「日本航空」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
1行目: | 1行目: | ||
{{redirect|JAL|グループを統括している会社|日本航空}} |
{{redirect|JAL|グループを統括している会社|日本航空}} |
||
{{保護依頼}} |
|||
[[Image:Jal.747.newcolours.arp.750pix.jpg|thumb|300px|日本航空インターナショナルのボーイング747-400型機]] |
[[Image:Jal.747.newcolours.arp.750pix.jpg|thumb|300px|日本航空インターナショナルのボーイング747-400型機]] |
||
[[Image:JAL Building.jpg|thumb|300px|日本航空インターナショナル本社が入居する<br/>JALビルディング]] |
[[Image:JAL Building.jpg|thumb|300px|日本航空インターナショナル本社が入居する<br/>JALビルディング]] |
2007年11月5日 (月) 02:19時点における版
株式会社日本航空インターナショナル(-にほんこうくう、英語表記Japan Airlines International Co.,Ltd.)は、日本の航空会社。株式会社日本航空(持株会社)の完全子会社であり、日本最大の航空会社で日本のフラッグ・キャリアである。
JALグループ再編の一環として2004年に日本航空株式会社から社名変更し国際線担当会社として発足したが(社名はその再編構想による名残りである)、後に国内線担当の日本航空ジャパンを吸収合併したことにより、JAL便の運行を受け持つ単一の事業会社となった。グループを代表する中核事業会社として、一般には持株会社同様、日本航空、日航、JAL(ジャル)と通称されることが多い。
概要
社名 | 株式会社日本航空インターナショナル Japan Airlines International, Co., Ltd. |
設立 | 1953年10月 |
本社住所 | 東京都品川区東品川二丁目4番11号 JALビルディング |
従業員数 | 14,989名 |
資本金 | 188,550,335,984円 (日本航空100%) |
航空会社コード | JAL/JL |
無線呼出名称 (コールサイン) |
JAPAN AIR (ジャパンエア) |
拠点空港 | 国内線: 東京国際空港(使用:第1旅客ターミナル) 大阪国際空港(使用:北ターミナル) 国際線: 成田国際空港(使用:第2旅客ターミナル) 関西国際空港(使用:南ウィング) |
企業スローガン | 「安心とこだわりの品質で、世界を結ぶ『日本の翼』になる」 |
備 考 | 売上高は世界航空会社の中で5位(2006年度) 旧日本航空ジャパンではコールサインに J BIRD(ジェイバード)を使用していた |
設立
1950年6月の連合軍総司令部による第二次世界大戦後の占領期における日本の航空会社による運行禁止期間の解除を受け、1951年1月に国内航空運送事業免許の取得を目指して「日本航空創立準備事務所」が開設された。
しかし同時期に他にも4社が国内航空運送事業免許の申請の意向を見せたために、行政指導により、最も具体性の高い運送事業案を提示していた日本航空に最終的に一本化され、同年3月に国内航空運送事業の免許を申請。その2ヶ月後の同年5月に営業免許を取得したことを受けて、同年8月に「日本航空株式会社」として設立された。
日本政府主導による半官半民の体制で、設立当初の本社は東京都中央区銀座(現在銀座日航ホテルがある場所)に置かれ、資本金は1億円であった。なお、この時点においてはあくまで定期運行開始の為の準備期間であり、まだ社有機は1機もない状況であったため社員は取締役会長の藤山愛一郎以下わずか39名であった。
その後、定期運航開始に向けて、まず同年8月27から29日にかけてフィリピン航空からチャーターしたダグラスDC-3型機で試験招待飛行を実施した他、9月には羽田空港や大阪、福岡、札幌などの当初の就航予定地に支所や出張所を開設した。
定期旅客運航開始
10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便としてアメリカのノースウエスト航空から乗員とともにリースしたマーチン2-0-2型機「もく星号」で羽田空港-伊丹空港-板付空港間の定期旅客運航を開始した。その後11月1日より正規ダイヤの運航に移り、羽田空港-千歳空港間の運航も開始するとともに、より大型のダグラスDC-4B型機もノースウエスト航空からリースした。
運行開始時には社員数が162名に増えたものの、当初は国内線の運航のみで、しかも当時日本に乗り入れていた旧連合国陣営の外国航空会社5社による共同設立会社であるJDAC(Japan Domestic Airline Company)との運航委託を条件とした営業免許だったこともあり、JDACの1社であるノースウエスト航空の機材と運航乗務員による委託運航という体制だった。しかし翌1952年10月にノースウェスト航空との運航委託契約が切れるのを待って、新たに購入したダグラスDC-4B型機によって自社運航機材と自社運航乗務員による自主運航を開始した。
また、これに先立つ同年6月には、国内ローカル線用にイギリス製の近距離向けプロペラ機のデハビランド DH.114 ヘロン型機を発注した他、7月には、本格的な国際線運航に向けて、英国海外航空やパンアメリカン航空、カナダ太平洋航空などのライバル各社に続き、1952年に就航したばかりのイギリス製の最新鋭ジェット旅客機であるデハビランドDH106 コメット型機の最新型であるコメットIIを2機発注。さらに9月にはダグラスDC-4B型機に代わる国際線主力機としてダグラスDC-6B型機も相次いで発注した。
しかしDH.114 へロンは翌1953年年8月に公布、施行された日本航空株式会社法(なお、日本航空株式会社法の公布に基づき、同年10月には新しい「日本航空株式会社」が誕生した)の規定により、日本航空の運航路線が国際線および国内の幹線に限定されることとなったため、自社で運行乗務員の訓練用に使用した後、1954年2月から8月にかけて日本ヘリコプター(現在の全日空)に賃貸し、その後同社に売却することになった。また、コメットIIもその後設計ミスにより空中分解する連続事故を起こし運航が停止となったため、その後多くの航空会社と同様に発注をキャンセルした。
国際線運行開始
1953年11月には初の国際線となる東京(羽田空港)-サンフランシスコ線の運航を、昨年に発注したダグラスDC-6B型機によって開始した。さらに翌年には当時アメリカの占領下にあり、国際線扱いであった沖縄線(羽田空港-那覇空港間)の運航を開始した。
運航開始当初は新鋭機を揃え、しかも長年の実績があり信頼性の高いパンアメリカン航空やノースウェスト航空、英国海外航空などの諸外国の航空会社との競争に苦戦したものの、ニューヨークやサンパウロ、香港などに相次いで支所や営業所を開設し、海外での営業を強化するなどの地道な営業努力が実を結び、その後1955年度には国際線、国内線とも黒字に転じた。また、新たな国際線機材としてダグラスDC-7C型機を導入した他、整備やグランドハンドリングの子会社を次々に設立するなど自社整備体制を充実させ、他社との競争に対抗してゆくこととなる。
なお、機材ラインナップや整備体制が充実し企業としての体制が整ったこの頃より、皇族や首相、閣僚の海外公式訪問や国内移動の際に日本航空の特別機が頻繁に使用されることになり、1954年8月には、北海道で開かれた国民体育大会開会式から帰京する昭和天皇と香淳皇后のために、初の皇族向け特別機が千歳空港-羽田空港間で運航された。これは天皇として史上初の飛行機による移動であった。なお、日本航空機による皇族や政府首脳向けの特別機は、1992年にボーイング747-400型機2機が政府専用機として導入されて以降も度々運航されている。
1955年12月には、先にキャンセルしたデハビランド・DH106 コメット型機に代わるジェット旅客機として、当時ボーイング社が開発を進めていたボーイング707型機と、ダグラス社が開発を進めていたDC-8型機の2機種を選択し様々な条件を比べた結果、ダグラスDC-8型機4機の導入を正式に決定した。なお、当時日本航空および日本政府の外貨準備高がまだまだ低かったこともあり、その購入資金の4分の3はアメリカ輸出入銀行とダグラス社からの借款によって調達した。
1960年代
1960年8月には、先月に受領したダグラスDC-8を太平洋路線に投入した他、翌1961年6月には、これまではエールフランス航空との共同運営だった北回りヨーロッパ線の自社運航を開始した。これ以降、アジアやヨーロッパ、アメリカ各地を中心とした国際線と国内幹線を中心に急速に規模を拡大し、併せて世界各国に支店網を展開していく。また、高度経済成長に伴う国内、国際航空貨物の急増に対応してダグラスDC-7FやダグラスDC-8Fなどの貨物専用機を次々と導入し、その路線網を拡充していった。
同時に、1960年代の日本の高度経済成長や東京オリンピックの開催、新幹線の開通や全日空や日本国内航空などによるの国内線の競争激化、海外渡航制限の解除に伴う海外旅行の自由化による旅客増加に先駆けて1961年9月には中距離用ジェット機のコンベア880を受領し東南アジア線と南回りヨーロッパ線に相次いで投入した他、1964年1月にボーイング727を発注し翌年7月に受領し国内線に投入した。
1964年6月には、アメリカ連邦航空局が開発を行っていた超音速旅客機のUS SST(開発会社はこの時点では未定)を5機仮発注した他、翌1965年にはエールフランス航空やパンアメリカン航空などのライバル各社とともに超音速旅客機のBAC-シュド・アビアシオンコンコルドを3機仮発注した。その後1966年にUS SSTの開発会社がボーイングに決定し、機種名がボーイング2707に決定したことを受け3機追加仮発注し、両機ともに1970年代前半の就航を図ったものの、両機の開発が遅れた上に超音速飛行に伴う衝撃波や離着陸時の騒音などの公害問題もあり、その後多くの航空会社と同様に発注をキャンセルした。
1965年1月には、1964年の海外渡航制限の解除に伴い、日本初の海外パックツアーブランドである「ジャルパック」を発売し、高度経済成長期以降の日本における海外旅行の増大を後押ししていくことになる。さらに1967年にはアジアの航空会社として初の世界一周路線(1972年運休)を実現し、同時に、ニューヨーク-ロンドン間の大西洋横断路線を開設した他、航続距離が増大したダグラスDC-8スーパー62シリーズの導入に伴い、東京-サンフランシスコ間の太平洋無着陸横断路線やシベリア経由のヨーロッパ直行便(開設当初はアエロフロートとの共同運航)を開設するなど、名実ともに日本を代表する航空会社となる。
