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2008年11月18日 (火) 07:36時点における版
レアル・マドリード | |
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原語表記 | Real Madrid Club de Fútbol |
愛称 |
Madrid, Merengue, Blancos, Vikingos, Los Galacticos |
クラブカラー | 白 紫 |
創設年 | 1902年 |
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ |
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン |
ホームタウン | マドリード |
ホームスタジアム | エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ |
収容人数 | 80,162 |
代表者 | ラモン・カルデロン・ラモス |
監督 | ベルント・シュスター |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
レアル・マドリード・クラブ・デ・フットボール(Real Madrid Club de Fútbol)は、スペインの首都マドリードに本拠地を置くサッカークラブチーム。
概要
1902年に創設。ホームスタジアムはエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。現在は、リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属し優勝回数は国内最多31回、更にUEFAチャンピオンズリーグの優勝回数は大会創設期の5連覇を含む9回と世界最多を誇り、FIFAにより「20世紀最強のクラブ」に認められた、世界屈指の超名門クラブである。
因みに、同チーム創設当初のスペインにはサッカーを統括する団体がなく(スペインサッカー連盟は1909年創設)、また、同チームが唯一のサッカー団体であったため、スペインを代表してFIFAの創設メンバーに名を連ねた。
FCバルセロナ、アトレティコ・マドリードの両クラブとは永遠のライバルである。バルセロナとの対戦はエル・クラシコ (El Clásico) と呼ばれ、100年近く因縁の対決を続けている。アトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー (Derbi Madrileño) と呼ばれ、この2試合は非常に白熱している。また、この3クラブをスペイン3大名門クラブと言う。
同チームからは、数々の名プレーヤーが輩出された。アルフレッド・ディ・ステファノ、レイモン・コパ、フェレンツ・プスカシュ、ウーゴ・サンチェス、エミリオ・ブトラゲーニョ、ホルヘ・バルダーノ、フェルナンド・イエロ、ラウール・ゴンサレス、グティ、イケル・カシージャス等。
また、一般的にはサッカークラブチームが有名だが、バスケットボールのクラブチームも持つ、総合スポーツクラブである。スペインバスケットボールリーグ1部ACBのレアル・マドリード・バロンセストがそれであり、優勝回数1位を誇る屈指の名門クラブである。
呼称
Real Madrid Club de Fútbol は、一般的なスペイン語では「レアル・マドリー・クラブ・デ・フトボル」と発音する。ただし、マドリード首都圏では前半部分を「レアル・マドリース」と発音する(→マドリード#発音・表記参照)。「レアル」は「王の」「王立の」という意味で、英語のRoyalと同じである。
略称は、日本の他、ヨーロッパの多くの地域では「レアル」である。しかし、スペイン国内で「レアル」と言えばレアル・ソシエダ(愛称:ラ・レアル)を指し、レアル・マドリードは「マドリー」と都市名で呼ばれる事が多い。
愛称は、チームカラーの白をとってエル・ブランコ (El Blanco) やメレンゲ (Merengue)。ここ数年のペレス会長時代は、在籍している選手の豪華さからロス・ガラクティコス(Los Galácticos。英語読みはギャラクティコス)とも呼ばれていた。日本のメディアでは「エル・ブランコ」を意訳した「白い巨人」、「ロス・ガラクティコス」を意訳した「銀河系軍団」や「スーパースター軍団」という呼び名も用いられる。
クラブの歴史
サンティアゴ・ベルナベウ時代
1943年にサンティアゴ・ベルナベウが会長の座に就任。1953-54シーズンに21シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、翌1954-55シーズンも優勝、1956-57、1957-58シーズンには連覇を達成した。
