郷ひろみ
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郷ひろみ | |
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出生名 | 原武 裕美 |
生誕 | 1955年10月18日(69歳) |
出身地 | 日本・福岡県 |
学歴 | 日本大学 中退 |
ジャンル | 歌謡曲、J-POP |
職業 | 歌手、俳優 |
活動期間 | 1972年 - 現在 |
事務所 | バーニングプロダクション |
郷 ひろみ(ごう ひろみ、本名は原武 裕美(はらたけ ひろみ)、男性、1955年10月18日 - )は、福岡県糟屋郡須恵町生まれの日本の歌手、俳優。身長178cm、血液型A型。
生い立ち
- 1955年10月18日8時56分難産の末に4400gで生まれ、祖父が苗字の「原武」が男性的で硬いのでバランスを考え「裕美」と優しい名前を付けた。
- 福岡県三潴郡三潴町出身の父と福岡県糟屋郡志免町出身の母の間に生まれた。本名の原武に「武」の字があるように父方の先祖は武士で福岡県士族の旧家である[1]。
- 子供の頃、福岡の家は牛や馬、鶏などの家畜がいる農家の住まいだった。
- スパルタ教育の母親に厳しく躾けられて育った。
- 旧国鉄職員の父親の転勤で5歳の時に福岡から上京し、JR京浜東北線大井町駅に隣接する当時の国鉄大井工場敷地内に建つ社宅へ転居する。
- JR京浜東北線大井町駅近く、大正5年(1916年)10月18日開校の品川区立山中小学校卒業。
- 品川区立伊藤中学校卒業。中学生時代には友人と、ハーキュリーズ(Hercules)という野球チームを作っていた。
- 生後まもなくジフテリアにかかり、3歳で赤痢にかかり、15歳で腹膜炎の一歩手前の状態で盲腸の手術を受けるなど、何度となく死にかける。
- 15歳になって、近所の人が東宝映画『潮騒』(1971年)出演者募集に写真応募しオーディションに行く途中、嫌がったら母親から「それでも九州男児か!」と銀座路上でビンタされて会場に行く。「体が小さい」ということで不合格になるが、審査員にいたジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川にスカウトされる。
- 1971年4月、日本大学櫻丘高等学校に入学。野球部に所属するが芸能活動多忙により同年8月、堀越高等学校に転校。4年半かけて1975年8月に1人で卒業。
- 1977年4月、高校を卒業して1浪後、日本大学法学部二部政治経済学科に合格。入学手続きはするが受講せず退学。「大学入学は男の意地でした!」と、「入学」したことに意味があった。
略歴
- 1971年、ジャニーズ事務所に所属しフォーリーブスのバックに出演して人気を博し、ファンの声援「GO!GO!」から芸名は郷ひろみに決まる。大阪でファンクラブ発足。
- 1972年1月、NHK大河ドラマ『新・平家物語』で芸能界デビュー。
- 1972年8月1日、歌手デビュー。所属レコード会社はCBSソニー(現、ソニー・ミュージックエンタテインメント)。
- 1972年11月、デビュー曲『男の子女の子』が、いきなりオリコンのベストテン入りを果たし、第14回日本レコード大賞・新人賞を受賞。
- 1973年、ブロマイド年間売上実績No.1に輝き、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。西城秀樹、野口五郎と共に新御三家といわれ一世を風靡する。
- 1973年12月31日、第24回NHK紅白歌合戦に初出場(1985年まで13年連続出場)。
- 1974年、初主演のテレビドラマ『ちょっとしあわせ』の主題歌『よろしく哀愁』で、自身初のオリコン・ヒットチャート第1位を獲得。
- 1975年、バーニングプロダクションに移籍。
- 1976年、『さらば夏の光よ』で映画初主演。
- 1977年、テレビドラマ『ムー』に出演して人気を博す。再びブロマイド年間売上実績No.1となった。
- 1978年、日本レコード大賞などの音楽賞の出演を全て拒否する。「目先のことに一喜一憂することなく、長期的な視野にたって、自分自身のことについて考えたい。」
- 1978年、テレビドラマ『ムー一族』の挿入歌『林檎殺人事件』が『ザ・ベストテン』で自身初の第1位を獲得。
- 1979年、テレビドラマ『家路』の挿入歌『マイレディー』が『ザ・ベストテン』で5週連続・第1位を獲得。
- 1980年、『明星』「アイドル人気投票」で、9年連続で1位獲得(日本テレビ音楽祭・トップアイドル賞受賞)。
- 1982年、洋楽のカバー曲『哀愁のカサブランカ』が50万枚のセールスを記録したが、ランキング番組の出演をすべて拒否する。
- 1983年、バラエティ番組『カックラキン大放送!!』にレギュラー出演。
- 1985年1月、交際を公にしていた松田聖子と破局。
- 1985年12月、ホノルルマラソン完走。
- 1987年6月12日、二谷友里恵と結婚。霊南坂教会とシドニーのセントメリーズ教会で挙式し、新居をニューヨークに構える。披露宴招待客への贈物はフランス画家ポール・アイズピリが2人をモチーフに作成したオリジナルリトグラフ「結婚」(34c×42c、限定1000部)。
- 1993年、ハリウッド映画『Samurai Cowboy』に主演。
- 1997年2月、イタリアンレストランSOGNI di SOGNI、大阪ドーム店オープン。
- 1997年2月11日、名古屋御園座『愛・時をこえて ドラキュラ・イン・ジャパン』座長公演で、昼の公演中にステージ上約3メートルの仕掛けから転落し、右手骨折と肋骨骨折など、全治約1か月半の重傷を負ったが、出演中はそのまま続行して演じ終えた。
- 1998年4月9日、離婚発表と同時にその経緯を告白本にした『ダディ』を出版。ミリオンセラーとなる。
- 1999年8月、JR渋谷駅前の交差点で、『GOLDFINGER '99』のプロモーションとして警察に無届けでゲリラライブを敢行。交通渋滞を引き起こし刑事事件に発展した。
- 1999年11月7日、ニューヨークシティーマラソン完走。
- 2000年、道路運送車両法違反のため、警察署に出頭する。
- 2000年9月27日、松田聖子とのデュエット曲をリリース。
- 2000年11月9日、アルマーニショップ店員でニューヨーク在住投資家の資産家令嬢と再婚。親近者だけでニューヨークで挙式。
- 2001年12月、第52回NHK紅白歌合戦出演を最後に音楽活動を一時休止し、再びニューヨークに移住。
- 2004年12月6日、二谷友里恵に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして訴訟を起こす。
- 2005年3月、芸能活動再開を宣言。
- 2005年4月、二度目の離婚。「それぞれの道を歩んでいくことが今後の2人にとって最善の方法。ボクはより一層努力し郷ひろみを極めたい。」