1967年にはアメリカ占領下の沖縄にて、地元資本との合弁により沖縄諸島を結ぶ地域航空会社として南西航空(現在の日本トランスオーシャン航空)を設立し、その後の1972年に実現される沖縄返還後の沖縄諸島の民間航空の発展に備えることになる。1969年には日本国内航空から日本航空機製造YS-11型機1機をウエットリース(乗員込みのリース)し、福岡-釜山線に投入し約1年間運航した。これは唯一の日本の航空会社によるYS-11型機での国際線運航となった。
1970年代
1970年7月には当時の最新鋭機である大型ジェット機のボーイング747を就航させ、これに合わせて新塗装(いわゆる「初代鶴丸塗装」)を導入した。また、これに先立つ同年3月には、国際線上顧客向けの会員組織であるJALグローバルクラブを発足させた他、1974年10月には、ボーイング747のエコノミークラスの一部を普通運賃個人旅客専用エリアとする「タチバナ・エグゼクティブ・キャビン・サービス」を導入するなど、増加を続ける国際線上顧客のさらなる取り込みを行った。併せてこの頃より、高度経済成長期以降の海外旅行の大衆化や、1970年代前半に実施された日本円とアメリカドル間の変動相場制導入以降の円高などによる地方発の海外旅行者の増加に伴い、大阪や名古屋、福岡などの地方空港発着の国際線路線網が充実していく。
しかし、1960年代後半からこの頃にかけての急激な事業拡大路線が、1972年のニューデリーやモスクワなどにおける一連の連続事故を招いたと言う批判もある。また、1970年代前半から中盤にかけて数回に渡り、当時各国で積極的にテロ活動を行っていた日本赤軍などの左翼過激派によるハイジャックの標的になった他、オイルショックによる原油価格高騰を受け一時的に経営に打撃を受けた。
また、1970年の閣議了解を受けた1972年7月の運輸大臣通達により、日本航空は国際線と国内幹線を、全日空が国内幹線とローカル線、近距離チャーター線を、東亜国内航空が国内ローカル線を主に運航するよう定められた。この新たな産業保護政策は、「45/47体制」または「航空憲法」と呼ばれ、以後日本航空を含む航空3社はこれに従い経営を進めていくことになる。しかしこれに対応して、1973年10月には先に導入したボーイング747の国内路線向け機材「SR」を国内幹線に大量導入した他、ワイドボディ機のマクドネル・ダグラスDC-10の導入を進めるなど、国内線における大量輸送時代を他社に先駆け牽引してゆくこととなる。
なお、1972年9月の日本と中華人民共和国との国交樹立(と中華民国との国交断絶)に伴い締結された日中航空協定内に、「中華人民共和国に乗り入れする航空会社は中華民国に乗り入れてはならない」旨の条文を中華人民共和国政府が入れ込んだことを受けて1974年4月に廃止された中華民国路線を運行するために、1975年8月に別会社の日本アジア航空が設立され、同年9月より同社に移管されたダグラスDC-8-53により運航が開始された。以後数機が追って移管され、日本航空グループの中華民国への路線は日本アジア航空が運航することになる(日本航空の機材や日本航空と日本アジア航空の共通運行機材でも運航している)。
1978年5月には千葉県成田市に新東京国際空港(現在の名称は成田国際空港)が開港し、この新空港の第一号機としてJALカーゴのダグラスDC-8−55F貨物機が着陸する。これ以降、これまで羽田空港に発着していた全ての日本航空と日本アジア航空の国際線が新空港に移り、併せて日本航空のハブ空港として機能させるべく、各種整備設備や国際線オペレイションセンターなども設けられた他、同月には空港周辺にホテル日航成田が開業した。
1980年代
1980年代に入り、日本経済の発展が進み円高が進んだことや、国際線における競争が激化したことに伴い、航空運賃が下がったことなどから日本人の海外渡航が飛躍的に増加した。これに対応してボーイング747の最新型である-300(SUD)と同-300SRの追加発注を相次いで行い、同機種の最大のカスタマーとなった。また、1980年9月には日本の航空会社としては始めてのビジネスクラス「エグゼクティブクラス」の導入を行った他、1983年7月にはボーイング747-200LRにより、これまではパンアメリカン航空のボーイング747SPしか運航していなかった東京-ニューヨーク間の無着陸直行便の運航を開始するなど、収益率の高いビジネス旅客の取り込みを進めた。
これらの積極的な経営拡充を受けて、1984年にIATAが発表した1983年度の世界の民間航空会社の輸送実績統計では、旅客と貨物を含めた国際線定期輸送実績で、長年ライバル関係にあったパンアメリカン航空やブリティッシュ・エアウェイズ、エールフランス航空などを上回り世界第1位になった。しかし一方で、1982年には日本航空羽田沖墜落事故が発生。さらに、1985年8月には単独機の事故としては世界最大の犠牲者数を出した日本航空123便墜落事故が発生し、これによる利用客の減少と補償経費の増加などによって一時的に業績が悪化した。
なお、この年に「45/47体制」が廃止されて国内ローカル線への就航も可能になったことにより、これまで全日本空輸や東亜国内航空の独壇場で、日本航空には幹線と一部の準幹線の運行しか許されていなかった国内線路線網も、高収益が見込める羽田空港発の路線を中心に飛躍的に拡大され、同年8月には国内線と近距離国際線用の新型機材であるボーイング767などの新規導入やボーイング747-300SRの追加導入を行いこれに対応することになった。しかし同時に、これまで国内線と国際線チャーター便の運行だけしかできなかった全日本空輸や東亜国内航空にも国際線参入への道が開かれたことで、さらに日本発の国際線における価格競争が進むことになる。
また、日本経済の更なる国際化やプラザ合意後の円高の進行に伴い海外渡航者数が増加することに対応するとして、1980年代に入り、系列会社の日航開発(現JALホテルズ)により、ニューヨーク(エセックスハウス)やメキシコシティ(ホテル・ニッコー・メヒコ)、バンコクやビバリーヒルズなど世界各地にホテル網が築かれていった他、大阪や福岡、沖縄など国内にもホテル網を拡大していく。
なお、1951年の設立から長らく半官半民という経営体系であったが、「45/47体制」廃止後の1985年9月には、当時の中曽根康弘首相が進める国営企業や特殊法人の民営化推進政策を受けて完全民営化の方針を打ち出し、その後準備期間をへて1987年11月に完全民営化された。民営化後には上記のホテル事業などに加えて教育事業やIT事業、レストラン事業の子会社を次々設立するなど、事業の多角化が進んだ。
1990年代
1980年代後半から始まったバブル景気がピークに達した1990年には、最新鋭機のボーイング747-400型機を導入するとともに新塗装を導入したものの、その後、1991年1月の湾岸戦争勃発に伴う海外渡航者の減少と燃料の高騰、バブル景気の崩壊。1980年代以降の日航開発による海外のホテルなどへの無理な投資や、燃料の先物取引の失敗などの経営判断のミス。過激な労働組合活動に後押しされた人件費の高騰などの様々な悪条件が重なり、1992年度決算では538億円という巨額の経常損失を計上し経営不振に陥った。
しかし、国内外のホテルをはじめとする不動産などの余剰資産の売却や共同運航便やコードシェア便の増加、契約制客室乗務員制度の導入などによる人件費の削減、半官半民時代に国策で運行させられていた中東路線などの不採算路線の廃止やJALウェイズ、JALエクスプレスなどの低コスト運行を行う子会社を設立し収益性の低い路線の運航を移管するなどの果敢なリストラを行った上、1994年にはホノルルや沖縄、オーストラリアなどのリゾート路線向けにリゾッチャなどのキャンペーンを導入し個人旅行客の取り込みに成功した他、円高による海外渡航者の急激な回復などの追い風に後押しされて、1990年代中半には経営状況が急激に回復する。
業績が順調に推移していく反面、1998年8月には、暴力団系総会屋関連企業に「観葉植物のリース料」名目で数千万円の利益供与を行っていたとして元役員らが起訴されるなど裏社会との関係が明らかになり、急遽企業行動点検委員会が設置された。しかし同年にも、株主優待券を金券ショップで換金し、総会屋対策の裏金を捻出していたことが東京国税局の税務調査で発覚するなど構造的な腐敗体質が明らかになり、以降は企業コンプライアンスの改善に注力してゆくこととなる。
また、国内外における顧客獲得競争の激化に対応して、1995年6月には日本の航空会社として初のウェブサイトを開設し、1996年7月には国内線の、1997年1月には国際線の予約サービスを開始した他、マクドネル・ダグラスMD-11型機やボーイング777型機などの最新鋭機の導入を行った。また、新型ビジネスクラス「SEASONS」の導入やエコノミークラスへのパーソナルテレビの導入。1980年代より導入していたマイレージ・プログラムの本格展開や国際線の正規割引運賃の導入など、順調な業績と競争の激化を受けて新規サービスを積極的に導入してゆく。
2000年代
その後2000年代入ってからも業績は順調に推移していたものの、放漫経営による多額の累積赤字を抱えていた上に、2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロ以降に深刻な経営不振に陥っていた国内線大手の日本エアシステム(後の日本航空ジャパン)と、2002年に吸収合併を前提とした経営統合を行ってからは大幅に経営体系が変わり、その後以下の形で経営統合と吸収合併が進められた。
- 2002年10月 - 日本航空(現在の日本航空インターナショナル)と日本エアシステムが株式移転し、持株会社を設立(日本航空システム:JALS)。
- 2004年4月~6月 - 日本航空便と日本エアシステム便を、日本航空便に統合。および、これを反映した商号変更(日本航空→日本航空インターナショナル、日本エアシステム→日本航空ジャパン、日本航空システム→日本航空)。
- 2006年10月 - 日本航空インターナショナル(旧:日本航空)による日本航空ジャパン(旧:日本エアシステム)の吸収合併。
現在は持株会社である株式会社日本航空の傘下として、日本航空グループの中核をなす航空会社という立場になった。なお、経営統合初期の計画では、貨物事業(国際・国内とも)を「日本航空カーゴ」として分社化する予定だったが、航空協定上問題があることが判明したため、日本航空インターナショナルの事業とした。
