平成10年)静岡鉄道から「乗合バス不採算路線計画」における事業者単独で維持できない不採算路線として忠兵衛 - ネッスル工場区間の廃止意向が藤枝市に伝えられた。
    • 1999年(平成11年)4月1日 - 藤枝市による欠損補助路線となり、「駿河台線」を経由して藤枝市立総合病院への乗り入れを開始した。[71]
    • 2006年(平成18年)4月1日 - 岡部営業所に移管された。
    • 2007年(平成19年)4月13日 - 静岡県生活交通確保対策協議会にしずてつジャストラインから退出意向の申し出が行われた。[63]
    • 2008年(平成20年)4月1日 - 欠損補助から委託方式による自主運行バスに移行し、運行経路の見直しの上で藤枝市自主運行バス「藤枝善左衛門線」として運行を開始した。

休廃止路線

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国道本線

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中部国道本線

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概説

沿革

  • 1959年(昭和34年)10月現在の時刻表には、「国道本線」の分離区間にそれぞれ「西部国道本線」「中部国道本線」「東部国道本線」として路線名が記載されている。また、国道1号新国道(現在の県道381号)開通により急行は新道経由とする一方、藤枝駅 - 水守間は旧東海道を各駅停車し水守 - 静岡間は急行同様に一部停留所のみに停車する準急が新たに誕生している。なお、新国道への移行期であったため、各駅停車の水守 - 轟橋間では旧国道(現・県道208号)を経由する系統が複数存在した。なお、同年11月28日には新宇都ノ谷トンネルが竣工し、[85]各系統ともに12月に増強予定と記載されており、当時の旺盛な需要を窺い知ることができる。[20][86]
    • 急行停車停留所
      • 静岡駅前 - 県民会館前 - 仲町 - 安倍川橋 - 手越 - 岡部北口 - 岡部役場前 - 法ノ橋 - 水守 - 大手駅前 - 岡出山入口 - 青木 - 藤枝駅前 - 六合公民館前 - 御仮屋 - 島田五丁目 - 島田三丁目 - 島田駅前 - 大井川公園前 - 扇町 - 仲町 - 金谷駅前
    • 準急(静岡駅前 - 藤枝駅前間 旧市内経由、水守 - 藤枝駅前間各停留所に停車)
      • 静岡駅前 - 県民会館前 - 仲町 - 安倍川橋 - 手越 - 細工所入口 - 岡部北口 - 岡部役場前 - 水守 -(この間旧道各駅停車)- 藤枝駅前
    • 各駅停車
      • 水守 - 静岡間新道経由
      • 八幡橋旧道他新道経由
      • 横内旧道経由
      • 全区間旧道経由
  • 1962年(昭和37年)4月23日 - 前年の国道1号新道駿河大橋の開通に伴い、丸子旧道(細工所)と駿河大橋を経由する静岡駅前 - 二軒家の区間系統を「丸子線」として分離増強した。これに伴い「中部国道本線」は静岡駅前 - 宇都ノ谷の区間系統を除き、全て丸子新道(細工所入口)経由となった。
  • 1963年(昭和38年)
  • 1965年(昭和40年)10月1日 - 同日改正の時刻表では、宇都ノ谷峠(廻り沢入口 - 宇都ノ谷入口間)の運行は全て新宇都ノ谷トンネルを経由しており、通学系統として宇都ノ谷 - 静岡駅間に旧道経由の区間便が1日6往復運行されていた。[91]
  • 1966年(昭和41年)5月10日 - 新静岡に新バスターミナルが完成し、乗り入れを開始した。また5日後には新静岡センターが開業した。[87]
  • 1969年(昭和44年)3月15日 - 東名高速道路の開通を機に遠州鉄道との相互乗り入れで「特急東名静岡浜松線」が開設されたことを受け、「急行静岡浜松線」が大幅に減便された。
  • 1960年代後半 時期不詳 - 宇都の谷 - 二軒家 間の旧道経由が丸子営業所の管轄する「丸子線」に分離統合された。また、長距離運行による遅延解消のために新静岡 - 藤枝駅区間と藤枝駅 - 金谷駅区間に系統が分割された。