- 2005年10月、大阪で50歳を祝う「スペシャルバースデーライブ」開催。「これからも歌手・郷ひろみを極めたい」と宣言。大阪はファンクラブが発足した思い出の地。
- 2006年9月、デビュー35周年記念ライブとして、東京日比谷野外音楽堂など全国6か所で8公演を開催。
- 2006年11月、「チャリティー活動の場を広げたい」との想いから、ジュエリーブランドRosen Hemdenのプロデュースをはじめ、利益の一部は寄付される。
- 2007年、15年以上前からチャリティー活動を実践し、アジアの子供達のために寄付を続け、フィリピンに学校を4つ設立した。
- 2007年5月27日、渋谷で8年ぶりに新曲のライブを行う。
- 2007年6月、藤原紀香結婚披露宴で歌った『お嫁サンバ』100バージョンの女性の名前を入れた着うた配信。
- 2007年9月、マンダムCMの『青い珊瑚礁』替え歌が話題となる。
シングル
- 男の子女の子(1972年8月1日)※デビュー曲がいきなりベストテン入り
- 小さな体験(1972年11月1日)
- 天使の詩(1972年12月21日)
- 愛への出発(1973年3月1日)
- 裸のビーナス(1973年6月21日)
- 魅力のマーチ(1973年9月21日)
- モナリザの秘密(1973年12月5日)
- 花とみつばち(1974年3月21日)
- 君は特別(1974年6月21日)
- よろしく哀愁(1974年9月21日、『ちょっとしあわせ』テレビ朝日主題歌)
- わるい誘惑(1974年12月21日)
- 花のように鳥のように(1975年4月21日)※バーニング移籍第一弾
- 誘われてフラメンコ(1975年7月21日)
- 逢えるかもしれない(1975年10月21日)
- バイ・バイ・ベイビー(1975年12月21日、『Bye Bye Baby』ベイ・シティ・ローラーズのカヴァー)
- 恋の弱味(1976年2月1日)
- 20才の微熱(1976年5月1日)
- あなたがいたから僕がいた(1976年8月1日)
- 寒い夜明け(1976年11月1日、作詞:楳図かずお)
- 真夜中のヒーロー(1977年2月1日)
- 悲しきメモリー(1977年5月1日)
- 洪水の前(1977年7月21日)
- 帰郷/お化けのロック(1977年9月1日、『ムー』TBS・挿入歌、樹木希林とデュエット)
- 禁猟区(1977年12月5日)
- バイブレーション (胸から胸へ)(1978年3月21日)
- ぼくのるすばん(1978年5月21日)
- 林檎殺人事件(1978年6月21日、『ムー一族』TBS・挿入歌、樹木希林とデュエット)
- ハリウッド・スキャンダル(1978年9月21日)
- 地上の恋人(1978年12月21日)
- ナイヨ・ナイヨ・ナイト(1979年3月21日)
- いつも心に太陽を(1979年6月21日)
- マイレディー(1979年9月21日、TBS主演ドラマ『家路』挿入歌)
- セクシー・ユー (モンロー・ウォーク)(1980年1月21日、『モンロー・ウォーク』南佳孝のカヴァー)
- タブー (禁じられた愛)(1980年5月1日)
- How many いい顔(1980年7月21日、カネボウ化粧品CMソング)
- 若さのカタルシス(1980年11月1日)TBS主演ドラマ『ミセスと僕とセニョールと』挿入歌
- 未完成(1981年2月1日)
- お嫁サンバ(1981年5月1日)
- もういちど思春期(1981年8月8日)
- 哀愁ヒーロー Part1/Part2(1981年11月1日)
- 純情(1982年2月1日)
- 女であれ、男であれ(1982年5月2日)
- 哀愁のカサブランカ(1982年7月17日、『カサブランカ』バーティ・ヒギンズのカヴァー)
- 哀しみの黒い瞳(1982年11月2日、『黒い瞳のナタリー』フリオ・イグレシアスのカヴァー)
- 美貌の都(1983年3月5日)※1985年中島みゆきがセルフカヴァー
- ロマンス(1983年4月21日、『愛のロマンス』フリオ・イグレシアスのカヴァー)
- 素敵にシンデレラ・コンプレックス(1983年5月12日、カローラCMソング)※1984年鈴木康博がセルフカヴァー
- ほっといてくれ(1983年9月1日)
- シャトレ・アモーナ・ホテル(1983年12月1日、『NO TE HE PODIDO OLVIDAR』フリオ・イグレシアスのカヴァー)
- 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(1984年2月25日、国鉄のキャンペーン・CMソング)※2007年、アレンジ曲がBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソングに
- ヤクシニー(1984年6月21日)
- どこまでアバンチュール/ケアレス・ウィスパー(1984年11月10日、『Careless Whisper』ワム!のカヴァー)
- 愛のエンプティーペイジ(1985年3月6日)
- CHARISMA(1985年5月22日)
- サファイア・ブルー(1985年8月25日、『WINTER WIND』井上陽水のカヴァー歌詞違い、作詞:松本隆)
- Cool/LABYRINTH(1985年10月21日、両面英語詞シングル、12インチアナログ盤)
- 千年の孤独(1987年3月21日)
- 時をかさねたら(1988年6月1日)
- 最終便にまにあえば(1989年6月21日、テレビ朝日レギュラー番組「郷ひろみの宴ターテイメント」主題歌)
- Wブッキング-LA CHICA DE CUBA-(1990年5月12日、セニョーラ・ラティーナのカヴァー)
- もう誰も愛さない(1990年10月21日、日本テレビ主演ドラマ『刑事貴族』主題歌)
- 裸のビーナス/よろしく哀愁(1991年4月25日)
- 迷イズム(1991年5月22日)
- ヴィーナスたちのシエスタ(1992年5月2日、深夜枠ドラマ『アルファベット2/3』主題歌)
- 僕がどんなに君を好きか、君は知らない(1993年1月21日、楠瀬誠志郎のカヴァー、フジ『正しい結婚』主題歌)※バラード3部作
- 言えないよ(1994年5月1日、TBS『お見合いの達人』主題歌)※バラード3部作
- 逢いたくてしかたない/忘れられないひと(1995年4月21日)朝日生命CMソング)※バラード3部作
- 泣けばいい(1995年6月14日、TBS『あした家族になあれ!』主題歌)
- どんなに君がはなれていたって/裸の夢(1996年2月1日、TBS『ママは大ピンチ!!』主題歌)
- く・せ・に・な・る/甘い束縛(1996年4月12日、朝日生命のCMソング)
- Don't leave you alone/いつもそばに君がいた(1996年4月12日、朝日生命のCMソング/ISUZU「フォワード」CMソング)
