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利用者‐会話:Littlefox

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ウィキペディア日本語版へようこそ!

こんにちは、Littlefoxさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!

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Littlefoxさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Trgbot 2009年7月22日 (水) 19:11 (UTC)[返信]

ザ・パシフィック(ドラマ)移動のお知らせ

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作成記事移動のお知らせ こんにちは。Littlefoxさんが先ほどご作成なされた記事名ザ・パシフィック(ドラマ)についてですが、Wikipedia:記事名の付け方に違反しておられましたので、適切な記事名であるザ・パシフィック (テレビドラマ)へ移動させて頂きました。今後の加筆・修正はザ・パシフィック (テレビドラマ)の方へお願いします。ザ・パシフィック(ドラマ)の方はWikipedia:即時削除の方針によりごく短期間で削除されますのでご了承ください。では用件のみですが失礼します。--FTX 2010年4月13日 (火) 07:06 (UTC)[返信]

百科事典であることに留意してください

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はじめまして。ナイフの項での編集を拝見し、ついでトレンチナイフの項を拝見したのですが、些かLittlefoxさんの投稿内容には文学的って言うのか、過剰な感情・情緒的描写が見受けられます。しかしウィキペディアが目指しているものは百科事典の他にはなく(→WP:POL/WP:NOT参照)、淡々と事実を説明することだけが重要で、文学的な情緒的描写は必要とされません。できるだけ、事物を客観的かつ冷静な視点で説明されるようお願いいたします…--夜飛/ 2010年4月13日 (火) 08:35 (UTC)[返信]

私はそれほど表現にこだわりがありませんでしたので、加筆されるに任せていましたが、なんども別の編集事案で蒸し返されるのではっきりさせておきます。
yatobiさんが文学的と指弾している「血みどろ」という表現は「出血がつきもの」といういう形容詞と捉えた場合、そこまで過度な表現ではありません。トレンチナイフによく見られる「血で滑らない為のグリップガードを備える」という特徴を一言で表すために選びました。非文学的な書籍の中にもよく登場します(特に翻訳物)。一例を上げるならば世界戦争辞典の日露戦争の項目に、『血みどろの戦いが行われ』という表現が登場します。--Littlefox 2011年3月25日 (金) 18:52 (UTC)[返信]
書き忘れていましたが、yatobiさんが参考文献としている新・戦場のテクノロジーにも血みどろの歩兵部隊という表現がでてきますね--Littlefox 2011年3月25日 (金) 22:26 (UTC)[返信]

既にこの話題は後述の別議論に拠って上書きされた指摘ですので、1年近く放置して今更応答するなどは、受けを狙っているなら兎も角面白くないのでお止めください。なお後述でガイドラインWikipedia:大言壮語をしないを紹介した呼び掛け中「やれ斯く斯く云々(中略)も中立的とはいえない」(2010年10月31日付け)と表現を書き綴るために出典を漁る真似も芳しくないことを述べましたが、今頃になって「血みどろと書くために『血みどろ』と表現してある文献を挙げる」のは、なんだか正月の芸能番組を見るようです。今更こんなことを言ってしまう事自体、Littlefoxさんが出典をどのように考えているかが窺い知れますが、出典に忠実になることと、出典を作意を持って引用し主張を記事に書き込むのは、全く意味が違いますよ。まあLittlefoxさんには今更期待することも無いので、今更こんなことで話を交ぜ返す姿勢にも、もはや何の感慨も沸きませんがね。--夜飛/ 2011年3月26日 (土) 09:15 (UTC)[返信]

えーっと…

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Littlefoxさんのこちらの編集が、記事をとんでもない状態にしてしまっていたため、差し戻すと共に直前のLittlefoxさん投稿分を文末に移動させておき(ついでに補足し)ました。もう少し、落ち着いて投稿してほしく思います。--夜飛/ 2010年4月20日 (火) 10:29 (UTC)[返信]

すいません 気を付けます--Littlefox

お詫びとお願い

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この度は不快な思いをさせたことをお詫び申し上げます。あなたからの忠告は承りました。

私が批判したのはあなたの人格でなく編集傾向の一部です。でもこれはあなたの行動をすべて否定しているわけではありません。他の方から忠告を受けることなど私を含めて誰でも経験しています。 私からもお願いが2点。

「一万円札のことを一萬圓券と呼ぶのは横着してる」、「自分の意見が多くの人から支持されてると主張」これらはそうは考えていませんので解釈を湾曲させないようお願いします。

一旦、投稿ボタンを押すと、たとえ後で書き換えても履歴は半永久的に残り全世界の方が閲覧可能です。ノート:円 (通貨)の取り消した部分については私も大変後悔をしております。Littlefoxさんのノート:円 (通貨)は連続投稿気味となっていますので、一旦テキスト文書を作成した後、しばらく時間を置いて見直してから投稿されることをお薦めします。--As6022014 2010年4月22日 (木) 03:03 (UTC)[返信]

<ref>中のsubstについて

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日本の件なんですけど、<ref>の中ではsubstがきかないんで、和暦を入れたければ手作業で入れてください。

なんで<ref>の中では和暦を入れないことにしたかというと、本文中で年代の説明として和暦があるのはわかるけど、脚注にまでいらないだろうという判断でした。

あと、本文中でUPUの箇所で和暦をはずしましたが、これは別に日本に限った事象じゃないだろうと。--Hatukanezumi 2010年7月19日 (月) 08:54 (UTC)[返信]

あ、あと括弧の入れ子を直したのも戻っちゃってますね。

そういうわけで、お手間をとらせてたいへん申し訳ないんですが、いったん差し戻しをもとにもどします。<ref>の中で和暦を追加したければ、していただくのはかまいません (してはいけないわけではないですから)。 --Hatukanezumi 2010年7月19日 (月) 08:59 (UTC)[返信]

ユダヤ人」や「日ユ同祖論」の項目の文献無しの大幅加筆や重大な事項の記述について

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参考文献無しで大幅に加筆や重大な事項を書き足すのをやめてください。Wikipedia:検証可能性がありません。ちなみにwiki自体はソースになりません。脚注を付けて参考文献を付けて加筆して下さい。Wikipedia:出典を明記するなど参照。--Omaemona1982 2010年9月4日 (土) 09:26 (UTC)[返信]

ユダヤ人国家たるイスラエルの成立の過程は歴史的な史実しか書いてないので、参考文献が必要とは思えませんがおいおい追加していきましょう。内容について不足があるなら追加していってください。
いずれ「ユダヤ人」項目は大幅に加筆する予定です。--Omaemona1982 2010年9月4日 (土) 11:02 (UTC)[返信]
なお日ユ同祖論への加筆は「分子生物学などで確かめられていない」という一節だったと思います。これは反証不可能でもなんでもなく、分子生物学を応用した研究を1つでも挙げれば反証はできます。--Littlefox
「分子生物学などで確かめられていない」と書いてある文献を提示願います。何を根拠に貴方はこれを書いたのか。--Omaemona1982 2010年9月4日 (土) 11:02 (UTC)[返信]

まずユダヤ人も日本人もまとまった量の分子生物学の研究対象になっています。例えば沖縄人と九州人が遺伝的に近いこと証明した研究は日琉同祖論を裏付けています。ユダヤ人も熱心に調べられていて、最近ヒトラーの遺伝子に中東由来(ユダヤ人に近い人達)の遺伝子が認められたなんてニュースがありました[1]。しかしながら両者についての類似性を見出した研究は聞いたことがありません。同祖論を証明するには分子生物学が武器になることは明かでしょう。--Littlefox 2010年9月4日 (土) 11:31 (UTC)[返信]

繰り返しますが、参考文献の提示を願います。貴方がいくら「聞いた事がありません」「明らかでしょう」といっても意味がありません。ヒトラーの話なんて全然関係ありません。「日ユ同祖論は分子生物学などで確かめられていない」と記述してある文献(Wikipedia:信頼できる情報源)を脚注につけてください。Wikipedia:検証可能性にもありますが、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者」にあります。つまり「分子生物学などで確かめられていない」の一文を残すことを希望する執筆者である貴方の側にあります。--Omaemona1982 2010年9月4日 (土) 11:55 (UTC)[返信]
論理学の常識として無いことの証明は困難です。分子生物学の分野では日ユ同祖論が認められた形跡はありませんし、はっきりって相手にされていないのでわざわざ日ユの類似性に触れられることもありません(私の知る範囲では)。出典でしたら日本人種のの系統樹でも示せばいいのでしょうか?(当然ながら日本人とコーカソイドは遠目の位置にあります)。なお出典主義は出典と一字一句同じ文章を書けといっているわけではなく、その場合むしろ著作権違反のおそれがあります。念のため。納得できないならコメント依頼でもなんでもしてください--Littlefox 2010年9月4日 (土) 12:26 (UTC)[返信]
wikiは学界じゃありません。「論理学の常識」など関係ありません。wikiにそのようなルールは存在しません。Wikipedia:検証可能性にありますが「私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。」と書いてある通り、情報源を出せない事は一切書いてはならないのです。繰り返します。参考文献を示してください。期間を置きますが、なお文献が示されていない場合は貴方の編集箇所は削除いたしますのでよろしくお願いいたします。--Omaemona1982 2010年9月4日 (土) 12:40 (UTC)[返信]
だから分子生物学の研究を検証して、日ユ同祖論を支持するものを一つでも挙げればよいでしょう。あなたがそういう強行な姿勢を崩さないならば私も同じことをしてみようかなと思います。みたところ日ユ同祖論の記事の大半は反証可能性を満たしていないように思います。少なくとも学会でかなりの少数派意見というか相手にされていないですし中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?の観点から大半を削除することになると思いますが、よろしいですか?--Littlefox 2010年9月4日 (土) 13:05 (UTC)[返信]

これまでの編集に中立性あるいは検証可能性が満たされていなかったからといって、新たな編集に検証可能性がなくていいことにはなりません。それ以前の編集にwikiのルールに照らして問題があると思えば、貴方が別途提起すればいいだけです。それから先ほども言いましたが、Wikipedia:検証可能性にあるとおり「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者」にあります。つまり私ではなく、貴方が文献の明示責任を負っているのです。それから参考文献のないwiki上の記述を削除することは強行でもなんでもありません。、Wikipedia:検証可能性の基本ルールに「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」と削除を認めている事をご確認ください。--Omaemona1982 2010年9月4日 (土) 13:16 (UTC)[返信]

追伸、念のためWikipedia:検証可能性の方針を張っておきます。--Omaemona1982 2010年9月4日 (土) 13:33 (UTC)[返信]

  1. 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
  2. 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
  3. 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。


まあいいでしょう。適当に遺伝情報の出典を記載して「分子生物学の研究では、特に日本人とユダヤ人との近縁関係は示されていない」とでも書いておきます--Littlefox 2010年9月4日 (土) 13:40 (UTC)[返信]
適当では困ります。貴方がここで挙げたヒトラーうんたらみたいな無関係なソースではソースになりませんのであげられても同じ事です。「分子生物学の研究では、特に日本人とユダヤ人との近縁関係は示されていない」趣旨の事をしっかりと示してある文献でお願いします。参照する参考文献の基準としましてはWikipedia:信頼できる情報源を参照のうえ、適合する物をしっかり選んでください。--Omaemona1982 2010年9月4日 (土) 13:52 (UTC)[返信]
ひどく誤読しておられますね。ユダヤ人の遺伝子解析が熱意をもってなされているということを示すタイムリーな話題として挙げただけです。あなたが言う形の出典は難しいですし、無意味なことです。しかしパレスチナ・ユダヤ人はコーカソイドグループに属し、日本人はモンゴロイドグループに属していることの出典を用意するのは容易であり、それは近縁関係に無いことを含意しています。その方向で編集するのでよろしくお願いします。ま日ユ同祖論は宗教の部類なので何をいっても無駄だと思いますけれど、現実社会に同意を求めるのは大それた願望だと知るべきですね--Littlefox 2010年9月4日 (土) 14:38 (UTC)[返信]

出典

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  1. ^ http://jp.ibtimes.com/article/biznews/100825/59574.html

出典つきの記述を想像で書き換えないでください

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トレンチナイフの項でのLittlefoxさんの記述なのですが、

  • 多くの兵士が米ブラックジャック社の製品を護身用に携行していた」(どこの兵隊かは言及していない・同社製品を携行した兵士も少なくないことを述べたもの)

と小生が出典とした雑誌に沿って書いた内容を、どうも出典元からすると誇大解釈になりかねない内容

  • 湾岸戦争に従軍した米兵は米ブラックジャック社の製品を好んで携行していた」(米兵に限定・あたかも同社製品だけが好まれたかのような表現)

に置き換えておられますが、そのような態度(出典を逸脱する解釈を書き込むこと)もまた、独自研究百科事典的ではない行為であることにご注意ください。--夜飛/ 2010年9月17日 (金) 22:57 (UTC)[返信]

私は記述にこだわりはないので、yatobiさんのいうような形に戻しておきました。しかしながら、兵士が私物の武器を持ち込むのは当たり前の事です。補給品を気にしなくて良い白兵武器は特にそうです。単に、一定量の兵士が持ち込んだというだけでは特筆に値しないのでは?そこで好んでブラックジャック社のナイフを持ち込んだのだろうと好意的に解釈したわけなのです。どう思われますか--Littlefox 2010年9月17日 (金) 23:29 (UTC)[返信]
「一定量の兵士が持ち込んだ」ことと「好んで持ち込んだ」ことは意味合い的に全く水準が異なる(好んでいたのか必要性を感じていたのか同社製品の入手性が良かったのかなど動機の如何も含め)ため問題視しました。小生としては、前文にて私物兵器の持込(場合によっては散弾銃の対人使用がハーグ陸戦条約上で問題視されることもあるなど)を話の枕として、しばしば市販品のナイフも持ち込まれ、可能性レベルでトレンチナイフに類するものが持ち込まれることもありうるとしながらも、実際には汎用のユーティリティ(銃剣機能から遭難時のナタ・髭剃り・マッチ代わり等などまで)が好まれている様子を説明したものであり、ブラックジャック社の製品はその持ち込み武器(特にナイフ類)の一例(明確に出典が得られたもの)に過ぎません。それをLittlefoxさんが過剰に持ち上げてしまったものだから、「そこまで持ち上げる必要は無い」という意味で記述が蛇足気味(例示なら兎も角、記事主題には絡まない特筆性不足)に陥っていると考えています。なおM9A1は確かに銃剣としての機能を備えているのですが、それはむしろ「幾つかあるM9A1の機能の一つ」であってM9A1を銃剣としてのみ捉えるのも不適切かと考えています(出典とした『ナイフマガジン』での表記は「コンバット・サバイバルナイフ」となっている)。好意的に解釈するのも結構なのですが、出典の内容と違う想像を盛り込むのは拙過ぎるということです。--夜飛/ 2010年9月18日 (土) 09:06 (UTC)[返信]
M9A1は米軍がbayonetとして制式採用してる以上、銃剣と呼ぶべきでしょう。なんども申し上げます通り、現代の銃剣はほとんどが汎用性の高いナイフ型である上に、サバイバルナイフのように様々な機能を盛り込むのがトレンドとなっています。例えばM9のワイヤカッター機能はAKシリーズの銃剣を真似たものですし、鋸機能を備えた銃剣は第一次大戦時からありました。なおブラックジャック社のナイフが特に好かれていないということでしたら、固有の社名を本文中に出す必要はなさそうですので出典部分に移動させようと思います。--Littlefox 2010年9月18日 (土) 15:42 (UTC)[返信]
なるほど、M9A1(M9 (銃剣))は銃剣から派生したその一種のようですね。その辺りは認識を更新しておきます。ただ、それを考慮に入れてもトレンチナイフ#現代の2節目(「近接戦闘能力の高い自動化火器の発達で(中略)米ブラックジャック社の製品を護身用に携行していた」の箇所)は、元になった小生の版では一端脱線させて周辺事情に言及した上で本題に戻って決に至るように構成しましたが、Littlefoxさんの改稿によって同箇所は記事主題たるべきトレンチナイフの説明ではなく、必要な内容は1節目に既に述べられ存在意義を喪失した蛇足になっているように感じます。米軍装備のM9バヨネットの話も、実際問題として備考としての現代装備にトレンチナイフ直系の刃物が存在しないことの説明における例示の一つであり、過剰にM9バヨネットを取り沙汰することは説明の主題を散漫にさせる余事記述ではないでしょうか。--夜飛/ 2010年9月18日 (土) 16:49 (UTC)[返信]
ご意見を参考に改定しておきました--Littlefox 2010年9月18日 (土) 17:59 (UTC)[返信]
ナイフ状の銃剣」という件については一般論化できるか(米軍以外の装備事情など)を要調査かもしれませんが、現状で大筋で問題ないと思います。改稿、お疲れ様でした。--夜飛/ 2010年9月18日 (土) 23:53 (UTC)[返信]
おそらくがyatobiさん「ナイフ状の銃剣」という軍事用語をご存知ないのではないかと思います。ナイフ状ではない銃剣とはかつて主流であったスパイク(針)状の銃剣の事であり、現代では特殊な物(例えば折りたたみ式一体型銃剣、それも旧式の部類ですが)を除いて採用例がありません。今の銃剣はナイフ状が主流であり、なおかつ多機能化がトレンドというのが文意でした。--Littlefox 2011年3月12日 (土) 13:34 (UTC)[返信]
(インデント戻し)「ナイフ状の銃剣」が公式な軍事用語かどうか(ミリタリーマニア視点の軍事的用語の範疇ではないのか?)は悩ましい限りですが、既に本題とは関係ないのでコメントは差し控えます。--夜飛/ 2011年3月13日 (日) 04:31 (UTC)[返信]
専門的に言えば針型銃剣(spike bayonet)と剣型銃剣(sword bayonet)です。剣型といっても長剣であるはずはなく、短剣(ナイフ:knife)のことです。私は分かりにくい専門用語を避けてスパイク(針)状の銃剣と、ナイフ状の銃剣と表現してきましたかが、知らない人を却って混乱させることになるのであれば考えものです。それは考慮する必要があるかもしれません。しかしながら、「針型銃剣から剣形銃剣へ移り変わって銃剣単独でもナイフとして戦闘もしくは雑事に使えるようになった。そしてファイティングナイフが廃れた」という本文の流れを説明する上で必要な要素であるとして、本文に記述している次第です。-Littlefox 2011年3月13日 (日) 09:35 (UTC)[返信]
なんというか…専門的な用語を独自表現に置き換えたとしても、読者を混乱させる(その語が別の資料を検索する役には立たない)だけでしょう。専門的でイメージを伝えにくい用語に注釈をつけるのは説明的ですが、語を置換してしまうのは独自研究の発表に差し掛かる問題だと思います。--夜飛/ 2011年3月13日 (日) 10:25 (UTC)[返信]
たしかに日本語についてはもう少し厳密に理解するべきでした。軍事コミュニティではこのレベルの誤読はまず起きないので、相手の知識に依存する書き方に慣れてしまったいたようです。表現についてはおいおい訂正しておきます。まずは他の係争部位について決着をつけましょう。--Littlefox

