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Wikipedia:井戸端/subj/記述に印刷された情報源が絶対必要か

記述に印刷された情報源が絶対必要か

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ウィキペディアの記事では「検証可能性」が必要とされていますが、それは記事中の全ての記述にそれを裏付ける印刷物の存在を必要とすることを意味するのでしょうか。実際はそれを要するのは無理で、多くの記述が内容が充分納得できるものであればいちいち文献を挙げずに書かれています。ですが私の書いた記事の一部が、検証可能な情報源がない、という理由で削除されたので、広く皆様のご意見を伺いたいと思います。

話は伏見康治 の項目で、私は伏見康治本人から聞いた話として、小松左京の小説「物体O」に登場する「三伏教授」のモデルは伏見康治だ、と書きました。そして状況証拠として、教授の名前「三伏」が「伏見」のアナグラムになっていること、小松が小説中で記述した「阪大理学部の物理学の教授」「学術会議や原子力問題で政治家や役人を相手に縦横無人の活躍をした」が伏見康治にぴったり重なること、を脚注に記しておきました。私はこれだけ状況証拠がそろっていれば、記事を読んだ人は10人中9人は納得するものと考えます。しかし、一串的さんや侵入者ウィリアムさんは、「信用できる情報源」がないという理由で関係する記述を一刀両断に削除なさいました。その辺の議論のやりとりは項目「伏見康治」のノートにあります。

私は、この「三伏教授のモデルは伏見だ」という情報は状況証拠だけで充分納得でき、かつ残す価値があるもので、しかも誰かが指摘しなければ気づかれずに忘却の彼方に消えてしまうものだ、と考えます。従って、これをウィキペディアに書き留めておくことは充分意味があり、ウィキペディアの品質・品位を落とすことはないと考えます。私の考えは間違っているでしょうか。このモデル記述の復元の可否について、皆様のご意見を聞かせていただければ幸いです。Midz会話2019年10月3日 (木) 02:35 (UTC)[返信]

誠に勝手ながら文章をwikfy致しました。--126.33.222.215 2019年10月3日 (木) 06:06 (UTC)[返信]
「私の考えは間違っているでしょうか」→はい。
「誰かが指摘しなければ気づかれずに忘却の彼方に消えてしまうものだ、と考えます」→ウィキペディアでは、検証可能でないことは書く価値がなく、従って「忘却の彼方」に消えてしまっても仕方がないと考えられています。そして、「忘却の彼方」に消えてしまうことが望ましくないと考えられる事柄については、検証可能な形でその記録が保存されるであろうと考えています。(検証可能な形で記録が保存されていれば、記載できるというわけではありません。念のため)
そもそも書くところが違います。もし、あなたが記載しようとしていることが検証可能であったとしても、書くべきところは『物体O』であって、伏見康治ではありません。--126.33.222.215 2019年10月3日 (木) 06:06 (UTC)[返信]
コメント Midzさんへ とりあえず「Wikipedia:五本の柱」や「ウィキペディアの内容に関する三大方針」(Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せない)などを改めて読み直していただくよう、お願いします。--aki42006会話2019年10月3日 (木) 09:41 (UTC)[返信]
@Midzさん宛 Wikipediaの方針であるWikipedia:検証可能性の、版番73818360(現時点での最新版)の「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」節から引用します。
検証可能であることと真実であることの違いは、次の例で見ればよくわかるでしょう。あなたは、ある著名な物理学者の「X理論」についてウィキペディアの記事を書いているとします。X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています。ところが、執筆中にあなたがその学者に連絡をとったところ「実を言うと、今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」と言われてしまいます。あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。

なぜいけないのでしょう。それは「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないから」です。読者は、あなたが誰なのかを知りません。世界中の閲覧者があなたに連絡して確認を取れるように、あなたの連絡先を載せるというわけにはいきません。たとえあなたに連絡がとれるようになっていたとしても、閲覧者があなたを信じる理由がどこにあるでしょう。

その情報をウィキペディアに載せてよいものにするには、まず、広く信頼されている報道機関を説得してあなたの話を発表してもらわなければなりません。それは、査読を受けるのと同様の過程を経ることになります。つまり、まず記者、次に編集者、そしておそらくは事実調査員にチェックされるでしょう。もし問題があれば、さらに弁護士、そして編集長にチェックされるかもしれません。このような事実確認とその評価のしくみがあるのは、新聞に正確で公正な記事を載せるためです。