藤枝線、大手線

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  • 概説
    • 藤枝自動車商会が開設した東海道本線藤枝停車場(旧青島町)と大手(旧藤枝町)を結ぶ路線であった。藤相鉄道大手線との競合路線のため大正時代に藤相鉄道が傘下に収め、同社が乗合自動車事業を開始した最初の路線のひとつであった。
    • 静岡鉄道駿遠線の大手線廃止直後は「大手線」として複数の系統が存在したが、他の路線との重複が多かったことから1970年代以降は田沼街道と藤枝市役所を経由する系統に集約され、さらに1980年代からは「藤枝平島団地線」に再編され路線名としては消滅した。以降は藤枝駅 - 藤枝営業所区間の系統は「中部国道線」「志太温泉線」「藤枝平島団地線」の3路線となった。
  • 沿革
    • 1924年(大正13年)- 藤相鉄道が藤枝自動車商会を買収し、藤枝駅 - 大手間の路線免許を手に入れた。
    • 1934年(昭和9年)- 藤相鉄道の時刻表では「藤枝線」として藤相鉄道大手線と併行して藤枝駅 - 大手間を運行していた。[5][47]
      • 藤枝駅 - 大手
    • 1964年(昭和39年)9月26日 - 静岡鉄道駿遠線の大手線(新藤枝 -大手間)が廃止となり、翌27日より「大手線代行バス」として藤枝駅 -大手間の運行が開始された。4つの系統が存在した。また朝7時 - 8時代の藤枝駅発大手行は新藤枝駅構内発で青木を経由せず田沼街道経由となっていた。[92][93]
      • 藤枝駅前
        • 旧道経由:藤枝駅前 - 青木 - 志太温泉入口 - 瀬戸川橋 - 上伝馬 - 千才 - 市役所前 - 長楽寺 - 白子 - 藤枝大手
        • 慶全寺経由:藤枝駅前 - 青木 - 岡出山入口 - 藤枝警察署前 - 慶全寺前 - 白子 - 藤枝大手
        • 本町経由:藤枝駅前 - 青木 - 岡出山入口 - 本町駅 - 千才 - 市役所前 - 長楽寺 - 白子 - 藤枝大手
        • 新道経由:藤枝駅前 - 岡出山入口 - 藤枝警察署前 - 大手駅前 - 藤枝大手
      • 新藤枝駅構内発
        • 旧道経由:新藤枝 - 志太温泉入口 - 瀬戸川橋 - 上伝馬 - 千才 - 市役所前 - 長楽寺 - 白子 - 藤枝大手
        • 慶全寺経由:新藤枝 - 岡出山入口 - 藤枝警察署前 - 慶全寺前 - 白子 - 藤枝大手
        • 本町経由:新藤枝 - 岡出山入口 - 本町駅 - 千才 - 市役所前 - 長楽寺 - 白子 - 藤枝大手
        • 新道経由:新藤枝 - 岡出山入口 - 藤枝警察署前 - 大手駅前 - 藤枝大手
    • 1966年(昭和41年)6月1日 - ワンマン運行を開始した。[94]
    • 1973年(昭和48年)8月 - 岡出山一丁目に藤枝市役所新庁舎が新築移転し本町停留所が市役所前に移転し市役所前となった。
    • 1974年(昭和49年)の時刻表では「大手線」として平日12往復、日祝日5往復の運行であった。
    • 1977年(昭和52年)2月の路線図では次の経路を運行していた。[34]
      • 藤枝駅前 - 公園前 - 農協前 - 東小入口 - 岡出山入口 - 市役所前 - 千才 - 藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所
    • 1980年(昭和55年)3月16日 - 平島団地まで延伸し「藤枝平島団地線」となった。[95]以降は藤枝駅前 - 静鉄藤枝営業所の区間便を運行する路線は「中部国道線」「志太温泉線」「藤枝平島団地線」の3路線となった。
      • 上伝馬経由(中部国道線)
        • 藤枝駅前 - 青木 - 志太温泉入口 - 瀬戸川橋 - 上伝馬 - 千才 - 藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所
      • 志太温泉・音羽町経由(志太温泉線)
        • 藤枝駅前 - 青木 - 志太温泉入口 - 瀬古 - 志太温泉 - 金吹橋 - 清水山入口 - 茶町 - 千才 - 藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所
      • 市役所経由(藤枝平島団地線)
        • 藤枝駅前 - 公園前 - 農協前 - 東小入口 - 岡出山入口 - 市役所前 - 千才 - 藤枝大手 - 静鉄藤枝営業所

