Wikipedia:コメント依頼/Wikied20131105
Wikiedさんの編集態度ついて、コメントを依頼します。--Megevand (会話) 2013年11月5日 (火) 10:13 (UTC)
依頼者のコメント
[編集]Wikiedさんは、「ごちそうさん (2013年のテレビドラマ)」さんで、検証可能性などの三大方針に照らし合わせて、大幅に記事を除去されました([1])。しかし、その編集態度が一貫しておらず、問題にされている記事を全て除去することをしない理由を問うたところ、「当方の編集が至らぬだけ」と、要するに御自身で「編集はできないから、当該ページで編集している人たちで後の作業をどうぞ」という態度をとられます。
また、除去したものでも、出典として現在認められているドラマホームページなどからの出典と、話数表記の出典とを区別して精査することなく一律除去し、後の処理には関わらないなど([2])、コミュニティのメンバーとして編集する態度としては、その素質に疑問を抱かざるを得ません。
この方の「会話ページ」を見ていましても、同様の疑念や反感を抱いている方が大勢おられることが分かります。
検証可能性を掲げ、建設的な編集や自ら積極的な事態改善に携って頂くのはよろしいでしょう。しかし、その内容を精査することなしの雑な除去作業、御自身では「至らぬ編集」だからと編集に加わる意志の欠如、問題提起は他者任せといった態度は、共同作業においては弊害となるものと思います。
みなさんのご意見をお待ちしております。--Megevand (会話) 2013年11月5日 (火) 10:13 (UTC)
依頼者より追加コメント・報告
[編集]「Wikipedia:コメント依頼/Pooh456」では、「まとめ」にてあるユーザーさんから「Wikiedさんは、Wikipedia:ページの編集は大胆にの『ただし、配慮を忘れない』を再読し、遵守する声明を出す。+削除時は、必ずノートを利用する (方針やガイドラインに沿った削除もされているように見受けられますが、Wikiedさんの場合、そうしたケースであっても誤解を受けやすい状況にありますので)。」(2012年2月18日 (土) 16:11の版より該当部分を、括弧を修正し転記)とコメントされておられる通り、当時と何ら態度を修正することなく現在まで至っています。--Megevand (会話) 2013年11月5日 (火) 10:40 (UTC)
以上のコメントからも伺えますように、被依頼者は御自身を「除去者」(御自身は削除と除去とを混同して取り違えておられるが[3])と名乗り、いきなり恣意的にページに現れたと思うと、何ら対話を行うことをせず除去を行うことを、信条とされているようです。それも「方法論」といえば方法論なんですが([4])、これをおそらく他のページで一斉に行えば、そのユーザーは間違いなく投稿ブロックにされますよね?対話なしでいきなり削除なんですから。また、対話が成り立たないか成り立つかは、対話を提案してこそはじめて分かるものです。そして、対話の中でより良い方法論を一緒に考えていくものです。その対話の努力の「ど」もせずに、絶対不可侵の方針を盾に自分の行為を正当化する(正当化するしかない)。これは、甚だ問題だと思います。--Megevand (会話) 2013年11月5日 (火) 11:05 (UTC)
同種の行為は、#参考リンクに示す通り、これまでも何度も何度も繰り返し行われているようです。検証可能性は、Wikipediaの永遠の課題でしょう。色んなユーザーがいる中で、建設的に編集をせず、コメントを求めず、恣意的にページを選んで問題箇所を除去することなく(そうすると投稿ブロックものだからでしょうか、と勘ぐりたくなります)、部分的かつ大胆で対話一切なしの除去を繰り返す、被依頼者に大きな問題があるといわざるを得ません。--Megevand (会話) 2013年11月5日 (火) 11:34 (UTC)
参考リンク
[編集]- Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wikied
- Wikipedia:コメント依頼/Wikied 20120111
- Wikipedia:コメント依頼/Pooh456
- Wikipedia:コメント依頼/Wikied 20130207
被依頼者のコメント
[編集]第三者コメント