— Wikipedia:検証可能性版番73818360の「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」節
信頼できる情報源に「『物体O』に出てくる三伏教授のモデルは伏見康治だ」と書いてあれば、出典明記の上でそれをWikipediaに書くことができます。信頼できる情報源を示せないのでしたら、それはWikipediaに書くことはできません。加筆の前に、まずしかるべき出典をご準備ください。--侵入者ウィリアム会話2019年10月3日 (木) 14:17 (UTC)[返信]

納得がいかないのでしばらく様子をみます。 そもそもウィキペディアには印刷された情報源を示さない記事がたくさんあります。 私自身も情報源を示さずにかなり記事を書いてきましたが、それらは読んだ人々が納得すればそのまま受け入れられ、さらに発展させられます。 今回の記事はたまたま印刷情報源がないことを明示したので多くの批判を受けましたが、これだけ状況証拠が揃っている内容の記事が載っていても、それは決してウィキペディアの理念に反することはなく、その品位・品質を損なうこともない、と私は考えます。 表面的な形式にとらわれない、ひろい視野の人々がご意見を寄せて下さることを期待します。 --Midz会話2019年10月4日 (金) 06:44 (UTC)[返信]

コメントあくまでも「読んだ人々が納得すれば」ですよね。他の人が読んで「内容が充分納得できるもの」であれば「出典」がなくてもそのまま残る可能性はたしかにあります。しかし「内容が充分納得できるもの」でないと考える人があれば、除去されても仕方がありません。◇残すか除くかで意見対立があれば出典の有無で決めよう、というのがオンラインでの共同作業で百科事典を作る中で生成されたウィキペディアの論争の解決方法であり、それを方針化したものがWikipedia:検証可能性です。◇Midzさんは伏見康治への加筆で「伏見康治本人から聞いた話」と書いておられますが、これを出典無しにウィキペディアに残すのは無理だと思います。「三伏教授のモデルは伏見だ」とウィキペディアに残すには小松氏自身がそう明言している出典が必要ではないかと思います。◇「三伏教授のモデルは自分だと伏見は語っていた」なら、それを聞いた誰かが雑誌エッセイなどに書いているかもしれません。--miya会話2019年10月4日 (金) 12:08 (UTC)[返信]
コメント 残念ながらMidzさんは間違っている(正確には、ウィキペディアの趣旨とは異なる)と思います。(1)まず総論では、ウィキペディアは規則主義ではありませんが、誰でも編集できるネット百科事典という特性上、色々な方針やガイドが存在します。これらは面倒で、曖昧で、結構矛盾してますが、少なくとも最初はそれぞれの必要性から作成蓄積されたものです。ガイドを相手を倒す武器にしてはいけませんが、単純に無視してもいけません。(2)複数の方が指摘済の通りWikipedia:検証可能性を熟読して欲しいです。この方針が納得できないなら、ウィキペディアに書いてはいけませんし、別の場所で主張すべきです(異論者を追い出したいのではなく、道具・ツールとして目的が違うので、目的に応じたツールを使った方が有意義です。)(3)ウィキペディアは「真実を書く場所」ではなく、「信頼できる出典ある記載を書く場所」です。「本人から直接話を聞いた」そうですが、仮に事実でも、例えば冗談や聞き間違えなのか、誰にも何も分かりません。過去にも「私は現場にいた。真実を見た」との方が井戸端で主張されましたが、今回と同様の対応でした。(4)「出典の無い真実の主張」はウィキペディアでは不向きです。個人ブログ、他のネット百科事典、その分野の研究者やマスコミなどでは歓迎されるかもしれません。(5)情報源を示さない記事や記述が多いのは、単に現時点では見逃されているだけです。ウィキペディアは成長する百科事典なので、後から出典が付けられるケースもあります。ただ厳密には駄目です。「赤信号を守らない人が多いから、私も守らなくていい」とは言えません。(6)実際上、ノートに残せば半永久的に残る(ログ化されて熱心な研究者以外は見ないかもですが)と思うので、仮に将来どこかに出典が出たときに「あのノート発言は正しかったのか」と思われるかもしれません(可能性は別として)。(7)繰り返しますが、出典の無い記述はウィキペディアとしては消されて文句が言えません。正しいか悪いかではなく、「ウィキペディアは信頼できる出典ある内容を書くもの」という性格のためです。真実はウィキペディア以外で堂々と納得できるまで主張して頂ければと思います。--Rabit gti会話2019年10月4日 (金) 13:32 (UTC)[返信]
「作者本人が言ったことでもそれの確認の使用がないと出典として使えない」のがルールのようです。
ちょっと話変わりますが、上述の「テレビ・ラジオ番組」は明らかにニュースに関する話題ですが、DVDなどが存在するスポーツ大会やドラマ(TV放送されず最初からソフト化のみなども含む)の場合は本編内を見ればわかることについての記述ならば、それで再確認可能なので『○○(タイトル)』とか『第何話』とかだけで出典は成立しますよね?--カーラ・ミーキタ会話2019年10月5日 (土) 05:32 (UTC)[返信]
報告 上記コメントをされたカーラ・ミーキタさんはWikipedia:投稿ブロック依頼/カーラ・ミーキタの結果無期限ブロックされました。詳しくは上記依頼ページを参照していただきたいのですが、上のコメントでも書かれている「見ればわかる」内容について他の利用者と合意が得られず最後まで反論を続けたことも無期限ブロックの一因となっているようですので注意喚起も兼ねてお知らせします。--にび三郎会話2019年10月10日 (木) 08:51 (UTC)[返信]
