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Wikipedia:コメント依頼/J8takagi

利用者:j8takagi氏について、コメントを求めます。

経緯

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  • j8takagi氏はWikipediaの方針と言う言葉を非常に多用して議論の際は自分はそれに完全に沿っていて相手は違反しているような主張を繰り返していますが、これ等を見る限りj8takagi氏は自分の主張を通す為にその場で意見を変え、いえ実際には方針=自分という風に変えてはいないのですが、こういう姿勢がダブルスタンダードではないかと疑惑を持った方も多いと思います。それに編集合戦になろうがお構いなしというその姿勢についても違和感を持つに十分であろうことは明らかです。尚、南京事件のノートでAshtray氏によりj8takagi氏がIPで編集をしているのではないかと一度疑惑の目が向けられています。

--Abesato会話2018年3月2日 (金) 06:49 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント

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本コメント依頼では私がコメントすべきではないと思われるような議論(EuleさんとAiwokusaiさんの議論など)が行われ、それを受けたブロック依頼でも「被依頼者との論争以前にここで論争が発生して」おり、現状では私がどのようなコメントをしても冷静な議論は難しいと思います。しばらく、コメントはお待ちいただけないでしょうか。--j8takagi会話2018年3月7日 (水) 11:46 (UTC)[返信]

本コメント依頼および寄せられたコメントにつきまして、次のように回答します。

「南京事件 (1937年)」について
「編集合戦に加担することを全く厭わない」とのご指摘につきまして、わたしとしては「編集内容の要約」でのコメントやノートで「信頼できる情報源によるものではないし、導入文に載せるべき記述ではない」という編集意図を説明し、編集合戦を避けるよう努めたつもりです。結果としては「ゆるやかな編集合戦」になってしまったものの、相手の方からは「冒頭の導入部に置くというのはどうも編集感覚的に違和感がある(宣言しすぎ)という編集感覚ということでしょうか。ならその点については了解できます。」という半分私の主張を認めていただいたコメントをいただいており、いちおうは議論が成立している状態だと考えます。また、現状はAshtrayさんとの議論を経て、IPアドレスユーザーの方の仲介を受けている状態となっています。すなわち、現状で大きな問題を抱えた議論とはなっていません。途中で編集合戦になってしまったことについては、反省すべき点はあると考えております。
「ノート 鈴木雅人 (サッカー指導者)」について
問題の中心は、記述の内容によって求められる出典が変わるという私の考え方ということになるのでしょう。その点も含めてすでにEULEさん(2018年3月8日 (木) 13:07)から詳細なコメントをいただいており、私としては、私に向けられた「主張が正しくとも(最終的にコミュニティで否決されるかは別問題)、それを批判される可能性というのは十分想定できたはずです。それに対する行動ができないなら、もっと慎重にやるか、諦めるかしなければ難しいと思います」という部分も含め、受け入れたいと思います。また、記述の内容によって求められる出典が変わることについて補足しますと、こうした考え方は、Wikipedia:信頼できる情報源で、「特別な主張には特別な証拠が求められる」、「信頼性はスペクトルのように幅があり、それぞれの背景を考慮する必要があります。」、「あなたが真実であり常識であると信じている記述を、情報源がないという理由だけで除去しないでください。」などといった記述がなされ、「分野ごとのアドバイス」節とくに「大衆文化やフィクション」節のように分野ごとに異なるアドバイスをしている点から、導き出せるものだと考えています。さらにいえば、ウィキペディアが「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げることを目的」としている(Wikipedia:ウィキペディアへようこそ)以上、記述の内容によって求められる出典が変わらざるを得ないと考えます。質だけを求める場合には常に厳密な出典を求めることになるし、量だけを求める場合には最低限の出典を求めることになると思います。なおノート:鈴木雅人 (サッカー指導者)については、Ohtani tanyaさんから当初から[1]のような威嚇的なコメントをされているうえに、[2]では根拠もなく多重アカウント(またはミートパペット)を疑うなど、ウィキペディアは戦場ではありませんに反すると思われるような発言、行動が続いています。こうした状況では、冷静な議論や合意形成は困難であることを弁明します。--j8takagi会話2018年3月10日 (土) 14:01 (UTC)[返信]
Aiwokusaiさんの「2018年3月10日 (土) 14:30 (UTC)」のコメントについて 「都合のいい部分のみを抽出しているだけ」とのことですが、「スペクトル」の部分だけではなく、「信頼性はのように幅があり、それぞれの背景を考慮する必要があります。」、「あなたが真実であり常識であると信じている記述を、情報源がないという理由だけで除去しないでください。」といった別の部分や、分野ごとに異なるアドバイスなども示しています。記述の内容によって求められる出典が変わるということは、特定の部分にだけ記述されたことではなく、「信頼できる情報源」全体に一貫して記載されています。--j8takagi会話2018年3月11日 (日) 01:47 (UTC)[返信]
Aiwokusaiさんの「2018年3月11日 (日) 06:37 (UTC)」のコメントについて 「サカスタU-18」のようなサイトが「個人のブログやサイト」にあたるのか、「個人のブログやサイト」をどのように判定するのか、疑う側と疑われる側のどちらに立証責任があるのか、などについてはウィキペディアの方針で明記はされておらず、議論が必要な部分だと考えています。議論にあたっては、記述の内容によって求められる出典が変わることの是非は重要な前提です。さらにいえばすでで申し上げたように、ウィキペディアは戦場ではありませんに反すると思われるような発言、行動が続いている以上、冷静な議論や合意形成は困難に感じています。〈相手側に「ただの個人サイトであることの立証を求めていた」話はどこへ消えたのでしょうか。〉などと他人の姿勢を決め付けないでください。その話の前提条件がいろいろ欠けているのが現状です。--j8takagi会話2018年3月11日 (日) 07:26 (UTC)[返信]

中間まとめとその後のコメントへの返信

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中間まとめ、とその後のコメントを拝見しました。それ以前の議論も含め、私の考えを次の節に分けて述べたいと思います。

  • 中間まとめについて
  • 『詭弁論理学』二分法の問題について
  • 二分法の問題と本コメント依頼について
  • 私の立場からの疑問点

中間まとめについて

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まず「中間まとめ」について、まとめの作業、おつかれさまでした。まとめの内容について、「賛否が拮抗し」ている、「反対票を投じた諸氏の意見を拝見しますに、ブロック依頼に至る経緯・段取りに対する異議が多い」という結論はおおむね妥当だと思います。一方で、賛成の方の意見がこの中間まとめでは分からないように思います。

賛成の方の意見を、私なりにまとめると次のようになります。

  1. 「ダブルスタンダードを振りかざし、共同作業の場を混乱させている」(Aiwokusaiさん)
  2. 「出典についてのダブルスタンダードは重大な問題」(Fusianasan1350さん)
  3. 「今現在でも利用者:Ashtray氏に対してなど様々な場で一悶着起こしてコミュニティーを疲弊させている」(Abesatoさん)
  4. 「全利用者が遵守しなければならない方針・ガイドラインに対する無理解、およびそれを他利用者から指摘されても、謝罪して改善の意向を示すどころか自己正当化に汲々としている」(Ohtani tanyaさん)
  5. 「コミュニティを疲弊させているように思います。」(Hanabishiさん)
  6. 「WP:RSに対する認識が随分甘いなぁという印象」(座頭の雷蔵さん)
  7. 「このままだと信頼の置けない個人サイトを使用してはいけないという基本的な事を理解しないまま活動すると同種の問題を繰り返す処か致命的な問題に繋がる」(Bbcsさん)
  8. 「方針やガイドラインの表面上の字句・字義のみにとらわれすぎていて、その背景にある思想や趣旨に考えが及んでいないようです。」(x kyousuke xxさん)

上記リストのうち、8.は本コメント依頼、それ以外はブロック依頼からの抜粋です。見落としなどがありましたら、ご指摘をお願いします。なお、このリストを「中間まとめ」などにコピーしていただいても私としてはかまいません。

『詭弁論理学』二分法の問題について

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さて、Euleさんのコメントで取り上げられていた野崎昭弘『詭弁論理学 改版』〈中公新書 448〉。 を読みました。この書籍では、「二分法」を次のように紹介しています(ちなみにウィキペディア記事でいえば英語版翻訳を元に作成された誤った二分法が、この「二分法」に相当するでしょうか)。

  • 人々や考え方を、ある原理的な基準でふたつに分けてしまう考え方
  • 権力者や有能な指導者が駆使する、詭弁術に近い、もろもろの威嚇を伴う、有効な技術
  • レッテルによって相手の発言を封じ込めようとする作戦は非常に有効なため、今でも各所で使われる(P.40)
  • 「どこがどう悪いのか、どの点は認めなければならないか」という細かい議論は吹きとばされて、「根本的にまちがっている」という結論が強調される(P.40)

次いで、二分法の実例として中世ヨーロッパにおける魔女狩りを詳しく紹介しています。

  • 「魔女であるか、否か」だけが問題になり、「どんな魔女であるか」は問題にならず、「行った罪に応じて罰を与える」という配慮も要らなかった
  • 「魔女であること」の証明にはほとんど自白だけが使われた。拷問によって伝説的な悪魔のイメージにぴったりあわせた内容を自白させ、大衆に「ああ、やっぱり…」と思い込ませた
  • 処刑のとき、魔女たちが土壇場になって自白をひるがえさないようにする工夫も発案されていた。たとえば火あぶりの刑で、素直に自白したものには絞殺してから火あぶりにする恩典(?)が与えられる、など

そのうえで、「私の意見にさからうものは、悪魔だ」という二分法に対して「そう、私は悪魔だ」と開きなおるような「二分法への反撃」が紹介され、Euleさんが紹介された〈マルティン・ルターと当時の教会権威の在り方に関するもの〉(ルターの場合)はそうした反撃の実例として『詭弁論理学』に載っています。

こうした興味深い書籍を読む機会が得られて、Euleさんをはじめとするみなさまに感謝しております。

二分法の問題と本コメント依頼について

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『詭弁論理学』を読んで私は、Euleさんが「魔女狩り」ではなく「ルターの場合」を紹介したことを不思議に思いました。『詭弁論理学』では魔女狩りをルターよりもずっと詳しく取り上げていますし、今回のコメント依頼の状態は魔女狩りに近いような感じていたからです(私は、ルターのような独立は思いつきもしませんでした…)。もしかしたら「魔女狩り」という言葉を使うことで新たなレッテルが生ずることをEuleさんは懸念されたのかもしれないと推察しています。また、魔女狩りのうち、拷問や残酷な処刑などの部分は人権の問題と考えるべきかもしれません。幸いにというべきか、このコメント依頼では人権の問題は生じていないと考えられ、その点では魔女狩りとは大きく違うとも言えます。

人権の問題がなければ魔女狩りが行われてもよいのか、たとえば、拷問によらずに自白を求める、処刑の代わりに村やコミュニティから追放する、ということはあってもいいのか、というのはひとつの論点だと考えます。将棋棋士である三浦九段のカンニングが疑われた将棋ソフト不正使用疑惑は、人権の問題が生じなかった魔女狩りに近い実例だと思います。この件では、「今回の件は白の証明も黒の証明も難しい」「疑わしきは罰せずが大原則」といった羽生三冠(当時)の発言があり、それまではカンニングを疑ったり批難したりする意見が多かったのに、疑いそのものや将棋連盟の処分を疑問視する意見が多くなりました。この発言の背景には、二分法の問題に陥っているという羽生三冠の認識があったからだと本書を読んで思い当たりました。この疑惑は最終的に、第三者委員会の調査・判断により「不正行為に及んでいたと認めるに足りる証拠はないと結論付けられ」て決着しました。しかし、ファンや関係者に大きな不信感が生じ、将棋連盟の会長や理事などが辞任に追い込まれ、第三者委員会への報酬や三浦九段への補償などにより多額の出費が生じるなど、大きな被害が生じて「将棋界全体を揺るが」される結果となりました。もし羽生三冠の発言がなければ、将棋界により大きな被害が発生したかもしれません。

こうした実例をみますと、人権の問題はなくとも、二分法の問題に陥ることはウィキペディアにとって危険なことではないかと考えます。Euleさんの仰るような「血みどろの応酬」になるおそれがあることに加え、黙ってウィキペディアの編集から去る人が増えたり、新規の参加を妨げる面もあります。つまり二分法の問題は、ウィキペディアが「誰でも編集できるフリー百科事典」であることを妨げ、記事の量と質の両面を下げる要因となりかねないと考えます。

では、二分法の問題を避けるにはどうしたらよいか。『詭弁論理学』で紹介されている開きなおるような「二分法への反撃」も、できるだけ避けたいと私は考えています。そうすると、面倒ではあっても、「どこがどう悪いのか、どの点は認めなければならないか」という細かい議論が必要になると考えます。

私の立場からの疑問点

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「中間まとめについて」でまとめられたブロックに賛成の方の意見について、ウィキペディアの方針と「『詭弁論理学』二分法の問題について」「二分法の問題と本コメント依頼について」で述べた問題意識に基づいて検討しました。

  • まず、今回の発端とも言える4. について、個人のブログを出典に使うことが「全利用者が遵守しなければならない方針・ガイドライン」かどうかについては、二分法の問題を避けるという観点から見ても、議論の余地がある意見だと考えます。たとえば「ガイドライン」は、Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけにおいて「編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません。」とされており、例外が適用されうることも方針で定められています。
  • 1. 2. について、(Euleさんの仰る)「政治や歴史関連の分野において、それ以外の分野と比較して(あるいは同じ分野だとしても記事の内容によって)信頼性の評価基準が変わるのは当たり前の話」という観点から、議論の余地がある意見だと考えます。
  • 3. 5. 6. 7. 8.について、〈「どこがどう悪いのか、どの点は認めなければならないか」という細かい議論は吹きとばされて、「根本的にまちがっている」という結論が強調され〉ており、二分法の問題に陥った意見だと考えます。

中間まとめをしてくださったAshtrayさんは、議論の進め方やコメントなどにおいて二分法の問題を避けるよう慎重に配慮していただいていると思います。ですがそれだけに、〈【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】の出典利用について反省や否定・撤回されておりません。〉の部分でどのような反省などを求めているのかが私には分かりません。一見して二分法の問題に陥った意見とも考えましたが、上記のような慎重な配慮と矛盾するようにも思え、私の方で何か見落としがあるかとも考えていた次第です。ご回答いただければ幸いです。--j8takagi会話2018年4月9日 (月) 22:56 (UTC)[返信]