[編集]- 編集の精度は人それぞれですし、それを多数の力で最終的に向上させていこうというのがwikipediaだと思っています。なので、ある人の素質に疑問を抱くのは各人の自由ですが、それでその利用者をどうこうすべきというものではないと思います。出典の有効性やwikipediaは何でないかは、取り扱う分野によって具体的な適用内容には幅が出て当然と思いますので、粛々と個々に議論すればよいのではと思います。対話に応じず、編集の強行を繰り返すというのは問題でしょうがそういうコメント依頼ではないようなので、「まぁ、いろんな人がいますよ」というのが、このコメント依頼に対しての私の意見です。ちなみに、今回きっかけとなっている出典の理解についてですが、結構昔に「TV番組自体が出典になるか」って話題は井戸端あたりであったはずで、国会図書館にアーカイブされているようなものもあるし不可能とまでは断言できないのでは?という議論だった記憶が...Fuji 3(会話) 2013年11月5日 (火) 11:35 (UTC)
- 依頼者様は、Wikied様に重大な問題があれば、それを差分で提示して下さい。例えば、信頼できる検証可能性を満たす出典に基づく記述を除去した、とか。そしてそれを注意しても耳を貸さないとか。そうでなければこのようなコメント依頼を出す事自体おかしな事です。申し上げるまでもありませんが、出典の提示責任は記述の存続希望側にあります。「利用者へのコメント依頼」であれば以上の回答になります。ただし、個人的意見としては、宣伝や名誉毀損や疑わしいものでなければ、削除せずとも要出典タグを貼るべきかなと思いますけど。--JapaneseA(会話) 2013年11月5日 (火) 11:51 (UTC)
- よく似たユーザーに対するWikipedia:コメント依頼/GDSTCB 20131029あり。ともにCUが必要では? --36.2.29.229 2013年11月6日 (水) 11:41 (UTC)
- 「当方の編集が至らぬだけ」は文脈からして「可能ならば検証可能性に反する記述すべてを除去したいが、私は神ではないのでそうしきることはできない」の意であり、「私は加筆編集ができません」の意ではないと考えるのがよいでしょう。日本語版Wikipediaでは顕著に検証可能性が無視される傾向にありますが、本来出典なき記述の全ては除去対象であり、たとえ正しくともWikipediaに載せるべきことではありません。ですので被依頼者の編集方針も広義の雑草取り屋ということで問題ないかと。むしろ「依頼者からの追加コメント」欄を読む限り、コメント依頼がWP:ATTACKの域に達しつつあるように思えるのが心配です。--kabisuke(会話) 2013年11月8日 (金) 02:58 (UTC)
- 今までの編集傾向からして加筆編集が皆無と言っていいほど見当たらず(あれば示してください)、「私は加筆編集が出来ません」というふうに解釈しています。--Sanjo(会話) 2013年11月11日 (月) 15:45 (UTC)
- このコメント依頼、なぜか私の名前が何度か登場していることはともかく、「被依頼者は加筆編集が出来ません」という解釈が出てくる余地は見当たりません。--GDSTCB(会話) 2013年11月12日 (火) 20:31 (UTC)
- 今までの編集傾向からして加筆編集が皆無と言っていいほど見当たらず(あれば示してください)、「私は加筆編集が出来ません」というふうに解釈しています。--Sanjo(会話) 2013年11月11日 (月) 15:45 (UTC)
- 出典のない記述が除去されるのは仕方ない。依頼者は検証可能性をみて下さい。出典のない記述をどれだけ削るかは任意。出典のある前後の文とのつながりを放棄してまで削るかどうかはケースバイケース。問題はWikiedさんではなく、wikipediaの基本を理解していないのはMegevandさんの方です。方針の理解が出来ていない人のほうが依頼者になるのはおかしいですね。『、要するに御自身で「編集はできないから、当該ページで編集している人たちで後の作業をどうぞ」という態度をとられます。』←無問題、なにがまずいのでしょう?大きな問題があるのは依頼者Megevandさんの方でしょう。--ぱたごん(会話) 2013年11月11日 (月) 14:05 (UTC)