また、バロンドール受賞のアルフレッド・ディ・ステファノ、レイモン・コパやフェレンツ・プスカシュなどを擁し、1955年から始まったUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)では第1回大会の1955-56シーズンから1959-60シーズンまで5連覇という偉業を達成した。なお、5連覇はUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)の最多連続優勝記録であり、2位はアヤックスとバイエルン・ミュンヘンの3連覇である。
1960年代には1960-61シーズンから1964-65シーズンまで国内リーグを5連覇。翌1965-66シーズンはタイトルを逃すものの、1966-67シーズンからは1968-69シーズンは3連覇と9年間で8度のリーグ優勝を記録した。1970年代になっても、1974-75、1975-76、1976-77シーズンと国内リーグを3連覇した。ベルナベウが死去してルイス・デ・カルロスが会長になった後の1977-78、1978-79シーズンも優勝し、1960年代前半に続いて国内リーグ5連覇を達成した。この功績がたたえられ、現在のレアル・マドリードの本拠地のスタジアムにベルナベウの名前が使われている。
ラモン・メンドーサ時代
1979-80シーズンまでの国内リーグ5連覇後、レアル・マドリードは国内リーグとUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグというビッグタイトルから遠ざかっていたが、メンドーサが1985年に会長に就任すると1985-86シーズンに6シーズンぶりの国内リーグ優勝を果たす。その後も1989-90シーズンまでレアル・マドリード史上3度目となる国内リーグ5連覇を達成した。 しかし、1990年代前半はロマーリオやフリスト・ストイチコフなどのスタープレイヤーを擁しヨハン・クライフを監督に迎えたFCバルセロナに主導権を握られる。レアル暗黒の時代の到来であった。
また、1994年にエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの改修を行い、この改修費用などでレアル・マドリードは負債を抱えることとなった。
ロレンソ・サンス時代
ここから、再びレアルの栄光の時代が幕を開ける。 FWラウール・ゴンサレス、フェルナンド・モリエンテス、プレドラグ・ミヤトヴィッチを筆頭にMFにはサヴィオ、フェルナンド・レドンド、クラレンス・セードルフ、スティーヴ・マクマナマン、DFにはロベルト・カルロス、フェルナンド・イエロといったスタープレイヤーが揃い始める。 1996-97シーズンに国内リーグで優勝すると、1997-98シーズン、1999-00シーズンとUEFAチャンピオンズリーグを3年間に2度制覇することになる。
フロレンティーノ・ペレス時代
辣腕経営者ペレスは旧練習場敷地の売却でメンドーサ、サンス時代に膨らんだ負債を一掃し、豊富な資金力と『レアル・マドリード』というネームバリューを生かし、「毎年一人はビッグネームを獲得する」と会長就任直後に宣言。
豊富な資金力と有言実行の行動力で世界のトッププレーヤーを次々と獲得。そのド派手なやり方に世界中にレアル・マドリードの存在を知らしめることとなった。
- 2000年には会長選で公約したルイス・フィーゴを宿敵FCバルセロナから移籍金当時史上最高額で獲得(禁断の移籍と言われる)し、リーグ優勝を達成するが、UEFAチャンピオンズリーグはベスト4。
- 2001年にはユヴェントスからジネディーヌ・ジダンを前年のフィーゴを上回る移籍金で獲得し、見事5年で3度目となるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を飾る。
- このころから、その豪華なメンバーと他をよせつけない強さと優雅さを兼ね備えたサッカースタイルから銀河系軍団と呼ばれるようになる。スター選手と生え抜きの若手を組み合わせる構想を、ペレスは「ジダネス&パボネス」と表現した(ジダネスとはジネディーヌ・ジダンのようなスター選手、パボネスとはフランシスコ・パボンのようなカンテラ出身の選手という意味)。
- 2002年にはUEFAチャンピオンズリーグ優勝で得たボーナスなどを元に、インテルからロナウドを獲得し、リーグ優勝を飾る。
過去5年のバロンドール受賞者のうち、3人(フィーゴ、ジダン、ロナウド)がチームのスタメンを張り、人気・実力とも世界のトップに立った。そしてこのままレアル王朝は当分続くと思われた。
守備での貢献度が高かったクロード・マケレレの放出が一つの転換期であった。それでも「ビッグネームを獲り続ける」という方針に変更はなく、攻撃と守備のバランスが徐々に崩れていった。
