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Wikipedia:コメント依頼/rxy

rxyさんによる投稿ブロックSpecial:Redirect/logid/3687467およびその後の対応がWikipediaのルールに則った適切なものかどうか、コミュニティの皆さまにお諮りいたします。

経緯

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rxyさんはSpecial:Redirect/logid/3687467により、JapaneseAさんを「2017年9月13日 (水) 18:26」から「2017年9月20日 (水) 18:37」まで投稿ブロックしました。補足説明としてJapaneseAさんのノートで2017-09-13T18:37:09 の版があり、次の2点が指摘されています。

  1. Special:Diff/65487066はどう見てもSpecial:Diff/65267724で指摘された事項を無視しており、Wikipedia:常に要約欄に記入するに反する
  2. Special:Diff/65486601 の「こんな下らない事で会話ページに来ないで下さい。」という記載は必要でしたか

この補足説明1.のDiff/65267724はWikipedia:投稿ブロック依頼/JapaneseA_20170821の中での記載で、JapaneseAさんによる要約欄などの記載は虚偽であり、他の編集者の立場から迷惑な行為であったとしています。この投稿ブロック依頼は最終的にrxyさんによってブロック見送りとなったものの、〈「高圧的なコメント」と取りうるとみなされているコメントがあるとの指摘がありますので、改善なさってください〉とのrxyさんのコメントがありました。

投稿ブロックのあと、JapaneseAさんはノートにて、上記2.は「余計な一言でした。この点は気をつけます」と述べています。上記1.については、「常に要約欄に記入する」のガイドラインに反して要約欄での説明が不足していたことを反省する一方で、他の編集者にとって迷惑な行為だったか確認したいとしていました[1]。その後、他の編集者の立場からDiff/65487066の編集について、「感謝していた」「問題は感じませんでした」とのコメントがありました[2]

その後、rxyさんはこの編集にたいして「文言の除去や復旧に当たり、文章の前後関係については気に」していなかったという問題を指摘した上で、該当記事を修正編集して現在に至っています。JapaneseAさんはrxyさんの編集に対して感謝の意を述べ、受け入れる姿勢を示しています。

--j8takagi会話2017年9月18日 (月) 01:14 (UTC)[返信]

依頼者のコメント

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上記経緯節の補足説明1. は、投稿ブロックの理由として不適切だと考えます。Special:Diff/65487066は、他の編集者からの感謝のことばが示すとおり、迷惑行為ではありませんでした。すなわち、「Special:Diff/65487066はどう見てもSpecial:Diff/65267724で指摘された事項を無視して」いるというrxyさんの説明は不当だと考えます。JapaneseAさんの編集には、「文言の除去や復旧に当たり、文章の前後関係については気に」していないという問題はあったものの、こうした問題は投稿ブロックの理由にはなりません。また「常に要約欄に記入する」のガイドラインから暴言、いやがらせ(他の編集者に対する迷惑行為)以外の理由で投稿ブロックに値するような問題行動は読み取れないと考えます。

なお、先行する「Diff/65267724」について、別の編集者の方から(迷惑行為とするのは)「確認法を間違えた」結果であるとする指摘がされており[3]、迷惑行為だったという合意形成はできていない可能性もあわせて指摘します。

補足説明2.について、(ユーザー自身でなく発言内容に対する)理由を示した上での「下らない」という発言が、投稿ブロックするほどの暴言(高圧的なコメント)かどうか疑問に思います。発言に対して注意するコメントがあれば改善できる問題であり、投稿ブロックの理由とするには問題の過大視だと考えます。

このように、rxyさんが理由として説明している2点のうち、1点は不当、もう1点は問題の過大視だと考えます。そうした点を踏まえ、rxyさんの投稿ブロックがWikipediaのルールに則った適切なものかどうか、コミュニティの皆さまにお諮りいたします。

なお本件は、本コメント依頼作成開始時点でブロック期間が3日を切っていて残り僅かなこと、JapaneseAさんの関わる案件にはWikipedia:タッグチームに該当すると思われる編集者が出現して議論が混乱しがちなこと、今回はJapaneseAさんの行動ではなくrxyさんの行動や判断が問題の焦点だと考えることから、ブロック解除依頼ではなくコメント依頼の形にしました。

--j8takagi会話2017年9月18日 (月) 01:14 (UTC)[返信]

rxyさんのコメント

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Special:Diff/65532926(★) と Special:Diff/65535519 で既に同じ趣旨のことを2回も書いており、ここで書くと3回目になるのですが、私の判断基準は「方針やガイドライン違反が運用慣例等を考慮して違反に当たるか」「違反する場合は合理的な理由とコミュニティにとっての利益になりうるか」であって、「他者が迷惑と感じるか否か」ではありません。しかしながら依然として、本セクション冒頭に提示した版での対話を経ても本コメント依頼の #依頼者のコメント を見るに、依頼者たる j8takagi さんは「他者に迷惑か否か」を基準として判断され、方針やガイドライン違反をすべき合理的な理由があるかや、本件ブロック対象者の前歴を一切考慮していないと言わざるを得ません。

Special:Diff/65518157 の末尾に記載しましたが、「暴言または嫌がらせ」は〈Special:Diff/65486601 に関連し、Wikipedia:コメント依頼/JapaneseA 20160330 から Wikipedia:投稿ブロック依頼/JapaneseA 20170821 までで依然として一定数の利用者が JapaneseA さんのコメントを読んで「高圧的」と感じられる場面がある〉という点で長期にわたる継続と、同様行為の再発による負債の累積が認められると判断したものであって、単一事象を理由にしているわけではありません。本ページの初版たる 2017-09-18T01:14:55‎ の版 #依頼者のコメント で 『注意するコメントがあれば改善できる問題』と J8takagi さんは述べられておりますが、私は1年以上にわたっての継続しているものと判断して注意のみで改善される段階は既に過ぎたと判断し、即時ブロックを行いました。