- Zeroになれ(1997年4月21日)
- ゆっくり恋しよう(1997年10月1日、日本エアシステム「東京キャンペーン」CMソング)
- KISSが哀しい(1998年4月22日、『白衣のふたり』フジテレビ、主題歌)
- 男が恋に出逢うとき(1999年3月25日)
- GOLDFINGER '99(1999年7月23日、『Livin' La Vida Loca』リッキー・マーティンのカヴァー、TBS日曜劇場『ヤマダ一家の辛抱』主題歌)
- Hallelujah,Burning Love(2000年2月2日)
- なかったコトにして(2000年6月21日、サンヨー食品『NEWカップスター』のCMソング、郷ひろみwith HYPER GO号 名義)
- True Love Story/さよならのKISSを忘れない(2000年9月27日、ワコール『ポイントシェーバー』CMソング、郷ひろみ/松田聖子 名義)
- Only for you-この永遠がある限り-(2001年2月21日、日本テレビ『FACE〜見知らぬ恋人〜』主題歌、作曲:織田哲郎)
- 獣は裸になりたがる(2001年6月20日)
- ワキワキマイフレンド(2001年8月1日、『はるちゃん5』フジテレビ、主題歌)
- この世界のどこかに(2001年11月7日、TBSドラマ『ひとりじゃないの』主題歌、プロデュース:ゴスペラーズ)※以降芸能活動を一時休止
- 愛より速く(2005年4月20日、高須クリニックCMソング)
- 君が泣ける場所になる(2005年10月19日、雪国まいたけCMソング)
- LIFE(2006年9月6日)
- Boom Boom Boom /Come On Baby(2007年5月23日『Oye El Boom』ダビッド・ビスバルのカヴァー)
- Good Times Bad Times(2007年12月5日、パチンコ『CR GO!GO!郷! 2nd Stage』(ニューギン)機種挿入歌)
- 君だけを feat.童子-T(2008年5月14日)
- ありのままでそばにいて/このメロディだけは /君だけを feat.童子-T Remixed by 3rd Productions (2008年10月29日)
- 男願 Groove!/強引 Love!(2009年5月27日)
オリジナル・アルバム
- 男の子女の子(1972年11月1日) ※ファーストアルバム
- 愛への出発(1973年5月1日)
- ひろみの部屋(1974年1月1日)
- ひろみの朝・昼・晩(1974年6月11日)
- ひろみの旅(1975年6月21日)
- HIROMIC WORLD(1975年11月21日、全曲作詞:ユーミン)
- さらば夏の光よ(1976年4月21日)
- 街かどの神話(1976年12月5日)
- アイドルNO.1(1977年10月1日)
- ピラミッド ひろみっど(1977年12月21日)
- Narci-rhythm(1978年7月21日)
- アポロンの恋人(1979年4月1日)
- LOOKIN'FOR TOMORROW(1979年8月1日)
- SUPER DRIVE(1979年12月21日)※ニューヨークレコーディング
- MAGIC(1980年8月21日)
- How manyいい顔(1981年1月1日)
- PLASTIC GENERATION(1981年5月1日)
- アスファルト・ヒーロー(1981年12月21日)
- 哀愁のカサブランカ(1982年9月22日)
- 愛の神話(1982年12月21日)
- 比呂魅卿の犯罪(1983年4月1日、サウンド・プロデュース:坂本龍一)
- TAILORED SONG(1983年12月21日)
- ALLUSION(1984年12月1日、プロデュース:ヘンリー浜口)
- LABYRINTH(1985年10月2日)
- LOVE OF FINERY(1987年4月1日、全曲英語詞)
- DRIVING FORCE(1989年6月1日)
- アメリカかぶれ(1990年6月1日)
- 準備万端〜VINGT ANS〜(1991年4月25日)
- CATALONIAN BLOOD(1992年5月2日)
- LUNA LLENA(1993年5月21日)
- GOrgeous(1994年6月11日)
- I Miss You〜逢いたくてしかたない〜(1995年7月1日)
- く・せ・に・な・る(1996年7月1日)
- 心のカギ(1998年6月20日)
- THE GOLDSINGER(1999年8月21日)
- 恋のハレルヤ大作戦 〜Mission Code is "G"〜(2000年7月5日)
- PERIOD 〜この世界のどこかに〜(2001年11月21日)※以降、芸能活動を一時休止
- Evolution(2005年9月14日)
- Winter Mood(2006年11月22日)※バラードミニアルバム
- place to be(2008年6月11日)
ベスト・アルバム/コンピレーション/サントラ/他
- 郷ひろみデラックス(1975年6月1日)
- 郷ひろみのすべて(1976年6月1日) ※LP3枚組
- おとうと(オリジナル・サウンドトラック)(1977年2月25日)
- フォーエバー・シリーズGO(1977年11月1日) ※LP3枚組
- 金字塔ピラミッド(1981年10月18日) ※LP5枚組+ピクチャーレコード
- マイ・コレクション(1982年6月21日) ※シングル20曲メドレー
- 黄金郷(1983年11月1日)
- 黄金郷I 〜2億4千万の瞳〜(1984年6月10日)
- 聖女伝説(映画オリジナル・サウンドトラック)(1985年3月6日)
- 郷ひろみ全集/'72〜'85 DANDYISM(1985年11月21日) ※CD4枚組
- 郷ひろみベスト・コレクション(1986年5月21日)
- MY SELF(1987年5月31日) ※CD3枚組
- 準備万端〜VINGT ANS〜SONGLESS(1991年5月22日)
- HIROMIX(1991年11月21日) ※藤原ヒロシによるシングル曲のリミックス・アルバム
- 郷ひろみ全集/'86〜'91 DANDYISM(1992年2月21日) ※CD2枚組
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO(1994年11月2日) ※CD2枚組
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.II 〜Ballads〜(1995年11月22日) ※CD2枚組バラードコレクション
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.III セレクション(1996年11月1日) ※CD2枚組、オリジナル・カラオケ付)
- ALL THE SINGLES 1972-1997(1997年8月1日) ※デビュー25周年記念