当初は、日本エアシステムとの経営統合とそれに続く同社の吸収合併によって、国内線網の強化や余剰資産の売却などによる収益構造の強化、安定が見込まれたものの、近年では、吸収合併以降の社内の対立によるサービス上の混乱や、航空機の整備不良などの相次ぐ不祥事に伴う客離れを起こした上に、数千億円とも言われる負債を抱えた日本エアシステムの高コスト体制を経営統合後もそのまま維持し続けたことや、イラク戦争以降の航空燃料の高騰などのマイナス要因が重なり急速に業績の悪化を招いた。
このため、「聖域なきコスト削減を行う」との合言葉の元に、日本エアシステムの経営統合、吸収合併に伴う余剰人員や機材の削減、地方発着路線やリゾート路線などの不採算路線の統廃合、乱立する労働組合対策、総合職や客室乗務員の給与削減などの大規模なリストラを進めているが、世界的に見ても高いままのパイロットの給与削減や待遇の改定が複数存在するパイロット組合の圧力を受けて殆ど行われていないことから、「聖域なき」との合言葉とは裏腹の中途半端な経営陣の態度に、株主や社員から非難の声が起きている。
その様な中で、国内線と国際線の双方において新しい機内サービスの導入を進める他、日本発最大の国際線ネットワークを生かした上でワンワールドへ加盟することで国内、国際線の乗り継ぎ利便性を高める他、インドやロシア、中華人民共和国などの高需要路線における積極的な増便や、各種割引運賃や世界一周運賃の導入などの顧客に受け入れられやすい運賃体系を次々に導入するなど、様々な新サービスの展開を進めることで業績の回復を図っている。
沿革
(斜体のものは日本航空ジャパン=日本エアシステムの事項。更なる詳細は日本エアシステムの記事を参照)
- 1951年(昭和26)8月1日 - 第二次世界大戦後初の民間航空会社として日本航空が設立される。
- 1951年(昭和26年)10月25日 - 初の路線となる東京-大阪-福岡線をマーチン202型「もく星」号により開設。
- 1952年(昭和27年)10月25日 - ダグラスDC-4型により自主運航開始。
- 1953年(昭和28)8月1日 - 日本航空株式会社法(昭和28年法律第154号)公布。同日施行。
- 1953年(昭和28)10月1日 - 日本航空株式会社法に基づき、旧会社の権利及び義務を承継した特殊会社「日本航空株式会社」を設立。
- 1954年(昭和29年)2月2日 - 初の国際線となる東京-ウェーキ-ホノルル-サンフランシスコ線を開設。
- 1960年(昭和35年)8月12日 - 初のジェット機となるダグラスDC-8-32型機1番機「FUJI」号が東京-ホノルル-サンフランシスコ線に就航。
- 1961年(昭和36年)9月25日 - コンベア880型機が日本初の国内線ジェット旅客便として東京-札幌線に就航。
- 1964年(昭和39年)4月15日 - 運輸省(当時)による日東航空と富士航空、北日本航空の政策合併により、日本国内航空(JDA)を設立。
- 1965年(昭和40年)1月20日 - 日本初の海外パックツアーであるジャルパック第一弾の発売開始。
- 1967年(昭和42年)3月6日 - 世界一周線西回り線(東京-香港-バンコク-ニューデリー-テヘラン-カイロ-ローマ-フランクフルトまたはパリ-ロンドン-ニューヨーク-サンフランシスコ-ホノルル-東京)開設。翌日には東回り1番機が出発。
- 1970年(昭和45年)2月2日 - 株式を東京、大阪、名古屋の各証券取引所第一部に上場。
- 1970年(昭和45年)7月1日 - ボーイング747型機が東京-ホノルル線に就航。
- 1974年(昭和49年)4月21日 - 日本政府による中華民国との断交処置に対する中華民国当局の日華路線停止措置により日華路線を休止するとともに、台北FIR内の飛行も中止。
- 1971年(昭和46年)5月15日 - 日本国内航空(JDA)及び東亜航空(TAW)が合併し、東亜国内航空(TDA)となる。
- 1975年(昭和50年)8月8日 - 中華民国路線運行のための子会社である日本アジア航空株式会社(JAA)を設立。
- 1978年(昭和53年)5月21日 - 前日の新東京国際空港(現成田国際空港)開港を受け、開港後の初便であるロサンゼルス発のダグラスDC-8貨物機が到着。国際線を東京国際空港(羽田空港)から新東京国際空港に完全移管。
- 1981年(昭和56年)4月28日 - 日本航空株式会社法の改正法が公布、施行。
- 1986年(昭和61年)7月20日 - 45/47体制の廃止を受け、初の国内ローカル線である東京-鹿児島線を開設。
- 1987年(昭和62年)11月18日 - 日本航空株式会社法を廃止する等の法律(昭和62年法律第92号)が施行され、日本航空株式会社法廃止、完全民営化。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 東亜国内航空が日本エアシステム(JAS)に商号変更。
- 1991年(平成3年)1月10日 - ヤマト運輸や日本通運などとともに国内貨物航空会社日本ユニバーサル航空を設立。
- 1992年(平成4年)12月6日 - 新東京国際空港(現成田国際空港)第2ターミナルの供用開始を受け、使用ターミナル及びオペレイションセンターを第一ターミナル北ウイングから第2ターミナルに移管。
- 1993年(平成5年)9月27日- 東京国際空港(羽田空港)沖合展開に伴う西旅客ターミナルビル(ビッグバード)の供用開始を受け、使用ターミナル及びオペレイションセンターを旧ターミナルビルから西旅客ターミナルビルに移管。
- 1995年(平成7年)2月14日 - 契約制客室乗務員の自社採用実施を発表。
- 1996年(平成8年)7月27日 - 本社を東京都品川区天王洲の自社ビル「JALビルディング」に移転。
- 2000年(平成12年)4月1日 - 旅客販売、貨物事業、整備の3部門で社内カンパニー制を導入。
- 2002年(平成14年)7月4日 - 貨物航空連合のWOWに加盟。
- 2002年(平成14年)10月2日 - 日本エアシステム(後の日本航空ジャパン)と経営統合し、同社との株式移転により持株会社株式会社日本航空システム(後の株式会社日本航空)を設立、日本エアシステムと共にその完全子会社となる。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 日本航空、日本エアシステムを、それぞれ日本航空インターナショナル、日本航空ジャパンと商号変更。
- 2004年(平成16年)12月1日 - 経営合理化で、本社ビル「JALビルディング」を野村不動産グループ2社に不動産証券化の上売却。同社と日本航空インターナショナル名義で10年間解約禁止特約付きの賃貸契約を締結。
- 2005年(平成17年)10月25日 - JALグループとして国際的な航空連合である『ワンワールド』への加盟方針を決定した。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 日本航空インターナショナルを存続会社として、ジャルセールスと合併。
- 2006年(平成18年)10月1日 - 日本航空インターナショナルを存続会社として、日本航空ジャパンを吸収合併。
- 2007年(平成19年)3月6日 - 羽田・硫黄島間でチャーター機を運航(MD90)。硫黄島への民間チャーター機の着陸は初めて。
- 2007年(平成19年)4月1日 - 日本航空インターナショナル、日本アジア航空、JALウェイズ、JALエクスプレス、ジェイ・エア、日本トランスオーシャン航空が『ワンワールド』に正式加盟・サービス開始。『ワンワールド』塗装の飛行機を運航。
歴代経営陣
日本航空発足以来の、歴代経営陣 | |||
---|---|---|---|
就任年月 | 社長(前職) | 会長(前職) | |
1951年8月 | 柳田誠二郎(日銀副総裁) | 藤山愛一郎(日商)会頭 | |
1953年10月 | 〃 | 原邦造(旧三井財閥幹部) | |
1961年1月 | 松尾静馬(航空庁長官) | ||
1963年5月 | 〃 | 植村甲午郎(経団連副会長) | |
1969年5月 | 〃 | 伍堂輝雄(日経連専務理事) | |
1971年5月 | 朝田静夫(運輸次官) | 松尾静馬(社長) | |
1973年5月 | 〃 | 小林中(アラビア石油社長) | |
1977年6月 | 〃 | 植村甲午郎(経団連名誉会長) | |
1979年6月 | 〃 | 堀田庄三(住友銀行会長) | |
1981年6月 | 高木養根(副社長) | ||
1983年6月 | 〃 | 花村仁八郎(経団連副会長) | |
1985年12月 | 山地進(総務次官) | 〃 | |
1986年6月 | 〃 | 伊藤淳二(鐘紡会長) | |
1988年6月 | 〃 | 渡辺文夫(東京海上火災保険会長) | |
1990年6月 | 利光松男(副社長) | 〃 | |
1991年6月 | 〃 | 山地進(副会長) | |
1995年6月 | 近藤晃(専務) | 〃 | |
1998年6月 | 兼子勲(専務) | ||
2004年4月 | 新町敏行(副社長) | 兼子勲(社長) | |
2006年6月 | 西松遥(取締役) |
- 2002年10月に日本航空、日本エアシステムの経営統合以後は、日本航空インターナショナルの経営陣。
- なお、会長職は空白期間がある。
ロゴマーク
「The Arc of the Sun(太陽のアーク)」
日本航空と日本エアシステムの経営統合時に制定された。JALの"A"の上に、"ノ"の字状の円弧が描かれたデザインである。2004年4月以降は、機体塗装を含めたすべてのビジュアルイメージが統一されている。
日本アジア航空、日本トランスオーシャン航空、北海道エアシステムなどの系列会社も統合と同時期にロゴ変更されており、独自ロゴの使用を継続していた琉球エアコミューターも新機種導入を契機として2007年4月にJALグループのビジュアルイメージを採用した。ちなみに、旧日本航空グループのロゴはAとLの下にグレーと赤の長方形を形取ったデザインであった。
これをデザインしたのはアメリカ合衆国の大手デザイン会社ランドーアソシエイツであり、1980年代後半の民営化後に導入された旧日本航空グループのロゴも同社の手によるものである。前塗装から、「A」の横棒がないデザインが継承されている。社内の一部では「ジャノル(JAノL)」と呼ばれている。
「鶴丸」