- 2003年には、それまで個性の強いスター軍団を上手く纏めあげ結果を残していたビセンテ・デル・ボスケ監督を解任し、マンチェスター・ユナイテッドでアシスタントコーチを務めていたカルロス・ケイロスを新監督に迎える。また、中盤の汗かき役、クロード・マケレレを給与問題のもつれで解雇(のちにチェルシーへ移籍)し、監督のアレックス・ファーガソンと確執のあったデビッド・ベッカムをマンチェスター・ユナイテッドから獲得する。しかしマケレレの代役となる選手がいないため、その2003-04シーズンは守備が崩壊し、無冠に終わった。
- 2004年にはリヴァプールからFWのマイケル・オーウェンを獲得。しかしオーウェンの活躍の場は少なく、2004-05シーズンはまたもや無冠に終わった。
- ポジションが重なる選手を獲得したりすることがあった(2003年のベッカム獲得時、中盤の右サイドにはフィーゴがいた)。そのため、ビッグネームとして獲得されたが、レギュラーの座を獲得できなかった選手が現れるようになり、このような立場であったオーウェン(出場試合数と比較すると得点率が高いにもかかわらず十分な出番が与えられなかった)は出場機会を求め、移籍後わずか1年でチームを去っている。こういうポジションが重複した補強をしていたことで、当時、日本のプロ野球チーム読売ジャイアンツも同じように重複した補強をしていたことから、日本では「白い巨人軍」と揶揄されたりもした。
また、ビッグネームとそれ以外の選手との年俸格差が激しく、ビッグネームは年俸も銀河系と言われているのに対し、下部組織からの昇格組など、それ以外の選手はスタメンであっても給料面で冷遇されていた。 攻撃と守備のバランスは完全に崩壊し、リーグ下位に低迷するチームに敗れることもあった。そのため、最近になって守備面を見直し、イケル・カシージャスなど守備陣を中心にビッグネーム以外の選手の給料もある程度見直されている。
これらスター偏重路線は純粋な戦力補強以外に、世界市場でのマーケティング戦略という意義も強い。2003年からは、リーグ戦が終了すると興行として世界ツアー(世界各地を回り、その国のクラブチームと親善試合を行うと同時にグッズ販売などを行う)を行うようになった。そのため、新シーズンに向けての練習期間が短く、新加入のチームメイトとの連携やコンディション維持が難しくなり、ツアーの疲労を残したまま新シーズンを迎えることもあった。巨額の資金をつぎ込んできたが、2002-03シーズンのリーグ優勝を最後に、ビッグタイトル獲得なしの状態が続き、2006年2月にUEFAチャンピオンズリーグとリーグ戦での連敗により3シーズン連続の無冠が濃厚になったためペレスは責任を取る形で辞任した。任期前半は世界のサッカーシーンをチームに釘付けにしたが、任期後半はその注目度に応えられる結果が得られなかった時代となった。
フェルナンド・マルティン・アルバレス時代
アルバレスは、ペレス時代の『銀河系軍団』の構想を真っ向から否定した。クラブへの貢献度を給料査定の基準にし、給料分働かない者はクラブから出て行ってもらうと発言したがビッグクラブの重圧は重く、会長職を2ヶ月で辞任した。
ラモン・カルデロン時代
カルデロンは2006-07シーズン前に行われた会長選に勝利するとタイトル奪還に向けて行動した。手始めに、セリエAの八百長問題でセリエBに降格したためユヴェントスの監督を辞任したファビオ・カペッロを新監督として招聘。規律を重んじ、1996-97シーズンにマドリーの監督としてリーグ優勝の経験があるカペッロにチーム編成も一任した。カペッロはユヴェントス時代の教え子ファビオ・カンナヴァーロやエメルソン、またオリンピック・リヨンのリーグ・アン5連覇に貢献したマアマドゥ・ディアッラを獲得し長年の懸案だった脆弱な守備面を立て直すとともに、攻撃面でもマンチェスター・ユナイテッドで起用法に不満を漏らしていたルート・ファン・ニステルローイ、母国スペイン凱旋を希望していたアーセナルのホセ・アントニオ・レジェスを獲得し、就任直後から堅守速攻型のチームを作り上げた。またシーズン序盤にトーマス・グラベセン(スコティッシュ・プレミアリーグのセルティックへ)やジュリオ・バティスタ(プレミアリーグのアーセナルへ)など余剰戦力を放出すると共に、衰えを見せてきたロナウド(セリエAのACミランへ)やデビッド・ベッカム(2007年夏よりメジャーリーグサッカーのロサンゼルス・ギャラクシーへ)をベンチ要員にするなど、ペレス時代に作り上げた銀河系軍団の解体も行っている。
