Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/伊藤初代 20150511
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選考終了日時:2015年5月25日 (月) 04:56 (UTC)
- (自動推薦)2015年4月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2015年5月11日 (月) 04:56 (UTC)
- 賛成 生涯がよくわかる記事になっており、申し分ないものと思います。この人本人は一般人なのに、たまたま大文学者の恋愛相手になって作品に大きな影響を与えると、こんなにも詳しく生涯を調べ上げられてしまうのだ、というところが驚かされます。--Tam0031(会話) 2015年5月20日 (水) 14:59 (UTC)
- ただただ圧倒されました。まったく、うかつに後の有名人になるような人と交際してしまうとプライバシーも何もあったもんじゃないですね。などいう下らない感想はさておいて、ここまで読み込んで記事を作られた労力には敬服いたします。ここまで書いていただければGAどころかFAクラスだと思うのですが...
- しかし、Wikipediaの記事としての本質的かつ重要な部分、すなわち出典の参照や引用に関する部分で、以下のようにいろいろと疑問点が有るため、保留とさせていただきます。
- 1. 川端自身による「みち子もの」の作品を参照している部分が多いようですが、はたしてこれは妥当な参照といえるのでしょうか。「事実に基づき、フィクションをほとんど交えずに描いている作品」はまだしも、「部分的に題材として取り入れている作品」からも、事実と見なされるような書き方での参照は妥当なのでしょうか。
- 例えば一つだけ例を挙げると、「父親の承諾」節において、「病死している川端の父親を日露戦争で戦死したと言い、ひ弱そうに見える川端を擁護した」の出典として、「部分的に題材として取り入れている作品」とされる「父母への手紙」を参照していますが、「父母への手紙」にそういう内容のことが書いてあったとしても、それが事実である(少なくとも川端自身の創作ではない)ということは保証されるのでしょうか。もちろん、これらの作品の内容は事実である、という認識が川端の研究者にとっては常識であるならば問題はないのですが、その辺の事情に詳しくない者としては、自叙伝だか小説だか随筆だかよくわからない作品の内容を参照元とされても、歴史的事実の記載に歴史小説の一節を参照されるような不安が残るのです。
- 2. 初代の書簡が随所で引用され、出典として『伊藤初代「川端康成宛ての書簡」』なるものが提示されておりますが、執筆者さんは、これらの書簡の本物をじかにご覧になったのでしょうか。それとも伊藤初代の書簡集のような資料が公刊されているのでしょうか。さすがに前者ではないでしょうが(それならそれで検証可能性の面で問題です。さすがにそんなものは誰でも手に取って自由に見られるものではないでしょうから)、後者ならその資料の出版物としての書誌情報が必要です。あるいは参考文献として提示されている川端康成の全集なり研究書なりに収録されているものを引用したのかもしれませんが、それならそれでどの本の何ページからの引用なのかを明記して下さい。まあ実際は、注釈15を見ると川端の作品から引用したようですが、それならば出典情報として『伊藤初代「川端康成宛ての書簡」』などと紛らわしいものを書く必要はありません。引用元の川端作品だけ提示していただければ十分です(ただし川端作品の出典情報の書き方にも大きな問題があり、それは次の項目で指摘します)。
- 3. 『川端康成「日記」』や川端康成の「書簡」などからの参照も多数ありますが、これについても上と同様の問題があります。執筆者さんはこれらの「日記」や「書簡」をどこで見たのでしょうか。これも、おそらくは下の参考文献節にある川端康成全集などに収録されているものを参照したのでしょうが、そうであるならば、参照元の書誌情報とページ数はちゃんと書いていただかないと、検証可能性を満たしません。
- また、多数の川端作品からの参照もありますが、いずれも初出情報は書いてあるものの、執筆者さんがそれら昔の雑誌を直接御覧になったわけではないでしょう(そうであれば以下は無視してください)。これも同様に川端康成作品集などを参照したと思われますので、実際に参照した書籍とページ数などの情報もお願いします。
- 1.「部分的に題材として取り入れている作品」からの内容を出典にしているという点ですが、例えば『父母への手紙』は、その内容が川端の実際の生い立ちの事実関係と符合し、川端自身も『川端康成全集第14巻 独影自命・続落花流水』の39頁で、『十六歳の日記』『葬式の名人』などと共に「私小説」群の中に入れています。随筆に近い内容のため、研究者諸氏から自伝作品だと位置づけられています。なので、『父母への手紙』は伊藤初代関連の挿話は部分的ですが、全体として川端の自伝作品であるため、ほぼ事実に基づいている作品となります。
