「ジョン・コシンスキー」の版間の差分
Motorockers (会話 | 投稿記録) |
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1990年、満を持して「マールボロ・チームロバーツ」よりロードレース世界選手権250ccクラスにフルエントリー。7勝をあげ、圧倒的な強さでチャンピオンを獲得。翌1991年500ccクラスへとコンバート。1勝と表彰台4回の成績を収め神童振りを発揮する。だが、チームオーナーであるケニー・ロバーツとの確執が決定的となり1992年は最終戦で500ccクラス2勝目を遂げるものの、チームから放出の憂き目に遭う。 |
1990年、満を持して「マールボロ・チームロバーツ」よりロードレース世界選手権250ccクラスにフルエントリー。7勝をあげ、圧倒的な強さでチャンピオンを獲得。翌1991年500ccクラスへとコンバート。1勝と表彰台4回の成績を収め神童振りを発揮する。だが、チームオーナーであるケニー・ロバーツとの確執が決定的となり1992年は最終戦で500ccクラス2勝目を遂げるものの、チームから放出の憂き目に遭う。 |
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1993年は心機一転、[[ラッキーストライク]][[スズキ (企業)|スズキ]]チームのエースとしてロードレース世界選手権250ccクラスにエントリー。開幕戦からトップを快走するシーンもあるなど速さを見せていたが、250ccでは後発であるスズキのマシン開発の遅さに業を煮やし、オランダGPが開催された[[TTサーキット・アッセン]]で[[原田哲也]]との2位争いに微差で敗れたレース後、 |
1993年は心機一転、[[ラッキーストライク]][[スズキ (企業)|スズキ]]チームのエースとしてロードレース世界選手権250ccクラスにエントリー。開幕戦からトップを快走するシーンもあるなど速さを見せていたが、250ccでは後発であるスズキのマシン開発の遅さに業を煮やし、オランダGPが開催された[[TTサーキット・アッセン]]で[[原田哲也]]との2位争いに微差で敗れたレース後、RGV-Γ250を[[ドラッグレース#バーンアウト|バーンアウト]]させて破壊。さらにマシンをコース脇の側溝に蹴り落とし表彰式をボイコット。この行為が原因でシーズン半ばにして解雇されてしまう<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.motorsport.com/motogp/news/yamaha-suggests-vinales-tried-to-blow-up-his-engine-in-styrian-motogp-race/6646423/ |title=ヤマハに不満爆発? 出場停止”処分”のビニャーレスは「わざとエンジンブローさせようとした」とチーム示唆 |publisher=motorsport.com |date=2021-08-13 |accessdate=2021-08-12}}</ref>。[[カジバ]]は行き場を失ったコシンスキーに500ccクラスのマシンを用意して契約。3戦目のアメリカGPで1勝<ref>{{Cite web|和書|url=https://funq.jp/riders-club/article/573136/ |title=「CAGIVA V594」世界ランキング3位。輝かしい戦績を残して撤退 |publisher=ライダースクラブ |date=2021-03-24 |accessdate=2021-08-12}}</ref>。翌年1994年は[[カジバ]]からフルエントリーし、上位を争うものの今度はカジバがGPを撤退してしまう。こうして、コシンスキーは速さがありながら噛みあわない状況に陥ってゆく。 |
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その後、[[ドゥカティ]]より[[スーパーバイク世界選手権]]に転向し、1997年にはカストロール・ホンダに移籍しSBKにおけるホンダのエースとしてチャンピオンを獲得。ホンダとのパイプを築き、1998年にホンダ・NSR500を使用するサテライトチームだった[[シト・ポンス|モビスター・ポンス]]よりWGP500へと4年ぶりの復帰を果たすが、最高位4位と勝利には遠かった。翌1999年に同じくホンダ系の[[アーブ・カネモト|カネモト・レーシング]]へ移籍、第4戦フランスGPでは2位表彰台を獲得するが、着実に完走を重ねる中でトップ争いに顔を見せることは少なく、同年が最後のWGP参戦シーズンとなった。「もう、GPを走ることはない」と吐き捨ててGPシーンを去っていった。 |