(コメント)僕自身Midzさん訴えは分かります。詳細はノート:機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ#三日月=サイコパスとするか否か参照ですが、恥ずかしながら過去にMidzさんの冒頭の説明に近いことをして、他の方から独自研究だと注意されたことがあります。そこで僕が他の方から言われたように「○○は××である」と明記した資料を提示して追記するのが無難と思います。ただ出典を明記してもノート:吉田松陰のように「出典が信頼できない」と、他の方からみなされた場合はあきらめるしかないでしょうね。--ペン打ゴン会話2019年10月5日 (土) 10:33 (UTC)[返信]
コメント 伏見康治先生ご本人からこの話を聞いたということは、Midz様はそれなりの学識経験者の方でしょうか。そうであれば、上に書かれていた状況証拠も含めて、学会誌に記事を書いてみてはいかがでしょうか。ご自身では難しい場合は、伏見先生のお弟子さんや孫弟子の方に記事を書いてもらうようにお願いするという手もあると思います。日本科学史学会という学会もあるようですので、いろいろな調査や分析を加えて、会誌『科学史研究』に投稿するという手もあります。活動の過程で新聞に取り上げられるのも良しです。
私は、この「三伏教授のモデルは伏見だ」という情報は状況証拠だけで充分納得でき、かつ残す価値があるもので、しかも誰かが指摘しなければ気づかれずに忘却の彼方に消えてしまうものだ、と考えます。」「これをウィキペディアに書き留めておくことは充分意味があり、ウィキペディアの品質・品位を落とすことはないと考えます。」というお考えは大変素晴らしいものですし、それを頭ごなしに否定されれれば「納得がいかない」となるのも当然だと思います。ですが、「信頼できる情報源(学会発表の予稿集レベルではなく、きちんとした査読を受ける学会誌・論文誌の記事・論文)に掲載される、もしくは取材を受けて新聞記事に取り上げられる。」という間が欠けています。そこを補えればWikipediaにも問題なく掲載され、誰もにとって良い状況になります。
なお、Wikipediaができた当初は出典なしで記事が書かれるのが普通で、ある段階で出典明記が原則になった経緯があります。黎明期の名残りで出典が不足している記事も多いですが、それらはマンパワーが足りないためにそうなっているとお考え下さい。以上僭越ながら、ご参考になれば幸いです……。--Assemblykinematics会話2019年10月6日 (日) 05:59 (UTC)[返信]
さすがにちょっと看過できないんでツッコミ。傍流です。出典明記は初めから原則です。Wikipedia:検証可能性はWikipedia方針の文字通りの「柱」であり、そんなものが後からぽんと原則になるなんてことはあり得ませんし、実際にもありません。ある時期までは利用者・記事の増加にこうしたルールの周知もまた修正も追いついていなかった(今も追いついているわけではありませんが、まあWikipediaにも「牧歌的」な時期もあったのです)というだけです。この辺りは「マンパワーが足りないために」とおっしゃっている通りです。出典の明記は初めから超基本的な方針のひとつです --いすか (/) 2019年10月7日 (月) 04:40 (UTC)[返信]
コメント 脱線ですが興味本位で見てみると、ウィキペディア日本語版は2001年から、Wikipedia:検証可能性の最古は2006年[1]、英語版の最古は2003年に見えます[2]。方針自体は存在したが、当初は別文書で履歴継承されてない可能性もありますが、少なくとも外見的には「後からできた」のも一概に間違いではないかも。--Rabit gti会話2019年10月7日 (月) 13:08 (UTC)[返信]
うーむ、ちょっと微妙すかね。というのは、Wikipedia日本語版が伸びを見せたのは06-07年ころと承知してます。調べてみると確かにそうなっていて、個々でだいたい20万項目くらいが作成されて、40万項目になってます。この辺りまでを「初期」ととらえれば、おおよそ「初期からあったよ」で良いと思うのですけどね。10年以上前の話だし。英語版の流れを見ても、ちょうどそのあたりで「明文化しよう」という機運が生まれたのかもしれません。自分も07年からの参加なので、さすがにそこまでは知らないです。まあ、この辺で。 --いすか (/) 2019年10月8日 (火) 01:54 (UTC)[返信]
全体的にインデントを調整させていただきました。--Assemblykinematics会話2019年10月11日 (金) 19:56 (UTC)[返信]
コメント どこに書こうか迷いましたが、この位置に。
以前にどこかの議論で、黎明期から参加されている編集者の方が「あながた知っていることを書いてください、何かを参照して書いた場合は、出典(情報源)を参考文献として記してください、というのがWikipediaの初期のスタンスだった」といった趣旨のことが書かれいたと記憶しています。どこの議論か探せなかったのですが、そこでの議論、もしくは関連する議論では、当初はジェネラル・リファレンス形式(参考文献節に出典をまとめて列挙するだけ)が許容されていたものの、それではどの記述がその出典に基づくのかわからないため、脚注により細かく出典を明記する形に変わっていった……ことも指摘されていたと思います。
この議論の上の方でも、2004年1月から活動されていらっしゃるmiya様が「◇残すか除くかで意見対立があれば出典の有無で決めよう、というのがオンラインでの共同作業で百科事典を作る中で生成されたウィキペディアの論争の解決方法であり、それを方針化したものがWikipedia:検証可能性です。」と書かれているところに歴史的経緯が表れているようです。英語版Wikipediaの設立は2001年で、「Wikipedia:Policy」の初版は2002年4月24日(UTC)にできています。2001年当時のポリシーは別のページにあったのかもしれませんが、2002年4月の段階でも出典の明記や検証可能性に関する文言が確認できません(著作権や中立性に関する文章は確認できます)。あと「Wikipedia:No original research」の初版は2003年12月21日(UTC)です。