また冬の市場では近未来を見据えてマルセロ、フェルナンド・ガゴ、ゴンサロ・イグアインの3人の若手選手を獲得し、スタメンで起用するなど世代交代も図っている。ここ数年は南米路線を取っていたが、若手をカンテラ(下部組織)から昇格させるのではなく国外の選手を集めるやり方に不満の声が出ている。しかし、最終的に2006-07シーズンはリーガ・エスパニョーラのタイトルを4シーズンぶりに獲得した。しかし10年前と同様にサポーターから「守備的すぎる」との批判が噴出し、クラブからも「我々の求めるスペクタクルなサッカーではない」とされ、タイトルを4シーズンぶりに獲得したのにも関わらずシーズン終了後にカペッロは解任され、前ヘタフェ監督のベルント・シュスターが新監督に就任した。移籍市場でも活発な動きを見せ、ヴェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベンらを総額1億ユーロ以上の大金を注ぎ込み獲得。一方でフランシスコ・パボン、アルバロ・メヒアらカンテラ出身の選手を多く放出、フロレンティーノ・ペレスが掲げた「ジダネス&パボネス」は完全に終結した。2007-08シーズンは、ライバルのFCバルセロナやビジャレアルとの直接対決を制するなど、史上最多となる勝ち点85で18年ぶりとなるリーガ・エスパニョーラ連覇を達成した。またクラブは、2008年2月にチームの象徴イケル・カシージャス、ラウール・ゴンサレス、グティの3人と生涯契約を結んだ。
2008年8月の移籍市場では以前から興味を寄せていたマンチェスター・ユナイテッドのクリスティアーノ・ロナウド獲得に全力を注ぐも同クラブのアレックス・ファーガソン監督の激しい抵抗に遭い失敗、さらに同選手獲得を巡りクラブとの関係が悪化していたロビーニョをマンチェスター・シティへ放出した。新加入選手はラファエル・ファン・デル・ファールト(ハンブルガーSVより)、ルベン・デ・ラ・レッド(買い戻しオプションを行使され、ヘタフェから復帰)、ハビ・ガルシア(同様に、オサスナから復帰)、エセキエル・ガライ(ラシン・サンタンデールに1年間の期限付き移籍により、2009年夏より加入の予定)のみとなった。
タイトル
国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン : 31回
- 1931-32, 1932-33, 1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08
- スペイン国王杯 : 17回
- 1904-05, 1905-06, 1906-07, 1907-08, 1916-17, 1933-34, 1935-36, 1945-46, 1946-47, 1961-62, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1979-80, 1981-82, 1988-89, 1992-93
- コパ・デ・ラ・リーガ : 1回
- 1984-85
- スペイン・スーパーカップ : 8回
- 1988, 1989, 1990, 1993, 1997, 2001, 2003, 2008
国際タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ : 9回
- 1955-56, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66, 1997-98, 1999-00, 2001-02
- UEFAカップ : 2回
- 1984-85, 1985-86
- UEFAスーパーカップ : 1回
- 2002
- トヨタカップ : 3回
- 1960, 1998, 2002
- ラテン・カップ : 2回
- 1955, 1957
過去の成績
- 1976-77 プリメーラ・ディビシオン 9位
- 1977-78 プリメーラ・ディビシオン 優勝
- 1978-79 プリメーラ・ディビシオン 優勝
- 1979-80 プリメーラ・ディビシオン 優勝
- 1980-81 プリメーラ・ディビシオン 2位
- 1981-82 プリメーラ・ディビシオン 3位
- 1982-83 プリメーラ・ディビシオン 2位
- 1983-84 プリメーラ・ディビシオン 2位
- 1984-85 プリメーラ・ディビシオン 5位 UEFAカップ 優勝
- 1985-86 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAカップ 優勝
- 1986-87 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト4
- 1987-88 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト4
- 1988-89 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト4
- 1989-90 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト16
- 1990-91 プリメーラ・ディビシオン 3位 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト8
- 1991-92 プリメーラ・ディビシオン 2位 UEFAカップ ベスト4
- 1992-93 プリメーラ・ディビシオン 2位 UEFAカップ ベスト8
