Wikipedia:井戸端/subj/ソーシャルゲームの記事で非常に多数のキャラの一覧を掲載する是非について
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ソーシャルゲームの記事で非常に多数のキャラの一覧を掲載する是非について
[編集]いわゆるソーシャルゲーム(厳密には主にスマートフォン向けのアプリゲーム)は、ルートボックスによりキャラクターを入手していくことが特徴的ですが、そのキャラクター数が数十から数百あるいは1000以上に及ぶ作品も少なくありません。そのような作品の記事において、「登場人物」節や「〇〇の登場人物」分割記事に全キャラクターを記載することの是非について、ご意見をお聞かせください。なお、Wikipedia日本語版の現状として、ゲーム分野ではキャラクターに限らず記述の過剰な傾向が見られるため、幅広く予断ないご意見をいただくために、ウィキプロジェクトではなく井戸端に投稿しました。
- ゲーム作品の数十から数百以上に及ぶ登場キャラクターをすべて記載することは許容されますか。許容される場合、何人まで許容されますか。
- キャラクター別に声優やイラストレーターが当てられている場合、上の判断に影響しますか。あるいは、声優やイラストレーターを記載するために全キャラクターを列挙することは妥当ですか。
- ゲーム自体もしくはキャラクター別に原作が存在する場合、上の判断に影響しますか。あるいは、原作を記載するために全キャラクターを列挙することは妥当ですか。
参考として、以下に関連すると思われる方針やガイドライン等を挙げます。
以下は関連する(かもしれない)過去の議論です。長すぎるという意見は出されたことがあるようですが、列挙そのものの是非についての議論があれば、教えていただければ幸いです。
- Wikipedia:井戸端/subj/一部の縦に長い表にスクロールバーを導入し見かけ上短縮する提案 - 『艦これ』や『けもフレ』のキャラクター一覧が長すぎる件について
- ノート:艦隊これくしょん -艦これ-/過去ログ1#声優・イラストレーター情報について - 長すぎるキャラクター一覧の行数を削減する方法について
- Wikipedia:井戸端/subj/映画の記事でテレビの吹き替えの声優名まで個々に記す必要があるのか? - 分量というよりWP:JPOVの問題?--メリース(会話) 2019年8月20日 (火) 07:25 (UTC)
コメント すみませんが、いくつか具体例を挙げていただけますでしょうか。キャラクター名を全てを列挙する必要はないと思いますが、結局のところ程度問題ですので具体例があった方がわかりやすいかと思います。--たびびと551(会話) 2019年8月20日 (火) 07:33 (UTC)
- 返信 キャラクターの総数が4,000を超えるモンスターストライクではさすがに列挙されていません。以下の作品記事では、いわゆるプレイアブルキャラクターがほぼ全列挙されています。どの作品にも声優が併記されていますね。よく知らない作品もありますので、カウントミスはご容赦ください。
- バンドリ! ガールズバンドパーティ!:31体
- プリンセスコネクト!:第1作に55体、第2作に64体(重複あり)
- 刀剣乱舞:79体
- ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル:86体
- きららファンタジア:実装済みが129体
- ガールフレンド(仮):155体
- 艦隊これくしょん -艦これ-:艦娘が228体(3回列挙されている)
- けものフレンズ:ネクソン版に368体--メリース(会話) 2019年8月20日 (火) 15:56 (UTC)
- 返信 確認しました。基本的にWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありませんに抵触すると考えられます。私は上記のいずれのゲームも未プレイなので正しい知識があるわけではないのですが、バンドリ! ガールズバンドパーティ!以外はアウトでしょう。バンドリに記載されているのは登場人物で、ガチャで出るカード?(アイテム)ではないので許容範囲かと思います。他はキャラクターといえどガチャのアイテムであり、WP:NOTGUIDEの特筆性あるものを除きリストとして記載するのを避けるべきものに該当します。また、記載されている表についても、ガチャ実装日やゲーム内パラメータ、声優、イラストレーターなどデータを集めただけであり、ゲームの内容を理解する上で不要のものです。登場人物としてストーリーに絡むのであれば、文章で書けるでしょう。参考に個人的な基準として、ファイアーエムブレム ヒーローズを挙げますが、オリジナルキャラクターはOKですが歴代キャラクターはアウトといったところです。--たびびと551(会話) 2019年8月21日 (水) 18:42 (UTC)
- 一番酷い例として『けものフレンズ』の例で言うと、ゲーム開始時入手の『サーバル』やチュートリアル報酬の『アフリカニシキヘビ(アカニシ)』『ニホンカワウソ』『タヌキ』を例に挙げる位で、後はバッサリ切っても良いんじゃないかと思います。キャラクター部分だけを見ての感想ですが。
- 『スクールガールストライカーズ』のようにストーリーに密接にかかわるなら、数十人以上いても構わないと思いますが、ただの名簿としてしか表現できないようなキャラは、開始時報酬やチュートリアル報酬のキャラを例示として挙げるだけで、それ以上は過度じゃないかと思います。
- 数十人以上のキャラを記載する事を許容できるか?
