Wikipedia:井戸端/subj/日本語版ウィキペディアの構造的問題とその解決に向けた行動
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日本語版ウィキペディアの構造的問題とその解決に向けた行動
[編集]議論の前提:五本の柱
[編集]下の節からの議論、またノート頁での問題が分かりにくい、理解の前提がわからないといった多くの声に応えて設けたものです。
ウィキペディアを運営する根本的な原理は五本の柱です。ウィキペディアのコミュニティは、百科事典を改善するために、多くの方針やガイドラインをつくりあげてきました。しかしながら、それらに習熟することは参加する前に必要な公的要件ではありません。
en:Wikipedia:About- 五本の柱はウィキペディア運営における最重要の原理です。方針もガイドラインもその原理を個別のことに適用したものに過ぎません。ウィキペディア参加においては、原理を理解し守ることが前提となります。en:Wikipedia:Five pillars、他Jimbo Wales/Statement of principlesなど
- 五本の柱の原理とそれを直接反映した中核方針は各言語版が勝手に否定するようなものではありません。Jimbo Walesが言うように、どの言語版にも適用されます。それ以外については、それぞれのコミュニティの現状に応じて自由に決められます。中核方針も細部は異なって問題ありません。
- 小さな集団での合意は大きな合意に反する場合、無効です(Wikipedia:合意形成#合意のレベル)。五本の柱の原理はもっとも大きく強力な合意です。
日本語版の問題は、五本の柱がどの言語版にも適用される、方針より上の最重要の原理であることが諸文書に上手く反映されておらず、意識として共有されていないことです(例えば、Wikipedia:ウィキペディアについてには五本の柱の文言がありません)。ここで原理を元に考える人と、原理の重要性を理解しないまま、日本語版で通用していることを重視する人がぶつかって論争になっています。
以下、補足として
- 英語版の方針・ガイドラインは五本の柱の原理と合致し、既存の方針類とあいまって上手く働くように整えられています。
- ガイドラインは具体的行為をする際に、こうしておけばまず問題はないというものを明示し、逆にこうしては問題だということを個別の事に即して示したものです。その拘束性は方針より緩く、やたらと規則が増えるというものではありません。「とても参考になる文書」と捉えるのがあっています。
また、発端となった議論を正しく判断するには諸資料をちゃんと見ることが必要です。軽々に判断すると、とても誤解し易いものです(可能であれば、スキャンした画像などを提供します)。できれば判断を飛ばして、#現在の日本語版ウィキペディアの構造的問題の要約に飛んで下さい。--射丸蔵(会話) 2014年11月5日 (水) 11:21 (UTC)
- もっとシンプルに、「この文書がまだ導入されていないから導入したらどうだろう?」という問題提起でよかったのではないでしょうか。
- 『Aという問題があって』、『これはBが原因だから』、『Cを導入しなきゃ絶対ダメだ』というカタチで提議されたので、「そもそもAという問題は本当にあるのか」「それはBが原因か」「Cを導入しなきゃ絶対ダメか」という疑問を招いていると思います。--柒月例祭(会話) 2014年11月5日 (水) 13:03 (UTC)
- 「五本の柱を理解しないまま編集に参加している人がとても多い」同意します。「原理の理解が重要である」同意します。「文書の整備が不充分なので理解が進んでいない」同意しません。
- 率直に言って、案内文書なんかろくに読まずに編集に参加する人の方が圧倒的多数派です。何か困ったことがあったときに慌てて文書を捜せばまだマシな方、ほとんどの人は見ないんです。ケータイの取説を端から端まで読み込んでから初めて電源を入れる人がどれほど居るか、コインランドリーで洗濯機のマニュアルを捜しまわる人が多数派か少数派か、そういうのと同じです。文書の整備が理念の普及に対して効果的である、という考え方に対して、私は極めて否定的です。そしてWikipediaは、文書読まない人の編集参加を別に拒絶してないんです。
- 理念を解説した文書が多いのはいいことですが、それが読まれることは必ずしも期待できないです。そういった、直接的な効果の期待できない文書類、しかも射丸蔵さんが優先的に着手している「よくない行為の抑止」系の整備というのは、ルールをもてあそぶことばかり上手で理念を理解しようとしない悪い奴のオモチャを増やすだけになると考えます。
- …ていう考え方は実は既に Wikipedia:鼻に豆を詰めないで という文書にまとめられていて、私も大いに賛同するところです。よろしければご参照ください。--Cossy(会話) 2014年11月5日 (水) 15:04 (UTC)
どこに発言を続ければよいか迷いましたが、Cossyさんの発言を踏まえてここに続けることにします。
- 「五本の柱を理解しないまま編集に参加している人がとても多い」同意します。
- 「原理の理解が重要である」同意します。
- 「文書の整備が不充分なので理解が進んでいない」なんとも言えません。
- 「案内文書なんかろくに読まずに編集に参加する人の方が圧倒的多数派」同意します。
- 「Wikipedia:鼻に豆を詰めないで」同意します。
- 《だから文書整備なんか重要ではない》反対します。
最後の箇条書きはCossyさんの発言をいささかカリカチュアライズしたものですが、お許しいただいて…どうせ文書なんか読んでないし、読まずに参加することを拒否していない。それはその通りでしょう。しかし、そのことは文書の整備をしないことを正当化する訳ではないと考えます。逆に考えるべきで、何かあったときに参照できるように文書を整備すると考えるのがよいのではないかと考えます。
ルール夥多による官僚主義化や「鼻に豆」式を回避する、それは大前提として同意します。しかしながら、良好な慣行(good practice)として実績あるものは、むしろ積極的に文書化する方が望ましいし、暗黙の了解ではなく明示的な文書とすることは、新規参加者に対する参入障壁を下げることにつながり(既存利用者が新規利用者に案内する、新規利用者が自分自身で調べる、のどちらの方向でも)望ましいことと考えられます。提案者の議論の廻し方は別として。今回導入が提案されたいくつかの文書に関しては、他言語版でのこととはいえ良好な慣行に類するものであり、日本語版においても文書化が望ましいものだと考えます。
「ルールをもてあそぶことばかり上手で理念を理解しようとしない悪い奴」に関して言えば、そうした輩を追い詰めるためにルールを使いましょう、というのが私から申し上げたいことです。どうやっても「善良な利用者の味方」としてしか作用しない、なんていう都合のいいルールはありません。「善良な利用者の味方」になるようにルールを使うことをしない限り、どんなルールを整備してもしなくても「悪い奴」はのさばるでしょう。すくなくとも「破壊的編集」に関して言えば、これを突きつけて黙らせられたのに、という利用者名がいくつか私には浮かびます。--ikedat76(会話) 2014年11月5日 (水) 17:54 (UTC)
ある記事のノートでの出来事
[編集]私はある記事のノートページで、議論の中で曲解を繰り返してきた一人の利用者が、その挙句に名指しで節を設けWP:悪用の印象操作を繰り返して個人攻撃(根拠のない非難、この場合は根拠も捏造)を行ってきたので、その問題点を抽出して示し、さらにコメント依頼を出す羽目になりました。問題なのは、そうしてわかりやすく問題行為を摘示し明らかにした後にすら、それらを「特別問題はない」とする利用者や、無視して合意を形成しようとする利用者らが現れ、悪用・個人攻撃を行った利用者とその行為が見過ごされ、その意見・解釈・「調査」などが反映される形で合意形成へ向かっていってしまったことです。悪用を繰り返した(つまり悪意を持って参加していることが明らかな)時点でWikipedia:善意に取るの前提が破壊され、その利用者の主張や提示はすべて信用できないもので、何らかの検証を経ない限り記事への反映や合意を取るべきでないことは自明だと思いますが、その様な行為がどれほど悪質か他の利用者は理解していないようでした。
私はこの経験を通して、日本語版ウィキペディアの一般利用者層すべてとは言わないものの、その多くで、振る舞いに関する方針・ガイドライン、特にその精神が正確に理解されていないのではないかと考えるようになりました。今、私が関わっている問題が、それらを理解している管理者により解決されても、ウィキペディアの利用者全体でこういったことが横行していくようでは、一般利用者にも、それに対応する管理者にも著しいウィキストレスをもたらすことは明らかです。そこで、日本語版ウィキペディアと英語版ウィキペディアの関連する方針・ガイドラインを改めてじっくりと読み直し、両者を見比べて気づいた日本語版ウィキペディアの構造的問題点を指摘し、その改善に向けた行動を提案します。
現在の日本語版ウィキペディアの構造的問題
[編集]以下に述べることを要約します。
- .悪用を禁じるガイドラインがほとんどない
- →方針・ガイドラインの悪用を防ぐのが難しい
- .五本の柱と直結する中核方針であるIgnore All Rules(すべてのルールを無視しなさい)が方針化されていない。
- →必要のないものにまで、方針・ガイドラインが濫用される
- .礼儀を忘れない・エチケットが英語版Civility・Etiquetteのあり様とかなり異なるものになっている。
- →表面的な礼儀に目が行って、本質的な参加姿勢への理解に至らない
- .方針・ガイドラインが導入・整備されていない。私論もかなり少ない。
- →利用者個々が学んだり、それを用いて利用者間で問題を適切に解決したり、互いに教えあうことがやりづらい。
方針・ガイドラインを英語版同様に適切に整備することで、利用者間同士で問題が速やかにかつ適切に解決されるようになり、管理者の手間も減ります。
悪用を禁じるガイドラインがほとんどない
[編集]en:Wikipedia:Gameing the System(規則の悪用)に代表される、方針・ガイドラインや問題処理方法(削除やブロック)の悪用を明示的に防ぐための文書が、日本語版にはWikipedia:腕づくで解決しない内のWP:悪用程度しかなく、荒らしのようなすぐわかる形ではない悪用・妨害行為を防ぐための文書が不足しています。
- en:Wikipedia:Gameing the System(ガイドライン化に向けて和訳済み)
- en:Wikipedia:Disruptive editing(ガイドライン化に向けて和訳済み)
- en:Wikipeia:Canvas/Wikipedia:カンバス(和訳されているが、未ガイドライン化)
- en:Wikipedia:Harassment 悪用ではないが、つきまといなど悪意に基づく行為を防止するガイドラインの一種
英語版には以上のようなものが既にかなり前からガイドライン化されており、他にも私論(essay)の内、広く受け入れられいて標準的な理解に用いられる、方針・ガイドラインから直接リンクを貼られているen:Wikipeia:Wikilayering(法律家ごっこ)なども訳されていません。
悪用を防ぐ文書が整備されれば、一般利用者間でそれを示して悪用を早い段階で抑えこむことができるだけでなく、それを示しても悪意ある行いを継続する利用者を手早くブロック依頼に出して、管理者も速やかに対処できるようになります。また、これら悪用をさせないことを目的に制定された文書は、それをさせないと同時に、方針やガイドラインの表面的な文言ではなく、文書全体が表す精神や目的を重要視するよう述べています。つまり、悪用を防ぐと同時に、従来の方針・ガイドラインもその根本的な精神に則って適切に用いられるようになる訳です。
Ignore All Rulesが方針化されていない
