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「越生町」の版間の差分

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*[[島田裕介]]([[サッカー]]選手)
*[[島田裕介]]([[サッカー]]選手)
*[[SUSHIBOYS]] (ヒップホップグループ)
*[[SUSHIBOYS]] (ヒップホップグループ)
*ポテチ姉貴([[武蔵越生高等学校]]出身)


==事件・事故==
==事件・事故==

2021年3月21日 (日) 07:38時点における版

おごせまち ウィキデータを編集
越生町
越生町旗 越生町章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
入間郡
市町村コード 11327-1
法人番号 6000020113271 ウィキデータを編集
面積 40.39km2
総人口 10,407[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 258人/km2
隣接自治体 飯能市入間郡毛呂山町比企郡ときがわ町鳩山町
町の木 ウメ
町の花 ヤマブキ
町の鳥 ウグイス
越生町役場
町長 新井康之
所在地 350-0494
埼玉県入間郡越生町大字越生900-2
北緯35度57分52.2秒 東経139度17分39.1秒 / 北緯35.964500度 東経139.294194度 / 35.964500; 139.294194
外部リンク 公式ウェブサイト

越生町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
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越生町(おごせまち)は、埼玉県のほぼ中央に位置し、入間郡に属する

人口は約1万1千人。関東三大梅林の1つである越生梅林を有する。

地理

歴史

  • 1889年4月1日 - 入間郡越生、上野、如意、黒岩、西和田、大谷、鹿下、成瀬村、比企郡古池村の9か村が合併、入間郡越生町が成立。
  • 1955年2月11日 - 梅園村を編入。

町名の由来

「越生」を「おごせ」と読む難読地名であるが、その由来は諸説あるものの、この地が関東平野の西端で秩父山地に接しているために秩父地方との往来は尾根を越していかねばならず、その「尾根越し(おねごし)」が「尾越し(おごし)」となり、それがやがて「おごせ」と変化したと言われている[1]。また、柳田國男も次のように述べている。

埼玉縣入間郡越生(オゴセ)町、群馬縣利根郡赤城根村生越(オゴセ)などの例は、寧ろ峯越ヲゴシの意味ではあるまいか。(中略)地勢も峰越の方がふさはしいやうに思はれる。 — 柳田國男、『山の神とヲコゼ』寧楽書院、1936、pp.102-103.

人口

越生町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 10,147人
1975年(昭和50年) 10,734人
1980年(昭和55年) 11,361人
1985年(昭和60年) 11,622人
1990年(平成2年) 12,497人
1995年(平成7年) 13,609人
2000年(平成12年) 13,718人
2005年(平成17年) 13,356人
2010年(平成22年) 12,540人
2015年(平成27年) 11,716人
2020年(令和2年) 11,029人
総務省統計局 国勢調査より


行政

町長

  • 新井雄啓(2013年2月25日就任、2期目)

歴代町長

  • 越生町歴代町長[2]

広域行政

一部事務組合
協議会

経済

産業

農業

江戸時代から越生梅林に表されるように、果樹生産・加工業が盛んである[注釈 1]

  • - 栽培面積40ヘクタール、年間収穫量約225トンで、県内随一の産地となっている。
  • ゆず - 栽培面積25ヘクタール、年間生産量約100トンで、収穫量、出荷量はともに関東一の産地となっている。
工業
  • 越生うちわ(伝統工芸) - 明治時代末には240万本の製造数があった大産業であったが、現在は1件を残すのみとなっている。一般的な丸い団扇ではなく、四角い形をしており頑丈であるため、強い風が起こせるという特徴がある。
  • 建具 - 周辺地域と同じく、かつては建具産業が盛んだった。

金融機関

地域

教育

小学校
中学校
高等学校
専修学校

町の施設

  • やまぶき公民館
  • ゆうがく館
  • 中央公民館
  • 山吹保育園
  • 地域交流センター
  • 武道館
  • 町立図書館

一部事務組合の施設

警察

西入間警察署(坂戸市)管轄

  • 越生交番
  • 梅園駐在所

消防

電話番号

市外局番は町内全域が「049」。市内局番が「2XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(川越MA)。収容局は越生局のみ。

郵政

郵便番号は町内全域が「350-04xx」である。

交通

鉄道路線

中心となる駅:越生駅

バス路線

かつて、当町には東武バスの車庫(川越営業所越生出張所)が存在したが、1977年に坂戸市に移転して川越営業所坂戸出張所となった。

タクシー

タクシーの営業区域は県南西部交通圏。

道路

県道
高速道路でのアクセス

高速道路は町内を通っていないが、鶴ヶ島市にある圏央道圏央鶴ヶ島ICの出口標識が「鶴ヶ島 越生」となっている。

  • 首都圏中央連絡自動車道・圏央鶴ヶ島ICから、国道407号・埼玉県道114号川越越生線を利用して約13km
  • 関越自動車道・東松山ICから、国道254号・埼玉県道41号東松山越生線を利用して約13km

観光ほか

名所

越生梅林
黒山三滝
越生梅林周辺
  • 越生梅林 - 関東三梅林、付近は江戸時代からの行楽地として知られる。を栽培している農家が多い。
  • 梅園神社 - 元は小杉天神社
  • 慈雲閣
  • 佐藤酒造
  • 健康寺 - 太田道灌の父、太田道真の隠居地
黒山周辺
  • 黒山三滝 - 室町時代に山岳宗教修験道の拠点として開かれ、江戸時代に人気の行楽地となった。
  • 四寸道 - 下戸橋から高山不動(常楽寺)や子の権現を結ぶ尾根筋の旧道である[4]
  • 黒山鉱泉
  • 龍穏寺 - 太田道真、道灌親子に縁のある寺。江戸時代には関三刹として明治維新までの間絶大な権力を持っていた。
  • 戸神の代官屋敷
越生駅周辺
その他

祭事

著名な出身者

事件・事故

1996年に町民の7割にあたる8800名の集団感染事件が発生した。これは町営水道の消毒が不完全であったためクリプトスポリジウム原虫が水道水に混入したためである。なお、この原虫は越辺川上流においてヒト由来により混入したことが示唆されているものの、[6]具体的な混入地点が特定されたという情報は確認されていない。

脚注

注釈

  1. ^ 新編武蔵国風土記稿の津久根村の項に「土地梅に宜しく梅の樹多く植ゆ、実を取って梅干として江戸に送る。比辺皆同じけれど殊に当村に多しといふ」と記されている[3]

出典

  1. ^ 越生町ホームページ「越生町の概要 町の紹介」
  2. ^ 越生町歴代町長「平成28年版統計おごせ 17選挙・行政より」” (PDF). 越生町総務課. p. 56. 2020年1月13日閲覧。
  3. ^ 新編武蔵風土記稿津久根村.
  4. ^ 新井良輔「四寸道随想」『奥武蔵』第176号、奥武蔵研究会、1977年、pp.4-5. 藤本一美「読図山行 「四寸道」とは? 高山街道(往還)探索行」『奥武蔵』第221号、奥武蔵研究会、1985年、pp.5-7.
  5. ^ 越生町公式ホームページ つつじ.
  6. ^ 水道水汚染によるクリプトスポリジウム症の集団発生 7ページ 2013年7月7日閲覧

参考文献

  • 「津久根村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ174入間郡ノ19、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764003/100 
  • つつじ”. 越生町公式ホームページ. 2019年12月3日閲覧。

外部リンク


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