→ストーリーに密接にかかわり、『文章で説明できる』(当然ながら『レアリティが○○で~』みたいな記述は含みません)なら有り、表でしか記述出来ないならNG、という感じでしょうか。 - 声優や絵師の存在は影響するか?
→『その声優や絵師が参加している事自体』に特筆性がある場合を除き、影響しないと考えます。例え主役クラスの常連な声優さんや、ミリオンヒットを連発した漫画家さんが担当していたとしても、『担当した事自体』に特筆性がないなら影響しないかと。 - 原作などの存在は影響するか?
→大乱闘スマッシュブラザーズXのような場合なら影響すると思います。これは、『その原作のキャラが参加していること自体』に特筆性が有ると考えるからです。
- 以上、僕の私見を述べさせていただきました。ただ、除去する場合には、事前に当該記事のノートにて合意を得てからでないと、『除去の強行』として差し戻される可能性が高いので、そこで説得できるかが難しい所かなと思います。(そうでなければ、とっくに除去されていると思いますので)--お好みでタピオカをおかけください(会話) 2019年8月21日 (水) 19:37 (UTC)
- コメント一般的に主役級の登場人物が多いフィクション記事の場合、登場人物節が長くなりがちなので、積極的に「〇〇の登場人物」という記事に分割して記述するべきでしょう。何人なら許容とか人数の問題でなく、記事のバランスの問題になります。--Afaz(会話) 2019年8月22日 (木) 03:20 (UTC)
- 返信 お三方におかれましては、お答えいただきありがとうございます。特筆性なきキャラクターを全列挙することはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに抵触するという見解をいただきました。もう一つ伺いたく存じます。
- 4. ゲーム系を中心に、メディアが声優やイラストレーターに言及することは一般的です。その中で特筆性ありと判断するためには、単に「○○(キャスト:□□)が参戦」とか「●●(キャラデザ:■■)が実装」という言及では足りないという意味ですか。--メリース(会話) 2019年8月27日 (火) 06:00 (UTC)
- コメント久々に井戸端を見ましたら気になる議題がありましたので所見をば。キャラクターが多いから記事のバランスを欠いて問題なのか、キャラクターに特筆性がないから除去すべきかは別問題であると考えられます。例えば例示された中でプリンセスコネクトと艦これはプレイした経験があるので具体的な話ができるのですが、プリンセスコネクトであれば各キャラクターの個別のコミュニケーション、さらに参加するイベントなど記述の余地があり、声優が誰か、いつ実装したか以上の発展性が見込めます。艦これはゲーム性から考えて時間に合わせて少しセリフをしゃべるなどでストーリーなどの記述はできず発展性に難があります。当該記事でキャラリストに対して議論をした覚えもあります。以前から私はリストを羅列するだけのものが百科事典として記事の解説に寄与するものなのか懐疑的な立場をとっているのですが、裏を返せば羅列するだけでなくちゃんとそれぞれに対して解説するべきであるという考えがあるからです。解説できる、記事の発展性の余地があるものをリストであるから除去すべきとなるのであればそれは拙速であると考えます。艦これに関してもアニメの方であれば記述は可能であるとしてアニメ記事が独立した際にキャラクターの個別の説明の余地が生まれました。例示された中では刀剣乱舞も同様の余地があるように見受けられます、けものフレンズなんかはすでにそうなっていますか。--はぬまん(会話) 2019年8月28日 (水) 19:23 (UTC)
- (追記)以前の議論してた際にも失念していたのですが艦これは資料集が発売されており独自研究に寄らない記述の余地があります。リスト化に批判的なのはこういった記述の発展の余地を奪っているのもあります、まして艦これのように3回も個別に声優別などと分ける必要性があるかは疑問が否めません、兼役がそこまで作品の重要なファクターを占めているとは考えられませんし。他のソーシャルゲームなどでも、資料集などが発売されるほどでもない作品は名前を並べ立てるしかないケースはまま見受けられますが、逆に十分な検証可能素材があるのに並べ立てられているものは、ただ編集者の手が入っていないだけの発展の余地があるものと判断できます。--はぬまん(会話) 2019年8月29日 (木) 11:11 (UTC)
