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Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/過去ログ2

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議論に関係するページ

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過去の議論

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そろそろ正式化しませんか

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この文書は初版から3年以上経過しましたし、Wikipedia‐ノート:五本の柱で草案段階であることが問題視されましたので、ここで正式化の提案をします。まだまだ改良点はありますので、直接の編集や、意見をお願いします。(個人的には、この文書は説明見出し以下が蛇足で、解釈はおのおのの参加者に委ねるほうがよいと考えていますが、今回は正式化を優先させたいと思っています) --Michey 2006年11月16日 (木) 05:20 (UTC)

この節でおこなわれた議論を過去ログ化しました。--Kanbun 2006年12月16日 (土) 10:22 (UTC)

Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/ログ200611171120

内容は、提案時の方針が不十分であるとして、より適切な形に改めるべきという意見が寄せられ、公式化は一端見送られることとなりました。 以上。ログ化。--Kanbun 2006年12月16日 (土) 10:22 (UTC)

改めて公式化しませんか

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新たな提案に伴い節を新設--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 03:59 (UTC)

全面改定

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節を切りました--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 03:59 (UTC)

予告の通り全面改定しました。英語版での議論を調査の上で書きましたが、私の独自解釈が入っていることは否めません。

Kanbunさんへ、このルールもウィキペディアの根本方針の一つです。そして、ルール全てを把握する必要はないに書きましたが、ルールを知らなくても編集できることを保証するものです(en:Wikipedia talk:Ignore all rules/Archive 1#from User talk:Jimbo Wales)。ご懸念の件はWikipedia:ルール全てを無視しなさい#ルールの精神と常識を尊重するの部分で解決しようとしましたが、いかがでしょうか。 --Michey 2006年11月21日 (火) 18:09 (UTC)

Micheyさま改訂お疲れ様でした。すごく良くなりましたね(^^)。対案を出したまま、コメントが遅くなってすいませんでした。Wikipedia:ルール全てを無視しなさい#ルールの精神と常識を尊重するで、私の対案の精神は全て反映いただいていると思いますので、対案は撤回します。ありがとうございました。この精神に従って、「荒らしではない」ことを理由に不適切な編集を助長することがないように、Wikipedia‐ノート:荒らし#修正の提案2(「荒らしではないもの」表記)で改訂を考えています。すぐに手を付けられるかは分かりませんが、取りあえず予告だけしておきます。また、Wikipedia:ルール全てを無視しなさい#管理者権限の行使への適用は慎重にの章を新設されたのは画期的だと思います。そこでちょこっと提案ですが、この節の最後(「義務ではありません」の後)に、「緊急性がある場合などに、コミュニティで十分時間をかけた合意形成をおこなうことができないままに管理者権限を行使すると、コミュニティへの説明責任が生じます。説明をするかわりにこのルールを用いると、たいていコミュニティに混乱が生じます。そのようなときはこのルールを用いるのは避けるのがよいでしょう。」といった文を付け加えると、やりすぎ(^_^;;でしょうか?(ちょこっといじって、このまま公式化しちゃいませんか?それと、これ以上規約を増やすと、さらにこのルールを使う機会が増えてしまいそうなので(^_^;;)、私の対案はこのまま置いておきましょう。)--Anonymous000 2006年11月21日 (火) 19:56 (UTC)
簡単に読んだ上での感想ですが、改訂された文案は個人的にかなりしっくりきてわかりやすいものであると思います。おそらくこの文案から察するに、Micheyさんの考えでは、この方針文書は「Wikipedia:新規参加者を苛めないでください」に通じる、ウィキペディアに慣れていない人に対してある種の保護を加え、記事執筆者を確保する目的と、既存の方針に対する欠陥の是正や改善の余地に利用者の目を向けさせること、そしてウィキペディア内のさまざまな対処に際して、一面的な方針の適用を避け、場合によって幅をもたせることを意図するというおそらく3つの主要な内容から成り立っていると理解しました。また以上のことを勘案すれば、Anonymous000さんのおっしゃるように、この方針は単独で緊急時の超法規(方針)的手段として用いられること(「伝家の宝刀」のように)はおそらく意図されておらず、むしろこの方針が持ち出されるときには(無視する方針あるいは慣行に対して)既存方針文書からの援用や良識(「常識」という言葉は独善的に使われることも多いので、ちょっと抵抗があります)に基づいた十分な裏付け(これが事前にか事後にかは不明ですが、おそらくケースバイケースによるのでしょう)が示されるべきということは十分納得できます。ので、説明責任について文案に含めるのというAnonymous000さんの意見にも賛意を表明します。あるいは但し書きとして以下のものを冒頭か、最後に追加するのはどうでしょうか。
「一般的にあるルールを無視して行動するには、それを根拠づける十分な理由が必要です。この方針文書のルール全てを無視という表現はルール全てを全く無効であるとする態度の表明ではありません。既存方針を十分考慮した上で、既存のルールのいくつかについて、敢えてそれらを省略した行動を取ることが、結果としてウィキペディアの基本精神に妥当な解決をもたらすことを述べています。またこの方針が十分正当な理由によって運用されれば、個々の方針文書やコミュニティの改善はよりスムーズになるでしょう。しかし根拠もなく濫用されれば、それだけ混乱は大きくなるでしょう。」
また今の内容であれば、公式に発効しても問題ないように思われます。以上。--Kanbun 2006年11月22日 (水) 01:18 (UTC)
Kanbunさま、コメントと文案をありがとうございます。Kanbunさまのご賛意を受けて、私から改めて公式化の提案をいたします。これに伴い、全般的に節の名称変更・節切りなどのメンテナンスをしています。Kanbunさまの文案と、私の提案をWikipedia:ルール全てを無視しなさいに反映させてみました。(少し私見も加えて書いています。「Wikipedia:ルール全てを無視しなさい#最後に」はまじめに書いたつもりなのですが、「悪ふざけ」と取られそうなら取ってもいいかもしれません。皆様ご自由にご修正下さい。--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 03:59 (UTC)
議論が進んでいることをきょう知りました。こういう逆説的な「ルール」があるのは面白いですね。改訂版、楽しく読ませていただきました。ルールを破るにも守るにも常識が必要、逆に常識があれば、ルールはいらない、ということでしょうか。「常識」には言い換え案があるかもしれませんが、常識とはなにかという問題提起も含めて、私はあえてこのままでよいと思いました。ひとつだけ、「全て」という漢字の使い方には違和感があります。辞書では正しくは「凡て」だと思いますが、ここではひらがながよいのではないでしょうか。--みっち 2006年11月22日 (水) 03:48 (UTC)
こんにちは。ひらがなが語感も柔らかくていいですね。賛成します。(メンテの際に)編集競合したはずが、うまく投稿できているみたいです。(システムの仕様が改良されたんでしょうか?ウィキペディアは発展途上というのを実感。)関係ない話をすいません。--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 04:09 (UTC)