初のジェット機であるダグラスDC-8型機の導入を控えた1959年より、翼を広げた丹頂鶴をモチーフにした円形に「JAL」のロゴが入ったマークが導入され、機体の塗装のみならず、制服のバッジや各種製作物、広告などにも使用され世界各国で親しまれた。鶴丸が正式な社章となったのは1964年である。
そのデザインを表して「鶴丸」と呼ばれたこのマークはあまりに有名であったために、日本航空のことを指し「鶴丸」と呼ばれることも多かった。「鶴丸」マークは、その後2度に渡る塗装の変更を受けても継続して使用されたものの、日本航空と日本エアシステムの経営統合を受けて2003年に廃止された。
なお、「鶴丸」マークは、現在も塗装変更が終わっていない一部の旧日本航空機の尾翼部分にその姿をとどめているが、その数は年々減少している。
塗装
歴代4種類
大きく別けると、1952年の自社運航のダグラスDC-4B型機の導入時に採用された初の正式塗装をはじめに、1970年のボーイング747型機の導入時に採用された初代「鶴丸」塗装。1989年のボーイング747-400型機の導入に合わせて採用された2代目「鶴丸」塗装。そして、2002年の日本航空と日本エアシステムとの経営統合を機に採用された、上記ロゴマークを入れた新しい現行の塗装の計4種類の塗装が過去に正式に採用された。
なお、それぞれの塗装は導入以降ロゴや書体の変更、ポリッシュドスキンバージョンの導入などの微調整が行われている他、アロハエクスプレスやリゾッチャ、創立50周年記念などの特別塗装が存在していた。また、「何代目」の表記はマーチン2-0-2に施された暫定塗装を初代とすることが多い。
現行塗装
現行の機体塗装は2002年以降、新規導入機体だけでなく、旧日本航空グループの2代目「鶴丸」塗装や、吸収合併した旧日本エアシステムの「レインボー」塗装などが施された既存機の塗装にも重整備の際に順次導入され、2007年10月現在も変更作業は進行中である。
なお、日本航空グループとしてのブランドイメージ保持のために、複数種類の塗装が施されていた旧日本エアシステムの機材が率先して変更され、2006年4月に旧日本エシステムのA300-B2/B4型機が退役し夏に売却先のアメリカへ移送されたと同時に、旧日本エアシステムの塗装は完全に消滅した。なお、旧日本航空の塗装が施された機材は2007年10月現在においても少数機が残存している。
また、現行塗装機にもたまごっちやワンワールド加入記念、FIFAワールドカップ日本代表チームなどの特別塗装機が存在している。
旅客サービス
機内搭載誌
機内誌
機内誌として「SKYWARD(スカイワード)」があり、日本語だけの国内線版と、日本語、英語記事併記(一部案内については韓国語、北京語、広東語表記もある)の国際線版が用意されている。
国際線の場合、併せてファーストクラスとJALグローバルクラブ会員向け配布用の「AGORA(アゴラ)」も搭載される他、ファーストクラスとビジネスクラス乗客に無料配布される地図とレストランリスト、観光やエンターテインメイント情報が記載されたガイドブック「JAL GUIDE」も搭載される。なお、これらの機内誌は無償で持ち帰りが可能である。
雑誌
国内線の場合は、飛行時間が短いことや経費削減もあり、全日空やスカイマークなどの競合他社と同じく機内誌以外の雑誌の搭載は行われていない(子供向けの絵本や子供向けの漫画単行本のみ)。
国際線の場合は、週刊文春や週刊新潮などの週刊誌の他、家庭画報やアンアン、BRUTUSやMen`s Exなどのファッション雑誌、東洋経済などの経済誌、セブンシーズなどのクラスマガジンなど数十種類の雑誌が搭載されている。また、タイムやニューズウィーク、ニューヨーカーやヴォーグなどの英語誌の他、出発地の地元有力誌も搭載されている。
新聞
国内線の場合、日本経済新聞、産経新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞などの全国紙と、ジャパンタイムスなどの英字紙、スポーツ紙、出発地の地元有力紙も搭載されている。国際線の場合は、上記に併せてウォールストリート・ジャーナルやフィナンシャル・タイムズなどの国際経済紙の他、出発地の地元有力紙も搭載されている。
個人用テレビ
現在国際線のほぼ全ての機内クラスにおいて個人用液晶テレビが設置されており、ファーストクラス・ビジネスクラス・777全クラスにはオンデマンド形式によるビデオ・オーディオ及びビデオゲームプログラムを提供しているが、747のエコノミークラスや一部の機材には設置されていない。また国内線で個人用テレビが設置されているのは一部の機材に限られている。
機内食
路線や機内クラスにより異なる。詳細は下記「国際線」、「国内線」各欄を参照。
なお、国際線では通常の機内食の他に、糖尿病食や低カロリー食、低たんぱく食等の特別食や、ヒンズー教やイスラム教、ユダヤ教徒などのための機内食も用意されている他、12歳以下の子供用や幼児用の機内食も用意されている。なお、これらの特別機内食を希望する場合は事前の予約が必要である。
客室乗務員
国内線には日本採用の客室乗務員しか乗務しないものの、多くの国際線の路線においては日本採用の客室乗務員の他に、香港採用、上海採用、シンガポール採用、ヨーロッパ採用(フランクフルトとロンドン)、サンパウロ採用の客室乗務員がおり、各採用地を拠点に乗務している。なお、これらの客室乗務員は日本語や英語の訓練も受けている為、広東語や北京語、ポルトガル語などの現地語以外に日本語や英語も堪能である。
なお、過去には一部の国際線において、女性客室乗務員による着物着用のサービスが行われており、多くの外国人乗客から好評であった。しかし、経費削減と、機内で着用の手間がかかる上に緊急時の対応に支障が出ることにより、1980年代後半に廃止された。
プライオリティ・ゲスト対応
身体障害者やけが人、病人などのために、用途や体格差に合わせて5種類用意された空港用車椅子や機内用車椅子。車椅子対応の機内トイレや点字案内、簡易筆談ボードや特別チェックインカウンター(成田国際空港国際線のみ)、ストレッチャーや医療用酸素ボンベなどが用意されている。なお、一部のサービスは事前予約が必要である。
空港ラウンジ
空港や機内クラスにより異なる。詳細は下記「国際線」、「国内線」各欄を参照。
ホテル
日本航空グループの国際線を利用した場合、系列会社のJALホテルズのホテルをはじめとする国内外の180軒以上のホテルに特別料金で宿泊できる他、日本航空グループの便に搭乗していなくてもウェブサイトを通じて格安な料金で宿泊できる。また、JALマイレージバンク会員はホテルマイルをためることが出来る。
マイレージ
日本の航空会社として最初に始められたマイレージサービス「JALマイレージバンク(JMB)」の会員数は、2006年12月現在で約1950万人と国内最多を誇る。なお、会費は無料であり、ショッピングやホテル、レストランの利用でもマイルが加算され無料航空券やクーポンなどと交換ができる。
JALカード
加入すると自動的に「JALマイレージバンク」会員となるクレジットカード、JALカードがあり、同様に搭乗マイルの加算が可能な他、月々の使用額に応じたマイル加算や機内販売品の10%割引、海外旅行保険の自動加入や機内誌の送付などの特典がある。また、会員の上級会員組織としてJALグローバルクラブがあり、サクララウンジ使用や手荷物優先返却などの特典がある。
VISAやダイナースクラブなどとの提携カードがあるほか、2005年2月からは、東日本旅客鉄道(JR東日本)との提携によりIC内蔵型マイレージカードによる、インターネットや携帯電話での事前チェックインや、保安検査ゲート・搭乗ゲートでのチケットレス搭乗・通過が可能なJAL ICサービスが開始された。
また5月にはJR東日本・東京モノレール・りんかい線(及び相互利用可能なJR西日本等)で、タッチ&ゴーでの鉄道・バス路線の乗車やショップでの買い物に利用できる電子マネーSuica機能をJAL Suicaカードとして、クレジット機能付きのJALカードにSuica機能を付加したカードの発行を開始した(クレジット機能なしのJALマイレージバンクカードはSuica機能は付加されない)。
JAL ICサービス
非接触ICサービスについては後発であるにもかかわらず、全日空に先立ち予約から搭乗に至るすべてのシーンで「チケット」を一切必要としない完全IC搭乗サービスをタッチ&ゴーとして実現した。なお、スカイメイトなどウェブチェックインやチケットレス決済が出来ない運賃種別などは利用できないが、ほとんどの運賃で可能となっている。
しかしながら、このサービスを受けるにはウェブチェックインをはじめある程度の知識が必要である。ゆえに自動チェックイン機や発券機が普及しきった現在でも、直接係員と対面するカウンターの利用を希望する者が多いように、ICサービスの普及は徹底されたとはいえない状況である。また、IC対応携帯電話によるICサービスについてはさらに設定が必要である。 以下、詳細はJAL ICサービスへ。
国際線
日本の航空会社最大の国際線網
成田国際空港や関西国際空港、中部国際空港発の国際線では最大の路線網及び便数を持つ他、日本の航空会社としては唯一の日本発のマレーシアやフィリピン、インドネシア、オーストラリア、カナダ、ブラジル、メキシコ、イタリア、ロシア、オランダへの自社運行路線を運行している。さらにコナやグアムなど、日本の他の航空会社が乗り入れていないアメリカの諸都市へ自社運行便を運行しているなど、日本の航空会社の中では他を寄せ付けない最大の自社運行国際線網を持つ。長年日本の航空会社として唯一国際線を運行していたこともあり、その経験に裏打ちされたサービスと日本発の国際線線網がもたらす利便性、マイレージサービスなどは国内外において一定の評価を受けている。
なお現在、上記のように自社運行の国際線だけでもアフリカ大陸を除く全大陸にその路線網を広げている他、アメリカン航空やカンタス航空、イベリア航空などのワンワールド各社や、タイ国際航空やエミレーツ航空、エールフランス航空やメヒカーナ航空などのワンワールド以外の航空会社とのコードシェア便を含めると、国際線だけで152拠点239路線を運行している。また、国際線の多くは、自社の国内線との乗り継ぎにおいてもスムースな乗り継ぎが可能なように設定されている。
また、系列会社のJALホテルズが日本国内のみならず、アジア太平洋地域を中心に世界各国にホテル網を展開しており、ウェブサイトなどを通じて格安で予約できる他、マイレージバンク会員は宿泊マイルを貯めることも出来る。
国際チャーター便