[編集]五本の柱と直結する中核方針である、Ignore All Rules(Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい)が方針化されていません。WP:IARがなくても、五本の柱がある時点で同様のことが機能しているのですが(例えばWP:NOTBUREAUCRACY)、方針として明示されていないせいで、全体を考慮して適切な場合は方針や処理過程を当てはめなくてよいことが常識化していせん(別の言葉で言えば、過剰なやり方で規則の一部を適用して回る利用者を掣肘できません)。また、私論などIARがいつどのような時に、どの程度用いられるべきかの関連文書も適切に整備されていません。
このような未整備からコミュニティ全体として蓄積された経験則がわかりやすい形で共有されないために、一方で方針・ガイドラインを恣意的に無視する理由に使われたり、逆にIARを用いるべき時に適切に用いることができず、無駄に手間をかけて疲弊してしまったりといったことが起きます。IAR方針化の議論を見ましたが、議論が悪用を恐れたり、関係ない方向に錯綜して放置されたままといった様に見受けました。根本方針である時点で、有無を言わせず方針化してしまうぐらいでよいと思いますが、悪用防止のガイドラインを整備すれば、このIARの悪用を防ぐ前提が整い、より合意を得る形で方針化ができるでしょう。
当座行うことのできる自身の取り組みとして、現在日本語では、Wikipedia:常識なんてないとごく一部が訳されている状態のen:Wikipedia:What "Ignore all rules" meansを訳出する予定です。この私論(essay)はIARを適切に用いる上で、大きな助けになると思います。
Civilityが表面的な礼儀を強調する内容になっている
[編集]英語版ではen:Wikipedia:Civility(WP:CIV)が五本の柱と直結する中核方針(Civility is part of Wikipedia's code of conduct and one of Wikipedia's five pillars.)ですが、日本語版Wikipedia:エチケットが方針化して、五本の柱と繋がってしまっています(英語版のen:Wikipedia:Etiquetteは、方針ではなくガイドラインです)。また、両者の中身もかなり英語版と異なるものです。
日本語版のCivilityは、表題が「礼儀を忘れない」と外見的な礼儀を強調するものになっており、「礼儀正しくすることは、オンラインでの行動においてよりどころに出来る唯一の原理」、「礼儀を守ることは、誰しもに課せられる義務であり、また相手に要求できる絶対の権利です」「「お願いします」「ありがとう」「ごめんなさい」「どういたしまして」「こんにちは」。ちょっとした挨拶を大切にし」「ウィキペディア内で無礼が起こらないようにするには」など、外見的礼儀を強調していると受け取りやすいものになっています。
本来、英語の"etiquette"が、"the formal rules for polite behaviour in society or in a particular group"(Longman Dictionary of Contemporary English 5th edition)とある様に礼儀作法を指したものであり、実際en:Wikipedia:Etiquetteの内容を見てもウィキペディアにおける礼儀作法と見て取れる部分が多いです。一方、"civility"は"polite behaviour which most people consider normal"であり、「同じ共同体の一員としての普通の適切な振る舞い」といった意味であり、記事内容を見ても礼儀は一部に過ぎず、分量としてはIncivility(中身を読めば敵対的ないし攻撃的振る舞いが主)に関するものが多くを占め、本質は、日本語版で言う「深刻な争いやストレスを引き起こす土壌をつくりだすような、他者への攻撃的な行為」を行わないこと、英語版で言う「editors should always treat each other with consideration and respect. In order to keep the focus on improving the encyclopedia and to help maintain a pleasant editing environment, editors should behave politely, calmly and reasonably, even during heated debates.(利用者は常にお互いに思いやりと尊敬を持って対するべきです。百科事典の発展とそれを心地よく行える環境を維持することに集中するために、利用者は丁寧に、落ち着いて、合理的に振る舞うべきです。例え白熱した論争の中であってもです。)」とある、協力的な参加姿勢や態度を指しています。
つまり、本来Wikipedia:Civilityが指しているのは「ウィキペディアの発展改善を目指す一員として協力的(cooperative)に振る舞うこと」であり、協力的に振る舞う上で丁寧に対応するのは当たり前だし、礼儀も場合に応じて必要になるから用いるということだと思います。一方、日本語版の様に"表面的な礼儀が強調されている(ように見える)"ことの何が有害かと言えば、その様な礼儀を駆使しつつ間違ったやり方で議論を有利に進めたりできてしまうことです。極端な例を言えば、「私もみなさんも迷惑しておりますので、お願いですから早く死んでもらえないでしょうか」といった様な、「礼儀正しい」個人攻撃も可能な訳です。こんなわかりやすい例であれば良いですが、まったく関係ない文脈から抜き出した発言や問題とすべきではない既に反省済みの過去の行動を用いて、「礼儀正しく」印象操作を行った場合などは、表面だけを見て判断する利用者は勘違いしかねないでしょう。
こういった齟齬を鑑みれば、題名からして礼儀を強要するものとなっている日本語版の「Wikipedia:礼儀を忘れない」は、"協力的に振る舞う"など、単なる表面的礼儀でなく、その内容や精神を反映したものに、「Wikipedia:エチケット」は「ウィキペディアにおける礼儀」「礼儀を守る」「礼儀正しく」など、字義・内容どおりの礼儀を表したものにした方が良いです。内容も英語版を忠実に訳したものを基盤にし、本質的参加姿勢や協力態度を重視するものにした上で五本の柱に繋がる中核方針とし、現在方針となっているエチケットはガイドラインにするのが正しいありようだと思います。
改善へ向けた行動
[編集]五本の柱の内、二本と直結する中核方針が異なった状態になっている、さらにガイドラインも導入されていないものが多い、参考にできる重要な私論も少ないといった状況では、日本語版ウィキペディアでは問題が多発したり、速やかに解決がなされず問題が長引くことも多いのではないでしょうか?こういったものを適正に整えて英語版同様の環境を充足させることが、まずなによりも必要だと考えます。そうやって方針・ガイドラインを正しく整えれば、わざわざコメント依頼や管理者にまで持ち込まなくとも、明示的な文章であるそれらを元に、利用者同士が方針のここにこうある、ガイドラインのここにこうあると注意し合えば問題が大きくならない内に解決し易くなるでしょう。その際、悪用をさせない、IARがあることを前提に全体を考慮して適切に用いる、この二つがあれば、その適用において起こりがちな濫用が防がれます。表層的な解釈や、一部を厳格に解釈して過剰に押し付けて回るといったことがなくなり、正しい意味での方針・ガイドライン中心の明瞭な運営が行い易くなるわけです。必然的に管理者の手間も減りますし、持ち込まれても明示的な理由を元に速やかに対処できるようになると思います。
上に挙げた方針・ガイドラインの未整備は、いずれも速やかに改善されなければならないことですが、私自身の取り組みとして、既に訳出した悪用周りのガイドラインの正式化を提案するつもりです。悪用周りが整えば、自然とIARの方針化を行う下地も整うでしょう。ただ、文面の一部改訂などを提案したことはありますが、一から立ち上げた経験はないので、ガイドライン化の処理、また翻訳が適切かなどの確認を手伝ってくださる方は、ぜひご協力ください。--射丸蔵(会話) 2014年10月11日 (土) 23:23 (UTC)
- 情報 私も今の日本語版のコミュニティの質に問題があると感じていました。以下はその解決のために使えないかと用意していた資料です。これは、ある開発者の体験に基づくオープンプロジェクトの運営ノウハウ本です。射丸蔵さんの論点と合わない部分もあると思いますが、協力的なふるまいについて、なんのために、そして、どのようにすべきかが、日本語に訳されています。長いので、該当部の要約を掲示しておきます。 --Yhiroyuki(会話) 2014年10月12日 (日) 09:53 (UTC)
- 『オープンソースソフトウェアの育て方』 Karl Fogel 著、高木正弘、高岡芳成 訳 ISBN 978-4-87311-412-5
- 「炎上を阻止する」
- 要約:雰囲気が怪しくなったら、議論を友好的に進めるように注意する。ただし、攻撃側に謝罪を要求したり、落ち度を認めさせたりするのでなく、次の機会によりおだやかに振る舞うよう促す。注意したら、すぐに本題の議論に戻り、攻撃側を本題に参加させる。プロジェクト全体に礼儀をわきまえる空気を作り出すことは、プロジェクトの利益になる。
- 「宗教論争を回避する」
- 要約:宗教論争では、正解が一つという点で合意があるものの、正解がどれかという点で争われる。お互いに相手を説得しようとしているが、第三者にはそれができないのが明らかな状態である。これは、一方が正論の場合でも発生する。宗教論争が起きないようにしたほうがいい。そのためには、相手の意見を聞き、理解を示すようにする。自身の確信を押し付けず、 相手が返事を返す余地があるような意思表示をすることで、状況を改善できる。
--Yhiroyuki(会話) 2014年10月12日 (日) 09:48 (UTC)
- 協力的な環境を作り上げていく上で参考になる、そういった文献をWP:CIVに外部リンクなどで入れるのは素晴らしいと思いますよ。ただ、私論(essay)はよりウィキペディアに合致する形で書かれているので、それがあれば文書の中でリンクを貼っていけばより適したものになると思います。現状では訳されてないものが多く、ないものねだりですが。--射丸蔵(会話) 2014年10月13日 (月) 09:59 (UTC)
- コメント普段、方針関係とかあまり首を突っ込む方でもないので認識間違い等あったら申し訳ないのですが、ちょっと本件の提案(なのか、翻訳作業手伝い依頼なのか判断に苦しみますが)について違和感を覚えましたので、思うところまでですが挙げさせていただきます。
- 結論から申し上げると、何段か合意を取るという段階をすっ飛ばして話をされているなぁというのが正直な感想で、素直に賛成はしかねるなぁと思っております(上記で問題点を挙げられていますが、「解決に向けた行動」の前に問題点について合意が取られていないので、この部分については現段階では射丸蔵さんの私論に過ぎないのかと考えております。もしどこかで合意が得られているのであれば議論へのアンカーをお示しいただきたく)。各論ですが、
- そもそも、この問題がコミュニティ全体の問題であるとの認識があるのか。あるのであればどのくらい重要な問題なのか。
- 冒頭に挙げられているノートの事例についてですが、結局これを問題とされているのが射丸蔵さんだけ(というか、当該ノートの関係者2名間の問題)のようにも読み取れてしまうかと思っております。コミュニティ全体の問題として扱い、方針を変更する必要はあるのでしょうか?また、コメント依頼についても、第三者からのコメントが1件も無い状態では被依頼者行為が問題であったか(悪意ある利用者か)どうかの結論が出ているようには見えず、むしろ「出す羽目になった」と言う書き方は印象操作のきらいもあるかと感じています。
- そもそも論ですが、「問題なのは、そうしてわかりやすく問題行為を摘示し明らかにした後にすら、それらを「特別問題はない」とする利用者や、無視して合意を形成しようとする利用者らが現れ、悪用・個人攻撃を行った利用者とその行為が見過ごされ」と書かれているように問題ないとする人がいたり、問題であるとしている行為が見過ごされているという時点で「この問題が深刻な問題ですぐに方針文書に手を加えて対応をしなければならない」という認識がコミュニティで共有されていないと考えるのが妥当かと思います。
