Wikipedia:井戸端/subj/重複記事であるのか?違うのか?
|
重複記事であるのか?違うのか?
[編集]こんにちは。ノート:九州の役で、「九州征伐」や「九州攻め」の候補への改名について議論中でしたが、先日改名でなく記事の独立という形で元記事の九州の役から履歴継承と加筆による九州攻めが立てられました。Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#重複した記事をつくることという決まりがあり、元記事から引き写された履歴、定義や内容を見たところ重複記事であるように思いました。コメント依頼も考えましたが、まずはルール運用として重複記事なのか否かについて皆様に判定をいただきたいと思います。また、このルールの解釈によって記事が両立可能(あるいは可能性として九州の役、九州攻め、九州平定、九州征伐が並立可能なのか?)な状態であるのか意見をください。(どちらが正しいといった、意見や議論についてはこの項目では扱わないこととしてください)--Jaszmars(会話) 2012年4月25日 (水) 07:34 (UTC)
- (序文・定義)九州の役(きゅうしゅうのえき)は、天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた、羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)と島津氏との戦いの総称である[注釈 1]。秀吉の「九州攻め」、「島津攻め」、「九州平定(戦)」、「九州征伐」などの名称で呼ばれることも多い(詳細は#呼称と開始時期について参照)。
- (序文・定義)九州攻め(きゅうしゅうぜめ)は、天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)による九州地方への進攻戦、秀吉が全国統一の一環としておこなった島津氏をはじめとする反豊臣勢力に対する平定戦である。
- (履歴継承)2012年4月22日 (日) 04:51 Chokorin (会話 | 投稿記録) . . (67,989バイト) (+67,963) . . (「九州の役」Chokorin(会話 | 投稿記録) による 2011年10月16日 (日) 08:13 を修正、加筆して立項)
- (項目の序文)豊臣秀吉の九州平定戦は、戦役としては「九州の役」「九州の陣」「九州攻め」「島津攻め」「(秀吉の)九州征討」「(秀吉の)九州征伐」「(秀吉の)九州出兵」などの名称で称されることも多い。
- (序文・定義)豊臣秀吉の九州平定戦は、戦役としては「九州の役」「九州の陣」「九州攻め」「島津攻め」「(秀吉の)九州征討」「(秀吉の)九州征伐」「(秀吉の)九州出兵」などの名称で称されることも多い。九州平定(きゅうしゅうへいてい)とは、九州地方における敵対勢力を討って服属させること、あるいは、それにより平和な状態をつくりだすこと。九州征伐(きゅうしゅうせいばつ)とも称する。日本の歴史においては、九州停戦命令(惣無事令)にもとづいた豊臣秀吉による九州平定戦(九州の役)が特に有名である。
- (履歴継承)2010年7月25日 (日) 17:57 Chokorin (会話 | 投稿記録) . . (22,909バイト) (+12,051) . . (源為朝、耳川の戦い、今山の戦い、沖田畷の戦い、戸次川の戦い、九州国分、九州の役、惣無事令各一部を改変転記して加筆) (取り消し)
- (履歴継承)2010年7月25日 (日) 17:55 Chokorin (会話 | 投稿記録) . . (10,858バイト) (+10,834) . . (ノート:九州の役合意により立項。 源範頼、治承・寿永の乱、足利尊氏、多々良浜の戦い、懐良親王、筑後川の戦い、今川貞世#九州平定、水島の変 改変転記。) (取り消し)
- (参考記事:九州国分)
- (問い合わせ点)重複記事であるのか?違うのか?
