Wikipedia:コメント依頼/利用者:Littlefoxとその関連アカウント
臨死体験において利用者:Littlefox(会話 / 投稿記録)が行っているWikipedia:中立性のルールに違反した編集および対話姿勢についてコメントお願いします。 また、コメント対象者と利用者:閉塞前線(会話 / 投稿記録)は編集傾向や姿勢が酷似しており、ソックパペット使用制限違反の可能性が強く疑われますので、その問題についてもコメントお願いします
事案
[編集]コメント対象者がWikipedia:中立性のルールを無視して滅茶苦茶な編集を行っていたので、丁寧に注意を促し、そのルールを理解させるべくノートで懇切丁寧に繰り返し説明をしたのですが、コメント対象者は以下のような行為を行ったり態度を見せたりしました。
- Wikipedia:中立性のルールを受け入れることを公然と拒否する発言をし、このルールを無視する編集を何度も強行した。
- 感情的で固定観念的な発言を繰り返すばかりで、対話姿勢を見せない。
- ソックパペットの利用制限違反をして自己正当化しようとしている可能性が強く疑われる。
以上のような状況なので、コメント依頼を提出させていただきました。--221.184.89.158 2010年12月28日 (火) 03:57 (UTC)
構図
[編集]コメント対象者は臨死体験について、ウィキペディアの公式ルールであるWikipedia:中立性を拒否しています。当方が、ウィキペディアではWikipedia:中立性がルールで、それに基づいて各説を扱うのがルールですよ、と説明しているのに対し、コメント対象者はあくまでそのルールを拒否、自分が愛好する特定の言説だけを特別扱いにして、他の説については全て敵視し、諸説を扱う節の節名自体に特定の視点でのレッテルをわざわざ貼り付けて、記事全体の中立性を損なおうとしています。
(私自身について説明しておくと、複眼的で、諸説を中立的に見ています。実は臨死体験に関して言えば論理的に判断して科学的見方を7~9割ほど支持していているものの、それでも立花隆の本などで諸説の長所、短所に関する情報も得ており、中立的に見るように努めています。が、そうした個人的な判断はともかくとして、)ウィキペディアは共同作業で作ってゆくもののため、様々な立場を尊重するためにWikipedia:中立性のルールは大切で、ある立場からは奇妙だと感じられる説であっても各説を誠意を持って記述し、たとえ科学者の説であっても相互の批判文も掲載する必要があり、誰がどこでどのような説を記述しているのかという情報は記載するほうが良く、様々な立場の読者がほどほどに納得して読める形式に軟着陸させる必要があると判断しています。
また、コメント対象者は、ガチガチの単眼的思考に凝り固まっており、私が中立的に諸説を掲載するのを見て、勝手に私の立場が彼の言うところの《科学》でないと決め付けて攻撃したり、勝手に彼の言うところの《宗教》だと誤解して攻撃するばかりで、本当の意味の対話を行おうとしません。
またコメント対象者は、加筆時に出典をまともにつけたことがありません。示すとしても、せいぜいが孫引き形式のウェブサイトで、出典としては不適切な可能性が高いものだけあり、一度も印刷された書籍を出典として示したことがありません。コメント対象者は臨死体験というテーマに関して真摯に資料を調べる姿勢にもかけています。
また、コメント対象者は戦争マニアの可能性があり(それは個人の趣味の次元なのでとやかく言う筋合いではありませんが)、問題なのは、ウィキペディア編集を戦争や合戦の場と勘違いしている様子が見られ、それが問題を引き起こしている可能性もあります。基本的にウィキペディアというのは闘争目的の場ではなく、その編集というのは、中立性を保ち出典を示しつつ粛々と加筆することができる、各ウィキペディアンがわざわざ言葉を交わさなくても静かに少ない時間や労力で良質な編集をできる公式ルールがあり、ルール(法)に基づいた落ち着いた編集のほうが望ましいことは多い、という基本的なこともコメント対象者は分かっていないようにも見えます。--221.184.89.158 2010年12月28日 (火) 03:57 (UTC)
経緯
[編集]コメント対象者はずいぶん以前からウィキペディアの公式ルールのWikipedia:中立性を軽視し、ルール無視の行為を繰り返してきたようです。
他のウィキペディアンたちが様々な視点から編集をしても、コメント対象者はあくまで自分の固定観念だけで、記事の一番上や、概説部分の最上部に、コメント対象者が信じるレッテル的な言葉を一方的に書いてしまい、Wikipedia:中立性を破壊していました。しかもコメント対象者は、そうした中立性違反の編集を行う時、さらによろしくないことに、毎回信頼に足る出典を示そうともしません。
コメント対象者は、他のウィキペディアンたちが参加してくると、一方的に「編集にはノートで私の同意を得てください」といったことを編集要約欄で主張しつつ、他のウィキペディアンたちの編集を何度もリバートをかけてしまうことで[1] [2]、実質上、コメント対象者以外の編集を拒絶してきました。つまりコメント対象者は臨死体験の記事をあたかも自分の独占物であるかのように思っているところがあり、ウィキペディアの基本方針に根本的に背いています。ウィキペディアでは誰か特定のウィキペディアンだけが独裁者のようであってはいけないのであって、平等が基本であり、もしも編集のプロセスに同意が必要などと主張するならば、逆にコメント対象者のほうが謙虚に他のウィキペディアンの同意を得る必要が大いにあるのではないかと自問するような、良識的な姿勢が欠けていると言えるのではないでしょうか。