皮肉かどうか

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トレンチナイフの項なのですが、「人を刺す以外なら(後略)」を皮肉と解するかどうかはいささか「独自の解釈」(WP:NPOV/WP:NORの双方に掛かる)に差し掛かっていると考えます。まあそういう「どう解釈するか」は読者(の価値観)に任せたほうが、読者側にとってもニヤリとするか思いを巡らせることになるのかは兎も角として得るものが大きいと考えるため、過剰に価値観を押し付けるかのような語は敢えて使わないほうが良いと考えています。--夜飛/ 2010年10月29日 (金) 09:00 (UTC)[返信]

wikipediaは仮にも百科事典なのですから、事実でない事をそのまま載せるのは慎重であるべきだと考えています。明らかに嘘なのだから皮肉や冗談の類だと解釈できるはずだという態度の方が価値観の押しつけではないでしょうか?読み物としては当り前の手法でも、辞書にはそぐわないものがあるはずです。--Littlefox 2010年10月29日 (金) 10:10 (UTC)[返信]
少なくとも原典には皮肉だと表現されていないのです。それを「皮肉」と表現することは、出典に対して忠実ではありません。ただ「そのように表現されている」というありのままの事実を書くことが重要です。「明らかな嘘」(事実に沿わない)という判断というのも、なるほど戦時におけるナイフでの殺傷事例を紐解くまでもなく妥当な判断でしょう。しかしそれを一律に並べれば、情報の合成(WP:NOR)に他なりません。過剰な解釈の盛り込みは視点を誘導的にしてしまうことで、中立性を損なうのです。--夜飛/ 2010年10月29日 (金) 10:29 (UTC)[返信]
最低限、事実出ないことは併記する必要があると思います。まあ皮肉かどうかは作者に聞いてみないと断言できないと言う事でしょうし、白黒つけるのは無粋と言う奴なのでしょうが、そういう文学的な表現を出典として引用するのはいかがなものでしょう。皮肉や冗談は事情をわかってる仲間内でほくそ笑むためのものであり、百科事典を求めて記事を読む人間に、何の注釈もなく提示するといらぬ混乱を与えることになるかと思います。自閉症者やコンピューターがうまく皮肉を解せぬことから分かるとおり、皮肉は論理とは別に、常識から帰納しての判断を必要とする高度な判断なのです。--Littlefox 2010年10月29日 (金) 11:19 (UTC)[返信]
記事は、いわんや記事を書く側は読者を選べないのですが、同時に読者は記事の内容をどのように解釈するかは読者の自由であり、皮肉か否かということは、実際問題として読者の自由に委ねられる問題でしょう。それを仮定の話として、あるいはある記述を擁護するために、出典内容を誇大解釈して記述すべきとは到底考えられません。そういう解釈で出典を扱うことは、すなわち出典を明示する(WP:REF)の理念にもそぐいません。出典にないことを書くことは、出典を示して検証可能性(WP:V)を向上させることは出来ず、結局は独自研究でしかないのです。そんなこと(出典に無い解釈を書く)をやりたいのなら、むしろ出典情報は邪魔です。出典を示すからには、その出典に誠実になることが必要でしょうね。事実その通りにしか書いてないことを書いて読者があらぬ誤解をしたとしても、その出典を手に取り深く読むことで誤解は回避できるでしょう。どうあっても誤解するようなら、それは読者の問題であって記事の責任ではありません。しかし出典に無い解釈を書いてしまえば、出典を手に取った読者にとってこれほど無用な混乱を与える記事は無いでしょう。そしてそれは、ウィキペディアの信頼性を損なうことにしかなりません。ウィキペディアの理念冒頭に掲げられた「ウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることです。」に反することだと思います。--夜飛/ 2010年10月29日 (金) 14:43 (UTC)[返信]
では「(無論、そうではない)」というような注釈をつければよろしいですか?--Littlefox 2010年10月30日 (土) 12:53 (UTC)[返信]

(インデント戻し)いや、記述者の解釈を盛り込むのが拙いと述べているのに、なんでそういう発想に行くのか不思議というか不可解です。その歩兵装備の短剣が人を刺すことには使えないことが「事実に沿わない」という問題も、「道具の機能として」妥当な視点ではありますが、道具の機能その一点を持って述べた後で全否定する形を取り余計に記述を混乱させる意味しか持ちません。「道具の機能としては無論そうではない」ものの「しかし斯様に表現される理由」を構成する要素にも事欠かず、

  1. 実際の戦闘では短剣や銃剣で刺しあう(それらが届く範囲に接近する)前に決着が付いているので出番が無い
  2. それらが届く範囲にお互いが近づいた状態でも、実際の戦闘では短剣を鞘から抜いて構えているヒマが無い(出すだけ無駄)
  3. 短剣なんかより使い勝手の良い便利な武器(短機関銃や拳銃)が幾らでもあり、接近戦に持ち込んだら短剣が届く範囲以前からそちらに切り替えたほうがマシ
  4. 現代戦闘では短剣で実際に戦った結果として、短剣を抜いた側が倒されている(日本軍のバンザイ突撃など)

といった具合で、まあ実際問題としては件の書籍では歩兵装備としては短剣をかの様に表現しており、また拳銃やマシンピストルへの言及、アサルトライフルの3点バーストの理由などへの言及から鑑みるに、「ナイフの道具としての機能」では「必ずしもそうではない」が、「実際の戦闘では使いどころが無い」という趣旨と取れる内容です。まあ、(ゲームとか漫画とかなフィクションは無視して)特殊訓練を受けた専門家とか状況がよっぽど特殊ともなれば、歩兵は敵対者を排除して生き残るために使える道具の一つとしてナイフや短剣を出すこともあるでしょうが、それらは一般の兵にとっては「使えない(使いどころが無い/使う必要が無い/使えばむしろ危ない)」というのでは、件の記述はむしろ「大多数の兵士にとっては事実その通りでしかない」ということにもなるのです。してそういう解釈もまた、出典のほかの箇所を合成しているのであるから、書くことは妥当ではありません。とにかく、Littlefoxさんは上でも申し上げましたが、自身の価値観を情緒的な表現で盛り込もうという指向が強すぎます。そのような行為は中立性と相容れませんのでおやめいただきたく。--夜飛/ 2010年10月31日 (日) 03:35 (UTC)[返信]

あのですね。yatobiさんは私の表現をよく「百科事典的でない」として削除するでしょ。もし私がそれらの表現に出典をつけたら残して良いのですか?例えば”第一次世界大戦では空前絶後の塹壕戦が行われた[1]”みたいに。ちなみに現代にいたるまで第一次世界大戦を超える規模の塹壕戦が無いことは事実です。それにはっきり言うとyatobiさんの引用の仕方は不適切です。銃剣は今日でも人を刺すために使われています(特に死体のチェック)からこの一文のみを引用すると誤解をまねくので何らかの補足が必要です。自動火器の前に白兵武器が不利であることは私自身が記事中で何度も言及しているように重々承知ですが、そんなに簡単に割り切れるものではありません。だからこそ兵士は銃剣のみならず、私物のナイフすら持ち歩くのです。--Littlefox 2010年10月31日 (日) 09:25 (UTC)[返信]
「空前絶後」という表現が大げさなのです。事実は淡々と扱う…それこそが百科事典の説明であり、中立的な態度に繋がります。いわんや血みどろだのと文芸的な表現に傾けば、曖昧な(言い換えれば「陳腐な」)イメージを撒き散らすことにしかならず、記事に扱われた事物の正確な情報などを薄める役にしか立たないでしょう。ガイドラインWikipedia:大言壮語をしないもありますが、過剰な装飾は如何様に言っても百科辞典的とはいえません。出典をつけるのも、やれ斯く斯く云々(文献)には「空前絶後」と書かれているぞとか、やれアレやソレやには血みどろな様子が撮影されているぞとかいうのを「自分好みに書くためにほじりだしてきて貼り付ける」ようなものというのも中立的とはいえないし、まして百科事典の説明としても装飾過多で紛らわしく混乱した記事にしかならないでしょう。「銃剣は今日でも人を刺すために使われています」とのことですが、Littlefoxさんの言っているのはそういう使われ方をするための器物が銃剣だというだけで、それは『新・戦争のテクノロジー』に書かれている内容とは、全く別の事柄に過ぎません。銃剣で殺害された事例の統計情報が書きたいのであれば、銃剣の項に出典付きで書いていればいいだけのことで、ある出典からの引用を否定するために情報の合成を推進しようという発想自体が異質です。誤解だ何だと言っても、Littlefoxさんが書かれた内容の趣旨を勝手に解釈しているだけで、そこにはLittlefoxさんの想像した読者しか介在していないため、実際のところとしてどうなのかも別問題でしかありません。なおもいえば、自動火器の前に白兵武器は不利であると後述されていることが、余計な解釈(皮肉と付与する)を付け足さない件の記述の理解に繋がっており、それは一連の説明として意味を持つでしょう。しかしここで「皮肉」とか「無論そうではない」とか付け足せば、現代戦でもトレンチナイフは必要なのかと余計な混乱しか招かないでしょう。事実であれば、事実によって補強されます。それを事実から逸脱して一々記述者の価値観を混ぜ込めば、記事は混乱した内容にしかならないでしょう。そういう蛇足を「割り切れない」などという至極個人的な理由で書けば、それは百科事典的ではありません。--夜飛/ 2010年10月31日 (日) 10:11 (UTC)[返信]
銃とは万能の武器ではありません。
*弾がなくなれば使えない(自動火器は大量に弾薬を消費するため、兵站が絶たれると急速に戦闘力を喪失します)
*故障すると使えない(最近はマシになってきましたが、自動火器は動作不良が多いです)
*乱戦では誤射を恐れて使用しづらい
*出会い頭の戦闘など、ごく至近距離では照準が間に合わないことがある(塹壕戦でナイフが多用された理由)
*人間は接近戦では本能的に白兵戦(というより殴り合い)を行おうとする
*これらの状況が発生した場合、手元に使える武器がないと士気を喪失しかねない
そりゃもちろん自動火器と正対してナイフが勝てる見込みは薄いですが、そうではない状況のためのサブウェポンとしてのナイフがあるのです。兵士が戦闘利用を考えずに雑用のためだけに携帯しているかのように受け取れる引用文は適切ではありません。欄外の注釈でもかまわないので補足説明が不可欠という姿勢は譲れません--Littlefox 2010年10月31日 (日) 11:10 (UTC)[返信]
いえいえ、そういう「実際問題として考えられる優位性」を主張するために出典からの引用内容を曲げて記述することは問題でしかありません。銃器は絶対ではないからこそ、ナイフが携行される…これは疑うべくも無いでしょう。しかしそれはもはや文芸的な表現を用いたり、あるいは引用された文章に記述者の解釈を盛り込んでもいい理由にはならず、むしろ「記述批評がやりたいのであればそれが許容される場に書くべき」という他ありません。しかもトレンチナイフの説明から逸脱して「歩兵がナイフを携行する理由(塹壕戦に限らず)」を書き綴ったとしても、それらはトレンチナイフの説明からいったら脱線記述でしかないでしょう。しかもそういう解釈をトレンチナイフとは無関係に、しかも幾つもの情報を組み合わせたりすれば、「独自研究の発表」の誹りを受けるだけです。--夜飛/ 2010年10月31日 (日) 12:35 (UTC)[返信]
要するに引用のセンテンスに混ぜるなということでしょうから、別に補足説明を書く事にします。ーーLittlefox 2010年10月31日 (日) 13:23 (UTC)[返信]

出典を検証しましたが、やはり誇張された強調表現でしたので、その旨編集しておきました。出典を引用すると、まず歩兵用火器を解説した節に「ピストル(だいたい無用の長物、短剣(炊事などに有効)」という文があり、次に個人装備の節に武器以外の装備品と並べて「人を刺す以外ならなんにでも使える短剣」という表現が登場します。つまり、「冷戦当時の軍隊では,ナイフは武器でもあるが、どちらかというと道具として重要である」と事を言いたかったからだと思います。しかもこの項目は銃剣についての記述がありません。これでは銃剣を武器として使い、それ以外に雑事用のナイフを持っているとも取れます(実際にそういうケースは珍しくありません。いわゆる十徳ナイフも元々軍用ですから)。もちろん、当時すでに陳腐化した感のあった拳銃が支給されて続けているのですから、ナイフを支給し続けていた軍に対する皮肉ともとれます。そもそも、この本は冷戦時代の技術全体を全体総記した本であり、歩兵用の軽火器や個人装備はそれぞれ1ページ未満でさらりと触れられているに過ぎず、これ以上の判読は難しいと言わざるを得ません。まだ本全体を精読したわけではないので読み落としがあるかもしれませんが、これが私が出典を検証した印象です。--Littlefox 2011年3月12日 (土) 14:12 (UTC)[返信]

まあ、それ(同書が総論的なものでしかない)ゆえに、そこに書かれている内容をどう解釈するかは読者の仕事であって、引用して記事を構築する側にあっては、余計な解釈を書き綴ることこそ問題(中立的視点)だと常々申し上げていたのですが…何というか、自身に内在する価値観に誘導的になるために情報の合成はお止め頂きたいと言う趣旨は余り理解されなかったようで残念です。--夜飛/ 2011年3月13日 (日) 04:28 (UTC)[返信]
何でもかんでも関係ありそうな本を引用すれば良いというものではありません。いくら本を読んだと言っても前提となる教科書的な前提知識が無いと、きちんと読み解けないものです。特にyatobiさんは軍事関係の本をあまり持っていないようで関連の薄い本を持ってきて強引に出典としています。それでも無いよりはマシというのは分かるのですが、不適切な出典になることを警戒しなければなりません。反証する側に手間をかけさせるのですから。今回のように雑誌と絶版本という入手困難なしろものであるならなおさらです。--Littlefox 2011年3月15日 (火) 04:55 (UTC)[返信]
「何でもかんでも関係ありそうなこと」を書かれればたまったことではないというのは、そのとおりでしょう…例えば同項で現代戦闘において相対的にナイフの重要度は低下していることを示すのに「バイオハザード5でいくらナイフで上手に戦ってもすぐにゲームオーバーになってしまう」なんて書かれたら、それこそ「帰れ!」と口走ってしまうほどたまったものではないでしょうね。しかし件の記述はそれほど前後の記述に絡まない内容だったのですかね。比較的参照性のいい書籍(絶版とはいえ入手できなかったわけではないでしょう)から一文を引用して後述につなげるという意味で、少なくとも初期形態ではそれ程無茶な内容ではなかったと存じますが?そこを記述者が出展に忠実にならずに価値観とか何とかを混ぜ込んでしまえば文が混乱するのは当たり前で、その意味でも「皮肉かどうか」で混ぜ込みをやめるようお願いしたんですけどね…すでにほかで見る影もなく混ぜ込み著しいようなので、もはや「皮肉かどうか」だけに収斂されない状況にありますが。--夜飛/ 2011年3月15日 (火) 09:48 (UTC)[返信]

装甲車が自衛隊用語?