- コメント 個人的にはどっちでもよいと考えていたので上記議論には入りませんでしたが、今回のChokorinさんのリダイレクト解消加筆は、二者択一で応えるなら重複記事であると思います。ただ、これには続きがあって、Chokorinさんの思惑では、履歴継承元記事から重複部分を除去する予定らしいですよね。ほぼ同一の主題について、視点の違いから別記事を作成することは、全く出来ない訳ではないと思います(例:大東亜戦争と太平洋戦争等)。また、Jaszmarsさんの案も記事の分割のようなものであったと記憶しています。であれば、前向きに今後の方針を話し合う方が建設的かと思います。まあ、重複記事を理由に一旦リダイレクトに戻すというのも理屈としてはありだとは思いますが、腕ずくで解決しようとしない方がよいと思います(もう無理かもしれないくらい拗れているようにも思えますが)。--ろう(Law soma) D C 2012年4月25日 (水) 10:19 (UTC)
- コメント 記事「九州の役」については、今もって改名提案が出されたままの状態であり、また、投票に先立つコミュニティの合意事項と2月に行われた「改名投票」の結果を踏まえれば、前回の改名直前の版(「九州征伐」2009年3月8日 (日) 07:51(UTC)(6.915バイト))に巻き戻したうえ「九州征伐」に改名するのが最も妥当な処置であり、早くその作業に移るべきだと思います。その場合、「九州征伐」への改名根拠としては「九州征伐」 (神田伯竜)や 「豊臣島津九州征伐」 (松林伯知)など娯楽作品が掲げられており、改名支持者の支持理由にも「サブカル分野への配慮」があったので、そのような方向性への加筆が見込まれます。したがって、重複記事にはならないものと考えます。しかし、あってはならないことですが、もし「九州の役」がこのままの状態で放置されるとか、現状のまま改名議論が凍結されるという可能性がもし存在しうるならば、もしかしたら重複記事となる事態も生じるかもしれません。「九州の役」の主筆者という立場で申し上げるならば、もし重複記事ということになるのであれば、削除すべきなのは「九州攻め」ではなくて「九州の役」だと考えます。というのは、「ノート:九州の役」によれば、「九州の役」の用語を用いている書籍として『日本戦史 九州役』(参謀本部編)、『日本の戦史4 小牧・九州・小田原の役』(現代語訳)(旧参謀本部編)、『日本戦史13 九州役』(復刻)(参謀本部編)の3点(実質は1点)があげられているものの、記事本文の「九州の役#参照」を御覧いただければわかるように、この記事の執筆は何ら参謀本部の「九州役」にもとづいていません。端的に言えば「Wikipedia:出典を明記する」の方針に違背しており、「九州の役」はそこからスッポリ抜け落ちているのです。したがって、「九州の役」を削除するか、そうでなければ「九州攻め」へのリダイレクトとすべきです。たしかに「九州の役#参照」には<毛利亮太郎「九州役の陣立書」(1997)>という文献が掲げられていますが、「九州役の陣立書」の掲載された新人物往来社『歴史研究434号』は、アマチュアの歴史愛好家が参加する「歴史研究会」の同人誌であり、したがって「九州役の陣立書」も日本史を専門とする学者・研究者の執筆したものではなく、歴史ファンの投稿文にすぎません。残念ながら「信頼できる情報源」とはいえません。記事「九州の役」の冒頭「九州の役(きゅうしゅうのえき)は、天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた、羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)と島津氏との戦いの総称である」でさえ、実のところ典拠が全く付されておらず、どの書籍のどのページにそんな定義があるのかさえ検証できない状態なのです。こういう状態の記事は、基本的には不要ではないかと思います。さらに、「九州の役」の主筆者としてもう1点指摘するならば、「九州の役」を記事名とする限りは記事の発展は絶対に見込めないと判断されますし、読者の立場からすれば、見つけにくく、わかりにくく、検索しにくいという難点があると考えます。なお、「九州平定」と「九州攻め」は併存可能だと思いますし、記事のボリュームからしても分けるべきと考えますので、現状で何の問題もないと思います。--Chokorin(会話) 2012年4月25日 (水) 10:47 (UTC)
- コメント一連の騒動に直接は関わらなかったけど、ここまでゴタゴタした経緯を思うに「九州~」と「小田原~」は特例として並立立項を認めていい思います。特例として「九州征伐」記事と「九州の役」「九州征伐」「九州平定」の4記事並立。他の記事における内部リンクは基本的にはその記事・当該記述の出典にあわせる。4記事の内容は定義文以外は基本的にはあわせる(4記事で違うことが書いてあったらwikipedia的にまずい)、関わっている方々が改名論議に費やしている労力・時間をほかの事に向ければどれほど有効なことだか・・・(私個人は九州平定だろうと前から思っていました。が、あの論議に突撃する勇気はありませんでした)--ぱたごん(会話) 2012年4月25日 (水) 12:57 (UTC)