- デビュー曲『男の子女の子』から『Zeroになれ』までのシングル全曲(B面曲、12インチも含む)147曲収録、8枚組CD-BOX
- GOLDFINGER'99◆Re-mix(1999年10月21日)
- MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.1 〜Heat〜(2001年7月4日) ※ファンのリクエストによるシングル・アルバム曲のリアレンジ
- MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.2 〜Cool〜(2001年7月4日) ※ファンのリクエストによるシングル・アルバム曲のリアレンジ
- With Whom?(2001年3月28日) ※デュエット曲ミニアルバム(樹木希林、松田聖子、鈴木聖美、杏子)
- Single Collection of Early Days vol.1(男の子女の子〜わるい誘惑)(2005年10月5日)
- Single Collection of Early Days vol.2(花のように鳥のように〜洪水の前)(2005年10月19日)
- Single Collection of Early Days vol.3(帰郷・お化けのロック〜セクシー・ユー)(2005年11月2日)
- Single Collection of Early Days vol.4(タブー〜哀しみの黒い瞳)(2005年11月16日)
- Single Collection of Early Days vol.5(美貌の都〜千年の孤独)(2005年11月30日)
- 上記5枚は、シングルレコードを復刻したものをCDにして11枚ずつ各BOXに収納した完全生産限定版(合計55枚)
- SAMBA de GO 〜HIROMI GO Latin Song Collection〜(2007年8月8日)
ライブ・アルバム
- フォーリーブス・郷ひろみ/ジョイント・リサイタル(1974年9月5日) ※LP2枚組
- HIROMI ON STAGE! -よろしく哀愁(1974年12月10日) ※初のソロのライブアルバム
- GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A PartI(1976年8月21日)
- GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A PartII(1976年9月21日)
- ヒーロー(1977年6月1日)
- フェニックス -HIROMI IN BUDOKAN-(1978年4月1日)
- IDOL OF IDOLS(1978年10月1日)
- MY OWN ROAD(1980年5月21日)
- AT THE STARTING LIVE 〜READY SET GO!〜(1981年9月5日)
- 郷ひろみライブCONCERT TOUR LABYRINTH(1986年3月21日)
VHS・DVD
- 2000年9月20日、コンサートツアー・ライブビデオ「恋のハレルヤ大作戦」
主な出演
音楽番組
- 『紅白歌合戦』(NHK)
- 『NHKのど自慢』(NHK)
- 『ふたりのビッグショー』(NHK)
- 『ミュージックフェア』(フジテレビ)
- 『FNS歌謡祭』(フジテレビ)
- 『ベストヒット歌謡祭』(読売テレビ)
- 『ザ・ベストテン』(TBS)
- 『夜のヒットスタジオ』(1972年 - 1990年6月27日(175回出演)、1981年2月16日は井上順の代役司会、フジテレビ)
- 『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)
- 『うたばん』(TBS)
- 『僕らの音楽 -OUR MUSIC-』(2007年5月25日、DJ OZMAと対談、フジテレビ)
バラエティ
- 『新春かくし芸大会』
- 『8時だョ!全員集合』
- 『今夜は最高!』
- 『徹子の部屋』(1978年、2009年5月25日、テレビ朝日)
- 『カックラキン大放送』(1983年、日本テレビ、野口五郎に代わりレギュラー出演)
- 『郷ひろみの宴ターテイメント』(1989年、テレビ朝日、レギュラー、主題歌『最終便にまにあえば』)
- 『ヤミツキ』(2000年4月 - 2001年3月、日本テレビ)
- 『人志松本のすべらない話』(2006年、フジテレビ、観覧ゲスト)
- 『英語でしゃべらナイト』(2007年5月7日、NHK)
- 『トシガイ』 (2007年5月17日、日本テレビ)
- 『SMAP×SMAP』(2007年5月21日、エンディングでSMAPと共演)
- 『めざましテレビ』2007年5月23日、ライブ)
- 『めちゃ×2イケてるッ!・2億4千万の瞳そして青い珊瑚礁スペシャル』(2008年4月5日、フジテレビ系、期末テストを受けるゲストの生徒として)
- 『芸能人格付けチェックお正月特大スペシャル』(2009年1月1日、テレビ朝日系)
- 『オールスター感謝祭』(2009年4月4日、TBS、スペシャルアーティストとして)
- 『ぐるぐるナインティナイン』(『グルメチキンレース・ゴチになります!』で3回ゲスト出演)
ラジオ
- 『郷ひろみのセイ!ヤング』(文化放送、木曜日担当:1980年10月〜1981年3月、火曜日担当:1981年4月〜1981年9月)
- 『NISSANミッドナイトステーション』(TBSラジオ、水曜日担当:「ちょっと乱れてカーニバル」1982年4月〜1983年3月)
- 『サウンド・フラッシュ 郷ひろみ・60'Sカンパニー』 (ニッポン放送)
- 『HIDEKIとHIROMIのサンデーワイワイ広場』(1979年、文化放送)
ドラマ
- 『新・平家物語』(1972年、NHK大河ドラマ、平経盛役)
- 『青春をつっ走れ!』(1972年、フジテレビ、主演:森田健作)
- 『あしたに駈けろ!』(1972年、フジテレビ、主演:森田健作)
- 『一姫二太郎』(1972年、フジテレビ)
- 『おやじ山脈』(1972年、TBS、主題歌『天使の詩』)
- 『銀座わが町』(1973年、NHK)
- 『肝っ玉博物帳』(1973年、フジテレビ)
- 『ぼくは叔父さん』(1974年、日本テレビ、主題歌『夢で会おうね』)
- 『ちょっとしあわせ』(1974年、テレビ朝日、共演:酒井和歌子、主題歌『よろしく哀愁』)
- 『あこがれ共同隊』(1975年、TBS、共演:西城秀樹、桜田淳子)
- 『毎日が日曜日』(1977年、NHK 銀河テレビ小説)
- 『ゆずり葉』(1977年、TBS 東芝日曜劇場)
- 『ムー』(1977年、TBS、共演:樹木希林、挿入歌『お化けのロック』)
- 『七人の刑事』(1978年、TBS、22話)
- 『ムー一族』(1978年 - 1979年、TBS、共演:樹木希林、挿入歌『林檎殺人事件』)