- 上記が問題だったとして、対応は射丸蔵さんが挙げられている方策で良いのか(過不足はないのか)。またこの方策を採ることによる他の影響はどうなのか。
- 上記の方策で良いとして、対応として、英語版に倣う(英語版の方針を和訳して採用する)という方法で良いのか。
- 日本語版Wikipediaが英語版Wikipediaの下部に存在するのであれば、基本的に英語版の方針で不足しているものを持ってくるという方法でも良いかと思うのですが、日本語版Wikipediaと英語版Wikipediaは並列で存在する別個のプロジェクトであり、コミュニティであるかと考えております(この辺、認識間違いがあれば申し訳ないのですが)。手続き論的な話になってしまいますが、JAWPで必要な方針を検討する中で英語版に同様のものがあるので内容を検討したうえで問題ないので和訳して取り込む、というのはアリかと思うのですが、JAWPで必要な方針を検討するという段階をすっ飛ばして、とりあえずENWPと同様にするというのは避けるべきと考えています(前述しましたが、射丸蔵さんは日本語版の方針文書と英語版の方針文書を比較したうえで今回の方針変更が必要と言う結果になっているのかもしれませんが、この部分が射丸蔵さんの私論でしかないためコミュニティで検討されたとは判断しにくいです)。
- そもそも、この問題がコミュニティ全体の問題であるとの認識があるのか。あるのであればどのくらい重要な問題なのか。
- 繰り返しになりますが、方針の変更をしたいのであれば「問題意識の共有・対応の必要性の検討」→「方策の検討」→「各論の変更内容の検討」と言った合意を取っていく必要があると考えます。これらをすっ飛ばしたまま先に手を動かして方針変更を進めても、提案者にもコミュニティにも不幸な結果になる可能性が高いのではないかと考えます。ご提案の内容をコミュニティで検討した上で合意形成を行い「解決に向けた行動」を取られる分については何も文句は無いのですが、合意形成なしに行動を起こされるのは避けた方がよろしいのではないかと思います(上記の射丸蔵さんの文章では、「私が相手の行為が悪い(問題)と思ったので方針を英語版と同じにするべきと考えた。だから手伝ってください」と言うように読めてしまいます(というか、私はそう解釈しました))。
- また、念のため書いておきますが、私はここまでの流れ的にというか進め方に重大な瑕疵があるためこのまま進めるのは問題ではないかと言う意見を提起しています。各者の行為が本当にルールの悪用なのかや各論について変えるべきか変えないべきか等の意見表明については保留します(というかそこまで判断できるほど事例(元々のノートやコメント依頼)を読み込めていません。全体的に長文の割に問題点がわかりにくいというかなんというか...非常に難解です。単純に執筆者間の守備範囲と言うか立ち位置による見識/見解と言うか視野の違いと言うような問題で、現行のルールを変えるほどの大した問題でもない気もしますけどね(正式な意見表明とはしませんが...)。)--Shain2006(会話) 2014年10月12日 (日) 13:03 (UTC)
- ちゃんと元の問題や、ここでの提案をしっかり見た上で検討せずに、述べておられるようで残念です。
- 簡単に言えば、大元の問題は、他者の発言を曲解して議論を長引かせたり、曲解して非難をしたり、まったく関係ない別の議論から文脈を無視して言葉だけを取り出して印象操作を行ったり、ある記事を編集したことを以って私が常識的判断ができないかのように発言したりと言った妨害や個人攻撃を行ったということです。こういった行為がそもそもウィキペディアであろうと、どこであろうと論外の行いであり、方針で言えば、WP:NPA・WP:CIV違反なのは方針を理解していれば当然わかることと思いますが。それらはコメント依頼なりにちゃんと差分やリンクで示してありますから、意見があるならそれをちゃんと見て判断してください。もし、私がここでそういったことを自分に都合の良いように言い立てて、自分に有利な"世論"を形成しようとしていると思われるなら、それこそWikipedia:Gaming the System(規則の悪用)やWikipedia:カンバスのガイドライン化を進めてください。これらのガイドラインはまさにそういったことを防ぐためにあるものです。もし私が間違った行為を行っているなら、それらのガイドラインを整備して真っ先に制裁されるのは私自身でしょう。
- また、これ自体は問題意識を持つ切っ掛けであり、現状のウィキペディア日本語版が方針・ガイドラインの未整備により、大きな問題を抱えた状態にあるのは独立した話です。
- 「日本語版Wikipediaが英語版Wikipediaの下部に存在するのであれば、基本的に英語版の方針で不足しているものを持ってくるという方法でも良いかと思うのですが、日本語版Wikipediaと英語版Wikipediaは並列で存在する別個のプロジェクトであり、コミュニティであるかと考えております」との考えですが、ウィキペディアというプロジェクトの中で、各言語版がまるで別々のものであるかのような発想にはまったく賛同できません。大体において、根本方針すら異なっているものが同じウィキペディアと呼べますか?ある段階で整備されていないとしても、それは優れたものを見習って同様に整備することが前提でしょう。そもそもの成り立ちからして明らかに英語版は中核に存在し、整えられた方針・ガイドライン、その運用において格段に優れています。日本語版の方針・ガイドラインも基本的にある段階の英語版を訳したものでしょう。英語版を見習うのは自然かつ当然のことで、実際にそうやって多くのものが成り立っています。私は日本語版特有の問題により、議論されて加えられた部分は尊重しますが(例えばWP:FAILNなど)、方針・ガイドラインの基本的な部分を英語版同様に整えなくて良いという主張は、それに値する日本語版特有の差し迫った重大な問題がない限りまったく賛同できません。十分に議論され、合意形成が行われて実際に運用され、経験が蓄積されている英語版の方針・ガイドラインを導入するのに大した議論は入りませんが、それをしない場合は、それこそ十分な説明が必要です。
- そもそも、方針やガイドラインは個々に孤立したものではないんですよ。五本の柱に代表される、ウィキペディアの原理・精神をそれぞれの問題に対処する上で明示的に文書化していったものです。方針・ガイドラインはそれぞれ根本的な原理や精神の元に繋がっています。ガイドラインなどをきっちり整備・更新していくことで、運用や判断が適切かつ楽になっていくことはあっても逆はまずないでしょう。整備されなければ、問題の判断がやりづらく、問題行為への対処が時間と手間を取るものになるだけです。説明したように五本の柱と直結する中核方針すらちゃんと整備されていません。他にも、Wikipedia:追放の方針もWikipedia:調停・Wikipedia:裁定委員会も機能していません。こういう状態で問題がないと考えられる理由が私にはわかりません。
- 私が求めているのは、ウィキペディアを改善する取り組みへの真摯な協力です。それを行う上で、しっかりとした根拠のある意見なら応じますが、IARで行われたような中核方針の整備にすら至らない議論を行って時間や労力を浪費する気はありません。--射丸蔵(会話) 2014年10月13日 (月) 10:21 (UTC)
- 左様ですか。一度だけのコメントでしたが、会話が噛み合わないようで残念です(貴方が「提案をしっかり見た上で検討せず」と書かれているように私もコメントの真意が伝わっていないなぁと感じています。無駄に長文で問題点が解りづらいところも多いのが私の反省点ですね...)。私も自分の時間を無駄に消費するつもりは御座いませんのでこれ以上申しませんが、個人的な感想としては「印象操作」だの「悪用」だのという話をするのであれば「自明」だの「常識的」だの「当然」だの、暗黙で自分に正義があるんだという表現はあまり使わないことをお勧めします。お互いの立ち位置で自明も常識も変わるものと思います。そこの説明や相互理解を省こうとされている方とはこれ以上話をしても無駄かと思いますので私はこの件から手を引きたいと思います。お騒がせいたしました。--Shain2006(会話) 2014年10月13日 (月) 11:14 (UTC)誤解を招きそうな部分があったので下線部追加--Shain2006(会話) 2014年10月13日 (月) 11:17 (UTC)
- コメント私の個人的な考えをコメントします。先に断っておきますが、私は法律家ではないし法学部に学んだ経験もありません。私は、法や規制を事細かにし、体系化することに対して、あまり期待をしていません。法を細かくすればするほど、「逆に言えばここまではいいんでしょ」というような逆解釈の根拠にされ、“悪用”されることになると考えています。私が求めるのは法の整備ではなく実効性のある運用です。法はふんわりしていてもいい。迷惑な人がいたら法を合わせるのではなく、その迷惑な人をつまみ出すほうが効果的であり、その一人のために良心的な多数が窮屈になっていくことは御免被りたい、と考えています。最初に私は法律家じゃないと言いましたように、「罪刑法定主義」みたいなものは私は信仰しません。良心的で問題のない方には多少の洒脱は許すし、迷惑な方の場合にはルールの内側でもペナルティ、という運用が理想と思っています。ただまあ、ここではシステム上「完全につまみだす」のは困難だし、つまみ出せばつまみ出すほどエスカレートするみたいなところもあるでしょうから、現実にはそううまくは行かないです。要するに、「違反者が蔓延る」ことに対して「規則を充実」という対策は、私はあまり期待しない(作業に見合う効果が期待できない)し、新しい規則(すべてのルールを無視しなさい!って書いてありますよねえ?)が「わるいひと」の新しいおもちゃになることを懸念します。--柒月例祭(会話) 2014年10月16日 (木) 13:16 (UTC)
- 基本的にウィキペディアの精神・方針・ガイドラインの関係を理解すればそういう懸念はなくなりますよ。まず、五本の柱に代表される精神(spirit)が最上位にあり、それを具体的に反映したものとして方針(policy)やガイドラインがあるんです。方針やガイドラインは具体的な個々の問題に対応する際に、その精神に基いてどう行動すべきかを文書化していったものです。根本的な所で精神に沿っていれば、方針やガイドラインは助けになることはあっても邪魔になることはありません。Ignore All Rules(ルールすべてを無視しなさい)が代表的ですが、ウィキペディア改善に繋がることであれば、方針やガイドラインはすべて無視していいんですよ。
- 日本語版の問題点はそういうウィキペディアの精神が最上位に存在することをはっきりと認識し、それを元に柔軟に方針・ガイドラインが運用されるのでなく、悪用関連やIARなどが整備されないまま一部の方針だけが金科玉条のごとく取り扱われたために、あなたが懸念されるような、本来目的達成のために一時的に規定されているに過ぎない方針類が柔軟性のない形で過剰適用されたり、ひどい場合は悪用までされていることにあります。この悪用周りのガイドラインとIARを整えることでこそ、あなたが懸念している、やたら細かな法律みたいなものが蔓延って「良心的な多数が窮屈になってい」る状態はむしろ改善され、生産的な行動を行っている多数の利用者が本来の目的に沿って、効率よく活動できるようになります。心配しなくとも、本来ウィキペディアの方針やガイドラインは、現実社会の法律みたいなものではないんです。むしろ、そうなってしまっている所に問題があるんです。--射丸蔵(会話) 2014年10月20日 (月) 01:31 (UTC)
- コメント 長文を天降り的に貼り付けては、広く理解を得ることは期待できません。まずは、数行の要約を作成して、紹介することから始めてはどうでしょうか。 --Yhiroyuki(会話) 2014年10月19日 (日) 00:42 (UTC)
