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Wikipedia:井戸端/subj/「出典の提示」は執筆者の義務なのか? 単なる執筆者によるサービスにすぎないのか?

「出典の提示」は執筆者の義務なのか? 単なる執筆者によるサービスにすぎないのか?

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コメント 出典の提示を軽視する利用者がおり、大変困惑しております。

その利用者は、自分が出典を提示していないにもかかわらず、その部分が削除されると「出典が含まれてない部分を削除・改変されてしまうので大変困っています」などと被害者であるかのような発言を繰り返しています。

他人から「明らかに事実であり疑いの余地のない時を除き、出典のない投稿は禁止されています。直接出典を提示していない文章を修正されても、文句は言えません」とアドバイスされても「そう言うのを揚げ足取りというのですよ」などと反論し、話になりません。何度も何度も出典を提示するよう求められると、ようやく出典を提示するのですが、その際にも「今回のように出典や参考文献を付加することぐらいならすぐにできるのですよ」などと上から目線で恩着せがましく発言しています。

私は、出典を提示するのは「執筆者の義務」だと思っていたのです。しかし、該当の利用者の受け答えを見るに、どうも出典を提示するのは「執筆者によるサービス」と勘違いしており、上から目線での発言は「閲覧者が乞うているから、執筆者の俺様が出典を提示してやった。ありがたく思え」という発想に立脚しているのではないかと思います。

出典の提示は義務であり重視すべきものなのか、それとも軽視してもよいものなのか、みなさまからのアドバイスやコメントいただければと思います。出典の提示は「執筆者の義務」なのか、あくまで「執筆者によるサービス」にすぎないのか、「執筆者から閲覧者へのお恵み」であり軽視してもよいものなのか、その点も含めてご意見いただければと思います。(本当はコメント依頼に出そうと思ったのですが、「ウィキペディア全体に関わる提案や問題提起は、Wikipedia:井戸端。」と書かれていたので、こちらに書きました。)

議論は「ノート:トレンチナイフ#B.出典の提示の軽視」にてお願いします。--111.188.23.172 2011年5月22日 (日) 19:50 (UTC)[返信]

報告 こちらのコメントをノート:トレンチナイフ#B.へのご意見に移動。--114.48.138.157 2011年5月24日 (火) 16:11 (UTC)[返信]
勝手な移動は許される行為でしょうか? ストローマンや個人攻撃など目に余ります。慎んでください。--ヤッパリフセガレタカー 2011年5月25日 (水) 23:58 (UTC)[返信]
このユーザーは工作用アカウントの疑いがかけられています--Littlefox 2011年5月31日 (火) 23:56 (UTC)[返信]
いいえ、あなたが一人で主張しているに過ぎません。--ヤッパリフセガレタカー 2011年6月4日 (土) 20:38 (UTC)[返信]
  • コメント私は文章に文責を負っており、出典要求には常に応じています。トレンチナイフでも出典を具体的な引用付きで提示しています。
    ちなみに、ここで言う引用は出典を引用ルールの範囲内で書き写すことです。そうすれば出典を入手しなくても、読むだけで真偽をある程度確かめられます。言うまでもなく出典を全て書き写せば著作権侵害であり、引用できるのはごく一部分に限られます。ですから、出典を求められている点を絞り込んでから、引用する一文を決めています。この論点を絞ってから出典を提示するという方針は夜飛氏にとっては許容できない物であったため、Wikipedia:コメント依頼/Littlefoxが提出されました。
    態度についてお叱りを受けています。確かに、上から目線といわれても仕方がないかもしれません。この時の私は、夜飛氏の私を徹底的に侮蔑する態度に、良い気分がしていなかったので、私の彼に対する態度にも反映されてしまっています。そもそも夜飛氏自身が出典を示す当てもないような独自研究を発表しておいて(まとめ1まとめ2)、間違いを直した私に出典を即時提出を要求する事自体が、不誠実で失礼だと感じていました。それでも感情的になってしまったのは私が未熟だったからです。お詫びします--Littlefox 2011年5月24日 (火) 01:36 (UTC)修正への署名付加--Littlefox 2011年5月24日 (火) 01:38 (UTC)この発言は[イーモバイルユーザー114.48.138.157さんが他所に移動した物]をさしもどしたものです(ここ井戸端での議論が再開されたため)--Littlefox 2011年6月4日 (土) 19:21 (UTC)[返信]

議論を特定のノートへ誘導されていますが、刺激的な議題を提示された以上、従わない事例もあるとご留意下さい。井戸端は個人的な感想も許容されると思い少々。小生は、「出典の提示」はWikipedia執筆者の絶対の義務だと思っています。どこぞに移された議論で「(Wikipediaの)執筆者に対してそれなりの敬意を払うべき」という意見がありましたが、その前に出典の執筆者に敬意を払うことを忘れてませんか?と感じており、小生はそれを忘れた執筆(「者」でなく「内容」)に敬意を払う必要を毛頭持てず、実際に加筆や他言語からの翻訳時に容赦なく消す(翻訳で持ってこない)方に強く偏りつつあります。これは、別に一度消されようが後から出典を明記して復帰すれば済む話と念頭に置いている故の行動です(一例:ノート:太陽参照‐もうこんな事を逐一書きませんが)。

Wikipedia黎明期の残滓や、新たに参入された利用者が不慣れゆえに出典を明記しないまま執筆した例もあるでしょうが、それらへの対処や出典品質の議論また明記手法等は別の話として措き、とりあえず出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無いと、消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいいのではないかと、小生は思います。なお、小生は本節立ち上げの個別事項には立ち入りません。--Babi Hijau 2011年5月27日 (金) 18:39 (UTC)[返信]