また、本件ブロック対象者の要約記載方法については、本セクション冒頭に提示した Special:Diff/65532926(★)のとおり「迷惑行為か否か」ではなく、「コミュニティから指摘された事項」の改善がされていないことの補足理由となります。実態としては編集の取り消し、または過去版への差し戻しであるにも拘わらず、"rv" 等その旨を記載しないで「エラー修正」といった一見すると細部の編集であるかのような誤解を招く表現を継続して利用しており、編集理由は説明できていても編集内容である「過去版からの復旧」が説明できておらず、履歴管理上や相互監視上問題であると判断しました。なお、Wikipedia:常に要約欄に記入する を提示しているのは、当該ガイドラインの趣旨をよくご理解いただければ、本件ブロック対象者がコミュニティとの軋轢を生むことを低減できると期待したためです。

既に私と依頼者たる J8takagi さんのみの対話では、考え方の違いなどから二者間での認識齟齬解消につながらないことと思いましたので、利用者‐会話:JapaneseA の 2017-09-17T11:24:26 版にて対話の終了と、コミュニティの判断を仰ぐことを提案しました。本件では私の説明に至らぬ点などがあり、このような形でコミュニティの皆様にご負担をおかけいたしますこと、お詫び申し上げます。お手数をおかけいたしますが、忌憚のないご意見をお寄せいただけますと幸いです。--rxy会話2017年9月18日 (月) 12:23 (UTC)[返信]

コメント

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コメント rxyさんの行動に瑕疵はありません。そもそも依頼者は、方針やガイドラインの表面上の字句・字義のみにとらわれすぎていて、その背景にある思想や趣旨に考えが及んでいないようです。その結果以前より様々なところで法律家ごっこじみた不毛ともいえる議論を繰り返しており、現在でも「Wikipedia‐ノート:編集方針」において反対多数の中、細かい文言の修正に一人こだわり続けています。百科事典の質量の向上に何ら資さない、本コメント依頼の早期終了を提案します。--Xx kyousuke xx会話2017年9月18日 (月) 01:55 (UTC)[返信]

返信 主張自体に具体的に反論するのではなく、それを主張した人の個性や信念を問題にする、いわば、依頼者に対する人身攻撃ありきということでしょうか。--j8takagi会話2017年9月18日 (月) 08:52 (UTC)[返信]
(返信)上記のコメントについてですが、私には、依頼者であるあなたの個性や信念ではなく、行動を問題としているコメントと読めますし、その内容も真っ当なものと感じます。Personal Attack 本来の意味とはかけ離れた、行動に対する真っ当な批判を個人攻撃呼ばわりして抑えつけようと試みるのは、それこそルールの悪用というものです。Yassie会話2017年9月18日 (月) 12:06 (UTC)[返信]
返信 Xx kyousuke xxさんのコメントには私の今回の主張自体に対しての言及はありません。一方で、「「Wikipedia‐ノート:編集方針」において反対多数の中、細かい文言の修正に一人こだわり続けてい」るという別件上での信念・行動パターン(=個性)が言及されています。この2点から、「主張自体に具体的に反論するのではなく、それを主張した人の個性や信念を問題に」していると判断しました。また私は、Wikipedia:個人攻撃はしないについては言及していません。標準名前空間の人身攻撃にのみ言及しています。なお、Wikipedia上で他人の行動を咎めるのならば、方針やガイドラインの字句や字義にこだわるのは当然のことだと私は考えます。--j8takagi会話2017年9月18日 (月) 14:18 (UTC)[返信]
「「「Wikipedia‐ノート:編集方針」において反対多数の中、細かい文言の修正に一人こだわり続けている」というのはあなたの信念や個性についてではなく、行動に対する言及であると、私には見えます。故に Focus on Behavior (行動に着目せよ)の大原則に則った指摘であり、個人攻撃・人身攻撃の類にはあたらないと判断します。また、後半部分の「Wikipedia上で他人の行動を咎めるのならば、方針やガイドラインの字句や字義にこだわるのは当然」と仰るのは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用にて、その一例として挙げられている「法律家ごっこ」、その解説文にある「方針の精神を無視して方針の表面上の字面だけを厳密に追っていき、自分勝手な議論や解釈をすること」にそのまま該当するものであり、こちらのほうが看過できません。Yassie会話2017年9月18日 (月) 15:18 (UTC)[返信]
一般論に於いて管理人氏に明白な瑕疵が無い限りその決定は尊重されるべきです。私も本コメント依頼の早期終了を提案します。--ゴロンゴ会話2017年9月18日 (月) 08:35 (UTC)[返信]
返信 一般論としては私は管理者の方たちによる日頃の行動を信頼し、尊重しています。今回は例外的に瑕疵があったと考えています。--j8takagi会話2017年9月18日 (月) 08:52 (UTC)[返信]
返信 依頼者コメント末尾に書いた3点の理由により、解除依頼ではなくコメント依頼としました。--j8takagi会話2017年9月18日 (月) 09:38 (UTC)[返信]
(返信)その3点の理由ですが、いずれも理由になっていないと考えます。まず1点目についてですが、ブロック期間満了まであと5時間という時点で解除依頼を提出し、解除されたという例があります。故に「ブロック期間が3日を切っていて残り僅か」なので解除依頼を出さないという理由は失当です。2点目については、そもそもミートパペット行為が未だに野放しにされていることが問題であり、ブロック解除依頼そのものの問題ではありません。3点目については、前述の解除依頼によるブロック解除後、当該管理者へのコメント依頼を経て、解任動議も満場一致で解任という結果に至っています。つまり、管理者の行動や判断の正当性を問うこととブロック解除依頼提出は両立できる行動であり、ブロック解除依頼を出さない理由にはなりません。Yassie会話2017年9月18日 (月) 12:06 (UTC)[返信]
返信 逆に、コメント依頼のほうがよかった理由はあるのでしょうか?私としては、依頼者の行動が議題になるのならば、ブロック対象者であるJapaneseAさんに迷惑が及びにくい分だけ、コメント依頼を選んでよかったと思っています。--j8takagi会話2017年9月18日 (月) 14:18 (UTC)[返信]