- 1993-94 プリメーラ・ディビシオン 4位 UEFAカップウィナーズカップ
- 1994-95 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAカップ ベスト32
- 1995-96 プリメーラ・ディビシオン 6位 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト8
- 1996-97 プリメーラ・ディビシオン 優勝
- 1997-98 プリメーラ・ディビシオン 4位 UEFAチャンピオンズリーグ 優勝
- 1998-99 プリメーラ・ディビシオン 2位 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト8
- 1999-00 プリメーラ・ディビシオン 5位 UEFAチャンピオンズリーグ 優勝
- 2000-01 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト4
- 2001-02 プリメーラ・ディビシオン 3位 UEFAチャンピオンズリーグ 優勝
- 2002-03 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト4
- 2003-04 プリメーラ・ディビシオン 4位 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト8
- 2004-05 プリメーラ・ディビシオン 2位 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト16
- 2005-06 プリメーラ・ディビシオン 2位 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト16
- 2006-07 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト16
- 2007-08 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト16
現所属選手
2008年11月5日対ユヴェントス戦スターティングメンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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*はBチームチーム登録選手
- 括弧内はその他の保有国籍
ローン移籍
- in
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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2008-09シーズン移籍
歴代監督
氏名 | 国籍 | 期間 |
---|---|---|
アーサー・ジョンソン | イングランド | 1910-1920 |
フアン・デ・カルセル | スペイン | 1920-1926 |
ペドロ・ジョレンテ | スペイン | 1926 |
ホセ・ベラオンド | スペイン | 1927-1929 |
ホセ・キランテ | スペイン | 1929-1930 |
Lippo Hertza | ハンガリー | 1930-1932 |
ペドロ・ジョレンテ | スペイン | 1932 |
Robert Firsth | オーストリア | 1932-1933 |
パコ・ブル | スペイン | 1934-1941 |
フアニート・アルメ | スペイン | 1941-1943 |
ラモン・エンシナス | スペイン | 1943-1945 |
パブロ・エルナンデス・コロナド | スペイン | 1945 |
ハシント・キンコセス | スペイン | 1945-1946 |
バルタサール・アルベニス | スペイン | 1946-1948 |
マイケル・A・キーピング | イングランド | 1948-1950 |
エクトル・スカローネ | ウルグアイ | 1951-1952 |
フアン・アントニオ・イピーニャ | スペイン | 1952-1953 |
エンリケ・フェルナンデス | ウルグアイ | 1953-1955 |
ペペ・ビジャロンガ | スペイン | 1955-1957 |
ルイス・カルニグリア | アルゼンチン | 1957-1959 |
マヌエル・フレイタス | パラグアイ | 1959-1960 |
ミゲル・ムニョス | スペイン | 1960-1973 |
ルイス・モロウニー | スペイン | 1974 |
ミラン・ミリャニッチ | ユーゴスラビア | 1974-1977 |
ルイス・モロウニー | スペイン | 1977-1979 |
ブヤディン・ボシュコフ | ユーゴスラビア | 1979-1982 |