- 返信 (はぬまんさん宛) ご意見ありがとうございます。プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述は《作品記事中の登場人物や設定節はあくまで作品解説の一手段であり、作中要素の設定を個々に解説することが目的ではありません》と述べています。これは作品記事についての規定であり、登場人物一覧記事に分割する場合は《作品記事と違い登場人物等を個々にリストアップすることが目的となるため、作品記事では触れられなかった事物にまで言及することができます》とあります。一方で、作品記事の中で《作中要素の解説を目的とした記述(中略)を見つけた場合は肥大化した記述を分割するのではなく、まずは本来の目的に戻って記事内容を整理するように努めてください》ともあります。ソーシャルゲームの性質上、多数のキャラクターを個々に解説すると記述が肥大化する可能性が高くなります。そこで伺いますが、キャラクターの一覧を記述するなら、作品記事と登場人物一覧記事のどちらがふさわしいとお考えですか。--メリース(会話) 2019年8月30日 (金) 03:05 (UTC)
- 可読性の観点で見れば肥大化したものは望ましくないため登場人物一覧記事の方がよいかと考えます。ソーシャルゲームに限らず登場人物が多いような作品、例えば「銀河英雄伝説」などのように分けられているのはおかしいことではないでしょうし、往々にして言えることですが作品の解説に必要な人物のみを記載するとなると必要最低限になりすぎる傾向が見受けられます。また、記事の整理の際にトラブルになりやすく、作品記事で最低限に、人物一覧記事で詳しくといった形の方が採用されやすいとも考えます。逆説的に、一覧記事が成立しないようなただ名前を並べるしか書きようのないものはそれそのものの必要性に乏しいということでもあるかと考えられます。もちろんただ一覧だけになっているからいらないというものでもありませんが。--はぬまん(会話) 2019年8月30日 (金) 05:00 (UTC)
- 返信 (はぬまんさん宛) 2点の確認と1点の質問をします。
- 「作品の解説に必要な人物のみを記載するとなると必要最低限になりすぎる傾向が見受けられます」とのことですが、「作品の解説に必要な人物のみを記載する」のはウィキペディアのガイドラインに定められた方法です。「必要な人物」をすべて記載すれば「必要最低限」を満たすはずで、問題はないと思います。
- 『銀河英雄伝説』は大作であり「必要な人物」のみを記載しても分量が多くなるのはやむを得ないと思いますが、ソーシャルゲームの中には大作でもないのに登場人物だけが多いというものもあります。「必要な人物」の数は作品の重厚さに比例しますが、登場人物の総数には比例しないと思います。
- 「ただ一覧だけになっているからいらないというものでもありません」とのことですが、「ただ一覧だけになっている」ようなキャラクターの一覧を記載する場合、作品記事と登場人物一覧記事のどちらがふさわしいとお考えですか。--メリース(会話) 2019年8月31日 (土) 03:12 (UTC)
- 1点目ですが、申し訳ありません、逆に確認せねばならないことがあります。「作品の解説に必要な人物のみを記載する」とはどのガイドラインにて定められたものでしょうか?まして「必要な人物」という編集者の見解によって意見の分かれかねないものを基準とし、「のみ」という強い文言を使われるのには違和感を感じます。ガイドラインを議論で持ち出される場合は具体的にどのガイドラインでの文言を指しているか示すべきです。おそらくはプロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述でのことを大まかにおっしゃられているのだと思うのですが、Wikipedia:過剰な内容の整理は「『銀河英雄伝説』は大作であり「必要な人物」のみを記載しても分量が多くなるのはやむを得ない」とおっしゃるように作品によってそれぞれ異なる面があり運用の仕方が一律にできない点が挙げられます。一覧記事が話に出ていたので意識として作品記事と一覧記事が存在した場合、作品記事にも最低限登場人物に対する言及を残すべきというプロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述#分割の際の注意を前提とした言い方になっていました。得てしてこのスタイルになっている記事は主人公とヒロインぐらいしか書かれていないものが多いのです。
- 2点目。「大作でもないのに登場人物だけが多い」。逆説的に何が大作だから許容していいのかという判断材料に欠きます。さらに作品が成長し大作と見られるような規模に後々なったとしてもそれを編集者の裁量で扱えるものではないように思われます。そのため、記述の発展性の見込みといったことを理由としています。例えるならば、モンストなんかではプレイヤー数でいえばソーシャルゲームでも圧倒的な数を誇り、その圧倒的なプレイヤー数があればこそ支えられるキャラクターの豊富さを特徴として記載する、という観点も持ちえます。大作であるから良い、大作でないからダメというような権威主義的な判断基準は交えるべきではないでしょう。
