しずてつジャストライン唐瀬営業所
しずてつジャストライン唐瀬営業所(からせえいぎょうしょ)とは、しずてつジャストラインの営業所の一つであり、静岡市葵区北部、東部を主に管轄する。ペットマークはコアラ。
所在地
[編集]420-0934 静岡市葵区岳美12番57号
- 営業時間:8:50 - 17:25
概説
[編集]静岡鉄道自動車部の静岡市内のバス路線を管轄する事業所として1970年代末期に開設され、2000年代にバス事業の分社化により静岡鉄道自動車部唐瀬営業所からしずてつジャストライン唐瀬営業所となり今日に至る。
1970年代以降、路線バスの利用者は減少の一途を辿って行くが、 静岡市平野部の北部に位置する千代田、麻機、竜南地域では、それまで水田や低湿地帯であった地区にも土地改良区による河川改修や土地区画整理事業によって、住宅団地や学校・病院等の建設が相次ぎ、流通団地や卸売市場が建設されるなど開発が進んだ結果、周辺人口が飛躍的に増大し、新たな系統の開設が進んでいた。[1]
当時、これらの地域を起終点とする路線は静岡国吉田営業所(静岡市国吉田)と静岡鳥坂営業所(清水市鳥坂)が主に所管しており、 1970年代前半までは国吉田営業所が主に市内のワンマン運行路線、鳥坂営業所が主にツーマン運行を要する市内狭隘路線や山間路線を所管していたが、1970年代半ば以降バックカメラが採用され、道路事情に合わせた中型バスの導入も行われた結果、市内の狭隘路線のワンマン化が完了したことから、[2]1970年代末期に静岡市岳美に車庫を開設し、国吉田営業所の管轄する同地域の路線運用の効率化を図ると共に、1980年代前半には車庫の拡張により鳥坂営業所の管轄する路線の一部も移管し、唐瀬営業所が開設された。
さらに1980年代末期にかけては、瀬名新田、足久保、麻機、麻機北、大浜などの郊外の起終点に車庫を分散化することで唐瀬営業所と小鹿営業所、鳥坂営業所が管轄路線の再編を行い、国吉田営業所が廃止された。
唐瀬営業所が主に所管する路線の沿線には静岡英和女学院、県立静岡高校、県立静岡城北高校、静岡市立高校、県立静岡東高校、常葉大学附属高校などの学校施設や、静岡県立こども病院、静岡県立総合病院、静岡神経医療センターなど病院施設が多数立地していたことから、1990年代半ばには、唐瀬営業所が所管していた「県立総合病院線」と小鹿営業所が所管していた「小黒富士見線」を統合した「県立病院高松線」が開設され、学校や病院、商業地と住宅地のアクセス向上が図られた。[3]
また、1990年代末期にはノンステップバスが唐瀬営業所と小鹿営業所に先行導入された一方で、規制緩和を前に大規模な廃止計画が発表され、近隣に「上足洗線」や「安東循環線」「県立病院高松線」が運行されており廃止による影響が少ないという理由から、唐瀬営業所管内では「城北線」が廃止された。[4]
2000年代にはバス事業の分社と静岡市の政令市移行、オムニバスタウンの指定を受け、「安東循環線」に「こしず」の愛称で小型のコミュニティバスが導入された。[5]以降、車両設備の近代化・バリアフリー化を進めたことにより、現在の在籍車両は貸切車両を除き全て低床車(ノンステップ・ワンステップバス)となっている。[6]また、唐瀬営業所の北西側に第二車庫が開設され、現在は「大浜麻機線」の起終点の麻機北、麻機、大浜の各車庫への車両の夜間留置は廃止されている。
沿革
[編集]- 1978年(昭和53年)頃 時期不詳 - 静岡市岳美に唐瀬車庫が開設された。
- 1983年(昭和58年)頃 時期不詳 - 唐瀬営業所が開設された。
- 1989年(平成元年)時期不詳 - 国吉田営業所が廃止された。
- 1994年(平成6年)-「県立総合病院線」と「小黒富士見線」を統合した「県立病院高松線」が運行を開始した。[3]
- 1999年(平成11年)4月 - 「城北線」が廃止された。
- 2002年(平成14年)10月1日 - バス事業の分社化に伴いしずてつジャストライン唐瀬営業所となった。
- 2004年(平成16年)-「安東循環線」にコミュニティバス「こしず」を導入した。
現在の所管路線