(コメント)静観しているつもりでいましたが、依頼者が寄せられたコメントに逐一、筋の通らない反論をしている行動を目の当たりにして気が変わりました。依頼者はWikipedia‐ノート:編集方針#「記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに」節の修正提案においても、本コメント依頼においても、いつまでも「納得」しない行動が見られています。1ヶ所だけならばまだしも、立て続けにです。このことから、むしろ依頼者が自分の行動に対するコメント依頼を提出したほうが、建設的な議論ができるのではないかと考えます。

なお、本コメント依頼本来の議題にお答えしておきますと、私の目には、被依頼者の今回のブロックは正当なものに見えます。JapaneseA氏の直近の行動を鑑みれば、甘すぎるとさえ思うくらいです。Yassie会話2017年9月18日 (月) 12:06 (UTC)[返信]

  • コメント - 要約欄云々は別に一度や二度、わりとどうでも良い事ですっぽかしても何ら問題は無いものであり、余程の事が無い限り管理者裁量による即時ブロックの理由にはなりません。単体では。しかし理由の一つとしてなら成立します。Yassie氏のご指摘の通り被ブロック者の当時の行動は目に余るものがあり、いつ誰が「クールダウン」事由のブロックをかけてもおかしくない状態であったことは明らかと考えます(ブロックが実行された夜がもっともまずい状態であったようです。私なら翌日も継続するなら7日ブロック、および2-4週間への延長依頼で考えるでしょうか)。よって被依頼者に瑕疵があるものではないとの結論に至ります。なお当方は意見陳述のみのつもりであり、反論は固くご辞退申し上げます。--Hman会話2017年9月18日 (月) 12:20 (UTC)[返信]
    • wikipediaのシステムで管理人氏は安全装置として機能していると思います。これを認めるとシステムの一部が安全装置を破壊することを認めるようなものです。rxy氏の決定に明白な瑕疵はないと思います。皆様がwikipediaを大切に思うなら管理人氏の決定に敬意をはらうべきです--ゴロンゴ会話2017年9月18日 (月) 13:11 (UTC)[返信]
      • 後半についてのみ一応書いておきますが、「管理者だから」というのは免罪符にもなりませんし、そういう理由で「敬意を払う」必要はありません。コミュニティは管理者を任免・監視・監督します。管理者間も相互監視をします。各人は各人に対して敬意を払い、相互に尊重しあって「質・量ともに史上最大の百科事典」を目指すプロジェクトです。このプロジェクト目的に反する、または不利益をもたらす行動であれば、管理者であろうが、財団の重役であろうが、属性に関係なく居場所を失います(ドイツ語版でやらかした財団のとある元最高技術責任者を思い出しつつ…)。--rxy会話2017年9月18日 (月) 13:26 (UTC)[返信]
      • (コメント)ゴロンゴ様へ。Wikipedia:管理者#一般の参加者とどう違うのかを熟読してください。Yassie会話2017年9月18日 (月) 13:44 (UTC)[返信]
      • 私まで書くのも気が引けるのですが・・・ほとんどの管理者は恐らくは編集・システム・方針等の熟達者であり、その話を聞いてみる事や、一目置いてみる事は有益と思いますが、基本的にそれだけです。ただ、「こいつなら大丈夫だろう」と言う比較的経験のある中立性の高そうな利用者が、削除やブロックのボタンを押す等の権限を持つだけです(利用者全員に解放する訳にはいかないのは明白です)。一時期は私も管理者に名を連ねていた位で、本当にその程度です。一番申し上げたかったのは「管理人」ではなく「管理者」であると言う点なんですが。ただの係のひとつであり、jawpを取り仕切っている訳ではないのですよ。管理者同士でケンカしたりもしますし、管理者だってやらかしはありますから、ツッコまれるのは珍しい事でもなしです。なんなら解任された管理者だってごまんといます。--Hman会話2017年9月18日 (月) 14:05 (UTC)[返信]
  • コメント rxyさんの対処・対応はルールに則った適切なものであると判断します。j8takagiさんの仰る点だけではブロックとまではいかないかもしれませんが、これまでのJapaneseAさんの履歴を精査した上で総合的に判断した結果であり、これは適切な対処です。--切干大根会話2017年9月18日 (月) 14:57 (UTC)[返信]