- 質問に対して。経験として、一覧でしかないものは不要とぶち上げて大変な反発を受けたことがあります。それを踏まえルールで規定して消せるようなものとするのはガイドラインなどの運用とコミュニティの実態にそぐわないものとなるのではということで最後に「ただ一覧だけになっているからいらないというものでもありません」と付けました。質問そのものに答えます、作品記事に記載されるべきでしょう。発展していない、発展の余地がない以上一覧記事を分割するのは記事としての独立した特筆性を担保していないように考えられます。--はぬまん(会話) 2019年8月31日 (土) 10:00 (UTC)
- 返信 (はぬまんさん宛) 1点目について。「作品の解説に必要な人物のみを記載する」とはプロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述の言う《作中要素への言及はその作品の概要を理解する上で不可欠なものに絞り》の規定に基づいています。WP:NOTを鑑みても「作品の解説に必要な人物のみを記載する」のは当然です(人物は作中要素の一つです)。必ずしもすべてのキャラクターを記載する必要はないという意見が、上でお二方から出されています。
- 2点目について。私は一般的なソーシャルゲームについて質問したのですが、『銀河英雄伝説』という誰もが認める大作小説とは判断基準が異なるのではないかと思います。ただ、どれが大作でどれが大作でないかと、大作の定義を決める必要はありません。作品ごとに必要な文章量は異なりますから、個別に議論して決めれば良いでしょうし、作品が成長すれば改めて決めるべきでしょう。
- 「記述の発展性の見込み」があるのに「ただ一覧になっている」状態を作り出したのが問題の始まりで、一覧作成者には最初から有意義な一覧にする責任がありました。そのような一覧の存続を主張する人にもその責任の一端があるように思います。「発展性が見込まれ、いつか誰かが編集するだろう」と主張するだけでは存続の理由とならないでしょう。参考として、本議論は独立記事作成に関するものではありませんが、Wikipedia:独立記事作成の目安#特筆性は一時的なものではないというガイドラインもあります。
- 「モンストなんかでは(中略)キャラクターの豊富さを特徴」とするならば、そのような一文をもって「キャラクターの豊富さ」を説明できると思いますが、実際に多数のキャラクターを列挙する必要はあるのでしょうか。
- 3点目について。反発を受けたとしても、方針ガイドラインに沿った議論をすれば、最後には正しい結論(存続or除去)が導かれるでしょう。方針ガイドラインに沿わず感情論で反発する方がいらっしゃれば問題ですが、議論前から心配することはありません。確かに、上で「そこで説得できるかが難しい所かなと思います。(そうでなければ、とっくに除去されていると思いますので)」という意見も出ましたが。--メリース(会話) 2019年9月1日 (日) 09:00 (UTC)
- ここまでの議論を読みましたが「登場人物」の記載方法というものをみなさん十把一絡げにされているように思います。たとえば、けものフレンズの現状の記法は、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」の定めるところではなく、これは単純なデータベース的な記述と認識すべきものであると存じ上げます。もちろん、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかには「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」がありますが、全体的なバランスを考えていけば、データベース的な部分があること自体は、それ単体では問題視されえない。そうした記法でなりなっているものと、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」の範疇にあるような、ごくごく一般的な登場人物記事を一緒くたにするのは無理があるように思います。
- いちいち、キャラクターの個性がなんだ、メインストーリーにおける活躍はなんだと、記載するだけの価値があるゲームなら、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」などに従って書けばよいのではないですか。一方で、艦これや刀剣乱舞、けものフレンズのように、元になる何かがあって、一覧化することに価値があるなら、(もちろん、他節での社会的影響や評価なども記載した上での記事全体のバランス踏まえて)データベース的に記述するのも妥当ではないですか。特にこの3種なら社会的評価も含めて記事全体のバランスを取ることは容易いと思います。