この項目を立てられたイーモバイルユーザーさんの立場からすると、「出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無いと、消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいい」というのは重大な荒らし行為という事になると思います(私はそこまで厳格に方針を運用する必要はないと思います)。この個別事案については、既に出典が提示済みであり、なおかつ私が加筆する前の記述が出典無しの独自研究であったこと事が確定しているのですが、まるで収束する気配がありません。あくまでも、出典も付けずに間違いを直したことが罪なのでそうです。おはなしを聞く限り、間違いを見つけたときに、修正ではなく削除を選ばなかったことが私の落ち度なのでしょう。個別事案にかかわらないという判断も賢明なことかもしれません。残念ながら議論はあまり建設的とはいえません。既に係争は半年以上継続していますが、夜飛さんとイーモバイルユーザーさんは私が追放されるべき人間だということで見解が一致しているので、私がブロックに追い込まれるまであの手この手で追求が続くでしょう。--Littlefox 2011年5月31日 (火) 23:56 (UTC)--Littlefox 2011年5月31日 (火) 23:57 (UTC)[返信]
質問 いまだにウィキペディアの基本的な方針について、何も理解なされていないようですね。Littlefoxさんは「イーモバイルユーザーさんの立場からすると、『出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無いと、消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいい』というのは重大な荒らし行為という事になる」と仰っていますが、Littlefoxさんのこの発言は、完全に誤りですね
まず、「この項目を立てられたイーモバイルユーザー」の主張についてですが、2011年5月22日 (日) 19:50 (UTC)の投稿をご覧ください。「イーモバイルユーザー」は、「出典の提示を軽視する利用者がおり、大変困惑しております。その利用者は、自分が出典を提示していないにもかかわらず、その部分が削除されると『出典が含まれてない部分を削除・改変されてしまうので大変困っています』などと被害者であるかのような発言を繰り返しています。他人から『明らかに事実であり疑いの余地のない時を除き、出典のない投稿は禁止されています。直接出典を提示していない文章を修正されても、文句は言えません』とアドバイスされても『そう言うのを揚げ足取りというのですよ』などと反論し、話になりません。」と主張しています。「出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無い」との主張とほぼ同意見です。「出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無い」「消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいい」という主張について、イーモバイルユーザー」が「重大な荒らし行為」であると指摘したことは一度もありません。「イーモバイルユーザー」はむしろ正反対の主張をしていますが、Littlefoxさんはなぜ虚偽の主張をなさるのでしょうか。
次に、本当に荒らし行為に該当するのかについてですが、それにはまず「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:出典を明記する」をよくお読みください。ウィキペディアの基本的なきまりごとの一つとして、出典を提示するのは原則的に執筆者の義務であることがおわかりになるかと思います。したがって、「出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無い」「消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいい」という主張は、ウィキペディアの基本的なきまりごとの趣旨に則っており、妥当な主張であることがおわかりになると思います。ですので、重大な荒らし行為」などには該当いたしません
Littlefoxさんは、この期に及んで、なぜ虚偽の主張をし始めたのでしょうか。議論攪乱を狙ったものでしょうか? 明確な説明を求めます。--1.113.49.34 2011年6月1日 (水) 08:34 (UTC)[返信]
WP:NORWP:Vをご理解いただいているのであれば、まったく問題はありません。同意するならその旨宣言すればよいでしょう。ただ、トレンチナイフの項を見ると、Littlefoxさんの出典の使い方はほかの人たちとはなんか違うようです。普通は出典に基づいて記述を行うのものだと思いますが、Littlefoxさんの場合、まず記述したい事柄が先にあって、その自説を補強するために出典を付与しているように見受けられます。あと、出典を明記する際に、いちいち引用を行う必要はないでしょう。必要であればノートに提示すればよいでしょう。--Calvero 2011年6月1日 (水) 12:38 (UTC)[返信]
Calveroさん、ご意見ありがとうございます。私はWP:NORにもWP:Vにも反する編集をするつもりはありません。争点の加筆は、明らかに事実だと分かるものだと判断して書き込んでいるものです。私が当初よりしていた表現を使えば、軍事(史学)上の通説(多数意見)です。確かに当初はかつて参考文献を読んだ記憶を元に書き込みました。しかし通説ですから、出典を引っ張り出してくるのは容易なことで、実際に多数提示しました(何かと理由をつけて削除しようと試みている方がおられますが)。さらには私が実際にやってみせたように具体的な引用を提示したり、「一冊読めば争点全体をカバーできなおかつ入手容易な一般書籍」を紹介することも簡単です。何しろ、通説なのですから。
いちいち引用を行う必要はない」のではないかという疑問にもお答えします。私は実際に検証作業する身になって考えて見れば、検証可能性だけではなく検証容易なことも重要なことだと考えています。WP:NORでいえば「ウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できること」に相当する部分です。最良なのはWebで閲覧可能な信頼できる出典ですが、無い場合でも図書館によくある一般書籍から出典・参考文献を探す努力をしています(トレンチナイフで実際に示した書籍がそれです)。私はさらに一歩進んで引用で示すことで、その場に居ながらある程度真偽を確かめられることを目指しています。なぜここまでこだわるのかと思われると思います。それは出典を検証してきた経験から、入手しにくい文献を出典としたり、入手しにくいことをいいことに内容と違うことを書かれると迷惑だと、痛感しているからです。トレンチナイフでもこれをやられて困りました。提示された書籍(古い絶版本)を探して購入したところ、時代が全く被らない代物で出典としての価値はありませんでした。しかも本人を問い詰めても謝罪はおろか反省の色も見せないので腹が立ちましたね。私は自分がやられて嫌なことは人にはしないようにしています--Littlefox 2011年6月1日 (水) 14:30 (UTC)具体的にリンク--Littlefox 2011年6月1日 (水) 14:43 (UTC)[返信]
(>Littlefoxさん2011年6月1日14:30UTC分)ひとことだけ、いいかな?その「古い絶版本」を引用して書いた箇所は現代の話なんだがな。そこに皮肉と解釈するご自身の見解を放り込んだのみならず利用者‐会話:Littlefox#皮肉かどうかで苦言を呈せば軍事解釈の演説や議論の混ぜ返しをし…その何処に「あなたに謝罪しなければいけない必要性」が出ますか。ご自身の主張が受け入れられないからと発奮するのみならず、記事内で反論するような遣り口は、Littlefoxさんにとっては「自分がやられても嫌じゃない」のかもしれませんが、そんな応酬のために記事に関わること自体をお止めいただきたいですねえ…小生は。--夜飛/ 2011年6月1日 (水) 15:04 (UTC)[返信]
貴方は『戦場のテクノロジー』を根拠に主張していた事はそれだけでは無かったでしょう(現代についての記述も問題があったので修正しましたが)。例えばトレンチナイフにおける私の編集に問題提起した部分ですが、さも近世や近代の事柄についても記述されているかのような書き方をしておられた。戦死でもそうでしたが、貴方は軍事に関する自説を発表するときに、とりあえずのこの本を参考文献として挙げる習慣があったので、無理な使用が目立つのです。前も言いましたが、間違った主張を発表する前に、時代や分野が近い本を読んで勉強してください--Littlefox 2011年6月2日 (木) 01:46 (UTC)--Littlefox 2011年6月2日 (木) 01:52 (UTC)[返信]
この編集についてもお答えしましょう。まず、さすがに個人名を出すのは気の毒かと思ったので、最新版では丸めた表現にしてあります。さて、なぜ反証である事をコメントに書いたかというと、そうでもしないとなぜわざわざ出典を付けたのか、その意図が分かりにくいからです。黒色火薬が燃えるとき白煙を発して、視界の妨げになることは、史学上の常識なので普通いちいち言及などしないものです。ただ、ノートで貴方はそれに異を唱えられたので、反証として明示しました。--Littlefox 2011年6月2日 (木) 01:50 (UTC)--Littlefox 2011年6月2日 (木) 02:00 (UTC)[返信]
主張?はておや。小生が利用者‐会話:Littlefox#トレンチナイフの編集についてで申し上げたのは、Littlefoxさんがこの編集で「狙撃を過剰に持ち上げ」て「無煙火薬の登場が戦場の視界を開けさせた」と主張、挙句「機関銃の登場は第一次大戦」と書くなど、その全体で出典どころか論拠も不明で、最後の一個に至ってはその妥当性そのものが「文章として明らかにおかしい」ため流石に撤回されていましたが、それ以外にも出典がないし手元の資料を軽く浚ってもその視点はおかしいんじゃないか(参考とした資料があるなら明示して欲しい)と申し入れた箇所でしょう?主張ではなく、問題提起に際して「まったく根も葉もない言い掛かりじゃないんですよ」という趣旨で文献としてあげたはずですがね。まあ、それを主張と摩り替えた時点で、対話が成立する訳無いですね。そしてまた軍事談義演説ですか…黒色火薬での発射時に視界を遮ることと、Littlefoxさんが記事に書き込んだ「戦場を覆っていた硝煙」という表現には隔たりがあることも理解できないし、また表現にも無頓着と来ては、せっかくの出典や文献もどれほどそれら資料の趣旨に忠実であるかも疑わしい限りですね。ノートでの批判に記事で反証?申し訳ありませんが、その発言は2011年5月7日のLittlefoxさんご自身の発言「Wikipediaは戦場ではないともまるでかみ合いませんねえ…場当たり的な反発的発言で自分自身の揚げ足を取って遊ぶの止めていただけませんか。Littlefoxさんが己が両足引っ掴んでゴロゴロ転がりまわる様を眺めていても面白くないのです。--夜飛/ 2011年6月2日 (木) 09:03 (UTC)[返信]