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
上足洗線
[編集]- 静岡駅前 - 新静岡 - 水落町もくせい会館入口常葉大学静岡水落キャンパス前 - 銭座町 - 上足洗 - 柳新田西 - 北安東保育園 - 県立総合病院(75) - 唐瀬営業所(76)
- 静岡市中心部から北街道沿いに進み、銭座町から上足洗地区を北上し唐瀬営業所を結ぶ路線。唐瀬営業所行は複数の系統が存在することから、誤乗防止として方向幕には「上足洗・県立病院経由」と表示される。平日、土休日関わらず日中は60分間隔。平日朝夕は約20~30分間隔で運行される。
- 24年10月のダイヤ改正で運用が共通化されてか、今まで中型車での運用がほとんどだったが大型車も頻繁に入るようになった。
唐瀬線
[編集]- 運行系統および主要停留所
- 概説
- 「北街道線」の三松から唐瀬街道(市道千代田麻機線)に分岐し唐瀬地区を結ぶ路線であり、高度経済成長により北安東、上足洗、城北地区の宅地化が進行した1950年代末期に、従来の市内循環線のさらに外縁を経由する準郊外路線として、市営バスとの競願の末に「池ヶ谷循環線」として開設された。[7]開設翌年には「麻機線」との重複区間を整理し、新静岡および静岡駅前周辺の渋滞緩和のために栄町、日吉町を経由して水落町から北街道に入り、三松を経由して静岡駅周辺と唐瀬地区を結ぶ「唐瀬線」となった。さらに1960年代半ばに新静岡センター新バスターミナルが供用を開始した際に、静岡駅を起点として新静岡から北街道に入る経路に変更された。
- 現在は、ほぼ終日にわたって平日20分間隔、土休日30分間隔で運行されており、朝夕ラッシュ時には、沿線の静岡市立高校、静岡中央高校への通学利用が多い。また、県立総合病院を経由する系統(78)が平日の朝7時代から8時代にかけて下りのみ運行されており、77系統の行先は「三松・県立病院入口経由」、県立総合病院経由は「県立総合病院・唐瀬(営)三松経由」と表示される。
- 沿革
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)6月16日 - 「池ヶ谷循環線」の静岡駅前 - 池ヶ谷 - 唐瀬 区間が併行する「麻機線」に整理統合され、残る唐瀬 - 横内 - 静岡駅前 区間が「唐瀬線」として分離された。併せて「安東循環」との付け替えにより旧電車通りから栄町、日吉町を経由し水落町に至る経路に変更された。
- 1962年(昭和37年)12月1日 - 静岡駅前周辺の渋滞緩和のため、北街道を併行する「北街道線」「竜爪山線」「上土線」「上足洗線」が「唐瀬線」と同様の栄町経由に変更された。[9]
- 1963年(昭和38年)
- 4月16日 - ラッシュ緩和を中心としたダイヤ改正により増回された。[10]
- 9月 - 静岡国吉田営業所に継承された。
- 1964年(昭和39年)5月1日 - 右折渋滞の回避のために唐瀬方面行きが伝馬町経由となった。
- 1966年(昭和41年)5月10日 - 新静岡センター新バスターミナルが供用を開始し、静岡駅 - 水落町の経路が北街道経由に変更された。
- 1972年(昭和47年)11月現在の路線図では次の経路を運行していた。
- 1983年(昭和58年)2月 - 唐瀬営業所の開設に伴い同営業所に移管された。
- 1993年(平成5年)- 城北の県消防学校跡地に県立静岡中央高校が開校した。
中原池ヶ谷線
[編集]大浜麻機線
[編集]- 運行系統および主要停留所
- 麻機(あさばた)北(73)・麻機(72) - 麻機小学校 - 唐瀬(74) - 北安東三丁目 - 記念碑前 - 安東小学校前 - 安東一丁目 - 長谷通り - 中町 - 新静岡 - 静岡駅前 - 馬渕三丁目 - 馬渕四丁目 - 見瀬Daiichi-TV入口 - 大浜(26)
県立病院高松線
[編集]- 唐瀬営業所(90(県立総合病院は通過))・県立総合病院(70) - 柳新田辻 - アイセル21 - 英和女学院前 - 中町 - 新静岡 - 静岡駅前 - 南郵便局ツインメッセ前 - 登呂コープタウン(県立総合病院発系統は20、唐瀬営業所発系統は22)