- 『家路』(1979年、TBS、挿入歌『マイレディー』)
- 『草燃える』(1979年、NHK・大河ドラマ、源頼家役)
- 『婚前時代』(1979年、TBS 東芝日曜劇場)
- 『新・座頭市』 第3シリーズ(1979年、フジテレビ、4話「あした斬る」)
- 『ミセスと僕とセニョールと』(1980年、TBS、主演、挿入歌『若さのカタルシス』)
- 『峠の群像』(1982年、NHK・大河ドラマ、片岡源五右衛門役)
- 『沖田総司 華麗なる暗殺者』(1982年、フジテレビ)
- 『春雷』(1983年、フジテレビ 新春ドラマスペシャル)
- 『聖母たちの行進』(1983年、TBS、共演:桃井かおり)
- 『流れ星左吉』(1983年、フジテレビ、主演、主題歌『暗闇のディーン』)
- 『翔んでる警視』(1986年、TBS、主演)
- 『翔んでる警視2』(1987年、TBS、主演)
- 『失われた時の流れを』(1990年、フジテレビ サントリードラマスペシャル)
- 『刑事貴族』(1990年 - 1991年、日本テレビ、主演、主題歌『もう誰も愛さない』)
- 『生前情交痕跡あり』(1991年、フジテレビ 金曜ドラマシアター、主演)
- 『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年、NHK・大河ドラマ、徳川家康役)
- 『D坂殺人事件 名探偵明智小五郎誕生 名探偵明智が挑む猟奇殺人の謎!!闇に浮かぶ白い肌…』(1992年、フジテレビ、主演)
- 『愛する時と裁く時』(1992年、フジテレビ、主演)
- 『企業病棟』(1994年、NHK ドラマ新銀河、主演)
- 『坊っちゃんちゃん』(1996年、TBS、主演)
映画
- 『急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS』(1974年、東宝/ジャック・プロ、共演:フォーリーブス)
- 『さらば夏の光よ』(1976年、松竹、共演:秋吉久美子)
- 『おとうと』(1976年、松竹、共演:浅茅陽子)
- 『突然、嵐のように』(1977年、松竹、共演:秋吉久美子)
- 『ワニと鸚鵡とオットセイ』(1977年、松竹、共演:樹木希林、秋吉久美子)
- 『ダブル・クラッチ』(1978年、松竹、共演:松坂慶子)
- 『夢一族 ザ・らいばる』(1979年、東映、共演:森繁久彌)
- 『コールガール』(1982年、松竹、共演:未唯)
- 『瀬戸内少年野球団』(1984年、日本ヘラルド、共演:夏目雅子)
- 『聖女伝説』(1985年、松竹、共演:岩下志麻)
- 『ALLUSION -転生譚-』(1985年、松竹、共演:守山知子)
- 『コミック雑誌なんかいらない!』(1986年、共演:内田裕也)
- 『近松門左衛門 鑓の権三』(1986年、松竹、共演:岩下志麻)
- 『さらば愛しき人よ』(1987年、松竹、共演:石原真理子)
- 『舞姫』(1989年、東宝、共演:リザ・ウォルフ)
- 『Samurai Cowboy』(1993年、監督:Michael Keusch、邦題:『ワイルドハート〜遥かなる荒野へ〜』)※ハリウッド映画主演
舞台
- 『権八小紫』(1994年、新橋演舞場)※初座長を務める
- 『坊ちゃん』(1996年6月4日-28日、原作:夏目漱石、新橋演舞場)
- 『愛・時をこえて ドラキュラ・イン・ジャパン』(1997年2月御園座、1997年3月新歌舞伎座、共演:川島なお美)
イベント
- 1973年5月5日-6日、第46回ウエスタン・カーニバル『郷ひろみショー』(日本劇場)
- 1983年、国鉄新橋駅の一日駅長
- 2000年10月7日、FUNBOWL NIGHT 2000〜史上最大のパラパラ祭り〜「20世紀最後のHALLELUJHA!!」(ツインリンクもてぎ、共演:AVEX ARTISTS…ダンス☆マン、HYPER GO号2、キーヤキッス、PARAPARA ALL STARS、安西ひろこ)
- 2006年5月、キリンカップ2006「日本VSスコットランド」戦、国歌独唱(埼玉スタジアム)
- 2007年5月30日、藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴(ホテルオークラ神戸、中継日本テレビ)
- 2007年9月、第五回東京ガールズコレクション(さいたまスーパーアリーナ)
- 2008年8月16日、お台場冒険王「めざましライブ」(ファン5000人)
- 2008年5月5日5時55分、ラクーア「開業5周年記念イベント」ライブ(ファン5000人)
- 2009年5月5日、「コルテオGO!GO!サポーター」就任
- 2009年5月21日、ヒップホップエクササイズ「Hip Hop Abs」イベントでイメージソングの新曲「男願Groove!」披露(六本木ヒルズ、ファン550人)
キャンペーン
- 1984年、国鉄:『2億4千万の瞳』
- 2007年、BSデジタル放送3000万台突破記念:『2億4千万の瞳』のアレンジ曲
- 2007年、国土交通省ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)テーマソング:『Come On Baby』
CM
- -2008年11月、高須クリニック
- 朝日生命(「人生倶楽部」、「あんしん倶楽部」、「あんしん倶楽部10」、「Vシリーズ」、「My倶楽部」、「My倶楽部ZOOM」(共演:菅野美穂)、「My倶楽部ヤングステージ」、共演:菅野美穂)
- 穴吹工務店「サーパスマンション」、「サーパスフェア」
- 伊勢丹「I カード」
- 大塚食品「ボンカレーゴールド」
- 白元「ソックタッチ」
- ロッテ「パイの実」、「ガーナミルク」
- 田辺製薬「ナンパオ源気」
- サンヨー食品「カップスター」(共演:HYPER-GO号2)
- JR東日本「東北新幹線」
- 丸八真綿「82 ハッチーニ」、「ファーベッド」(共演:内田有紀)、「ホームショッピング」(共演:浅野ゆう子)
- 雪国まいたけ「雪国まいたけ」
- ラウンドワン
- ロート製薬「新パンシロン」
- カネボウ 男性化粧品「XANAX(ザナックス)フォームコロン」
- グリコ「アーモンドチョコレート」
- 延田グループ「パチンコ・スロット 1・2・3」※関西ローカルCM(GAORAでも放映)
- 1972年、サンキスト 「サンキストドリンク」
- 1979年、大日本除虫菊「キンチョール」流行語「ムシムシコロコロ キンチョール」(共演:横山やすし)
- 1980年、カネボウ化粧品CMソング:『How many いい顔』
- 1980年-1986年、三洋電機「サンヨービデオ・マイコニック」
- 1981年、大日本除虫菊「キンチョール」流行語「ハエハエカカカ、キンチョール・よろしいんじゃないですか」(共演:柄本明)
- 1982年、サントリー「赤玉ワイン・赤玉パンチ」