- あとまあ、銀河英雄伝説が例題に挙がっておりますが、それだって正直微妙なものが多く、銀河英雄伝説の歴史上の人物に歴代皇帝の記載があるのは、ホント、ウンザリするほどの低質であって、大作だったら、どうでも良いキャラの記載も許されるなんてことも無いと申し上げておきます。 --EULE(会話) 2019年9月1日 (日) 11:39 (UTC)
- 返信 (メリースさん宛) 1点目。論拠となる文章を確認しましたところ、続く文章の締めに「好まれます」という言い回しを用いられています。推奨するものではありますがメリースさんのおっしゃるような「のみ」という制限するような文章とはなっていません。WP:NOTはアバウトな面がありますのでフレキシブルな運用が可能ですが逆説的に何でも一律に運用できるものではないと既に触れているかと思います。
- 2点目ですが、どうにも議論の噛み合わなさを感じるのですが。すでに申しております通り私はリスト化して並べ立てられているだけのものに対しては批判的です。かっちりした表として作られると発展の機会すら奪われると。新キャラクターが増えるたびに伸びるだけの表に発展性があるとは考えません。しかしどれだけそのような形式を批判したところで実際的にそれぞれの記事の編集者が実作業をし、どのような記述がいいかと合意をするのです。ルールを規定するばかりで現実的な編集者各々の意向を無視するのでは実態に即していないように思えます。それゆえこれまでもただ消せばいいというものではないというスタンスを繰り返しておりました。3点目にもつながりますが、プロジェクトの議論に誰しもが参加しているわけではないのですから。
- EULEさんのデータベースに対してですが、すでに申しておりますようにデータベースでしかないもの自体に批判的な立場なわけです。銀河英雄伝説を持ち出した私ですが、これも自体に即していない例の一つであると思います。ざっと見ただけでも実作業を考えると頭の痛い状態になっていますから。経験談で失礼しますが、機動戦士ガンダム THE ORIGINで、それこそ過剰な加筆、独自研究が行われ、あまりの量に実作業を断念したことがあります。安易に消してしまえで終わる話ならば楽なものですが、消していいか残すべきかの判断は内容によって精査すべきで、発展性の有無などの判断などの話にもつながってくる話かと思います。脱線失礼しました。--はぬまん(会話) 2019年9月1日 (日) 16:53 (UTC)
- 返信 (EULEさん宛) ご意見ありがとうございます。私の発言について誤解のないように補足いたします。私は「どんな場合でも全キャラクターを記述してはならない」とは考えておりません。「作品の解説に必要な人物のみ」というのが全員を指すならば、全員を記述すべきです。「作品の解説に必要でない人物」なら記述する必要はない、というのは言うまでもないでしょう。特に本件の議題である、キャラクター数の非常に多いソーシャルゲーム記事においては、肥大化を防ぎ可読性を保つために記述内容を整理することは重要と考えています。
- 「キャラクターの個性がなんだ(中略)と、記載するだけの価値があるゲームなら、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」などに従って書けばよい」とのご意見については私も同感ですし、本件議論の参加者で反対する方はいらっしゃらないでしょう。一方で「艦これ(中略)のように、元になる何かがあって」も必ずしも「一覧化することに価値がある」とは言えず、一覧化する以外の方法で作品自体を解説するほうが適切な場合もあるのではないか、というのが本件議論を提起した動機です。
- 個々の記事について議論するつもりはありませんが、例えば『艦これ』なら、すべての艦娘を記載しなくとも「艦娘とは、軍艦を少女に擬人化したキャラクターであり、駆逐艦や戦艦など多数の艦娘が登場する」ということを艦種や何人かの艦娘を例示しながら説明することもできるのではないか、228体に及ぶリストを提示しなければ理解できない要素はあるのか(先日のアップデートでさらに増えたけれども、新たな艦娘をも逐一追記していかなければ理解できなくなるのか)、ということを疑問視しています。