- 中原池ヶ谷線、大浜麻機線同様、静岡市葵区・駿河区を南北に結ぶ同社基幹路線のひとつである。日中は約15分間隔、夜間は30分間隔で運行される。
- 早朝・夜間には唐瀬営業所発着便(出入庫系統)が運行される。かつては唐瀬営業所発着便には県病を経由する便(88は唐瀬営業所行、21は登呂コープタウン行)と通過する便(90は唐瀬営業所行、22は登呂コープタウン行)があり、系統番号がそれぞれ別個に振られていたが、現在は県病を経由する便は上下ともに廃止され、県病を通過する便のみとなった。
- 早朝・夜間には、登呂コープタウン発静岡駅前止まりの区間便が数本設定されている。
- 登呂コープタウンバス停前後は、反時計回りでラケット状の運行経路となっている。
- かつては平日朝1便のみ登呂コープタウン発英和女学院止まり(79)があった。
- この路線も大浜麻機線と同じく小鹿営業所と丸子営業所の共管路線である。
- 2020年8月24日からは平日に限り、丸子営業所との共管となった。
こども病院線
[編集]- 運行系統および主要停留所
- 静岡駅前 - 新静岡 - 水落町もくせい会館入口常葉大学静岡水落キャンパス前 - 三松 - 下足洗(66) - 流通センター入口 - こども病院 - 静岡神経医療センター(67)
- 概説
- 沿革
- 1977年(昭和52年)
- 1983年(昭和58年)2月 - 唐瀬営業所の開設に伴い鳥坂営業所との共管路線となった。
- 1987年(昭和62年)- 「大浜麻機線」の水落町・こども病院入口経由(73)が「こども病院線」に統合された。
- 1990年(平成2年)8月 - 同月現在の系統図では唐瀬営業所の管轄路線となっている。
- 1998年(平成10年) - こども病院 - 麻機 区間が廃止された。 [11]
- 2001年(平成13年)10月 - 国立療養所静岡東病院と国立静岡病院が統合され国立療養所静岡神経医療センターが開設された。これに合わせて静岡神経医療センター停留所まで延伸した。
- 静岡駅前 - 新静岡 - 千代田小 - 流通センター入口 - こども病院 - 静岡神経医療センター(67)
日本平線
[編集]安倍線
[編集]- 新静岡 - 静岡駅前 - 籠上 - 中部運転免許センター北部体育館入口(110) - 相渕(112)
- 路線自体は免許センターから先、あさばた(109)(大浜麻機線との誤乗防止の為ひらがな表記)、相渕から先、有東木(114)・梅ヶ島温泉(116)・上落合(118)・横沢(119)まで繋がっているが、唐瀬の担当は最長でも相渕まで。基本的には中部運転免許センターまでの担当となっている。
- しばらくは鳥坂営業所のみの担当だったが、24年10月のダイヤ改正で唐瀬営業所との共同管轄に。
休廃止路線
[編集]安東循環線
[編集]- 運行系統および主要停留所
- 概説
- 1950年代後半に宅地化が進行する「東部循環線」外郭の大岩、安東地区を補完する路線として、市営バスとの競願問題の決着により新たに開設された循環路線である。住宅街は狭隘区間が多いため、運行経路の変更等がたびたび行われ、1980年代初頭からは中型バスによる運行が行われていた。
- 2000年代には静岡市のオムニバスタウン計画に基づき、小型バスの運行により住宅地と市街地をより細かく巡回することで高齢者等の需要を掘り起こす運行経路および運行形態の見直しが行われた。[12]
- 2010年代後半には運転士不足により運休となったが「駿府浪漫バス」の運行経路を一部変更することで、西千代田、城東保健福祉エリアなど路線空白地帯の解消を行った。
- 沿革
- 1958年(昭和33年)12月5日 - 静岡第二営業所の管轄で開設された。開設当初の停車停留所は次の通り。[13]
- 1959年(昭和34年)6月16日 - 新静岡 - 水落町区間の「唐瀬線」との付け替えにより栄町経由が廃止された。
- 1963年(昭和38年)9月 - 静岡国吉田営業所に承継された。