- コメント 割と良いんじゃないかと思います。翻訳ベースなら。ただ、ガイドラインの変更の後、そのガイドラインをもって、どのような形で読んで欲しい参加者に読んでもらい相手の意識を変えていくかについての想定は、変更整備したとしても全く別の問題と捉えておいた方が良いでしょう。例えばここにおいても、長くて内容が良くても読まない、読めない人も多くいますし、現状の状況が心地よい人が、変化を嫌い変更までもう少しというところで、最終的に大挙して反対してくる可能性も予め検討しておかねばなりません。ガイドラインの整備内容は全体の効率からみて論理的に正しくとも、ガイドライン化の流れと合意形成、整備に失敗しているケースは随分あり、その意味ではガイドライン化を図る前に議論の相手に対し御自分でその提案が有益である事を納得してもらえるかどうかは一種のテストマーケティングになると思います。ガイドラインだから従う、そうでなくては従わない。という様な運用の想定をされた上でのガイドライン整備アプローチではなく、どうやって内外からまず内容に関心を持ってもらうかというリサーチや、賛同して貰えるマーケティングプランやアクションプランをしっかりして置かないと現状のWikipedia日本語版での着地は困難だと思います。そこまで出来る人は外に行っちゃう方が御本人的には有効なフーィードバックが多いですけどね。--106.152.221.197 2014年10月23日 (木) 17:21 (UTC)
- コメント 悪用関連の整備が進んでいないのは仰る通りですが,悪用関連よりも優先的に整備されないといけないものがあると思いますけどね。たしかに,英語版が方針・ガイドラインの整備で進んでいるのも仰るとおりでしょう。しかし,あくまで英語版は英語版,日本語版は日本語版,そこはちゃんと切り分けてほしい。WPの精神と基本方針を違えてなければ,言語版ごとに方針やガイドラインの内容が異なっていたとしても大きな問題ではないと思いますよ。各言語版の参加者層の文化・思想などの背景を考えれば,各言語版ごとに方針やガイドライン,または運用にある程度の差が出ることは当然の話だと思うので。したがって,英語版で十分議論がされていて実際に運用されており,経験も蓄積されているから,日本語版への導入の議論に大した議論がいらないだろというような考えは良くないと思いますけどね。Shain2006さんの各論1~3はかなり大事な話なわけですし,この点は詰めておかないといけないでしょうね。--かげろん(会話) 2014年10月24日 (金) 04:07 (UTC)
- 五本の柱と直結した方針を整える以上に重要な最優先の課題があるとは思えません(もちろん他の課題が重要でないという訳ではないです)。これは2006年当時、利用者:NewComerという熱心に方針などの翻訳導入をされていた方が、ウィキペディア創設者のジミー・ウェールズに英語版の方針は、全世界の、つまり他の言語版でも同様の効果をもつのか直接問い合わせたものです。
English policies are policies in the world. Is it true?
Hello, Mr. Jimbo Wales. I'm a thankless translator who is translating policies of English version to of Japanese. My understanding is that policies existing in English Wikipedia are also policies in other languages after they have been imported and translated. Is it wrong? I'd like to beg your opinion.--ComSpex 01:50, 15 May 2006 (UTC)
- ここでJimboはハッキリと、五本の柱に代表される主要な方針はどの言語版であろうと当てはまると言っています。それぞれの実情に合わせて方針をつくればいいとは言っていますが、あくまでそれは、「Outside of some very broad basics(幾つかのとても重要な基本部分以外において)」であり、「Some of the very broadest principles are of course applicable everywhere(幾つかのもっとも主要な原理は、もちろんどこだろうと当てはまる)」のです。
- #applicableは、『Longman Contemporary English Dictionary 5th Edition』では"If something is applicable to a particular person,group,or situation,it affects them or is related to them(もし何かが特定の人物や集団、状況にapplicableであるなら、それは彼らに影響するか関係を持つ)"とあり、Jimboの発言の文脈からみて、「適用できる」ではなく「適用される」「当てはまる」と取るのが自然です。五本の柱と直結した方針がどこでも基本方針としてあることが前提というのがJimboの考えであり、それはまたウィキペディア全体の共通した認識でしょう。
- 五本の柱に代表される精神や原理は、ウィキペディアを運営する上での前提です。それを具体化した中核方針は、単にそれぞれの言語版が勝手に否定したりするようなものではなく、同様に運営の前提といっていいでしょう(細部は異なっていいとは言っていますが)。ではなぜ、そのような中核方針すら整備しない運用が許されてきたのか、別の言葉で言えばそのような高度な自由が他の言語版に与えられてきたのかと言えば、これは「ウィキペディアには、確固としたルールはありません(Wikipedia has no firm rules)」またそれを方針化したWP:IARの精神と繋がるものですが、Jimboらウィキペディアを作り上げてきた人達は、大きな目的を達成するためなら、その過程においては規則は柔軟に運用することを重要視しているからであると思います。
- それぞれのプロジェクトの意志や知性、判断力に期待して与えられた高度な自由を、他言語版を見習うなどしてたゆまざる改善に用いるのではなく、明らかに不完全な現状に甘んじる言い訳に用いるべきではありません。かなり前から日本語版ウィキペディアは、小さなコミュニティではありませんし、英語版の日本語版ウィキペディア記事で、最低の管理者率(The Japanese Wikipedia has the lowest number of administrators per active users (only 0.44%))や、とんでもなく高い記事保護率(In May 2008, 0.0906% of articles were fully protected (only editable by admins), which was by far the highest percentage among the ten largest Wikipedias)など問題が指摘されています。こういったことは方針やガイドラインを整備して、利用者次元での解決と管理者次元での解決の双方が容易になるように整えていかないと解消しないことでしょう。
- 方針やガイドラインをあまりにも無思慮に取り入れるのは確かに問題を起こす可能性がありますが、正式化なり更新の際に、日本語版導入において何か問題がないか意見を募ればいいことだと思います。これまでしてきたように、十分な告知の上で一定期間意見を募ってみて反対意見がない場合の消極的承認は受け入れられるべきでしょう。一度導入したら永久にそのまま変更不能で有効というものではないのだから、具体的問題が起きてからそれに合わせて停止・廃止・改良するといった形でもいい訳です。そうやって整備された方針・ガイドラインを用いて、互いに教え合ったり注意しあう時は、単にぶっきらぼうに方針全体のショートカットを指すのでなく、該当節のショートカット、またできたら引用などもして、差分やリンクなどを示し具体的にこの部分が問題だという形を想定しています(こういった運用法はすでに英語版では文書に盛り込まれています)。
- ウィキメディアプロジェクトにおいて、常に改善を積み重ねていくことは高度な自由と引き換えに強く期待されていることであり、さしたる具体的根拠もなく、杞憂や憶測でこういった優れた運用法を取り入れない、また「単に自分がいやだから」、「今の馴れた環境が楽でいいから」といった理由で、基本的な部分すら整えないのは通用することではないと思います。コミュニティにとっての利益を説明するのは当然としても、ウィキペディアの根本原理や精神を理解し、最重要視している利用者が、提案された方針・ガイドラインをちゃんと見た上で発する、「日本語版ウィキペディアに適用する上でここがこう問題だ」という具体的な反対意見でなければ意味を成さないというのが私の見解です。WP:IARの議論で行われたような、精神を重視していない筋違いのパターナリズム(父性的温情主義)に基づく反対は、ウィキペディアの根本精神に反しているのだから有効なものとして受け付けてはいけないのです。私はこれまで方針・ガイドラインの整備が進んでこなかった理由の一つに誰でも彼でも、どんな意見を持つものであろうと合意を取らねば合意形成とはならないといった誤解があるのではないかと思います。
- 私は、この提案でJimboらを説得できるようなさしたる切迫した理由もなく、日本語版ウィキペディアが五本の柱とそのまま繋がる中核方針を整備しない場合、その様な運用を続けることが許されるのかJimbo Walesに問い合わせてみるつもりです。--射丸蔵(会話) 2014年10月24日 (金) 15:43 (UTC)
- なるほど。ざっくりと拝見した限りですが、論理的には筋が通っていらっしゃるように見えますし、アクションプランもある程度考えておられるようですので、大まかな方向性には賛同致します。この議論に参加して頂く方が多くなると良いですね。私自身ご提案精査の上、意見を述べる機会があれば参加させて頂きます。本提案の今後の推移自体も大変興味深いです。--106.152.218.17 2014年10月24日 (金) 17:11 (UTC)
- 報告 横から失礼いたします。しばらく、本案件を「傍観」しておりましたが、残念ながら「多くの利用者により、活発な意見交換がなされている」と言える状態にはなく、より「幅広く」意見を募る必要性があるように思われましたので、僭越ながら、Wikipedia:コメント依頼#議論活性化のためのコメント依頼を出させていただきました。なお、本案件のノートの方には、一連の議論を見ての、私の「感想」をコメントさせて頂きましたが、この「表の議論」の方での、提案事項そのものに関わるコメントは、私からは現時点では差し控えます。--Rienzi(会話) 2014年10月24日 (金) 16:43 (UTC)
- ガイドライン類英語版の翻訳とジミー・ウェールズ氏の見解の掲示、ありがとうございます。特にジミー・ウェールズ氏見解は非常に興味深いですね。各言語版の方針作成の自由度についてはどういう風になっているのか私も気になっていました。私が調べれる限りでは、meta:Founding principles/jaが存在し、これがウィキペディアの方針の上位の原理に位置する。よってウィキペディアの方針・ガイドライン類はこれらの原理に沿う範囲内でしか変更できないという理解に至っています。
- 今回の方針・ガイドラインの改訂の提案ですが、大枠では賛成の方向です。もちろん各方針・ガイドラインの記事で個別に具体的に議論を深める必要がありますが。簡単に各方針・ガイドラインに対する感想をざっくり述べますと、
- Wikipedia:規則の悪用、Wikipedia:妨害的編集、Wikipedia:法律家ごっこ:いずれも現行のウィキペディアの運用で問題とされて来たことを改めて明文化しているもので、内容も真っ当に感じますのでガイドライン化にはおおむね賛成の方向です。(法律家ごっこは私論ですが)
- Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい:ルールよりも精神や真の目標を大切にせよ、自分の頭を使えという考え方には私も賛成ですが、大胆な文言による無理解あるいは意図的な悪用を懸念する意見も理解できます。文言への適切な但し書き、私論の"Wikipedia:What "Ignore all rules" means"による補助も必要でしょう。
- 仮に今回、方針・ガイドライン化に至らなくても翻訳されたものや議論の結果は将来役に立つのではないでしょうか。ジミー・ウェールズ氏やウィキメディア財団に問い合わせるのも別に結構なことだと思います。最新の見解を私も聞いてみたいですし。--Yapparina(会話) 2014年10月25日 (土) 02:37 (UTC)
- 該当のノートで射丸蔵さんと議論したShiro0922です。射丸蔵さんが「自分は正しい」「Shiro0922やノートで議論した他の執筆者達は間違っている」という意識に囚われて、そこから議論を組み立てている限り、「Wikipedia日本語版の構造改善のための議論」にはならず、射丸蔵さんが「自分の正しさを証明する」あるいは「疲弊させられた恨みを晴らす」やり取りにしかならないと思います。例えば他の方が指摘していますが、射丸蔵さんが英語版の方針をそのまま日本語版に持ち込もうとしているのも、英語版の方針が「自分の正しさ」や「周囲の間違い」を証明できそうなので、その道具として使っているだけなのだと思います。
- 射丸蔵さんには、周りに向かうよりも、まずは自分自身に向かって、自分のことを自分で確かめてくださることを願います。そして他の皆さんには、射丸蔵さんの長文の理論の言葉だけを見るのではなく、それが出てくる元の意識や心のありようも読み取って議論していただきたいと思います。方針を議論・検討すること自体は有意義なことだと思いますが、組み立てられた理論がいくら正しいとしても、土台の出発点が違うなら、その言葉の持つ意味は全然違うからです。以上で失礼します。--Shiro0922(会話) 2014年10月26日 (日) 12:00 (UTC)
- コメント 射丸蔵さんがこれら3本の提案を行おうとされた原点がアダルトゲームにあって、範囲が一旦はその中に収まるのであれば、プロジェクト:美少女ゲーム系あたりで解決策を求めたほうが現段階ではいいと思います。私はその問題に関して射丸蔵さんとお相手の判断を控えますが、ご検討いただければ幸いです。方針ガイドラインの適用範囲はアダルトゲームにとどまらず日本語版全体になりますので、提案前に本当に細かな点まで視野を広げて熟慮と検討を繰り返し行わなければなりません。善意にとる以外に編集方針などとも整合性を取る必要があると思いますが、例えばご提案の妨害的編集は「真っ当に生産的活動を行う利用者を追い出そうとしてしている」に説明されているのかもしれませんが、善意にとるにおける「記事の執筆を通して」の本意、「文献を読み込んで記事を継続的かつ主体的に執筆・または加筆する編集姿勢」(妨害的編集・悪用・法律家ごっこの要旨、表面的な方針解釈により他人のあら捜しに終始する履歴を認めない)がよく説明されていないため、新たな悪用を生むのではないかと危惧します。同様の行為を防ぎたい場合は、現状の善意にとるも「そしてあなた自身もまた、それを証明する行動で、善意を示してください。」「誰かを善意にとることに加えて、あなた自身の善意を示すことによって他の人があなたのことを善意にとりやすくするようにしてください。」「記事の執筆を通して、他人の意見を受け入れる心構え」といった振る舞いを求めています。これらに反する行動はブロック依頼を提出していただければいいのではないかと考えます。--Degueulasse(会話) 2014年10月28日 (火) 16:44 (UTC)
- コメントうーん。Wikipedia:妨害的編集は悪くは無いと思いますが、「これといって新しいことを言っているわけでもない」と感じました。議論の場で相手を批難するときの道具が一つ増えるだけ、というだけにも思います。これがガイドラインになったから突然問題が減るということなどない。と、言うのも・・・
- 他の方々はコメントを回避していますけれども、議論の出発点であるノート:メイドさんしぃしーを眺めた印象として、私は射丸蔵さんの側に非があると考えているのですよ。大筋では、8月頃にRienziさんが当該ページで指摘なさったことと同じことを感じています。つまり、重要な部分で射丸蔵さんが情報の合成を行っているということと、出典が「信頼できる情報源」に照らしてやや難がある、ということです。これまで黙っていたのは、議論が長大すぎてとっつきにくいのと、第三者が射丸蔵さんに対して否定的な見解を述べる度に、射丸蔵さんがその利用者をガイドライン無理解だと全力で攻撃しているからです。なので、先にコメントしたように、ガイドラインを整備しても、使い方を間違った人が他者を攻撃する道具が増えるだけに感じるんですよね。
- もちろん、件の記事での議論と、この問題提起を切り離して議論することは可能でしょう。
- しかし、Wikipedia:妨害的編集を読めば読むほど、私はこう感じざるを得ません。「これは射丸蔵さん自身に適用できるのではないか」と。--柒月例祭(会話) 2014年10月28日 (火) 17:45 (UTC)
- この場では、方針・指針の改善にまつわること以外議論する気はありませんが、幾つかあなたの認識に重大な誤解と私に対する印象操作にあたる聞き捨てならないことを言っているので、答えておきます。
- ガイドライン(指針)の類は、これまでもウィキペディアの基本的な原理や精神に照らして判断すれば、普通そうすべきだし、逆にこんなことをすれば何がしかの制裁に合って当然、といったものを文書化していったものです。だから、「これといって新しいことを言っているわけでもない」と感じるのはまともな参加者なら自然なことですよ。問題はそうしてきっちりした形で文書化していないと、いざ問題が起きても判断がしづらく、決断を下す前に時間がかかってしまうということです。
- あのノートでRienzi氏は色々なことを言われましたが、あなたの言及していることは、当該作品が審査会でとても大きな役割を果たしたことをライブドア側の当事者が語ったインタビューのことでしょう。すでに2014年8月21日 (木) 07:01の投稿で、インタビュー収録時のライブドアは球団参入を試みた当時のライブドアとは何の利害関係もないことを説明済です。また、参入問題時のライブドア関係者にとってこの件は完全に終わったことであり、他の資料とも合致する当事者インタビューをことさら「出典が「信頼できる情報源」に照らしてやや難がある」とするのは、合理的な判断ではありません。あの件については、かなり前から資料の入手を進めて大方のことは判明しており、ランキングでの登場、東スポの事前報道といった流れが確かに存在し、当時の野球協約第3条「野球が社会の文化的公共財となるよう努める」を主題に開かれた審査小委員会において楽天との差が非常に大きなものとして現れたが、審査小委員会後の宮城県知事の意見1や、同様のことを楽天や報知新聞を抱える読売もやっていたことが事後的に指摘されて2、該当審査小委員会そのものの有効性が疑問視され、最終的に財務状況のみを理由にして楽天の参入という結果になったものです。こういったことは、いずれ落ち着いた環境になったら、一連の流れをしっかりした典拠を付けて示すことになるでしょう。
- また、あなたは私が情報の合成をしているだとか、「Wikipedia:妨害的編集を読めば読むほど、私はこう感じざるを得ません。「これは射丸蔵さん自身に適用できるのではないか」と。」などと言っていますが、具体的根拠があるならちゃんと証拠を示して具体的に指摘するなり何なりしなさい。そうでなく、皮相的な理解に基づく印象論でこういったほのめかしを言うのは、現在の英語版Wikipedia:エチケットにあるAvoid indirect criticismの「Criticism of another's edit, of phrasing and choice of terminology, or any criticism of, or critical response to, talk page commentary and participation ought to be made clearly, directly, and explicitly in a manner that may be easily understood and replied to, out of respect for other editors.(会話頁などで、他者の編集や言葉づかいを批判する時、またどのような批判であれ、批判的に応答する時は、直接的かつ明瞭なやり方でなければならず、他の参加者に配慮し、他者が簡単に理解して応答できるやり方で行いましょう)」に反しており、繰り返せば個人攻撃はしないの「根拠無く相手を非難する行為を繰り返す」に該当することにもなります。
- どうもあなたは方針やガイドラインの悪用を気にしているようですが、そういったことをさせないのがWikipedia:規則の悪用であると理解してください。また、方針やガイドラインを理由に批判なり指摘しているものを、それが適正であるかどうかをちゃんと見極めず、印象論でどうこう言うのは議論を混乱させるだけですからやめなければいけませんよ。--射丸蔵(会話) 2014年10月28日 (火) 20:02 (UTC)
- 向こうに関する具体的な話は向こうで。
- ひとまず、向こうに関する件は、ここでの話と切り分けましょうか。
- 最初にコメントしたことと要するに一緒なんですが、このガイドラインが正式化するとどういうことが起きるか、について、私はこう思うんです。
- ×「皆がこのガイドラインを読み、その結果として、編集に関するトラブルが減ったり、なくなったりする」
- ○「論争の場で相手を攻撃する道具が増え、相手をブロックをしようとする事例が増える」
- 政治論争をするつもりはないですが、「敵対者を一人残らず殲滅した状態が『平和』である」とする考え方ってあるでしょ。理想論ですが「論争がなくなってお互いの見解を尊重しあって共存する」姿が目指すべき方向性と思うのですが、どうも「もっと強力な武器をくれ」と言っているようにみえるんですよね。--柒月例祭(会話) 2014年10月29日 (水) 03:34 (UTC)
- 横入りになってしまいますが1点だけ。射丸蔵さんは「ガイドライン(指針)の類は、これまでもウィキペディアの基本的な原理や精神に照らして判断すれば、普通そうすべきだし、逆にこんなことをすれば何がしかの制裁に合って当然、といったものを文書化していったものです。」と書かれていますが、ガイドラインは誰かを「制裁」するためにあるものではありません。そもそも投稿ブロックなどの対処は「制裁」ではありません。「制裁」という言葉を使う自分自身の気持ちが何なのか、周囲に向かうより先にまずはご自身をよく確かめてください。よろしくお願いします。--Shiro0922(会話) 2014年10月30日 (木) 00:47 (UTC)
- 射丸蔵さんが日本語版未導入の案内文書の翻訳に着手された労力には敬意を払いますが、少なくともガイドライン化に関する働きかけへの仕切りは、ご遠慮いただいた方が良いと思います。
- ゴールとして「みんなが案内文書を読んで理解しているからトラブルが起こらない」ことを想定しているように理解していますが、ここまでの射丸蔵さんの行動は「文書を読ませる」ことを拒絶してるようにしかみえません。議論提起の時点で長文を投入されて、「つまりどうしたいのか」が簡潔に説明できてない。疑問・反論があれば、微に入り細を穿って長文で反論せずにはいられない。(射丸蔵さんの行動のことですよ)
- トラブルを減らすための案内文書というのは、まず「右も左も分からない初心者」を想定読者層とすべきだと思うのですが、マニュアルだのガイドラインだの案内文書を端から端まで読み込んでから書き始める初心者、なんてのはまあ居ません。分かりやすい一言、せいぜい二~三文で理解できなければ読み飛ばして「難しいからマアいいや」で終わっちゃう。読まれない、から本来想定した役目が果たせない。