五本の柱に相当する「Wikipedia:Five pillars」の初版は2005年5月4日(UTC)にできており、この段階では中立的な観点についての記述の部分に出典を明記するに関する記述や内部リンクが記載されています。しかしこれは引用をする際に出典を明記するという趣旨のようで、論争のある主題に対してだれがどこで述べた見解かをはっきりさせるためのように見受けられます(2002年4月19日(UTC)作成の「Wikipedia:Citing sources」の初版を見ても、そのような趣旨に読み取れます)。また、日本語版ができて活動が活発になったころを基準にして「初期」を考えるべきというご指摘もございますが、日本語版は英語版からの翻訳記事も多いですし、History of Wikipediaによると2003年で英語版の記事数は10万件に達したと書かれていますので、その影響は無視できないと考えられます。
なお今回の議論で補足したかったこととして、「参考文献」節に出典があるものの、脚注として対応付けされていない場合、後から追記された内容が参考文献をもとにしたものか独自研究のものか判別できないことです。もちろん参考文献に列挙された文献を総当たりすれば確認できるのですが、それには大変な労力(時には資金も)を伴います。現時点では遵守すべき方針として「検証可能性」が存在しますので、Midz様に置かれましてはそれを尊重していただけると幸いです……。--Assemblykinematics会話2019年10月11日 (金) 19:56 (UTC)[返信]
コメント Assemblykinematicsさん、貴重な情報ありがとうございます!素晴らしい!(A)複数の情報を拝見しても、歴史的経緯としては「最初は中立性と著作権が中心で、「出典の明記」の明文化は後から」のようですね。(B)ただし「中立性 → 議論になると何を残すか → 事実を客観的に書く → 検証可能性 → 信頼できる出典が必要」という趣旨からは、「出典の明記」は「中立性」確保の手段でもあり、「方針が後から増えた」というよりは「方針の整理・明文化が進んだだけ」とも思えます。(C)個人的願望では、このような「方針文書の形成過程まとめ」とかも記事「ウィキペディア」なり方針文書なりに、どなたかが記載して頂けると嬉しいです。現在、複数の「方針」があり相互に関連しているのは判りますが、形成経緯が簡単には見えないことも「何故規則が多いのか、本末転倒ではないか」との批判の遠因に思えます。(D)再認識できたのは、当初は恐らく「出典があれば出典を付ける」、現在も「出典なければ消されても文句は言えない」で、「出典なしは記載禁止、出典なしは消すべき」とのガイドは無い。勿論、出典は付けるべきですが、「出典なしは一律削除」との世界でもない、かといって「出典なしが沢山あるから、私もなしで良い」とは言えない、というのが実情ではないでしょうか。初期は記事を増やす事を優先(一見妥当に見える記事なら出典なしも許容・黙認)、記事や編集者が増えた現在では新規の出典なしの弊害が増加(把握・確認・指摘する方が追い付かない、そのため「出典の明記」を初期以上に強調せざるをえない)という気もします。(E)ただし Midz さん問題提起の事例では、既に「消すべき」意見が出ている以上、「消されても文句は言えない」(書くには出典か合意が必要)なのは明らかと思います。(F)最後に私の場合。私も、自分が実際に経験して出典が見当たらない話は結構あり、その場合は (a)出典を探す。今は国会図書館サーチやGoogle booksもある。本人から聞いた話なら、他の人にも話した可能性はある。(b)どうしても見つからない場合は諦める(軽微な話では形式を注意して書いてみる事もあるが、指摘を受ければ素直に従う)(c)数年後に検索にヒットして発見する事もある (d)ウィキペディア以外の場も探す(用途に応じて記載先を使い分ける)、などでしょうか。--Rabit gti会話2019年10月12日 (土) 02:32 (UTC)[返信]
コメント 先のコメントでWikipediaにおける出典の経緯について記させていただきましたが、WikipediaNupediaのサブプロジェクトとして企画されたという認識も不可欠だと思います。「ウィキペディアの歴史」や「en:History of Wikipedia」を拝見すると、元々はNupediaのプロジェクトが先に始まっており、Wikipediaの記事からNupediaに昇格させることを意図していたようです。Nupediaでは執筆者や査読者が厳選されていた上、多段階の検証プロセスを持っていました。Nupediaは執筆者の確保に苦慮していたようですので、Wikipediaで記事を広く集め、その後の検証過程で文章の推敲や内容の検証を行い、記事の品質を確保しようとしていたと考えられます。
加えて20世紀ではWikipediaにおいて紙の百科事典は各項目の専門家が書くものであり、それなりにその道に通じた人でないと百科事典を書こうという気にすらならないと考えていたのかもしれません。また、こんなにも他分野かつ細かな領域にわたって記事が書かれることになると、信頼できる執筆者や査読者を揃えるのは無理にあってきます。そのため、当初は執筆者や査読プロセスで担保しようとしていた信頼性を、出典(検証可能な情報源)に求めていったのだと推察されます。--Assemblykinematics会話2019年10月18日 (金) 06:27 (UTC)[返信]