4月15日 07:39の利用者ノート書き込みへの回答

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まずこちらで行った、《〈【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】の典利用について反省や否定・撤回されておりません。〉の部分でどのような反省などを求めているのか》の問いについてご回答いただけないでしょうか。この問いは、今後の議論を続けていく上での重要な問いであると私は考えます。私は会話を拒否する意図はありません。しかしこの問いが無視されたままでは、議論をここで続けるにしても別なノート等でするにしても、二分法の問題から脱して合意に向けた議論をするのはむつかしいと考えます。--j8takagi会話2018年4月15日 (日) 22:05 (UTC)[返信]

Bsxさん 2018年4月15日 22:57への返信

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〈『その記述が本当に必要な事柄か』『その記述をどうしても除去しなければならないのか』といった点に関して、もう少し冷静かつ客観的な観点をもたれることを希望します。〉とのこと、了解しました。--j8takagi会話2018年4月16日 (月) 11:15 (UTC)[返信]

Aiwokusaiさん 2018年4月16日 5:38への返信

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「出典と記事内容の乖離」について、日本の刑事司法この差分についてのことでしょうか。こちらは、本文と出典の違いはせいぜい「ニュアンス」であり、編集合戦なども発生しておらず、特に論ずる点はないと思います。出典と記述内容が大きく違うということでしたら、たしかに問題です。例えば私の絡んだケースでいえば南京事件 (1937年)で『現代アジア事典』を出典に「事件の真相はいまだ不明であ」るとしているのは、ノート:南京事件 (1937年)#『現代アジア事典』の記述についてで述べたように、出典と記述内容が大きく違い、問題だと考えます。ですが、「日本の刑事司法」のようなニュアンスの違いだけで「出典と記事内容の乖離」とするのは不当であり、議論の必要はないと考えます。--j8takagi会話2018年4月16日 (月) 11:15 (UTC)[返信]

Ashtrayさん 2018年4月16日への返信

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  • マルチン・ルターが「当時のローマ教会の悪癖を非難し、意見し、徹底した改革を唱えたからこそ人々の支持を得た」ことは否定しません。しかし別の面から見れば「血みどろの応酬」の一方の当事者でもありました。そしてルターと当時の教会権威の在り方をEuleさんが示したのは、二分法の問題に陥った議論では「血みどろの応酬」となってしまう、そうした議論は避けなければならない、ということだと私は解釈しています。「思うところあれば、堂々と述べる」ことは、ここでは問題の解決にはなりません。私はすでに、〈開きなおるような「二分法への反撃」も、できるだけ避けたいと私は考えています。〉と述べています。
  • 〈【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】の出典利用」は、明らかに方針・ガイドラインに抵触しています。〉は、二分法の問題に陥った考え方という疑念を持っています。二分法の問題から脱するには、方針・ガイドラインのどの部分に抵触するのか、その際の方針などの解釈は適切か、その方針などは絶対なのか、といった点について考える必要があります。「読んでそのまま」「明らかに」という言葉を使われている限り、二分法の問題から脱することは難しいと考えます。
  • 〈南京事件の話が出たので、いちおう一言。J8takagi氏の 「出典と記述内容が大きく違い、」 とのコメントには異議ありです。〉について。異議があるのならば、ここではなく、ノート:南京事件 (1937年)で表明すべきではないでしょうか。ここで議論しても、ウィキペディアの記事の改善には繋がりにくいと考えます。

--j8takagi会話2018年4月18日 (水) 22:44 (UTC)[返信]

Ashtrayさん 2018年4月19日 15:03への返信

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【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】は「信頼できるサイト」なのかについては、ケースバイケースだと考えます。プロジェクト‐ノート:サッカー選手#Qolyは出典に値するサイトなのかどうかではQolyというサイトが信頼できるサイトなのかについて議論されており、私ともう一人の方がケースバイケースという意見を述べています。【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】についても、同様と考えます。なおこの件についても、冷静・公正な議論が難しく、埋もれてしまう可能性が高いことから、ここで議論を続けるべきではないと考えます。続けるのであれば別途コメント依頼かプロジェクト‐ノート:サッカー選手で問題提起すべきだと考えます。--j8takagi会話2018年4月19日 (木) 23:37 (UTC)[返信]

2018年4月25日のコメント

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Bsxさん、JapaneseAさん、むよむよさん、2400:2200:2fd:314b:1a09:421:a4b3:f6b2さんのコメント、およびWikipedia:投稿ブロック依頼/J8takagi 20180424‎‎提出を受けてのコメントです。

  1. 私は、すでに述べたように「記述の内容によって求められる出典の基準が変わる」というのが、Wikipedia:信頼できる情報源に記載された趣旨であり、ウィキペディアの目的にも適っていると考えます。この点については、今までの議論で明確に否定されていないと考えています。一方、「信頼できる情報源」に記載されたウィキペディアのルールはこれとは逆の「ウィキペディアの出典はどの記述でも同様の基準が求められる」と考える利用者の方もいて、その方たちを現状では説得できておらず、説得は困難であろうという認識ももっています。
  2. 上記1. から現状は、「記述の内容によって求められる出典が変わる」という主張の是非はグレーゾーンというのが私の認識です。また「信頼できる情報源」は、「個別の事情に応じて例外を適用してもかま」わないガイドラインであることからも、「記述の内容によって求められる出典が変わる」の是非はグレーゾーンになると考えています。グレーゾーンの案件については、常識尊重の立場から疑わしきは罰せず罪刑法定主義の常識的原則が考慮され、投稿ブロックの対象にはならないと考えていました。これらの原則は歴史上の「血みどろの争い」の反省から生じたものであり、ウィキペディアでも重要なものだと考えます。
  3. しかし、本コメント依頼などでは多くの方が上記1. と2. とも別の、「記述の内容によって求められる出典の基準が変わると主張する利用者は、投稿ブロックすべきである」という主張をしています。率直に申し上げれば、別件での「議論の紛糾」の影響でこうした主張がされていることも考えていました。しかし、私の主張の他の部分には理解を示してくださっている方も同様の主張をしていることなどを考えますと、こうした不文律のルールが慣習法ならぬ「慣習ルール」として成立している可能性がありそうです。慣習法についてはたとえばこちらで「事実から生まれる法」として一定の意義を認めるべきものと解説されています。ウィキペディアの慣習ルールも同様に、一定の意義を認めるべきなのかもしれません。また、「記述の内容によって出典の基準を変えてはいけない」という慣習ルールがウィキペディアにもし成立していたとすれば、たしかにそのルールに反する利用者は非難されても仕方がない面はあると思います。
  4. 上記を踏まえて、みなさまにお聞きします。
    1. 「記述の内容によって求められる出典の基準が変わると主張する利用者は、投稿ブロックすべきである」というのは、ウィキペディアの方針やガイドラインに記載された疑問の余地のないルールなのでしょうか?もしそうだとしたら、ウィキペディアの方針やガイドラインのどこにそうした記述があるか示してください。また、もし仮にそうしたルールの記述に疑問の余地がある場合、投稿ブロックが行われることは適切でしょうか?
    2. 「記述の内容によって求められる出典の基準が変わると主張してはならない」というのは、慣習ルールとして成立しているのでしょうか?そもそも、ウィキペディアには不文律の慣習ルールが存在するのでしょうか?
    3. ウィキペディアに慣習ルールが存在することを認める場合、慣習ルールに基づいた投稿ブロックが行われることは妥当でしょうか?こうした妥当性は特に、「罪刑法定主義」と深い関係があると考えています。

--j8takagi会話2018年4月25日 (水) 10:23 (UTC)[返信]

2018年4月25日のBsxさんのコメントへの返信

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  1. 〈「記述の内容によって求められる出典の基準が変わる」というのは非常に危険なルール解釈だと考えていまして、これは、多少悪意を持った表現をするならば、「執筆者が書きたいと思う事柄次第で、出典の基準などどうにでもなる」という言い換えさえ成り立ってしまいかねない〉について。これと反対の「ウィキペディアの出典はどの記述でも同様の基準が求められる」ならば危険が少ないのでしょうか。ウィキペディアの記述が「中立的な観点」(と、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性を含めた3大方針全体を考えた方が適切に思います)を満たしているかどうかは、情報源の貴賤(Euleさんの表現をお借りします)だけで判断されるものではなく、記事の分野や記述の内容に依存する面もあると考えます。つまり、「執筆者が書きたいと思う事柄」を書く場合、事柄の内容そのものと出典をセットとして3大方針を満たしているかが検証されるべきだと考えています。Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められるにはそうした内容が記載されていると私は解釈しています。
  2. 〈ご自身の観点を反映させた記述を行い、それに叶う出典を探しだし、…〉の部分について。Bsxさんから以前いただいた〈『その記述が本当に必要な事柄か』『その記述をどうしても除去しなければならないのか』といった点に関して、もう少し冷静かつ客観的な観点をもたれることを希望します。〉のコメントとあわせて考えています。このコメントは、ありがたいアドバイスだと思っています。ですが今回の発端となった、鈴木雅人氏の出身校を(「情報としてまとまったものである」と評価されうるサイトを出典として)記載することや李正秀選手の現役引退を記事に反映することが、中立的な観点などの3大方針に反する編集だったとはどうしても思えないです。
  3. 「解釈論を持ち出す」立ち振る舞いについて。私は、個人の人格や個性をめぐる諍いや議論の複雑化を避けるため、できるだけウィキペディアのルールやその解釈に則して議論をし、必要に応じてより根本のウィキペディアのルール・精神や、一般の法についても、議論すべきだと考えています。たとえば上記1. の出典の基準が変わることの危険性をめぐる議論は、ウィキペディアのルールとは無関係に危険性の有無を論ずるよりも、現在のウィキペディアのルールでどうなっているのかを論ずる方が答え(合意)を得やすいと考えます。そうした考え方や行動に問題があるとすれば、代わりにどのような行動をとればよいのでしょうか。
  4. いつまでも「納得」しないについて。「記述の内容によって求められる出典の基準が変わる」ことについてBsxさんやほかの方が「危険な」考え方(ルール解釈)と認識していることは理解しました。ですが、〈方針ではこうであると明示〉や〈根拠に裏打ちされた意見〉は示されていないように思います。もし見逃しているのであれば、ご指摘ください。また、〈「記述の内容によって求められる出典の基準が変わる」ことが危険とみなす〉というルールがウィキペディア日本語版に慣習として存在しているということであれば、たとえ方針で明示していなくても考慮する必要があるのかとも考えはじめているところです。

--j8takagi会話2018年4月26日 (木) 09:15 (UTC)[返信]

Bsxさん 2018年4月26日 13:47への返信

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Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められるの解釈について。記述の検証を、1. 出典を中心に行う、2. 記述内容と出典をセットで行う、という立場の違いによって2パターンの解釈が成り立つということかもしれません。2. の立場は認められないというのが、Bsxさんのお考え、あるいはウィキペディアのルールでしょうか。

また、スポルティーバの件について、本件とは直接関係のない話だとは思いますが、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成にあたるという指摘を受け入れていただいた形だと思っていました。なおこの件は、情報源には問題がなくても内容的に問題がある記述の例にはなるかと思います(個人的には、元の記事がわかりにくい内容だったと思っています。鹿島ユースがなぜ強くなったのかを監督インタビューなどで明らかにしようとしたけど明確な答えは得られなかった、ということだったかと)。 --j8takagi会話2018年4月26日 (木) 23:10 (UTC)[返信]

2018年5月1日のコメント

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「論争相手を批難」「条件闘争もどき」と受け取られるコメントを私がしていたことは、申し訳ありません。「論争相手を批難」については、私としては論争相手の方を「批難」する意図はなく、「二分法の問題」とグレーゾーンを前提として議論すべきであることを主張したつもりでした。誤解を招くコメントだったことをお詫びします。「条件闘争もどき」につきましては、Ashtrayさんの「フォーラム・ショッピング扱いせず、柔軟に対応いたしましょう」という発言の意図が「適切な主張の場や機会を与え」ることだとは今回のEuleさんのコメントを読むまで気づきませんでした。その点について、Bsxさんの仰る「相手がなぜ、どういうスタンスで反論を試みられているのか、それを踏まえて議論を冷静に考えるべき」というコメントがあてはまるようにも思います。

もし今後ともウィキペディアの編集が可能であれば、相手のスタンスを踏まえた冷静な議論を心掛けるよう努めます。また、時機を逸したかもしれませんが、もし「記述の内容によって求められる出典の基準が変わる」ことについて今からでも公論化したほうがよいということであれば、そのようにしたいと考えています。公論化する場合には、#2018年4月25日のコメント箇条書きの1.と2.の論点についてコメント依頼を提出する形を考えています。--j8takagi会話2018年5月1日 (火) 08:06 (UTC)[返信]