- 被依頼者やぱたごんさんが主張される「出典がない」自体に疑問があります。今回の事案(NHK朝の連続テレビ小説の作品)でいえば、放送直後に「NHKオンデマンド」で公開され、番組全体が終了すればDVDやらブルーレイやらで発売される作品です。あらすじに至っては「放送前から」公式サイトはおろか、新聞媒体等でも公表されています。よって、放送直後の時点で曲がりなりにも検証可能な記述ともみなせる訳です。「検証可能性」というのはあくまでも「後でその気になれば誰でも確認できる資料がある」であれば良く、有償か無償かは問われません。NHKオンデマンドがそれに該当しないという解釈はできないかと。--Sanjo(会話) 2013年11月11日 (月) 15:45 (UTC)、2013年11月11日 (月) 17:08 (UTC)修正
- コメントをさせて頂きます。依頼者のMegevend氏は、Sanjo氏が仰られた「オンデマンド」や「DVDの流通可能性」を「出典の存在の根拠」として主張されたら宜しかったのでしょう。ですが、そのあたりを冷静に判断して、被依頼者のWikied氏にご説明できなかったようです。そのあたりが残念といえば残念でしょう。さて、被依頼者のWikied氏におきましては、俗に言う「前置き」無しに、「恣意的」(Megevend氏の11月5日 11:05のコメントより)に記事を選び、「対話を行うことをせずに」(同上)除去されたのは、問題があるように思います。記事毎の傾向(最近のドラマなのか、オンデマンドが存在するのか、公式ブックが本当にないのか)を知ろうともせずに、ただやみくもに除去される行為は、今後遠慮して頂きたいと存じます。--RMSystem(会話) 2013年11月11日 (月) 16:52 (UTC)
- 勝手なマイルールで出典にケチをつけ、乏しい知識で記述を任意に削るような人はウィキペディアにとって有害以外の何者でもないでしょう。「自身で編集はできないから、当該ページで編集している人たちで後の作業をどうぞ」などというのは論外です。ちゃんと直せないようなレベルの輩は編集に参加するべきではありません。--uaa(会話) 2013年11月12日 (火) 12:12 (UTC)
- 利用者:GDSTCB(会話 / 投稿記録 / 記録)と一体で片付けましょう。--包装鉄(会話) 2013年11月12日 (火) 14:47 (UTC)
- Wikied氏におかれましては、「人に厳しく自分には甘い」という編集姿勢が見受けられるでしょう。「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」のページにおきまして、参加音楽家の編集その1、その2をご覧頂ければお分かりですが、前からもずっと「出典」がないのですが、このWikied氏におかれましても、「出典なし」でずっと加筆を続けておられるようです。私はこれに気付いてしまいましたので放置することはいたしませんし、この方のように除去することをせず、おそらく出典要求タグを貼ることぐらいでしょう。しかし、おそらくWikied氏と同じように、突然ページにやってきて除去をされると、おそらくこの方もカッとなることでしょう。もしそうなるのでしたらば、同じような思いを他人に味わせるべきではないでしょう。よって、まずは出典要求をする、ノートで提案をするなどをするべきでしょう。--RMSystem(会話) 2013年11月14日 (木) 01:24 (UTC)
- 同じページの被依頼者の編集を見てみましたところ、加筆されている部分はすべて「出典なし」です(その1、その2、その3、その4、その5、その6、その7、)。
- 編集を調べてましたところ、私と同様のことを仰っている方もおられるようでして[5]、その後Wikied氏は出典貼付をされておられますが、その後と最近の加筆は上記のように、極わずかの部分を除いて「出典なし」です(その8、その9、その10、その11、その他は上記の編集です)。
- なお、申しますが、これは人のあら探しということよりも、「人の編集に対しては突然除去という」荒々しい態度をとられることに対する、ご本人の編集例における反証でございます。そして、こういった編集はいずれの方もしてしまうものでしょう。そうであるならば、常に「突然除去する」ということではなく、その前に「出典要求をする」あるいは「対話をする」ということが、Wikiedには求められているということを主張するものでしょう。--RMSystem(会話) 2013年11月14日 (木) 02:45 (UTC)