- コメントぱたごんさんは「小田原~」も含めて論じられておられますが、もともと「小田原」の方には新項別立項の提案で合意状況になったことは一度でもありませんし、意見募集依頼者も含めておりません。「小田原」は「九州」とは歴史的事象としての背景も、出典や用語使用や執筆の状況も違っています。「小田原攻め」と「小田原征伐」は山川出版の日本史用語集でも併記されていますし、「役」と「攻め」の場合の相違や差異も別です。さらに言うなら「小田原」の場合は、勃発地元自治体のHPも含め、主題に関する歴史観や博物館の展示会や分野専門家の使用状況や文献として優勢なのは「小田原合戦」です。議論の経過も背景も違うのですから、特例を「認めていただく」ような状況にはありません。記事改名は期限付きではありますが、投票も含め終了しているので、問題を絡めて複雑化させるようなことはないと思います。「平定」「国分」に関して言えば小田原合戦戦後処理を解説する記事として「宇都宮仕置」が既にあります。--ジャムリン(会話) 2012年4月25日 (水) 13:58 (UTC)
とりあえず、ここでは当事者の方はいちいちコメントしないでもらえないだろうか。ノート:九州の役/過去ログ4#第三者の意見募集でも、結局当事者が議論するだけで終わったように、単に議論の場を拡散させるだけなんで。それが嫌なら、こんなところで意見を聞かないで、元の場所でいつまでも議論していればいいでしょうに。--106.170.41.95 2012年4月25日 (水) 14:19 (UTC)
- コメント この改名議論は延々と年単位で続いてきて、これからも続くかもしれません。その中で、本来執筆に向けられるはずの各位のエネルギー・モチベーションはどうしてもそちらに振り向けざるを得ない状況が続いてきました。たしかに、WP:NOTに重複記事は作らないと示されています。しかし、これまで改名で延々ともめ続けて、これからも改名でもめ続けるぐらいなら内容が重複しても各記事名称を押される各位が各記事を執筆される方がよほどWikipediaのためになるはずです。各記事で重複になる部分はありますが、WP:IARの精神に則り、例外的に重複(に近い)記事を認めた方が手っ取り早いと思います(ある程度の長期間時期を置き、それから統合なりを考えていけばいいでしょう)。Jaszmarsさん、WP:NOTを厳守するがために、延々とこれからも記事内容の充実そっちのけで改名議論を続けた方がいいとお考えですか? その結果、本来必要がないはずの不毛なコメント依頼やブロック依頼が出たとしてもかまわないのでしょうか。最後に、「ウィキペディア本来の目的は何なのか」という点を思惟すれば、自ずと答えは見えてくるのではないでしょうか。--かげろん(会話) 2012年4月25日 (水) 14:46 (UTC)
- コメントわたしは、本項目の改名議論の激しさと重要度については疎いのですが、天井桟敷からのコメントとして受け止めて頂ければ幸いです。まず、九州平定という羽柴秀吉の諸国統一の九州における一連の諸事象を扱った記事があります。その一部に焦点を当てた記事について、九州の役、九州攻め又は九州征伐といった呼称をめぐり、統一した正式名称がなく、「Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには」の各基準などに照らし合わせても執筆者同士で見解が異なり、互いに譲らないまま九州の役から九州攻めの記事が作成されるに至った、ということと認識します。その上で、現状の記事は重複記事であるのは明白であるが、履歴継承で新規作成してから間もない故にこれは当然の事であると考えます。今後定義及び記事内容に大きな相違がみられない場合は統合または削除すべきと考えます。また、歴史観に違いによる相違であれば、Wikipedia:中立的な観点の趣旨から判断するに、同一記事内において両論併記がなされるべきです。併存していく道としては、互いの記事の定義及び内容が峻別でき、「曖昧さ回避」によって読者がどちらを読んだらよいか区別できるよう編集を努力すべきです。定義や記事内容において双方に大きな相違がなく、記事名の正当性を最重要課題とした重複項目の立項にとどまるのであれば、記事名を「九州の役・九州攻め」などとして、九州の役と九州攻め双方をリダイレクトページにするのも一案かと存じます(語順で争うほど意固地な論争であれば、馬鹿馬鹿しすぎてわたしには関知できません)。ここで、重複記事ではない、と言えると思われる一例を紹介させていただきます。イエス・キリスト(キリスト教で言われているところのイエスの人物記事)とナザレのイエス(福音書簡はイエスの言行録ではなく宣教文書であって実在のイエス像を描いておらず、史料を検証及び復元しないと実在のイエス像には迫れない、とする立場からのイエスの人物記事)という記事があります。独立した記事の要件としては、少なくともこれくらいの明確な内容の差が必要であると考えます。--ジャコウネズミ(会話) 2012年4月25日 (水) 16:40 (UTC)