その他のコメント

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  • 政治的な話題に関する論争に関して、その話題に関わっておらず、しかも被依頼者とも何のやり取りも行っていない者が、突然にコメント依頼を出すということに理解を苦しむ。特に管理系のことしかやっていないようなアカウントによるそのような行為は、仮に被依頼者に過失があったとしても、被依頼者にそれを納得させるのに信頼性に欠け、より大きなコストが掛かる。--EULE会話2018年3月2日 (金) 10:56 (UTC)[返信]
  • コメント 色んなところで言われることですが、被依頼者と深く関わっていると客観性がないと言われ、逆に関わっていないならないで駄目出しをする方はいるのでそこは意味のない話であると考えます。よってその点はおいておきます。失礼ながら依頼者アカウントについては色々疑念があるものの、誰かが出さずとも被依頼者に関しては私がいずれコメント依頼を提出していたであろうこと、朝日新聞社のノートで議論中であることから少しだけコメントしますが、被依頼者が個人のブログを出典に使用しようとしていることに関しては、実は利用者‐会話:J8takagi#個人のブログを出典に使わないで下さいの問答で確認済みではあったのですが、肝心の記事のノートのやりとりまでは目を通しておらず、私自身こういう修正[3]はしたものの、被依頼者のサッカー記事の編集傾向に関してはその時点で多くを知らないこともあり、すっかり頭から抜け落ちていました。
で、肝心の問題についてですが、『サカスタは「ブログやツイッター」ではないと考えます。Foot Boy Asianはブログですが、アジア各国のサッカー報道についてのまとめ・分析サイトであり、李正秀選手の引退については「韓国紙での報道」を紹介する形になっています。個人的な意見やデマを流す「個人のブログ」とは違うと判断しています。もし仮に李正秀選手の引退が事実と違うというのならば、当然修正が必要でしょうが、そのような根拠は示されていません。』というコメントは完全にアウトでしょう。Ohtani tanyaさんの物言いに多少の問題はあれど、この程度のことを相手に1から10まで説明を求め自分が納得しないかぎり間違いを認めない、いつまでも納得しないという参加姿勢に大いに問題があります。一次資料は、最低でも関係する著名業界人のサイトやブログなどでなければ使用できません。これこれも何らかの企業やライター、評論家が運営するページだという根拠は提示されていません。それ以上に、被依頼者がこれらをただのブログや個人サイトであると知りながら出典として使用出来ると強弁しているのが一番問題なのですが。『「サカスタU-18」が「自己公表された情報源」にあたることを論証して下さい。』など論外です。
被依頼者が、何を考え、ただの一般人のブログやまとめサイト分析サイトを使用することに問題を感じなかったのかが理解出来ませんし、「大きな虚偽は含まれないから個人サイトでもOK」などと言われるのでしたら、他の記事やノートで、検証可能性や中立性について他人に対し雄弁に語るのは金輪際やめていただきたい。それに尽きます。政治関連(と本人が主張)であれだけ執拗にコメント返しをされていた筈の被依頼者が、Fusianasan1350さんの指摘コメント[4]以降は関連する議論に一切顔を出されないのは(その後も他の記事の編集で活動していることは確認済です)、明らかにこれがご自身のこれまでの絶対的な方針遵守利用者という屋台骨が崩れる内容だからでしょう。単に自分の気に入らない出典は中立的だ政治的だと色々理由をつけて使わせない、その一方で自分が使いたい内容であればブログや個人サイトの疑いの強いサイトでも使う、それで他人に対しとやかく言う資格があるのか?と本当に驚かされました。この問題に関して全てを撤回されない以上は、今後被依頼者の発言には全く説得力は生まれません。--Aiwokusai会話2018年3月2日 (金) 12:47 (UTC)[返信]
第三者がコメント依頼を出すこと自体を批判しているのではありません。当事者で無い者が唐突に出したことを批判してます。大変立派な見解をお持ちですが、なぜそれをまず、ノート:南京事件 (1937年)や、ノート:鈴木雅人 (サッカー指導者)なりで、あるいは被依頼者の会話ページで、指摘していないのですか?そしたら、被依頼者が反論なり、釈明なりするかもしれない。その上でコメント依頼を出すのなら一向に構いません。十分な対話、コミュニケーションを行っていないのに、政治的にセンシティブな観点も絡む話題に、いきなり利用者行為のコメント依頼を出すというのは、不誠実であり、善意に取らせようという努力に欠け、最初から相手を納得させようというポーズすら放棄していると言えるでしょう。
また、ノート:朝日新聞社で被依頼者と係争中であることを、依頼文に書いていないことも不誠実です。せめて、ノート:朝日新聞社で、依頼文にある問題点とされるものを指摘されていれば、まだ私も一定の考慮はしましたが。被依頼者にコメント依頼を出すという予告も、出したという連絡も何もしていないし、何から何まで不誠実としか言いようがないです。--EULE会話2018年3月2日 (金) 13:38 (UTC)[返信]
コメント 間に挟む形になってしまいすみません、この点については私の会話ページですでに決着がついていますが、EULEさんが仰った「出したという連絡も何もしていない」という発言は誤りです。コメント依頼提出連絡を代理で行ったのは私の早とちりであり、依頼者はもとから提出連絡をする予定でしたが私が先に連絡をしただけであり、仰った内容に関しては訂正を求めます。また、コメント依頼に関しては誠実不誠実関係なく、ブロック依頼と同様にそれがソックパペットなどによるあまりに不自然なものでない限りは「その内容が合理であるか否か」で判断されるべきであり、そこに誠実・不誠実という主観性が関わる余地はありません。--禮旺会話2018年3月5日 (月) 08:24 (UTC)[返信]
(追伸)1点抜けていたので追記。まったく関わっていない第三者が半ば突然に介入しても問題ない例が1つあります。それはその第三者が当事者から信頼されている場合です。氏の活動履歴もとても仲介者として信頼できるものではないですし、何より朝日新聞社のノートの件で中立的な第三者とも言えないのは言うまでもありません。--EULE会話) 2018年3月2日 (金) 13:47 (UTC)(誤認箇所について取り消し--EULE会話2018年3月2日 (金) 14:37 (UTC)[返信]
唐突に出さなきゃ第三者じゃないといわれる人もいると思いますけどね。EULEさんとの見解の相違を少し述べただけでどうしてそんな話が続くのか分かりませんが…。EULEさんがやっておられることだって、ここで被依頼者についてのコメントを述べようとしている人間も存在するにも関わらず、依頼者が気に入らないというだけで長々とコメントしてるだけではないですか。仕切り以前の目的外利用になりつつありますよ。そもそサッカーの個人ブログ出典に関しては、Ohtani tanyaさんからの指摘に対して馬耳東風ですし、朝日でも他の人から突っ込みが入ってるのに、この話題が出た途端被依頼者がノーリアクションなのだからどうしようもないでしょうに。後、依頼者はノート:朝日新聞社で被依頼者と係争中ではありません。流石に事実誤認が混じっているのに全否定というのは尋常ではありません。当事者から信頼云々なんてのは何をもってそういえるのか分かりませんしあまりに漠然としすぎています。最初から最後まで勘違いがあるので再度申し上げますが、依頼者と被依頼者の間にノートで論争など存在してませんよ。正直言っておられることがめちゃくちゃですが、ここで被依頼者の個人ブログ出典等について述べる気がないのにまた長くなるだけであれば、誤認については敢えて訂正もなさらなくて結構です(それでご意見が変わるとも思えませんし)。--Aiwokusai会話2018年3月2日 (金) 14:05 (UTC)[返信]
失敬。依頼者と誤認しておりました(赤字であることと、Aで始まることで空目しておりました)。だから「13:47 (UTC)」の返答は、おかしなズレが生じております。特に「ノート:朝日新聞社」と係争中云々は完全に的外れになってしまっているので取り消しいたします(打ち消し箇所だけでも、やはりズレは残ってしまいますが、ご容赦ください)。これは完全にミスです。申し訳ありません。
ただし、完全な第三者がコメント依頼を出す問題については言及の通りです。ウィキペディアにおける意思決定とは合計形成がすべてであり、そしてWikipedia:合意形成にもある通り、まずは『「相手を説得する」努力が求められます』。こうした行動は、たとえ相手に瑕疵があろうと、最終的に相手を納得させるためのハードルをいたずらに上げることになります。そもそも、たとえ議論で紛糾していたとしても、それで相手を利用者行為のコメント依頼に出すかはまったく別の話です。それを第三者が勝手に忖度して出すことは不必要に問題を大きくすることです。
その上で、Aiwokusai氏がいずれ私が出していたというなら、この依頼がクローズされ、氏が出し直す分には私は批判しません。--EULE会話2018年3月2日 (金) 14:37 (UTC)[返信]
  • コメント ノート:朝日新聞社で、私とJ8takagi様(が同意見かどうかはともかく)のペアとAiwokusai様とFusianasan1350様のペア(こちらも2者が同じ意見かどうかはともかく)が論争しています。「ノート:朝日新聞社」では、J8takagi様は概ね正しい事を仰っていると判断しています「きちんとした出典を元に朝日新聞の問題点を記述することは、動機がなんであれ認められるべきだとは思います。」「中立的な観点からの問題が疑われ、なおかつ出典もあやしい記述は、ウィキペディアの方針により認められません。」。まさに仰る通りです。「中立的な観点や検証可能性その他の問題のない記述であれば、あやしい出典(もしくは、出典なし)でもある程度許される面があると考えます」との見解については、黙認はするが、自分はやらないという意味で賛同します。私も以前、赤旗を使用したら、(なぜか赤旗を使用している)相手の方に酷評されたので、それ以来グレーゾーン出典の使用はやめました(にも関らず、未だに言う人がいますが、それは仕方ない)。ましてや個人サイトは、ブラックゾーンです。WP:BLPや企業批判・政治記述に対する大衆紙と同等かそれ以下の出典です。これは絶対に使用してはいけません。さて、提示されたサッカーの各サイトが個人サイトなのかどうか私にはわかりませんので、J8takagi様は個人サイトではないという理由を説明する必要があります(できなければ除去されても文句は言えない)。なお、個人ブログがダメなのではなく、個人ブログも含んだ個人サイトがダメなのは、言うまでもありません。--JapaneseA会話2018年3月2日 (金) 14:44 (UTC)[返信]
  • どなたがこの依頼を出したかについては私の方からはどうこういうつもりはありませんが、被依頼者については即刻投稿ブロック依頼に移行すべきです。被依頼者のWP:RSに対する無理解・独自解釈、およびそのような自身の客観視能力の欠如は深刻なレベルであり、そのまま編集して頂いては各方面の記事に害がおよぶおそれがあります。--Ohtani tanya会話2018年3月4日 (日) 00:00 (UTC)[返信]
    • コメント 最新の このコメントの中の『記述の重み(万が一間違えたときの影響度なども含め)と出典のたしかさの釣り合いは取れていたと考えます。』、『結果としてしかるべき内容がたしかな出典によって記述されたということでウィキペディアの記事の品質向上に繋がったと考えています。』、『例の件の出典は「個人ブログ」ではありません』といった記述は、はなんら問題を認識していないものであり、深刻なレベルであることに同意します。要求される出典のレベルが仮に記述内容や場面によって変わったとしても、専門家評論家などによるものであると立証されていないような個人サイト個人ブログは絶対にいかなる場面についても使用は不可能であり、被依頼者の主張は大間違いです。方針に関してこんな認識しか持ちえていない身でありながら、他方では政治絡みだから中立性がないなどとレッテルを貼るような主張を繰り広げていることにはほとほと呆れさせられます。なお、このコメントで退任・解任といったニュアンスに関し触れられた途端、鈴木雅人 (サッカー指導者)にそういった編集[5]が行われましたが、被依頼者とどうのような関係があるのでしょうか。被依頼者はこの依頼で各コメントでの問いについて説明すべきであるのに、それを放棄して他の編集を続けているようです。Fusianasan1350さんのおっしゃるように、この問題が噴出した途端朝日新聞社のノートにすら顔を見せなくなり、ようやく議論に復帰したかと思えば上に挙げたような主張をしております。個人サイト・個人ブログの使用に関して完全に撤回されない限りは、Ohtani tanyaさんがおっしゃるように投稿ブロック依頼の提出も視野にいれざるをえないと考えております(別議論の論争当事者であろうと、完全な接点のない者よりは依頼等の提出は正当なものであるとEULEさん他よりお言葉を頂いておりますし)。--Aiwokusai会話2018年3月4日 (日) 04:20 (UTC)[返信]
    • コメント なお被依頼者の『'編集合戦になりかけたのは、出典をめぐる問題だけでなく別の問題点があった』 との主張ですが、仮にそうであれば別の問題点部分のみを差し戻せばいいだけであって丸ごとリバートし個人サイトを繰り返し復帰させる理由にはなりません[6][7]。当然この差し戻しも不適切ですし、別の問題があったからやむなく戻した~といった主張は、丸ごと差し戻しして自身の問題編集を復帰させた利用者によくある後付けに過ぎません(存命人物の出典明記テンプレートも剥がされています)。--Aiwokusai会話2018年3月4日 (日) 04:47 (UTC)[返信]
  • コメント 経緯欄にも掲げられている「Wikipedia:コメント依頼/rxy」の際にも申し上げたのですが、「(依頼対象者は)方針やガイドラインの表面上の字句・字義のみにとらわれすぎていて、その背景にある思想や趣旨に考えが及んでいないようです。その結果以前より様々なところで法律家ごっこじみた不毛ともいえる議論を繰り返して」います。また、当該コメント依頼では「方針やガイドラインの字句や字義にこだわるのは当然のことだと私は考えます。」と発言し、「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#法律家ごっこ」の不理解を露呈しています。その後もまさに「法律家ごっこ」に書かれているように、方針やガイドラインの自分に都合がいいところだけを切り取って主張し思い通りの編集をしようとし続けたため、今回のような事態になったのでしょう。10年超の編集歴があるにもかかわらず未だにこういう状況なのであれば、周囲との共同作業を前提とするwpjaへの参加は困難なのではないかと考えます。--Xx kyousuke xx会話2018年3月4日 (日) 06:04 (UTC)[返信]
そっちであからさまな投票用の寝かせアカウントから別の理由で私が集中攻撃を受けているのを見てると、出した期間の問題じゃないと思うんですけどね。Wikipedia:コメント依頼/rxyで懸念されていたこと(党派的行動)が現実のものになってしまっていますね。Wikipedia:投稿ブロック依頼/モンゴル軍団はソックパペットということですぐ塞がれてこういった面子は出現しませんでしたが(LTA:SHINJUの愉快犯のみ)。ちなみに投票用アカウントからなにやら色々といわれていますが、私が依頼提出してFusianasan1350さんがすぐさま追従、なんてのは政治イデオロギーを全面に出す利用者に関していえば他には上であげたブロック依頼くらいのものでどうみても事実と異なるわけですが。それでいてアカウント取得と同時に産経新聞なんて編集してる人がよく言えたものだなと。それはそうと、被依頼者は本日もこの依頼をスルーして他の記事に出現されておられるようですが、これでもまた擁護する必要性があるんでしょうか果たして。--Aiwokusai会話2018年3月5日 (月) 04:08 (UTC)[返信]
こういう編集繰り返しで投票権を得たアカウントが、2ヶ月ぶりに登場して初めてブロック依頼に投票する…特定の編集が絡む人物だとこんなことが平然とまかり通るんですから、どうしようもないなと流石に思いましたよ(普通に考えれば「各位に同意」などでなく、反対にしても誹謗中傷への抑制くらいはあってしかるべきだと思いますが。ここにコメントしている数人も攻撃されていますし)。せめて長期継続して活動してる方ならまだしもね…。普通に反対がつくなら、普段から活動している利用者から反対がつくのはありえることですが、反対がこんなのだらけとか、他の依頼と比較しても流石にあからさますぎではないですか。LTA:SHINJUが大挙して押し寄せてきているのと全く同じ現象であり、これで依頼が不当だみたいなことを言われても違和感しかありません。--Aiwokusai会話2018年3月5日 (月) 04:51 (UTC)[返信]
  • 被依頼者コメント、私たちが「党派的行動」を取っているから考えがまとまらないそうです。--Fusianasan1350会話2018年3月5日 (月) 16:25 (UTC)[返信]
  • (被依頼者コメントを受けて)私もEULEさんも、被依頼者がコメントすべきではないとは一言も言っておりません。サッカー記事についての不適切な出典の運用及びそれが他のノートでの被依頼者の主張と明らかに整合性がない点については、この依頼およびブロック依頼で(反対者からすらも)多くの利用者から説明が求められています。にもかかわらず、被依頼者はこの期に及んでもそれを行わず、他の記事の編集や議論には平然と参加して各地で論争を巻き起こしているわけです。説明責任を果たさないことの責を、他者に押し付けるのはおやめください。コメント依頼なのだから第三者を交えての場であり「議論は難しい」などという思想は関係はありません。--Aiwokusai会話2018年3月7日 (水) 12:05 (UTC)[返信]
コメント もはや議論の引き直しを提案しても無駄のようですから、それを踏まえてコメントいたします(あと、どうもいろいろな観点がごちゃ混ぜの論争だと、どうしても長くなってしまうので、なるべく読みやすく工夫いたします)。
§1
まず、関係者は全員「正義の反対はまた別の正義」という言葉を噛み締める必要があるかと思います。情報源の価値、基準というのはそれこそウィキペディアにおける黎明期から今にいたってもある問題です(私はこれを情報源の貴賤の問題と呼んでいますが)。これが新人ならともかく、一定の経験量があるユーザー同士で拗れた場合には、どちらの言い分にも合理性がある場合が多く、そこで自分の解釈こそが正しいと当人同士で言い争って解決するわけがない。「経験豊かなベテランが言っているのだから私が間違っているのだろう」と卑屈になる必要はないですが、「経験豊かなベテランの癖に未だにルールを理解していない」と端から侮蔑して臨むのも健全な議論とは言い難いです。
例えば昔(今でもか)、サブカル分野において、ハイカルチャー並の信頼度の情報源を求めて、記事内容を削除したりする人がおり、今ではまず見ませんが、それこそ4Gamer.netが出典のものすら信頼できない(紙じゃないとダメだ、レビューアが無名だからダメだ云々)と除去するわけのわからないこともあったわけです。分野や記事によっては用いるべき信頼性の強度が変わる可能性があるなんて当たり前の話です。英語版でも有名な奴だと「en:Wikipedia:WikiProject Video games/Sources」などがそうですが、それこそ検証可能性や信頼できる情報源の規定を杓子定規に適用すれば「信頼できない」とされても、分野の要請によって、また、合意が得られれば、無条件あるいは条件付きで、信頼できる情報源として認められることもありえる(この逆パターンが昨年のデイリー・メールの件)。こういうところが規則主義ではない、合理性や合意があれば例外もありうるというウィキペディアの良いところなのですが。
§2
上記を踏まえた上で、ノート:鈴木雅人 (サッカー指導者)の件は、まずWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:井戸端、あるいはプロジェクト:サッカーで議論すべきでしょう?(もっと他に良いプロジェクトかポータルがあるのかもしれないけど)。合意形成のためのコメント依頼すら出さずに、自分の方針解釈こそが正しいと批難の応酬やってもしょうがない。実際、サカスタをどう評価すべきかは私は知識がないから知りませんが、高校サッカーというちょっと特殊な分野(情報が集まりにくい?)において、特定の情報に限って使うとか、そういう議論だって全然ありうるはずです。高校サッカーに詳しい他の利用者も混ざって「ああ、実は自分もサカスタを使いたかった」と言う人がいるかもしれないし、同質でももっと良い情報媒体を提案する人もいるかもしれないし、議論の結果、サカスタは大方針通り明確に使用否定されるかもしれない。。いずれにせよ、そうした議論を経ずして、有耶無耶になったところを、政治分野という後述するようにまた別口で考慮が必要なものと十把一絡げに扱って、あなた方はベテランの癖にWikipedia:合意形成の精神に沿って、論争を解決しようという意志がないのですか?
もちろん、そういう情報源を使いたいなら、まずJ8takagi氏が条文の曖昧な解釈に依ったままではなく整備してからすべきだったという反論もありえるでしょう。ただ、私が言いたいことは、適切な議論場所へ誘導せず、自分の正義を信じて批判の応酬をやったことに肯定せざる面は何もないということです。
§3
次に政治や歴史関連の分野において、それ以外の分野と比較して(あるいは同じ分野だとしても記事の内容によって)信頼性の評価基準が変わるのは当たり前の話です。日本の政治は高校生サッカー並だというなら、まあ、否定はしませんが(ああ、でも、高校生サッカーに失礼になるのかな)。些細な記述・表現一つ取っても、揉めに揉める中にあって、より出典の信頼性を厳格に求めることは、別に変な話じゃないです。一定に高度な政治・歴史的な話題に対して夕刊紙やネットニュースがまずいという観点と、AV女優か、加藤一二三の奇行か、あるいはゴシップ的な話題にならざるを得ないが特筆性はあるような話題に関して、夕刊紙やネットニュースを使おうとすることは、一刀両断にするほど、別に矛盾でもダブルスタンダードでもありません。逆に、朝日新聞や産経新聞であろうと、記事内容次第では使うべきはないと判断されることもまたあるでしょう。まして、それでブロック依頼をちらつかせたり、実際に出すというのは非常に馬鹿げていると思います。
例えば、朝日新聞のノートの議論で引用されています通り、私はJapaneseA氏の主張を、方針文書や一般常識に照らして全否定いたしました。ただ、だからといって当時、JapaneseA氏をコメント依頼や、まして早急にブロック依頼に出そうなどとは思ってすらいません。そのような主張をするような人がいることは容易に想定できるし、その懸念を表すこと自体は馬鹿げたものではありません。でも、それをその皿の上で議論するならばともかく、まったく関係がない分野での議論を持ち出して(しかも上記の通り、一定の合理性はある)、ブロックをちらつかせ批判するというのは、これもまたWikipedia:合意形成の精神に沿っているとは言い難い。
§4
これは野崎昭弘の『詭弁論理学』に載っている話ですが、マルティン・ルターと当時の教会権威の在り方に関するものです。当時の教会権威というのは宗教裁判や魔女狩り裁判に見られるように、「ローマ教会に従うか、悪魔に従うか(無条件で取り消すか、破門されるか)」という形でローマ教会の見解に対する異論者を封じ込めようとする。ルターは最初、カトリックと決裂する気はまったく無く(教会権威は認めていた)、あくまで内部的な改革をしようとしていました。だけど、かのヨハン・エックとの論争において、ルターはローマ教会の立場とは矛盾することを、エックによって導かれてしまった。エックの狙いは、ルターの指摘の理に反論することではなく、ルターがローマ教会の考えと完全に異なることを証明することによって、持論を無条件に取り消させること、また、そうでない場合に、それは悪魔に従うこと(異端者)だと、ルターやまたルターの支持者に納得させることであった。じゃあ、実際どうなったか? ご存知の通り、ルターはローマ教会の権威を蹴飛ばして完全に決裂して、特にドイツでは血みどろの応酬が始まるわけです。
何が言いたいかと言うと、このような二分法「無条件に従うか、処断されるか」すなわち、ウィキペディアなら「無条件にこちらの言い分に合意するか(無条件に規則の権威に服するか)、ブロックされるか(コメント依頼されるか)」というのは、おおよそまともな議論展開ではないということです(これが野崎氏の言うところの強弁術の二分法の問題)。実際、ローマ教会のやり方には問題があったのは事実であり、ルターの指摘を受けて修正する余地があったのに、権威を振りかざして拒絶してしまった。一方でルターの指摘は全部正しかったわけでもない。ウィキペディアは規則主義ではないし、三大方針は重要だが「絶対的な権威」ではありません。ところが、どうも相手の主張の合理的な、あるいは妥当な部分を考慮や配慮することなく、とにかく、相手の主張が方針文書の権威と矛盾することに証明することにやっきになって、さもなくばブロックだと脅す。だから、そんなことやれば妥協の余地無く決別しかないから、非常に揉める。それが相手を納得させる努力だと思いこんでいやがる。こんなのは合意形成じゃないんだよ。
§5
誤解なきように最後に述べておくと、上記の件はJ8takagi氏を擁護しているわけではありません。J8takagi氏も含めて、議論当事者達をまとめて批難しております。J8takagi氏個人に対して付け加えて言うことがあるとすれば、たとえJ8takagi氏の主張が正しくとも(最終的にコミュニティで否決されるかは別問題)、それを批判される可能性というのは十分想定できたはずです。それに対する行動ができないなら、もっと慎重にやるか、諦めるかしなければ難しいと思います。
§6
先述の通り私はこのコメント依頼は問題解決、論争解決を行うには非常に不適当であると思っています。それは単に第三者が出したということや、相手を納得させるという観点のみならず、上記の通り、そもそも一緒くたに扱うべきでない問題が扱われているということも含みます。朝日新聞における情報源の信頼性の基準と、高校生サッカーにおける情報源の信頼性の基準が同レベルでなければならないというなら、どうぞ、ここで議論を続けてください。そうでないなら、高校生サッカーは上記に挙げた適切な場所で議論してください、朝日新聞で高校生サッカーに言及せず、議論の本筋に戻ってください。これが私の第三者としてのコメントのすべてでございます。--EULE会話2018年3月8日 (木) 13:07 (UTC)[返信]
別にブロック反対でも被依頼者の擁護でも批判でもそれをやる分には構いませんが、議論の妨害だけはやめていただきたいと思います。--Aiwokusai会話2018年3月8日 (木) 16:22 (UTC)[返信]
コメント(利用者:EULEさんの論、特に§6に対して) 百科事典という一冊の書物において、収録・記述の水準を一定範囲に揃える努力を怠ってはならないと考えています。現在はそうなっていなくても、実現に困難があっても、事典に宝石と石ころが混じり合っている状態を肯定してはいけません。揃える努力を端から放棄しているEULEさんの意見は愚論であり考慮に値しないと思います。
記事の分野によって出典の形態は変わるでしょう(学術論文・報道・評論など)。しかし「水準を上げすぎて門外漢に理解できない記事、水準が低すぎて信用ならない記事(どちらも石ころです)」が混入していては百科事典の品質が下がります。百科事典の読者は項目毎にばらつきがあることを予期していません。Wikipedia編集者は「その基準は百科事典として適切なのか」という分野横断的な視点を放棄してはなりません。--Yhngv会話2018年3月9日 (金) 09:51 (UTC)[返信]
(ノートに移すべきですが。)Wikipediaにおける一般論として申します。「サブカル分野では、政治分野で認められていないような出典を使用する」、場合によっては私もこれはアリだと思います。一方、匿名の個人サイトが認められるような要件がちょっと思いつきません。その個人サイトがその分野のWP:RSで度々引用されているとか、であれば話は違ってくるのかもしれませんが、そういうサイトが「匿名の個人サイト」のままでいるとは考えにくいものがあります。匿名の個人サイトだが専門誌で度々引用されている、のであればその提示は、使用したい側が説明すべきでしょう。その説明もなしに匿名の個人サイトを記載し続けていれば、「止めるかブロックか」の2択になるのも仕方ないでしょう。自分が方針に100%沿っている場合でも合意形成すべきだ、というのを否定はしませんが、方針を理解しようともしない利用者をいちいち相手にしていられない、という現実的な面もあります。Wikipediaは学校ではないので、案内した方針を理解しないのであればそれまでです。なお、朝日新聞では朝日新聞の、サッカーの記事ではサッカーの話をすべき、には同意します。余談ですが、私を全否定されたのは井戸端の夕刊フジの件でしょうか?全くそういう意図が感じとれませんでした(賛否のない参考意見にしか見えませんでした)。--JapaneseA会話2018年3月10日 (土) 08:11 (UTC)[返信]
ノートへ移すことも構いません。ただし、議論妨害だという言には論外だと返しておきます。
返信 (Yhngv氏へ宛)
分野ごとの信頼性の差異について私が言っていることは、単に「Wikipedia:信頼できる情報源#分野ごとのアドバイス」に書かれている内容に基づいており、また、可能ならより信頼性の高い情報源に置き換えることも否定していない(というか、当たり前のことだし、今回の論争に関係ないから言及してない)のですが、それを「愚論」とか「考慮に値しない」と言い切って大丈夫ですか? さらに「百科事典という一冊の書物において、収録・記述の水準を一定範囲に揃える努力を怠ってはならない」と、少なくとも私は寡聞にして知らないウィキペディアのルール(英語版の私論にそういうものでもあるのかなあ)を元に「愚論」「考慮に値しない」と言い切って大丈夫ですか?
返信 (JapaneseA氏へ宛)
そういうサイトが「匿名の個人サイト」のままでいるとは考えにくいものがあります
私がよく知る範囲での好例としては「日本映画データベース」があります。ちょうど昨年、井戸端の方で「Wikipedia:井戸端/subj/「テレビドラマデータベース」と「日本映画データベース」」なんてのもあったのですが、まさに、その分野のWP:RSで度々引用されているし、国会図書館からもリンクがなされている(ただ、その井戸端の議論にもあるように国会図書館の説明には但し書きもあるのだけれども)。下手な信頼できる情報源よりも正確です(それこそ晩年の淀川長治の書籍よりも信頼できる(苦笑))。とはいえ、私は同質の情報なら映画年鑑を使うし、「日本映画データベース」でしかカバーできていないニッチなジャンル、年代の情報はそもそもその作品に興味がないので、私自身が「日本映画データベース」を使って記事を書くことはまずないからアレなのですが(なので先の議論も特に深入りはしてませんし、ましてテレビドラマデータベースの方は正直言うとよくわからない。でも例えばプロジェクト映画とかで、使いたいという人が現れたら、私は支援すると思います)。
私は先述のようにサッカー分野は門外漢なので、サカスタの価値判断はできません。映画分野に一定の見地がある者から見た「日本映画データベース」のような価値があるのか、ないのか。誠にそれはその分野に知識がある人間でないとわからない。だけど、だからこそ分野外の人間が、それこそブロックまでチラつかせて決めつけるようなのはよくないっていうところです。
方針を理解しようともしない利用者をいちいち相手にしていられない、という現実的な面もあります。
これは私の意見を誤解しているように思います。私は常に合意の手続きをせよ、とは言ってません。それこそ1年未満の新人なら、まず方針を曲解していると見做す方が合理的でしょう(新規参加者を虐めないでくださいの考慮は当然必要だけれども)。私が言っているのは相手が経験豊かなベテランで、しかも今回の場合、日本語版への翻訳にも関わっているような相手の場合に、「経験豊かなベテランの癖に未だにルールを理解していない」と端から侮蔑して臨むべきではない、という話です。そこに自分の知らない規定や判例、他言語版の例、合理性があるかもしれないと合理的に判断できないのは、ちょっと共同作業の場と考えた時に難があるなと。
あと、サッカーの件がややこしいのは、そこの論点は有耶無耶のまま、論争そのものは早期に穏便に解決してしまったことです(この解決に関してOhtani tanya氏の行動は称賛に値するでしょう。論点回避して元の問題を解決してしまうのは本当に理想的な良い解決だったと思います)。それゆえにJ8takagi氏は論証の機会を失っており、それを後からまったく別口の問題とごちゃ混ぜになって糾弾されるのは可哀想すぎる。十分な論証の機会もなく有耶無耶に解決されたものを、後から、まったく別口の問題に絡めて間違ってる前提で糾弾されるなんて、私は嫌ですよ。しかも、それを改めて論証しようとすれば「非を認めようとしていない!」とか、三大方針に関わる高度な話題にとても堪えられないような者からも石を投げられることは間違いないから不憫で不憫で(かといってそんな高度な話題に関われるレベルの人材は、まさか、こんなコメント依頼でそんな話題がされているなんて思いもよらないだろうし)。
私を全否定されたのは井戸端の夕刊フジの件でしょうか?
すみません。これは語弊がありますね。私が意図していたのは正確には「大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?」の方でしたね。「夕刊フジの特別扱い」と地続きだったことで、どうも一体の議論という認識があり、それでいて後者の方はあまり深くは読み込んでいないので変な齟齬がありました。--EULE会話2018年3月10日 (土) 14:25 (UTC)[返信]
(追伸)ノートに移していいと言ったけど、「2018年3月8日 (木) 13:07 (UTC)」は移さないでね(コピーはいいけど)。これはこのコメント依頼の本論に対して出したものなので。--EULE会話2018年3月10日 (土) 14:28 (UTC)[返信]