ルイス・モロウニー | スペイン | 1982 |
アルフレッド・ディ・ステファノ | アルゼンチン | 1982-1983 |
アマンシオ・アマーロ | スペイン | 1983-1984 |
ルイス・モロウニー | スペイン | 1985-1986 |
レオ・ベーンハッカー | オランダ | 1986-1989 |
ジョン・トシャック | ウェールズ | 1989-1990/1999 |
アルフレッド・ディ・ステファノ | アルゼンチン | 1990-1991 |
ラドミール・アンティッチ | ユーゴスラビア | 1991 |
レオ・ベーンハッカー | オランダ | 1992 |
ベニト・フローロ | スペイン | 1992-1993 |
ビセンテ・デル・ボスケ | スペイン | 1993-1994/1995-1996/1999-2003 |
ホルヘ・バルダーノ | アルゼンチン | 1994-1995 |
アルセニオ | スペイン | 1996 |
ファビオ・カペッロ | イタリア | 1996-1997/2006-2007 |
ユップ・ハインケス | ドイツ | 1997-1998 |
ホセ・アントニオ・カマーチョ | スペイン | 1998/2004 |
フース・ヒディンク | オランダ | 1998-1999 |
カルロス・ケイロス | ポルトガル | 2003-2004 |
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ | ブラジル | 2004-2005 |
フアン・ラモン・ロペス・カロ | スペイン | 2005-2006 |
ベルント・シュスター | ドイツ | 2007- |
歴代所属選手
GK
- リカルド・サモラ 1930 - 1936
- フリオ・イグレシアス 195? - 1963
- ロヘリオ・ドミンゲス 1958 - 1961
- ミゲル・アンヘル 1968 - 1985
- マリアノ・ガルシア・レモン 1971 - 1984
- フランシスコ・ブージョ 1986 - 1997
- サンティアゴ・カニサレス 1994 - 1998
- ボド・イルクナー 1996 - 2001
- ディエゴ・ロペス 2004 - 2007
DF
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MF
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FW
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ユニフォーム
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- チームカラーは白、紫
- 胸スポンサー:bwin
世界ツアー
レアル・マドリーは海外市場の開拓とチームのPRを兼ねて、ヨーロッパのビッグクラブに先駆けプレシーズンに日本を始め韓国、中国、アメリカなどの国々を転戦して親善試合を行う世界ツアーを実施しており、日本では夏の風物詩となりつつある。最も早くツアーの実施国になった日本へは、2003年から3年連続で来日。テレビ中継やグッズなどの売り上げで膨大なマネーを獲得しているが、その一方でプレシーズン中に世界ツアーを実施することは選手達に大きな負担となり、必ずしも選手達には受けいれられていない。タイトルから遠ざかった時期が日本ツアーを始めた年と重なる。
このうち、2005年7月25日開催の東京ヴェルディ戦は0-3の敗戦を喫し、日本のチームに対しての初黒星を喫した。当時の東京VはJ1の18クラブ中17位、直近の6試合で26失点を喫するなど低迷を極めており、その東京Vに完敗するなどツアーの過酷さが浮き彫りになっていた。2006年以降は会長交代による方針変更のため世界ツアーは実施されていない。
映画化
- 2006年、同クラブを題材にした映画「レアル・ザ・ムービー」が製作された。これは、クラブのドキュメンタリー映画としてだけでなく世界の5大都市(東京、ニューヨーク、ベネズエラ、セネガル、マドリード)を舞台に、そこに住む熱狂的マドリーファンの生き様を描くフィクションとの混同形式で製作された。
関連項目
- レアル・マドリード・カスティージャ - レアル・マドリードのBチーム。
- レアル・マドリードC - 同じくCチーム。
外部リンク
- Realmadrid.com - 公式サイト
- French Website Unofficial
- Unofficial Polish Website
- Unofficial Spanish Website
- 熱狂的レアル・マドリードファン - ファンサイト
- ホームユニフォーム(08-09)
- アウェイユニフォーム(08-09)
- UEFAチャンピオンズリーグ用ユニフォーム(08-09)
- Real Madrid YouTubeオフィシャルチャンネル