その後、[[ドゥカティ]]より[[スーパーバイク世界選手権]]に転向し、1997年にはカストロール・ホンダに移籍しSBKにおけるホンダのエースとしてチャンピオンを獲得。ホンダとのパイプを築き、1998年にホンダ・NSR500を使用するサテライトチームだった[[シト・ポンス|モビスター・ポンス]]よりWGP500へと4年ぶりの復帰を果たすが、最高位4位と勝利には遠かった。翌1999年に同じくホンダ系の[[アーブ・カネモト|カネモト・レーシング]]へ移籍、第4戦フランスGPでは2位表彰台を獲得するが、着実に完走を重ねる中でトップ争いに顔を見せることは少なく、同年が最後のWGP参戦シーズンとなった。「もう、GPを走ることはない」と吐き捨ててGPシーンを去っていった。 |
2024年8月10日 (土) 06:06時点における版
ジョン・コシンスキー | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 |
1968年3月20日(56歳) アーカンソー州リトルロック | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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ジョン・コシンスキー (John Kocinski, 1968年3月20日 - ) は、アメリカ合衆国、アーカンソー州・リトルロック出身のオートバイ・ロードレースライダー。1990年ロードレース世界選手権250ccチャンピオン。1988年のGPデビュー(スポット参戦・250ccクラス)以来、クラス・車両を問わず勝ち星を挙げた。
スタイル
コーナリング初期からコーナリング中、脱出と全てにおいて満遍なく速く、かつ接戦にも強い。ケニー・ロバーツのライディング理論を完璧に体現して見せた、「ヤング・キング」。また身長が低いこともあいまって、大きくリーンインしたフォームが特徴的である。
経歴
すべてのアメリカンの例に漏れず、幼少時よりダートレースを開始。AMAにおいて、250ccクラスで活躍しつつ、1987年から1989年は全日本ロードレース選手権およびロードレース世界選手権へのスポット参戦を行う。そこで見せた驚異的な速さゆえに、ケニー・ロバーツの秘蔵っ子と呼ばれる。
1990年、満を持して「マールボロ・チームロバーツ」よりロードレース世界選手権250ccクラスにフルエントリー。7勝をあげ、圧倒的な強さでチャンピオンを獲得。翌1991年500ccクラスへとコンバート。1勝と表彰台4回の成績を収め神童振りを発揮する。だが、チームオーナーであるケニー・ロバーツとの確執が決定的となり1992年は最終戦で500ccクラス2勝目を遂げるものの、チームから放出の憂き目に遭う。
1993年は心機一転、ラッキーストライクスズキチームのエースとしてロードレース世界選手権250ccクラスにエントリー。開幕戦からトップを快走するシーンもあるなど速さを見せていたが、250ccでは後発であるスズキのマシン開発の遅さに業を煮やし、オランダGPが開催されたTTサーキット・アッセンで原田哲也との2位争いに微差で敗れたレース後、RGV-Γ250をバーンアウトさせて破壊。さらにマシンをコース脇の側溝に蹴り落とし表彰式をボイコット。この行為が原因でシーズン半ばにして解雇されてしまう[1]。カジバは行き場を失ったコシンスキーに500ccクラスのマシンを用意して契約。3戦目のアメリカGPで1勝[2]。翌年1994年はカジバからフルエントリーし、上位を争うものの今度はカジバがGPを撤退してしまう。こうして、コシンスキーは速さがありながら噛みあわない状況に陥ってゆく。
その後、ドゥカティよりスーパーバイク世界選手権に転向し、1997年にはカストロール・ホンダに移籍しSBKにおけるホンダのエースとしてチャンピオンを獲得。ホンダとのパイプを築き、1998年にホンダ・NSR500を使用するサテライトチームだったモビスター・ポンスよりWGP500へと4年ぶりの復帰を果たすが、最高位4位と勝利には遠かった。翌1999年に同じくホンダ系のカネモト・レーシングへ移籍、第4戦フランスGPでは2位表彰台を獲得するが、着実に完走を重ねる中でトップ争いに顔を見せることは少なく、同年が最後のWGP参戦シーズンとなった。「もう、GPを走ることはない」と吐き捨ててGPシーンを去っていった。
エピソード
- 極度の潔癖症で、シャンパンファイトを嫌う。ケビン・シュワンツなどに「わざと」シャンパンを掛けられ激昂したことがある。
- 上記のエピソードが原因でシュワンツに殴りかかり、返り討ちにされたこともある。
- ヘルメットカラーは白頭鷲をモチーフにしている。これは師匠であるケニー・ロバーツのデザインを受け継いだものである。
戦績
- 1987年 - 鈴鹿8時間耐久オートバイレース3位(カル・レイボーン/ラッキーストライク・ヤマハ/YZF750)
- 1989年 - 鈴鹿8時間耐久オートバイレース リタイア(平忠彦/資生堂TECH21レーシングチームヤマハ/YZF750)
- 1990年 - ロードレース世界選手権GP250ccチャンピオン(マールボロ・ロバーツヤマハ/YZR250)