(ウィキペディアは共同作業の場であり、共同作業の場ではルールはとても大切であるので)最近、私のほうから、ウィキペディアにはWikipedia:中立性のルールがあり、それが優先します、と丁寧に説明しました。ところが、コメント対象者はそのルールを頑固に拒否、無視しつづけています。
当方は、熟慮を重ね大人であるように努め、コメント対象者の感情に配慮しつつ、慎重に対応。記事中に小節を設置し、各説がはっきりと区別できるように、しかもその節名がレッテル貼りになったりすることで中立性が損なわれないようにと配慮しつつ改良作業を行いましたが、そのたびに、コメント対象者は、中立性ルールを無視した状態へと改悪したり、小節のタイトルに自分の視点で見たレッテル(Wikipedia:中立性に違反したレッテル)を貼り付ける編集を強行しました。また、コメント対象者は、自分の世界観で記事を塗りつぶすために、非常に変な編集をしました。たとえば、明らかに立場によらないメタレベルの記述であって独立した節として設置するの適切な《研究史》の節を、各立場の解釈を紹介する節の中に無理矢理に埋め込んでしまうといった常軌を逸した編集を繰り返し行ったのです[3] [4]。
また(例えばブックオフなどで安価に入手できる立花隆などの本でもよいので、ほんの数冊でも調べてみれば判ることなのですが、臨死体験については、多くの研究者が様々な説を主張、また科学者たちも様々な説を主張していて、少なくとも諸説を単純に2種類には分類できない状況が現にあり、例えば立花隆は中立的に諸説を紹介し、各説について長所・短所(反証例や説明しきれない点)・長所・短所・・・といったように何層にも交互に説明しており、コメント対象者のように乱暴な用語でレッテル貼りして済ますようなことはしていないのですが)、コメント対象者は、臨死体験の記事を執筆する時には不適切な「《科学》対《宗教》」という極端に単純化された二項対立的な世界観を持ち出してきて、各解釈に乱暴でレッテル的な言葉を貼り付ける編集を強行しつづけたのです。
また、コメント対象者は、現代の科学的方法についても不勉強なまま、科学と反証可能性を完全同一視した(現代の科学観としてはいささか不適切とも言える)科学観を「ノート:近似死体験」において主張することで、自分のルール違反の編集を正当化しようともしました。コメント対象者は様々な点で知識不足のまま独善に陥っているようにも見受けられるのです。私のほうは、忍耐強く、コメント対象者が科学的方法と反証可能性の関係についても誤解している点がある、と注意を喚起し、当該記事を読むように促したのですが[5]、その後もコメント対象者は反証可能性に独自の方法で固執する誤った発言傾向が変わっておらず、どうやらネット上で即読めるウィキペディアの記事を読んで学ぶ誠意すら無いようにも見えます。対話というものには、相手が提示した情報については確認しつつ吸収してゆくプロセスも含まれていますので、コメント対象者には知識不足なだけでなく対話姿勢にも根本的に欠けているとも言えるのではないでしょうか。
当方のほうで、しっかり各説は区別できるようにし、科学的な説は科学的な説、スピリチュアルな解釈はスピリチュアルな解釈、と明確に判るようにし、他説を評価しない読者は、それをスキップすることも可能な構成にしたと説明、Wikipedia:中立性を重んじ各立場の読者がそれぞれほどほどに納得できる構成にした、と説明しました。
ところが、コメント対象者はあくまで自分だけが満足することを優先、再び、科学と反証可能性を完全同一視する固定観念や、臨死体験というテーマには不適切な「《科学》対《宗教》」という雑な二項対立の世界観を持ち出してきて、「宗教的な解釈も(反証可能な)事実のひとつと取れる(ようになっている)」などと主張(つまり現代の科学的方法に関する正しい知識という観点から見ても滅茶苦茶な主張)を行い、加えてコメント対象者のソックパペットと推定される利用者:閉塞前線(会話 / 投稿記録)名で自作自演の同意(自己正当化)の言葉を書き込み、再び勝手に特定視点のレッテル貼りを強行することで、Wikipedia:中立性ルールに違反しました。
ノート:臨死体験などに出没している利用者:閉塞前線(会話 / 投稿記録)はコメント対象者のソックパペットである可能性が強く疑われ、閉塞前線が書いた「私はLittlefoxさんの意見を支持します。」というコメントも、ただのコメント対象者の自作自演にすぎないと推定され、さらに先日、コメント依頼ページで「ノート上で《他の方》のコメントもいただいている」と発言したことも自作自演を繰り返しているのだと推定されます。ウィキペディアでは複数のアカウントを持つことは一応容認されているものの、特にコメント依頼や投票などのページでソックパペットを用いて多数派を装うことについてはルール違反とされていますので、コメント対象者はWikipedia:中立性のルールに違反しているだけでなく、それに加えてソックパペット使用制限のルールについても違反していることで、二重にルール違反している可能性が高いと判断されます。--221.184.89.158 2010年12月28日 (火) 03:57 (UTC)
コメント
[編集]コメント私はLittlefoxさんのソックパペットなどではありません。ノートで主張に賛同を表明しただけでソックパペット扱いされてはたまったものではありません。221.184.89.158氏は憶測でものを言うのはお止め下さい。--閉塞前線 2010年12月28日 (火) 18:01 (UTC)
提案 本依頼は、先に出されたWikipedia:コメント依頼/利用者:221.188.54.165とその複数アカウント群に対する報復依頼の側面を持っているものだと思います。この依頼を直ちに終了し、先に出された依頼の方へ一本化すべきでしょう。--かげろん 2010年12月30日 (木) 04:23 (UTC)