- 重複記事である Wikipedia:コメント依頼/Chokorin 二回目20120315利用者名にコメントしたことがあるくらいです。導入部を見る限り将来的にも差異を出すことができるとも思えないです。改名議論に参加していない読者と将来的な編集者のことを第一に考えて対処してほしいです。今の状態は読者と将来的な編集者にとって非常によろしくないです。新しいほうの記事をいったんリダイレクトページに戻して、放置することをお勧めします。読者にとってはそれが一番便利です。南京大虐殺の改名議論は今そのような状態になっています。あと、当事者の方はここでは付いたコメントにいちいち反論しないほうが有意義な結果が得られると思います。--Bugandhoney(会話) 2012年4月25日 (水) 17:38 (UTC)
- コメント「重複記事である」とするならば、私は新しい記事ではなく既存の「九州の役」の方をリダイレクトページにするのが、読者にとって一番便利だと思います。これは当事者というよりは、「将来的な編集者のひとり」として申し上げます。この記事は、大半が小和田哲男の『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』や『名城と合戦の日本史』など「九州攻め」の語を用いた出典を参照して加筆されたものですが、その一方で、「九州の役#参照」を御覧いただければわかるように、参謀本部編集の『九州役』を参照して書かれた箇所は一切ありません。したがって、このコメント([1])のなかの「私としては、この記事のテーマ・構成・内容で質量共に最も詳しい出典が『九州の役』であり、記事本文も「九州の役」の呼称で扱っている出典群に比重を置いて記事が生み出されている以上、この記事と最も適合する呼称は「九州の役」であるという結論は動かせません」の部分はまさにデタラメもいいところです。そして、仮に、このロジックを記事内容・記事名にあてはめるならば、
- 記事の中身はこのままにして、記事名を「九州攻め」にする
- か、あるいは、
- 記事名は「九州の役」のままにして、「九州攻め」を出典に加筆された箇所は除去する
- かのどちらかでしょう。個人的にはどちらでもいいです。しかし、「改名議論に参加していない読者と将来的な編集者のことを第一に考える」というのなら、答えはおのずから定まっていると思います。一番よいのは、「九州の役」を推す人たちが「九州役」だけを出典にして「九州の役」を立項してみることです。それでどれだけ記事が発展させることができるのか、まずは御自分が体験・検証してみてはどうなのかと思います。--Chokorin(会話) 2012年4月26日 (木) 10:48 (UTC)
- コメント 英語版にはen:Wikipedia:Content forking#POV folksというガイドラインがあり、同一の主題を複数の観点の記事に分割することは基本的に禁止されているのですが、今回の例はそれに当てはまるかと思います。しかしそれ以前に、ノート:九州の役の経緯を見る限り、問題を腕ずくで解決しようとしたように見えてしまいますね。仮に分割するにしろ、経緯から言って合意の上で行うべきだったのでは。--Kurz(会話) 2012年4月26日 (木) 12:03 (UTC)
- コメント 自分としては、根本的な疑問として、「なぜ、この記事が『九州の役』でなくてはならないのか」というのが、あるんですね。「九州の役」は、「Wikipedia:記事名の付け方」で示された5方針「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」のうちのどれにもあてはまらないうえに、記事本文そのものも「九州攻め」の呼称で扱っている出典群に依拠しているわけですから、記事名を「九州の役」のままにしておく理由(言い換えれば、改名提案者である秋田城之介さんにも合意していただいた「九州攻め」ではいけない理由)が何ひとつ見いださせないのです。角川書店『角川新版日本史事典』(1997)、山川出版社『日本史小事典』(2001)、平凡社『日本史事典』(2001)などでも見出し語として「九州攻め」が用いられており、その点では何の不都合もないわけです。「九州の役」が固有名詞で「九州攻め」は一般名詞だ——という指摘もありましたが、現実には、専門家はそんな区別をしていないのであって、もし、その理屈が正しいのだとしたら見出し語としては「九州の役」を用いる事典があってもよいはずなのに、実際は皆無なわけですよね。そんなふうに、その都度その都度方針文書にもない自分ルールを並べ、その挙げ句「投票で決着つけないことには認めない」というのも、私からすれば「腕ずくの解決」としか見えません。そして、公式ルールのみならず自分ルールからさえ外れた「九州の役」という記事名に、そこまでしがみつかなくてはならない理由もよくわかりません。そこまでしがみつくんなら自分で記事を起こすなり、大幅加筆するなり、あるいは全面改稿すればいいのにと思うのですが、それは絶対なさらないで、記事の加筆は基本的に他人任せのようにみえます。もしかしたら、「『九州の役』という一種マイナーな用語を(マイナーゆえに)もっと普及させたい」というような意図がおありなのかと勘ぐりたくもなります。今回の件については自重すべき点が私にもあったとは思いますが、「なぜ、この記事が『九州の役』でなくてはならないのか」という根本的な疑問は消えることがないだろうと思います。--Chokorin(会話) 2012年4月26日 (木) 13:23 (UTC)
頼むから当事者の方はいちいちコメントしないでくれ。特にここで3回もコメントしている人! あなたたちがしゃべると、他の人が意見を言う気をなくすだけだ。ここは第3者の意見を真摯に聞くだけにして、言いたいことはいつものノートの方で言ってくれ。--111.107.155.149 2012年4月26日 (木) 13:36 (UTC)