藤枝平島団地線

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さかなセンター線

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飯淵線

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忠兵衛飯淵線

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  • 概説
  • 沿革
    • 1959年(昭和34年)の路線図および時刻表では次の経路を運行していた。[20]
    • 1961年(昭和37年)10月1日 - 静浜基地前行・基地前経由が開設された。[98]
    • 1963年(昭和38年)に科研化学(現・科研製薬)静岡工場と日本ビニロン静岡工場(現 ニチビ)、1967年(昭和42年)には日清紡藤枝事業所、さらには1972年(昭和47年)に持田製薬静岡工場が操業を開始するなど、忠兵衛から大井川左岸にかけて工場進出が相次ぎ、科研化学行の系統が誕生している。[99]
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 藤枝駅前 - 忠兵衛 - 上新田中 - 上新田辻 - 静浜基地入口( - 静浜基地前- ) - 白金 - 吉永辻 - 飯渕
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 藤枝駅前 - 忠兵衛 - 科研化学前
    • 1973年(昭和48年)1月現在の時刻表では、 次の2系統が運行されており、朝7時代に平日のみ運行の静浜基地入口発藤枝行が2本、静浜基地経由が7時代下り1本、17時代上り1本の1日1往復が運行されていた。また同年ネッスル日本(現・ネスレ日本)静岡工場が進出し、科研化学前系統がネッスル前まで延伸した。[56]
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 藤枝駅前 - 忠兵衛 - 上新田中 - 上新田辻 - 静浜基地入口( - 静浜基地前- ) - 白金 - 吉永辻 - 飯渕
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 藤枝駅前 - 忠兵衛 - 日清紡前 - ニチビ工場前 - 科研化学前 - ネッスル前
    • 1977年(昭和52年)2月の路線図では上新田 - 飯淵間が「藤枝吉永線」に整理され、上新田中まで区間短縮された上で路線名も「藤枝忠兵衛線」となっている。[34]
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 藤枝駅前 - 喜多町 - 青島中学入口 - 職業訓練所 - 忠兵衛 - 大洲小学校前 - 弥左エ門 - 上新田中
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 藤枝駅前 - 喜多町 - 青島中学入口 - 職業訓練所 - 忠兵衛 - 日清紡前 - ニチビ工場前 - 科研化学前 - ネッスル前

高洲飯淵線

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代行バス駿遠線、駿遠線

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  • 概説
    • 1970年(昭和45年)7月31日 - 新藤枝駅 - 大井川駅間の運行を以って静岡鉄道駿遠線が全線廃止となり、翌8月1日から同区間で代行バスの運行を開始した。なお、既に廃止となっていた相良営業所が所管する大井川 - 堀野新田区間の代行バスは全て新藤枝発着となり、藤枝営業所が所管する大井川を起終点とする系統以外は大井川駅跡の反転地には乗入れせず、国道150号沿いの大井川(大井川駅前)停留所を経由した。[100][101]

藤枝大井川線

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藤枝御前崎線

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  • 概説
    • 1968年(昭和43年)から1970年(昭和45年)にかけて廃止となった静岡鉄道駿遠線の新藤枝駅 - 堀野新田区間の代行バスと他の相良、御前崎方面から藤枝駅を結んでいた路線を整理統合して誕生した路線であり、藤枝営業所は朝の大井川発の区間便を担当していた。

住吉線、坂部線、住吉坂部循環線

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  • 概説
    • 昭和初期に藤相鉄道が区間の競合する藤枝駅 - 相良間のバス路線を買収し、藤相線沿線の鉄道空白地帯である現在の牧之原市坂部地区吉田町の住吉、川尻などのエリアを補完する路線として運行していた。
    • 戦後は藤枝営業所の管轄で「住吉線」「坂部線」が開設され、一時は「住吉坂部循環線」として藤枝大手を起終点とするラケット状の循環路線となったが1960年代以降、静波駅 - 高尾系統の開設と榛原車庫の開設を機に藤枝大手から藤枝駅発着に区間を短縮し、藤枝営業所から相良営業所へ移管された。

志太病院線

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  • 概説
  • 沿革
    • 1958年(昭和33年)12月現在の時刻表では次の経路を運行していた。[40]
    • 1973年(昭和48年)の時刻表では平日6往復、日祝日5往復が運行されていた。 [56]
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 千才 - 藤枝駅前 - 喜多町 - 青島小学校入口 - 青島中学校入口 - 藤枝南高前 - 志太病院前
    • 1975年(昭和50年)4月 - 藤枝駅南口が開設された。
    • 1977年(昭和52年)の路線図では藤枝駅から循環区間となっている。
      • 藤枝営業所 - 藤枝大手 - 千才 - 藤枝駅前 - 喜多町 - 青島小学校入口 - 青島中学校入口 - 藤枝南高前 - 志太病院前 - 田沼一丁目 - 藤枝駅前
    • 1978年(昭和53年)12月16日 - 1日2往復(午前のみ)となっていた運行を廃止した。[102]