- なぜ疑問視するのかというと、この種のゲーム作品は他種のゲーム作品と比較して、ルートボックスの景品という都合により作品(シリーズ)の規模に比してキャラクターが非常に多数であり、『艦これ』なら「艦娘」という端的な括りがあって一括で説明しやすく、典型的な作品ではキャラクターは「登場人物」というより「戦闘ユニット」であり、物語の本筋に全員が関わっているわけでないという意味で「モブキャラ」にも近い、という「キャラクターの重要性」にも関わるこの種のゲーム作品特有の諸事情があると考えるからです。もちろん、ソーシャルゲームだから、ガチャのキャラクターだから、一覧は必要ないと主張しているわけではありません。
- 「データベース的な部分があること自体は、それ単体では問題視されえない」とのことですが、本件の議題においては、記事中のデータベースとしては数量が過剰なものもあるのではないか、とも感じます。
- なお、登場人物の記述が肥大化する場合、削減を検討・実施してもなお必要なら登場人物一覧記事に分割することを私は否定しません。ただし分割を前提とはしないわけですが。
- 『銀河英雄伝説』のような大作であっても、いや大作であるからこそ登場人物も多くなる傾向にあり、どの人物を記述すべきかの選別は必要と思います。
- 返信 (はぬまんさん宛) 1点目について。いえ、日本語の問題なのですが、「作品の解説に必要な人物のみ」でないとすれば「作品の解説に必要な人物以外」すなわち「作品の解説に必要でない人物」も含んで良いというご見解でしょうか。フィクション作品の登場人物に限らず、Wikipediaのあらゆる記事において「記事主題の解説に必要でない記述」は不要と私は考えているのです。登場人物を全員記述するのは、それが作品の解説に必要だからではないのですか。例えば「データを集めたいから」という動機は、アバウトではなくWP:NOTに真っ向から対立すると思います。それと、
WP:NOT「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」の文言が「好まれる」だから強制ではないとして従わなければ、方針に同意する多くの利用者に「嫌われる」のではありませんか。 - 2点目について。私は本件について既存のルールが適用可能と考えており、新たなルールを策定するつもりはありません。私は現在「不適切かもしれない登場キャラクターの一覧」に対処する実作業を予定しており、どのような形にすべきかコミュニティの見解をいただくため、井戸端に本件議論を提起しました。実作業の前に個別のノートページにて変更内容を提案する予定ですが、個別要素の「必要・不要」という議論は平行線になりやすいので、一般論として広くコミュニティの見解を得られれば合意形成しやすくなると判断しました。
- 「現実的な編集者各々の意向」とは、方針を顧みずに編集し、感情論で反発するような人がいるという意味でしょうか。そのような人はただ方針を知らない(読んだことがない)だけで、丁寧に説明すれば納得してもらえるでしょう。また仮に反発されても、方針やガイドラインに従った複数の利用者による見解を容易に覆すことはできないでしょう。反対されること自体を私は心配しておりません。--メリース(会話) 2019年9月2日 (月) 07:43 (UTC)(参照文書の間違いを修正--メリース(会話) 2019年9月3日 (火) 03:34 (UTC))
- コメント EULEさんの登場人物かデータベースかの話で、前者はプロジェクト合意に基づいて記載することに同意しますが、後者については反対します。上で申し上げた通り、WP:NOTGUIDEには「武器やアイテムなどのゲーム中に登場する要素をリストとして記載することは特筆すべきものを除いて避けてください。」と記載されております。けものフレンズの一覧はこれに明確に反します。野球ゲームで野球選手のパラメータ等を載せた表を作らないのと同様です。一方で、例えばゲーム内のファン投票の結果として上位のキャラの一覧のような「特筆すべきもののみを載せた表」の記載は問題ないと思います。
- 次に「表は載せない」ことにここでは大方の人が賛成している通り「正論」であるでしょう。しかし、正論が必ず通るわけではありません。私もはぬまんさんと同様、いきなり個別のノートで議論に掛けても表の除去の合意が得られるとは思えません。表を作るのも労力がかかるのでこだわりがある人でないとできません。こだわりを持つ人に大上段に正論を吹っかけても反発を食らうだけです。故に表を除去するという目的を果たすためには丁寧な手順が求められます。規模の大きいゲームのノートページに告知した上でプロジェクトでルール策定の議論を行う。そのうえで個々のゲームのノートページでルールに基づいた編集を行うための合意を得るの二段階必要と私は思います。この辺は他の方の意見も伺いたいところです。--たびびと551(会話) 2019年9月3日 (火) 19:41 (UTC)