納得はいきませんが、私の提起したウィキペディアの記事のあり方についての問題についてはあまり進展が望めそうにありませんので、議論を一応終わりにします。 そもそも「物体O」は小松左京の小説の中ではマイナーな作品で、その登場人物のモデルが問題になることはなかったでしょう。 しかも小松は、名前を一目で分かるアナグラムで与え、その属性・行為の紹介に伏見のそれをなぞるように書いているので、その頃の人々には三伏教授のモデルが伏見であることは自明だったと思われ、小松自身を含めて誰もモデル説を改めて取り上げて印刷文献に残す必要を感じなかったろう、と思います。 ですから、印刷文献を探しても、見付かることはないでしょう。 しかし、時間とともにそのような記憶は薄れ、いずれは忘却の彼方に消えるとすれば、それをウィキペディアに書き留めておくことは十分意味がある、というのが私の立場です。 印刷文献による「検証可能性」がウィキペディアの品質保証に担っている役割はよく分かりますが、この件のように記事の内的状況証拠が十分に揃っている記述も一律に削除するのは行き過ぎで、却ってウィキペディアの価値をおとしめる行為だ、と私は考えます。 近い将来、もっと納得のいく方策が生み出されることを期待して、議論を終わりにします。 --Midz会話2019年10月21日 (月) 04:56 (UTC)[返信]