- 再度、注意を喚起します。こちらでコメントを求めているのは、ルールにある重複記事に該当するのか否か?と、その解決手段についてです。混乱の原因ですので、改名議論はノート、個人の問題行動についてはコメント依頼等へお願いします。
- (小括として)直近の判定としては「重複記事である」との認識が大勢を占めているようです。ただし解決方法としては、長期的な解決を望む声も多いですね。例えば、記事並立を時限的に2年(?)ほど認めていただけるのでしたら、その後に再判定をするような解決法が発展的な解決といえるかもしれません。もちろん重複記事が許されればですが。
- 週末以降にコメントされる方もいるでしょうから、今後のことはもう少し耳を傾けてからにしたいと思います。--Jaszmars(会話) 2012年4月27日 (金) 04:02 (UTC)
報告記事九州攻めは、即時削除基準: 全般8 初版投稿者による依頼または白紙化 により、即時削除依頼がなされました。--ジャコウネズミ(会話) 2012年4月27日 (金) 04:35 (UTC)
立項してしまったのはしょうがないし、「うまくやってみせる」と立項者本人がおっしゃっているのだから、九州攻めは放っておかれてはいかがでしょうか。「改名後に記事を巻き戻す」という二人の利用者間の口約束を正当な合意と見なすにしても、九州の役(九州征伐)に関係のある記述を再度加筆するのを止めることはできないし、今後そのような合意を形成できるとは思えません。逆に九州攻めに「役」や「征伐」について加筆してもいいし、合意を形成できるならあえて加筆しないという選択肢もありうるでしょう。例外的にOtherusesを張れば閲覧者様の混乱も避けられます。「征伐」と「役」の再投票の検討もあることですし、「今後の適切な合意を見据えて加筆するんだ」などと前向きに考えて、九州の役(九州征伐)の執筆に参加なされるのが、Jaszmars殿の活動にとっても最適だと思います。(蛇足ながら、「重複記事並立の時限を2年に」などと将来の話をしても解決策は出ないと思いますよ。2年後に考えましょう。)--伏儀(会話) 2012年4月27日 (金) 05:13 (UTC)
ジャコウネズミ殿のご報告を見落としてしまいました。即時削除された場合、私のコメントは意味を成さないことになるため、打ち消し線を引きます。ジャコウネズミ殿のご対応に感謝し、立項者殿のご決断を評価いたします。--伏儀(会話) 2012年4月27日 (金) 05:24 (UTC)
- コメント 初版投稿者はChokorinさんではないですし、即時削除全般8で即時削除はできるのでしょうかね?(リダイレクトから記事化したという意味では実質上初版作成にはあたるのかもしれませんが……) 本当に即時削除されるかどうかは微妙なのではという気がします。--かげろん(会話) 2012年4月27日 (金) 23:46 (UTC)
コメント 状況が流動的のようですが、Chokorinさんがリダイレクトを外して独立項目とした九州攻めのこの版[2]については、改名議論中の九州の役の重複記事であると考えます。定義の異なる記事ならともかく、元記事の九州の役の定義「戦争」に対して、今回の記事は「侵攻戦・平定戦」の限定評価であり、内容を九州の役からコピーしていることからもルールに抵触しています。解決方法については、ご指摘のとおり改名の議論にエネルギーを注入せさせるをえない状況にある中で、記事の並立が許可されるのであれば執筆に力を注ぎ得るので、これがウィキペディア日本語版にとってベストな解決だと思います。その反面、近視的に「方針違反だ、ブロックしろ」と処分されては堪りません。議論中に蓄積した出典も色々ありますので、不毛な議論を停止するのであれば生産的に執筆の方向へ動きたいものです。なお、四国平定も四国攻めの重複記事と判定します。(Chokorinさんの行動については、数度目かつ事前に指摘があった上での腕ずくで解決しようとしたですので、Wikipedia:コメント依頼/Chokorin 二回目20120315利用者名へコメントしたいと思います)--Yasumi(会話) 2012年4月29日 (日) 00:23 (UTC)
- 現状、四国平定と四国攻めは、取り扱い範囲が異なるので重複記事とは言えないでしょう。--秋田城之介(会話) 2012年4月29日 (日) 08:39 (UTC)
報告 九州攻めをリダイレクトページから、九州の役からのほぼコピペで記事に仕立てた利用者:Chokorinさんは多重アカウント使用を理由に無期限ブロックされました。九州攻めは以前のリダイレクトページに復帰されました[3]。--Bugandhoney(会話) 2012年4月30日 (月) 14:01 (UTC)
- 多くのコメントをいただけており、感謝いたします。さて、状況が急変して、にわかに舵を切ることがはばかられ、熟慮したいと思います。こちらでのコメントでは、該当記事が重複記事であることについては異論は殆どないように思えます。一方、意外なことに重複記事だとしても、将来的に別記事となることを見越して記事の並立を許容する意見が多かったことは意外でした。私としても、議論を続けるよりは記事の発展を優先させて、後に統合や独立の判断を仰ぐことが好ましい状態に思えました。