高田線、藤枝玉取線

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  • 概説
    • 藤枝大手から薮田、高田地区を経由して岡部町の村良を結ぶ路線であった。
    • 1960年代から70年代にかけては「朝比奈線」の小布杉まで延伸したが利用者減少により廃止されている。
    • なお、薮田、高田地区では2010年(平成22年)4月から藤枝市自主運行バス「藤枝岡部線」が運行されたが利用者は伸び悩み、2013年(平成25年)4月よりデマンドタクシーに移行している。[103]
  • 沿革
    • 1958年(昭和33年)12月現在の時刻表では「高田線」として次の経路を1日5往復運行していた。[40]
      • 藤枝大手 - 中薮田中 - 高田 - 村良
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では、朝の玉取発藤枝大手行、17時代の藤枝大手発玉取行の1日往復のみの運行で「朝比奈線」の時刻表に藤枝大手経由として掲載されており焼津営業所に移管されている。
    • 1977年(昭和52年)2月の路線図では「藤枝玉取線」として次の経路が記載されていた。[34]
      • 静鉄藤枝営業所 - 藤枝大手 - 五十海 - 押切橋 - 中薮田中 - 高田 - 村良 - 玉取 - 小布杉
    • 1984年(昭和59年)4月の路線図からは消滅している。(廃止時期不詳)[57]

車両

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1960年代

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  • 中扉のツーマン車が導入されたが、60年代後半にはワンマン化のため前扉の増設改造をする車両もあった。[104]
  • 基本的にローカル路線にはリーフサス仕様の緑色とアイボリーの車両(三菱ふそうMR)、基幹路線である「中部国道本線」にはエアサス仕様のローズピンクにクリーム色の車両(三菱ふそうMR・MAR)が多数投入されたが、呉羽車体を架装したものが多数派であった。[105]
  • 1969年(昭和44年)には車体のカラーも銀色に東急バスと同じ塗り分けで赤帯部分を青色とした通称「銀バス」に一新され、以降は以前に導入された車両も順次塗り替えが行われた。ローズピンクとアイボリーの貸切・急行カラーの内、当初から路線用として導入された車両(三菱ふそうMR・MAR)は銀バス塗装となった。[106][104]

1970年代

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  • 1970年(昭和45年)からは前扉直後に車掌台と車掌窓を装備した前後折戸のワンマンツーマン兼用車が導入されると共に、ローカル路線の狭隘区間でツーマン運用される車両を除き、以前の導入車も前扉を増設しワンマン機器を取り付ける改造が行われた。
  • 1973年(昭和48年)まではワン・ツーマン兼用車が投入されたが、以降は転入車両を除きワンマン専用車(三菱ふそうMR450呉羽・富士重工)の導入となった。
  • 山間路線には狭隘区間が存在したため、1970年代後半から1980年代初頭にかけてバックアイカメラ・モニタを装備した三菱ふそうの大型ショートや中・小型タイプの車両を投入することによりワンマン化を行った。
  • メーカーは三菱ふそうの比率が圧倒的で一部いすゞBUが配置されていた。三菱ふそうは観光タイプを除いて呉羽車体と富士重工を架装し、いすゞ富士重工車体を架装していた。
  • 1978年(昭和53年)からは「中部国道線」用に直結冷房車(三菱ふそう MP117)が投入されるようになった。車体は非冷房時代と同様に呉羽または富士重工であった。

1980年代

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  • 依然として大型路線バスの車台メーカーは三菱ふそうの導入が継続した。1980年度下期に「中部国道線」に投入された排出ガス規制K-代のMP118も車体は富士重工で引違窓仕様であったが、三菱ふそうの路線用シャシの富士重工製の車体を架装したものはこれが最後となった。[107]
  • 1981年度に導入された2台は三菱車体で、路線シャシでありながら引違窓、観光マスク、ハイバックシート、エアサス仕様の中距離路線向けの冷房付ハイグレード車両(三菱ふそう MP518 )であった。
  • 中部国道線」には前折戸の観光バス(三菱ふそうB905N三菱車体、MS512N三菱車体)に折戸の後扉を増設し、路線仕様に改造した車両も投入されたが、前折戸のまま簡易方向幕とワンマン機器を装備した車両も登場し、藤枝地区のローカル路線で使用された。
  • 1985年(昭和60年)に三菱ふそうエアロスターが初導入された際には車体は三菱名自製のエアロスターMであったが、翌年以降は呉羽・新呉羽のエアロスターKが導入された。
  • 西部地区のローカル路線で余剰となった前扉の小型バス(三菱ふそう B623)が転入し、主に葉梨幼稚園のスクール運用で使用された。
  • 駿河台線」用に中型バス(三菱ふそう P-MK116J)が導入され、増備と共に狭隘区間のある山間路線でも運用されるようになった。また、静岡市内の冷房化によって余剰となった非冷房の大型ショート(三菱ふそう MM115)も「瀬戸ノ谷線」や「葉梨線」で運用された。[107]