- RMSystemさんは、オンデマンドを見れば番組の印象について色々書く出典となるとおっしゃるのですね。-- 包装鉄(会話) 2013年11月15日 (金) 11:46 (UTC)
- 包装鉄氏、ここのコメント依頼と関連のないご質問ですが、簡潔にお答えします。個人の印象、つまり主観的なことをいろいろと書くと独自研究になりますので、個人の印象ではなく、なるべく客観的で必要な情報を入れる努力は必要と考えます。そのために、オンデマンドだけではなく、公式ホームページのあらすじも大いに活用されるべきと考えております。以上、お答えになっていますでしょうか。もしまだご質問があるのでしたらば、問題のドラマノートページもしくはわたくしの会話ページにてお願い致します--RMSystem(会話) 2013年11月16日 (土) 15:52 (UTC)
- オンデマンドを見てそれを一言で書くということですね。何が出典か。あの類似コメント依頼では、あちらの被依頼者が野球関連記事でスポーツ紙を出典とする行為を繰り返すなどルールに外れているということなどが、終結で確認されています。--包装鉄(会話) 2013年11月16日 (土) 23:21 (UTC)
- 包装鉄氏、
- 申し訳ございませんが、ここで何をわたくしに対して仰られたいのかが、非常に分かりかねます。「オンデマンドは出典なんかであるものか」という反論をわくしに向けておられるのでしょうか?それであるならば、ここは検討違い・主旨違いですので、Wikipedia:井戸端/subj/オンデマンド配信は有効な出典かというところでも同じ問題を話し合っておられましたので、これを参考にして頂くか、あるいは別のトピックを井戸端で立ててこの件に対して質問されてみてはいかがでしょう。現在のところ、被依頼者のWikied氏は、オンデマンドを出典として認められておられます。また、具体的な出典の使用方法についてのお話しをされたいのであれば、問題となっているドラマのノートページにて願えますでしょうか。
- さて、わたくしは、包装鉄氏が提案されていた別依頼との合併に対しては、はっきり申し上げますと、必要ないと考えております。合併するにはするだけの理由、つまり両氏が同一人物であるという確証がもてなければいけないでしょう。わたくしはそれを言い切れるだけのものを持ち合わせておりません。よって、氏のご提案には賛同できない、ということです。私は賛同はしませんが、「反対」もいたしません。確証がおありなら、事を進められてはいかがでしょう。
- また、そもそもの話でございますが、ここの被依頼者の問題行為は、包装鉄氏が何度も仰られるように何を出典とするかということの議論から生じたものではないでしょう。全くの対話なしに突然やってきて除去するという、被依頼者の行為がコミュニティの反感を買っているということだと認識しております。検証可能性が担保されるために出典を求めるのは方針がそれを規定していますので、編集者の誰もがそれを義務としなければならないのは分かっておりますが、方法論として出典を求めるための対話を行わずに出典がないと頭から決めつけて除去するというのは乱暴なやり方だと考えます--RMSystem(会話) 2013年11月17日 (日) 05:59 (UTC)
- "何を求めているのか?"と言われると、何をして下さい、というものは、私には別にありません。かのコメント依頼でも対話についてや"頭から決めつける"姿勢についてお書きのBsxさんや、あちらの依頼者であった方に粘りをもって引き続き相談なさるのが良いでしょう。個人的に申し入れるのもありかも。--包装鉄(会話) 2013年11月17日 (日) 12:27 (UTC)
- 補足すると、依頼者は"出典として現在認められているドラマホームページなどからの出典と、話数表記の出典とを区別して精査することなく"とされており、あちらの依頼にも"被依頼者の資料検証能力および対話姿勢には重大な落ち度があり"と共通性があります。ただ、あちらの依頼では、鉄道のことを知らずにその方面のルール(1両の電車がパンタグラフかポール集電かという些細なことへの執着、など)を無視するということがあり、こちらでも、第三者コメントでは類似傾向が見られますが、依頼文では確かに明記されていません。いずれにしても、uaaさんなどあちらでも参加されていた方々から異論がなければ、あちらに準じた形での終結というのが良いかと思います。それでは--包装鉄(会話) 2013年11月19日 (火) 10:37 (UTC)