- 実は改名の議論中に重複を避ける方向での並立調停案を提案させていただいていました。下記に転載します。
- Chokorinさんは、口では本案を拒絶していましたが、実際に起こした行動は重複記事でしたが、九州攻めの独立であり、一旦は私の提案に乗った形が形成されました。この方向で、議論が解決できたら良いと思うのですが、ルール解釈の問題がついて回るので、ご助言をいただきたいと思います。管理者の方々より、議論の進め方だけでもご指導いただければ、ありがたいのですが当事者同士で話し合った結果が今ですので。--Jaszmars(会話) 2012年5月1日 (火) 04:47 (UTC)
今回は例外的に重複記事を認めてほしい、というご要望でしょうか。条件で異論があるとはいえ一度投票結果は出ていますし、Jaszmars殿は確か再投票を提唱されていたと思ったのですが。--伏儀(会話) 2012年5月1日 (火) 09:36 (UTC)
- コメント 九州の方は、小判キングさんの改名提案が出されてもう2年弱となります。改名議論が2年弱かかってまだ決まらないという異常事態をどう受け取るかの問題でもあります。再投票で記事名が決まっても半年たてば再度改名提案を出すことは可能なわけですから、一時的に改名議論を抑え込むだけの効果しか望めないような気がしなくもありません。例外的に重複記事を認めるぐらいの柔軟な対応が必要ではないかと再度表明しておきます。--かげろん(会話) 2012年5月2日 (水) 08:28 (UTC)
- 素朴な疑問ですが、投票で結果が出た後に改名提案を提出する人がいたとして、果たして受け入れられるものでしょうか。よほど説得力のある材料(特定の用語が学会から排除されたなど)がない限り、決着済みの議論が蒸し返されたとしか受け取られないと思うのですが。2年議論してやっと投票にこぎつけ、「九州攻め」の立項で話がややこしくなるまでは再投票する流れで議論がまとまっていたし、Chokorin殿も重複記事の執筆を中断なされたでしょうに…。重複記事に加筆しようにも「定義に適合する」加筆の内容でもめるのは目に見えています。むしろ「柔軟な対応」とやらが余計に話をややこしくしているのではないでしょうか。「重複記事の流れで議論をまとめて見せますよ」と言われても正直信じられないのですが…。--伏儀(会話) 2012年5月2日 (水) 10:50 (UTC)
- 「再投票」については、ノート:九州の役の「投票要綱2」節をご確認ください。一度合意形成されてから、「九州攻め」の立項の話が出て、現在に至ります。「九州攻め」の立項については、Chokorin殿の中断によって解決したと思ったのですが。--伏儀(会話) 2012年5月2日 (水) 11:07 (UTC)
- コメント 例えば、一部の事例とはなりますが学校用の教科用図書(高校日本史)の使用例は議論で出されましたが、その日本史教科書のシェア(採択率)のデータは議論に上がってなかった気がします(教科書の採択率は『
時事内外教育』ぐらいでしか入手ができないデータですが)。採択率のデータもあれば、現実にどの用語が現在の教育現場で多数派を占めているかの目安にはなると思いますよ(ただし、歴史用語はどうしても世代差が出るものなので厄介なのですが)。まあ、検定教科書を万能視するのも危険ではありますが考慮に入れる材料にはなるでしょう。定義に適合する加筆の内容は、その表記を押す人たちが基本的に各記事で主導するでしょうから、現在の改名議論よりは楽観視できるのではありませんか。話が合わない人同士の改名議論より、話が合う人同士の議論の方が結論出るのが早いと思いますがね。--かげろん(会話) 2012年5月2日 (水) 11:19 (UTC)
- コメント 例えば、一部の事例とはなりますが学校用の教科用図書(高校日本史)の使用例は議論で出されましたが、その日本史教科書のシェア(採択率)のデータは議論に上がってなかった気がします(教科書の採択率は『
「考慮に入れる材料にはなる」程度で受け入れられることはないので、安心してよいと思います。そもそも、「投票要綱2」節では賛成票のみしかありませんでした。割り込みの「九州攻め」の立項は解決したのに、なぜ蒸し返すのでしょう? 「話が合う人同士の議論の方が結論出るのが早いと思いますがね。」についてよく分からなかったのですが、「他の用語を支持するユーザの議論参加は認めず、該当の重複記事の執筆に参加するユーザのみ、議論に参加できるものとする」というルールを設けるということでしょうか? (質問ばかりで申し訳ありません。私の理解力の問題でしょうが、かげろん殿の言わんとすることがよくわからなかったもので)。--伏儀(会話) 2012年5月2日 (水) 11:38 (UTC)
- コメント ルールを設ける必要はありません。というか、各位が押している記事の編集にそれぞれ注力してもらうわけですから、自身が押してない記事の議論に積極的に乗り込んでいくなんて状況はあまり考えられんでしょう。むしろ、自身が押してない表記の記事の議論に乗り込んで議論を混乱させてしまったらそれこそ議論妨害でアウトになりかねません。--かげろん(会話) 2012年5月2日 (水) 11:49 (UTC)