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装甲車は装輪車体のみを指し、装軌車体まで含むのは自衛隊用語だと考えておられるようだが、九四式軽装甲車は自衛隊車両なのか?古い言葉だと装甲自動車というのが、おおむね装輪車両のみを指したようだが。--みとっぽ 2011年1月3日 (月) 08:58 (UTC)[返信]

ご存知かと思いますが、戦前の装軌装甲車は実質的には豆戦車(タンケッテ)であり、本来装甲車と呼ぶにはふさわしくありません。これは戦車という呼称をつけると、騎兵科もしくは機甲科の装備(つまりナワバリ)となってしまうため、歩兵科の装備であるということを強調するために装甲車の名前がつきました。
これは自衛隊用語同様に日本と日本語のの特殊な事情からくるものとみなすべきではないでしょうか。さて、この手の問題はたいてい英語などと日本語が一対一で対応していないことに起因します。Armored CarとArmored Vehicleが両方、装甲車と訳されることからくるニュアンスのずれです。私はArmored Carは装輪のニュアンスが強すぎるので、装軌車両は装甲車両(Armored Vehicle)と訳すのがより適当であると考えています。もっとも、自衛隊が公式に装甲車と呼ぶことがあるのも事実なので、こちらが優先されるのも致し方ないかと思います--Littlefox 2011年1月3日 (月) 15:12 (UTC)[返信]
日本に存在した軍事組織の用語を全て否定して、何に依拠して「本来装甲車と呼ぶにはふさわしくありません」などというのか?「英語などと日本語が一対一で対応していない」のだから、A.Carの定義に依拠して装甲車の定義はできないだろ。英語のA.Carは装輪車両を指す言葉だろうが、それなら実質的意味から装輪装甲車装甲自動車)とリンクさせればいいだけで、無理に装甲車とリンクする意味は無い。--みとっぽ 2011年1月4日 (火) 02:53 (UTC)[返信]

大人の事情により一般的用法と制式名が異なるのはよくあることです。それが自衛隊用語であり、戦前のセクショナリズムです。中の人や一般の人は区別するために豆タンとかFVって呼んでるもの。--Littlefox 2011年1月4日 (火) 04:35 (UTC)[返信]

手榴弾の項の関連項目に関して

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手榴弾の項で度々関連項目にランドセルを挿入されていますが、学童用ランドセル横のフックや環が、学用品や名前タグなどのためではなく手榴弾のためのものだという確たる論拠がありますでしょうか。それもなくただ連想的に付与されているのだとしたら、記事の信頼性を損ないますのでお止めください。なお関連項目は関係性の有無ではなく対象記事に記事主体の説明を補足する記事へと案内するものです(Wikipedia:レイアウトの指針#関連項目)。トレンチコートは塹壕戦の発生に伴い発達した服飾ということでまあ説明の範疇にありますが、ランドセル(学童用のそれ)は語源をオランダ語の背嚢を意味するランセルに求められることや、陸軍歩兵の装備である背嚢を原型とした背負い袋のようなものから発したとはいえ、現在のランドセルと背嚢の間にはもはや名前のそれを除けばほとんどなく、いわんや構造の一部であるフックや環が「手榴弾をさげるもの」などとどうしていえましょうか?ということです。っていうか、現代日本に一般に見られるランドセル背負って塹壕に潜む歩兵を想像したら、シュール過ぎて身悶えそうです。いずれにせよ、妥当性を示せない雑記であるなら、これを記事に投入しないでください。--夜飛/ 2011年1月5日 (水) 01:40 (UTC)[返信]

有名な話だと思ったので出典なしで記入しました。出典なしなので反対があるようならいったんコメントアウトも致し方なしかと思います。しなしながら、ランドセルのサイドフックは明らかに、背嚢のサイドフックと連続性があるでしょう。第一次大戦当時の手榴弾はかさばる柄付手榴弾が主流でああいうフックに吊り下げるのが具合が良かったのです。学童用にランドセルが導入された当時は軍装は悪ではなく憧れであったことは、軍服のデザインを模倣して詰襟学生服やセーラー服が作られたことなどから、よく知られている事実です。--Littlefox 2011年1月5日 (水) 14:35 (UTC)[返信]
とりあえず、「日本テレビの世界一受けたい授業」でランドセルと手榴弾の関係が紹介されたようです。これは出典になるのかな?--Littlefox 2011年1月5日 (水) 14:49 (UTC)[返信]
それは「陸軍の兵隊が背負う背嚢」の脇のフックの話と読めますが(「でした」と表現しており「です」とは言ってない)。いずれにせよ関連項目に限らず本文もトリビアを開陳する場ではない(WP:TRIVIA)のですから、余事不要と考えます。--夜飛/ 2011年1月5日 (水) 15:00 (UTC)[返信]
トレンチコートのリングが手榴弾用「だった」と同じようなものかとw。でも、まあ、関連項目欄にいろいろ詰め込むのが良くないのも事実だと思いますので、そのうちトレンチコートとあわせて、本文に移動させておきます。合意が得やすい書き方で--Littlefox 2011年1月5日 (水) 15:11 (UTC)[返信]

この一件については携帯方法の項目を新設することで対処したことを報告しておきます--Littlefox 2011年3月12日 (土) 14:21 (UTC)[返信]

トレンチナイフの編集について

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Littlefoxさんが21日(UTC)に行われたこの編集なのですが、過剰に狙撃を持ち上げたり、無煙火薬の登場が戦場の視界を開けさせた的な表現とか、機関銃の登場を第一次世界大戦とするなど、小生如きのささやかな手持ち資料(『新・戦争のテクノロジー』や『ピストルと銃の図鑑』など)にも反する内容となっております。どのような資料に拠られたのでしょうか?--夜飛/ 2011年2月21日 (月) 23:16 (UTC)[返信]

やはりきましたか。間違いは無いはずなので基本的に表現の変更で対応するつもりです。
資料をさがすにしろどこに疑問があるかを確認したいので、通説に対する疑問点をいただけるでしょうか?
  • 黒色火薬時代には戦場に硝煙がたちこめ視界が悪かった。このころの軍服が赤や青などやたら派手だった理由の一つ
  • 狙撃というのは文字通り狙い撃つことで、狙撃銃などの事ではありません。マスケット銃がよほど近づかなければ弾幕射撃で確率的にしか命中させることが難しいのにたいして、ライフル銃は数百メートル先の相手を狙撃できました。南北戦争で塹壕が掘られるようになった原因はライフル銃の普及による有効射程の大幅な増加です
  • 日露戦争や植民地戦争でも機関銃は使用され始めていましたが、数が少なかったなどの理由で第一次大戦型の塹壕戦へは発展しましせんでした。第一次大戦の劇的な変化に比べれば些細なものです--Littlefox 2011年2月22日 (火) 11:04 (UTC)[返信]
硝煙/無煙火薬云々に関しては、「視界を開けさせる」ためなどではなく、『ピストルと銃の図鑑』(池田書店)によれば銃腔内の燃えカス付着の問題や、発射した側が遠距離から確認しやすい(敵に発見されやすい)という問題を黒色火薬が持っていたこと、またブイエイユ(仏)の開発した無煙火薬が単純に発射薬として優れていた(弾丸発射に使われるエネルギーが大きく、残渣も少ない)ことが広まった理由であり、一斉射の際に視界が遮られる問題も解消されたであろうが、戦場で硝煙が立ちこめ云々などというのは、どうも誇大解釈臭いと考えています。なお軍服が派手なのは、むしろ敵味方入り乱れる白兵戦の際の識別用であり、またそれは国家総力戦以前の散発的な軍事衝突しかなかった時代の名残(ピッケルハウベのように)でしかないでしょう。
次に狙撃云々に関しては、長射程の銃器が発達したことにより長距離から撃たれることと塹壕の発達を結びつけることは、誇大解釈の無茶としかいいようがありません。悠長に狙って撃つことが可能なのは、出会い戦闘の前段階(相手がこちらに気付いていない状態)か、戦術的に有利な陣地に陣取っている場合(防衛)でしかありません。塹壕の発達は、機関銃と長射程の砲や強力な爆発物(爆弾・榴弾など)にこそ紐付けられるべきでしょう(『新・戦争のテクノロジー』に基づく視点)。
機関銃に関して言えば、実戦で運用され戦術転換が求められだしたのが南北戦争時代、日露戦争の頃には本格的に運用され始め戦術の大転換が求められた(旅順攻囲戦など)こともあり、第一次大戦に登場などという記述がどれほど無茶なものか解りそうなものですが、どうも解ってないみたいですね。
また小生は「どのような資料に拠られたのでしょうか?」と申し上げたはずです。それを資料にも拠らずちょっと浚っただけで矛盾が出るような我論で返すことは、議論を攪乱したいならいざ知らず、全く合理的ではありません。しかも、僅か数行程度の記述を書き換えるのに、捜して揃えなければならないほどの資料が必要な訳も無いでしょう。ただ参考にした資料を端的に示せばいいのです。それも出来ないようでは、お話になりません。--夜飛/ 2011年2月22日 (火) 12:11 (UTC)[返信]
なぜ狙撃と塹壕を結びつけているのかというと、そうしないと南北戦争で活発に塹壕が構築され始めた事実を説明できないからです。決定的になったのは機関銃であったという事実は、文章に書きましたよね。ちなみに榴弾の能力が向上したのは火薬の高性能化もそうですが(yatobiさんがダイナマイトにこだわっていた理由がわかりました)、炸裂時にうまく破片が飛散する外殻を作れるようになったという事情があります。さらに「通信によって誘導される長距離砲という投射手段の登場」というのも重要ですので、私は火薬のみではなく総合的な兵器システムとして「榴弾(砲)の登場が塹壕戦を生んだ」という書き方をするのです。そこはご理解いただきたいです。
>「悠長に狙って撃つことが可能なのは、出会い戦闘の前段階(相手がこちらに気付いていない状態)か、戦術的に有利な陣地に陣取っている場合(防衛)でしかありません」
これは間違いです。ライフリングがないマスケット銃は有効射程が極端に短く(100mもない)長距離からの狙撃というものが困難でした。猟兵などと呼ばれる射撃戦担当の兵士はいましたが、彼らもまた銃の精度の限界から肉薄して戦っていたのが実情です。当時の長距離攻撃は砲兵の担当でしたが前述の榴弾ではないので効果がしれていました。だから当時の戦争は現代の目からみると滑稽に見えるほど「悠長」なものでした。隊列を組んだ戦列歩兵がびっしりとした隊列を組んで敵の近くまで行進していくのです。ライフリングの普及以降は狙撃のいい的になりました。これが南北戦争で膨大な死傷者が出るようになった原因の一つです。
>「実戦で運用され戦術転換が求められだしたのが南北戦争時代、日露戦争の頃には本格的に運用され始め戦術の大転換が求められた」ではなぜ第一次大戦初頭の指揮官たちはこぞって無謀な突撃を繰り返して、何十万人も味方兵士を殺したのか。日露戦争の戦訓は観戦武官を通じて伝えられたはずですが、本国の軍人たちはまともにとりあっていなかった節があるのです[1]。偏見に満ちた言い方をすれば、「後進国ロシアと黄色人種の日本が辺境の朝鮮で行った局地戦にすぎない。伝統ある我軍の戦列歩兵を以てすれば敵陣を突破できるに違いない。第一、旅順は陥落したではないか」といったところでしょうか。もちろん機関銃の増強や長距離砲の開発など改革も行われつつありましたが、基礎となる戦術自体は従来の戦列歩兵・騎兵にによる白兵突撃にたより続けていました。実際に機関銃の前に死体を積み上げるまでは。

>「発射した側が遠距離から確認しやすい(敵に発見されやすい)という問題を黒色火薬が持っていたこと、」
矛盾しています。あえて遠距離から目立つように派手な服を着ていたのですから非発見性は重大な問題ではなかったと考えるべきでは?。遠距離から正確に狙撃できる銃がなかったので見つかっても問題なかったのです。あえて非発見性が重要な局面を探せば、米英戦争における米民兵のようにゲリラ戦などでしょうか。しかし彼らのゲリラ戦術を可能にしたのは狩猟用ライフル銃だったのもまた事実ですが--Littlefox 2011年2月22日 (火) 16:03 (UTC)[返信]