- 逆に言えば、短いキャッチフレーズで誤解無く要点を読者に届けることが案内文には求められるのですが、そのような表現が不得手であることを射丸蔵さんは実践的に示しておられる。
- 射丸蔵さんが仕切りを続けると、これらの文書は射丸蔵さんの掲げる理念とは程遠い所にしか着地しません。離陸させたことで良しとして、着陸についてはこれ以上口出しせず、経緯を見守ってください。--Cossy(会話) 2014年10月29日 (水) 12:18 (UTC)
- 「つまりどうしたいのか」は#現在の日本語版ウィキペディアの構造的問題の冒頭にこれ以上ないぐらい簡潔に説明してあります。「右も左も分からない初心者」が最初に当たるのは五本の柱であり、最初から方針・指針を全部読み込んでの参加など想定していません。きちんと方針・ガイドラインを整えた上で、コミュニティ全体の理解度を上げていくのが目的であり、個別の問題に突き当たった時に、具体的に方針・指針の該当する部分を指して注意したり教えあうことを想定しています。そもそも私の提案は、むしろWP:IARの様な、根本精神に則っていれば、より自由な活動を許すものを正式化しようというものですよ。
- 方針・指針は具体的な個別の問題にまつわることを、コミュニティが経験してきたことに基いてちゃんと説明したものであり、長いように見えるものもちゃんと意味があります。そういった方針文書であれ、私の意見であれ基本的にはちゃんと合理的な意味があって長文になっているものは、理解してくださいとしか言えません。あなたの理解だと既に存在する方針・ガイドラインすら問題になってしまいます。この場合、単に理解しない方が努力不足なのであって、きちんと手間をかけて合理的意見を述べている方がどうこう言われる筋合いはありません。
- 柒月例祭氏の意見もそうですが、合理性に基づかない意見や具体的根拠に欠けた思い込みに従うことはできません。ウィキペディアはそういう場所ではないからです。--射丸蔵(会話) 2014年10月29日 (水) 14:58 (UTC)
- これまでの射丸蔵さんの一連の主張を要約すると、「私の主張はウィキペディアの根本精神に則っており、全面的に正しい。私の主張に対する反対意見は、いずれも合理性に基づかない意見や具体的根拠に欠けた思い込みであり、考慮する気は一切ない。私の主張を理解しない方が努力不足であると断言できる。無論、今後も私が議論を主導し、私の主張通りにまとめ上げ、私の翻訳を正式な文書として、日本語版ウィキペディアの方針とする!」ということですね。うん、これはこれで「あり」だと思います。個人的に応援します、はい。わくわくします。--210.197.223.174 2014年10月29日 (水) 15:53 (UTC)
- 1点だけコメントします。ウィキペディアは合意形成をベースとした場ですが、射丸蔵さんは「このようなものが必要」という合意形成をすっ飛ばして、いきなり各論に入ってしまっているというのがいちばんの問題ではないかと思います。射丸蔵さんが危機意識を持っているというのはわかりますが、上の他者のコメントでもあるように、「そもそもそんな文書はいらない」という声すらある中では、文書の中身を詰めていく段階に達していないと言ってもいいでしょう。まずはコミュニティで問題意識を共有できるような合意形成が先だと考えます。--Jkr2255 2014年10月29日 (水) 23:37 (UTC)
- 私も長文書きなので心当たりは大いにあるのですが、主張の正当性を論理に求めるために1から10まで書くと長文になります。そうすると第三者が寄ってこれなくなります。1から10まで書いても、1の時点で異論がある人は2から先は読みません。
- 1についてはいいですね、じゃあ次は2についてはいいですね、と合意を得ながら進むほうが共同作業には向いています。合意を得ながらステップを踏んでいくことで、ドカンドカンと長文を投下することが減るでしょう。
- 具体例では、10月12日 (日) 13:03 (UTC)の-Shain2006さんの「まず問題意識の共有をしましょう」という指摘に対し、射丸蔵さんは一方的な論理を述べるだけで拒否しました。
- 射丸蔵さんはそこで
- 「(1)私は不当な個人攻撃をされた」「(2)これはガイドライン違反だ」「(3)その原因はガイドラインの未整備にある」「(4)反論するのはガイドラインを理解していないからだ」という主張をなさいました。
- しかし実際にはコメント依頼で(1)の主張がその通りであるかどうかの合意は得られていません。
- 「確かに射丸蔵さんは個人攻撃を受けたね。」「しかもそれは不当なものだったね。」という合意がないまま、どんどん先へ進んでもついていく人はどんどん減っていきます。
- 射丸蔵さんの主張にしたがうと、私も(1)に関しては当事者(加害者側)になりかけているようなので、耳を貸していただけるのかはわかりませんが、第三者の意見を傾聴しながら一歩一歩進んでいくという風にはしていただけないでしょうか。--柒月例祭(会話) 2014年10月30日 (木) 07:05 (UTC)
私の意見をもう少し補足します。
- 上記で意見を投じた段階で、件のノートには目を通していましたが意図的にそれには触れませんでした。というのも、この件のどっちが悪いかと、現在未整備の方針・ガイドラインの整備を進めるべきか否かは、話のスケールが違うので切り分けて話を進めるべきかと思います。もちろん、方針・ガイドラインの整備を進めるべきか否かの判断材料の1つとして、個別の事象を挙げて議論するのは有意義なことです。しかし、それが全てではないし、まずノートでの件についてコミュニティーからの意見形成がなされなければ先に進めないというのは勘弁いただきたい思います。
- 上記で大枠として方針・ガイドラインの整備に賛成を投じたのは、私も日本語版ウィキペディアの方針・ガイドライン類はまだ未整備状態にあると感じたからです。未整備となっている理由は、これらの方針・ガイドライン化は不要という合意が上回っているからというよりも、単に方針・ガイドライン化への長い議論の末に参加者が力尽きてしまったから、というものも多いと思うのです。例えば独立記事作成の目安などは、(細かな解釈の違いはありますが)これを基にした運用が日本語版ウィキペディア内で完全に行われているのに、未だにガイドラインになっていません。そういう意味でも、件のノートの件に縛られず、方針・ガイドライン化への議論の活性化を望みます。
- また、議論の進め方ですが、この場をこの話を先に進めるか否かの合意形成の場にするのは難しいし、そうすべきでは無いと思いますよ。まず、射丸蔵さんが提示した議論が良くも悪くも広いので、これに対する返答も多種多様になって、何か1つの合意を形成するのは困難だと思います。議論が抽象的だったり、大雑把にならざる得なくなります。ですので、この場は何かを決定する場ではなく、皆さんがこの件に関連して思っていることについて意見を出して、理解を深める対話の場にすべきでしょう。具体的に賛成・反対を投じる議論は提案中の方針・ガイドラインの各ノートで行うしかないと思います。
--Yapparina(会話) 2014年11月2日 (日) 03:43 (UTC)
返信 (Jkr2255さん宛) ビューロクラットであるJkr2255さんにより、2014年10月29日 (水) 23:37 (UTC)になされた投稿に対して質問するものです。
本来、このような日本語版ウィキペディアの根本に関わる議論に率先して参加すべき、原理・方針・ガイドラインについて幅広く理解している管理者権限を持つ方が参加しないので不思議に思っていた所です。Jkr2255さんは単に管理者権限を持つだけでなく、ビューロクラットという管理者権限付与を行う権限まで持った方なので、その認識や対処について聞きたいと思います。
英語版のWikipedia:Concensusの冒頭に"Consensus on Wikipedia does not mean unanimity (which, although an ideal result, is not always achievable); nor is it the result of a vote. Decision-making involves an effort to incorporate all editors' legitimate concerns, while respecting Wikipedia's policies and guidelines.(ウィキペディアにおける合意は全会一致を意味するのではなく、投票の結果得られるものでもない。決定はウィキペディアの方針・ガイドラインを尊重しながら、すべての編集者の正当な関心を取り入れる努力の中で行われる。)"
とあります。合意は全会一致でも投票でもなく、ウィキペディアの方針・ガイドラインを尊重しながら、正当な関心を持つ利用者の間で為されるものです。それ以前のこととして、五本の柱に代表される根本原理・精神を最重要していることがウィキペディアに真っ当に参加する上での条件です。正当な関心が、その次元から発するものであることは言うまでもありません。
仮に著作権や肖像権の様な法律の専門家の意見をしっかり調べて判断し、文書化しなければならないものを、「わかりづらい」「読みたくない」「そもそもそんな文書はいらない」といった意見に合意して、中身の適当なものをつくってしまったらどうなるでしょうか。ある場合は過剰に解釈されてウィキペディアの記事の価値を下げ、ある場合は法律違反になるという事態が頻発するでしょう。同じことが方針類の整備にも言えます。根本の精神と原理を理解し、それを重視した上で判断していないものは、ウィキペディアの価値を毀損する結果につながります。ちゃんとした理解と正当な理由に基づかない意見に迎合してはいけないのです。
五本の柱の一つである「ウィキペディアには行動規範があります」に、「他のウィキペディアンと同意できないときにも、彼らに敬意を払い、礼儀正しくしてください。個人攻撃や抽象論を振り回すことは避けて、編集が白熱しても冷静さを維持してください。」とあります。これに反している利用者とは当たり前ですが合意を取ることはできません。柒月例祭氏の意見は事実をよく確認しない抽象論ばかりです。Cossy氏の意見は誤解に基づく一方的な意見の押し付けでかなり問題のあるものです。さらに言えば、IP210.197.223.174から為された、あからさまな礼儀を忘れない、エチケット違反の投稿に対して、こういったものにも合意を取っていかねばならないとお考えなのでしょうか。ビューロクラットとして管理者権限を持っていますが、管理者がこのような投稿に対してどう振る舞うかお手本を示してもらいたいのですが。
また、そもそもウィキペディアの根本原理である五本の柱と直結した中核方針が整備されてないことについてどうお考えでしょうか(106.152.221.197からの参加者とYapparina氏との議論が参考になると思います)。--射丸蔵(会話) 2014年11月1日 (土) 14:10 (UTC)
- ビューロクラット(かつ管理者)の権限を勘違いしている模様なので一言。当該権限は「コミュニティの合意に従い」権限を行うことができるだけです。別の言い方をすると、議論の場ではIP利用者・登録利用者・管理者その他の権限行使者(という言い方で良いかしら)は同格です。コミュニティの合意に達していない方針やガイドラインに対して個人の見解を述べることはできるでしょうが、その発言がコミュニティの総意ではありません。
- もう一点、発端となったノートの一節でも指摘されているのですが、見出しに利用者名を掲げないように指摘されています。同じことを繰り返さないでください。--Ritis(会話) 2014年11月2日 (日) 03:56 (UTC)
- Ritisさんも書かれていますが、管理者やピューロクラットの権限があっても、議論の場では一般利用者と同じです。Jkr2255さんに限定して意見を求める必要はないでしょう。
- 射丸蔵さんは、該当のノートで反対意見を出す利用者を「ガイドライン違反」と批判し、ノートの議論が自分の意見と違う形で合意するとこの井戸端で英語版の方針やガイドラインを持ち出し、周囲の反対に遭うと管理者・ピューロクラットの意見を求め…と、自分の正しさを証明して反対者を「制裁」できるような「強い武器」を求めてずっと動いているように私には見えます。