- 1983年-1987年、トヨタ自動車「カローラセダン(E80系)、カローラレビン(AE85/86)」
- 1987年、大日本除虫菊「キンチョール」流行語「オス!メス!ハイオスキンチョール1本〜!」
- 1989年、サントリー「モルツビール」
- 1995年、トリンプ「天使のブラ」CMソング:『忘れられないひと』
- 1996年、宝酒造「タカラ本みりん てりっこ」
- 2000年、ダイハツ工業「YRV」(共演:HYPER-GO号2)
- 2000年、ワコール(藤原紀香出演)CMソング:『True Love Story』(松田聖子とデュエット)
- 2004年、ニューギン「CR Go!Go!郷」
- 2007年、BSデジタル放送「GO! BSデジタル3000万!!!」(BSデジタル放送 10局共同キャンペーン)
- 2007年、マンダム 「Produce(プロデュース)」(『青い珊瑚礁』の替え歌)
- 2008年、ニューギン「CR Go!Go!郷 second stage」(共演:我修院達也)
- 2008年、レオパレス21(藤原紀香出演)CMソング:『それぞれの夢』
受賞歴
- 1972年、第14回日本レコード大賞・新人賞『男の子女の子』
- 1973年、第4回日本歌謡大賞・放送音楽賞『裸のビーナス』
- 1976年、第18回日本レコード大賞・大衆賞『あなたがいたから僕がいた』
- 1977年、第2回報知映画賞・特別賞(『突然、嵐のように』などで新しい映画スターのイメージを作ったことに対して)[2]
- 1978年、第7回ベストドレッサー賞・特別賞
- 1978年、第7回FNS歌謡祭・特別賞『林檎殺人事件』郷ひろみ&樹木希林
- 1984年、第1回ベストジーニスト賞
- 1986年、ベルリン国際映画祭・銀熊賞『鑓の権三』(篠田正浩監督)※主演映画
- 1999年、第41回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞『GOLDFINGER '99』他メドレー
- 2000年、2月6日号『ダ・ヴィンチ』腰巻き大賞『若気の至り』「大丈夫か、こいつ?」(書き下ろしエッセイ表紙カバーのオビ)
- 2007年、第12回ネイルクィーン・協会特別賞
- 2007年、国土交通省ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)テーマソングとして楽曲提供により感謝状『Come On Baby』
書籍
著書
- 『たったひとり』(1980年10月、小学館)
- 『郷ひろみの紐育(ニューヨーク)日記』(1989年10月、朝日新聞社)※1991年文庫化
- 『紐育(ニューヨーク)日記』(1991年10月、朝日新聞社)
- 『不惑』(1996年6月、工作舎)
- 『ダディ』(1998年4月、幻冬舎)※ミリオンセラー
- 『若気の至り』(2000年11月、角川書店)
- 芸能生活28年、アイドル道を極める郷ひろみの、今だから話せる若き日の失敗談やユニークなエピソードなどを楽しくつづるエッセイ集。
- 『NEXT 明日の僕がいちばん!』(2009年5月25日、講談社)
- 大人の男の魅力が輝き始めるのが50代。
- その50代を前代未聞の鮮やかさで駆け抜ける郷ひろみが語る、「50代の自分」のすべて。
写真集
- 写真集『ムー一族』(1978年11月、レオ企画)
雑誌・漫画
名前が登場した作品
- 『ブラック・ジャック』
- 『ドラえもん』
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』
ビジネス
レストラン
ブランド
- 2006年、ジュエリーブランドのプロデュース:Rosen Hemden(ローゼン・へムデン) ※経営・運営は坂本貴金属
- 2009年、日本酒のプロデュース:大吟醸 原武 (ブランドロゴ:郷ひろみの父・原武英夫の文字) ※製造販売は齋彌酒造店
ファンクラブ
チャリティー活動
- 1995年11月25日、東京赤坂プリンスホテルにおいて、アジアの恵まれない子供のためのチャリティーディナーライブを開催。収益金4,388,983円を特別救済活動カスパルに寄付し、フィリピンの学校建設費用に当てられた[3]。
- 1999年10月、「GO's CLUB PARTY '99」オークションの売上の一部を「郷ひろみファンクラブ」から日本赤十字社を通じ、トルコ及び台湾の「被害をこうむられた方々が、元気を取り戻し、また、子どもたちが今までどおり、勉強したり遊んだりできるように、一日も早い復興を願い」、震災復興義援金に各50万円ずつの計100万円を寄付した。
- 2000年9月、松田聖子とのデュエットソングの売り上げの一部も同所に寄付すると発表された。同年11月5日、ボランティア団体「GO's kids」をスタートし結婚祝いを複数のNPOに寄付した。
- 2006年11月5日、自身プロデュースのジュエリーブランド立ち上げにともない、その利益の一部をアジアの恵まれない子供たちやシングルマザーのために寄付すると発表。同時に自身のチャリティー活動を初めてマスコミを通じて公にした。「より多くのシングルマザーや、子供たちが幸福に近づけることを望み、展開していくブランドにしたい」と語った。15年以上前からチャリティー活動を実践しており、ファンクラブサイトやファンクラブイベントでチャリティーオークションを行った売上の一部などを特別救済活動カスパルに寄付し続けた結果、10年で約1200万円に達しフィリピンに4つの学校を建設した[4]。
エピソード
デビュー前後
- 子供の頃は可愛くて評判だった。「『名犬ラッシー』の子役にそっくり」、「お人形さんみたい」と言われ、外国人と間違われることも多い日本人離れした美少年だった。
- デビュー当時、母親は原宿で美容院を経営していた。福岡県糟屋郡志免町の母親の実家の祖父母が「ひろみ」の焼印がされた紅白の「ひろみ饅頭」[5] の製造販売を始め、現在は叔父叔母が「御菓子ひろみ」[6] を営んでいる。
- デビュー前、フォーリーブスのバックに出演し「ひろみです!」と紹介され、会場から「Go! Go! Let's Go Hiromi !」と声援を受け、そのまま芸名が郷ひろみとなる。
- また「郷」にはフォーリーブスの弟「5人目のフォーリーブス」という意味もかけている。
- 女の子に間違えられる位に甘美で可愛らしいルックスと鼻にかかった独特の歌声が、若い女性に絶大なる人気を博し、西城秀樹、野口五郎とともに新御三家と呼ばれ、ファンによる親衛隊も誕生した。
- 1974年10月、ドラマ『ちょっとしあわせ』で、共演の高沢順子とのキスシーンが大騒動になる。ファンから局側に脅迫状が殺到。急きょ唇寸前でカット。釈明試写も開いて対応した。
- デビュー当時、週刊誌に自分はマザコンで童貞であることを告白して話題となったが、後に、初体験は20歳だったと告白した。