あれだけ説明に時間を費やして、資料も多数提示したのにまだそんなことを言っているのですか。これはいつまでも納得しなければ勝ちというゲームではありませんよ。歴史認識のズレについては説明も出典提示も済んでいますので、なんども言いません。納得できないなら教えた資料を読むか、この時代を扱った史料を読み解けるように勉強してください。持論を展開するなら、裏付ける資料を探してきてからにしてください。表現の修正に応じることはいの一番で言っている事ですので、どの表現が良くないのと思うのか、どう直せばいいと思うのにかに絞って提案してください--Littlefox 2011年6月2日 (木) 09:56 (UTC)--Littlefox 2011年6月2日 (木) 10:41 (UTC)[返信]
説明?ただの自己弁護でしょう。それも最初のうちは、総論となる資料もなく要素の論拠というか、要素の前提の論拠であり、ましてその要素のおのおのは小生の発言というか問題提起の趣旨を履き違えて自身の軍事解釈や記事に書き綴ったことへの論拠であり、ましてそれら記述と記事の主体を繋ぐものもなければ、記事主体事物の説明でも無い論拠。記事の説明を過不足なくまとめるという観点からすれば評価対象外なんですよ、Littlefoxさんの努力は。Calveroさんも仰られておりますが、Littlefoxさんが記事中に放り込んだのは、「自説を補強するため」のもの(いわゆる「論拠」やWP:NORにいうところの「発表済みの情報」に相当するもの)でしかありません。そんなのは軍事マニアの軍事解釈論争では意味を成すのですがね…記事の検証可能性を藪の中に投げ込みこそすれ、百科事典の記事としては説明の態を成していないのです。小生は、Littlefoxさんに自説ないし歴史認識とやらの説明や謝罪を請求しているのではなく、百科事典として記事を適正な状態にするため、疑わしい記述は除去するか出典を付与しなければ存続が難しいのだといっているのです。それをダラダラ演説した挙句に、自分の主張が受け入れられなければ何度も(中略)話をリセットして無制限に話を拡張し、延々と演説をまたはじめる…そんなのを「あれだけ」と主張したところで「評価対象外なのでスルー」するしかないでしょう。まあ、それら(利用者会話ページやトレンチナイフのノートページ・さらにはここでの)一連の態度を見るに付け、Littlefoxさんは時間をかけて自らの信憑性を損ない続けているだけなんですよ。そんな真似は意味がありません。なお現状は表現の修正というよりも、記事主体の説明というか百科事典の趣旨から逸脱した余剰部分の整理を必要としていることは複数の利用者さんからトレンチナイフのノートページで提言されているはずですが、Littlefoxさんはなんだかんだと理由をつけて拒否し続けているだけですね。口先だけ「応じる」と言いながら実質応じていないのは、全く実の無い行動ですよ。--夜飛/ 2011年6月2日 (木) 10:50 (UTC)[返信]
ですから、表現に問題があるというのなら改善案を示してくださいよ。それが理にかなっているなら取り入れましょう。夜飛びさんが主張しておられた「(硝煙は視界をさほど妨げるものではなく)軍服が派手なのは、むしろ敵味方入り乱れる白兵戦の際の識別用であり、またそれは国家総力戦以前の散発的な軍事衝突しかなかった時代の名残」などとというのは、出典が無いだけではなく歴史的事実と異なるので取り入れることはできません。いいですか。どんなに語彙が豊富であろうと日本語の感覚が優れていようと、知らないことについて適切な表現を選ぶなんてことはできません。詳しくないことに口をだすなとは言いませんが、せめて出典を読み解けるぐらいの知識は身につけてから議論に参加してください。そんなに難しいことを言ってるわけではありませんよ。なお、私の示した出典は、ほぼ争点部分をカバーできるものです。相変わらず現物を読まずにものを言っていますね。私はどこの本にでも書いてあるような通説を書いてるだけなので、いろんな本から一文を引用し、それを論拠として文章を組み立てることすら可能だということを示したまでです--Littlefox 2011年6月2日 (木) 19:20 (UTC)[返信]
もはや表現がどうとかという話でもないのがどうして判りませんかねえ…端的に例えるなら「ゴミだらけの部屋のレイアウトをいくら変えてもゴミを捨てなきゃゴミだらけ」という話に過ぎません。また既存出典込みの記述に自身の解釈を放り込むのも問題なら、主張の類を補強するために説明の主体を逸脱した別の話を放り込みそこに出典をつけたところで説明にもならない(マニアの軍事解釈談義ならそれでもいいかもしれないが)ということです。定説だ何だといったところで、それが定説である・定説だと明記している出典が必要なだけで、全く別のことを述べている文献に自論を補強できる要素が見出せるならとりあえず書いてみる…なんていうのは、出典どころか説明の内容や信憑性を藪の中に放り込むだけなんですよ。出典の提示と論拠の誇示は違うのです。まして記事内で論拠を持ち出してくること自体、百科事典の記事としてはありえません。その最終的に出してきた「ほぼ争点部分をカバーできるもの」を残して、余事脱線箇所の「論拠」は論ごと削ったほうがいい…というよりも、ありもしない軍事解釈談義に話をすり替え、主張するという行為を批判すれば論争だとみなし、出典だと称して論拠を持ち出す一連の態度が問題なんですけどね。
ちなみに「硝煙は視界をさほど妨げるものではなく」なんて誰が言ったんですか(少なくとも利用者‐会話:Littlefoxには見当たらない・小生の発言)?そんな態度(主張のためなら勝手な解釈を付け足す)だから、Littlefoxさんの書いた箇所は出典と同じ内容なのかも疑わしいんですよ…主張のために出典を出してきても、その出典元からも逸脱した論説を吹いているのではないのか?とね。--夜飛/ 2011年6月2日 (木) 22:19 (UTC)[返信]
ありもしない軍事解釈談義」なんて断言されるぐらいですから、それを裏付ける資料はお持ちなんでしょうね?まあこれについては既にトレンチナイフでそれについてを聞く機会を作りました(まとめ1まとめ2)。結果、出典がなく、出典を探す当てもないという事をお認めになられたので、相手が間違っているという想像もしくは願望でおっしゃってるんだろうなと思っています。
さて「硝煙は視界をさほど妨げるものではなく」なんて誰が言ったんですか?」とおっしゃるので前後の文脈を示します。ここで夜飛びさんは黒色火薬の白煙が視界を妨げる問題については、重大な問題ではないかのように語っているように読み取れます。実際には、私が示した出典群にあるように、視界を妨げる白煙は銃口内にのこる残滓と同じぐらい大きな、黒色火薬の欠点とみなされていました。夜飛さんにはその理由が想像できないと見受けられますね。銃の照準を付けるときのことを考えてみてください。銃の狙いをつけるには銃口をを目標に向け、銃身が目標に対して一直線になるように調整してから発砲します。射手から見れば、目標と銃身を重ねるように目で捉えて、照準をつけるのです。ですから発砲によって銃口から白煙が噴き出て拡散すると、目標を覆い隠すように視界が塞がれてしまって、白煙が晴れるまで次弾の照準をすることができませんもちろん、照準以外でも白煙は視界の邪魔であることには変わりありません。ま、夜飛さんにとってこういう話はありもしない軍事談義なので言うだけ無駄でしょうけど--Littlefox 2011年6月3日 (金) 12:42 (UTC)[返信]
(インデント戻し・Littlefoxさん2011年6月3日12:42UTCへ)またまたおかしな、とてもおかしなことを仰る。「ありもしない軍事解釈談義」というのは、記述内容が疑わしいので何に拠ったかを明示して欲しいという出典明示の要求や、説明が混乱するほどの余剰箇所の整理を推進したり求めたりしていることを、Littlefoxさんが軍事解釈の応酬へと話をすり替え、記事への出典ではなく論拠の放り込み、ノートページでの軍事解釈的な演説の繰り返しを行ったことを指しているのです。そしてまた…軍事解釈レベルの話に摩り替えてる。なお「ありもしない軍事解釈談義」を問題視する指摘は、すでにノート:トレンチナイフで1ヶ月近く前にしているんですよ。相手発言の趣旨をちゃんと理解していればまず興りえない軍事解釈の応酬に持ち込もうとするLittlefoxさんの思い込みか願望か妄想かは知りませんがね、指摘の内容を「相手は軍事解釈談義をしてきてるんだ」とすりかえ「どっちの軍事解釈が優れているか」なんていう実の無い応酬に持ち込もうとする姿勢は、それこそ「ウィキペディアの外でやってください」ということに過ぎません。しかし…こんなところで「てっぽうのうちかた」の講釈ですか?そんなに軍事マニア的トリビアを披露していたいんなら、ご自身のブログでどうぞ。--夜飛/ 2011年6月3日 (金) 13:45 (UTC)[返信]
(Littlefox さんの 2011年6月1日 (水) 14:30 (UTC) へのコメント)引用が正しくなされているかどうかを判断するためには、結局原典を読まなければならないので、検証可能性の意味・目的ではあまり有用であるとは思われません。疑問が提示されるのであれば、必要に応じてノートで示せばよいと思います。--Calvero 2011年6月4日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
ええ引用しても疑わしいと思う方には結局は原典を当たるしかありません。だからある程度真偽を確かめられるという言い方をします。実際、トレンチナイフでも、文脈を無視した問題のある引用が見受けられましたので原典を入手して、修正しました。引用をつけるというのは私の自己満足なのかもしれませんが、具体的に何が書いてあるか示されている方が、出典を入手して読む元気がない一般的な読者にとって親切だと思っています--Littlefox 2011年6月4日 (土) 19:21 (UTC)[返信]
コメント Littlefoxさん、「私はWP:NORにもWP:Vにも反する編集をするつもりはありません」とのことですが、ようやく理解していただけたようですね。WP:NORWP:Vの重要性にやっと気づいていただけたようで、安心いたしました。Littlefoxさんは今までWP:NORWP:Vを無視した編集を繰り返してきましたが、今後は二度とWP:NORにもWP:Vにも違反しないとお約束していただけますよね
また、Littlefoxさんは、「ノート:トレンチナイフ」にてWP:NORWP:Vを無視した発言を繰り返しています。たとえば、他人から「明らかに事実であり疑いの余地のない時を除き、出典のない投稿は禁止されています。直接出典を提示していない文章を修正されても、文句は言えません」とアドバイスされた際、Littlefoxさんは「そう言うのを揚げ足取りというのですよ」などと妄言を繰り返しています。このような方針を無視した発言も、全て撤回していただけると考えてよろしいでしょうか? であるならば、今までの方針無理解の行為について率直に謝罪していただき、今後は二度と荒らし行為を行わないと確約(再発防止策の提示、など)していただければと思います。--111.188.16.102 2011年6月1日 (水) 23:09 (UTC)[返信]