- 1964年(昭和39年)10月 - 右折渋滞解消のために仲町廻りのみの一方通行での運行となった。
- 1969年(昭和44年)5月16日 - 市内循環路線の再編が行われ「東部循環線」が「安東循環線」に整理統合され再び両まわりの運行となった。再編後には系統番号の再編に伴い中町まわりが1番、水落町まわりが2番となった。[14]
- 1981年(昭和56年)3月16日 - 中型バス(日野レインボーRJ)による運行を開始した。[15]概ね10分間隔で中町まわり1日80本、水落町まわりが78本の運行となった。
- 1983年(昭和58年)2月 - 静岡唐瀬営業所に移管された。
- 1990年(平成2年)- バスロケーションシステムが導入された。
- 2001年(平成13年)3月 - 圧縮天然ガス(CNG)車1台が導入され、4月から運行を開始した。[16]
- 2004年(平成16年)4月 - オムニバスタウン計画の一環として路線の見直しが行われ、呉服町商店街を経由することで住宅地と中心市街地(繁華街)を結ぶなど一部運行経路が変更された。これにあわせて「こしず」の愛称で小型バス(日野・ポンチョ)4台が導入され、毎時20間隔での運行を開始した。[12]
- 2010年(平成22年)-「こしず」の専用車の一部が初代ポンチョから2代目となる現行モデルのポンチョに置き換えられた。
- 2015年(平成27年)2月16日 - 20分間隔から40分間隔に減便された。水落町まわりの便のうち、平日のみ静岡駅前9時 - 14時10分発の便は城東保健福祉エリア・浅間通り・呉服町経由、土休日は全て城東保健福祉エリア入口・八千代町経由で運行されていた。
- 2017年(平成29年)3月26日 - 運行が休止された。
- 2019年(平成31年)4月1日 - 丸子営業所の所管する「駿府浪漫バス」が、運行経路の一部変更により「安東循環線」の一部区間を承継した。
大岩安東循環
[編集]- 新静岡→県庁前(当時)→中町→赤鳥居→大在家→記念碑→安東一丁目→NHK前→中町→県庁前→新静岡(3)
- この路線は新静岡から臨済寺まで中原池ヶ谷線と同じ経路を走り、大在家で右折し記念碑で大浜麻機線に合流するという経路をたどっており、国吉田営業所より移管を受けたものであった。なお、逆ルートの運行は行なわれなかった。
県立総合病院線
[編集]- 運行系統および主要停留所
- 概説
城北線
[編集]東静岡県立病院線
[編集]- (151)東静岡駅北口 - 長沼 - 農業高校前 - 千代田 - 東部公民館入口 - 竜南一丁目東 - 柳新田 - 県立総合病院 - 唐瀬営業所(156)
- 平日ダイヤのみの運行。東静岡駅北口行きの前面方向表示機の配色は、静岡駅方面行きとの誤乗防止のため、LEDの橙色と黒を反転させた表示のものであった。
- 2008年(平成20年)3月 - 廃止された。
新静岡セノバ直行便麻機号
[編集]- 麻機北→《この間各バス停停車》→安東小学校→《この間ノンストップ》→県庁・静岡市役所葵区役所→新静岡
- 2011年10月15日から新静岡セノバへの直行便として運転を開始した。
- なお、新静岡→麻機北行きのバスも運行されていたが、こちらは新静岡→長谷通り間バス停を通過(北街道、静岡環状線経由)、長谷通りから各バス停停車となっていた。
- 休日ダイヤのみの運行。
- 2012年10月28日の運転をもって廃止。
車両
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
1990年代
[編集]- 1997年には中型車の更新のために富士重工8Eを架装したいすゞ・LR(KC-LR333J)が7台投入された。なお、この車両が静岡鉄道が最後に導入したツーステップ車両である。
- 1998年には静岡鉄道初のノンステップ車両(KC-MP747K)が1台投入された。翌1999年にも同形式が4台、2000年には標準尺となった車両(KC-MP747M)が3台投入された。また同年には日産ディーゼル製の中型ロング車両(KL-JP252NAN改)が2台投入された。