コメント へのいちと申します。 今回の対処が妥当だったかどうかについては詳しい方にお任せしますが、rxyさんが「私の判断基準は...」と何度も仰っているあたり、 ご自身の判断基準にこだわりすぎているように見えて心配になります。 ウィキペディアの管理者というのは“ボタン押し係”といわれることもあるように、 ご自身の判断基準はさて置き、ウィキペディア参加者全体の判断基準に従う姿勢が求められるものだと思います。 私の他にも懸念を持たれる方がいたようで、1年以上前のことになりますが、 rxyさんがオーバーサイトへ立候補した際に海獺さんが指摘なさっていました。 管理者となる方には、ご自身の判断基準を大切にするのと同じくらい、 他の参加者の判断基準にも耳を傾け、汲み取ろうという姿勢を持っていただけると良いのじゃないかと思います。

それとは別に、本コメント依頼の早期終了を提案なさった方が複数いらっしゃいます。コメントするに値しないと思う人が居ても良いですが、コメントを求める人とコメントを出そうと思う人がいたときに、その間に割って入ってコメント依頼自体を終わらせようというのはなぜでしょう。本当にコメントするに値しないようなコメント依頼であれば、放っておいてもコメントは集まらずに終息するでしょうから、放っておけばよいのじゃないかなと思います。--へのいち会話2017年9月18日 (月) 17:52 (UTC)[返信]