コメント 最早議論の盛りが過ぎてしまった様ですが、たまたま類似案件(?)を投稿させて頂いたこともあり、一言述べさせて頂きたいと思います。基本的にはWPにおいて、出典の無い記述は許されません。WPを一歩出ればいいんですけどね。ここで食い止めておかないとデマ、宣伝、政治活動、独自研究などが一斉に押し寄せ、どうしようもなくなってしまいます。出典はその記述がそれらに類するものではないと言う証明の一つです(貼ってあれば絶対に信頼できると言う訳でもありませんが)。一応、信頼有る百科事典を目指すプロジェクトである以上、この点は譲れないところでしょう。また、出典を伴わない記述は原則的にはあってはならないのですから、発見した者が差し戻すのはむしろ当然であり、出典を示さずにこれに異を唱える事はできません。むしろ、出典の無い記述がつもりつもって手のつけようがなくなる前にどうにかすべきです。・・・ここまではよろしいと思います。なお、議論の余地無く分別有る大人であれば自明である点については出典は不要ですし、ジャンルによっては「その筋では常識」なこともありますし、明確に常識とまでは言えない記述などについては記述は温存し出典を募るのが妥当でしょう。
逆にBabi Hijauさんもご指摘の、伝統ある出典無き記事については、そんなのに限って力作であったり、メインカルチャー、つまり、百科事典にとって重要な記事であったりします。この様な記事について出典無き記述の除去を積極的に行うと記事が記事のテイをなさなくなり、プロジェクト全体もスッカスカとなり、この様なケースで記述の除去を行った方が、まさしく荒らしとされた例もあった様です。この様な場合は現実問題、要出典を添付して、将来の改善を待つのが現実的でしょう。
まあ、過去の問題は順次、時間のある参加者で地道に改善していくと致しまして、新しい部分に関しましては「これ以上検証可能性を満たさない記述を増やさない」と言う方針でとりかかるべきでしょう。でなければ事態はどんどん悪化していきます。そう言った意味からも、Wikipedia:井戸端/subj/IP利用者の投稿時における検証可能性への注意喚起の可能性で述べた可能性についてご考慮頂きたく思います(いや、宣伝と言うわけではなく)。--Hman 2011年6月2日 (木) 17:28 (UTC)[返信]