私はひとつの文献に頼って記事は書きません。長年、本を多読したり軍事趣味の人達と議論を通して取捨選択してきた知識です。しかし通説から外れたこと書いていないので、多数の蔵書を当たれば(yatobiさんおすすめの戦争のテクノロジーも購入しました。できればページも指定していただけるとありがたいです)あるいは図書館に行けば、該当の記述にあたるものをさがすのは難しくないでしょう。しばらく、yatobiさんが疑問に思う点をビタリと解決してくれる書籍をさがす作業に移ります。
ちなみに私がこの文節を編集する必要があると判断したのはyatobiさんの「ダイナマイトの実用化が~」という文に強い違和感を感じていたからです。発破用の爆薬あるダイナマイトそのものが戦場に使われることは稀です。「ここは高性能爆薬(全般)と表現を代えた方が良い、それならば黒色火薬から無煙火薬の登場にも触れたほうがよい」などと考えてこの文章になったのです。yatobiさんは出典の文章をそのままの意味で解釈する事が多いのかこの手の勘違いが多いです。ですが責めていはいません。編集者同士で意見を出し合うことできるのがwikipediaの良さなのですから。
それだけにコメント依頼に踏み切られたことは少々驚きましたが、私は今まで誠実に対応してきたという自負があるのでうけて立ちましょう。第三者の意見を得る機会というのはなかなか得難いものであり、ありがたいぐらいです。もしもこれが議論の相手をブロックによって排除するための準備だとしたら残念な事ですが、そのような方ではないと期待しています--Littlefox 2011年2月22日 (火) 15:34 (UTC)[返信]
どうにも各々のお説で、原因と結果・理由と結果が錯綜していますね。誤解の無いように申し上げると、小生はLittlefoxさんと軍事マニア談義に花を咲かせたいのではないのです。相手の言質を混ぜ返して前後の脈絡も無視して矛盾と称するものを創出してまでして、「そこが間違っている(と僕は考えるので)あなたが批判することはできない」と主張するのは余りにナンセンスです。また、WP:Vは理解されていますか。「長年、本を多読したり軍事趣味の人達と議論を通して取捨選択してきた知識です」とのことですが、そのようなモノ(敢えて「知識」と呼ばず「モノ」と表現します)をウィキペディアに開陳することもまた、WP:NOR上で芳しからざる行為に過ぎません。なおLittlefoxさんの「矛盾を指摘」した箇所に関しては、その「矛盾」と表現した文章の前文が、Littlefoxさんに内包される独自研究と矛盾しているだけの様にお見受けします。ちなみに『新・戦争のテクノロジー』において塹壕戦・防衛陣の敷設に言及している箇所は、25ページからの歩兵の項になります…が、よもやそのような発言が出るとは思いませんでした(件の書籍では歩兵に関する言及の肝に当たる箇所なので)。--夜飛/ 2011年2月22日 (火) 23:05 (UTC)[返信]
私も『新・戦争のテクノロジー』を購入して検証中なわけですが、これは冷戦末期当時の最新軍事技術を解説した本ではないですか。現代戦の本を出典にして第一次大戦当時の塹壕戦の説明、ましてやライフリングすら無い近世の戦争について何か言えると思う考えが理解に苦しむのですが,いかが思われますか--Littlefox 2011年3月12日 (土) 14:26 (UTC)[返信]
『新・戦争のテクノロジー』中、塹壕など戦闘陣地の運用についてさらりと触れられている箇所において、塹壕戦の発生に狙撃を過剰に持ち上げた要素は見出せないということです。同署の記述を見る限りでは、塹壕の発達は「機関銃と長射程の砲や強力な爆発物(爆弾・榴弾など)にこそ紐付けられるべきでしょう」と既に述べたとおりです。いずれにせよ、小生はそれ(本節冒頭で指摘した箇所)を主張するなら出典を明示願いますと申し上げている通りで、それを相手の資料に自身の主張を否定しきる対抗見解が無いことを論拠とする辺りは、議論のはぐらかし以上のものが感じられません。--夜飛/ 2011年3月13日 (日) 04:22 (UTC)[返信]
ちょっと待ってください。係争している該当項目は塹壕のことを説明するために、近世から近代への戦争の移り変わりを書いている部分でしょう。塹壕が盛んに構築されるようになる南北戦争のあたりのことを言っているのではないのですか(そもそもダイナマイトなど19世紀の技術を持ち出したのyatobiさんだと思いますが)。そのころに何があったか、その一つライフリングの登場による銃の狙撃能力の劇的向上がいかに戦場を変え、塹壕が必要とされるようになったのかということを書いている文章です。あらゆる銃に例外なく本格的なライフリングが掘られるようになってさらに、100年後の冷戦期の技術を書いた本『戦場のテクノロジー』に、「200年前みたいにライフリングがなければ第一次大戦のような塹壕戦はおきなかったのになぁ」なんて書いてあるわけがないでしょう。
そのうえで、yatobiさんのような読み手に誤解させる書き方なら修正するので「表現の変更で対応する」と議論の冒頭から言っているのです。
なお、ライフリングがいかに戦争を変えたかについて出典が必要だとおっしゃるなら、この一文を引用しましょう
「普通のマスケット銃で200ヤード(180m)離れた敵を狙っても、月に命中させようとするようなものだ」(1814年にハンガー大佐が著書にて。原典hughes,firepower26ページ。邦訳例『飛び道具の人類史』183ページ)
なお、そいうのをぬきにしてさも私が支持してもいない少数意見を支持しているかのように書くのは、コメント依頼の読み手をミスリードする行為ですので即刻やめてください。--Littlefox 2011年3月13日 (日) 10:10 (UTC)[返信]
(インデント戻し)まあ塹壕戦にみられる近世-近代における戦術の転換に関しては、NHKスペシャル『映像の世紀』第二集“大量殺戮の完成”なんかも個人的に参考にしている箇所ではありますが、それはさておいても塹壕における戦闘に関する『新・戦争のテクノロジー』中の説明にも要素として狙撃を持ち上げた箇所は無く、まあ件の書籍が現代戦争論を扱ったものであるというのはその通りですが、塹壕の利用という戦闘の形態においては爆発による被害こそ重視すべき要素と件の書籍中に見出せますし、そこ(塹壕発達の理由)で狙撃を過剰に持ち上げるなら出典の提示をと呼びかけているのですが。なお「ダイナマイトの軍事利用」は、ダイナマイトの登場の時期と軍事への転用(第一次世界大戦当時に兵器が強力化して行った状況)とを意図してかどうかは兎も角として、混同されておられませんか。まあその辺りはダイナマイトでなくても単に「威力の大きな爆発物」という記述が残ればいい話ですから、小生としては別段こだわりませんが。なおライフリングの採用などで銃器の射程距離や威力が延長されたというのも、まあ塹壕という戦闘陣地が必要視されるようになった要素の一つにはなりうりましょうが、Littlefoxさんの一連の編集のように、あたかも主要因として扱おうというのも逸脱と考えています。また上でLittlefoxさんが示された出典は「(ライフリングの無い)マスケット銃で遠距離の的を狙い撃つことが如何に無茶なことか」を示す出典ではありますが、それと塹壕の発達とを繋ぐものは何も無いのです。そこらへんを「表現を変えて」も何も解決しないことを御理解願います。--夜飛/ 2011年3月13日 (日) 10:52 (UTC)[返信]
その番組は子供の頃からなんども見返して見てますが、今言ってる南北戦争とは時代が違います。第一次大戦の頃に熾烈な榴弾砲の砲撃を生き延びるために大規模かつ、退避壕を備えた本格的な塹壕陣地が構築されるのは事実です。しかし南北戦争の当時の大砲は爆発しない無垢玉が基本であってほとんど別物と考えてください。通信で見えない場所から砲弾を送り込む手段も確立されていません。ですから、対象がどんどん動く野戦では直接視認して砲撃するしかありません。当時の一般的な爆発物というと歩兵が投げる擲弾ですが、今ひとつ効果的ではなく、野戦機動戦の時代が続いていました。たしかに、黒色火薬であるゆえに威力が足りなかったという要素はあるのですが、より重要なのは「所詮は手投げ弾であり有効射程に置いてはマスケット銃の集中射撃といい勝負だった」という事です。 南北戦争時に塹壕が日常風景となったのは、ライフリングの登場による銃の急激な有効射程の伸長によって身を隠す必要が生じ、従来の土塁や石垣と並び、より効果的な塹壕が掘られるようになったからです。南北戦争当時の塹壕についてくわしいのは"Trench Warfare under Grant and Lee"などですが邦訳を知らないので、また適当な和書を探しておきます。--Littlefox 2011年3月13日 (日) 11:58 (UTC)[返信]
ああ…なんか一週半してようやくスタートラインから一歩前進した気分です。やっと出典らしいものが出てきましたか。ただ、南北戦争の時代と第一次世界大戦とでは連続性が無く、南北戦争時代の塹壕…というか穴を掘って銃撃から逃れようとしたことと、記事主題たるべきトレンチナイフ(とこれが登場した経緯)の説明から行ったら、塹壕という陣地形態の関係性を超えるものではなく、南北戦争時代に塹壕を巡ってその狭い溝の中で白兵戦が行われたかどうかは存じませんが、トレンチナイフの登場時期から鑑みても「風呂敷広げ過ぎ」な感があります。
なるほど塹壕発生の初期において南北戦争時代の陣地形態があるのは、出典が出ました。その時代の塹壕が、より遠い距離から射撃しうる銃器の発達に関係しているのも、多分その通りでしょう。しかしお話を伺った限りでも、その先の大規模な塹壕戦(塹壕を巡る攻防)の発生やそれに伴うトレンチナイフの登場は、また別の事柄となってしまうようにお見受けします。
どうも一連のやり取りを振り返ってみた結果として、Littlefoxさんは塹壕の発生から意識が南北戦争の辺りで停滞してしまって、トレンチナイフの項を編集しているという意識が何処かに行ってしまい、塹壕の発生要因から先に進めなくなってしまったのではないのでしょうか。小生は、同項においては、塹壕という戦闘陣地形態の発生ではなく、塹壕戦という戦闘形態の発生に目を向けたほうが説明を簡潔にする上で良いと考えます。--夜飛/ 2011年3月13日 (日) 12:49 (UTC)[返信]
塹壕とはもともと野戦築城の要素なのであって、第一次大戦時に築かれた恒常型の塹壕の方が例外なのですよ。そして塹壕の類を制圧するには歩兵が踊りこんで近接戦闘(白兵戦)を行う必要があるという原則は中世から現代にいたるまで変わりません(NBC兵器やドーザーで塹壕を埋めたてしまうみたいな力技を使わない限り)。まあ、長くなりますし、また出典を出せと始まるのでそのあたりの事は一旦置いておきましょう。
そもそも始めに大風呂敷を広げたのはyatobiさんでしょう?私はそれをまだ塹壕戦に結びつくようにと間に入る歴史を挿入したわけです。
近世どころか中世の戦争から語りはじめたのはyatobiさんです。
この節の編集問題も、yatobiさんがダイナマイトの軍事利用という19世紀の出来事を語りだしたので、私が当時の出来事でもうちょっと塹壕に関係ある事に書き換えたのですよ。今までは、yatobiさんの編集を尊重して、むやみにプライドを傷つけないようにと、前の文章を活かす形で加筆編集してきました。私はコメント依頼という刃物を突きつけながら、自分が不利になると将棋盤をひっくり返すように議題を変えるyatobiさんの姿勢に疲れてきました--Littlefox 2011年3月13日 (日) 14:39 (UTC)[返信]
(追記)「南北戦争など19世紀の塹壕とと第一次大戦の塹壕は連続性がない」というyatobi氏の根拠不明の独自研究を放置しておくのも何なので、「塹壕が常用される環境を作ったのは(機関銃より前に普及した歩兵銃の)ライフリングや後装銃、手動式連発銃(の技術的進歩と大量運用)」という私の挙げた通説を補強する出典をトレンチナイフに追加しておきました--Littlefox 2011年3月27日 (日) 09:22 (UTC)[返信]
(インデント戻し)小生は、戦闘用の刃物が塹壕戦の発生から塹壕という特殊な環境下で変化しトレンチナイフの発生を促したことを記述したつもりだったので、大風呂敷というのは若干心外です。トレンチナイフの性質の説明として、その前段階から順を追って一連の記述としたつもりだったのですが。そこを南北戦争で足踏みしてしまっていては、トレンチナイフの説明に入れないでしょう…南北戦争のことで引っ張るのは、幹から太い枝を伸ばすようなもので、説明を混乱させることになると考えています。
なおコメント依頼の提出をしたのは、トレンチナイフの問題だけではなく、Littlefoxさんの行為や態度全般に掛かるもので、余事脱線・問い質すと要を得ない問答に走るなど、百科事典の記事をまとめるには些か逸脱し過ぎるきらいがあるのを問題視したためであり、それをさも脅迫や「自分が不利になると将棋盤をひっくり返す」ようにみなすというのであれば、これほど趣旨を履き違えた受け取り方もなく、何といいますか徒労感を感じます。して、その徒労感だけを取ってみても、コメント依頼を提出したことは誤りではなかったと確信してしまいます。--夜飛/ 2011年3月13日 (日) 15:22 (UTC)[返信]
私には議論に負けたくないがために論点をすり替えてるとしか思えません。間違いが有るか無いかの問題が不利になると、と抽象的な編集論に切り替えて優位を保とうとしているようです。まあ、とりあえず、意見も参考に記事を改定しておきました。また何か言いたいのであれば、できるだけ具体的に言ってください。正直言って、yatobiさんがどこまで軍事を理解しているか分からないので、どう説明していいか、どんな本を紹介すればいいのかよく分からないのです。--Littlefox 2011年3月13日 (日) 18:31 (UTC)[返信]
なんというか、かける言葉が見当たりません…言葉を選ばず端的に言ってしまえば無い訳ではないですが、それはそれで難しかないし。ただ誤解の無いように断っておくと、小生はLittlefoxさんを貶したいわけでも詰りたいわけでも恫喝したり論ったりしたい訳でもなく、また軍事談義に花を咲かせたい訳でも軍事論で火花を散らしたいわけでもないのです。ただ各々の記事に扱われた事物(記事主題)の説明を過不足無くまとめたいと考えているだけ。その過程で、各々問題とみなした箇所に具体的に言及こそしましたが、正直なところとしてそれら要素の解釈というかLittlefoxさんがどういう認識にあるか・その境地に至る道程に何があるかなどは、余り関係ないのです。そりゃあまあLittlefoxさんの労作に手を入れ、Littlefoxさんの自尊心って言うかプライドって言うか自身の文章に対する愛着っていうか(あるいはそれら以外の何か)を傷つけたなら、そのこと(傷つけたこと)に関しては申し訳なく思いますが、だからといってLittlefoxさんの主題的説明から逸脱して自身の興味のある事柄を過剰に持ち上げようとするかのような行動や、それ(逸脱)を批判されてダンマリ決め込んだり自身の価値観や独自研究をつらつら表明するばかりだったり発奮して小生の行動の理由を悪意だと決め付けるような態度に対して、寛大になるつもりも許しを請うつもりもありません。--夜飛/ 2011年3月13日 (日) 22:19 (UTC)[返信]
悪意とは言いませんよ。むしろ、記事が足りないから加筆してやろうとか、何も知らなそうだから教養を教えてやろうとか、熟練編集者の自分がwikipediaのルールを教えてやろうといういうようなyatobiさんなりの「善意」からなのではないないでしょうか。そして、おおよそのトラブルは善意から始まるものです。まあ、これ以上続けても貴方が不利になるだけです。引き際というものでしょう。--Littlefox 2011年3月14日 (月) 13:58 (UTC)[返信]
(追記)「自身の興味のある事柄を過剰に持ち上げようとするかのような行動」これはまさにyatobiさんの事ではないですか。戦史の流れを理解できるだけの、体系的な知識がないのでは手持ちの情報を過大評価してしまうのは仕方がないとは思いますが、不自然な加筆が多すぎるのです。中世の合戦がどうこうとか、ブラックジャック社のナイフがどうこうとか、M9は銃剣じゃないとか、ダイナマイトがどうこうとか、ナイフは人を差す以外ならなんでもできるとか。私ができるだけ出典を残しながらいくらか自然な記事に修正するためにどれだけ苦慮してきたか。いくら出典を付けていても、正確に読み解けず原書とは違う意図のことを書いてるのでは独自研究の謗りを受けるのは貴方ですよ。よく知らないことを編集するなとは言いませんし、複数の人間で意見を交換して結果的に記事がよくなるならそれも悪いことではないのかもしれません。しかし、そのたびに、こうして、ろくろく勉強する気もないテレビ番組や雑誌、そして関連の薄い本を読んだだけで分かった気になっているかのような相手に、無用な問答を繰り返す身になってなってください。コメント依頼にて私のことをコミュニティを疲弊させると非難されていたが、それはご自身のことに他ならぬでしょう。--Littlefox 2011年3月17日 (木) 10:27 (UTC)[返信]
その前半部文末や単語の選び方・助詞の指向性からして「なんてYatobiは尊大でその実馬鹿で傍迷惑な奴なんだ」という意識がひしひしと伝わってくるような気がしないでもありませんが、そこは善意にとって…まあ読み飛ばしましょう。ただね、これだけは誤解しないでほしいのですが、小生の善意が向かう先は、端からLittlefoxさんは素通りして、いつか何処かで記事を紐解くであろう読者にしかないんです。まあ正直なところとして小生は、Littlefoxさんには「人間に対する敬意」以上のものを向けているつもりもなく、またその意味で競争とか勝負とか係争している意識もないので、「(小生が)不利になる」という発言や発想がそこで出てしまうことは不可解としか言いようがないのですが。--夜飛/ 2011年3月15日 (火) 10:14 (UTC)[返信]
第三者の視点を意識すればなおのこと、ちゃんと理解していること以外の事を記事に書くときは慎重になり、体系付けられた知見に対して謙虚になるべきではないのですか?もはやyatobiさんは(多くの読者にとって)良い記事を書くということではなく、どちらがwikipediaルールに基づいて書いているかという勝負をしているように見えるのですよ。もっともwikipediaルールにしたがってと言っても、yatobiさんはそうとう杓子定規に解釈していて、「記事の質を高めるため」にという本来の意図と逆行しているのは悲しいことです。--Littlefox 2011年3月17日 (木) 03:19 (UTC)[返信]
(インデント戻し)すみませんが、問題は「ウィキペディアのルール」云々よりも、拠り根源的なことですよ…「百科事典的(ないし説明的)かどうか」という。ただ、幾ら申し上げても御理解いただけないばかりか、斯様に(的のずれた)反発的文言が帰ってくるようでは、Littlefoxさんに(理知的な人間として)期待できることもそう多くなさそうです。--夜飛/ 2011年3月17日 (木) 08:47 (UTC)[返信]
返す言葉に困った人間が人格攻撃に走ったり、抽象的な価値観を開帳して相手を煙にまこうとするのは見慣れた光景ですから、驚きはしません。言いたいことはもうありませんね?。私は記事の中にいい加減なことは書けませんし、手持ちの本を強引に関連付けて無理やり出典にしてしまうような不誠実な事もできません。自分の蔵書リストを作ることは簡単ですが、不適切な出典は記事の編集をかえって妨げるという当たり前の事を今回の係争で再確認できました。このことで、処分を受けるというのならば甘んじで受けましょう--Littlefox 2011年3月17日 (木) 10:27 (UTC)[返信]
言いたいことはもうありませんね?」ということですが、むしろ「あいた口がふさがらない」というのが現状の小生の気持ちです。もうこれ以上、Littlefoxさんに期待はしません。--夜飛/ 2011年3月17日 (木) 10:32 (UTC)[返信]

一括投稿のお願い

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こんにちは。Littlefoxさんが同じ記事に対して節ごとに分けて連続して投稿されているようでしたので、一括投稿のお願いに参りました。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすにあるとおり、同じ記事への連続投稿は履歴の見通しが悪くなるなど、さまざまな面で支障をきたすおそれがあります。細かい節がたくさんある場合は、節ごとに細かく投稿をするのではなく、上位の節または項目全体の編集を行い、一括して投稿していただきますようにお願いいたします。

投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。(詳細画像

その際に細かいところでミスを起こすのではないかと心配な場合は、「投稿する」ボタンの右隣にある「プレビューを実行」ボタンを活用されることをお勧めします(画面右側の図を参照)。投稿される前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで、

などをあらかじめチェックし、修正した上で記事を投稿することができますので、是非ともご活用ください。

また、編集競合を避けたい場合は、Template:Inuseをお使いください。ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をよろしくお願いします。