- ガイドラインの改定はWikipedia日本語版全体に影響する大きな作業です。他の方も書かれていますが、「該当のノートでの議論は不当な攻撃だったのか」「もしそうならそれを防ぐ方法は何か」「ガイドラインを改定することでそれは実現できるのか」などと一つ一つ合意を得て進めなければ実現できないでしょう。射丸蔵さんが個人的な感情ではなく、Wikipedia日本語版全体を大局的に考えて行動しているならば、そうした手順が踏めるはずですし、それが必要だと思います。ご自身が何のために動いているのか、よく考え直してみてください。--Shiro0922(会話) 2014年11月3日 (月) 10:50 (UTC)
- 返信 (Ritisさん宛) ご指摘の部分は返信に差し替えました。ただ、元のノートでのそれも含め、無闇にやったことではなく、WP:IARに示されている、改善や良い環境の維持に繋げるために、やったことです(元の件は、明らかに誤った合意が形成されかねないからです)。
- 基本的に管理者は五本の柱の理解はもとより、方針・ガイドラインの幅広い理解を前提としています。誤解や無理解に基づく意見が多出して議論が混乱する中では、その見解を聞くのは有益なことでしょう。特に、Jkr2255さんは新米管理者でなく、より大きな役職も兼ねていることから、ちゃんとした包括的理解があるものと期待した訳です。また、基本的に方針やガイドラインも「合意」です。目前で行われるあからさまな違反行為に対しては、管理者がある程度率先して対処すべきというのが、私の考えです。--射丸蔵(会話) 2014年11月4日 (火) 10:35 (UTC)
- コメント 議論の推移を見つめていたので遅くなりましたが、コメントいたします。なお、直接の返信に当たるコメントと議論全体へのコメントがありますので、分けて記載します。
- (射丸蔵さんへ) 議論の相手を「誤解や無理解」と切り捨てていては、永遠に分かり合うことはできませんし、Wikipedia:合意形成など不可能です。「自分の説明が悪いから納得してもらえない」と相手を善意にとって、わかりやすく丁寧に説明してみてはいかがでしょうか。あと、この状況で「あからさまな違反行為」の「対処」を求めている射丸蔵さんは落ち着かれたほうがいいのではないかと感じました。
- (議論全体へのコメント) 繁文縟礼という言葉や、私論ではありますがWikipedia:鼻に豆を詰めないでというような文書があります。現状の日本語版にもWikipedia:腕ずくで解決しようとしないというような文書がありますし、実際に管理者をやってみた立場からすればだいたいのことは現状でもカバーできています。文書を増やすことが有意義なのか、拙速に行う必要はないので、まずはそこから検討する必要があると思った次第です。
- --Jkr2255 2014年11月4日 (火) 10:58 (UTC)
- わかりやすく説明するための努力はしているつもりですが、より気をつけましょう。
- ただし、正当な理由に基づかない意見に合意を求めて対処し続けることはしません。それはウィキペディアの改善に向けた建設的行為とはいえず、正当性の欠けた際限のない合意形成の泥沼に落ち込むだけです。そして、それが今まで日本語版ウィキペディアにおいて中核方針の整備すら進んでこなかった最大の理由であると私は考えています。私の行動は、Wikipedia:合意形成にある「ある場所のある時点における限られた編集者グループでの合意は、より大きな規模のコミュニティの合意を無効にすることはできません。」にもとづいています。五本の柱といった最も大きくかつ原理的な合意、それに基いて個別に表された方針・ガイドラインといったものと一体になって為されるものがウィキペディアにおける正しく有効な合意であり、目指すものです。
- 私論文書の用い方や内容のほとんどが太字強調の一方的な物言いに対する受け取り方に関して、言いたいことはありますが、そういった議論を行うことが目的ではないのでやめておきます。全体に現在の日本語版における一管理者の意見として受け止めます。--射丸蔵(会話) 2014年11月4日 (火) 11:47 (UTC)
- 誤解だ主観だ印象だ、と私含めたくさんの方の意見を無視する態度を決め込まれていますが、それが「誤解」だってのも、相手の意見が「正当な理由に基づかない」ってのも、射丸蔵さんの「主観」でしょ。悪い「印象」を抱かせない表現も説得の技術なんじゃないでしょうか。今の調子では射丸蔵さんが抑制したがってるはずの「ルールの悪用」「法律家ごっこ」に向けて文書を用意してる「印象」です。 はいはい、これも「正当な理由に基づかない主観」って言うんでしょうね。文章の長さとかじゃなくて、意見の表明数で数えたら、射丸蔵さんに賛同する意見が多いか反対する意見が多いか、分かるんじゃないですか? それもまた「誤解してる人が多いだけ」とか言いそうですけど。--Cossy(会話) 2014年11月4日 (火) 13:01 (UTC)
- もう1点のみコメントします。これも私の見立てに過ぎませんが、おそらく射丸蔵さんが「明らかだ」と考えていることに対して、他の利用者が意見を異にしているので、射丸蔵さんから見れば理不尽な反対に見えているのではないのでしょうか。論理を飛ばさず丁寧に追ってみる、あるいは反対意見との対話を通じることで、その理解の差異が判明すれば、これは改善できるものです(文字のみでやり取りするウィキペディア上ではよくある話で、私自身何度か経験していますし、「岡目八目」で気づいたこともあります)。反対意見を「理由がない」と切り捨てて置いていくのと、丁寧に掘り起こして誤解を解いた上で、たとえ反対にしてもきっちり筋を通すのとでは、どちらが望ましいかは改めて語るまでもないでしょう。なお、私自身も加熱しかねないので、何かを返答する場合でも、この書き込みから24時間以上の冷却期間を置くこととします。--Jkr2255 2014年11月4日 (火) 13:21 (UTC)
返信 (Jkr2255さん宛) ウィキペディアにおける運営・参加も含めた絶対的な前提、つまり覆しようのない究極の合意は五本の柱に表された原理と精神です。最低限これを了解し、それに沿って行動する者同士でしか、そもそも合意は成り立たないんですよ。
日本語版ウィキペディアにおいて「目的外利用者」という言葉が使われることがあります。その「目的外利用者」とは、五本の柱に表された原理と精神に反して活動する利用者のことです。
五本の柱を逆に言えばこうなります。
- ウィキペディアで百科事典的でないものを作り上げようとする者は目的外利用者です。
- ウィキペディアに中立的な観点でないものを反映させようとしているのは目的外利用者です。
- ウィキペディアを誰もが自由に使えないものにしようとするのは目的外利用者です。
- ウィキペディアで行動規範を守らず行動するものは目的外利用者です。
- ウィキペディアをまったくの規則主義で運営しようとするものは目的外利用者です。
あらゆる合意は原理に従い、それに近づけることを目的に行われなければなりません。それは個々のプロジェクトを越えた絶対的合意です。原理を守らない相手に合わせて妥協を迫るのは、それもまた原理に反した行いです。この場合、原理に反した行いをしている者が、行動を改めるか、(自発的にしろ強制的にしろ)出ていくかしか選択肢はありません。あなたやCossy氏の主張は、こういった五本の柱やそれから派生した方針・ガイドラインを守ろうが守るまいが目の前にいる利用者と合意するのが最優先というものに見えます。原理を無視し、方針やガイドラインを軽視する者にまで「何でも仲良く」と合意を繰り返して行けば、それによって原理を軽視する利用者が増え、逆に原理を重視する利用者は「合意」のために手間を取られ活動がしづらくなり去って行きます。このような状況が続けば、原理を軽視する利用者は現に通用していることを当たり前と感じてさらにそのような行動が横行していきます。
日本語版においては、百科事典であるという前提は守られ、NPOVから発生した記事に関する方針類は過剰なぐらい適用されてきました。フリーであることはシステム上保証されています。問題は、そうして敷居が低く誰でも参加できることによって必然的に発生する負の要素を抑制する「行動規範」に対する理解や意識が低いため、ちゃんと守られておらず、さらに最後の「確個としたルールはない」が方針次元で整備されていないため機能していないことです。それを改善しようというのが私の提案です。
あなたが言うように、よくわかってない人に理解しようとしてもらうことは必要でしょう。少なくとも私は努力しているつもりです。しかし、基本原理すらわかってない、重視しない人に合意してもらうために限りある労力を費やすことはできません。それは私個人が必死で努力してどうこうする次元のことではなく、ウィキペディアに参加する時点で、把握しておき、守り、共通目的として持っていなければならないものだからです。--射丸蔵(会話) 2014年11月4日 (火) 15:33 (UTC)
- jkrさんとのやり取りが興味深かったので、コメントしておきます。「五本の柱やそれから派生した方針・ガイドラインを守ろうが守るまいが目の前にいる利用者と合意するのが最優先」というお言葉がありますが、実体として既存でプロジェクトに残っている方々の「大半は」その通りのお考えをお持ちであろうと思います。ライフサイクルイノベーションという言葉がありますが、プロジェクトのライフサイクルから考えた場合、その黎明期、成長期と異なり現在参加している方々の動機は必ずしも理念を理解しそこにまず強く賛同共鳴した方々と言うわけでは無いようです。黎明期に方針整備を行っていた方々と比べ、現在の参加者の能力や議論の質は正直全く比較対象となり得ない程であり、射丸蔵さんの出現は私には非常に新鮮でした。沈黙を守りつつ経緯を見守ていらっしゃる優秀な方も中にはいらっしゃると思います。ここまでの推移を見る限り、合意形成についてある程度現在のような状態に陥るだろうとは予測していましたが、前提議論や五本の柱を中心とする理念と方針の関係まで議論が発展した後、どのような展開になるのだろうかと見守らせて頂きました。残念ながらそのレイヤーで議論を行える人材はいない。いても沈黙を守っている。それが悲しいかな現状です。射丸蔵さんに少しお考え頂きたいのですが、プロジェクトがキックオフし理念が作成された時代と、現在とでは基本的前提とする技術環境が違うとは思いませんか?オープンデータやキュレーションサービス、センシングテクノロジー、クローリング技術、ビックデータ解析。これらのテクノロジーが今少しづつ台頭しつつありますが、当時まだこれらの技術が語られなかった時代、少なくともその作業の多くを人的リソースで「百科事典」を作成してみようと言う実験的意図の元に、恐らくはプロジェクトは作成され理念は設計されたのだと思います。ここからは更に推測ですが、プロジェクトの真の目的はそのライフサイクルとクラウド化した参加者同士の編集や方針形成等の行為の観察分析であり、これまでの履歴と累積データはすでに新しいテクノロジーにフィードバックされつつあるように思います。少なくともGoogleはそれらの意図を持って本プロジェクトの支援に参加したことはまず間違いないのではないかと。既にここに壮大な実験記録が出来上がっており、このデータを分析して次のステージはここではない場所で出来上がりつつあると言うのが私の見解です。射蔵丸さんの試みとしては面白いと思いますが、理念が1度もメンテナンスされていないと言うことは、その理念に寿命があると言うことではないかと。さて、それでもこのプロジェクトに残る人々はどうして行くのか?と言うのがそもそもこの議論のスタートなのかもしれません。個人的意見ですが参考まで。--106.152.220.113 2014年11月8日 (土) 13:56 (UTC)
- 私には高位の管理職に就いている方や、実名である程度社会的責任と絡めて活動をされている方がどう考えておられるのかよくわかりませんが、財団が提示する原理を守った上で問題が起きた場合は財団に責任丸投げでいいんでしょうけど、原理すらまともに守れていない運営で問題が発生した場合、財団が全責任を持つとは限らないんじゃないですか?