(依頼者のコメントに対して)「信頼性はスペクトルのように幅があり、それぞれの背景を考慮する必要があります。」などとまた同じことを繰り返されていますが、都合のいい部分のみを抽出しているだけであり、その業界における著名人やプロの関係者や評論家ですらない個人サイトや個人ブログとしかいえないようなものを、出典として使用出来る余地はWikipediaには存在しません「サカスタU-18」が「自己公表された情報源」にあたることを論証して下さい。』、『Ohtani tanyaさんはご自身の考えを立証する気はない、とにかく自分のいうとおりにしろ、ということでしょうか?』と、個人サイトとされる出典の利用を求める自身でなく、相手側に「自己公表された情報源であること」の立証を求めていたことをもう忘れたのでしょうか?この点についての説明や反論が全くありません。被依頼者が信頼性はスペクトルのように幅があり場合によってはただの個人サイトやブログを使用出来ると考えているのであれば、「自己公表された情報源にあたることを論証して下さい。」などと、そもそもOhtani tanyaさんに要求する必要がないはずで矛盾しています。南京事件はまだしもサッカー記事における被依頼者の主張はやはり不適切きわまりないものであることはあきらかです。それらのコメントがご自身がブロックを回避出来るという安心感から来ているのであれば考えを改めるべきでしょう。出だしがどうであれ、個人サイト個人ブログを使用すべきか否かの意見に関しては影響はないでしょうし、毎回のように相手に責任を擦り付けるのはやめていただきたいと思います。--Aiwokusai会話2018年3月10日 (土) 14:30 (UTC)[返信]