- 1991年 - ロードレース世界選手権500cc ランキング4位1勝(マールボロ・ロバーツヤマハ/YZR500)
- 1992年 - ロードレース世界選手権500cc ランキング3位1勝〔南アフリカGP〕(マールボロ・ロバーツヤマハ/YZR500)
- 1993年 - ロードレース世界選手権250cc ランキング12位(ラッキーストライク・スズキ /RGV-Γ250)
- 1994年 - ロードレース世界選手権500cc ランキング3位1勝〔オーストラリア〕(カジバ/C594V)
- 1996年 - スーパーバイク世界選手権 ランキング3位(ドゥカティ)
- 1997年 - スーパーバイク世界選手権 チャンピオン(カストロール・ホンダ/RVF/RC45)
- 鈴鹿8時間耐久オートバイレース2位(アレックス・バロス/カストロール・ホンダ/RVF/RC45)
- 1998年 - ロードレース世界選手権500cc ランキング12位(モビスター・ホンダ・ポンス/NSR500)
- 1999年 - ロードレース世界選手権500cc ランキング8位(カネモト・ホンダ/NSR500)
- 鈴鹿8時間耐久オートバイレース7位(予選まではフレディー・スペンサー決勝のみ武田雄一/カストロール・ホンダwithHSC/RVF/RC45)
ロードレース世界選手権
1988年から1992年までのポイントシステム:
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
ポイント | 20 | 17 | 15 | 13 | 11 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
1993年からのポイントシステム:
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
ポイント | 25 | 20 | 16 | 13 | 11 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
年 | クラス | チーム | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 | 勝利数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988年 | 250cc | マールボロ-ヤマハ | TZ250 | JPN 5 |
USA 4 |
ESP - |
EXP - |
NAT NC |
GER NC |
AUT - |
NED - |
BEL - |
YUG - |
FRA - |
GBR - |
SWE - |
CZE - |
BRA - |
24 | 19位 | 0 | |
1989年 | 250cc | YZR250 | JPN 1 |
AUS - |
USA 1 |
ESP - |
NAT - |
GER - |
AUT - |
YUG - |
NED - |
BEL - |
FRA - |
GBR - |
SWE - |
CZE - |
BRA - |
40 | 14位 | 2 | ||
500cc | マールボロ-ヤマハ | YZR500 | JPN - |
AUS - |
USA - |
ESP - |
NAT - |
GER - |
AUT - |
YUG - |
NED - |
BEL 5 |
FRA - |
GBR - |
SWE - |
CZE - |
BRA - |
5.5 | 35位 | 0 | ||
1990年 | 250cc | マールボロ-ヤマハ | YZR250 | JPN 14 |
USA 1 |
ESP 1 |
NAT 1 |
GER 3 |
AUT 3 |
YUG 2 |
NED 1 |
BEL 1 |
FRA NC |
GBR NC |
SWE 2 |
CZE 2 |
HUN 1 |
AUS 1 |
223 | 1位 | 7 | |
1991年 | 500cc | マールボロ-ヤマハ | YZR500 | JPN 4 |
AUS 3 |
USA NC |
ESP 2 |
ITA 2 |
GER NC |
AUT 9 |
EUR 5 |
NED 6 |
FRA NC |
GBR 4 |
RSM 6 |
CZE 3 |
VDM 4 |
MAL 1 |
161 | 4位 | 1 | |
1992年 | 500cc | YZR500 | JPN NC |
AUS DNS |
MAL - |
ESP 5 |
ITA 3 |
EUR 5 |
GER 5 |
NED 2 |
HUN 7 |
FRA 3 |
GBR NC |
BRA 2 |
RSA 1 |
102 | 3位 | 1 | ||||
1993年 | 250cc | ラッキーストライク スズキ | RGV250 | AUS 2 |
MAL 5 |
JPN 9 |
ESP 4 |
AUT 7 |
GER 12 |
NED 3 |
EUR - |
RSM - |
GBR - |
CZE - |
ITA - |
USA - |