1990年代

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  • 全般的に路線が縮小傾向にあったため、新車の投入が抑えられ、ハイグレード仕様の車両から標準的な二段サッシの車両の投入が基本となっていたが、1990年(平成2年)に投入された2台の三菱ふそうエアロスターKは引違窓で導入された。三菱ふそうエアロスターKに加え、いすゞの標準尺車(U-LV324L 富士重工7E車体)が投入されたが、1995年(平成7年)に導入された車両は短尺のV型8気筒エンジン搭載(KC-LV380L 富士重工7E車体)となった。
  • 中部国道線」用の新車投入の一方で、1970年代から80年代にかけて導入されたハイグレードタイプの冷房車が袋井や浜岡に転出し、1990年代前半に非冷房車を駆逐した。
  • 非冷房の大型ショート(三菱ふそうMM115)の更新用に大型ショートの冷房車(三菱ふそうP-MM116H)が静岡市内から転入した。[107][108]

2000年代

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1947年に貸切バス事業を開始して以降、1958年の機構改正が行われる迄の観光パンフレットの問合せ先に各営業所、営業区が記載されている。
  2. ^ 1959年(昭和34年)の時刻表に附した問合せ先一覧には、藤枝営業所の事務所の電話番号が大手と藤枝駅前の双方にあり、同時期の日本平観光案内・定期観光バス案内の問合せ先一覧には藤枝大手営業所と藤枝駅前営業所の記述がある。また、郷土写真集の藤枝駅前広場の今昔を比較した1959年頃の写真の解説には、現在の静岡銀行藤枝駅支店付近に静岡鉄道の藤枝営業所が所在したという記述が残る。
  3. ^ 1939年(昭和14年)6月1日改正の静岡乗合自動車の時刻表ならびに路線図・運賃表付の乗車券には、藤相鉄道からの路線と共に、金谷 - 藤枝 - 大手 - 岡部 - 静岡間に路線網が記載されている。

出典

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  1. ^ 総理府統計局 編『会社企業名鑑 昭和37年版』日本統計協会、1962年、998頁。 
  2. ^ 総理府統計局 編『会社企業名鑑 昭和40年版』日本統計協会、1965年、1415頁。 
  3. ^ a b 総理府統計局 編『会社企業名鑑 昭和43年版』日本統計協会、1968年、1768頁。 
  4. ^ 『写真で綴る静岡鉄道70年の歩み』静岡鉄道、1989年4月、63頁。 
  5. ^ a b c d 『鐡道自動車時刻表』藤相鐡道株式會社、1934年12月1日。 
  6. ^ 阿形 昭『歴史に残す静岡鉄道駿遠線』静岡新聞社、2015年3月19日、113頁。ISBN 978-4-7838-9893-1 
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  9. ^ 『静岡銀行史』静岡銀行、1960年5月31日、105頁。 
  10. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道株式会社、2020年3月、46-47頁。 
  11. ^ a b 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道株式会社、2020年3月、48頁。 
  12. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道株式会社、2020年3月、58-63頁。 
  13. ^ a b 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道株式会社、2020年3月、65-70頁。 
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  15. ^ 『激動の昭和史 : 静岡県 下巻 (戦後編)』静岡新聞社、1977年5月、34,39頁。 
  16. ^ a b 『写真で綴る静岡鉄道70年の歩み』静岡鉄道株式会社、1989年4月、80頁。 
  17. ^ a b 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道株式会社、2020年3月、69頁。 
  18. ^ a b 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道株式会社、2020年3月、70頁。 
  19. ^ 『写真で綴る静岡鉄道70年の歩み』静岡鉄道株式会社、1989年4月、162頁。 
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  25. ^ a b c 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道株式会社、2020年3月、286頁。 
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関連項目

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