その他にも、成田国際空港や関西国際空港、中部国際空港だけでなく、新千歳空港や鹿児島空港、小松空港などの地方空港からの各方面に向けた国際チャーター便を頻繁に運行している。また近年は東京国際空港発の国際チャーター便の運航も行っている。
新サービスの積極的導入
古くから国際線においては和服でのサービスや和食機内食の提供、和室風ラウンジやおしぼりサービス、頻繁に掃除を行うことで清潔さを保ったラバトリー(機内トイレ)などに代表される木目細かい日本的なサービスを売りにしてきた。
しかし、1980年代後半以降の全日空や日本エアシステムの国際線進出などによる日本発国際線の競争激化と、格安航空券の流通などによる運賃の低下による収益性の低下を受け、現在では日本的なサービスに加えて、快適性を増した新型シートや機内エンタテインメントの導入や、新しい運賃体系の導入やマイレージサービスの積極導入、アライアンス加盟によるマイル加算の多様化や国内線との乗り継ぎの利便性向上など、快適性と利便性、そしてコストを意識したサービスにも力を入れるようになっている。
機内サービスの特徴
機内サービスの特徴としては、ファーストクラスやエグゼクティブクラス(ビジネスクラスに相当)においては、新しいデザインのシートを導入したファーストクラスや、エグゼクティブクラスの長距離国際線に導入したシェルフラットシートがグッドデザイン賞を受賞するなど、特にシート分野においては高評価を得ている。他にも、日本航空が世界で初めて導入した和食の機内食や炊飯器による炊き立てのご飯の提供、市場では入手困難な日本酒や焼酎の提供、法被やナイトガウンの提供などのサービスを提供しており、これらのサービスはファーストクラスやエグゼクティブクラスの主な顧客層である日本人ビジネスマンのみならず、日本を訪れる外国人ビジネスマンにも高い評価を得ている。
エコノミークラスのサービス内容は、洋食だけでなく和食をベースにした機内食の選択や、一部の機材を除いてオンデマンド形式によるビデオ・オーディオプログラムを提供している他、スペース効率に優れた新型シートの導入なども積極的に行われている。さらに、ホノルルやグアムなどの、日本人の家族連れの団体旅行客が多いいわゆるリゾート路線には、「リゾッチャ」と呼ばれる家族連れをターゲットにしたサービスを導入し、家族連れの団体旅行客の取り込みを積極的に行なっている。
サービス強化
しかし、全日空やユナイテッド航空、KLMオランダ航空などの他の「コスト重視」と評される航空会社と同様、そのサービスのハード面の多くは、ハード面で高い評価を得ているキャセイパシフィック航空やヴァージン・アトランティック航空、エミレーツ航空などの競合他社の最新サービスの後追いであると言う評価が多い。
また、上記のように日本人ビジネス客を主なターゲットとしていることもあり、全日空同様日本人乗客向けのサービスの充実に偏っていることや、日本人客室乗務員の語学力が低いこと、キャセイパシフィック航空やシンガポール航空などの他の航空会社では既に引退したボーイング747-300などの古い機材を未だに使用していることなどが、サービス面でのマイナス面として指摘されていた。
そのため、近年はエコノミークラスやビジネスクラスへの新型シートや新サービスの導入、プレミアムエコノミークラスの導入などのサービス強化、日本人客室乗務員の語学力向上などにも力を入れ始めている他、香港や上海、フランクフルトやロンドンなどで採用した外国人客室乗務員による外国人旅客向け対応を強化している。また、収益率の強化を狙った外国発のビジネス客の取り込みと乗り継ぎなどの利便性向上の一環として、2007年4月1日に世界的な航空会社アライアンスの1つであるワンワールドへ加盟した。
また昨今はボーイング747-300などの旧型機材の退役を進め、同時に2006年度から2008年度中にボーイング737-800「ネクストジェネレーション」を19機新規導入しているほか、2008年秋をめどにボーイング787を新規導入し、国際線にも随時投入する予定である。
機内クラス
現在はファーストクラスとビジネスクラス(「エグゼクティブクラス」のブランドで呼ばれる)、2007年12月に長距離路線を中心に導入されるプレミアムエコノミークラスとエコノミークラスの4クラス制であるが、短・中距離路線やリゾッチャなどのリゾート路線、一部の長距離路線ではエグゼクティブクラスとエコノミークラスの2クラス制になっている。
クラスごとにイメージカラーが設定されており、ファーストクラスは赤、エグゼクティブクラスは紺、エコノミークラスは緑となっている。このイメージカラーは空港カウンターや搭乗券、荷物タグなどにあしらわれている。
エコノミークラス
長距離路線を中心に、オンデマンド対応の個人用テレビとテレビゲーム、個人用機内電話、PC電源などが設置された座席が導入されている他、サンドウィッチやおにぎり、チョコレートなどの軽食を自由に手にすることが出来る「スカイオアシス」が設置される。以前は他社に比べてシートピッチが狭いと言われていたが、現在では座席の厚さを薄くしたりシートピッチを広げたりと試行錯誤した結果、最新鋭のシートを導入したボーイング777-300ERなどでは快適性がかなり向上している。また、2007年度から機内食を始めとした機内サービスの向上を行っているほか、2008年度中に、快適性向上と軽量化を目的に全ての国際線用座席の交換を行うと発表している。
プレミアムエコノミークラス
上記のエコノミークラスのサービス向上の発表と同時に、中間クラスであるプレミアムエコノミークラスの導入も公表され、2007年12月から導入される。当初は欧米線に就航しているボーイング777−300型機を中心に各機40席程度の設置を予定しており、座席はシェルフラットシートをベースに、フットレストやレッグレスト、9インチの個人用テレビやPC電源、読書灯などが装備され、97cmのシートピッチを持ち前席の背もたれが倒れても後席のスペースを圧迫しないようなデザインになる。
機内ではスリッパやアイマスク、イヤープラグなどのアメニティの配布が行なわれる他、エコノミークラスの機内食に加えてシャンパンや焼酎が提供される他、軽食としてカップ麺「うどんですかい」やディーン・アンド・デルーカなどのアイスクリームなどが提供される。他にも、プレミアムエコノミークラス専用チェックインカウンター(成田空港のみ、それ以外の空港ではエグゼクティブクラス専用チェックインカウンターを使用)やの空港ラウンジの使用、マイレージサービスの加算マイル数の割増、手荷物の自宅からの無料引き取りサービスも提供される。
エグゼクティブクラス
ボーイング747−400の多くや777−300ER及び−200ERの一部が就航する欧米線を中心とする長距離路線や、ビジネス客の多い東南アジア路線では、最大157cmのシートピッチを持つライフラットシートに、10.4インチの個人テレビやPC電源などが装備された「JAL SHELL FLAT SEAT」が装備されている。
なお、スリッパ、アイマスクなどの専用アメニティセットの配布や和風、洋風10種類ほど取り揃えたメニューの中から、好きなものを好きな時に食べられる機内食(ヨーロッパ線の一部のみ)、炊き立てのご飯やカップ麺「うどんですかい」などが提供される。トレーを使わない機内食サービスは、2007年度に東京-シカゴ・ロンドン線から開始された。他にも、エグゼクティブクラス専用チェックインカウンターやの空港ラウンジの使用、マイレージサービスの加算マイル数の割増、機内への優先搭乗案内も提供される。
中短距離路線に就航するボーイング767−300ER、一部の777−200ER、747-400及び747−300が就航する路線では、「スカイラックスシート」というシートが装備されている。他社の中短距離路線にみられるようにライフラットシートではなく、シートピッチが狭くリクライニング角度が浅い上に、一部のシートにおいては手動シートである。なお、中短距離路線においては一部の他社にみられるように機内食もビジネスクラスでありながらワントレーサービスであり、長距離路線とのサービスに格差をつけている。
なお、1980年代中盤にはファーストクラスとエグゼクティブクラスの間に中間クラス「スーパーエグゼクティブJクラス」が設定されていたが、その後のエグゼクティブクラスのサービス内容の向上を受けて廃止された。
ファーストクラス
東京-パリ線やニューヨーク線、サンパウロ線などの長距離路線や、香港線やシンガポール線、ソウル線の一部などのビジネス客の多い路線を中心に設定されており、座席は、ロス・ラブグローブがデザインし、イタリアのポルトローナ・フラウ製の皮革を採用した「JAL NEW SKYSLEEPER SOLO」と呼ばれる、フルフラットやマッサージ機能、靴入れや小物入れ、ボーズ製のノイズキャンセリングヘッドホン「クワイアットコンフォート2」が採用されている。
機内食は、日本料理は京都料理芽生会が、フランス料理は日本エスコフィエ協会が監修したメニューが提供され、機内食の事前予約も受け付けている他、10種類以上のアラカルトメニューも用意されている。アルコール類も、芋焼酎の森伊蔵やシャンパーニュ・テタンジェ、ポル・ロジェやヴーヴ・クリコなどの最高級銘柄が提供される。また、エグゼクティブクラスで提供されるサービスに加え、ファーストクラス専用チェックインカウンターや空港ラウンジが用意される他、成田国際空港や関西国際空港、中部国際空港などからの帰国時のハイヤーによる無料送迎サービス(エリア指定あり)も提供されている。
地上サービス
空港ラウンジ
航空券の搭乗クラスによって搭乗時に出発空港のラウンジを利用できる。また、JALグローバルクラブ、JGCプレミア、JMBダイヤモンド、JMBサファイアの各会員は、航空券の搭乗クラスにかかわらず出発空港のラウンジを利用できる(利用可能なラウンジと入室基準は空港毎に異なる)。
- サクララウンジ
- サクララウンジannex
- JALファーストクラスラウンジ
- JALグローバルクラブラウンジ
- ファミリーサービスラウンジ
身体障害者対応
上記「プライオリティ・ゲスト対応」を参照。
JALファミリーサービス
日本人ビジネスマン及びその家族の海外赴任や帰任時、赴任中の家族訪問時の空港における乗り継ぎ支援サービスやファミリーサービス専用チェックインカウンター、並びに専用ラウンジの提供などを行っている。
主な就航地(貨物便を除く)
(自社機材運行及び自社便名の旅客便でグループ機材による運行便も含む。2007年1月現在)
過去の就航地(貨物便を除く)
1970年代中頃までは航空機の航続距離が短かったこともあり、給油のために最終目的地までに数箇所経由することが多く、協定により有償乗客の乗降ができない空港に純粋な給油目的で寄航することも多かった。また、特に南回りヨーロッパ線は、当時の国策もあり現在は乗り入れていない南アジアや中東の都市に多数寄港していた。なお、中華民国の台北と高雄については、現在はグループ会社の日本アジア航空が乗り入れている。