Littlefoxさんにはもう何も期待しない所存ですが、編集回数を減らす努力を図ることは子供の利用者でも可能な、最低限求められる「編集に関わる態度」ですし、今までに留意を呼び掛けられていなかったのですから、敢えて連続投稿の回避をお願いします。なお思い付きで記事を弄るから、何度も同じ記事を編集してしまうのでしょう。編集を開始する前に、まず自分が何を書きたいのか、記事に何が書いてあるのか、どのように全体をまとめるかという意識を持つこと、そして更には編集で盛り込もうとしている記述が、既存文章のどの箇所に織り込むべきか・それ以前に記事に必要なのかにも注意を向けてください。--夜飛/ 2011年3月20日 (日) 00:58 (UTC)[返信]

脚注

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  1. ^ (クリミア戦争と南北戦争当時にはすでに明白になっていた事だが)歩兵による単調な正面攻撃はもはや時代遅れになった。だが、この教訓はその後半世紀以上にわたって、真に理解されなかった。『飛び道具の人類史』190pより引用

ブロックしました

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あなたはブロックされました。
あなたはブロックされました。

あなたはブロックされました。しばらくウィキペディアの編集を行うことはできません。ブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。この件に関するお問い合わせや異議申し立てはメーリングリストで受け付けています。Wikipedia:Appealing a blockもご覧ください。ブロック中においても、あなたの会話ページでのみ、ウィキペディア内での投稿が可能な場合もあります(ヘルプ)。会話ページにおけるブロック解除の方法についてはWikipedia:ブロックへの異議申し立ての手引きをご覧ください。

あなたがWikipedia:コメント依頼/Littlefoxでなさったようなことは、Wikipediaの方針上認められておりません。--の旋律(talkirc) 2011年4月9日 (土) 17:00 (UTC)[返信]
追記を書くための編集作業を行っていたのですが、削除してしまいました。直す前にブロック(1分も無かったですね)されてしまったので困りましたが、私のミスなので謹んでお詫びし3日のブロックを受け入れます。
誤解を招かないようにもう少しミスの内容を詳しく説明します。最近、投稿失敗が多い(投稿ボタンやプレビューボタンを押しても接続がリセットされるとかで編集に反映されない)のです。そこでボタンを押す前に、crtl+Aで全体を保存しておき、投稿に失敗したら、再読込をしてから再度貼りつけて投稿する工夫をしていました。今回は「==被依頼者のコメントへの返事==」節の内容のみを保存していたのを忘れて、全体に貼り付けて投稿してしまったのでそれ以外の内容が消えてしまったし次第です。ご迷惑をおかけしました--Littlefox 2011年4月9日 (土) 17:14 (UTC)[返信]
なお、もちろん故意ではありえません。私の利益にもならない編集だからです。私の書いた「被依頼者のコメント」節も全削除してしまった上に、投稿した「被依頼者のコメントへの返事」も返信先を失い意味不明の文章に成り下がってしまいました。事故とはいえ、皆様のコメントを一時的に消してしまったことは本当に申し訳なく思います。ブロックの3日間は謹慎期間と考えてガイドラインを読む時間に当てるとともに、そそっかしい自分の性格を見つめ直して間違いを減らす枠組みを考えておきます--Littlefox

他人の発言を改ざんする行為について

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他人の発言を勝手に改竄することはウィキペディアでは荒らし行為に該当します。こんにちは、Littlefoxさん。トレンチナイフで他の方の発言を無断で編集しておられましたが、そのような編集はウィキペディアでは他人の発言の勝手な除去・改ざんと見なされることがあり、ウィキペディアでの荒らし行為と認識され、重大問題とされています。

こういった行為を繰り返されますと、最悪の場合投稿ブロックの対象とされる可能性がありますので、今後は十分注意して頂き、同様の行為はお控え下さいますようお願いいたします。

ウィキペディアには非常にたくさんのルールがあり、煩わしさを感じるかもしれませんが、全ての編集に関わるユーザーが不必要に紛糾を招くことなく編集行動が出来るように定められたルールですので、ご理解とご協力のほど、よろしくお願いします。

では用件のみですが失礼します。--baku13 2011年4月16日 (土) 23:59 (UTC)[返信]

該当部分全体。純粋なミスであり、すぐに気がついて12分後に復帰を完了、さらに削除復帰した旨を記述し再署名を行っています。そそっかしいのは本当に申し訳なく、ミスの謝罪をいたします。しかし悪意にとらないでください--Littlefox 2011年4月17日 (日) 20:40 (UTC)[返信]

署名のお願い

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こんにちは。ノートページや会話ページ井戸端削除依頼保護依頼などの依頼ページで発言される際には、コメントの最後に適切な署名をお願いいたします。半角チルダを4つ続けて投稿(~~~~)しますと、自動的に署名に変換されます。編集画面の上部に並んでいるボタンの中の署名アイコン()をクリックすると、簡単に「--~~~~」が追加できますのでご活用ください。詳しくは、Wikipedia:署名をご覧ください。--114.48.189.120 2011年4月29日 (金) 09:18 (UTC)[返信]

回答

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会話ページに回答しました。--ヤッパリフセガレタカー 2011年6月6日 (月) 23:50 (UTC)[返信]

特定の記事を個人的なサンドボックス代わりに使用することは許容されているのか?

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コメント 記事Aを執筆する際に、わざわざ別の記事Bにいったん執筆して加筆推敲し、それを記事Aに転載する利用者がいます。記事Aを編集したいなら直接編集すればよく、あえて記事Bを迂回させる意味は全くありません。しかし、その利用者は、記事Bについて「サンドボックス的な使用法としての価値」があるなどと主張しており、記事Bを自分の個人的なサンドボックスとして私物化しているようです。

このように、ある特定の記事を個人的なサンドボックス代わりに使用するなど、許されているのでしょうか。該当の利用者に何度も対話を試みたのですが、サンドボックス代わりに使用すると「副次的な利点」があるからと反論され、全く聞く耳を持ってもらえません。みなさまからのアドバイスやコメントいただければと思います。(本当はコメント依頼に出そうと思ったのですが、「ウィキペディア全体に関わる提案や問題提起は、Wikipedia:井戸端。」と書かれていたので、こちらに書きました。)

議論は「ノート:トレンチナイフ#A.特定の記事を個人的なサンドボックス代わりに使用」にてお願いします。--111.188.23.172 2011年5月22日 (日) 19:30 (UTC)[返信]

報告 こちらのコメントをノート:トレンチナイフ#A.へのご意見に移動。--114.48.138.157 2011年5月24日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
勝手な移動は許される行為でしょうか? ストローマンや個人攻撃など目に余ります。慎んでください。--ヤッパリフセガレタカー 2011年5月25日 (水) 23:55 (UTC)[返信]
失礼ながらこの方は私の自作自演に見せかけた工作用アカウントであろうと考えています--Littlefox 2011年5月31日 (火) 23:29 (UTC)[返信]
考えるのは勝手ですが、失礼です。--ヤッパリフセガレタカー 2011年6月4日 (土) 20:29 (UTC)[返信]
  • wikipediaの本稿が人の目に触れる最終版である事を考えれば、そういった事は出来ませんし、個ページの履歴も無用に圧迫します。連続投稿ですら本来避けるべきものです。「使える物は無遠慮に使う」をされてはwikiのような零細な無償サイトはやっていけません。「公共物を行儀悪く利用すれば他の多くの利用者の迷惑になる」一般常識としてただそれだけの事ですが、おそらくその方は、更新に関する全体の仕組みを知らないのでしょう。その点を説明し、注意してあげてください。マナーに気をつければいいだけですので、別段議論する様な事もありません。--Sunlight Mubow 2011年6月9日 (木) 06:43 (UTC)[返信]
報告 こちらでの議論、および、「ノート:トレンチナイフ#A.特定の記事を個人的なサンドボックス代わりに使用」での議論、ありがとうございます。多くの方からご意見が寄せられました。本当に感謝しております。両ページでの議論を拝見する限り、おおむね「特定の記事を個人的なサンドボックス代わりに使用することは許されない」ということで、合意が得られたかと思っております。反対ないしそれに類するご意見を出されていた方につきましては、ギャラティンさんオッスオッスさんはWP:ILLEGITのため無期限ブロック、ヤッパリフセガレタカーさんはWP:ILLEGITのため無期限ブロック、Littlefoxさんはこちらでの答えに窮して対話拒否、と言った状況ですので、いずれも考慮に値しないと考えます。これら3名のコメントを除外すれば、「特定の記事を個人的なサンドボックス代わりに使用することは許されない」といった立場でのご意見のみとなります。ですので、本議論は「特定の記事を個人的なサンドボックス代わりに使用することは許されない」との結論で締めにしたいと考えています。--1.112.220.20 2011年6月18日 (土) 04:57 (UTC)[返信]
チェック 上記のまとめについて特にご異議ないまま1週間以上が経過いたしましたので、上記の結論にて本節での議論は終了したいと思います。ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。--114.48.57.156 2011年7月3日 (日) 17:38 (UTC)[返信]

「出典の提示」は執筆者の義務なのか? 単なる執筆者によるサービスにすぎないのか?

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コメント 出典の提示を軽視する利用者がおり、大変困惑しております。

その利用者は、自分が出典を提示していないにもかかわらず、その部分が削除されると「出典が含まれてない部分を削除・改変されてしまうので大変困っています」などと被害者であるかのような発言を繰り返しています。

他人から「明らかに事実であり疑いの余地のない時を除き、出典のない投稿は禁止されています。直接出典を提示していない文章を修正されても、文句は言えません」とアドバイスされても「そう言うのを揚げ足取りというのですよ」などと反論し、話になりません。何度も何度も出典を提示するよう求められると、ようやく出典を提示するのですが、その際にも「今回のように出典や参考文献を付加することぐらいならすぐにできるのですよ」などと上から目線で恩着せがましく発言しています。

私は、出典を提示するのは「執筆者の義務」だと思っていたのです。しかし、該当の利用者の受け答えを見るに、どうも出典を提示するのは「執筆者によるサービス」と勘違いしており、上から目線での発言は「閲覧者が乞うているから、執筆者の俺様が出典を提示してやった。ありがたく思え」という発想に立脚しているのではないかと思います。

出典の提示は義務であり重視すべきものなのか、それとも軽視してもよいものなのか、みなさまからのアドバイスやコメントいただければと思います。出典の提示は「執筆者の義務」なのか、あくまで「執筆者によるサービス」にすぎないのか、「執筆者から閲覧者へのお恵み」であり軽視してもよいものなのか、その点も含めてご意見いただければと思います。(本当はコメント依頼に出そうと思ったのですが、「ウィキペディア全体に関わる提案や問題提起は、Wikipedia:井戸端。」と書かれていたので、こちらに書きました。)

議論は「ノート:トレンチナイフ#B.出典の提示の軽視」にてお願いします。--111.188.23.172 2011年5月22日 (日) 19:50 (UTC)[返信]

報告 こちらのコメントをノート:トレンチナイフ#B.へのご意見に移動。--114.48.138.157 2011年5月24日 (火) 16:11 (UTC)[返信]
勝手な移動は許される行為でしょうか? ストローマンや個人攻撃など目に余ります。慎んでください。--ヤッパリフセガレタカー 2011年5月25日 (水) 23:58 (UTC)[返信]
このユーザーは工作用アカウントの疑いがかけられています--Littlefox 2011年5月31日 (火) 23:56 (UTC)[返信]
いいえ、あなたが一人で主張しているに過ぎません。--ヤッパリフセガレタカー 2011年6月4日 (土) 20:38 (UTC)[返信]
  • コメント私は文章に文責を負っており、出典要求には常に応じています。トレンチナイフでも出典を具体的な引用付きで提示しています。
    ちなみに、ここで言う引用は出典を引用ルールの範囲内で書き写すことです。そうすれば出典を入手しなくても、読むだけで真偽をある程度確かめられます。言うまでもなく出典を全て書き写せば著作権侵害であり、引用できるのはごく一部分に限られます。ですから、出典を求められている点を絞り込んでから、引用する一文を決めています。この論点を絞ってから出典を提示するという方針は夜飛氏にとっては許容できない物であったため、Wikipedia:コメント依頼/Littlefoxが提出されました。
    態度についてお叱りを受けています。確かに、上から目線といわれても仕方がないかもしれません。この時の私は、夜飛氏の私を徹底的に侮蔑する態度に、良い気分がしていなかったので、私の彼に対する態度にも反映されてしまっています。そもそも夜飛氏自身が出典を示す当てもないような独自研究を発表しておいて(まとめ1まとめ2)、間違いを直した私に出典を即時提出を要求する事自体が、不誠実で失礼だと感じていました。それでも感情的になってしまったのは私が未熟だったからです。お詫びします--Littlefox 2011年5月24日 (火) 01:36 (UTC)修正への署名付加--Littlefox 2011年5月24日 (火) 01:38 (UTC)この発言は[イーモバイルユーザー114.48.138.157さんが他所に移動した物]をさしもどしたものです(ここ井戸端での議論が再開されたため)--Littlefox 2011年6月4日 (土) 19:21 (UTC)[返信]

議論を特定のノートへ誘導されていますが、刺激的な議題を提示された以上、従わない事例もあるとご留意下さい。井戸端は個人的な感想も許容されると思い少々。小生は、「出典の提示」はWikipedia執筆者の絶対の義務だと思っています。どこぞに移された議論で「(Wikipediaの)執筆者に対してそれなりの敬意を払うべき」という意見がありましたが、その前に出典の執筆者に敬意を払うことを忘れてませんか?と感じており、小生はそれを忘れた執筆(「者」でなく「内容」)に敬意を払う必要を毛頭持てず、実際に加筆や他言語からの翻訳時に容赦なく消す(翻訳で持ってこない)方に強く偏りつつあります。これは、別に一度消されようが後から出典を明記して復帰すれば済む話と念頭に置いている故の行動です(一例:ノート:太陽参照‐もうこんな事を逐一書きませんが)。

Wikipedia黎明期の残滓や、新たに参入された利用者が不慣れゆえに出典を明記しないまま執筆した例もあるでしょうが、それらへの対処や出典品質の議論また明記手法等は別の話として措き、とりあえず出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無いと、消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいいのではないかと、小生は思います。なお、小生は本節立ち上げの個別事項には立ち入りません。--Babi Hijau 2011年5月27日 (金) 18:39 (UTC)[返信]