- 例えば「征伐」の記事に「攻め」や「役」の用語が使われている出典に基づいて加筆したとしても、「攻め」や「役」を推奨する方から異論が出ることはないだろう、というのがかげろん殿の予測ということですかね。「征伐」という用語は中立性に問題があるという主張すらあったので、(そこまでいかなくても、体制側の視点であり、征伐される側を軽視している用語であるという指摘があった。)「攻め」や「役」の出典の加筆は認めないのではと思ったのですが。それとも「征伐」には「征伐」のみ加筆するというイメージでしょうか。複数の用語を同一の用語として使用しているケースも多いと思います。(なんか質問攻めにしているようで申し訳ありません。私がとやかく言ってもしょうがないので、ご面倒であればお返事は結構です。)--伏儀(会話) 2012年5月2日 (水) 12:04 (UTC)
- コメント 記事の並立がOKの場合ですが、「優先的にやることがあるわけなので異論を出してる場合ですか?」というのが私の考えです(異論を出すよりももっとjpwpにとってプラスになる行動を取っていただけることを望みます)。たしかに、「征伐」の語に対する指摘もありましたが、それでも「征伐」の語が使われてきたのもまた事実です。「征伐」表記で書かれてきた文献もありますから、ある程度は各表記の文献に基づいて書くことができるのではないかと思います。複数の用語を同一の定義で扱っている文献があれば、それは各記事で有意に活用されると思います。--かげろん(会話) 2012年5月2日 (水) 12:38 (UTC)
「重複記事」で加筆が進むなら、反対するつもりはありません。(過去に「それでも「征伐」の語が使われてきたのもまた事実です」と同様の指摘を私もしたのですが、今度こそ聞き入れてほしいですよね)。ただ、一度投票したあとに「条件に不備があるので再投票を」といっておいて、今度は「重複記事を認めて加筆を進めましょう」と言い出すのは、それこそ「異論を出している場合か?」と思ってしまいます。あちらのノートでも改名議論の中断に反対意見が出ているので、「再投票」のときのように合意形成できると楽観視できないでしょう。ただ、「重複記事」を提案したからには、何かお考えがあるのでしょうから、「重複記事」こそがjpwpにプラスになる解決策であることを信じて静観しようと思います。あちらの私の反論も取り下げることにしましょう。--伏儀(会話) 2012年5月2日 (水) 12:57 (UTC)
重複記事はウィキペディアの明確なルール違反です。強く反対します。今議論に参加している編集者がいつまでもアクティブであることを前提とするような解決法は取らないでください。何も知らない編集者はWikipedia:ページの分割と統合#統合すべきでない場合に従って、一方をリダイレクトページにするはずです。問題を解決するどころか無関係な編集者まで巻き込んで問題をさらに大きくするおそれがあり、実際、九州攻めでは、それまで記事の執筆に関わっていなかったジャコウネズミさんがこの正しい対処法を取っています。どうしても九州攻めで記事を立てなければならないのであるのならば、記事のスコープを明確にした上で、コピペではなくゼロから執筆してください。--Bugandhoney(会話) 2012年5月2日 (水) 15:33 (UTC)
コメント 重複記事には反対します(個人的につい最近も記事内容の重複に反対して激しく揉めたばかりです)。改名議論に決着がつかないから、重複記事というのは×でしょう。九州攻めは白紙化削除やリダイレクトとして閲覧者に見せなくするのが正解でしょう(ジャコウネズミ様を支持します)。四国攻めと四国平定は一度統合して、場合によっては記事のボリュームを理由に分割すべきでしょう。歴史の専門家でない私には「平定」でも「征伐」でも「攻め」でも「役」でもおかしくないと思いますので、ブロック者を出す程に論争するのが理解しがたいです(これが竹島とか在日とかなら激しい論争になるのもわかるのですが)。--JapaneseA(会話) 2012年5月2日 (水) 17:54 (UTC)
- 的を得た意見だと思います。当事者間で重複記事で合意できるということは、「役」を支持している人であっても同じ内容の記事が「攻め」のタイトルで存在してもかまわない、「攻め」を支持している人であっても同じ内容の記事が「役」のタイトルで存在してもかまわない、ということであって、どちらかが明確に不適切であるということではなくて、基本的には当事者の間でさえどっちでもいいということだと思います。JapaneseAさんが挙げたような例ではこのような事態にはならないでしょう。一方を支持する編集者は他方が明確に間違っている、ウィキペディアの記事タイトルとして不適切であると考えるでしょうから。--Bugandhoney(会話) 2012年5月3日 (木) 12:55 (UTC)
- 重複記事の一時容認に肯定的な意見は思ったより多く、ろう(Law soma)さん、ぱたごんさん、かげろんさん、ジャコウネズミさん、Yasumiさんの5人。否定的な意見はBugandhoneyさんとJapaneseAさんの2人。重複記事であること自体を否定したのがChokorinさん。Kurzさんはこの件については判然としないようです。私は、伏儀さんは当初意見から並立容認だと思ったのですが、並立後は容認だが、並立前なら反対ということでしょうか?