|
国内線
路線網
設立当初より国内線の運行は幹線を中心に行われていたが、1972年に日本航空と全日本空輸、東亜国内航空の大手3社に対して運輸省より事業路線割り当て(いわゆる45/47体制)が行われ、日本航空は国内幹線と準幹線の一部の運航が割り当てられることになった。
しかし1985年にこの事業路線割り当てが廃止され、ローカル線などにも広範囲にその路線網を拡大することになる。さらに日本エアシステムと統合してからは、国内線を日本航空ジャパン(旧:日本エアシステム)に譲渡するとともに日本エアシステムの国際線を引き継いだが、2006年10月1日に同社を吸収合併したため、結局、旧両社の国内線を一手に引き継いで運行することになった。現在は国内線61拠点164路線を運行している(なお、一部の便は子会社のJALエクスプレスや日本トランスオーシャン航空、ジェイエアの乗務員と機材で運航されている)。
2004年12月1日の羽田空港第2旅客ターミナル開業に伴い、同年12月21日から第1旅客ターミナル(西旅客ターミナル)の南北両ウイングから搭乗できるようになった。これにより中国・四国・九州・沖縄地方への便の搭乗は南ウイング、北海道・東北・北陸・近畿地方への便の搭乗は北ウイングと方面別に分かれた。
運賃体系
新規参入航空会社が格安運賃で対抗してきているにもかかわらず、近年までは、日本航空と全日空の大手2社が「片方が動けばもう一方が追随」の結果、日本の航空業界を支配する両社の運賃に大差はなく、「事実上のカルテル」だと揶揄されることも多かった。
しかし、一時期は国内線における全日空との差別化は運賃にまで及び「片方が動けばもう一方が追随」というそれまでとは異なる状況になっていた(特に顕著な例としては、全日空がバースデー割引を廃止して28日前までの予約で実質同運賃並みの運賃設定となる「旅割」を展開するのに対し、日本航空はバースデー割引を維持したまま、前述の「旅割」と同系の28日前までの予約で大幅割引の「先得割引」〔ただし、競合会社がない路線は設定がない路線もある〕を新設するなど、運賃面でこれまで個人客向け運賃に弱かったと評されていた日本航空が全日空より優位に立つなど、様々な戦略の変化が見られていた)。しかしその後の価格競争の激化によって、2007年現在では再び大きな差がなくなってしまっている。
新規導入機材
さらに今後の羽田空港の拡張をにらみ、2007年2月22日に、新小型機としてエンブラエル社(ブラジル)のベストセラー機である「エンブラエル170」の導入方針を決定した。確定10機およびオプション5機の購入契約を2007年春頃に締結し、2008年中にまずジェイエアが運行している路線への投入を予定している。また、ボーイング787を2008年度より国内線に随時導入する予定である。
機内クラス
この項目には発売予定の新製品、提供開始前の新サービス、開店前の店舗、営業・運用開始前の交通機関・車両などに関する記述があります。ウィキペディアは未来を予測する場でも宣伝サイトでもありません。Wikipedia:検証可能性に基づき、正確な記述を心がけてください。また、特に重要と思われることについてはウィキニュースへの投稿も検討してください。 |
普通席とクラスJ
国際線のエコノミークラスに相当する普通席の他にも、日本エアシステムとの経営統合後、「スーパーシート」「レインボーシート(日本エアシステム)」を全面的に廃止し、日本航空としては初めて国内線へのミドルクラスの導入として、通常運賃にプラス一律1,000円で利用できる中間クラスである「クラスJ」を設置した。独自のサービスとしては、茶菓の無料配布のみとなっている。現在は、マクドネル・ダグラスMD-87と同MD-81以外の全ての機材に「クラスJ」と普通席の2クラスが設定されており、現在も、マクドネル・ダグラスMD-90を中心に席数や設置便の拡充が続いている。シート切り替えが終わっていない機材については、従来のレインボーシートおよびスーパーシートをそのまま流用している。なお、同クラスのシートはグッドデザイン賞を受賞している。
「クラスJ」の新設を受けて、全日本空輸はスーパーシートを「スーパーシートプレミアム」に格上げし専用運賃を設定するなど、これまで露骨なサービス相違を控えていた国内線において差別化の動きに至った。「クラスJ」は「通常運賃にプラス一律1,000円」でやや高級感のある空の旅を楽しむことができるという点が利用客に受け入れられ、常に高い座席使用率を維持している。
ファーストクラス
しかし一方で、団体客や家族連れなどを避け全日空のスーパーシートプレミアムに流れる乗客も出始めたのは事実で、日本航空にとっても、利用頻度が多く比較的単価が高い路線を利用するこれらの客層が流れることが懸念材料となった。そのため、これらの客層を獲得するため、国内線における上級クラスとして2007年12月1日から国内線では史上初となる「ファーストクラス」を導入する。当初は羽田-伊丹線に就航しているボーイング777-200に導入し、その後段階的に計15機に各14席の設置を予定し、羽田-福岡線や羽田-千歳などの同型機材を運航している国内主要路線へ導入する。
機内サービスは、木目調の幅の広いひじ掛けを持つ本皮シートが機内最前部に設置されるほか、有名店と提携した機内食やデザートをどの時間帯に搭乗しても提供し、好みの物を選択できる。他にも出発時には専用チェックインカウンターや「ダイヤモンド・プレミア ラウンジ」(羽田空港)、「サクララウンジ」を用意するほか、優先搭乗や手荷物の優先手渡し、手荷物の無償上限を40キロに引き上げるなどのサービスが提供される。なお、運賃は羽田-伊丹線の場合8,000円の追加となる。
空港ラウンジ
JALグローバルクラブ、JGCプレミア、JMBダイヤモンド、JMBサファイア会員、および「ラウンジクーポン」利用のJMBクリスタル会員は、搭乗クラスに関わらず出発空港のラウンジを利用できる(利用可能なラウンジと入室基準は空港毎に異なる)。
- サクララウンジ
- JALラウンジ
- ダイヤモンド・プレミアラウンジ(羽田空港第一ターミナルのみ)
就航地
(2007年10月現在)
貨物・郵便
JALカーゴ (JALCARGO) は日本航空グループの貨物運送サービスのブランドである。機体に「JALCARGO」とマーキングされた貨物機による運送のほか、旅客便に搭載されるものも含まれる。
日本航空インターナショナルは貨物を対象とした航空連合WOWの会員である。2005年度には[1]、 国内線は貨物338,443有償トンキロ、郵便85,519有償トンキロ。国際線は貨物4,541,293有償トンキロ、郵便161,690トンキロの実績を残した。
主な就航地(旅客便が就航していない就航地)
- アンカレジ
- アトランタ
- ヨーテボリ
コードシェア便/運送共同引受
日本航空グループ内
◎JALグループは国際航空連合(アライアンス)「ワンワールド」に加盟しているが、※のある航空会社は経営施策上ワンワールドには加盟していない。
- (「運送の共同引受」により全便を日本航空インターナショナルの便として運航。法人名として表記する以外は対外的には「ジェイ・エア」を使用)
外部提携先
国際線
※ ◎は、ワンワールド加盟、△は、スカイチーム加盟、▲は、スターアライアンス加盟会社。
- 北米
- ヨーロッパ
- ブリティッシュ・エアウェイズ(英国航空)◎
- エールフランス△
- イベリア・スペイン航空◎
- アリタリア航空△
- アジア・中近東
- オセアニア
貨物便
◎はWOW加盟、△はスカイチーム・カーゴ加盟。
- ノースウエスト航空(nwa cargo)△
- ルフトハンザ・カーゴ◎
- SASカーゴ◎
- エールフランス(エールフランス・カーゴ)△
- ブリティッシュ・エアラインズ
- シンガポールエアラインズカーゴ◎
- 中国貨運航空(中国東方航空の貨物部門)
運航機材
これまでに世界最大数となる合計113機を発注するなど、ボーイング747シリーズ(現在運行しているのは−300と−400)が1970年代から現在に至るまで日本航空を代表する機材となっているが、最新鋭機に比べて燃費などの運行コストに劣ることから、近年は同機の引退や貨物機への改修が進んでいる。また、経年化が進み運航コストや整備コストがかさむ上に、航空機関士が必要なボーイング747-300や、日本エアシステムから引き継いだマクドネル・ダグラスMD-81や同MD-87の退役を進める上で、2006年度から2008年度中にボーイング737「ネクストジェネレーション」を19機新規導入しており、国際線にも随時投入する予定であるほか、2008年度中にボーイング787を4機新規導入する。なお、各機材の詳細については、リンク先にある航空機のページを参照して欲しい。
国際線
国際線機材では、ボーイング747シリーズを-300型から順次退役させると共に中華人民共和国路線など近距離の路線向けにボーイング737-800型機を、中長距離路線にはボーイング777-300ER、767-300ERを順次導入している。また、2008年度からはボーイング787も順次導入される。
- ボーイング 737-800 ・・・新型の次世代小型機。最初は国内線のみで運用されていたが近距離国際線にも就航するようになった。国内線ではマクドネル・ダグラス社の機材(MDシリーズ)と置き換えられており、現在ボーイングと交わされている購入契約では、最終的に40機の737-800型機が導入される予定。(30機を確定発注し、10機のオプション発注も行っている)
- ボーイング 747-300
- ボーイング 747-300SR 6機(747-300型と-300SR型の合計) ・・・通常は473席仕様で運航される。日本航空グループでは、この6機の他に、日本アジア航空で2機、JALウェイズで4機、計12機の747-300型機が運用されている。ちなみにこのグループ3社の間で747-300型機12機は共用機材として使用されている。なお、747-300SR型機については、現在は改修により747-300型機との差異はなくなっている。シートテレビは装備しない。
- ボーイング 747-400 ・・・”ジャンボの日航”を象徴する機材であり、国際線、国内線の両方で合わせて34機が就航している。一部はシートテレビを装備しない。
- ボーイング 767-300 (ローンチカスタマー) ・・・国内線も含めて22機の767-300型機が就航している。一部にシートテレビを装備する。