上のコメントについて。これ以上続かないというのであれば放置しますが、移動を容認するほど議論から横にそれている自覚がおありなのに、妨害とは論外というのもおかしいと思いますが。それと、あきらかに不適切であるとこちらがきちんと検証済みのものを「分野外の人間が、それこそブロックまでチラつかせて決めつける」というのはまたしてもEULEさんの事実誤認、決め付けです。そもそも検証した上で証明するのは使用したい側の人間の義務ですし、分野外というレッテルは必要なのでしょうか?(こないだとある利用者が同じこと言っていましたが[8]、安易にお前は詳しい詳しくないというのは排除思想につながります)。それこそ映画データベースを持ち出して同じように扱うのは無理がありますし、いい加減誤認を繰り返すのはやめていただきたいと思います(サブカルのように、出典もなしに「腐敗した民主主義の象徴のような人物。」という風に安易に書いてよいものではないんですよBLP案件は。それこそご自分のそういった編集が通用する「本領分野」の編集に集中していただきたいなと)。「思いこんでいやがる」といった物言いについても不適切ですし、ノートにいってください。--Aiwokusai会話2018年3月10日 (土) 16:52 (UTC)[返信]

(依頼者のコメントに対して)記述の内容によって求められる出典が変わるという主張は、個人のブログやサイトを使っていいことにつながりません。いい加減理解してください[9]。それで、「サカスタU-18」が「自己公表された情報源」にあたることを論証して下さい。』、『Ohtani tanyaさんはご自身の考えを立証する気はない、とにかく自分のいうとおりにしろ、ということでしょうか?』と、個人サイトとされる出典情報の掲載を求める側でなく、相手側に「ただの個人サイトであることの立証を求めていた」話はどこへ消えたのでしょうか。--Aiwokusai会話2018年3月11日 (日) 06:37 (UTC)[返信]

  • 「疑う側と疑われる側のどちらに立証責任があるのか書かれていないので議論が必要」これはありえない。サイトのどこにも管理者情報や本人がどういった人間であるのか明記がない以上はただの一般人であるとして扱う他はなく、それでもただのいち個人でないもしくは使用に値するというのであれば立証責任は常識で考えれば掲載を望む側にあるというのは当たり前の話です。方針を都合よく解釈していつまでも納得しないに該当する主張を被依頼者が続けている以上、合意形成が困難になっているだけでしょう。立証責任を疑う側に押し付ける被依頼者の姿勢が続く以上は解決出来るはずがないのは当たり前ではないですか。「他人の姿勢を決め付けないでください」とありますが、実際立証責任を疑う側に押し付けている事実があるのですからどうしようもないでしょう。それが今回のOhtani tanyaさんのコメントに集約されていることが何故理解できないのでしょうか。こういった各ノートで論争を巻き起こす責任を相手に押し付ける被依頼者の姿勢は、あきらかにコミュニティの疲弊に繋がっているとしか言いようがありません。--Aiwokusai会話2018年3月11日 (日) 07:49 (UTC)[返信]
    • 一考に値する内容を含むコメントであっても、関係ない話も多く含めたものがあるからこそノートへ移動すべきなのであって、そうでなければそもそもノートへという話は出てこないというのは同じお考えであるかと思います。少なくとも1万バイトのコメントには誤認を含めたそういった点が多く見られました。勝手に移動したりはしませんというのは、逆にいえば全員合意しなければ今後もノートには移せないと言っているようなものですが…まぁYhngvさん以外は意思をはっきり表明しているのでこれ以上続く場合はそういう措置も問題なさそうですが。「被依頼者側に個人サイトではないという理由を説明する必要がある」、これには私が繰り返し被依頼者に対し述べていたことで当然同意します。しかし被依頼者は未だに今日この時点においてもそれを拒む、といいますか、相手側にそれを求めてもよいのではないかとの主張を変えておりません。今後も変える気配がありません。にも関わらずブロック依頼での立場を変えられないというのは、本当は被依頼者と同じく説明責任が個人サイトとおぼしきものの使用に賛成する側でなく反対する側にあると考えておられるのか、それとも依頼で別のノートでの議論を持ち出されたことから私に対しまだ怒りをお持ちであるのか、どちらなのかよくわかりませんでした。一方で、対話もなしに完全な第三者が依頼を出すことに強く拒絶反応を起こされていた方が、いざ関係者が依頼を出すと「戦場ではありません」と被依頼者の主張の妥当性を度外視して反対されることには正直なんだかなぁと気分になったのも事実です。--Aiwokusai会話2018年3月11日 (日) 10:39 (UTC)[返信]
  • EULE様へ。余談部分はこちらでしたか、了解しました。では本題です。なるほど「日本映画データベース」のような例があるのですね。個人サイトでもそのような特別な理由を提示できるのであれば、議論の余地が1ミリもないとは思いません。サカスタは私も判断つきかねるので、「提示されたサッカーの各サイトが個人サイトなのかどうか私にはわかりませんので、J8takagi様は個人サイトではないという理由を説明する必要があります」とコメントしております(「個人サイト」は「単なる匿名の個人サイト」という意味です)。ここで重要なのは、個人サイトを使いたい側(以降Aさん)が、それを説明する責任があるという事です。反対者(以降Bさん)は、Aiwokusai様の仰るように「サイトのどこにも管理者情報や本人がどういった人間であるのか明記がない以上はただの一般人である」の一言で済みます。それに対しAさんは「この日本映画データベースは~でも引用され、また~である」と特別な理由を説明し、それでBさんが納得しなければ、Aさんがプロジェクトサッカーや井戸端で提起すれば良いと思います。それで否定されればあきらめる。肯定されればBさんは受け入れる。それが合意かなと思います。皆様へ。依頼者はAbesato様であり、j8takagi様は被依頼者です。なんかあちこちで間違えているような気が。Aiwokusai様へ、なぜ議論の妨害と判断されるのか理解できかねます。なお、私がノートへ移動しようと提案したのは、「ノイズだからノートでやれ」ではなく、むしろその逆、一考に値するコメントであり被依頼者と関係ない話も含め議論を重ねたいからノートへ移動しては?という提案です(全員の合意もなしに、勝手に移動したりはしませんが)。--JapaneseA会話2018年3月11日 (日) 09:38 (UTC)[返信]

コメント いままで「ノート:南京事件_(1937年)」の議論が途中でしたので、こちらの依頼は静観して参りました。ただ、あちらが一段落ついたことと、被依頼者J8takagi氏も私Ashtrayのことを言及しておられるので、そろそろ良いかなと思いました。ですので、後ほどコメントしたいと思います。--Ashtray (talk) 2018年3月11日 (日) 14:58 (UTC)[返信]

コメント 前回コメントから日を置いてしまい申し訳ございません。体調がすぐれなかったのと、やはりここに書くべきか悩んでいました。しかし、今後の影響を考えますと、言うべきことは言うべきとの考え至りました。
批判的コメントが多くなりますが、「論争相手からの一方的なコメント」として、話半分で読んでいただければと思います。
まず、私Ashtrayと被依頼者J8takagi氏との最初の接触は "ノート:南京事件 (1937年)" です(記憶の限り、それよりも前の接触は無かったと思います)。
そもそも、日中戦争の分野はあまり編集していませんでしたが、隣接分野でもあり、ウォッチリストに入れてチェックはしていました。2017年8月頃より、冒頭定義文の一部を除去するIPアドレスと、それをRvするユーザーの編集が目に付くようになりました[10]。その後、2018年1月8日よりJ8takagi氏がこの除去編集に加わり、編集合戦の結果、2018年1月18日に1ヵ月間の全保護がかけられました。ハッキリ言って、2017年8月から記事は全く成長しておらず、履歴だけが荒れている始末です。しかも、保護解除後の編集合戦は目に見えていました。そこで仕方なく、ノートに介入した次第です。
最初にノートにてこの編集合戦について厳しく注意しました。しかし、J8takagi氏は自己の編集の正当性を主張するのみで、まったく聞く耳を持ちませんでした。再発防止とまでは言いませんが、せめて「編集合戦はなるべく控えます」くらいの言葉が欲しかった、というのが当時の本音です。もちろん編集合戦は相手があって起こるものですが、それを差し引いても "Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない" を地で行く行為であり、強く非難せざるを得ません。
その後、編集合戦のことは脇に置き、冒頭定義文をどうするかの議論に進みましたが、ここでもまったく話が噛み合いません。
南京事件は、Wikipedia上では「事件そのもの」と「事件にまつわる論争」とに別けられているのですが、議論はおおむね以下のような感じです。
A.「論争のことは論争記事に書いてください。」
J.「この意見は国と専門家・学会が認めています。」
A.「いや、だから、別の記事に書いてください。」
J.「この意見を書く必要があります。」
A.「じゃあ、冒頭ではなく、本文に書いてください。」
J.「本文に書くためには、冒頭にも書く必要があります。」
A.「いや、素直に本文に書けばいいでしょ。」
J.「冒頭に書くのは、本文に書くための工夫です。」
A.「その工夫とは何ですか。」
J.「本文に書くためには、冒頭にも書く必要があります。」
A.「だから、その工夫について説明してください。」
J.「冒頭に書くのは、本文に書くための工夫です。」
※(以下ループ)
まったく話が噛み合いません。J8takagi氏は他所でもこのような「議論」をしているのでしょうか。もしそうだとすれば、早急に手を打つ必要があると考えます。--Ashtray (talk) 2018年3月20日 (火) 13:49 (UTC)[返信]