よいコメントをありがとうございます。いやまったく、いい加減な情報の混入に対する防波堤としてWP:NORは必要ですね。実際、トレンチナイフでは歴史的な事実と異なる加筆が行われ、私は「嘘だらけのwikipedia」が製造される瞬間を目撃しました。間違いを書き込んだ人は、未だに間違ってるのは私の方だと主張しています。しかし、WP:NORのおかげで出典不備により記事から消すことに同意をいただけました。
さて私はそんなおかしい記述は消していくよりも、おかしくないように書きなおす方が好きです。出典の無い部分が削除されて記事がスカスカになる寂しいものですし、消された文を書いた人の納得も得にくいからです。おそらく皆さんもそうなのではないでしょうか?新規参加者が編集に参加するきっかけにも、記事の間違い放置するのは気持ち悪くて編集ボタンに手を伸す、といった事が多いと聞きます。そうやって、おかしいところをみんなでチェックして直していこうというのが、Wikipediaの営みなのでしょう。ところが今回のように下手に記事に触ろうものなら「出典も提示せずに、記事を書き換えるのはまかりならん。要求されてから出典を用意するのでは遅い」と長期間にわたる執拗な追求をうけかねないのでは、記事を書き換えることに勇気が必要になります。このような事が習慣化すると、記事から加筆が減り、Wikipediaの成長が停滞するのではないかと危惧しています--Littlefox 2011年6月3日 (金) 12:42 (UTC)--Littlefox 2011年6月3日 (金) 13:06 (UTC)[返信]
私個人は余り積極的に警邏活動を行っている居る訳ではなないのですが、震災・原発関連では随分と整理させて頂きました。こう言った記事は適当な記述がもたらす影響が大きいですから・・・。通常は、書き直すのは時間もかかりますし、しかしながら、書き直しの為の文献が集まるまでの間、閲覧者にデマの虞が高い情報を垂れ流しにするのも非常にアレでございますから、実際の所は、 (1).信憑性・妥当性がありそうなものについては要出典 (2).信憑性・妥当性が無さそうなものについては即時除去 、と言った所でしょう。この場合、その分野に対する自らの経験や基礎知識に基づき、「恐らく事実であり、ちゃんと探せばそう遠くない将来に出典が出てくるはずである」と判断できるや否やが問題でありますから、言わば目分量なのですけどね。・・・単純に除去するだけでは記事のテイを成さなくなる場合は?・・・出典を示せなくても、どうしても必要であれば、一応無難と思われる仮の記述をおいて置く事も、必要であれば許容されるでしょう。ですがその場合は、自らの手で{{要出典}}、{{要検証}}等を貼り付け、仮であることを明示し、協力を募るのがよろしいかと存じます。これを行った利用者が記事の将来にどこまで責任を持つべきかは諸説あるでしょうね。・・・が、客観的に見て従前より明らかにマシに編集したのであれば、それで十分であると私は思います。尚、IP利用者や初心者さんに対して、高圧的な態度で接するべきでないことは言うまでもありません。--Hman 2011年6月3日 (金) 13:07 (UTC)[返信]
特にこだわりのある箇所であれば「出典も提示せずに、記事を書き換えるのはまかりならん」というのはよいと思います。方針に従った処置です。「要求されてから出典を用意するのでは遅い」というのは是認しがたいです。{{要出典}} を付与するなどして、ある程度の猶予が与えられてもよいでしょう。ただし、すでに出典がある箇所を変更するのであれば、慎重さが求められると考えます。--Calvero 2011年6月4日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
お二人のおっしゃる事ごもっともです。Wikipediaの目指すところは記事全てに出典が明示されることでしょうが、投稿される文章全てに出典を付けられている事を期待するのは現実的ではない。実際は明らかに事実と分かることや出典要求に応ずるうちは猶予されうる。方針は不適切な文章を削除したり、疑わしい部分に対して出典要求をするための根拠と解釈しています。一番良いのは、自然に記事に出典が集まってくる環境を作ることでしょう。逆にコメント依頼やブロック提案を相手に参加者に突きつけて脅すことを繰り返して、良い環境を作れるとは思えません。私を追求してる方はそれで溜飲が下がるのかもしれませんが、そんなのが横行するWikipediaは居心地が悪いです--Littlefox 2011年6月4日 (土) 19:21 (UTC)[返信]
コメント WP:NORWP:Vを遵守するのは大変なんだ、と仰りたいのかもしれませんが、少なくとも記事の執筆は義務ではありませんから、Littlefoxさんが「そんなのが横行するWikipediaは居心地が悪いです」と思うのであれば、単純に執筆の手を止めればよいだけの話しでしょう。ウィキペディアは、Littlefoxさんの居心地をよくするためだけのプロジェクトではありません。そもそも、Littlefoxさんは「自分にとって居心地のよい環境をつくろうという誘惑に負けてはならない」とご自分で仰っていますよね。--114.48.144.223 2011年6月5日 (日) 00:46 (UTC)[返信]
コメント WP:NORWP:Vを再度熟読し、なぜ出典の提示が大事なのか今一度考えてみたらよいかと思います。そのうえで、Calveroさんの「『出典も提示せずに、記事を書き換えるのはまかりならん』というのはよいと思います。方針に従った処置です」とのご指摘についても、Littlefoxさんはきちんと理解なさるべきでしょう。--114.48.144.223 2011年6月5日 (日) 00:46 (UTC)[返信]