rxy氏ほど長ければ、その辺りは当然ご承知のはずですよ。その上で、管理者はやはり、「何故こういった権限行使をしたのか」と問われれば、通常、「これこれこういう理由だった」と言うことを説明するいわゆる説明責任があります(ある程度説明さえすればそれで済みますし、説明以上の責任は特にありません)。このため、説明の中で「私の判断基準はこのようなものであった」と述べられる事に特に違和感はありません。その判断基準が、コミュニティのそれなりの熟練者たちが持つそれと大きく乖離していなければ良いのです(はっきり申し上げますと、初心者やライトユーザーもしくは一部の難儀な利用者はそのあたりは何もわかっていない訳ですから、そちらに合わせる必要はありません。合わせようとすると最早何をやっているのかわからなくなります)。あまりにも乖離しているが改めない、もしくは説明を行わない管理者については、解任が検討されることでしょう。本件についてはそういった意味合いを持つ物ではないと解釈します。--Hman会話2017年9月18日 (月) 19:39 (UTC)[返信]
へのいちです。
Hmanさんの仰ることはどれももっともなことで、私も同感です。ただ、上で私が『rxyさんが「私の判断基準は...」と何度も仰っているあたり』と書いたように、私が心配していたのはrxyさんの頑(かたく)なな態度を感じたためです。もしもHmanさんの仰るように 求めに応じて判断の内容を説明した というだけのことであったならば さほど心配はしなかったと思いますが、今回の対応を見る限り そのようには感じられませんでした。
求めに応じて判断の内容を説明するとしたら、私なら、私はこう考えて対処しました。いかがでしょうかという物言いになりそうです。私の判断基準はこうです。これに疑問を持つこの依頼者は考慮がたりないと言わざるを得ませんというようなのはちょっとどうかな、と思うのです。
と、このようなことを書くと、言葉尻をとらえて難癖をつけていると受け取られそうな気もしてきました。そんなつもりではないので、意を酌んでいただければさいわいです。どちらさまも、ウィキペディアでの日頃よりのご活躍、お疲れさまです。--へのいち会話) 2017年9月19日 (火) 09:30 (UTC)(そのままの引用と誤解されないように二か所の鍵括弧を太字強調に変更--へのいち会話) 2017年9月21日 (木) 19:40 (UTC))(さらに、意図とは異なる印象を与えそうなところを訂正--へのいち会話2017年9月22日 (金) 16:21 (UTC)[返信]
私などは一定の説明を行った後は、「あとはコメント依頼や井戸端等でお願いします」としていたと思います。他にも仕事は山積していましたので。まあ、問題が有れば他の管理者や利用者がツッコんでくれるので、管理者各位はある意味安心して業務に当たれるわけです。もしrxy氏が頑なだとご自認されれば、少々スカポンタンになってみると言うのも手ではございますが、これは単に個々の性格でございますから。まあ、私も「お堅い性格なのかな?」とは何となくは思っておりますが、それにしても、rxy氏が良くて他の管理者がおしなべて悪い訳でも、その逆でも、ないと思いますよ。--Hman会話2017年9月19日 (火) 10:13 (UTC)[返信]
へのいちです。
えーっと。ご返信いただきましたが、「もしrxy氏が頑なだと...」の一文がよくわからず困惑しています。確認させていただきたいのですが、“自認”ということは、この“自認する”の主語はrxyさんなのですよね? つまり、「いわれてみれば、確かに自分はちょっと頑なになっていたかもな」とrxyさんが思い直すという。続く「スカポンタンになってみる」における、“なってみる”の主語は誰でしょう。だれがスカポンタンになるのでしょう。また、“スカポンタン”というのは、“まぬけ”とか“ドジ”とかいう意味でよいのでしょうか? それで、「なってみると言うのも手」の“手”というのは“何らかの目的に資する手段”という意味だと思いますが、誰のどんな目的についての話をされているのか、このあたりもよくわかりませんでした。
それとも、“自認”という言葉が違っていて、「rxyさんが頑なだと へのいち が感じるのなら」という意図でしたでしょうか? そうすると、スカポンタンになるというのは、へのいちがスカポンタンになってみることが、なにか へのいちの目的に資することになるというアドバイスなのでしょうか? やっぱりよくわかりません。
もろもろ考えても、私とHmanさんのこのやり取りは、どこか噛み合っていないようには感じています。--へのいち会話2017年9月20日 (水) 10:37 (UTC)[返信]
これはどうも、不明瞭な文章であった様で大変失礼致しました。「スカポンタンになってみる」の主語はrxy氏であり、言い直すなら、「もしrxy氏が自分を頑なすぎると評価されるならば、少しアホになってみるのも一つの手段ではないかと思います。」と言った感じになるでしょうか。へのいち氏へ向けたコメントと言うより、rxy氏へ向けたコメントだった訳です。お手数をおかけ致しました。--Hman会話2017年9月20日 (水) 11:39 (UTC)[返信]
へのいちです。
早速ご回答いただきありがとうございます。なるほど、あの一文はrxyさんへ向けたコメントとのこと、了解しました。“手段”というのは、「自分はそんなつもりもないけどついつい頑なになっちゃうんだよな。もう少し肩の力を抜いてやりたいけど、ついつい力が入っちゃう。どうしたもんかな」とrxyさんが考えたとしたときに、力を抜くためにrxyさんがとり得る有効な手段だ というような意図だったのですね。
ですが、私が清水の舞台から飛び降りるような気持ちで吐露した「噛み合っていない」というところには一切触れていただけず、拍子抜けしています。そんな失礼なことを言う へのいち に対して、Hmanさんがまったく取り合わないということはどういうことでしょう。コメント依頼に応じてなされた私の最初のコメントに対して、直接関係のないと思われるHmanさんがお寄せになったコメントから続くこのやり取りを 私は噛み合っていないと感じています。私のコメントを明後日の方向に誘導して無効化しようというような意図でもおありでしょうか。もしもそうなら、私が「噛み合っていない」といったことにHmanさんが取り合わないことで、このあまり意味のないやり取りのなかに私の初めのコメントもからめとることができそうですから、納得できます。そういう意図でないのであれば、へのいちに対して、「どのあたりを噛み合っていない思うのか?」と聞き返してくれてもよさそうなものではないでしょうか。--へのいち会話) 2017年9月20日 (水) 12:30 (UTC)(脱字を1文字補填--へのいち会話2017年9月21日 (木) 19:40 (UTC)[返信]
えーその・・・考えすぎです・・・・・・。その辺りは単に、Hmanと言うアカウントの中の人はあまり重要視していない、確たる考えが無い、中立である、よくわからない、などの可能性を考慮して頂けると良いかと思います。あるコメント依頼で10の問題が提示された時に、10全てに見解を述べる必要は無く(向き不向きもございます)、コメントしたい・すべきだと考えた1なり2なりの問題のみにコメントを行う行為は、これは別に問題とされないと考えます。これ以上は被依頼者であるrxy氏のお話からあまりにかけ離れた脱線となりますので、どうかご容赦頂きたく存じます。その様な事はどうも好みません。--Hman会話2017年9月20日 (水) 12:36 (UTC)[返信]
へのいちです。
ご回答ありがとうございます。私の勘繰りは当たっていなかったと了解しました。言葉が過ぎたこと、申しわけありません。
ここまでお付き合いいただき ありがとうございました。最後に一つだけ。10の問題のうちの1つのみを取り上げてコメントする場合、「(10のうち)この点については問題ないですよ」などと言及すればわかりやすいかと思います。今回Hmanさんがなさったように、「それは問題ないですよ」といったら、10の問題を一絡げにして すべてが問題ないと印象付けることになると思います。指示代名詞の使い分けで印象がかなり変わりますよね。それでは、今後とものご活躍を。--へのいち会話2017年9月20日 (水) 13:24 (UTC)[返信]
返信 (2017-09-18T17:53:08 の版(○)2017-09-19T09:30:50 の版(△)宛) 私が「判断基準」云々と書いてあるのは、本件ブロックで J8takagi さんが私のブロック基準を「他者への迷惑行為」であると誤解されていることに対する否定回答としてのものです。ここでへのいちさんの提案されている判断基準の説明を他者に仰ぐような文言である「どうでしょうか」や「如何でしょうか」を利用することは私はできないと考えます。なぜならば、それをしているということは、判断時点において既に判断に迷いがあって、それをコミュニティに対して事前、または事後にかかわらずそれを諮ることなく独断で実行していることになり、これはコミュニティに対する背信行為に当たると考えます。また、『「私の判断基準はこうです。これに疑問を持つ依頼者は考慮がたりないと言わざるを得ません」』(2017-09-19T09:30:50 の版 △ より)といった趣旨を私は一言も書いておりません。「本件ブロック対象者の前歴を一切考慮していないと言わざるを得ません」と書いているのです。ご自身にとって都合のいい部分のみを抜き出し、引用符を用いてまるで私の発言であるかと誤解されかねない表記方法に対して、強い不快感とへのいちさんの活動に対する懸念を表明します。なお、『ウィキペディア参加者全体の判断基準に従う姿勢が求められるものだと思います』の後に『他の参加者の判断基準にも耳を傾け、汲み取ろうという姿勢』(前述 2 つの引用は 2017-09-18T17:53:08 の版 ○ より)と記載されておきながら、私から J8takagi さんへの最初の返信たる Special:Diff/65532926 ★ で「不当なブロックとお考えであるならば、本件ブロックの解除依頼や、私に対するコメント依頼、管理者の解任動議等をコミュニティの健全な発展のため、提起していただくことをお勧めいたします。」と私は記載し、コミュニティの判断を仰ぐことを勧めている点を全く考慮されていないか、一連の経緯を読まずにコメントしているような印象を私は受けました。方針やガイドライン、運用慣例に反する発言を行っている可能性がある単一人物との対話状態で単一人物の意見を聞き入れることを強要なさっているように受け取れる記載になっております。この発言に私は前後文脈の矛盾を感じます。私はコミュニティの決定や助言、または自分が合理的であると判断した意見については従いますが、そうでない単一意見にまで従うことを強制される謂れはありませんし、時に相反する二つの意見を同時に受けた場合、どちらかの意見をやむなく切り捨てざるを得なくなります。この点をお含みおきください。ところで、へのいちさんは主題に対しての回答を行っていないばかりか、オフトピックの事案についてご自身の主観的印象と主観的な判断に基づく表現手法を他者に対して強制しているように私は上記の Hman さんと へのいち さんとのやり取りを見て感じます(勿論、この感想は私の主観ですし、正直私も Hman さんの書き方が理解しづらいものだと思っていた点は否定しません)。そういった意図はないのかもしれませんが、私はそのように受け取ったこと、併せて記載しておきます。--rxy会話2017年9月21日 (木) 16:02 (UTC)[返信]
へのいちです。