中間まとめ後のコメント

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j8takagi様からの被依頼者コメントが投稿されましたが、文章としては一見膨大なものに見えますが、大半がどういうわけか二分法・魔女狩りについて大きくクローズアップされたものとなっています。悪魔云々の話も含めて、結局の所自分は基本的にはレッテルを張られている被害者であるというスタンスを崩されていないのではないかと感じました。其れは【「全利用者が遵守しなければならない方針・ガイドライン」かどうかについては、二分法の問題を避けるという観点から見ても、議論の余地がある意見だと考えます。】、【「編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません。」とされており、例外が適用されうることも方針で定められています。】と被依頼者がこういった主張を行われている事からも明らかでしょう。サカスタが個人サイトであるかは掲載をさせたくない側が証明するべきであり、信頼性はスペクトルのように幅があると主張されていた頃と基本的にお変わりないように思えます。サッカーに明るい方の中で、サカスタが使用出来る極めて例外的な個人サイトであるのと見解を示されたのはj8takagi様のみであり、映画サイトと同列に第三者言及があったサイトとはいえませんし、井戸端議論を使用するレベルに値するものとは現状では判断するのは不可能です。
というか、 【疑う側と疑われる側のどちらに立証責任があるのか、などについてはウィキペディアの方針で明記はされておらず、議論が必要な部分だと考えています。】と、3月11日の被依頼者コメントで主張されたように、それ以降1ヵ月経ってもあれが個人サイトかどうかという証明責任を果たされていません。これは、今になって「ガイドラインはあくまで推奨であって遵守しなければならないわけではない」というコメントがj8takagi様から飛び出した事も含め、御本人の中でのこの議論に対する理解が変化無し、むしろ大いに後退してしまっているように思え、私がブロック依頼で危惧した内容そのままであると感じました。また、Ashtray様が触れた「反省や否定・撤回」について、「二分法の問題に陥った意見である」と反発されており(~法や魔女狩云々は言葉遊びになってしまうので止めて頂きたいのですが)、これには座頭の雷蔵様やAshtray様を含め、これで終わりにするには問題があると感じた方がおられるやもしれません。議論を深め・議論を尽くすべきとブロック依頼の御意見、此方における周囲の意見を参考にされAshtray様が引き続きこの場で審議すると判断されたことは尊重いたします。議論を尽くした上でコミュニティーがどう判断するかは不明ですが、それにはj8takagi様の積極的な議論参加が不可欠と言えます。その上で、【もし、議論を経てもなお今のままであれば、「是非もなし」】との御意見も踏まえて、解決に向かうのか、もしくはj8takagi様が完全にWP:IDIDNTHEARTHATに陥ってしまい今後Ashtray様か他の方が何らかの判断をされるか、それが私になるのかなどは分かりませんが、推移を見守っていきたいと思います。--Bbcs会話2018年4月10日 (火) 03:30 (UTC)[返信]
コメント j8takagi氏へ。
まず、ここは「魔女裁判」ではないですし、そのような決め付けこそが「二分法」であり、不適切です。
私は貴方とは意見の対立し間柄ですし、別に味方とか中立を装う気はありません。ただ、いきなりブロックしてしまうよりは、貴方の言い分も聞いてみたかった、といったところです。冷静に議論できる「場」は用意しました。後は貴方次第でしょう。
もし、方針・ガイドラインの「例外」を主張するのでしたら、皆を説得できるだけの根拠をお示しください。--Ashtray (talk) 2018年4月10日 (火) 10:47 (UTC)[返信]
コメント 魔女狩りとの言葉がこの場で使用され、ふと被依頼者の投稿履歴を拝見していたところ、魔女狩りを編集されているのが偶然目につきました。そのこと自体はなんということでもないのですが、興味をそそられ内容を確認してみたところ、日本の刑事司法に関する記述が記事内に存在し、その内容について出典が存在しなかったようで、それについて出典を明記する作業をおこなれていたようです[11]。その出典とされるパンフレットを直に読んで検証してみたところ、記事内にある『魔女裁判』なる言葉はどこにも見当たらないのです。ノート:魔女狩り#〈広義の「魔女狩り」〉節についてで魔女裁判が独自研究である可能性指摘されているのであれば、魔女裁判という部分は除去すべき、いやその言葉そのものが出典にはないのですから、そもそもこの記事内に日本の司法と魔女裁判という言葉を結びつけて掲載するのは不適切ですので、焦点となる肝心の部分をカバーしていない出典を付与するのでなく、要出典タグを「貼るのみ」にとどめノートで提議するか、節そのものを除去すべきでしょう。国連機関の日本の司法の不備の指摘についての記載であれば、別記事にでやればいいだけの話なのですから。一見、記事の履歴を確認しただけでは、出典のない記述について出典が付与されてさも問題が解決されたように見えてしまいます。被依頼者がどのような対応を考えておられたのかは分かりませんが、適切な処置であったかといえば正直首を傾げるものであり、出典を確認した時点ではなんだこれ?と情報の合成を疑わざるをえない編集となっていました。被依頼者がどういう処置(魔女裁判という記述のみを除去するのか、日本の刑事司法に関する節そのものを除去するのか)を後日考えておられたのかは不明ですが。--Aiwokusai会話2018年4月11日 (水) 19:56 (UTC)[返信]
コメント 明らかに私の上記指摘に反応したものと思われる編集が被依頼者により行われましたが、Bbcsさん、Ashtrayさんそして私の指摘を含めた一連の指摘についてはまだお答えいただけてはいないようです。その編集についても、出典をそのまま既存の文章に貼り付けられましたが、一部ニュアンス的に出典と異なる部分が見られたので修正をおこないました。出典をのちに付与される場合は、既存の文章との整合性について精査し、情報の合成や虚偽にあたらないよう、細かい部分にまで目を通していただきたいと思います。出典なしに一定期間掲載されており、第三者から確認作業が行われていない、また誰でも編集可能であるという性質上、なんらかの書き換えが必要とされる場合が経験上多いものです。--Aiwokusai会話2018年4月12日 (木) 05:52 (UTC)[返信]
  • コメント 投稿ブロック依頼が見送りになったことを踏まえて、改めてコメントします。被依頼者とは複数のサッカー育成組織関連の記述で意見対立が生じ、被依頼者が私に対してコメント依頼を提出された(Wikipedia:コメント依頼/Bsx20160901)ということもありましたが、そのときに感じたのが、被依頼者の中で「書くべきこと」「書くべきでないこと」の基準(こだわり)が強くあって、それに合致する形で出典なりルールの選別を行っているのではないかとの疑念があります。鹿島アントラーズのアカデミーノート / 履歴 / ログ / リンク元でのやりとりがその典型といえ、私がいくつかのガイドラインを示して記事の整理を試みたところ、『ガイドライン内の字句」一つ一つに強くこだわった上で記述の残存を強く主張し、一方で当方が(外部出典を用いて)多少ネガティブな記述を行ったところ、「Wikipediaの方針に反する」とその事項の除去に強くこだわりを見せたということがありました。依頼者が掲げている南京事件 (1937年)ノート / 履歴 / ログ / リンク元鈴木雅人 (サッカー指導者)ノート / 履歴 / ログ / リンク元でのやりとりは細かくは承知していませんが、ざっと眺めたところ、被依頼者の中で同じような観点での行動(被依頼者自身の中での「書くべきこと」「書くべきでないこと」に基づいた出典の選別)が行われているのではないかとの懸念があります。記述内容に強いこだわりを見せることは、やり過ぎるとWP:OWN/WP:POINT、さらにはWP:POVに反しかねない行動ではないかと危惧しています。被依頼者におかれましては、『その記述が本当に必要な事柄か』『その記述をどうしても除去しなければならないのか』といった点に関して、もう少し冷静かつ客観的な観点をもたれることを希望します。--Bsx会話2018年4月15日 (日) 22:57 (UTC)[返信]
コメント 私が上で指摘した出典と記事内容の乖離については、コメントで説明や釈明をされるおつもりはないようです。また、被依頼者は「問いが無視されたまま」であると強く主張されていますが、サカスタをはじめとした個人サイト編集について、除去すべきという側が個人であることを証明せよとの主張、もしくは個人であろうとサカスタが方針・ガイドラインの「例外」に当たる主張するのでしたら、皆を説得できるだけの根拠をお示しください、とAshtrayさんはおっしゃっています、繰り返し。この期に及んでも、ご自身が何を問われているのかが分からないというのは幾らなんでもおかしくはないですか?更に相手(この場合はAshtrayさん)にその責任をおしつけている。それがAshtrayさんがおっしゃっている、「かみ合わない」「ループ」であるとしたら問題は重大であると考えます(WP:IDIDNTHEARTHAT)。依頼提出から1ヵ月半、また再審議から本日で1週間ですが、これ以上中長期審議を継続させても、「サカスタについては自分は間違っていなかった」というスタンスを崩されず、こちらで指摘されているような対応も一切行われないということは、今後も上でBsxさんがおっしゃっているような問題を各所で引き起こすということです。今すぐとはいわずとも再度別の対応を考えるべきかもしれません。今回は前回とは明らかに状況が違っていますし、さすがに議論期間が不十分ということはありえないでしょう。--Aiwokusai会話2018年4月16日 (月) 05:38 (UTC)[返信]
コメント J8takagiさんへ。2018年4月15日(日)22:05(UTC)のコメントに回答いたします。読んでそのまま、です。「【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】の出典利用」は、明らかに方針・ガイドラインに抵触しています。その上で、これらが例外扱いできると主張なさるのならば、私は別に反省など求めません。その代わり、なぜこれらが「例外」なのかキチンと説明すべきです。
貴方はマルチン・ルターの例えを引き合いに出しました。彼は黙って火炙りにされたから支持されたわけではなく、当時のローマ教会の悪癖を非難し、意見し、徹底した改革を唱えたからこそ人々の支持を得たのです(ちなみに、今日のドイツでは、カトリックとルター派は半々です)。貴方も思うところあれば、堂々と述べるべきでしょう。
正直、私のこんな一言を、いちいち細かく解釈している時間は、貴方には無いと思いますよ。--Ashtray (talk) 2018年4月16日 (月) 12:05 (UTC)[返信]
コメント 南京事件の話が出たので、いちおう一言。J8takagi氏の 「出典と記述内容が大きく違い、」 とのコメントには異議ありです。同事典の「南京」の項(長谷川啓介執筆分)にはこうあります。「南京と日本との関係で最も有名になったのは、南京事件(中国側は南京大虐殺とか大屠殺とも呼ぶが、いまだに真相は不明)である。」(長谷川啓之・監修『現代アジア事典』文眞堂、2009年、p.866)。これを簡潔にまとめた一文にすぎません。皆さん、あとの論争は "ノート:南京事件 (1937年)#現在の定義文について" をご参照願います。--Ashtray (talk) 2018年4月16日 (月) 13:13 (UTC)[返信]
コメント J8takagiさんの2018年4月18日(水)22:45(UTC)コメントに対して。
それでは、言い直しましょう。私は、政治軍事分野の人物記事がメインであり、サッカーを含むスポーツ分野については専門外です。ですので、自分の分野を考慮しつつ、Wikipedia全般を念頭にコメントしています。
Wikipediaは、(私Ashtrayを含めて)何処の誰かも分からぬ素人が投稿しているウィキ型サイトです。普通に考えれば、嘘か真か分かったものではありません。だからこそ、信頼できる情報源を必ず用いその情報源を明記し誰でもその情報源を確かめる仕組みを作り、それによって「信頼性」を担保しているのです。
私個人の考えでは、匿名Webサイトや個人ブログは、どんなに情報が多く詳しくとも、それが信頼できるものと裏付けるだけの「権威」がありません。
しかし、J8takagiさんは【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】が使用できると主張しています。さてさて、困りました。我々2人の間では180度、意見が異なっています。
そこでまず貴方の考えについてお尋ねいたします。【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】は「信頼できるサイト」なのでしょうか。それとも、「信頼できないサイト」だけれども、サッカー分野では例外的に使用可能なのでしょうか。
詳しい理由も添えて、お答え願いたい。--Ashtray (talk) 2018年4月19日 (木) 15:03 (UTC)[返信]
コメント 1週間かけて合意を取り、議論の場を用意しましたが、肝心なJ8takagi氏により出典問題について回答拒否され、なおかつ本日は明確に議論拒否が表明されました。また、先にEULEさんとも話しました「出典問題についてJ8takagi氏自身が提起者となる」という件についても、「続けるのであれば別途コメント依頼かプロジェクト‐ノート:サッカー選手で問題提起すべき」 と、あくまで私やそれ以外の「議論を続けたい側」が提起すべきという立場を表明されました。大変遺憾ながら、これ以上の私からの働きかけは無意味と判断し、ここで打ち切りたいと思います。
先のブロック依頼で反対され、まだコメントされていない方々(利用者:JapaneseA会話 / 投稿記録さん、利用者:守り人会話 / 投稿記録さん、利用者:ペットボトル伍長会話 / 投稿記録さん、利用者:禮旺会話 / 投稿記録さん、利用者:EULE会話 / 投稿記録さん、利用者:プログラマリオ会話 / 投稿記録さん)へ。J8takagiさんに対して、まだ何かコメントございますでしょうか?--Ashtray (talk) 2018年4月20日 (金) 14:33 (UTC)[返信]

被依頼者の最新コメントの半分くらいがルターがどうとかそんな言葉遊びになってるがそれはどうでもいいんで、サカスタが二分法だとか同じように言葉遊びに終始して自己正当化を計っているのが酷い。ようするに間違いを認めるという簡単な話を、意地やプライドを優先させるきらいがあるということなのでは。「出典と記事内容の乖離」についても「名残りといえるのかもしれない」「名残だ」じゃかなりニュアンスが違うよね。まぁ刑事司法の記事については触れても何故か魔女狩りの編集[12]には触れないのは不都合だから以外に理由がありますかね?。魔女狩りについて出典では全く登場せず、「出典と記述内容が大きく違い、問題だと考えます。」どころか記事の主題と無関係なのだから。--2400:2200:33D:B47A:16B3:C99B:C44:5BA1 2018年4月19日 (木) 09:03 (UTC)[返信]

j8takagi様の主張には虚偽というかミスリードが見られるように思えます。プロジェクトのページでコメントしているのは、j8takagi様と過去に対立点があり(Wikipedia:コメント依頼/Bsx20160901)、この依頼でもコメントしている利用者:Bsx様ですが、その中では「大手ニュースサイトにも記事提供をしているサイト」「中身を精査してから、執筆者が明らかになっていて(少なくとも「執筆者に依れば」の表現を用いることが出来ますし)使えそうなものは注意して使う程度に心がけています。」とj8takagi様以外のお二人は述べられていますね。『【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】についても、同様と考えます。』というのであればそれらに当てはまる根拠を言うべきです。

何故此処では「冷静・公正な議論が難しい」「議論を続けるべきではない」のでしょうか?流石に失礼では無いでしょうか。お前らはサッカーに疎いからと駄目出しをされているのでしょうか?少なくともこの依頼には詳しい方もおられるようですし、私もそれなりに興味を持つジャンルです。誰が疎い詳しいなどそう簡単に決め付けられる話ではありません。というか、「外部で有益な言及がされているか」が焦点であるというなら、知識は関係ないはずですし、方針上、やはり使用したりもしくは使用出来るとする側がその証明を行う責務があります。明らかにこれは被依頼者のj8takagi様個人の問題でしょう。また、IP様他の方から指摘されていえる魔女狩りの編集、これは他所でやるべきだと誤魔化せるものではありませんよ。そろそろ御自分に向けられている問題について真摯に向き合うべきではないでしょうか。正直貴方に残された時間はそう長くはないと感じております。 --Bbcs会話2018年4月20日 (金) 09:26 (UTC)[返信]