- 20代の頃、山口百恵に密かな恋心を抱いていたが、無視され続けたという苦い経験を持っている(『若気の至り』)。
- また1980年代に坂本龍一との雑誌対談で、ソープランド初体験の時の事をリアルに告白。人気アイドルの告白だけに話題になった。近年では、アダルトビデオの類は観たことがないと言っている。
事務所移籍
- 1974年春、ジャニーズの合宿所を出て家族と一緒に住むようになった。そのことで、マスコミは独立をするのではないかと書きたてた。マスコミの誤解や中傷が事務所とぼくの間をこじらせ、事務所に対する不信感が生まれた。(『たったひとり』1980年10月)
- 1975年、ジャニーズ事務所からバーニングプロダクションに移籍。一緒にジャニーズJrの期待の6人(後にメッツでデビュー)もついていく。マネージャの川崎、ドラムスの悟も賛同してついてきた。このゴタゴタは後に弁護士をつけて争うほどもめた。(『たったひとり』1980年10月)
- この移籍により、ジャニーズ事務所は冬の時代を迎え、バーニング事務所は売り上げ倍増となり中堅事務所へと成長していった。
- フォーリーブスの江木俊夫は、自著の中で「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう」と述べている。
- 事務所移籍の際、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長は体調を崩すほどショックを受けたと言われている(『たったひとり』1980年10月)。
- また、週刊誌などで「郷ひろみは金で動いた」と書かれる等、郷本人は死まで考えたと同著書『たったひとり』(1980年10月)で明かし話題となった。
芸能人水泳大会
- アイドル水泳大会では競泳など多くの競技に出場し、特にフジテレビの番組では『ミスター水泳大会』と呼ばれた。27歳ぐらいの時、水泳のコーチについて泳ぎを教わる。
- 近年「この頃は、ちゃんとした水泳の泳ぎ方を知らずに、気力と負けず嫌いの性格だけで僕は勝っていた!」と当時を振り返り明かしている。
- 2000年、深夜のバラエティ番組『ヤミツキ』水泳大会で10数年ぶりに水着姿を披露。競泳では芸人、おさる、くりぃむしちゅー有田を問題にせず、その実力の程を示した。
- バラエティー番組では、突然ピントがずれた高笑いをするなどアイドルらしからぬ奇人変人ぶりを発揮した。またその性格から、若い女学生ファンの間では、運動部の西城秀樹、文化部の野口五郎に対して、帰宅部の郷ひろみと評されることがあった。
夜のヒットスタジオ
- 1972年、『小さな体験』で初出演した『夜のヒットスタジオ』は、ジャニーズ事務所の「アイドルを夜の番組にはあまり出演させたくない」という方針から 新御三家の中では出演機会が少なかったが、1976年のバーニングプロダクション移籍後は原則として月1回のペースで出演するようになり、1982年、ランキング番組出演辞退の後もトリをつとめたり、過激かつ派手な演出を用意されるなど厚遇を受けた。1972年〜1990年 6月27日までの総出演回数は175回で、『ミスター夜ヒット』として最重要視される存在であった。
- フジテレビはデビュー以来『新春かくし芸大会』など様々な番組で、郷ひろみをメインに取り上げ支援し続けている。特に新曲が発売される頃になると露出が際立っている。
ランク付拒否
- 1978年後期、突然日本レコード大賞などの受賞イベントへの出演を辞退することを公表する。
- 1982年 8月、『哀愁のカサブランカ』で10か月ぶりに『ザ・ベストテン』にランクインするも「今後すべてのランキング番組の出演を辞退する」と発表。「自分にとっては自分自身の歌は全部1番、他人に自分の歌のランク付けされるのは賛成しかねる。」という理由からと『ザ・ベストテン』では説明されたが、当時郷の音楽プロデューサーだった酒井政利は、雑誌『KAMZINE』(2005年6月号)の中で一連の辞退について触れ『(彼は)「新御三家」として括られるのも好きでなかったし、アイドル的な定型から脱皮したいと思っていた。そして「自分は人とは違うんだ!」という差別化戦略を選んだ。』とコメントを寄せ、戦略・挑戦のひとつだったことを明かしている。
大人の歌手へ脱皮
- 1980年代、洋楽バラードのカヴァーを次々と発売し、アイドル歌手から大人の魅力を持った本格派歌手への脱皮を図る。その洋楽カバー『哀愁のカサブランカ』は初めての本格的スローバラードのシングル曲であり、自身『よろしく哀愁』以来2度目の50万枚突破を記録した。また、ニューヨークでボイストレーニングを受けブレス使いで力まずに声を出す手法を会得し、スローバラードをじっくり聞かせられる歌手に成長。このことは1990年代中頃のバラード3部作のヒットにも大きな影響力をもたらした。
- 1984年 2月25日リリースの『2億4千万の瞳』は国鉄のキャンペーンに使われたが、これは郷の父親が国鉄職員であった縁によるとされる。
- 2007年にはこの曲をアレンジしたものがBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソングとして用いられている。
破局・結婚
- 1978年、ロス在住の日系アメリカ人女性と破局。1985年、祇園の芸奴と浮名を流し、六本木のクラブのNo.1ホステスと『フライデー』される。
- 1985年 1月、交際を公にしていた松田聖子が突然単独で、東宝スタジオの食堂にて涙の破局会見をし話題となる。
- この会見での「生まれ変わったら一緒になろうね」というセリフは大変有名であるが、ここから1か月後に神田正輝と結婚を発表し、世間を驚かせた。
- また後に郷は、「会見することも知らなかった。あんなセリフも言っていない。僕が生まれ変わって虫だったらどうする気だろう?」とジョークを交え応戦した。
- 1987年 6月、二谷友里恵と結婚。結婚披露宴の模様はフジテレビが中継し、視聴率47.6%を記録した。(披露宴中継、歴代最高視聴率)2年間ニューヨークへ移住するなど2女を儲けたが、
- 1998年 4月、結婚から11年で離婚。養育費は1億5千万、慰謝料は数億円といわれる。
ゲリラ・ライブ
- 1999年 8月、JR渋谷駅前の交差点で、『GOLDFINGER '99』のプロモーションとして警察に無届けで白昼ゲリラライブを敢行。
GOLDFINGER'99で再ブレイク後
- 2000年、発表のエッセイ『若気の至り』では裏表紙に自らの女性遍歴を年表風にまとめ「大丈夫かこいつ?」と自虐的コピーをつけ『ダ・ヴィンチ』(2月6日号)で腰巻き大賞に選ばれる。「単に奇をてらう言葉ではなく著者の存在感との合わせ技だ。自虐的なコピーなのに少しも嫌味がないし、かえって好感に繋がってしまうのはヒロミ・ゴーの器量だろう」と選評された。