rxyさんから直々に返信をいただけるとは思っていませんでした。ありがとうございます。ただ、この返信を見る限り、私の心配していたことはあまり伝わらなかったようですね。まあそれはさておき、rxyさんからのお返事の中に へのいち の見解を述べるべきところがあるようなので、以下に説明してみます。
  • 《私が「判断基準」云々と書いてあるのは、...これはコミュニティに対する背信行為に当たると考えます。》について。ここで仰っていることは、「いかがでしょうか」などと相手にゆだねることは管理者自身が妥当性を100%信じているわけではないことになるけれど、管理者がその対処の是非をコミュニティに諮ることをしていない状況で一参加者に対して対処の妥当性を説明する文脈だから、管理者自身が妥当性を100%信じていなければおかしい ということですね。なるほど、もっともです。ただ、「いかがでしょうか」というのを「私の対処は妥当でしたでしょうか」と妥当性の判断を相手にゆだねる言い回しだと受け取られたのですね。これは言葉が足りなかったようです。私は「いかがでしょうか」というのを「この説明でご不明な点はないでしょうか(あれば重ねて説明させていただきますよ)」というように会話のキャッチボールの言い回しのつもりで提示したのでした。いかがでしょうか。
  • 《また、『「私の判断基準はこうです。これに疑問を持つ依頼者は考慮がたりないと言わざるを得ません」』といった趣旨を私は一言も書いておりません。「本件ブロック対象者の前歴を一切考慮していないと言わざるを得ません」と書いているのです。ご自身にとって都合のいい部分のみを抜き出し、引用符を用いてまるで私の発言であるかと誤解されかねない表記方法に対して、強い不快感とへのいちさんの活動に対する懸念を表明します。》について。そのままの引用ではないのに引用符を使って誤解を与えたとすれば、本意ではありません。お詫びいたします。言い回しを例示したかっただけですから、語尾と骨格だけを残して要約したつもりで『「...」のようなの』と書いていて、そのままの引用ではないと明示したつもりでいました。そのままの引用ではないのですが、文の要素として例示部分を地の文と区別したかったので鍵括弧を用いたのでした。しかし確かに、そのままの引用のようにも見えますね。(引用に見えないように鍵括弧から太字強調に直しておきました。)ただ、要約したつもりなので、“といった趣旨を私は一言も書いておりません”と仰られるのには面食らっています。“本件ブロック対象者の前歴を一切考慮していない”の部分が長かったので、“考慮が足りない”と要約したつもりだったのですが、この二つは“趣旨を一言も書いていない”というほど差がありましたでしょうか。それとは別に、“ご自身にとって都合のいい”とか、“(へのいちの)活動に対する懸念”とか仰られるところを読むに、私がrxyさんと敵対しているように受け止められているような気がします。そんなつもりはないので、残念です。
  • 《私から J8takagi さんへの最初の...コミュニティの判断を仰ぐことを勧めている点を全く考慮されていないか、一連の経緯を読まずにコメントしているような印象を私は受けました。》について。読んでいました。コミュニティの判断を仰ぐ作業をJ8takagiさんに勧めていましたね。確かに、rxyさんの判断は正しくて、コミュニティに諮ったとしたところでrxyさんの判断を支持するという結論が出るのがわかりきっているのかもしれません。それでも、コミュニティの判断をはっきり出しておけば、疑問を持った人も納得してくれる可能性が高まるし、仮に納得しない人がいたとしても コミュニティの判断がはっきりしたあとであればそれ以上どうする必要もないということが傍目にも明らかになるわけです。これは私の感覚ですが、その人に説明はして それでもおかしいと思うのならコミュニティ諮ってください、というよりも、それではコミュニティに諮ってみますねといってコミュニティに説明する、というほうが説明責任を果たすにふさわしいように思うのです。rxyさんにもご賛同いただけると嬉しいのですが。とはいえこれは管理者の対処についての説明の話ですから、“単一人物の意見を聞き入れることを強要”と一般化されても当たらないかと思います。そのあとにも“そうでない単一意見にまで従うことを強制される謂れはありません”とありますが、強要や強制などするつもりはありませんでした。私の書いたコメントを読み返してみても、そのようなことをrxyさんに強要しているようなところは見当たらないと思うのですが、もしありましたら、ここがそうだとご指摘いただければと思います。
  • 《へのいちさんは主題に対しての回答を行っていないばかりか、オフトピックの事案についてご自身の主観的印象と主観的な判断に基づく表現手法を他者に対して強制しているように私は上記の Hman さんと へのいち さんとのやり取りを見て感じます》について。コメント依頼での主題というのは依頼者が主題として認識しているものということだと思います。多くの参加者のコメントを募ることで、当初主題として認識されていなかったけれどより本質的な論点に光が当たったりというようなこともないわけではないので、これは主題、これはオフトピック、という具合にあまりこだわり過ぎなくても良いのじゃないかと思います。そのあとの“主観的印象と主観的な判断に基づく表現手法を他者に対して強制している”というのは何を指しているのかよくわかりませんでした。
以上です。ご不快にさせた点がいくらかでも和らげばと思います。--へのいち会話2017年9月21日 (木) 19:40 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。意図について理解いたしました。1項目について、確かにご指摘の形式であれば、より誠実な対応のように見えますね。今後の参考とします。2項目については、私の判断基準に対して疑問を持たれるのは各人の自由なので好きになさればよいというのが私の考え方ですが、ブロックの妥当性を検討する際に依頼者は前歴や背後関係を考慮されていない、といったことをコミュニティの皆様へ伝える趣旨を意図していました。そちらの要約方法ではまるで〔私の判断基準に沿わないことを書いている依頼者は考慮が足りない〕と受け取られかねず、私が言論封殺を行おうとしているようにすら見えます。私が意図しているのは、コミュニティの慣行に則り、前歴や背後関係、経緯を考慮してほしいといった趣旨でした。3項目について、確かに私自身が追認依頼を出すという手も考えられました。しかし、上の方を読んでもらえればお察しいただけるものと思いますが、私がブロック実施時点で追認依頼を出した場合、8 割程度の確率で 1か月以上のブロックになる可能性が高いと見立てており、個人的には短期ブロックでの改善を促すことが目的であった以上、私が追認依頼を出すと自らの手で意図せぬ期間のブロックへ引き延ばされることが想像に難くない状況でした。信任を経た権限がなければ対応できない面については個人の私情を挟まずコミュニティの合意を粛々と処理しますが、そうでない面に関しては「一般利用者」として活動しますので、自分自身でなくとも追認依頼が出せる状況の中で出してしまうと、見立てでは追認依頼を出せば延長される可能性が高いとわかっていながら延長したくないのに出す、となってしまい、私の個人的な信条や考えに沿わない行動となり、自己矛盾を生じます。あまりに権限保有者に対して権限保有者としてのふるまい(いついかなる時にも私情を挟まないだとか、ミスをするなであるとか)を常に求められていると、それを求められる方はストレスもたまりますし、気がくるってきます。もちろん、自分自身に対して本件でのコメント依頼を出すこともできましたが、上での指摘もあるとおり現行慣例ではブロックの妥当性自体を審議する場合は投稿ブロック依頼となっており、それを知っておきながら自己信条を優先して運用慣例に反するコメント依頼を出すこともコミュニティに対して不誠実な対応と判断し、必要と思うなら任意の人が出せますよ、と書きました。私でなくても、権限保有者でなくともできることなら、必要と思う人が必要と思うときにやってもらいたいです。そうでないと、ストレスがものすごくたまってしまいますのでね。。。「強要」関連での意図については理解していますが、私にはそうとも読み取れましたよ、とアバウトに書いておきます。4項目については、そこで議論するだけの人にとってはオフトピックでも語り続ければいいのでしょうが、まとめる側としてはものすごく困るのです。Wikipedia:コメント依頼/Mirinano 20170624 でやられてしまったのですが、オフトピックを書くだけ書いてまとめる人のフォローをしない、ってのは無責任ですよね。私はオフトピックへ持っていかれてしまったコメント依頼のまとめ時は、オフトピックに持って行った人の責任であって、その部分に関しては私はまとめずに放置します。今回は私が対象者なので、私がまとめることはないはずなので気にすることでもないといえばそうなのですが。主観的印象云々はまあいいです。。疲れていたものと思って見なかったことにしてください。続けるとまとめる人も私も辛いので…。--rxy会話2017年9月21日 (木) 21:19 (UTC)[返信]
へのいちです。
丁寧に説明していただいて、ありがとうございました。全体的に よくわかりました。
2点目の、私がrxyさんの言葉を要約した部分が、rxyさんの本意とは違う印象を読む方に与えたかもしれない という点について。rxyさんとしては、本コメント依頼の依頼者が考慮していないと思われる点について説明しているところに主眼があったのに、へのいちはその説明部分をすっかり省く形で要約してしまいましたね。私としては物言いの硬さを例示するのに主眼を置いていたので、あのような形になったのでした。私が書いた要約は“これに疑問を持つ依頼者は考慮がたりないと言わざるを得ません”というものでしたが、これでは確かに、不特定の依頼者がたたrxyさんの説明に疑問を持つというだけでrxyさんがそれを退ける というように読めますね。不適切な要約ですみませんでした。あらためて要約し直すとすれば“この依頼者は考慮がたりないと言わざるを得ません”のようにすれば多少はましだったかと思いますので、直しておきます。
これまで真摯にお付き合いいただいて、最初に感じたような頑なな様子はほぼ感じなくなり、安心できました。--へのいち会話2017年9月22日 (金) 16:21 (UTC)[返信]
  • コメントこれまで寄せられた利用者の意見をまとめる。「この度のブロックは正当」「ブロックは正当であるし、直近のJapaneseA氏の行動を鑑みると甘すぎるぐらい」「ブロック時はヒートアップしすぎており、自らが管理者職にあれば同様にブロックおよび4週間の延長依頼を考える」とのこと。大半の利用者がrxy氏のブロックを追認するばかりか、足りないとすら言っている。rxy氏のブロックはJapaneseA氏のヒートアップを沈める最良の措置であり、コミュニティはもちろんJapaneseA氏自身をも守る結果となったのではないか。これ以上議論を続ける意味は無いだろう。
なお、依頼者とJapaneseA氏はノート:日本会議にてぽてから氏らと共闘し、それに対し感謝の意を表明[4]しておられるな。このような不可解で何ら百科事典の発展に寄与しないコメント依頼を依頼者が出したのは、JapaneseA氏との党派的行動そのものではないのか。同じ党派に属するJapaneseA氏を救うために管理者へのコメント依頼を出し、コミュニティに負担をかけたとなれば、依頼者にはそれなりの責を追わせるべきだろう。またJapaneseA氏については新たなブロック依頼を提出してもいいのではないかとも考えている。ともかくこのようなコメント依頼を長引かせて管理者およびコミュニティに負担をかけるべきではない。以上。--AllCutman会話2017年9月19日 (火) 03:19 (UTC)[返信]