コメント 利用者:Bbcs会話 / 投稿記録 さんが私の名前を出されておられますので、「プロジェクト‐ノート:サッカー選手#Qolyは出典に値するサイトなのかどうか」でのコメントの(私なりの)真意を踏まえて「Foot Boy Asian」と「サカスタU-18」の評価について考えてみます。
まず大前提として、被依頼者が主に執筆を手がけておられる育成年代(U-18)のサッカーの情報というのはオンライン上でも公式なものがなかなかまとまって出にくいという実情があります(あくまで個人的推測ですが、対象が未成年と言うこともありますので、個人情報保護という観点から情報公開を避けている可能性もあるかなとは思っています)。なので、被依頼者は何とか育成年代に関する情報を探し当てるべく、両サイトにたどり着いたのではないかと推測しています。そのことを踏まえて両サイトの内容を拝見しましたが、確かに情報としては非常にまとまったものであると考えます。ただ、残念ながら『このサイトを運営している人物(に対する評価)が不明』であると共に『掲載された情報の出所が不明』であることは問題であろうと思います。その意味で両サイトは『評価の定まっていない情報源』であり、いわば『執筆者(被依頼者)の見たまま・聞いたまま』の延長上にある情報源と考えられ、このサイトのみのみを出典として何らかの記述するのは(内容にも依りますが)かなり微妙と言わざるを得ない、人によっては記述を除去したり{{出典無効}}タグをつけるかもしれないかな、とは思います。私が 2018年4月15日 (日) 22:57 (UTC) で「『その記述が本当に必要な事柄か』『その記述をどうしても除去しなければならないのか』といった点に関して、もう少し冷静かつ客観的な観点をもたれることを希望します」と申し上げたのはそういう前提を踏まえたつもりではあったのですが、被依頼者からの『素っ気ない』返答や、他の方とのやりとりを拝見するに、ひょっとしたら真意が伝わっていないのかなと考える次第です。
私がPJ:FBPのノートで書いた事柄をもう少しかみ砕いて申し上げるならば、これはサッカー分野に限ったことではないですが、Qoly のようなキュレーションサイトというのは、基本的には一般の耳目を集めることのみが目的であり、その情報の出所や真偽について基本的には責任を負いません。「まず原典に当たるというのが基本」と申し上げたのはそこでして、然るべき根拠なり評価なり責任のある出所からの情報であれば「執筆者が明らかになっていて(少なくとも「執筆者に依れば」の表現を用いることが出来ますし)使えそうなものは注意して使」えると考えています。
先にコメントしたことの繰り返しになりますが、ご自身の書かれたことが「出所の不確かな情報」「観点に偏りがある情報」であることを理由に除去されたのであれば、それを無理して差し戻さず、『その記述が本当に必要な事柄か』『その記述をどうしても除去しなければならないのか』といった点に関して反芻され、その上で次のステップを検討されるよう心がけて頂くことを希望します。--Bsx会話2018年4月20日 (金) 11:09 (UTC)[返信]

コメント 繰り返しになりますが。個人サイトを使用したい側が、使用したい理由を述べる、合意するまで使用できない。これはサッカーのようなスポーツ分野だろうが、論争の耐えない政治・宗教分野だろうが同じ事です。要はJ8takagi様は順序が逆なのです。--JapaneseA会話2018年4月20日 (金) 14:42 (UTC)[返信]

コメント 何でもかんでも揉め事をぶちこんだ闇鍋状態なコメント依頼だなあという印象です。なので1点ずつ切り分けて意見を書きます。

【サッカー出典について】「サカスタU-18」などは高い見識で運営されている素晴らしいサイト・ブログだと感じます。しかしあくまで素性不明の個人が(高度な)趣味でやっているものであり、小規模とはいえ企業が運営しているQolyとは違います。この手のサイトはサッカーに限らず他の分野にいくらでも存在するわけで、安易に採用しちゃうと影響が甚大なものになりませんかね?Wikipediaが原則として採用すべきでない出典と定めているものを採用しようとしている立場ということを自覚していただき、直上でJapaneseAさんがおっしゃっているように「コミュニティを説得できないのなら引っ込めるべき」でしょう。まずは引っ込めた上で、サッカー関係の議論場所で合意を得るべきです。このままだとブロックされても仕方ないと感じます。

【政治分野の出典について】J8takagiさんの主張に問題がありますかね?「フジ、ゲンダイ、週刊誌、赤旗のような政党機関紙は政治分野では使わない(以下Aとします)」ってのは、ほとんど共通認識になってると思っていますが。保守寄りもリベラル寄りもAをみんな守ってるからこそ、ケンカばかりの政治時事分野でも何とか百科事典としての体裁を保ててるんでしょう。この手の話はぽてからさん、はるみエリーさん達と血みどろな議論を散々やってきたのにいまだに続くわけですか…。もしこの点でJ8takagiさんがブロックに相当すると一部の方がおっしゃるのなら、どうぞ私へのブロック依頼も提出なさってください。管理者のほぼ全員にもブロック依頼が必要かもしれませんね。

【魔女狩りについて】むしろJ8takagiさんは無出典箇所に出典を沿えて「この出典じゃ独自研究だよー基本削除だよねー」って言ってるようにしか見えません。これはちょっと無理筋な批判だと感じます。何でもかんでも鍋に突っ込めばいいってもんじゃないですよ。

【南京事件について】意見を避けます。記事対象に一般教養レベルとしての知識は持っていますがその程度に過ぎず、AshtrayさんとJ8takagiさんのどちらが正しいのか判断しにくいです。ぼんやりとではありますがAshtrayさん側に8割がたの説得力は感じますが。

【再度のブロック依頼提出について】なんだかそういう雰囲気になってますが、現時点では正直投票しづらいです。サッカー出典については、明らかにJ8takagiさんは態度を改める必要があると感じます。以前から感じていたことですが、法律家ごっこが過ぎるのではないでしょうか。この点に限ってブロック依頼が出されるのならば、中期程度のブロックには相当するのかもしれません。しかしそれ以外の批判については無理筋なものが闇鍋状態でごっちゃごちゃになってませんか?一部の人が坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの典型例になっちゃってて、被依頼者周辺の揉め事っぽいのを全部鍋にぶち込んで収集つかなくなってますよね。誰がやってると名指しすると、ヒートアップ連投が飛んできて議論の妨げになるのが目に見えるので書きませんが…。中間まとめ以降、大半の人は問題点が明確なサッカー出典に論点を絞ってるのに、1番被依頼者をブロックしたがってそうな人が何でもかんでも批判を鍋にぶち込むから、逆にブロックが遠ざかってますよ。--むよむよ会話2018年4月21日 (土) 02:23 (UTC)[返信]

被依頼者の政治分野全般についての方針をこの依頼では特に問題視されていないでしょう(南京除く)。むよむよ氏が何を言いたいのかわかりませんし、論点でもないことをいきなりぶち込むのは逆に闇ナベ状態にしているのでは?そうじゃなくて、政治含めて他の分野での出典使用理念と、個人サイトを使うのを正当化するサッカー記事での編集方針が、被依頼者の中で矛盾が生じていて『ダブルスタンダート』なのが問題だと指摘されているだけでしょう。魔女狩りについて削除なら削除すべきであって、間違った記述に対してそのまま文章もなにも一切かえず出典を付与した状態は「虚偽」でしかありません。意図を汲み取れという方が無理があります。南京に関しても、「ぼんやりと」で8割説得力があるでは内容のない話であって、ただフォローの意図があることしか読み取れません。今後仮に何らかの動きがあっても投票したくないならしたくない、1番ブロックさせたくないなら別にその立ち位置は否定されるものではないですし自由だと思いますが、ヒートアップ連投なんて物言い自体が煽っているようにしか見えませんし、同じように相対する立ち位置の人間に何を言ってもいいというわけでもないしここは被依頼者についてコメントする場であるのは事実でしょ。だいたい、二分法だ魔女狩りだと論点ずらしを続けてきた、今もそうしている点の問題については何もないのかと--2400:2200:2FD:314B:1A09:421:A4B3:F6B2 2018年4月21日 (土) 04:20 (UTC)[返信]

コメント 中間まとめ後の合意から、ちょうど2週間が経過いたしました。これだけ時間をかけても、依頼者はここで議論する気はないと明言してますし、また日曜日を挟んでも他の方からの注意やアドバイスに返信する気も無いようでし、この辺で区切りつけたいと思います。--Ashtray (talk) 2018年4月23日 (月) 14:07 (UTC)[返信]
報告 "Wikipedia:投稿ブロック依頼/J8takagi 20180424" を提出しましたことをお知らせいたします。--Ashtray (talk) 2018年4月23日 (月) 17:33 (UTC)[返信]
報告 J8takagi氏は上記依頼の結果、無期限ブロックとなりました。--Ashtray (talk) 2018年5月2日 (水) 08:38 (UTC)[返信]
コメント 投稿ブロック依頼も提出されましたが、まだ「まとめ」セクションで区切りをつけられていないことを踏まえて、被依頼者の2018年4月25日 (水) 10:23 (UTC) のコメントを受けてお返事を。
まず、被依頼者の主張に関して申し上げると、端的に言えば、「記述の内容によって求められる出典の基準が変わる」というのは非常に危険なルール解釈だと考えていまして、これは、多少悪意を持った表現をするならば、「執筆者が書きたいと思う事柄次第で、出典の基準などどうにでもなる」という言い換えさえ成り立ってしまいかねないと思っています。さらに別の言い換えをするならば、記述内容次第で「真偽不明、検証可能性の低い出典」を用いることが認められれば、それは記述内容次第で執筆者の観点を反映させることが出来るということにもつながりかねず、故に(ガイドラインではなく方針である)中立的な観点を脅かしかねない解釈と考えています。
で、被依頼者であるj8takagiさんが今回コメント依頼や投稿ブロックで批判されているのは、j8takagiさんが実際にそういった態度を取られている(ご自身の観点を反映させた記述を行い、それに叶う出典を探しだし、その出典なり行為の正当性を主張するためにWP:IGNOREWP:PGの解釈論、果ては一般法の解釈論を持ち出すことをくりかえし、複数の反論に対していつまでも納得されない)からであり、そのような態度を延々と続けられておられることがWikipediaコミュニティを消耗させることにつながっているからだとみています。「記述の内容によって求められる出典の基準が変わる」というルールの解釈論そのものを批判しているわけではなく、あくまでも批判の対象は「被依頼者自身の執筆行動や議論における立ち振る舞い」にあるのだということを認識して頂ければと思います。--Bsx会話2018年4月25日 (水) 22:17 (UTC)[返信]
コメント 補足 被依頼者が上記の当方のコメントに対して何らかの認識を示されるおつもりがあれば、それまで私は投稿ブロック依頼にはコメントしません。--Bsx会話2018年4月25日 (水) 23:04 (UTC)[返信]
コメント 2018年4月25日のBsxのコメントへの返信を頂きましたので、それへのお返事を。
  1. 出典の基準について。率直に申しまして、「Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められる」の解釈が(コメント依頼に参加されておられる他の方と)真逆であると感じています。そもそも当該節には冒頭に「注意信号がでたら、編集者は寄せられた主張を念入りかつ懐疑的に調べるべきです」とあります。「Foot Boy Asian」「サカスタU-18」に関してはその情報源について執筆者も明らかでなければ検証可能性が担保されておられず、故に3大方針を満たしているとは言い難い、すなわち「注意信号を掲げるべき」情報源である…というのが他の方の見立てではないでしょうか。「事柄の内容そのものと出典をセットとして3大方針を満たしているかが検証されるべき」という観点で申し上げれば、「Foot Boy Asian」「サカスタU-18」を出典として用いるには「出典としての根拠が薄弱すぎる」の一言に尽きると思います。
  2. 「Foot Boy Asian」「サカスタU-18」の評価について。確かに私は 2018年4月20日 (金) 11:09 (UTC) のコメントで両サイトが「情報としてまとまったものである」と申し上げましたが、その後続けて「両サイトは『評価の定まっていない情報源』であり、いわば『執筆者(被依頼者)の見たまま・聞いたまま』の延長上にある情報源と考えられ、このサイトのみのみを出典として何らかの記述するのは(内容にも依りますが)かなり微妙と言わざるを得ない、人によっては記述を除去したり[出典無効]タグをつけるかもしれないかな、とは思います」と書いています。すなわち、両サイトのみを根拠として記述された場合、それが出典無効とされても何らおかしくない(その記述にこだわるのであれば別のソースを探るべき)と考えるところです。
  3. 「解釈論を持ち出す」立ち振る舞いについて。「できるだけウィキペディアのルールやその解釈に則して議論をし、必要に応じてより根本のウィキペディアのルール・精神や、一般の法についても、議論すべき」というお言葉とは裏腹に、j8takagi さんの行動には「ウィキペディアのルールを拡大解釈して自己の正当性を主張するのに利用している」ように見える(言い換えれば「規則の悪用」あるいは「法律家ごっこ」を行っているように見える)ことが往々にしてあります。ルールの解釈論を振りかざす前に、ご自身の立場を一旦横に置いて、相手がなぜ、どういうスタンスで反論を試みられているのか、それを踏まえて議論を冷静に考えるべきと勘案しています。
  4. 〈方針ではこうであると明示〉や〈根拠に裏打ちされた意見〉は示されていないとの仰せについて。とりあえず、Wikipedia:独自研究は載せない#資料Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を良くお読みください、と申し上げておきます。「Foot Boy Asian」「サカスタU-18」に掲載された情報は「広く信頼されている発行元からすでに公開されている」事柄とは言えません(発信者や発行元が不詳である以上、「広く信頼」することがきわめて困難なのはおわかりになるでしょう)。他のソースで検証可能とおっしゃるのであれば、そういった新たなソースを用いるべきでしょうし、そうでなければ、他の方がかねてから申し上げているとおり「Foot Boy Asian」「サカスタU-18」が「広く信頼されている発行元」であることを客観的資料で示す必要があると考えます。
最後に、私が 2018年4月15日 (日) 22:57 (UTC) のコメントで触れたことをもう少し細かく申し上げますが、2017年1月に鹿島アントラーズのアカデミーノート / 履歴 / ログ / リンク元で j8takagi さんと私が議論が対立したときに、私は「客観的な観点から“全般的に”記事をもっと整理すべき」と申し上げていますが、これに対して j8takagi さんは「その考え方はWikipediaの方針とは関係ない、Bsxさん個人の意見ではないのですか?」と反論されました。さらには、私がSportivaに記載された署名入り記事を元に記述しようとしたときに、j8takagi さんは「中立的な観点に反する」とWikipediaのルールを盾にその記述の除去を強硬に主張されました。残念ながら、今の状況(このコメント依頼での他の方とのやりとりや鈴木雅人 (サッカー指導者)ノート / 履歴 / ログ / リンク元でのやりとり)を拝見するに、当時とほぼ同じ、あるいはむしろ悪化していると言わざるを得ません。出典やルールの解釈をこね回してまでご自身の観点に基づく記述の必要性(あるいはご自身の観点に沿わない記述の除去)を強硬に主張するのは、もうやめにしませんか(私が「『その記述が本当に必要な事柄か』『その記述をどうしても除去しなければならないのか』といった点に関して、もう少し冷静かつ客観的な観点をもたれることを希望します」と申し上げたのは、多分にそういう意味を含んでいます)。ご検討をよろしくお願いします。--Bsx会話) 2018年4月26日 (木) 13:47 (UTC)一部修正--Bsx会話2018年4月26日 (木) 13:58 (UTC)[返信]
コメント Bsxさん 2018年4月26日 13:47への返信を踏まえまして。残念ながら、ここまで数回のコメントを差し上げましたが、ここにきてWikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められるの解釈を二元論化してみたり、鹿島アントラーズのアカデミーノート / 履歴 / ログ / リンク元でのやりとりの結末を「Bsx が自ら(=j8takagi さん)の指摘を受け入れたもの」と都合良く解してみたり(決してそうではないことは、当該議論の最終盤でのやりとりと、最終盤の議論を行っていた2017年1月20日頃から一週間の間の編集履歴を読み返して頂ければよくわかると思います)、残念ながら j8takagi さんは(悪い意味で)ご自身のスタンスが第三者の意見に依らず揺るぎないものである、との立場を表明しておいでのように映ります。こうなってしまいますと、私もそろそろ投稿ブロック依頼での最終的な判断を下さざるを得ないように思います。--Bsx会話2018年4月27日 (金) 10:03 (UTC)[返信]
コメント とりあえず、前回の私のコメント後のやり取りをざっと読みましたが―― 正直なんでこうなったと言わざるを得ません。
中間まとめで、私とAshtray氏で、サカスタなどの出典を然るべきところでj8takagi氏が提起すれば問題ないという話になったのに、その直後のj8takagi氏のコメントが、なんで「詭弁論理学を読みました」で、二分法や魔女狩りを長々と言って論争相手を批難されたのか、まったく理解できません。
中間まとめではっきりと述べているように、サカスタ等の出典問題に関しては、J8takagi氏が然るべき場所で提起者とならければならないです。私が、当初、このコメント依頼を、それこそ詭弁論理学などを引いて批判したのは、J8takagi氏が然るべき場所で議論提起して解決すべき問題が、別の問題と一緒くたにされたり、始めから看過できない問題行為(悪)として、そうした適切な主張の場や機会を与えていなかったことです。それをAshtray氏がフォーラム・ショッピング扱いせず、柔軟に対応いたしましょうとまで言ってくださったのに、何で条件闘争もどきを始めるのか、よくわからない。三大方針の例外規定を適用するという話は、厳しい立場から始まるのが自明で、それを始めから自分が不利だから、その不利が解消されなければ議論提起しないというような主張が認められるわけないでしょう。勝算がないと思ってるなら、諦めるしかないんですよ。
前回述べた通り、どんな理由をつけようとも公論化する気がないなら「根拠に一理あっても、方針の曖昧な部分、例外的な部分に準拠していることに違いはなく、それがトラブルの原因になっている場合に、公論化することを避けて(曖昧なままにして)自分が望むことを達成しようとするのは、これは問題行為という他ありません」であって、再度のブロック依頼が出されてしまったことも仕方がないと思います。--EULE会話2018年4月27日 (金) 19:05 (UTC)[返信]