Wikipediaに出典が無い記述があまたある事は事実です。それが存在することは「猶予」だが、それは時間的な間隔ではなく、疑問の定義もしくは消されるまでの期間でしかない。悪いが「自然に記事に出典が集まってくる環境」など夢想を言ってくれるな。それがあれば苦労しない。出来るなら、出典が自然に集まるだろうと思って勝手な記述をするのではなく、言ったような環境を実現する具体的な行動を実際にやって見てください。--Babi Hijau 2011年6月4日 (土) 19:43 (UTC)[返信]

現在トレンチナイフに掲載されている出典と参考文献は、全て私が提示したものです。出典要求には常に応じてきましたし、出典を探す当てが無いような記事は書いていません(第二版を書いたと威張っていた人は出典を示せませんでしたが)。私のような人間を荒らしなどと糾弾して、Wikipediaから排除することで出典が集まりやすくなるのですか?見ている人がよりWikipediaに関わりたいと思うのですか?自然と出典が集まる環境とは、できるだけ多くの人間が編集に参加し、記事の為に出典を探そうと思える環境の事を言ったつもりです。例えば本を読んでいて、出典に使えそうな文章を見つけたらwikipedeiaに行って、記事にを書く、そういう習慣をもつ人が増えることです。逆に、記事を書いた人間に対して単なる出典要求を超えて、叱責してまわっても記事は成長しないでしょう。出典提示は義務でもWikipediaの編集は義務ではないですから、Wikipediaとこれ以上関わりあいになりたくないと思う人が増えるだけです。私をブロックに追い込もうという方に対して私見を言えば、気に入らない人間を排除することで自分にとって居心地のよい環境をつくろうという誘惑に負けてはならない。Wikiとは多数の人間が関わる事で正確性を持たせようという試みなのだから--Littlefox 2011年6月4日 (土) 20:32 (UTC)--Littlefox 2011年6月4日 (土) 20:58 (UTC)[返信]
コメント(Littlefoxさん2011年6月4日20:58UTC分に対して) 出典の明示と論拠の羅列は違うんですよ(何度も同じような話を出してくるからには、何度も言わないと理解できないようですから、何度でも言いますけど)。
またコメント依頼は利用者の行為に対する問題提起と意見の募集であって脅迫ではないし、ブロックはWP:POL以下に示される考え方に沿って百科事典を作ろうという趣旨を持ったプロジェクトの推進にとって、障害を技術的に排除する手段に過ぎません。そして投稿ブロックには複数の人の判断が働く(たとえ即座に成されたブロックでも、その理由であるガイドラインの成立には多くの人が関わっている)以上は、プロジェクトの趣旨から逸脱し「自分にとって居心地のよい環境をつくろうという」という意味でブロックを請求しても通りません。それでもブロックされるということは、ブロックされた利用者が実際に傍迷惑だったというだけのことなのです…当人がどう思っていようとも関係なく。
ともかく、記事主体物の説明に出典が無いのなら、それが出てくるよう働きかけたり関係者を無下に扱わず丁寧に対応する必要はあるでしょう。しかし過去再三にわたって似たような問題を起こし続けている利用者には累計評価として批判的に対応せざるをえませんし、記事主体物の説明から逸脱した記述にいくら出典…というか要素の論拠をつけても、それは「説明的ではない」という面で別の問題にしかならないし、その余剰箇所を出典(実質は論拠)があるから除去するなと編集合戦に突入したり、ノートページで他者の発言を歪曲してまでして利用者を否定することで問題提起そのものを無視したり、さらに無制限に問題を拡散させ続け、かつ彼方此方に主張(所定の記事や利用者の特定箇所など限定的なことがらに対するもの)を出張させる利用者が「傍迷惑ではないのか」という意味においては…まあ、批判を攻撃(Littlefoxさんいうところの「人格攻撃」?)と混同する態度も含めて、ナニなんですよ。--夜飛/ 2011年6月5日 (日) 01:08 (UTC)[返信]
もうあなたのコメントにはいちいち反応しないことにしています。同じことはなんども言いたくありません--Littlefox 2011年6月9日 (木) 14:47 (UTC)[返信]
コメント つまり、Littlefoxさんは、Yatobiさんに対し対話拒否すると理解してよろしいでしょうか。それから、いまいちど確認なのですが、今後は二度とWP:NORにもWP:Vにも違反しないとお約束していただけるのでしょうか? そう質問されるととたんに返答を忌避されるので理解に苦しむのですが、ウィキペディアのルールやマナーを今後は守るとお約束していただけるのですか、それともできないのですか? --111.188.51.179 2011年6月10日 (金) 01:22 (UTC)[返信]