「大半の利用者がrxy氏のブロックを追認するばかりか、足りない」というのは誤りで、明確にブロック期間が足りないと言っているのは1,2人であるかと思われます。さて、個人的にも今回のブロックは「違和感」を覚えた一人ですが、単純に考えれば諸々のタイミングや思考方向性が違うだけでそのあたりを勘定に入れると、また過去の経緯も鑑みた上で、という事であれば正当なブロックであるといえるでしょう。少なくともクールダウンとしてのブロックという簡単な一側面で考えると非常に有意であるだろうとは考えられます。少なくとも、被ブロック者が異議を唱えておらず、愆釁を認め粛々と自省すると仰っているのですから、それに対し外部から穿り回すというのは、いささか当人らに対し失礼では?と思ってしまいますが如何でしょうか。--禮旺会話2017年9月19日 (火) 04:42 (UTC)[返信]

被ブロック者が意義を唱えているから依頼者が乗っかり、このような事態になったのではないか。利用者‐会話:JapaneseA#ブロックしましたをもう一度熟読されたい。いずれにせよrxy氏の判断には何ら間違いがなかったという意見が圧倒的大多数である。結論は出ているであろう。JapaneseA氏にさらなる依頼提出が必要かどうかは、氏の会話かWikipedia:コメント依頼/JapaneseA_20170808にて。--AllCutman会話2017年9月19日 (火) 05:41 (UTC)[返信]
ブロック事由が当人からして一見よくわからなかったから「どういう事か」と問うたまでの話であって、その後の対話で本人も詳細を承知しているでしょう。それをそのように解釈されるのは聊か偏見があると捉えられますし、被ブロック者のせいでこのような事態(こんな無意味な堂々巡り)、と言うのは人身攻撃です。文面からも異議ではなく疑問と捉えるべきでしょう。また、rxy氏の判断は妥当であるという点に関しては否定をしていませんし、その結論も明瞭ですが、何をしてそこまで抗議されたいのでしょうか?ついでに言うと、「さらなる依頼提出が必要かどうか」なんて一言も触れていないのですが。--禮旺会話2017年9月19日 (火) 06:04 (UTC)[返信]
延長依頼が必要かどうかを議論する必要は無いでしょう。数名が1週間では短いと言っているとしましょう。短いと感じて居る利用者全員がここに書き込んだわけではありませんから、潜在的には、どのくらいかはわかりませんがもっと居る。更に(誰が提出するにしても)提出者も延長が妥当だとお考えなのであれば、ただちに延長依頼を提出されれば良いだけのこと。必要性の無い延長依頼とは見なされないでしょう。ただしクールダウンを主眼とするのであれば、1ヵ月を越えるブロックにはならないと思います。私がもう少々長く設定したいと申し上げましたのは、あまりにも長い間ヒートアップしていらっしゃるので、1週間でクールダウンが可能と考えるのは現実的ではないのではないか、と言う考えによります。--Hman会話2017年9月19日 (火) 07:42 (UTC)[返信]