コメント結局のところ被依頼者は「書きたいことファースト」という印象です。まず自分が書きたい事や書かれたくない事がある。その後に出典、方針を持ってくるんですよ。だから発言に一貫性が無い。議論の題材が変わり立場が変われば、全く別の解釈で議論に臨む。この態度にBsxさんなどは相当苦労されている様子が伺えます。 そして説得力が無い。Ashtrayさんも指摘されていましたが「〜〜すべき」と盛んに言いながら「なぜ〜〜すべきなのか」という論理的な説明ができない。それから個人的に気になるのは、議論が煮詰まった頃に必ずおやりになる法律家ごっこです。これやられちゃうと議論にならなくなるんですよ。

まとめますが、ようするにJ8takagiさんは普段から膨大な文字数を費やしながらも、ほとんど議論らしい議論を他者としていないんですよ。議論の生産性が限りなく0に近い。このコメント依頼が最もいい例です。長々と書かれていますが、第三者からの肝心な指摘に一切答えていないですよね。被依頼者との意味のあるやり取りって1つでもありました?コメント依頼は多くの第三者が集まっているからまだいいけれど、記事ノートでの議論はたいていの場合1vs1。議論相手が可哀想です。

正直に申し上げて、限りなく無期限ブロックに気持ちが傾いています。もうコミュニティから不当に弾圧される魔女になりきり、現実逃避するのはやめてください。批判と向き合ってください。--むよむよ会話2018年4月28日 (土) 03:54 (UTC)[返信]

コメントWikipedia:投稿ブロック依頼/J8takagi 20180424を見ていて、これまで大きなトラブルは無かったようであるというのが不思議。そう思って見ると、被依頼者は、10年前に管理者に立候補し、当選はしなかったものの過半数を大きく超える賛成票を得ています(Wikipedia:管理者への立候補/j8takagi 20080518)。ただ、少ない反対票の中に、被依頼者の姿勢について、それも検証可能性に関することへの懸念があります。こうしたことから、なぜ、長年にわたって大きく問題視されなかったのか、ということが不思議です。被依頼者だけの問題にとどまらない、出すべき「膿」が結構深いのかな、と思います。サッカー関係の分野の自浄力に問題があることが示されているということにも目を向けるべきでは。--126.246.171.232 2018年4月29日 (日) 00:43 (UTC)[返信]

中間まとめ

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報告 2018年3月4日に提出されました "Wikipedia:投稿ブロック依頼/J8takagi" は、管理者利用者:ぱたごん会話 / 投稿記録 / 記録氏により「ブロック見送り」としてクローズされました。
以下にブロック依頼の票をカウントしてみます。票に見落としなどございましたら、適時修正願います。

  • 賛成(無期限)
  1. 利用者:Aiwokusai会話 / 投稿記録 / 記録
  2. 利用者:Fusianasan1350会話 / 投稿記録 / 記録
  3. 利用者:Abesato会話 / 投稿記録 / 記録
  4. 利用者:Ohtani tanya会話 / 投稿記録 / 記録
  5. 利用者:座頭の雷蔵会話 / 投稿記録 / 記録
  6. 利用者:Bbcs会話 / 投稿記録 / 記録
  • 賛成(1ヵ月)
  1. 利用者:Hanabishi会話 / 投稿記録 / 記録
  • 反対
  1. 利用者:JapaneseA会話 / 投稿記録 / 記録
  2. 利用者:守り人会話 / 投稿記録 / 記録
  3. 利用者:ペットボトル伍長会話 / 投稿記録 / 記録
  4. 利用者:禮旺会話 / 投稿記録 / 記録
  5. 利用者:EULE会話 / 投稿記録 / 記録
  6. 利用者:Bsx会話 / 投稿記録 / 記録
  • 条件付反対
  1. 利用者:プログラマリオ会話 / 投稿記録 / 記録

約1ヶ月の長期審議を経て、上記のように賛否が拮抗した状態でしたので、管理者の判断は妥当な所だったと思います。--Ashtray (talk) 2018年4月1日 (日) 04:03 (UTC)[返信]

コメント ただし、管理者ぱたごん氏により、"利用者‐会話:J8takagi#お知らせ" へ以下のようなコメントがなされました。
「反対意見はJ8takagiさんの行動にまったく問題なしといっているのではなく、ブロック依頼に及ぶ段取りについての異議によるものがありました。」 (一部抜粋)[13]

確かに反対票を投じた諸氏の意見を拝見しますに、ブロック依頼に至る経緯・段取りに対する異議が多いようです。以下、ブロック依頼からの抜粋です。

  • 「匿名の個人サイトなど使用できるわけもないので、他の信頼できる第3者によるブロック依頼が出され、かつコメント依頼での私のコメントに一定期間以上返事がないようであれば、賛成票を入れます。」(JapaneseA氏)
  • 「J8takagiさんの場合はもっとコメント依頼で議論を深めるべきです。」(守り人氏)
  • 「わざわざコメント依頼で提起しておきながら、ブロック依頼を即座に提出するのは論理的に破綻」(ペットボトル伍長氏)
  • 「現行提出されているコメント依頼の結果を以て最終的なブロック依頼を提出すべき」(禮旺氏)
  • 「被依頼者との論争以前にここで論争が発生しており、現時点ですぐに賛成、反対の票を判断できる状況ではない」(プログラマリオ氏)
  • 「Wikipedia:合意形成・Wikipedia:論争の解決・ウィキペディアは戦場ではありません」(EULE氏)
  • 「前段の議論が尽くされていない状況」(Bsx氏)

--Ashtray (talk) 2018年4月1日 (日) 04:27 (UTC)[返信]

コメント さて、今後のことは如何いたしましょうか。「南京」「朝日新聞」のような議論姿勢については様子見でも良いと思います。しかし、「サッカー」のような出典問題は現在進行形です。J8takagi氏は現在も、【Foot Boy Asian】【サカスタU-18】の出典利用について反省や否定・撤回されておりません。

選択肢は(1)このコメント依頼にて継続審議。(2)Abesato氏以外の方が別途、コメント依頼を再提出。(3)議論終了・解散。皆さま、ご意見願います。--Ashtray (talk) 2018年4月1日 (日) 04:52 (UTC)[返信]

コメント iwaimさん、こんばんは。ご意見ありがとうございます。そうですね、私も(1)がよいと思います。
ただ、誰が依頼を出したかに拘る方もいるでしょうし、念のため1週間待っての「議論場所の合意」から始めたいと思います。気の長い話ですが、今しばらくお付き合い願います。--Ashtray (talk) 2018年4月2日 (月) 15:10 (UTC)[返信]
コメント わかりましたー。ただ、本コメント依頼や投稿ブロック依頼を読んでj8takagiさんから何らかの意思表明があれば、コメント依頼を続ける必要はなくなる気はします。--iwaim会話2018年4月2日 (月) 15:35 (UTC)[返信]
コメント 正直、私も色々と辛い立場にありまして、j8takagiさんが早々に折れて、反省の弁と改善の約束をしてくださるのが最良なのですが・・・。現時点での "#被依頼者のコメント" を読む限り、あまり期待できないのかもしれません。もし、議論を経てもなお今のままであれば、「是非もなし」ですね。--Ashtray (talk) 2018年4月3日 (火) 14:43 (UTC)[返信]

コメント 利用者:j8takagi会話 / 投稿記録さんの会話ページで利用者:ぱたごん会話 / 投稿記録さんが指摘している通り、ブロック見送りとなったのは、j8takagiさんの言動に問題が無かったと判断されたからではありません。j8takagiさんはぱたごんの指摘に「お知らせ、ありがとうございます。」としか反応しておらず、本当にこのコメント依頼やブロック依頼で指摘されたことを理解しているのか疑問です。--座頭の雷蔵会話) 2018年4月4日 (水) 00:23 (UTC)修正--座頭の雷蔵会話2018年4月4日 (水) 01:52 (UTC)[返信]

コメント 基本は(1)路線で(ただ、論点整理を行い仕切り直すという意味で(2)もなくない)、ただし、出典問題に関しては、検証可能性か井戸端のノートなりでやるべき話題だと私は思います(別にサカスタに限らず、またどういう結果になろうとも、私が挙げた映画データベースの話や、英語版のビデオゲーム分野の話のように、本来は信頼できない情報源をどう扱うかを一度公論化しておくことは悪くないと思います)。あとはj8takagi氏の議論展開次第。--EULE会話2018年4月4日 (水) 12:45 (UTC)[返信]

コメント EULEさんへ。ご意見ありがとうございます。今のところは(1)でよさそうですね。もし、(2)で無ければ絶対駄目という御仁が現れた場合は、その方に任せたいとは思いますし。
ところで、後半の「ただし、出典問題に関しては、・・・」 以下についてご確認させてください。それは、(a)出典問題は検証可能性か井戸端のノート等で並行して議論する。(b)出典問題はノート等へ完全に切り離して今コメント依頼では触れない、のいずれを想定していますでしょうか。(a)(b)いずれの場合も、j8takagi氏自身が議論に参加しない限り、それはあまり意味がない気がしますが。--Ashtray (talk) 2018年4月4日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
コメント Ashtray氏へ 想定としては(b)です。そして、「j8takagi氏自身が議論に参加しない限り、それはあまり意味がない気がしますが」という意見については「あとはj8takagi氏の議論展開次第」と述べているように、私もそう思いますし、特に出典問題はj8takagi氏自身が提起者にならなければダメでしょう(逆に言えば、出典問題を然るべきところで本人が提起する以上、同内容を並行してここで議論(a)はしない方が良いということでもあります)。仮にですが、もしj8takagi氏が「提起したくない」という場合には、今後、三大方針やその他の特に重要な方針全般に関して、たとえその翻訳者であろうと、その例外的な規定の部分を根拠に活動しないと確約するくらいのことをしなければならないと思います。根拠に一理あっても、方針の曖昧な部分、例外的な部分に準拠していることに違いはなく、それがトラブルの原因になっている場合に、公論化することを避けて(曖昧なままにして)自分が望むことを達成しようとするのは、これは問題行為という他ありません。
(追伸)いささか身の回りが忙しく次にコメントできるのは20日以降になると思いますがご容赦ください。--EULE会話2018年4月4日 (水) 14:54 (UTC)[返信]
コメント ご多忙の中ありがとうございます。そうですね、j8takagi氏が率先して動いた場合に限り、(b)は(完全ではないにしろ)可能だと思います。現時点で我々が合意できるとすれば、(b-1)「j8takagi氏が別場所で出典問題を提起しても、フォーラム・ショッピング扱いはしない」という所でしょうか。--Ashtray (talk) 2018年4月4日 (水) 15:12 (UTC)[返信]

チェック 4月1日の提議より、1週間以上が経過いたしました。よって「(1)このコメント依頼にて継続審議。」で合意が成りましたことをご報告いたします。引き続きこの場で審議するとともに、以降は「今コメント依頼を誰が出したか」あるいは「いつ出したか」といった話題はナシでお願いします。また、EULEさんご提案のとおり、j8takagi氏が別途議論提起した際は柔軟に対応いたしましょう。--Ashtray (talk) 2018年4月9日 (月) 13:52 (UTC)[返信]

まとめ

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報告 2018年4月23日に提出した "Wikipedia:投稿ブロック依頼/J8takagi 20180424" は、管理者ぱたごん氏により「無期限ブロック」でクローズされました。会話ページは塞がない、とのことです。--Ashtray (talk) 2018年5月2日 (水) 08:38 (UTC)[返信]

コメント この「まとめ」節ですが、私Ashtrayは現段階では中立の立場にはおりませんので、申し訳ございませんが他の第三者にお任せしたいと思います。また、何方からも取りまとめ予定なく、かつ、コメント依頼継続の申し出がない場合は、1週間後をもって依頼終結としたいと思います。--Ashtray (talk) 2018年5月2日 (水) 08:47 (UTC)[返信]