- 五本の柱次元で理解に溝がある方と話を続けても建設的ではないでしょうし、議論の中でその取り扱いに問題があることがハッキリしたので、Jimboないし財団に相談してみようと思います。--射丸蔵(会話) 2014年11月15日 (土) 22:31 (UTC)
- すみません、どう解釈して私の発言が「こういった五本の柱やそれから派生した方針・ガイドラインを守ろうが守るまいが目の前にいる利用者と合意するのが最優先」だと受け止められたのでしょうか。WP:IARを引くまでもなく、ウィキペディアの文書どうしの関係は複雑で、ときに矛盾していたりもします。そのような状況下では、それぞれの解釈にも各人ごとに違いは十分に生じえます。射蔵丸さんから見れば、ここにいるのは方針も理解しない人たちなのかもしれません。しかし、私から見れば、それぞれの参加者は自分なりに方針を理解して行動している、少なくともそう信じます。射蔵丸さんは、自身の五本の柱、方針解釈を前提として話を進めようとしているので、異なる解釈をする人は議論にも加わらせてもらえない、そういうことになってしまいます。まずはその解釈を確かめることからはじめてみませんか。--Jkr2255 2014年11月8日 (土) 14:24 (UTC)
- 2つ、射丸蔵さんのお考えを確認させてください。
- 現状の日本語版ウィキペディアの現状・現在の姿・実際の姿は、「本来の理念」から大きく逸脱していて、それが大きな、もしくはたくさんの、あるいは頻繁に、問題として顕在化しているとお考えでしょうか。
- 今回の射丸蔵さんが提案なさっている一連の「行動」ですが、(この場では敢えてニュートラルに「改善」ではなく「変更」と表現させてもらいますけども)、「(本来の)理念」がどういうものであれ、日本語版ウィキペディアの「現状」「実際の現在の姿」を大きく変更することになるものだとお考えですか?それとも限定的なものでしょうか?変更の影響を受ける利用者は多いと思いますか、少ないと思いますか?行動の修正を迫られる利用者は多そうでしょうか、少なそうでしょうか。--柒月例祭(会話) 2014年11月4日 (火) 16:41 (UTC)
- コメント Wikipedia:鼻に豆を詰めないで --Starchild1884(会話) 2014年11月4日 (火) 22:18 (UTC)
- 中核方針と重要なガイドラインを整備した場合の影響は、自発的に原理や方針を学び、そういったものに沿って活動をしている者は、特に何の影響も受けません。強いて言えば活動がしやすくなるでしょう。まだ習熟していない利用者は、文書を参照することで、適切な活動を容易に行えるようになります。原理に反した問題行為をしている利用者は、行いを正したり、対処されるまでの速度が上がります。この三つの要素はどの利用者も多い少ないの差はあれ持っているものだと思います。単に利用者個々を色分けできるわけではなく、そういった要素いずれにも対応して改善するということです。--射丸蔵(会話) 2014年11月5日 (水) 10:52 (UTC)
個々の行動
[編集]英語版のそれぞれを対訳形式で全訳したものを作成しました。上二つはガイドライン化提案です。訳文の確認・訂正など、協力できる方はお願いします。--射丸蔵(会話) 2014年10月13日 (月) 11:42 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼で告知を行い、Wikipedia‐ノート:妨害的編集#正式化への意見募集を設けました。意見のある方はご参加をお願いします。--射丸蔵(会話) 2014年10月28日 (火) 15:17 (UTC)
Wikipedia:カンバスのノートで改名提案をしています。この指針に関しては、合意形成と合わせて記事内容を更新した方がいいですが、現状のものでも指針として役立つものです。--射丸蔵(会話) 2014年10月28日 (火) 15:17 (UTC)
Wikipedia‐ノート:方針とガイドライン#「ガイドライン」の「指針」への改称で、現在「ガイドライン」と呼ばれているものを、その一般的な訳語である「指針」に改称することを提案しています(Wikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼で告知済み)。 元々"guideline"を「ガイドライン」と仮にカタカナ読みしたものが、以前にpolicyの「方針」改称とともに提案されたものの、議論が放置された結果、方針・ガイドラインと呼び方に齟齬を生じる状態になっています。この際、「方針・指針」と統一性のある形で呼ぶようにした方が良いと思います。--射丸蔵(会話) 2014年10月29日 (水) 15:36 (UTC)
- 全般的な議論の進め方に密接に関連しますが、その提案で射丸蔵さんは圧倒的な反対を受けている訳です。問題意識を抱くのは結構ですが、あなたのセンスがWikipediaのコモンセンスと乖離していることは認識してください。 その乖離を「Wikipedia編集者の衆愚」と思われるようなら、どうかWikipedia外のもっと高尚なところに活動拠点を捜してください。乖離したセンスでWikipediaの案内文書の整備に関与されるのは、はっきり言って迷惑です。--Cossy(会話) 2014年11月1日 (土) 12:14 (UTC)
- 射丸蔵さんのこれまでの不誠実かつ独善的なコメントは、他の編集者の方の心証を悪くしています。これでは合意を得られないことは目に見えています。たいそうな提案をぶち上げる前にご自身の編集姿勢を根本から見つめ直してください。--田無稲子(会話) 2014年11月4日 (火) 10:27 (UTC)
この節はそもそも、個々の改善行動を報告するために設けたものです。直接関係ない書き込みは行わないでください。
誤解や主観に基づいて度々提案の停止やウィキペディアからの退場を求めるCossy氏の意見もそうですが、田無稲子氏の意見もかなり問題のあるものなので指摘しておきます。
- 「悪意をもって相手を非難する、あるいは根拠無く相手を非難する行為を繰り返す。「○○は荒らしだ」、「△△は悪い編集者である」など。」
Wikipedia:個人攻撃はしないに以上のようにあります。
こういった投稿をする前にWikipedia:論争の解決#レベル別の反論の仕方をよく読んでから行ってください。合意形成は、正当な根拠に基づく合理的理由をすり合わせ、積み重ねていく作業の上に成り立つものです。誤った理解や、根拠の無い、また間違った根拠に基づく主張のぶつかり合いではありません。Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合うには、「議論の際には、礼儀を忘れず、冷静に、個人攻撃はしないようにしてください。相手の人格や背景を疑った意見、相手を馬鹿にした意見は、互いを感情的にし、混乱を呼ぶだけだから避けて下さい。」とあります。Wikipedia:ノートページのガイドライン#認められない行為も参照してください。
こういった方針やガイドラインを踏まえて行動し、議事妨害になるようなことは行わないでください。--射丸蔵(会話) 2014年11月4日 (火) 11:18 (UTC)
Ignore all rules(ルール全てを無視しなさい)の精神、つまり積極的な良い面を説明し、逆に不適切な適用も説明した、用いる際の判断を全般的に述べた私論を転載・翻訳しました。WP:IAR自体は本文がごく単純であることが強く合意されているので、これが準公式文書になります。翻訳の確認・訂正を行ってくださる方は協力をお願いします。--射丸蔵(会話) 2014年11月4日 (火) 15:40 (UTC)
ノートでWikipedia:常識なんてない,Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説との関係性が指摘されたので、一旦差し戻しました。Ignore all rules(ルール全てを無視しなさい)のノートで上記二文書との整理統合(二文書とも部分的な古い版です)、またガイドライン化も含めて再度提案します。--射丸蔵(会話) 2014年11月15日 (土) 21:44 (UTC)
コメント依頼
[編集]報告 Wikipedia:コメント依頼/射丸蔵を作成しました。射丸蔵さんの態度・言動などへのご意見をよろしくお願いします。--Shiro0922(会話) 2014年11月9日 (日) 15:33 (UTC)
- なお射丸蔵さんは11月25日を最後に、ほぼ1ヶ月ほどWikipediaの編集から離れているようです(特別:投稿記録/射丸蔵)。こちらの議論も1ヶ月以上止まっていますし、クローズしてもいいのではないでしょうか。--Shiro0922(会話) 2014年12月24日 (水) 14:40 (UTC)