一度特定のノートに誘導された本話題を井戸端で蒸し返した当人の責任として、書きます。本項のタイトル「「出典の提示」は執筆者の義務なのか? 単なる執筆者によるサービスにすぎないのか?」の回答は出典の提示は執筆者の義務であるという結論で閉じませんか?元々Wikipedia:出典を明記するにあるのですから。個別記事の過去の経緯、出典の質、読みこなし、情報の合成など様々な問題は、井戸端のこのタイトル下で議論すべきではないと感じます。それぞれ適切な、例えばコメント依頼などで続けて戴ければと存じます。--Babi Hijau 2011年6月10日 (金) 17:10 (UTC)[返信]

出典の明記に関しては検証可能性を考えるなら当然の事では無いかと思いますが、当然であろう部分まで出典明記を求めますか?なら、ほとんどの記事は文節ごとに要出典になりますよね。当然と思われる部分は要出典を付ける事は逆に記事を荒らしているように感じます。で、要出典を張る側が、その記事に精通していて「ここに書かれてる内容は聞いたことも見た事も無い、是非どこに書かれてるか教えて欲しい」というような形で貼り付けるのは良いのですが、単に「オレ知らない」と、本人が無知な事が原因で出典があるのか無いのか分からないってのに対して要出典を張るのは如何なものでしょう?
それって単に要出典を張った人が「自分が知りたいから」というようなある意味教えて君みたいな感じで接してるからじゃないかと思いますね。もっと、要出典を付ける人というのは、その記事内容に精通していてもらいたいもんです。
ウィキペディアは学校じゃないのですから、自分が知らない事が書いてあるから要出典と書いて人から教わろうとしないで欲しいわけですよね。それなら、自分ももっと調べろよと。そんなそこら中に書かれてる事、少し調べればわかることにイチイチ要出典を張るのは過剰反応だろうと思うわけで。。。
出典はサービスではなく加筆者の義務で良いと思うのですが、それを見守る人がそのジャンルに長けている人でないとうまくいかないんじゃないかと。まぁそう思いますね。だいたい、そのジャンルのその記事に長けてない人が、記事の内容を見て「出典があるかないかなんて判断できない」わけで、それなのに要出典を張るってのは行き過ぎた行為だと思います。それこそ、出典は加筆者の義務であるという事を盾にとった出典がないかも知れないという独自研究なわけですから。また、要出典を張られた方は、出典が出されたら最低限その出典を確認するなどはしてもらいたいものです。そうすることで、相互的に理解も深まりましょう。また、何でもかんでも要出典を張るという行為も少しは抑制出来るかも知れません。--永尾信幸 2011年6月10日 (金) 17:54 (UTC)[返信]

いいんじゃないですか、文章ごとでも。ノート:太陽ノート:木星を例示しますが、「自分が知っていること」というものが一番怪しい。小生がWikipediaで書く一番の動機は、この「個人的な思い込みの修正」です。要出典はよもや「自分が知りたい」など甘い戯言ではありません。Wikipedia:出典を明記するはガイドラインであり、「宅急便会社が指定された所へ荷物を届けます」「Excel上でコマンドの通り実行します」と同等の、「読者への約束」であるはずです。その正誤を読者に求めるなど論外だと思います。そして、事典とは「自分が知りたいから」に先んじて応えるものであるはずと思います。ガイドラインを改訂したければそれなりの場で議論を提起すべきです。--Babi Hijau 2011年6月10日 (金) 18:22 (UTC)[返信]