この項目を立てられたイーモバイルユーザーさんの立場からすると、「出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無いと、消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいい」というのは重大な荒らし行為という事になると思います(私はそこまで厳格に方針を運用する必要はないと思います)。この個別事案については、既に出典が提示済みであり、なおかつ私が加筆する前の記述が出典無しの独自研究であったこと事が確定しているのですが、まるで収束する気配がありません。あくまでも、出典も付けずに間違いを直したことが罪なのでそうです。おはなしを聞く限り、間違いを見つけたときに、修正ではなく削除を選ばなかったことが私の落ち度なのでしょう。個別事案にかかわらないという判断も賢明なことかもしれません。残念ながら議論はあまり建設的とはいえません。既に係争は半年以上継続していますが、夜飛さんとイーモバイルユーザーさんは私が追放されるべき人間だということで見解が一致しているので、私がブロックに追い込まれるまであの手この手で追求が続くでしょう。--Littlefox 2011年5月31日 (火) 23:56 (UTC)--Littlefox 2011年5月31日 (火) 23:57 (UTC)[返信]
質問 いまだにウィキペディアの基本的な方針について、何も理解なされていないようですね。Littlefoxさんは「イーモバイルユーザーさんの立場からすると、『出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無いと、消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいい』というのは重大な荒らし行為という事になる」と仰っていますが、Littlefoxさんのこの発言は、完全に誤りですね
まず、「この項目を立てられたイーモバイルユーザー」の主張についてですが、2011年5月22日 (日) 19:50 (UTC)の投稿をご覧ください。「イーモバイルユーザー」は、「出典の提示を軽視する利用者がおり、大変困惑しております。その利用者は、自分が出典を提示していないにもかかわらず、その部分が削除されると『出典が含まれてない部分を削除・改変されてしまうので大変困っています』などと被害者であるかのような発言を繰り返しています。他人から『明らかに事実であり疑いの余地のない時を除き、出典のない投稿は禁止されています。直接出典を提示していない文章を修正されても、文句は言えません』とアドバイスされても『そう言うのを揚げ足取りというのですよ』などと反論し、話になりません。」と主張しています。「出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無い」との主張とほぼ同意見です。「出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無い」「消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいい」という主張について、イーモバイルユーザー」が「重大な荒らし行為」であると指摘したことは一度もありません。「イーモバイルユーザー」はむしろ正反対の主張をしていますが、Littlefoxさんはなぜ虚偽の主張をなさるのでしょうか。
次に、本当に荒らし行為に該当するのかについてですが、それにはまず「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:出典を明記する」をよくお読みください。ウィキペディアの基本的なきまりごとの一つとして、出典を提示するのは原則的に執筆者の義務であることがおわかりになるかと思います。したがって、「出典を明記せず執筆した文を消されても文句言う筋合いは無い」「消されたら出典を明記して復帰すればよいと単純に捉えればいい」という主張は、ウィキペディアの基本的なきまりごとの趣旨に則っており、妥当な主張であることがおわかりになると思います。ですので、重大な荒らし行為」などには該当いたしません
Littlefoxさんは、この期に及んで、なぜ虚偽の主張をし始めたのでしょうか。議論攪乱を狙ったものでしょうか? 明確な説明を求めます。--1.113.49.34 2011年6月1日 (水) 08:34 (UTC)[返信]
WP:NORWP:Vをご理解いただいているのであれば、まったく問題はありません。同意するならその旨宣言すればよいでしょう。ただ、トレンチナイフの項を見ると、Littlefoxさんの出典の使い方はほかの人たちとはなんか違うようです。普通は出典に基づいて記述を行うのものだと思いますが、Littlefoxさんの場合、まず記述したい事柄が先にあって、その自説を補強するために出典を付与しているように見受けられます。あと、出典を明記する際に、いちいち引用を行う必要はないでしょう。必要であればノートに提示すればよいでしょう。--Calvero 2011年6月1日 (水) 12:38 (UTC)[返信]
Calveroさん、ご意見ありがとうございます。私はWP:NORにもWP:Vにも反する編集をするつもりはありません。争点の加筆は、明らかに事実だと分かるものだと判断して書き込んでいるものです。私が当初よりしていた表現を使えば、軍事(史学)上の通説(多数意見)です。確かに当初はかつて参考文献を読んだ記憶を元に書き込みました。しかし通説ですから、出典を引っ張り出してくるのは容易なことで、実際に多数提示しました(何かと理由をつけて削除しようと試みている方がおられますが)。さらには私が実際にやってみせたように具体的な引用を提示したり、「一冊読めば争点全体をカバーできなおかつ入手容易な一般書籍」を紹介することも簡単です。何しろ、通説なのですから。
いちいち引用を行う必要はない」のではないかという疑問にもお答えします。私は実際に検証作業する身になって考えて見れば、検証可能性だけではなく検証容易なことも重要なことだと考えています。WP:NORでいえば「ウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できること」に相当する部分です。最良なのはWebで閲覧可能な信頼できる出典ですが、無い場合でも図書館によくある一般書籍から出典・参考文献を探す努力をしています(トレンチナイフで実際に示した書籍がそれです)。私はさらに一歩進んで引用で示すことで、その場に居ながらある程度真偽を確かめられることを目指しています。なぜここまでこだわるのかと思われると思います。それは出典を検証してきた経験から、入手しにくい文献を出典としたり、入手しにくいことをいいことに内容と違うことを書かれると迷惑だと、痛感しているからです。トレンチナイフでもこれをやられて困りました。提示された書籍(古い絶版本)を探して購入したところ、時代が全く被らない代物で出典としての価値はありませんでした。しかも本人を問い詰めても謝罪はおろか反省の色も見せないので腹が立ちましたね。私は自分がやられて嫌なことは人にはしないようにしています--Littlefox 2011年6月1日 (水) 14:30 (UTC)具体的にリンク--Littlefox 2011年6月1日 (水) 14:43 (UTC)[返信]
(>Littlefoxさん2011年6月1日14:30UTC分)ひとことだけ、いいかな?その「古い絶版本」を引用して書いた箇所は現代の話なんだがな。そこに皮肉と解釈するご自身の見解を放り込んだのみならず利用者‐会話:Littlefox#皮肉かどうかで苦言を呈せば軍事解釈の演説や議論の混ぜ返しをし…その何処に「あなたに謝罪しなければいけない必要性」が出ますか。ご自身の主張が受け入れられないからと発奮するのみならず、記事内で反論するような遣り口は、Littlefoxさんにとっては「自分がやられても嫌じゃない」のかもしれませんが、そんな応酬のために記事に関わること自体をお止めいただきたいですねえ…小生は。--夜飛/ 2011年6月1日 (水) 15:04 (UTC)[返信]
貴方は『戦場のテクノロジー』を根拠に主張していた事はそれだけでは無かったでしょう(現代についての記述も問題があったので修正しましたが)。例えばトレンチナイフにおける私の編集に問題提起した部分ですが、さも近世や近代の事柄についても記述されているかのような書き方をしておられた。戦死でもそうでしたが、貴方は軍事に関する自説を発表するときに、とりあえずのこの本を参考文献として挙げる習慣があったので、無理な使用が目立つのです。前も言いましたが、間違った主張を発表する前に、時代や分野が近い本を読んで勉強してください--Littlefox 2011年6月2日 (木) 01:46 (UTC)--Littlefox 2011年6月2日 (木) 01:52 (UTC)[返信]
この編集についてもお答えしましょう。まず、さすがに個人名を出すのは気の毒かと思ったので、最新版では丸めた表現にしてあります。さて、なぜ反証である事をコメントに書いたかというと、そうでもしないとなぜわざわざ出典を付けたのか、その意図が分かりにくいからです。黒色火薬が燃えるとき白煙を発して、視界の妨げになることは、史学上の常識なので普通いちいち言及などしないものです。ただ、ノートで貴方はそれに異を唱えられたので、反証として明示しました。--Littlefox 2011年6月2日 (木) 01:50 (UTC)--Littlefox 2011年6月2日 (木) 02:00 (UTC)[返信]
主張?はておや。小生が利用者‐会話:Littlefox#トレンチナイフの編集についてで申し上げたのは、Littlefoxさんがこの編集で「狙撃を過剰に持ち上げ」て「無煙火薬の登場が戦場の視界を開けさせた」と主張、挙句「機関銃の登場は第一次大戦」と書くなど、その全体で出典どころか論拠も不明で、最後の一個に至ってはその妥当性そのものが「文章として明らかにおかしい」ため流石に撤回されていましたが、それ以外にも出典がないし手元の資料を軽く浚ってもその視点はおかしいんじゃないか(参考とした資料があるなら明示して欲しい)と申し入れた箇所でしょう?主張ではなく、問題提起に際して「まったく根も葉もない言い掛かりじゃないんですよ」という趣旨で文献としてあげたはずですがね。まあ、それを主張と摩り替えた時点で、対話が成立する訳無いですね。そしてまた軍事談義演説ですか…黒色火薬での発射時に視界を遮ることと、Littlefoxさんが記事に書き込んだ「戦場を覆っていた硝煙」という表現には隔たりがあることも理解できないし、また表現にも無頓着と来ては、せっかくの出典や文献もどれほどそれら資料の趣旨に忠実であるかも疑わしい限りですね。ノートでの批判に記事で反証?申し訳ありませんが、その発言は2011年5月7日のLittlefoxさんご自身の発言「Wikipediaは戦場ではないともまるでかみ合いませんねえ…場当たり的な反発的発言で自分自身の揚げ足を取って遊ぶの止めていただけませんか。Littlefoxさんが己が両足引っ掴んでゴロゴロ転がりまわる様を眺めていても面白くないのです。--夜飛/ 2011年6月2日 (木) 09:03 (UTC)[返信]
あれだけ説明に時間を費やして、資料も多数提示したのにまだそんなことを言っているのですか。これはいつまでも納得しなければ勝ちというゲームではありませんよ。歴史認識のズレについては説明も出典提示も済んでいますので、なんども言いません。納得できないなら教えた資料を読むか、この時代を扱った史料を読み解けるように勉強してください。持論を展開するなら、裏付ける資料を探してきてからにしてください。表現の修正に応じることはいの一番で言っている事ですので、どの表現が良くないのと思うのか、どう直せばいいと思うのにかに絞って提案してください--Littlefox 2011年6月2日 (木) 09:56 (UTC)--Littlefox 2011年6月2日 (木) 10:41 (UTC)[返信]
説明?ただの自己弁護でしょう。それも最初のうちは、総論となる資料もなく要素の論拠というか、要素の前提の論拠であり、ましてその要素のおのおのは小生の発言というか問題提起の趣旨を履き違えて自身の軍事解釈や記事に書き綴ったことへの論拠であり、ましてそれら記述と記事の主体を繋ぐものもなければ、記事主体事物の説明でも無い論拠。記事の説明を過不足なくまとめるという観点からすれば評価対象外なんですよ、Littlefoxさんの努力は。Calveroさんも仰られておりますが、Littlefoxさんが記事中に放り込んだのは、「自説を補強するため」のもの(いわゆる「論拠」やWP:NORにいうところの「発表済みの情報」に相当するもの)でしかありません。そんなのは軍事マニアの軍事解釈論争では意味を成すのですがね…記事の検証可能性を藪の中に投げ込みこそすれ、百科事典の記事としては説明の態を成していないのです。小生は、Littlefoxさんに自説ないし歴史認識とやらの説明や謝罪を請求しているのではなく、百科事典として記事を適正な状態にするため、疑わしい記述は除去するか出典を付与しなければ存続が難しいのだといっているのです。それをダラダラ演説した挙句に、自分の主張が受け入れられなければ何度も(中略)話をリセットして無制限に話を拡張し、延々と演説をまたはじめる…そんなのを「あれだけ」と主張したところで「評価対象外なのでスルー」するしかないでしょう。まあ、それら(利用者会話ページやトレンチナイフのノートページ・さらにはここでの)一連の態度を見るに付け、Littlefoxさんは時間をかけて自らの信憑性を損ない続けているだけなんですよ。そんな真似は意味がありません。なお現状は表現の修正というよりも、記事主体の説明というか百科事典の趣旨から逸脱した余剰部分の整理を必要としていることは複数の利用者さんからトレンチナイフのノートページで提言されているはずですが、Littlefoxさんはなんだかんだと理由をつけて拒否し続けているだけですね。口先だけ「応じる」と言いながら実質応じていないのは、全く実の無い行動ですよ。--夜飛/ 2011年6月2日 (木) 10:50 (UTC)[返信]
ですから、表現に問題があるというのなら改善案を示してくださいよ。それが理にかなっているなら取り入れましょう。夜飛びさんが主張しておられた「(硝煙は視界をさほど妨げるものではなく)軍服が派手なのは、むしろ敵味方入り乱れる白兵戦の際の識別用であり、またそれは国家総力戦以前の散発的な軍事衝突しかなかった時代の名残」などとというのは、出典が無いだけではなく歴史的事実と異なるので取り入れることはできません。いいですか。どんなに語彙が豊富であろうと日本語の感覚が優れていようと、知らないことについて適切な表現を選ぶなんてことはできません。詳しくないことに口をだすなとは言いませんが、せめて出典を読み解けるぐらいの知識は身につけてから議論に参加してください。そんなに難しいことを言ってるわけではありませんよ。なお、私の示した出典は、ほぼ争点部分をカバーできるものです。相変わらず現物を読まずにものを言っていますね。私はどこの本にでも書いてあるような通説を書いてるだけなので、いろんな本から一文を引用し、それを論拠として文章を組み立てることすら可能だということを示したまでです--Littlefox 2011年6月2日 (木) 19:20 (UTC)[返信]
もはや表現がどうとかという話でもないのがどうして判りませんかねえ…端的に例えるなら「ゴミだらけの部屋のレイアウトをいくら変えてもゴミを捨てなきゃゴミだらけ」という話に過ぎません。また既存出典込みの記述に自身の解釈を放り込むのも問題なら、主張の類を補強するために説明の主体を逸脱した別の話を放り込みそこに出典をつけたところで説明にもならない(マニアの軍事解釈談義ならそれでもいいかもしれないが)ということです。定説だ何だといったところで、それが定説である・定説だと明記している出典が必要なだけで、全く別のことを述べている文献に自論を補強できる要素が見出せるならとりあえず書いてみる…なんていうのは、出典どころか説明の内容や信憑性を藪の中に放り込むだけなんですよ。出典の提示と論拠の誇示は違うのです。まして記事内で論拠を持ち出してくること自体、百科事典の記事としてはありえません。その最終的に出してきた「ほぼ争点部分をカバーできるもの」を残して、余事脱線箇所の「論拠」は論ごと削ったほうがいい…というよりも、ありもしない軍事解釈談義に話をすり替え、主張するという行為を批判すれば論争だとみなし、出典だと称して論拠を持ち出す一連の態度が問題なんですけどね。
ちなみに「硝煙は視界をさほど妨げるものではなく」なんて誰が言ったんですか(少なくとも利用者‐会話:Littlefoxには見当たらない・小生の発言)?そんな態度(主張のためなら勝手な解釈を付け足す)だから、Littlefoxさんの書いた箇所は出典と同じ内容なのかも疑わしいんですよ…主張のために出典を出してきても、その出典元からも逸脱した論説を吹いているのではないのか?とね。--夜飛/ 2011年6月2日 (木) 22:19 (UTC)[返信]
ありもしない軍事解釈談義」なんて断言されるぐらいですから、それを裏付ける資料はお持ちなんでしょうね?まあこれについては既にトレンチナイフでそれについてを聞く機会を作りました(まとめ1まとめ2)。結果、出典がなく、出典を探す当てもないという事をお認めになられたので、相手が間違っているという想像もしくは願望でおっしゃってるんだろうなと思っています。
さて「硝煙は視界をさほど妨げるものではなく」なんて誰が言ったんですか?」とおっしゃるので前後の文脈を示します。ここで夜飛びさんは黒色火薬の白煙が視界を妨げる問題については、重大な問題ではないかのように語っているように読み取れます。実際には、私が示した出典群にあるように、視界を妨げる白煙は銃口内にのこる残滓と同じぐらい大きな、黒色火薬の欠点とみなされていました。夜飛さんにはその理由が想像できないと見受けられますね。銃の照準を付けるときのことを考えてみてください。銃の狙いをつけるには銃口をを目標に向け、銃身が目標に対して一直線になるように調整してから発砲します。射手から見れば、目標と銃身を重ねるように目で捉えて、照準をつけるのです。ですから発砲によって銃口から白煙が噴き出て拡散すると、目標を覆い隠すように視界が塞がれてしまって、白煙が晴れるまで次弾の照準をすることができませんもちろん、照準以外でも白煙は視界の邪魔であることには変わりありません。ま、夜飛さんにとってこういう話はありもしない軍事談義なので言うだけ無駄でしょうけど--Littlefox 2011年6月3日 (金) 12:42 (UTC)[返信]
(インデント戻し・Littlefoxさん2011年6月3日12:42UTCへ)またまたおかしな、とてもおかしなことを仰る。「ありもしない軍事解釈談義」というのは、記述内容が疑わしいので何に拠ったかを明示して欲しいという出典明示の要求や、説明が混乱するほどの余剰箇所の整理を推進したり求めたりしていることを、Littlefoxさんが軍事解釈の応酬へと話をすり替え、記事への出典ではなく論拠の放り込み、ノートページでの軍事解釈的な演説の繰り返しを行ったことを指しているのです。そしてまた…軍事解釈レベルの話に摩り替えてる。なお「ありもしない軍事解釈談義」を問題視する指摘は、すでにノート:トレンチナイフで1ヶ月近く前にしているんですよ。相手発言の趣旨をちゃんと理解していればまず興りえない軍事解釈の応酬に持ち込もうとするLittlefoxさんの思い込みか願望か妄想かは知りませんがね、指摘の内容を「相手は軍事解釈談義をしてきてるんだ」とすりかえ「どっちの軍事解釈が優れているか」なんていう実の無い応酬に持ち込もうとする姿勢は、それこそ「ウィキペディアの外でやってください」ということに過ぎません。しかし…こんなところで「てっぽうのうちかた」の講釈ですか?そんなに軍事マニア的トリビアを披露していたいんなら、ご自身のブログでどうぞ。--夜飛/ 2011年6月3日 (金) 13:45 (UTC)[返信]
(Littlefox さんの 2011年6月1日 (水) 14:30 (UTC) へのコメント)引用が正しくなされているかどうかを判断するためには、結局原典を読まなければならないので、検証可能性の意味・目的ではあまり有用であるとは思われません。疑問が提示されるのであれば、必要に応じてノートで示せばよいと思います。--Calvero 2011年6月4日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
ええ引用しても疑わしいと思う方には結局は原典を当たるしかありません。だからある程度真偽を確かめられるという言い方をします。実際、トレンチナイフでも、文脈を無視した問題のある引用が見受けられましたので原典を入手して、修正しました。引用をつけるというのは私の自己満足なのかもしれませんが、具体的に何が書いてあるか示されている方が、出典を入手して読む元気がない一般的な読者にとって親切だと思っています--Littlefox 2011年6月4日 (土) 19:21 (UTC)[返信]
コメント Littlefoxさん、「私はWP:NORにもWP:Vにも反する編集をするつもりはありません」とのことですが、ようやく理解していただけたようですね。WP:NORWP:Vの重要性にやっと気づいていただけたようで、安心いたしました。Littlefoxさんは今までWP:NORWP:Vを無視した編集を繰り返してきましたが、今後は二度とWP:NORにもWP:Vにも違反しないとお約束していただけますよね
また、Littlefoxさんは、「ノート:トレンチナイフ」にてWP:NORWP:Vを無視した発言を繰り返しています。たとえば、他人から「明らかに事実であり疑いの余地のない時を除き、出典のない投稿は禁止されています。直接出典を提示していない文章を修正されても、文句は言えません」とアドバイスされた際、Littlefoxさんは「そう言うのを揚げ足取りというのですよ」などと妄言を繰り返しています。このような方針を無視した発言も、全て撤回していただけると考えてよろしいでしょうか? であるならば、今までの方針無理解の行為について率直に謝罪していただき、今後は二度と荒らし行為を行わないと確約(再発防止策の提示、など)していただければと思います。--111.188.16.102 2011年6月1日 (水) 23:09 (UTC)[返信]