2000年代
[編集]- 静岡市がオムニバスタウンに指定されたことで、市内の営業所には低床車が大量に配置されることとなる。
- 2001年には大型・中型ロングのノンステップ車両が1台ずつ配置された他、日産ディーゼル製の中型CNGノンステップバス(KK-RM252GAN改)が1台配置された。[16]
- 2003年から2004年にかけて既存のツーステップ車両のうち、側面方向幕が大型になった1988年以降に製造された車両を対象に方向幕をLED行先表示器に換装する工事が行われた。
- 2004年には三菱ふそうエアロスター(KL-MP35JM)が6台配置された。
- 2005年春にはいすゞエルガ(KL-LV280N1改)と日産ディーゼルUA(KL-UA452MAN改)が8台ずつ、夏には日野ブルーリボンシティが7台と、低床車が一挙に23台配置された。これにより、従来配置されていたツーステップ車両の大多数が焼津や藤枝営業所に転出した。
- 2009年には5年振りのノンステップ車両(PKG-KV234N2)が2台配置された。
2010年代
[編集]- ノンステップ車両が続々と配置され、他の営業所よりも早いペースで低床化が進行した。
- 2011年には初のハイブリッドノンステップ車両(LJG-HU8JLGP)が配置されたが、すぐに鳥坂営業所に転出した。
- 中型車の低床化をすすめるために2012年にワンステップ車両(SDG-LR290J1)が4台配置された。これにより一部の車両が西久保や丸子営業所に転出した。
- 2015年にはCNGタンクの使用期限が切れたため、CNG車両が廃車となった。
- 2017年には安東循環線が休止となり、中型車両が岡部や相良営業所に転属した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 安本博 編『千代田誌』千代田誌をつくる編集委員会、1984年10月1日、79-81,566-567頁。
- ^ 加藤 佳一『BJニューハンドブックス No.39 しずてつジャストライン』BJエディターズ、2003年5月1日、25頁。ISBN 4-434-01904-X。
- ^ a b 『バスラマインターナショナル No.35』ぽると出版、1996年4月25日、35-36頁。ISBN 4-938677-35-0。
- ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、165-166頁。
- ^ 『バスマガジン vol.111』講談社ビーシー、2022年1月27日、45,49-50頁。ISBN 978-4-06-527033-2。
- ^ 『バスマガジン vol.111』講談社ビーシー、2022年1月27日、55,60頁。ISBN 978-4-06-527033-2。
- ^ 安本博 編『千代田誌』千代田誌をつくる編集委員会、1984年10月1日、547-548,567-568頁。
- ^ a b c 安本博 編『千代田誌』千代田誌をつくる編集委員会、1984年10月1日、568頁。
- ^ 『静苑 第二十号』静岡鉄道、1962年11月25日、12頁。
- ^ 『静苑 第二十五号』静岡鉄道、1963年3月25日、8頁。
- ^ 『静岡市議会 会議録 平成10年第7回定例会(第2日目)』静岡市議会、1998年12月2日。
- ^ a b 「静岡市に小型循環バス、路線バスで採算開戦策ー富士急は一部撤退。」『日本経済新聞』2002年9月26日、地方経済面 静岡 6面。
- ^ 『静岡市史・近代 通史編』静岡市、1969年4月1日、924頁。
- ^ 『写真で綴る静岡鉄道70年の歩み』静岡鉄道、1989年4月、163頁。
- ^ 「16日から安東循環線に小型バス運行。」『日本経済新聞』1981年3月13日、地方経済面 静岡 6面。
- ^ a b 「静鉄、天然ガス燃料の超低床バス導入。」『日本経済新聞』2000年11月23日、地方経済面 6面。
- ^ 「静鉄がバスの接近表示を新たに2路線に 県立総合病院」『静岡新聞』1988年12月4日、朝刊18面。