出典の明記自体は当然ですが、自分の知識が及ばない所にしゃしゃり出てどうこうすべきものでもないでしょう。まず、自分が関わってる記事からまずおやりになればどうですか?--永尾信幸 2011年6月10日 (金) 18:29 (UTC)[返信]
「その分野では常識である」とご自身がお考えの所までいちいち脚注形式で出典を貼っていては、いくらなんでも面倒だと思ってしまうのも人情でございますが、個々のケースにおいて他の方から出典を求められた際には、つまり異を唱えられた際には、貼付することでお応えすればよろしいのでは。もちろんいきなり除去された際にはこれは困ることとなりますが、要出典貼付にはできるだけ出典の提示でお応えしましょう。なお、ここはウィキペディア日本語版であり、日本版ではないため、「2011年現在の日本では常識である」と言う考えの虜にならない様に配慮せねばなりません。かく言う私自身もどこまで出来ているかは怪しいのですけどね。--Hman 2011年6月10日 (金) 21:20 (UTC)[返信]
問題になるのは「いきなり要出典」などがトラブルの元になってる点でしょう。何らかのコメントをノートに残すなどすれば良いかと思います。もちろん、加筆者の義務として出典の明記があるわけですから、出典を求める側は「これ、出典があるの?」と思えば要出典を貼り付けるのはルール上は認められているとはいえ、そのジャンルに編集もしたことも無い人がしゃしゃり出て要出典を張っていく姿には、何か機械的な、何か自治厨的な感じで思われるだけでしょうし、協力も得てして得にくいように感じます。それは、要出典を張る側が、出典を示すのは当然だろというルールを盾に取った高飛車な態度(いきなり要出典タグを貼り付けるのもそうですよね)で望むからと思われますが、ここでもお願い形式で会話があれば、ずいぶん出典を明示させたい記事に関わってる方の心証も変わってきましょう。また、要出典を張った方は、出典が示されたら、本当にその出典がその記事の出典なり得るかの確認くらいは最低してもらいたいものです。
要は張り逃げ的な「ルールがそうだからこれで良い」という感じで行動している方には、なかなか難しい話でしょうが、本当にその記事を思って要出典を張っているなら、当然出典が出た場合の正確性も気にならなければおかしいわけですしね。残念な事に、要出典を張られる方は何らかの出典が記載されたら満足してしまっているのが現状なんですよね。それって、本来の「検証可能性」に基づく「出典の明記」の本質ではないわけで、そのあたりは要出典を要求される方も気にする必要があるのではないでしょうか?
出典が無い事が気になって仕方が無いだけで、出典が出されると偽りの出典かどうかなど二の次で満足してしまうつまり要出典を張る事が仕事と言う姿勢だと、加筆者の協力も得にくいのではと思いますね。
えぇ、出典の明示は加筆者の義務はわかってますよ。でも、スムーズに事を運ばせようと思ったら、相手の立場も考えて行動すべきではないかと思います。読者の為読者の為と言っても、それがスムーズになっていなければ、結局読者のためにはならないわけですから、本当に読者のためを思うのなら、ルールだけを盾にとらず、協力できるところは協力する。事前に対話できるのであれば対話などの対応をした方が良いように感じます。--永尾信幸 2011年6月11日 (土) 03:25 (UTC)[返信]
コメント 相手の立場を考える必要があるのは、執筆者も同様だと思います。たとえば、初心者の方が出典を明記し忘れているならまだ理解できますが、なかには、出典を明記しなければいけないことを理解していながら敢えて出さない執筆者もいます。出典明記の義務があるとわかっていながら明示しないというなら、本来ならルール違反ですし明らかに問題行為ですが、現実にはこのような利用者はゼロではありません。「求められたときには出典を提示してるんだから、問題ないだろ」(大意)などと開き直ってしまう利用者もいますが、これは閲覧者の立場を全く考慮していない姿勢だと思います。閲覧者側は、わざわざ出典を問いただすという手間をかけさせられているわけですから、閲覧者にとって迷惑この上ない存在です。「残念な事に、要出典を張られる方は何らかの出典が記載されたら満足してしまっているのが現状なんですよね。それって、本来の「検証可能性」に基づく「出典の明記」の本質ではない」というご指摘は一理ありますが、そもそも出典自体が明記されていない状態ならば検証自体が不可能であり、「本当にその出典がその記事の出典なり得るか」といった議論すらままならない状態だと思います。出典の要求とそれに基づく提示は、全てがそれで解決するわけではありませんが、少なくとも検証そのものが不可能というどうしようもない状態から抜け出すための第一歩ではあると思います。--114.48.201.172 2011年6月12日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
コメント 永尾信幸さんから「出典の明記に関しては検証可能性を考えるなら当然の事では無いかと思いますが、当然であろう部分まで出典明記を求めますか?」との問題提起がなされています。しかし、そもそも論ですが、多くのウィキペディア執筆者は「明らかに事実であり疑いの余地のない時を除き、出典のない投稿は禁止されています」との認識だろうと思います。誰がどう考えても明らかに事実なのであれば出典を明記せずともかまわないと考えているでしょうから、「当然であろう部分まで出典明記を求め」るようなことは生じないでしょう。もっとも、それが明文規定としてルール化されているのかは議論の余地がありそうですし、事実であることが明らかというのはいったいどこまでの範囲を指すのかはケースバイケースでしょうし、場合によっては議論の対象となることがあるかもしれません。--114.48.201.172 2011年6月12日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
コメントはじめまして福井の郷土史家志望者です。不慣れな者で質問失礼致します。下手な文ですが水羊羹こと丁稚羊羹の記事を書いた者です。出典の根拠とする記事に誤りが多く全く信用できないのと資料消失のため関係者インタビューと一部資料の確認を元に現時点での重要情報を記載した次第です。その経験から記事の有無に関わらず関係者インタビューと目撃者の証言を元に記事を書くようにしてるのですが注意すべき所がございましたら先輩としてのアドバイスをどなたか宜しくお願いします。地元福井の出身者の漫画作品それでも町は廻っているについては福井新聞の記事を鵜呑みにせず先ずは目撃者探しをしまして記載しました。普段からミスが多い福井新聞ですが出典としました。アニメ版GA芸術科アートデザインクラスについてはスタッフのロケハンの情報を放送前に得ましたが証言は福井市のイザワ画房のみです。舞台設定記述に独自研究の疑問がありましたがイザワ画房へのスタッフ来店は事実ですので要出典を間接的にお願いする意味合いで「福井でロケハンが行われた」と記載しましたら他の方に要出典を張られ編集争いになりかけた訳でこの場合どの様な出典をしてどう仲直りしたら良ろしいかアドバイスを賜りたく思います。利用者kazu7878 2011年11月15日 17:53(UTC)
コメントまずは、Wikipedia:独自研究は載せないをお読みください。これはWikipedia日本語版の方針です。Wikipediaに投稿する記事は、信頼できる媒体で記事の主題に関連する形で、既に発表されているものでなくてはなりません。ご自分で取材した内容を書いてはいけません。これは三大方針の1つですので絶対のものです。--ろう(Law soma) D C 2011年11月15日 (火) 10:42 (UTC)[返信]
コメントご返答感謝します。Wikiに参加しました一番の事情はページの一部が会社組織関係(商品も含め数年で資料廃棄の慣例と解散含む)か戦災災害等で資料消失だけで無く公の記事も存在しないはずなのに勝手な創造なのか誤ったデマ情報のページを幾つか目にしましてページを削除すべきか正すべきか色々悩みつつもページ内容の当事者の意見や資料等を出典代わりにしてでも改めるべきか思いつめた次第です。羊羹の項と水羊羹と丁稚羊羹で問題だったのは実在の店舗が発祥の店と間違えられ困惑されてたのと他根拠の無い誤った情報を伝えてしまってる事が問題でありましたので江戸時代から代々受継がた老舗関係者の方々からの証言を元に追記しました。100満ボルトの場合も不自然な内容でしたのでこの場合も当事者からの編集の許諾をいただきました。福井縁の作品の事柄についても噂の一人歩きを正そうと無理をしてミスをしてしまい迷惑をかけまして。ページの当事者関係者を出典代わりにするには一旦著書で発表してからでないとページを正せないのかこちらの世界が不慣れで不得手で勉強不足の自分には難しい問題で。特に書籍や新聞等もヒューマンミスが多いですのでこちらから間違いを指摘する程ですので出典は難しい問題です。今後は何とか善処出来ます様努力致します。デマ情報を改める為の対処方につきまして何か良い方法がございましたらみなさんのご意見を賜りたく思いましてどうか宜しくお願い致します。利用者kazu7878 2011年11月18日 7:55 (UTC)
コメント 可読性向上のため、インデントを一部変更しましたことをご了承ください。さて、デマ情報を改めるためということであれば、正しい内容で書かれた出版物を探して提示するよりありません。その場合であっても、貴方のおっしゃる「ヒューマンミスが多い」書籍や新聞を元に記事を書かれた利用者がいた場合、両論併記にならざるをえない場合もあります。それは、ある意味しょうがないことで受忍頂くより他ありません。なお、貴方と私のここでの対話は本題の流れと少し異なりますので、以降もしご質問がおありでしたら私の会話ページでお願いします。--ろう(Law soma) D C 2011年11月18日 (金) 00:20 (UTC)[返信]