- 返信 (たびびと551さん宛) ここは井戸端なので多少フランクに話し合える場所ですが、議論は喧嘩を仕掛けるものではないので「正論を吹っかける」「反発を食らう」との表現には違和感を持ちます(WP:BATTLE)。ところで、私が現在作業を予定しているのは、上に挙げたようなプロジェクトの広範囲に渡る作品記事群ではなく、私がこれまで執筆してきた「ある1記事」です。その記事にある登場人物一覧表も私が現状の形にしたものです(表そのものは初版からありました)。また、一覧部分をきれいに除去するわけではなく、内容を削減するに留める予定です。すでにWP:NOTを始めとする複数の方針やガイドラインに定めがあり、この井戸端でも大筋同意されている中で、さらにルールを追加する必要はあるのでしょうか。
- 余談かもしれませんが、成功事例としてプロジェクト‐ノート:ポケモン#このプロジェクトの指針はスタイルマニュアルに沿っていないを挙げます。かつてすべてのポケモンに個別記事が存在しましたが、特筆性を有するような記事はピカチュウなどごく少数に限られていました。同議論ではその状況を黙認・追認するコミュニティ(プロジェクト)自体に問題があるとされ、ポケモンの個別記事のほとんどがポケモン一覧以下に統合され、プロジェクトの指針も改定されました。その間、プロジェクトのメンバーはほとんど議論や作業に参加せず、プロジェクト外の有志が主導してこの大事業がなされました。私はこの事例が、Wikipedia日本語版の歴史に残る英断と思っています。つまり何が言いたいのかというと、やればできるということです。--メリース(会話) 2019年9月6日 (金) 03:14 (UTC)
- コメント 本当にただのコメントにありまするが一意見。先ずソーシャルゲームに於いて新規キャラクターを増やす目的は何よりも「売上を伸ばすため」にあります。則ち売上が思わしくなければ新キャラクターはどんどん追加されていくわけであり、延々と詳述することと商業目的は「射幸心を煽る」という点で近しいものがあると考えられます。また少し考えてみればわかりましょうが、例えば「ソーシャルゲーム百科辞典」なる本があったとして、全ゲーム毎にキャラクターやら武器やら一々列挙していては可読性が悪化し売れるものも売れなくなります(しかも「売上を伸ばすため」とあらばキャラが増えるので、紙媒体では即座に陳腐化します)。さらに各キャラクターは高度に個別化されており(要するにプレイヤー1人1人が個々に入手して延々育成しないと完全なデータが得られず、かつデータ公開は憚られている)、当然個々人で入手・育成するためキャラクターに対する編集者の中立性は十全に保証されておらず、従ってその記述に信頼できる情報源による裏打ちがあるとは全く言えません。
扠、今一度ウィキペディアは何であるかを考えましょう。ウィキペディアはアイドル年鑑ですか?攻略サイト/情報サイトですか?ファンサイトですか?全く違います。その判断ができず削減できないまま延々と列挙するというのは統制が取れておらず「情報の肥大化を避ける」という話以前の問題です。個人の意見を言わせていただければ、"仮に未プレイの方がGoogleで検索して、公式サイトや動画サイトや攻略Wikiなどではなくウィキペディアに来訪したとするならば、その人は何をウィキペディアに求めているのか"と考えれば、「サービス中のゲームは公式サイトに露出していないキャラクターへの言及を避ける」とすべきやもしれませぬ。
更に言うと、あらゆるソーシャルゲームの公式サイトは同時に広告サイトでもあり、編集者がプレイヤーであると想定すれば高度な内容言及はネタバレプロモ活動に含まれまするので、原則に従えば「登場キャラクターに実在する刀剣(陸奥守吉行など)を用いているのが特徴である[1]」「キャラクターは全て実在の動物(サーバルキャットなど)をモチーフにしている[2]」程度の記述以上の一切を(一覧も)削除すべきだと、憚りながらも愚考致します。
ただ、締め付けをキツく考えてしまうと上述ポケモンずかん等との線引きが難しい上、今度は各記事およびその編集者にそれを遵守させられるのか(反動が起きやしないか)という問題がありまして、おそらくこれも正しい答えではないでしょう。よって、真に失礼ではありまするが、一編集者である小生にこの見立てはできず、拠ってコメントとさせて頂きます。恐惶謹言。--力在領域(会話) 2019年9月11日 (水) 18:29 (UTC)
返信 コメントありがとうございます。個々の編集者の意図は我々に知りえないので、一覧化が宣伝的と述べることは控えますが、キャラクターについて中立的で検証可能な列挙のできない場合があることは同意します。--メリース(会話) 2019年9月12日 (木) 13:27 (UTC)