FIM - |
80 | 12位 | 0 | ||
500cc | カジバ | GP500 | AUS - |
MAL - |
JPN - |
ESP - |
AUT - |
GER - |
NED - |
EUR - |
RSM - |
GBR - |
CZE 4 |
ITA 4 |
USA 1 |
FIM NC |
51 | 11位 | 1 | |||
1994年 | 500cc | GP500 | AUS 1 |
MAL 2 |
JPN 9 |
ESP 3 |
AUT 5 |
GER NC |
NED 8 |
ITA NC |
FRA 2 |
GBR 4 |
CZE NC |
USA 2 |
ARG 3 |
EUR 3 |
172 | 3位 | 1 | |||
1998年 | 500cc | ポンス・レーシング-ホンダ | NSR500 | JPN 13 |
MAL 5 |
ESP 11 |
ITA 5 |
FRA 4 |
MAD DNF |
NED - |
GBR - |
GER - |
CZE 15 |
IMO 13 |
CAT 9 |
AUS 12 |
ARG 10 |
64 | 12位 | 0 | ||
1999年 | 500cc | カネモト-ホンダ | NSR500 | MAL NC |
JPN NC |
ESP 6 |
FRA 2 |
ITA 8 |
CAT 9 |
NED 7 |
GBR 9 |
GER 5 |
CZE 14 |
IMO 8 |
VAL 8 |
AUS 9 |
RSA 10 |
BRA 13 |
ARG 7 |
115 | 8位 | 0 |
スーパーバイク世界選手権
順位 | クラス | マシン | SMR |
GBR |
GER |
ITA |
CZE |
USA |
EUR |
INA |
JPN |
NED |
ESP |
AUS |
順位 | ポイント | 参照 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | ||||||
1996年 | SBK | ドゥカティ | 1 | 1 | 7 | 6 | 2 | 3 | Ret | Ret | 4 | 6 | 1 | 12 | 3 | Ret | 1 | 1 | 5 | 2 | 5 | 3 | 3 | 2 | 7 | 5 | 3位 | 337 |
順位 | クラス | マシン | AUS |
SMR |
GBR |
GER |
ITA |
USA |
EUR |
AUT |
NED |
ESP |
JPN |
INA |
順位 | ポイント | 参照 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | ||||||
1997年 | SBK | ホンダ | 1 | 7 | 2 | 1 | 10 | 5 | 2 | 14 | 1 | 2 | 1 | 1 | 3 | 2 | 5 | 3 | 1 | 3 | 1 | 1 | 9 | 3 | 1 | Ret | 1位 | 416 |
鈴鹿8時間耐久オートバイレース
年 | チーム | ペアライダー | 車番 | マシン | タイヤ | 予選順位 | 予選タイム | 決勝順位 | 周回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987 | ラッキーストライク・ロバーツ | カル・レイボーン | 26 | ヤマハ・YZF750 | D | 8 | 2'19”480 | 3位 | 198 |
1989 | 資生堂TECH21 ヤマハ | 平忠彦 | 21 | ヤマハ・YZF750 | M | 5 | 2'17”157 | Ret | 162 |
1997 | カストロール・ホンダ | アレッシャンドレ・バロス | 4 | ホンダ・RVF/RC45 | M | 12 | 2'11”048 | 2位 | 186 |
1999 | カストロール・ホンダwithHSC | フレディ・スペンサー | 100 | ホンダ・RVF/RC45 | M | 6 | 2'10.032 | 7位 | 208 |
参照
- ^ “ヤマハに不満爆発? 出場停止”処分”のビニャーレスは「わざとエンジンブローさせようとした」とチーム示唆”. motorsport.com (2021年8月13日). 2021年8月12日閲覧。
- ^ “「CAGIVA V594」世界ランキング3位。輝かしい戦績を残して撤退”. ライダースクラブ (2021年3月24日). 2021年8月12日閲覧。
外部リンク
- John-Kocinski.com - Official site
- JohnKocinski.co.uk - Unofficial site
タイトル | ||
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先代 アルフォンソ・ポンス |
WGP250cc チャンピオン 1990 |
次代 ルカ・カダローラ |