コメント 私は、最初にコメントなさったXx kyousuke xxさんのコメントとほぼ同じように思います。すなわち、「背景にある思想や趣旨」に鑑みれば今回のブロック措置は妥当であり、「方針やガイドラインの表面上の字句・字義のみにとらわれ」ることは「法律家ごっこ」である、ということです。

  • たとえば、サーバーに負荷がかかって困っているとします。そこで「1分間に60回以上の投稿は自動でブロックします」と決めたとします。このときに「じゃあ1分間に59回までならいくらでもやっていいよね」と考えるか、そう考えないかの違いです。本来の趣旨である「サーバーの負荷を減らす」という目的に鑑みれば、たとえ1分間に59回であっても、それをしばしばやっていれば目をつけられて、そのうち「その時は1分間に50回」だったとしても「ちょっといい加減にしなよ」と声をかけられることでしょう。そのときに「60回超えてないよ!」と大騒ぎをするのか、全体としてサーバーへの負荷を強く与えていると認めるのか、その違いです。
  • いわゆる現実社会には罪刑法定主義というのがありまして、これを援用して「60回行ってないのにブロックは不当」と主張する向きもあるかもしれません。ですがウィキペディアは現実社会ではないし、罪刑法定主義を採用していないです(あるいは、罪刑法定主義を採用するとは明文化していない、そのこと自体が明文化されていない)。罪刑法定主義#批判にあるような、「弾力性のあるコモン・ロー」に根ざしていると解釈できるのかもしれません。
  • ヒートアップ気味の状態が断続的にみられるような場合に、どこかのタイミングで一度クールダウンのためのブロックを行うことはありうることでしょう。たまたまその瞬間がピーク値でなかったとしてもです。そもそも「ヒートアップ」というのは数値化して線を引けるような事柄ではないのです。--柒月例祭会話2017年9月20日 (水) 12:55 (UTC)[返信]