- ただし私小説とは言え、多少の脚色はあるでしょうが、その場合、川端は創作した部分は創作だと述べる作家で、そういう場合は、別の随筆内で言及しているのをいくつか見ました(例えば、『油』など)。フィクション混じりの『日向』ですら、伊藤初代をモデルにした人物が言った言葉の部分に関しては創作だと、川端は『父母への手紙』の中で語っています。その自己作品についての言及の仕方から見ても、『父母への手紙』は、きわめて随筆に近い作品となっています。
- 『父母への手紙』の伊藤初代の父親との挿話も、事実関係と大体符合しており、川端が自身の痩せた身体にコンプレックスを持っていたことも事実で、友人の誰かが気を回し、川端の父親を戦死したと言ったことに、思わず川端が内心とても傷ついたという告白も、他の章にも書かれていて、2度も出てくるので、事実に基づいていると思われます。この部分は、他の『南方の火』などにも書かれていたかもしれませんので、もう一度確認してみます。
- 2.伊藤初代の書簡についてですが、川端の『非常』『彼女の盛装』『南方の火』などに重複して引用されていて、『非常』などはその作品名も一応付記しています。それらの手紙のオリジナルは、2014年に発見され、「川端康成『投函されなかった恋文』――『伊豆の踊子』の原点の女性がいた」(文藝春秋 2014年8月号に掲載)に記載されています。川端作品内で引用されていなかった新たな手紙については、この『文藝春秋』の出典も併せて付記しておきましょう。
- 3.川端の日記や、書簡類は、参考文献にある『川端康成全集 補巻1 日記 手帖 ノート』、『川端康成全集 補巻2 書簡来簡抄』から参照しました。その全集を手に取り目次を見れば、日記の日付や人物名ですぐにその箇所が見つかるので、あえて、各々の脚注に、全集名や頁数を付記するのは、バイト数が増えるだけだと考え省略しました。これらに関しては、借りた全集なので、再び図書館に出向いて頁数を付記しますが、他の作業の開いた時間に行いますので、しばらくお待ちいただきたいと思います。
- また、作品の初出を脚注に書いているのも、「一番最初の初出雑誌や日付」を書くことが、文学作品の論文では必要不可欠なことなので、そのやり方を踏襲しています。しかし、Loasaさんのおっしゃるように、現在その作品が読める文庫本あるいは全集の巻数を書いておく方が、出典情報として、より親切ですので付記しておきます。--みしまるもも(会話) 2015年5月24日 (日) 13:19 (UTC)
- 1.について。了解致しました。川端研究者の間ではそれらの作品が自伝と見なされている、ということであればそれで結構です。正直言って川端康成の作品はほとんど読んだことがなく、川端が「創作した部分は創作だと述べる作家」ということも知らなかったので、これらの作品がどの程度に『私小説』なのか、不安でした。
- 3.日記の日付がノンブル代わりになる、というご意見はもっともです。ノンブルの概念がない近代以前の書物を直接参照する場合はそういうふうに指定するしかないですからね。しかし、そういう場合でも(それが収録されている)書籍自体の情報まで省略されては困ります。また、初出情報が文学作品の論文に必須ということは理解しております。しかし、論文の場合でも、初出雑誌などを直接参照している場合はともかく、全集などに収録されたものを参照した場合にはその本の書誌情報も求められるのではないでしょうか。Wikipediaの信頼性は全面的に出典に拠っている以上、出典情報は学術論文以上にシビアに求められる部分もあります。現在において参照した作品を読める本の情報を書くことは、出典情報としてより親切、というよりもWikipedia的には検証可能性の観点からより重要と言えます。
- まあ、私も書誌情報に関してはうるさいので(笑)、出典情報や書誌情報についてはあちこちであれこれと注文をつけてます(井戸端での議論やノート:ローマの建国神話などを御覧下さい)が、Wikipediaの記事は出典情報の充実がもっとも大事な要素の一つと考えているのでご容赦下さい。
- ともあれ、対応ありがとうございます。選考期間終了も近いし、みしまるももさんならきちんと対応していただけると信頼しておりますので、賛成票を入れておきます。対応は時間のあるときにごゆっくりで構いません。--Loasa(会話) 2015年5月24日 (日) 19:26 (UTC)
- 賛成 同じく川端の恋人というだけでこれだけ書けるなんて凄いと思いました。こういう記事がもっと増えてほしいです。--大田幸司(会話) 2015年5月24日 (日) 10:55 (UTC)
選考終了時点で賛成3票、反対なしのため選考通過となります。--ぱたごん(会話) 2015年5月25日 (月) 14:27 (UTC)