- ボーイング 767-200 3機 ・・・近距離国際線に使われ、スーパーシート仕様のシートをビジネスクラスとして運用する。シートテレビは装備しない。
- ボーイング 777-200ER 11機 ・・・ボーイング777-300型機と並ぶ国際線の主力機材の1つ。
- ボーイング 777-300ER (ローンチカスタマー) 6機(7機発注中) ・・・ボーイング777-200型機と並ぶ国際線の主力機材の1つである。通常は292席仕様で運航される。
- ボーイング 767-300ER ・・・国内線も含めて17機の767-300ER型機が就航しており、さらに5機を発注している。
国内線
国内線機材では、旧日本エアシステムの機材(マクドネルダグラスMD-87など)や、大規模幹線のみにしか使用出来ない上に、伊丹空港への発着が出来ず持て余し気味のボーイング747-400D型の退役を進め、小規模路線にはボーイング737-800型機を、中規模以上の路線にはボーイング777-200やボーイング777−300型機を導入している。また、機齢が比較的新しいものも多いエアバスA300-600R型機の退役も間近に迫っているといわれている(後継はボーイング787-3型機になる見通し)。
- ボーイング 747-400D 8機 ・・・国内線向けとしては最大規模の機材。通常は546席仕様(クラスJ:80席/エコノミー:466席)で運航される。
- ボーイング 767-200 3機 ・・・通常はオールエコノミーの230席仕様で運航される。近距離国際線にも使われている。
- ボーイング 777-200 7機(1機発注中) ・・・旧日本航空と旧日本エアシステムの両方で使用されていた機材。通常は397席仕様(クラスJ:88席/エコノミー309席)で運航される。一部にシートテレビを装備する。
- ボーイング 777-300 7機 ・・・国内線機材としては、747-400D型に次いで大きな機材。席数では747-400型をしのぐ。通常は500席仕様(クラスJ:78席/エコノミー:422席)で運航される。
- ボーイング 737-800
- マクドネル・ダグラス MD-90 16機 ・・・旧日本エアシステムから引き継いだ機材。正式なスペックはMD-90-30型である。かつて旧日本エアシステムが黒澤明がデザインした塗装「7色の虹」を施し、運航した事でも有名な機材。通常は166席仕様(クラスJ:18席/エコノミー:132席)で運航される。
- マクドネル・ダグラス MD-81 13機 ・・・旧日本エアシステムから引き継いだ機材であり、この13機の他に5機がローカル線子会社のJALエクスプレスで運航されている。通常は163席仕様で運航される。なお、MD-81は今後数年中に退役予定であり、後継機材はボーイング737-800型機と決定している。
- マクドネル・ダグラス MD-87 7機 ・・・旧日本エアシステムから引き継いだ機材。日本航空インターナショナルが保有する機材の中では最小(134席仕様)であり、従来のMD-80シリーズの航空機に比べて短い胴体とハイパワーなエンジン、優れた高揚力装置を武器に比較的滑走路の短い路線で活躍してきた。しかし経営再建を進める中で、1座席当たりのコストが相対的に高いため、先輩機のMD-81よりも早く全機退役させる事が決まった。2007年7月に1機がオリエント・タイ航空へ売却されたのを皮切りに、残り7機も2007年度中に退役し、ボーイング737-800型機と置き換えられる予定。
- エアバスA300-600R 22機 ・・・旧日本エアシステムから引き継いだ機材。通常は290席仕様(クラスJ:34席/エコノミー:256席)で運航される。この機材はボーイング787、主に短距離向けの787-3型と置き換えられる予定。
貨物機(JALカーゴ)
老朽化が進んでいるボーイング747-200F型機を退役させ、北東アジアや東南アジアの中小規模路線にはボーイング767-300F型機を、大規模路線にはボーイング747-400F型機を順次導入している。
- ボーイング 747-200F 9機 ・・・ボーイング747-200型機を貨物機仕様に改造した機材。老朽化が進んでおり、順次、後記のボーイング747-400F型機などと置き換えられる予定。
- ボーイング 747-400F 2機 ・・・ボーイング747-400型機の貨物仕様。日本航空では、これまでのボーイング747-200F型機の後継として、大規模路線には747-400F型機を、中小規模路線にはボーイング767-300F型機を導入していく予定。
- ボーイング 747-400BCF
- ボーイング 767-300F 1機(4機発注中) ・・・中小規模の貨物路線用に導入された機材。日本航空では、これまでボーイング747-200F型機で採算の合わなかった路線、特に北東アジアや東南アジア方面の路線中心にこの機材を順次導入していく予定。既に1機が納入され、運航を開始している。(ちなみにこの767-300F初号機は、塗装を削ったポリッシュド・スキンである)
発注中でまだ1機も納入されていない航空機
- ボーイング787-3型機 13機発注中 ・・・国内線においてエアバスA300-600R型機などの後継となる。
- ボーイング787-8型機 22機発注中 ・・・国際線用機材。
過去の運行機材
- マーチン2-0-2
- ダグラスDC-3
- ダグラスDC-4B
- デハビランド DH.114 ヘロン
- 旅客便で使用するため購入したが乗員訓練のみに使用。
- ダグラスDC-6B
- ダグラスDC-7C
- ダグラスDC-8
- ボーイング727
- 日本航空機製造YS-11(日本国内航空からのリース)
- コンベア880
- ボーイング 747-100B
- ボーイング 747-100B/SUD
- 世界でも日本航空が2機発注しただけという希少機。300型の機体に100型のエンジンを装備する。
- ボーイング 747-200
- マクドネル・ダグラスDC-10-40
- (ノースウエスト航空への納入機材を-20と考えると、-40としては日本航空がローンチカスタマー。他にアメリカトランス航空がごく少量購入したが、-40を導入したのはほぼ日本航空のみ。ATAの機材はノースウエスト航空に売却された)。
- マクドネル・ダグラスMD-11
- エアバスA300B2/B4(旧日本エアシステム→日本航空ジャパン機)
- ボーイング737-400
- 「フラワージェット」の愛称があり、機体ごとに花の愛称があった。全機体がJALエクスプレスに移管。
オフィシャル・エアライン
日本のフラッグシップ・キャリアであると同時に、長年の間日本の航空会社として唯一の国際線運行会社であったことなどから、オリンピックや万国博覧会など、日本の歴史の節目となるような数々のイベントのオフィシャル・エアラインとなっている。
またこれ以外にも、東京オリンピックの聖火をギリシアから日本国内まで運送したと同時に、ほぼ全ての運行機材にロゴを入れた他、1999年以降はサッカー日本代表チームのオフィシャルサポーティングカンパニーとして、2002年と2006年のサッカーワールドカップで特別塗装機材を運行している。
広告・宣伝活動
設立後しばらくの間は日本人の海外渡航が業務渡航に制限されていたことから、外国における広告宣伝活動と、国内線の広告が主であったものの、高度成長期真っ只中の1964年に観光目的の海外旅行が解禁されて以降と、1970年代にボーイング747型機が導入されて以降は、増大する日本人の海外渡航者数にあわせて広告出稿量が急増した。
また、毎年夏季及びお盆休暇には、他の日本航空グループ企業と合同で、これらの繁忙期を狙った沖縄キャンペーンや北海道キャンペーンなどの大々的なキャンペーンが行われる。
なお、テレビ番組やイベントへの協賛なども積極的に行っていたが、2002年に日本エアシステムを吸収合併した後に経営状況が悪化し、度重なる運航上のトラブルが発生して以降はその多くを取りやめた。現在は業績の回復に向けて広告の出稿量が再び増え始めている。
スポンサー
番組
- JET STREAM
- サウジサウダージ(提供終了)
- 松任谷由実 For Your Departure(放送終了)
- JAL Presents OLEっち(放送終了)
- アップダウンクイズ(放送終了、協賛扱いでCMはカウキャッチャーとして流れた)
スポーツ関連
- バスケットボール日本代表(サポーティングカンパニー)
- サッカー日本代表(サポーティングカンパニー)
- サッカーJリーグチームスポンサー
- Gatas Brilhantes H.P.(芸能人女子フットサル・チームスポンサー)
イベントなど
広告出演者
1970年代
1980年代
1990年代
- 千代の富士、小錦
- ジャネット・ジャクソン
- 五木寛之
- ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティ
- CCガールズ
- 米米CLUB
1990年に「浪漫飛行」、1993年に「DAY DREAM」が起用される(双方とも本人たちが出演)。 - GLAY
- 鶴田真由
- 木村佳乃(父が社員として勤務、母が客室乗務員として勤務した事がある)
- 萩原健一
- 明石家さんま
- 赤坂泰彦
- 藤原紀香
- CHAGE and ASKA
2000年代
- 矢田亜希子
- 藤井フミヤ
- 反町隆史
- 窪塚洋介
- 海東健
- 宮里藍
- 長谷川理恵
- 松井秀喜
- サザンオールスターズ
CMソングとして「雨あがりにもう一度キスをして」(2003年)、「夢に消えたジュリア」も起用。 - 桑田佳祐
単独として2004年に出演。「彩~Aja~」(サザンオールスターズ名義)もCMソングになる。 - 原由子
こちらも単独として2004年に出演。ボーカル曲「夢見るアニバーサリー」(原由子&ALL STARS名義)がCMソングとなる。 - 三谷幸喜
- 相武紗季
- たまごっち
- 甲虫王者ムシキング
- 香取慎吾
ディズニーとの関係
Template:画像掲載について(TDR) 日本航空インターナショナルは、1983年から東京ディズニーリゾート(TDR)の東京ディズニーランド(TDL)・東京ディズニーシー(TDS)(こちらは2001年9月のグランドオープンから)の参加企業(オフィシャルエアライン)である。
2004年10月に日本エアシステムとの経営統合時には、オフィシャルエアラインとしての広告権利が日本国内に限られる関係上、当時JALグループの国内線事業会社であった日本航空ジャパンに名義が一時移ったが、事業会社の再編により同社を吸収合併した事で、再びオフィシャルエアラインとなった。