コメント 最早議論の盛りが過ぎてしまった様ですが、たまたま類似案件(?)を投稿させて頂いたこともあり、一言述べさせて頂きたいと思います。基本的にはWPにおいて、出典の無い記述は許されません。WPを一歩出ればいいんですけどね。ここで食い止めておかないとデマ、宣伝、政治活動、独自研究などが一斉に押し寄せ、どうしようもなくなってしまいます。出典はその記述がそれらに類するものではないと言う証明の一つです(貼ってあれば絶対に信頼できると言う訳でもありませんが)。一応、信頼有る百科事典を目指すプロジェクトである以上、この点は譲れないところでしょう。また、出典を伴わない記述は原則的にはあってはならないのですから、発見した者が差し戻すのはむしろ当然であり、出典を示さずにこれに異を唱える事はできません。むしろ、出典の無い記述がつもりつもって手のつけようがなくなる前にどうにかすべきです。・・・ここまではよろしいと思います。なお、議論の余地無く分別有る大人であれば自明である点については出典は不要ですし、ジャンルによっては「その筋では常識」なこともありますし、明確に常識とまでは言えない記述などについては記述は温存し出典を募るのが妥当でしょう。
逆にBabi Hijauさんもご指摘の、伝統ある出典無き記事については、そんなのに限って力作であったり、メインカルチャー、つまり、百科事典にとって重要な記事であったりします。この様な記事について出典無き記述の除去を積極的に行うと記事が記事のテイをなさなくなり、プロジェクト全体もスッカスカとなり、この様なケースで記述の除去を行った方が、まさしく荒らしとされた例もあった様です。この様な場合は現実問題、要出典を添付して、将来の改善を待つのが現実的でしょう。
まあ、過去の問題は順次、時間のある参加者で地道に改善していくと致しまして、新しい部分に関しましては「これ以上検証可能性を満たさない記述を増やさない」と言う方針でとりかかるべきでしょう。でなければ事態はどんどん悪化していきます。そう言った意味からも、Wikipedia:井戸端/subj/IP利用者の投稿時における検証可能性への注意喚起の可能性で述べた可能性についてご考慮頂きたく思います(いや、宣伝と言うわけではなく)。--Hman 2011年6月2日 (木) 17:28 (UTC)[返信]

よいコメントをありがとうございます。いやまったく、いい加減な情報の混入に対する防波堤としてWP:NORは必要ですね。実際、トレンチナイフでは歴史的な事実と異なる加筆が行われ、私は「嘘だらけのwikipedia」が製造される瞬間を目撃しました。間違いを書き込んだ人は、未だに間違ってるのは私の方だと主張しています。しかし、WP:NORのおかげで出典不備により記事から消すことに同意をいただけました。
さて私はそんなおかしい記述は消していくよりも、おかしくないように書きなおす方が好きです。出典の無い部分が削除されて記事がスカスカになる寂しいものですし、消された文を書いた人の納得も得にくいからです。おそらく皆さんもそうなのではないでしょうか?新規参加者が編集に参加するきっかけにも、記事の間違い放置するのは気持ち悪くて編集ボタンに手を伸す、といった事が多いと聞きます。そうやって、おかしいところをみんなでチェックして直していこうというのが、Wikipediaの営みなのでしょう。ところが今回のように下手に記事に触ろうものなら「出典も提示せずに、記事を書き換えるのはまかりならん。要求されてから出典を用意するのでは遅い」と長期間にわたる執拗な追求をうけかねないのでは、記事を書き換えることに勇気が必要になります。このような事が習慣化すると、記事から加筆が減り、Wikipediaの成長が停滞するのではないかと危惧しています--Littlefox 2011年6月3日 (金) 12:42 (UTC)--Littlefox 2011年6月3日 (金) 13:06 (UTC)[返信]
私個人は余り積極的に警邏活動を行っている居る訳ではなないのですが、震災・原発関連では随分と整理させて頂きました。こう言った記事は適当な記述がもたらす影響が大きいですから・・・。通常は、書き直すのは時間もかかりますし、しかしながら、書き直しの為の文献が集まるまでの間、閲覧者にデマの虞が高い情報を垂れ流しにするのも非常にアレでございますから、実際の所は、 (1).信憑性・妥当性がありそうなものについては要出典 (2).信憑性・妥当性が無さそうなものについては即時除去 、と言った所でしょう。この場合、その分野に対する自らの経験や基礎知識に基づき、「恐らく事実であり、ちゃんと探せばそう遠くない将来に出典が出てくるはずである」と判断できるや否やが問題でありますから、言わば目分量なのですけどね。・・・単純に除去するだけでは記事のテイを成さなくなる場合は?・・・出典を示せなくても、どうしても必要であれば、一応無難と思われる仮の記述をおいて置く事も、必要であれば許容されるでしょう。ですがその場合は、自らの手で{{要出典}}、{{要検証}}等を貼り付け、仮であることを明示し、協力を募るのがよろしいかと存じます。これを行った利用者が記事の将来にどこまで責任を持つべきかは諸説あるでしょうね。・・・が、客観的に見て従前より明らかにマシに編集したのであれば、それで十分であると私は思います。尚、IP利用者や初心者さんに対して、高圧的な態度で接するべきでないことは言うまでもありません。--Hman 2011年6月3日 (金) 13:07 (UTC)[返信]
特にこだわりのある箇所であれば「出典も提示せずに、記事を書き換えるのはまかりならん」というのはよいと思います。方針に従った処置です。「要求されてから出典を用意するのでは遅い」というのは是認しがたいです。{{要出典}} を付与するなどして、ある程度の猶予が与えられてもよいでしょう。ただし、すでに出典がある箇所を変更するのであれば、慎重さが求められると考えます。--Calvero 2011年6月4日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
お二人のおっしゃる事ごもっともです。Wikipediaの目指すところは記事全てに出典が明示されることでしょうが、投稿される文章全てに出典を付けられている事を期待するのは現実的ではない。実際は明らかに事実と分かることや出典要求に応ずるうちは猶予されうる。方針は不適切な文章を削除したり、疑わしい部分に対して出典要求をするための根拠と解釈しています。一番良いのは、自然に記事に出典が集まってくる環境を作ることでしょう。逆にコメント依頼やブロック提案を相手に参加者に突きつけて脅すことを繰り返して、良い環境を作れるとは思えません。私を追求してる方はそれで溜飲が下がるのかもしれませんが、そんなのが横行するWikipediaは居心地が悪いです--Littlefox 2011年6月4日 (土) 19:21 (UTC)[返信]
コメント WP:NORWP:Vを遵守するのは大変なんだ、と仰りたいのかもしれませんが、少なくとも記事の執筆は義務ではありませんから、Littlefoxさんが「そんなのが横行するWikipediaは居心地が悪いです」と思うのであれば、単純に執筆の手を止めればよいだけの話しでしょう。ウィキペディアは、Littlefoxさんの居心地をよくするためだけのプロジェクトではありません。そもそも、Littlefoxさんは「自分にとって居心地のよい環境をつくろうという誘惑に負けてはならない」とご自分で仰っていますよね。--114.48.144.223 2011年6月5日 (日) 00:46 (UTC)[返信]
コメント WP:NORWP:Vを再度熟読し、なぜ出典の提示が大事なのか今一度考えてみたらよいかと思います。そのうえで、Calveroさんの「『出典も提示せずに、記事を書き換えるのはまかりならん』というのはよいと思います。方針に従った処置です」とのご指摘についても、Littlefoxさんはきちんと理解なさるべきでしょう。--114.48.144.223 2011年6月5日 (日) 00:46 (UTC)[返信]

Wikipediaに出典が無い記述があまたある事は事実です。それが存在することは「猶予」だが、それは時間的な間隔ではなく、疑問の定義もしくは消されるまでの期間でしかない。悪いが「自然に記事に出典が集まってくる環境」など夢想を言ってくれるな。それがあれば苦労しない。出来るなら、出典が自然に集まるだろうと思って勝手な記述をするのではなく、言ったような環境を実現する具体的な行動を実際にやって見てください。--Babi Hijau 2011年6月4日 (土) 19:43 (UTC)[返信]

現在トレンチナイフに掲載されている出典と参考文献は、全て私が提示したものです。出典要求には常に応じてきましたし、出典を探す当てが無いような記事は書いていません(第二版を書いたと威張っていた人は出典を示せませんでしたが)。私のような人間を荒らしなどと糾弾して、Wikipediaから排除することで出典が集まりやすくなるのですか?見ている人がよりWikipediaに関わりたいと思うのですか?自然と出典が集まる環境とは、できるだけ多くの人間が編集に参加し、記事の為に出典を探そうと思える環境の事を言ったつもりです。例えば本を読んでいて、出典に使えそうな文章を見つけたらwikipedeiaに行って、記事にを書く、そういう習慣をもつ人が増えることです。逆に、記事を書いた人間に対して単なる出典要求を超えて、叱責してまわっても記事は成長しないでしょう。出典提示は義務でもWikipediaの編集は義務ではないですから、Wikipediaとこれ以上関わりあいになりたくないと思う人が増えるだけです。私をブロックに追い込もうという方に対して私見を言えば、気に入らない人間を排除することで自分にとって居心地のよい環境をつくろうという誘惑に負けてはならない。Wikiとは多数の人間が関わる事で正確性を持たせようという試みなのだから--Littlefox 2011年6月4日 (土) 20:32 (UTC)--Littlefox 2011年6月4日 (土) 20:58 (UTC)[返信]
コメント(Littlefoxさん2011年6月4日20:58UTC分に対して) 出典の明示と論拠の羅列は違うんですよ(何度も同じような話を出してくるからには、何度も言わないと理解できないようですから、何度でも言いますけど)。
またコメント依頼は利用者の行為に対する問題提起と意見の募集であって脅迫ではないし、ブロックはWP:POL以下に示される考え方に沿って百科事典を作ろうという趣旨を持ったプロジェクトの推進にとって、障害を技術的に排除する手段に過ぎません。そして投稿ブロックには複数の人の判断が働く(たとえ即座に成されたブロックでも、その理由であるガイドラインの成立には多くの人が関わっている)以上は、プロジェクトの趣旨から逸脱し「自分にとって居心地のよい環境をつくろうという」という意味でブロックを請求しても通りません。それでもブロックされるということは、ブロックされた利用者が実際に傍迷惑だったというだけのことなのです…当人がどう思っていようとも関係なく。
ともかく、記事主体物の説明に出典が無いのなら、それが出てくるよう働きかけたり関係者を無下に扱わず丁寧に対応する必要はあるでしょう。しかし過去再三にわたって似たような問題を起こし続けている利用者には累計評価として批判的に対応せざるをえませんし、記事主体物の説明から逸脱した記述にいくら出典…というか要素の論拠をつけても、それは「説明的ではない」という面で別の問題にしかならないし、その余剰箇所を出典(実質は論拠)があるから除去するなと編集合戦に突入したり、ノートページで他者の発言を歪曲してまでして利用者を否定することで問題提起そのものを無視したり、さらに無制限に問題を拡散させ続け、かつ彼方此方に主張(所定の記事や利用者の特定箇所など限定的なことがらに対するもの)を出張させる利用者が「傍迷惑ではないのか」という意味においては…まあ、批判を攻撃(Littlefoxさんいうところの「人格攻撃」?)と混同する態度も含めて、ナニなんですよ。--夜飛/ 2011年6月5日 (日) 01:08 (UTC)[返信]
もうあなたのコメントにはいちいち反応しないことにしています。同じことはなんども言いたくありません--Littlefox 2011年6月9日 (木) 14:47 (UTC)[返信]
コメント つまり、Littlefoxさんは、Yatobiさんに対し対話拒否すると理解してよろしいでしょうか。それから、いまいちど確認なのですが、今後は二度とWP:NORにもWP:Vにも違反しないとお約束していただけるのでしょうか? そう質問されるととたんに返答を忌避されるので理解に苦しむのですが、ウィキペディアのルールやマナーを今後は守るとお約束していただけるのですか、それともできないのですか? --111.188.51.179 2011年6月10日 (金) 01:22 (UTC)[返信]

一度特定のノートに誘導された本話題を井戸端で蒸し返した当人の責任として、書きます。本項のタイトル「「出典の提示」は執筆者の義務なのか? 単なる執筆者によるサービスにすぎないのか?」の回答は出典の提示は執筆者の義務であるという結論で閉じませんか?元々Wikipedia:出典を明記するにあるのですから。個別記事の過去の経緯、出典の質、読みこなし、情報の合成など様々な問題は、井戸端のこのタイトル下で議論すべきではないと感じます。それぞれ適切な、例えばコメント依頼などで続けて戴ければと存じます。--Babi Hijau 2011年6月10日 (金) 17:10 (UTC)[返信]

出典の明記に関しては検証可能性を考えるなら当然の事では無いかと思いますが、当然であろう部分まで出典明記を求めますか?なら、ほとんどの記事は文節ごとに要出典になりますよね。当然と思われる部分は要出典を付ける事は逆に記事を荒らしているように感じます。で、要出典を張る側が、その記事に精通していて「ここに書かれてる内容は聞いたことも見た事も無い、是非どこに書かれてるか教えて欲しい」というような形で貼り付けるのは良いのですが、単に「オレ知らない」と、本人が無知な事が原因で出典があるのか無いのか分からないってのに対して要出典を張るのは如何なものでしょう?
それって単に要出典を張った人が「自分が知りたいから」というようなある意味教えて君みたいな感じで接してるからじゃないかと思いますね。もっと、要出典を付ける人というのは、その記事内容に精通していてもらいたいもんです。
ウィキペディアは学校じゃないのですから、自分が知らない事が書いてあるから要出典と書いて人から教わろうとしないで欲しいわけですよね。それなら、自分ももっと調べろよと。そんなそこら中に書かれてる事、少し調べればわかることにイチイチ要出典を張るのは過剰反応だろうと思うわけで。。。
出典はサービスではなく加筆者の義務で良いと思うのですが、それを見守る人がそのジャンルに長けている人でないとうまくいかないんじゃないかと。まぁそう思いますね。だいたい、そのジャンルのその記事に長けてない人が、記事の内容を見て「出典があるかないかなんて判断できない」わけで、それなのに要出典を張るってのは行き過ぎた行為だと思います。それこそ、出典は加筆者の義務であるという事を盾にとった出典がないかも知れないという独自研究なわけですから。また、要出典を張られた方は、出典が出されたら最低限その出典を確認するなどはしてもらいたいものです。そうすることで、相互的に理解も深まりましょう。また、何でもかんでも要出典を張るという行為も少しは抑制出来るかも知れません。--永尾信幸 2011年6月10日 (金) 17:54 (UTC)[返信]

いいんじゃないですか、文章ごとでも。ノート:太陽ノート:木星を例示しますが、「自分が知っていること」というものが一番怪しい。小生がWikipediaで書く一番の動機は、この「個人的な思い込みの修正」です。要出典はよもや「自分が知りたい」など甘い戯言ではありません。Wikipedia:出典を明記するはガイドラインであり、「宅急便会社が指定された所へ荷物を届けます」「Excel上でコマンドの通り実行します」と同等の、「読者への約束」であるはずです。その正誤を読者に求めるなど論外だと思います。そして、事典とは「自分が知りたいから」に先んじて応えるものであるはずと思います。ガイドラインを改訂したければそれなりの場で議論を提起すべきです。--Babi Hijau 2011年6月10日 (金) 18:22 (UTC)[返信]