- 2000年10月、自らオファーを出した元恋人、松田聖子とのデュエットソングをリリースし世間を驚かせ、互いのファンの間でも賛否両論を巻き起こした。同時に、交際していたニューヨーク在住の資産家令嬢名美さんと結婚することも発表。ファンに対して「一日の23時間55分が郷ひろみであり、残りの5分間だけが原武裕美に戻る時間。原武裕美は結婚しても郷ひろみは結婚しない。」と説明し話題になった。
- 2000年11月、NYフォーシーズンスホテルで挙式。再婚する。2001年 3月には、年内いっぱいで日本での芸能活動を一時休止し妻の実家のあるニューヨークに移住することを発表。
- 2001年 5月、2000年8月に郷の親友だった「家庭教師のトライ」創業者と一足先に再婚していた二谷友里恵 は、ダディの続編的告白本『楯』(文藝春秋 )を発売。ベストセラーとなる。これにより離婚後の二方の確執が明るみになった。この内容について郷は、「子供たちのために反論しない」とノーコメントを通した。
- 2001年 6月にリリースした『獣は裸になりたがる』のジャケット写真は、特殊メイクで自ら「獣」になっている。
- 年内いっぱいでの活動休止、ニューヨークに移住した際は、一般には「高須クリニック」のCMでのみ姿が見られる状態であった。(院長の高須克弥とは30年来の付き合い)ただファンクラブ限定でのコンサート、パーティー等は定期的に開催しており、頻繁に帰国していた。
- 2004年12月、郷は二谷に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円(各7500万円)を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして2000万円を請求する訴訟を起こした。離婚後、継続して交渉が行われた結果、訴訟という形になった。
- 2005年4月、二度目の離婚。慰謝料なし。
ニューヨーク充電後
- 2005年 4月、新曲を発表し日本での芸能活動を再開。同時に2度目の離婚も発表。「僕はこれからもなおいっそう努力して郷ひろみを極める。」
- 2005年 12月、『FNS歌謡祭』で久々にヒットメドレーを熱唱。独特のパワフルなステージパフォーマンス「ジャケットプレイ」「櫛で髪をとく」「首を左右に動かす」なども健在。会場に居たジャニーズの後輩たちが立ち上がって声援を送る程、会場が一体となって盛り上がった。
- 2006年 5月、埼玉スタジアムで行われたキリンカップ2006「日本VSスコットランド」戦において国歌独唱を行なった。全身ブルーのスーツで登場し歌い終わった後には、お得意のジャケットプレイで、JFAフラッグを用いたスーツ裏地を見せ、スタジアムをどよめきで沸かせた。
- 2007年 5月、国土交通省が展開する「ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)」のテーマソングに『Come On Baby』が決まり、大臣から感謝状を手渡された。歌詞には訪日旅行のアピールに“Yokoso”という言葉を散りばめ、日本語のみでなく英語バージョンもあり、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語、タイ語の「ようこそ、日本」を意味する言葉が間奏に盛り込まれ、CDのパッケージに“Yokoso! Japan”のステッカーを添付した。
- 2007年 5月、NHKの『英語でしゃべらナイト』に出演し、流暢なニューヨーク仕込みの英語を披露した。司会のパックンには「大学生レベルの英語」と絶賛される。番組内では英語で「考える・行動する・継続する」という人生の哲学を語った。同番組内で新曲『Come On Baby』の英語バージョンを披露する。
- 2007年 5月、放送の日本テレビ「トシガイ」(自分の年齢の数だけ(51歳×1万円)お金を好きなものに使えるという番組企画)を通じて自身が学校建設に貢献したフィリピンを初めて訪問し、子供たちから熱烈な歓迎を受ける。51万円でフィリピンの子供たちに文房具、Tシャツなどをプレゼントした。これからもライフワークにしていきたいと熱く語った[7]。
- 2007年 5月、藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴でスペシャルゲストとして『お嫁サンバ』を披露し、日本テレビで中継された熱唱場面は高視聴率をたたき出した。
- 2007年 6月、『お嫁サンバ』の歌詞「恋する女はきれいさ〜」の「女」の部分に100種類の女性の名前を入れた「着うた」の配信を開始。かつての交際相手「せいこ」(松田聖子)、元妻「ゆりえ」(二谷友里恵)、前妻の「なみ」(名美)の名前もエントリーされた。披露宴で「恋する紀香は・・・」と歌ったのが反響を呼び、着うた要望が殺到したからと説明された。
- 2007年 7月、自ら出演したマンダムCMで元恋人松田聖子の曲(青い珊瑚礁)の替え歌を歌い話題になる。CM出演の条件がこの曲を歌う事だったようで「僕がまさかOKするとはメーカーさんも思っていなかったんじゃない?」と答えた。
- 2008年 4月、の放送のフジテレビ『めちゃ×2イケてるッ!・2億4千万の瞳そして青い珊瑚礁スペシャル』の「めちゃ×2イケメンパラダイス学園」のコーナーでは、郷を終始メインに据え、現役アイドルぶりとともに、歌謡界における「真のスーパースター」の姿を見せ付けた。
- 2008年 11月、スペシャルゲストとして出演した『ベストヒット歌謡祭』でメドレーを歌った際、冒頭で松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌い話題を提供した。
- 2009年 4月、TBS『オールスター感謝祭』のスペシャルアーティストとしてゲスト出演。『2億4千万の瞳』『GOLDFINGER '99』を熱唱し、スタジオにいた200人の芸能人を総立ちさせた。これは司会者の島田紳助の予てからのオファーが実現したもの。
- 2009年5月5日、「コルテオGO!GO!サポーター」に就任。最終日に訪れたコルテオファンに「GO外」を自ら配り、11月4日から12月20日までの東京追加公演を発表した。ステージ上で郷は「ジャパーン」の『2億4千万の瞳』の『男の子女の子』たちにコルテオというアチチなショーのすばらしさを伝えるべく『男願Groove!』な活動をすることを誓います」とヒット曲を織り交ぜノリノリで宣言した。
脚注
- ^ goo音楽『スペシャルインタビュー』「日本に対する想い…」[1]
- ^ シネマ報知『報知映画賞ヒストリー』「第2回(1977年12月28日)@東條会館(東京・半蔵門)」[2]
- ^ 「郷ひろみさんのチャリティーコンサート」『カスパルニュースレター(1996年12月)』
- ^ 「郷ひろみ様に感謝いたします」『特別救済活動カスパル(2007年4月)』
- ^ ひろみ饅頭[3]
- ^ Yahoo!グルメ「御菓子ひろみ」[4]
- ^ 『トシガイ』(日本テレビ)「第7回郷ひろみ(2007年5月17日)」