東京ディズニーリゾートの参加企業として提供しているのは、「スタージェット」(TDL)・「ブロードウェイ・ミュージックシアター」(TDS)の2つの施設である。
また、日本航空(ジャルツアーズ)のパッケージツアー「JALSTAGE」で設定されている「JALで行く東京ディズニーリゾート」では、羽田空港とパーク間の無料送迎バスをはじめ、ショー鑑賞券やディズニーキャラクターが使われている景品など、オフィシャルエアラインならではの特典が用意されている。日本航空がディズニーのキャラクターを使用した広告は、このオフィシャルエアラインの権利によるTDRのものと、主に夏と冬に設定されるツアー(JAL SKI等)であり、原則的に日本国内での使用に限られる。機内サービスとして子供向けに配布されている景品でも、ディズニーキャラクターが使われたものが用意されている。
機体全面にディズニーキャラクターが描かれた特別塗装機である「JALドリームエクスプレス」を就航させたこともある他、同機のミニチュア模型も販売されていた。
HSST
1970年代前半に、1970年代後半に開港する予定であった成田国際空港へのアクセスの切り札として、日本航空と名古屋鉄道が中心となってHSST(磁気浮上式鉄道)の開発が進められた。その後1985年に行われたつくば科学万博にも出展され、実際に一般客も搭乗することができた。
その後も開発が進められていたものの、1978年の成田国際空港完成時に京成電鉄のスカイライナーによる空港乗り入れ(空港敷地内ではあるが、ターミナルビルへの乗り入れではなかった)が実現したことや、次いで1991年に石原慎太郎運輸大臣の命令を受けてJR東日本の成田エクスプレスの運行が開始され、あわせてスカイライナーの空港ビル乗り入れが実現し、都内からの空港までのアクセスが飛躍的に向上したこと。さらに日本航空の完全民営化を受けて、本業に直接関連していない上に、採算が取れるか判らない事業に投資することを取りやめたことなどから、開発計画からの撤退を表明し2000年に正式に撤退した。
政府専用機
上記のように、1950年代より皇族や首相、閣僚の海外公式訪問や国内移動の際に日本航空の特別機が頻繁に使用されており、これを受けて特別機専用機材が常に複数機割り振られてあり、必要になった際にはこれらの機材が特別機として運行されていた。
また、1992年にボーイング747-400型機2機が政府専用機として導入されて以降は、政府専用機の国内外における運行および整備協力を世界各地において行っている。
これに併せて、長年の長距離国際線における機内サービスの経験を認められて、自衛隊の空中輸送員による政府専用機の客室内での各種サービスの訓練も委託されており、頻繁に羽田空港内の客室乗務員訓練センターにおいて空中輸送員に対する訓練が行われている。
エピソード
- 1962年に初の北回りヨーロッパ線を開設した際に、万が一北極圏で不時着した際に熊に襲われた時のことを考え、機内に拳銃が搭載されていただけでなく、パイロットが実際に射撃の訓練を受けた。
- ビートルズが1966年に来日し日本航空機のタラップを降りてくる時に、4人のメンバー全員が「日本航空」のロゴの入った法被を着用していたが、これは広告部からの要請を受けて、乗務していた客室乗務員が「日本の伝統衣装を着用するとファンが喜ぶ」といって着用させたものだった。この際にこの法被の存在があまりに有名になったこともあり、現在も国際線のファーストクラスでは、この時のものとほぼ同じデザインの法被が乗客に提供されている。
- 1969年に日本国内航空から日本航空機製造YS-11型機1機をウエットリースし、福岡-釜山線に投入し約1年間運航した。なおこの際にリースされたJA8717機は、その後日本国内航空へ戻された後もしばらくの間日本航空塗装で使用され、その後1971年に行われた日本国内航空と東亜航空との経営統合による東亜国内航空への移籍を経て、系列会社の日本エアコミューターに移籍され、さらにその後日本航空と親会社の日本エアシステムとの経営統合を受けて、再び日本航空のロゴをつけて2006年9月30日の同型機の引退の日まで飛ぶこととなる。
- 1972年11月に発生したシェレメーチエヴォ墜落事故で亡くなった乗客の遺族の提案により、「この事故の悲劇を忘れないで安全運航を行ってほしい」との願いから、緑十字をかたどった「安全バッジ」がこの事故以降全ての日本航空の社員の制服に着けられることになった。しかしこのバッジは、2002年に行われた日本航空による日本エアシステムに対する経営統合と、その後の吸収合併に伴う制服改変の前後に廃止されてしまった。しかし現在も日本航空のモスクワ支店では、毎年事故日になると社員が慰霊碑に向かい犠牲者の慰霊を行っている。
- 1973年に発生したドバイ日航機ハイジャック事件で爆破されたボーイング747型機の焼け残った尾翼の一部部品はその後売却されてKLMオランダ航空の同型機に装着された。しかしその後、同機は1977年にスペイン領カナリア諸島のテネリフェ島にあるロス・ロデオス空港の滑走路上で2機のボーイング747型機同士が衝突した事故(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故)に遭うこととなった。
- 1978年8月に、太平洋路線に就航するボーイング747型機の2階客室ラウンジ部分を改修して、長さ185.4センチ、幅68.5センチの寝台を数席設置した「スカイスリーパーサービス」を開始した。なお、機内に寝台を設置したのはジェット機として初の試みであった。
- かつて「目標利益142億円」を達成するために、全部署に漬物石(※142と”いしに”の語呂合わせ)を配布したことがある。
- 1980年代にかけての日本航空の社訓は「お客様への感謝、仲間への共感、時代への挑戦」であったが、その社風から社内では「仲間への感謝、時代への共感、お客様への挑戦」と酷評されていた。
- 1983年から1984年にかけて放映されたテレビドラマ、スチュワーデス物語の放送当時、ドラマの中で訓練生が実際に着用していたものと同じTシャツや帽子が、機内誌「WINDS」(現SKYWARD)内の通販コーナーで「スチュワーデス物語公式グッズ」として個数限定で販売されていた。
- 日清食品と共同でオリジナルのカップ麺、「うどんですかい(Udon de Sky)」を開発し、1992年6月1日より長距離路線のエグゼクティブクラスで提供を開始した。気圧が低い機内で調理、提供されることから、普通のカップ麺より低い沸点でも麺が戻るように工夫が凝らされている。
- 篠山紀信が撮影を担当し、実際に乗務している日本航空グループの女性客室乗務員のみが登場する「スチュワーデスカレンダー」を毎年作成している。なお、このカレンダーへ登場する女性客室乗務員の多くが自薦(他薦も可能)であり、社内では「自己顕示欲の強い女性客室乗務員の象徴」とみなされており、その為にこのカレンダーへ登場することに対しての社内での評価は芳しいものではない。また、複数回自選を行うものが続出したことにより、現在では一度落選すると再度自薦は出来ない決まりになっている。
- なお、その後国内線と国内線の機内販売のカタログにも同じく実際に乗務する女性客室乗務員(と男性客室乗務員)が毎号数名ずつ登場していたが、こちらは全て他薦であった。現在は元日本航空と元日本エアシステムの客室乗務員が1名ずつ登場している。
- 2007年1月現在、日本航空インターナショナルのパイロットや客室乗務員、地上職などの職種別に、会社側・反会社側含め合計10もの労働組合があり、それぞれの組合と経営側の足の引っ張り合い、反会社側組合の要求するパイロットの業務に伴う移動時のファーストクラスやグリーン車、ハイヤーの提供などの常識外れの高待遇が、経営改革と経費削減による業績回復の足かせになっているとして、株主だけでなく乗客からも多くの批判を受けている(日本航空の組合問題参照)。
- 社員によるハンドベルチーム「ベルスター」があり、様々なイベントで演奏を行っている。なお、他にも社員によるバスケットボールチームの「JALラビッツ」がある。
日本航空出身の著名人
- 深田祐介(直木賞作家。元広報部次長)
- 安部譲二(作家。元客室乗務員)
- 中村正軌(直木賞作家)
- 益岡康夫(青山学院大学非常勤講師。元客室乗務員訓練部英語教官)
- 小倉寛太郎(山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』主人公・恩地元のモデル。元ナイロビ支店長、労働組合委員長)
- 島田律子(タレント。元客室乗務員)
- 仲谷かおり(ヌードモデル。元客室乗務員)
- 小谷真生子(アナウンサー。元客室乗務員)
- 花田美恵子(元横綱・花田勝元夫人。旧姓栗尾。元客室乗務員)
- 真壁京子(気象予報士。元客室乗務員)
- 福島敦子(フリーアナウンサー。元客室乗務員)
- 貞包みゆき(フリーアナウンサー。元客室乗務員)
関連項目
サービス関連
制作協力テレビドラマ
制作協力映画
事故・事件関連
その他
- ギャラクシーエアラインズ(同社が10.0%出資している貨物航空会社)
- 日本ユニバーサル航空(かつて存在したJALグループ貨物航空会社)
- DFS
- 国際連合児童基金
- ヨーロッパ航空航路
- 北ウイング
- JALホテルズ
- 日本航空の組合問題
- ブロードウェイ・ミュージックシアター(東京ディズニーシーにある、日本航空インターナショナルが提供している劇場)
参考文献
- 「JALグループ50年の航跡」日本航空広報部デジタルアーカイブ・プロジェクト編 2002年 日本航空
- 「エアライン Empires of the Sky」アンソニー・サンプソン 大谷内一夫 訳 早川書房 1986年 ISBN 4152033134
- 「日本航空事故処理担当」山本善明 講談社+α新書 2001年 ISBN 4062720647
- 「4196人のスチュワーデス―スチュワーデスの本’85」深田祐介 1985年 日本航空
- 「SKYWARD」JALブランドコミュニケーション 2006年12月号
- 「DC-10/MD-11&L-1011」イカロス出版 2000年 ISBN 4871492753
- 「クラシックエアライナーインジャパン」イカロス出版 2005年 ISBN 4871497240
- 「マッハの恐怖」(文庫) 柳田邦男 新潮社 1986年 ISBN 4101249059
- 「続・マッハの恐怖」(文庫) 柳田邦男 新潮社 1986年 ISBN 4101249067
- 「死角 巨大事故の現場」柳田邦男 新潮社 1988年 ISBN 4101249083