出典の明記自体は当然ですが、自分の知識が及ばない所にしゃしゃり出てどうこうすべきものでもないでしょう。まず、自分が関わってる記事からまずおやりになればどうですか?--永尾信幸 2011年6月10日 (金) 18:29 (UTC)[返信]
「その分野では常識である」とご自身がお考えの所までいちいち脚注形式で出典を貼っていては、いくらなんでも面倒だと思ってしまうのも人情でございますが、個々のケースにおいて他の方から出典を求められた際には、つまり異を唱えられた際には、貼付することでお応えすればよろしいのでは。もちろんいきなり除去された際にはこれは困ることとなりますが、要出典貼付にはできるだけ出典の提示でお応えしましょう。なお、ここはウィキペディア日本語版であり、日本版ではないため、「2011年現在の日本では常識である」と言う考えの虜にならない様に配慮せねばなりません。かく言う私自身もどこまで出来ているかは怪しいのですけどね。--Hman 2011年6月10日 (金) 21:20 (UTC)[返信]
問題になるのは「いきなり要出典」などがトラブルの元になってる点でしょう。何らかのコメントをノートに残すなどすれば良いかと思います。もちろん、加筆者の義務として出典の明記があるわけですから、出典を求める側は「これ、出典があるの?」と思えば要出典を貼り付けるのはルール上は認められているとはいえ、そのジャンルに編集もしたことも無い人がしゃしゃり出て要出典を張っていく姿には、何か機械的な、何か自治厨的な感じで思われるだけでしょうし、協力も得てして得にくいように感じます。それは、要出典を張る側が、出典を示すのは当然だろというルールを盾に取った高飛車な態度(いきなり要出典タグを貼り付けるのもそうですよね)で望むからと思われますが、ここでもお願い形式で会話があれば、ずいぶん出典を明示させたい記事に関わってる方の心証も変わってきましょう。また、要出典を張った方は、出典が示されたら、本当にその出典がその記事の出典なり得るかの確認くらいは最低してもらいたいものです。
要は張り逃げ的な「ルールがそうだからこれで良い」という感じで行動している方には、なかなか難しい話でしょうが、本当にその記事を思って要出典を張っているなら、当然出典が出た場合の正確性も気にならなければおかしいわけですしね。残念な事に、要出典を張られる方は何らかの出典が記載されたら満足してしまっているのが現状なんですよね。それって、本来の「検証可能性」に基づく「出典の明記」の本質ではないわけで、そのあたりは要出典を要求される方も気にする必要があるのではないでしょうか?
出典が無い事が気になって仕方が無いだけで、出典が出されると偽りの出典かどうかなど二の次で満足してしまうつまり要出典を張る事が仕事と言う姿勢だと、加筆者の協力も得にくいのではと思いますね。
えぇ、出典の明示は加筆者の義務はわかってますよ。でも、スムーズに事を運ばせようと思ったら、相手の立場も考えて行動すべきではないかと思います。読者の為読者の為と言っても、それがスムーズになっていなければ、結局読者のためにはならないわけですから、本当に読者のためを思うのなら、ルールだけを盾にとらず、協力できるところは協力する。事前に対話できるのであれば対話などの対応をした方が良いように感じます。--永尾信幸 2011年6月11日 (土) 03:25 (UTC)[返信]
コメント 相手の立場を考える必要があるのは、執筆者も同様だと思います。たとえば、初心者の方が出典を明記し忘れているならまだ理解できますが、なかには、出典を明記しなければいけないことを理解していながら敢えて出さない執筆者もいます。出典明記の義務があるとわかっていながら明示しないというなら、本来ならルール違反ですし明らかに問題行為ですが、現実にはこのような利用者はゼロではありません。「求められたときには出典を提示してるんだから、問題ないだろ」(大意)などと開き直ってしまう利用者もいますが、これは閲覧者の立場を全く考慮していない姿勢だと思います。閲覧者側は、わざわざ出典を問いただすという手間をかけさせられているわけですから、閲覧者にとって迷惑この上ない存在です。「残念な事に、要出典を張られる方は何らかの出典が記載されたら満足してしまっているのが現状なんですよね。それって、本来の「検証可能性」に基づく「出典の明記」の本質ではない」というご指摘は一理ありますが、そもそも出典自体が明記されていない状態ならば検証自体が不可能であり、「本当にその出典がその記事の出典なり得るか」といった議論すらままならない状態だと思います。出典の要求とそれに基づく提示は、全てがそれで解決するわけではありませんが、少なくとも検証そのものが不可能というどうしようもない状態から抜け出すための第一歩ではあると思います。--114.48.201.172 2011年6月12日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
コメント 永尾信幸さんから「出典の明記に関しては検証可能性を考えるなら当然の事では無いかと思いますが、当然であろう部分まで出典明記を求めますか?」との問題提起がなされています。しかし、そもそも論ですが、多くのウィキペディア執筆者は「明らかに事実であり疑いの余地のない時を除き、出典のない投稿は禁止されています」との認識だろうと思います。誰がどう考えても明らかに事実なのであれば出典を明記せずともかまわないと考えているでしょうから、「当然であろう部分まで出典明記を求め」るようなことは生じないでしょう。もっとも、それが明文規定としてルール化されているのかは議論の余地がありそうですし、事実であることが明らかというのはいったいどこまでの範囲を指すのかはケースバイケースでしょうし、場合によっては議論の対象となることがあるかもしれません。--114.48.201.172 2011年6月12日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
コメントはじめまして福井の郷土史家志望者です。不慣れな者で質問失礼致します。下手な文ですが水羊羹こと丁稚羊羹の記事を書いた者です。出典の根拠とする記事に誤りが多く全く信用できないのと資料消失のため関係者インタビューと一部資料の確認を元に現時点での重要情報を記載した次第です。その経験から記事の有無に関わらず関係者インタビューと目撃者の証言を元に記事を書くようにしてるのですが注意すべき所がございましたら先輩としてのアドバイスをどなたか宜しくお願いします。地元福井の出身者の漫画作品それでも町は廻っているについては福井新聞の記事を鵜呑みにせず先ずは目撃者探しをしまして記載しました。普段からミスが多い福井新聞ですが出典としました。アニメ版GA芸術科アートデザインクラスについてはスタッフのロケハンの情報を放送前に得ましたが証言は福井市のイザワ画房のみです。舞台設定記述に独自研究の疑問がありましたがイザワ画房へのスタッフ来店は事実ですので要出典を間接的にお願いする意味合いで「福井でロケハンが行われた」と記載しましたら他の方に要出典を張られ編集争いになりかけた訳でこの場合どの様な出典をしてどう仲直りしたら良ろしいかアドバイスを賜りたく思います。利用者kazu7878 2011年11月15日 17:53(UTC)
コメントまずは、Wikipedia:独自研究は載せないをお読みください。これはWikipedia日本語版の方針です。Wikipediaに投稿する記事は、信頼できる媒体で記事の主題に関連する形で、既に発表されているものでなくてはなりません。ご自分で取材した内容を書いてはいけません。これは三大方針の1つですので絶対のものです。--ろう(Law soma) D C 2011年11月15日 (火) 10:42 (UTC)[返信]
コメントご返答感謝します。Wikiに参加しました一番の事情はページの一部が会社組織関係(商品も含め数年で資料廃棄の慣例と解散含む)か戦災災害等で資料消失だけで無く公の記事も存在しないはずなのに勝手な創造なのか誤ったデマ情報のページを幾つか目にしましてページを削除すべきか正すべきか色々悩みつつもページ内容の当事者の意見や資料等を出典代わりにしてでも改めるべきか思いつめた次第です。羊羹の項と水羊羹と丁稚羊羹で問題だったのは実在の店舗が発祥の店と間違えられ困惑されてたのと他根拠の無い誤った情報を伝えてしまってる事が問題でありましたので江戸時代から代々受継がた老舗関係者の方々からの証言を元に追記しました。100満ボルトの場合も不自然な内容でしたのでこの場合も当事者からの編集の許諾をいただきました。福井縁の作品の事柄についても噂の一人歩きを正そうと無理をしてミスをしてしまい迷惑をかけまして。ページの当事者関係者を出典代わりにするには一旦著書で発表してからでないとページを正せないのかこちらの世界が不慣れで不得手で勉強不足の自分には難しい問題で。特に書籍や新聞等もヒューマンミスが多いですのでこちらから間違いを指摘する程ですので出典は難しい問題です。今後は何とか善処出来ます様努力致します。デマ情報を改める為の対処方につきまして何か良い方法がございましたらみなさんのご意見を賜りたく思いましてどうか宜しくお願い致します。利用者kazu7878 2011年11月18日 7:55 (UTC)
コメント 可読性向上のため、インデントを一部変更しましたことをご了承ください。さて、デマ情報を改めるためということであれば、正しい内容で書かれた出版物を探して提示するよりありません。その場合であっても、貴方のおっしゃる「ヒューマンミスが多い」書籍や新聞を元に記事を書かれた利用者がいた場合、両論併記にならざるをえない場合もあります。それは、ある意味しょうがないことで受忍頂くより他ありません。なお、貴方と私のここでの対話は本題の流れと少し異なりますので、以降もしご質問がおありでしたら私の会話ページでお願いします。--ろう(Law soma) D C 2011年11月18日 (金) 00:20 (UTC)[返信]

ルール遵守のお願い

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報告 Wikipedia:井戸端/subj/特定の記事を個人的なサンドボックス代わりに使用することは許容されているのか?での議論が集結いたしました。Littlefoxさんにおかれては、こちらの議論で指摘された点について反省し、今後はウィキペディアのルールやマナーを遵守するようお願いいたします。--114.48.57.156 2011年7月3日 (日) 17:47 (UTC)[返信]

他人のコメントを無断で除去する行為について

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コメント これだけ言われても、まだ他人のコメントを除去しているようですが、どういうおつもりでしょうか。(参考)。明確な説明と当該ノートページでの謝罪を求めます。これだけいろんな人に注意されているのに、いまだに改善が見込めないとはどういうことなのでしょうか。これは重大なルール違反行為であり、もう「PCの調子が悪い」との言い訳は通用しないでしょう。あなたはウィキペディアに記事を書きに来ているのか、それともウィキペディアのルール破りを繰り返して愉快犯的にほくそ笑んでいるのか、いったいどちらなのでしょうか。強い反省を求めます。また、これだけ言っても反省しないのであれば、投稿ブロックを提出せざるを得ないと考えています。--114.49.5.255 2011年7月12日 (火) 02:29 (UTC)[返信]

復帰させておきました。そそっかしいことは反論のしようがなく、ただお詫びするしかありません。--Littlefox 2011年7月12日 (火) 09:41 (UTC)[返信]
あなた(イーモバイルユーザーIPさん)の今までの言動から分かってはいたのですが何がなんでもブロックに持ち込みたいのですね。PCの調子がわるいというのは私の弁ではありません。どういうわけかWikipedia鯖へのレスポンスがわるくて、投稿ボタンを押しても投稿失敗になることが多いのです。戻したり連打してるうちに消してしまうことがあるというのが私の自己分析です。半分は直ぐに気がついてさし戻しましたが、見逃してしまうこともあるんです。みなさんにご迷惑かけていることは申し訳なく思います。もっと上手く確認する習慣をつけたいです--Littlefox 2011年7月12日 (火) 15:30 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。ERR_CONNECTION_RESETはネット上でもかなり報告されてるトラブルのようです。解決できるかどうかわかりませんが、クローム以外のブラウザをお試しになってはいかがでしょうか。--ShikiH 2011年7月26日 (火) 14:05 (UTC)[返信]
ありがとうございます。本当に私だけかと思って不安になっていました。ブラウザはFirefoxを使っていたのですが、同様のトラブルが起こっています。そこで動作が早くて、いくらかマシなクロームに代えました。他のブラウザも試してみようと思います--Littlefox 2011年7月27日 (水) 11:32 (UTC)[返信]

富山市の「商業」における部分についての指摘

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富山市のページで、商業の部分ですが、掛尾や山室、中川原沿いのいわゆる草島線は、「県道」ではなく、完全な「市道」です。もう一度富山市内の道路について、確認したほうがいいですよ。 草島線で「県道富山環状線」に一致する部分は、四方荒屋~東高校前~天正寺や、黒瀬~婦中大橋西口~四方荒屋にかけての部分です(一部、国道359号線や国道415号線、県道富山八尾線などと重複)。 天正寺~掛尾町~黒瀬は、県道富山環状線ではありませんので。

詳しい説明ありがとうございます。つまり草島線の独立した項目がないので、56号線で代用されていた、しかし両者はイコールではない、ということですね。注釈で説明すれば、事情を知らない読者にも伝わりやすいのではないでしょうか。注釈の中で56号線の項目へのリンクを張るということもできたはずです--Littlefox 2011年12月5日 (月) 10:10 (UTC)[返信]


「鳩」における我が国の食文化の記述部分についての指摘

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中国との絡みの部分がその前項の世界の食文化の部分と重複しています。今回、IP編者によりスッキリ編集されたので喜んでいたところ、Littlefox氏が旧版に差し戻し編集されているようです。ご真意をお伺い致し度、該当項目ノートにご意見を戴けるようお願いする次第です。 --Asc08586会話2013年10月14日 (月) 06:16 (UTC)[返信]

昨日、該当項目のノートに返信しましたのでご確認ください--Littlefox会話2013年10月15日 (火) 00:36 (UTC)[返信]
引き続き訂正または差し戻しの取り消しをお願い申し上げたところ、その後、反論も出てこないようですので、一ヶ月程度の告知期間を置いた後、更新する予定です。どうぞご了承ください。--Asc08586会話2013年10月21日 (月) 08:09 (UTC)[返信]

Invitation to Medical Translation

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Medical Translation Project

Invitation to the Medical Translation Project – a joint Wikimedia project started by the English language WikiProject Medicine!

Thank you for being one of the top Medical editors! I want to use this opportunity to introduce you to our most ambitious project.

We want to use Wikipedia to spread knowledge where it will be used. Studies have shown that Wikipedia is the most common resource of medical knowledge, and used by more people than any other source! We want high quality articles, available to everyone, regardless of language ability. It isn't right that you would need to know a major language to get hold of quality content!

That is why in the recent Ebola crisis (which is still ongoing) we translated information into over 70 languages, many of them small African languages. This was important, as Wikipedia was also shown to be the biggest resource used in Africa for information on Ebola! We see tremendous potential, but also great risks as our information needs to be accurate and well-researched. We only translate articles that have been reviewed by medical doctors and experts, so that what we translate is correct. Many of our translators are professionals, but many are also volunteers, and we need more of you guys – both to translate, but also to import finished translations, and fix grammatical or other style issues that are introduced by the translation process.

Our articles are not only translated into small languages, but also to larger ones, but as of 2015 this requires users to apply for an article to be translated, which can be done here (full articles, short articles) with an easy to manage google document.

So regardless of your background head over to our main page for more information, or to our talk page and ask us questions. Feel free to respond in any language, we will do our best to find some way to communicate. No task is too small, and we need everyone to help out!

I hope you will forgive me for sending this message in English – we also need translators for messages like this, and above all local language community managers, which act as a link between us and you. Also I can not reply on your talk page, so please go to our talk page!

Thank you for helping medical information on Wikipedia grow! -- CFCF 🍌 (email) 15:37, 28 January 2015 (UTC)

Google Translation of this message

利用者ページのカテゴリについて

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こんにちは。Littlefoxさんの利用者ページ「利用者:Littlefox/sandbox」ですが、Category:無機化合物など通常記事(標準名前空間)で使うことが想定されているカテゴリが複数、付与されています。そのため、カテゴリページにてLittlefoxさんの利用者ページが表示されてしまっています。利用者ページには通常記事と同じカテゴリは付与しないことになっていますので、Wikipedia:利用者ページ#カテゴリ、テンプレート、リダイレクトを参考に利用者ページのカテゴリを<!---->で囲んでコメントアウトするなどの対処をお願いします。

1週間ほどお待ちしてもご対処いただけなければ、不躾ながら利用者ページを他の利用者が直接修正させていただく場合もありますので、ご容赦ください。--Keruby会話2020年5月16日 (土) 19:29 (UTC)[返信]

テキストの除去はおやめください。 こんにちは。記事からテキストを除去するのはおやめください。あなたがニューハーフでなさったような編集は荒らし投稿とみなされます。テキストを除去した記事に問題等が有りましたらWikipedia:連絡先/記事の問題をご覧ください。もしテスト投稿がしたければ、テスト専用ページWikipedia:サンドボックスの使用をおすすめします。このほか便利な機能をいろいろ紹介するガイドブックもご参照ください。あなたのウィキペディア・ライフが充実したものでありますように。--Muyo 2010年4月11日 (日) 13:16 (UTC)[返信]