提案 IP氏からの提案もあるし、類似案件のWikipedia:コメント依頼/GDSTCB 20131029と一本化してみませんか。こちらの依頼者は被依頼者への抗議として引退して、帰ってこられないでしょうし。向こうの依頼者は現役の管理者だそうですし、あちらにお願いするのが良いのでは。--包装鉄(会話) 2013年11月14日 (木) 10:58 (UTC)
- あちらの依頼者は終結宣言を出されています。-- 包装鉄(会話) 2013年11月16日 (土) 13:00 (UTC)
オズオズさんから、被依頼者の利用者名に対する苦情が出されていますが、[6]依頼にないため、下記のとおりいったん閉じます。--包装鉄(会話) 2013年11月26日 (火) 12:22 (UTC)
- 閉じるのは自由だけど、どうするのだろう。--さいたまんで(会話) 2013年11月28日 (木) 11:45 (UTC)
まとめ
[編集]コメント依頼後、問題が解決した場合またはある程度の期間が経過した場合、コメント依頼の総括を行います。
書き込みが途絶えて1週間たち、予告したとおり、類似案件の終結宣言をもって終了という合意がとれたと判断します。
MaximusM4さん風にいうと「被依頼者はご自身のお考えを第三者へ正確かつ具体的に示すことが極めて不得手なのではないか」とも見えますが、被依頼者が曖昧なコメントを多用する原因はご自身の説明能力の欠如によるものではなく、自らにとって不利となる種の確定的な言質を相手に取られまいとする明確な意図に基くものであったのではないかとの疑念が生じています。仮にこのMaximusM4さんの推測が的を射たものであったならば、本依頼が提起された当時よりも状況は悪化していると判断せざるを得ないでしょう。
依頼者が指摘なさった点を含め、被依頼者の抱える数々の問題点につきましては概ねコミュニティの共通見解であることが確認されたというご意見が多かったので、以上をもって本依頼は終了としましょう。今後被依頼者について、現時点でより踏み込んだ対処が必要とお考えになる方がいらっしゃった場合、この終結宣言はその方が何らかの行動を起こすことを妨げるものではない旨付記いたします。ここへの参加者は、このMaximusM4さんのお言葉を再確認すべきかも。--包装鉄(会話) 2013年11月26日 (火) 12:22 (UTC)
こちらでコメントを頂いた皆様、コメントありがとうございました。私の依頼内容の説明不明瞭、かつ差分の不足により、皆様にはコメントをして頂く上で、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
「検証可能性」という大前提を盾に編集者との対話を欠く被依頼者の編集態度は、ドラマ「ごちそうさん」においては、他編集者さんとのやりとりの中で緩和していったように思います。被依頼者は、現在でも大幅な除去活動を展開されていますが、まるで全ての表記を十把一絡げに「出典可能性」を問うことなく「検証不可能」として有無を言わさず消し去ってしまうのはやめて頂きたいです。せめて、本当に資料がないのかということを直近の編集を行った編集者に問うなりして、「除去」ではなく「改善」という形をとって頂きたいと思います。中には、検証可能性ありとして、ページの編集者やそれを統括するプロジェクトのルールの合意のもと行われている編集もあります。そういうことは、編集者との「対話」を通してこそ確認が成り立つものです。なおそれでも出典が示されることがなければ、最終的な手段として「除去」すればよいと思います。
「改善」的な編集態度こそ、他の編集者さんたちとの軋轢を軽減することにもつながると思います。対話不要として一刀両断ではなく、必要最低限、対話の姿勢を見せることは大切だと思います。私自身は、ドラマの出典に絡む編集ではそのように心掛けてやっているつもりです。
以上で、こちらのコメント依頼を閉じさせて頂きたいと思います。また被依頼者と問題が起こった場合は、こちらのコメント依頼や上記に挙げた参照リンクを参考にして頂き、新しく依頼を立ててください。皆さん、どうもありがとうございました。--Megevand (会話) 2013年12月11日 (水) 12:04 (UTC)