- それと前からいっている通り、一回目の投票に不備があるなんていってませんよ。そのまま、合意したルールを実施すれば、議論を凍結することになります。それより良い解決を図っていたのですが、ここまで多重アカウントを使うユーザー群が介入して、混沌となっている状態では管理者さん達に解決方法の裁定を委任したい位なのですが。--Jaszmars(会話) 2012年5月4日 (金) 05:18 (UTC)
- 私は、「説得するのも面倒だし、もう放って置いたら?」というつもりでコメントしたのですが、これを「並立容認」と受け取られるのであれば、私の説明能力が不足しているということでしょう。(ただ、重複記事の立項者殿が執筆の中断を決断なされたのは評価しております)。
- コメントを拝見しましたが、Jaszmars殿の心配事が何なのかよくわかりませんでした。「重複記事」で合意形成する見込みがなく、解決策も思い浮かばないというのなら、改名議論の主導を辞退されてはいかがでしょうか? 正直、この議論を最後まで主導できなかったとしても気に病むことはないと思いますよ。実際のところ、投票への障害がなにかあるのでしょうか? 一度「投票要綱2」で解決することにみんな賛成されておりますし、反対者だったChokorin殿も議論からの撤退を表明なされたではありませんか。多重アカウントについても、投票者全員へのチェックユーザーを今回も依頼すれば解決します。再投票実施の細かい条件をつめる必要は確かにありますが。
- また、管理者殿に解決方法の裁定を依頼したいとおっしゃっていますが、ちょっとよくわからないご提案だと感じました。投票の裁定を依頼したいということでしょうか?--伏儀(会話) 2012年5月4日 (金) 07:53 (UTC)
- Jaszmarsさんがここでも、「合意したルールを実施すれば、議論を凍結することになります」と自己都合で合意を捻じ曲げる行為をされていますが、「投票の結果に合意を行うこと」も合意されているわけですから、再投票が無ければ、投票の結果に合意を行って議論を凍結する事になることを改めて指摘しておきます。--秋田城之介(会話) 2012年5月11日 (金) 17:42 (UTC)
- 「「最多数票をコミュニティの意見とする」ことも「過半数の支持率を獲得したものをコミュニティの意見とする」ことも明記されたことではありません。[4]」と秋田城之介さんご自身が認識して発言している通り、投票結果がコミュニティを拘束するルールについて、ある票数を基準とした移動の可否は合意事項ではないため、一回目の投票を根拠に移動はできないこと、一方の議論凍結は合意事項でありコミュニティを拘束すること、決めた合意に従うという方針にのっとって、この二点の見解は一致見解は一致しているのではないのですか?--Jaszmars(会話) 2012年5月15日 (火) 08:35 (UTC)
- 既に重複記事に関する議論から離れています。Jaszmarsさんはご自身が保護依頼をされたので、使いにくいのかも知れませんが、ノート:九州の役、または別途コメント依頼などの然るべきページで続けられた方が良いと思います。--ジャムリン(会話) 2012年5月15日 (火) 08:47 (UTC)
- 「「最多数票をコミュニティの意見とする」ことも「過半数の支持率を獲得したものをコミュニティの意見とする」ことも明記されたことではありません。[4]」と秋田城之介さんご自身が認識して発言している通り、投票結果がコミュニティを拘束するルールについて、ある票数を基準とした移動の可否は合意事項ではないため、一回目の投票を根拠に移動はできないこと、一方の議論凍結は合意事項でありコミュニティを拘束すること、決めた合意に従うという方針にのっとって、この二点の見解は一致見解は一致しているのではないのですか?--Jaszmars(会話) 2012年5月15日 (火) 08:35 (UTC)