「全て」→「すべて」への変更、語感を柔らかくする、説明責任は管理者だけが負うものではないのでそのあたりを追加、などを修正しました。そして、「~しない」と書くよりは「~するときは、~した方がよい(するべきだ)」とする方が好きなので、その部分の変更も行いました。また、既存のルールに合ってないことだけが問題でそれ以外はとくに問題にするほどでもないことで議論になるのも煩雑なので、その場合は説明を省略できるニュアンスを入れました。もちろん、大胆に編集してください。

私が付け加えた部分は他の言語版の Ignore all rules にはないもので、「ルールのルール」としての側面も付け加わりました。ですので、公式化はゆっくりと日本語版利用者の意見を出来るだけ反映する形でおこなった方が望ましいと考えます(多数決原理は似合いません)。まずは、/意見投票で、支持・不支持などのコメントを募りながら、適時修正していくのが良いかなと思います。--Michey 2006年11月22日 (水) 07:42 (UTC)

上記修正に賛成です。「犬猫の張り紙」の例を「荒らし」の例に変えてみました(元の部分はコメントアウト)。--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 09:46 (UTC)
Wikipedia:ルール全てを無視しなさい#最後にの最後のフェイスマーク「記事を書いてみるといいかもしれませんね(^^)」(コメントアウト中)について)実はあれは「あえて」入れてみたんです。というのは、フェイスマークが本来、文字によるコミュニケーションの円滑化を目的に生まれたという沿革と(「精神」)、それがいつしか個人攻撃などにも使われるようになったこともあって「不快に思う」(または毛嫌いする)方もいる、という経緯をふまえた上で、公式文書に「ふさわしくない」ところがこの文書らしいだろう、と思ったからです。ただ、ウィキペディアの家風にそぐわない「おふざけに過ぎる」ということであれば、やはり取った方が良いかも知れません。といったところですが、皆様いかがですか?(どうでもよさそうな細かいことなのですが、ちょっと皆様のご意見をお伺いしたくなりました。これであまり話題を広げるつもりはないので、「どうでもいいよ、とっちゃえば。」ということであれば黙殺下さい。)--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 09:46 (UTC)
顔文字の件ですが、ルール名がふざけているので、それ以外は真面目にしないとルール名のインパクトが弱まります。--Michey 2006年11月22日 (水) 19:23 (UTC)
了解です。私自身がパラドックスの罠にはまっていたようです。中抜きによる特定版削除のため再度投稿--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 05:22 (UTC)
/意見投票のページをつくりました。--Michey 2006年11月22日 (水) 07:56 (UTC)

具体例

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正直に申し上げますと私自身完全にこの方針の意図を理解しているとはいいがたいです。そこでまことに勝手ながら「ルールにこだわらない」で行ってみた所を2例ほど挙げてみてもよろしいでしょうか。

  1. Wikipedia:削除依頼/LSD (薬物) — 方針に従えば削除依頼できないところに、(削除)票を入れた。
  2. Wikipedia:削除依頼/現代美術家協会 — 方針に従えば議論を継続すべきところ、削除して依頼を終了させた。
    これらの案件はまだ完全に決着しているとはいえず、どちらに転ぶかわかりませんが、以上に関しましてご批評を頂ければ幸いです。--Calvero 2006年11月21日 (火) 13:10 (UTC)
  3. Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除の方針-初版の英語版からのGFDL履歴不継承の指摘。本来なら削除されることになりそうだが、GFDL違反が削除になることがまだ固まっていなかった時代に翻訳された重要文書であることや、GFDLが適用される「記事ではないプロジェクト文書であること」を理由とした存続意見多数によって存続決定。
    結論はとても妥当なものだと思います。ただ、一般的に、プロジェクト文書についてはGFDLが適用されないとまでいえるのか、私には確信がありません(^^;;(たぶん言えないだろうという気が。。)。Calveroさんのインデントの位置を変更しました--Anonymous000 2006年11月21日 (火) 19:56 (UTC)・--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 03:59 (UTC)

1.は非常に難しい判断ですが、記事の発展性という面からおそらく一度削除されたほうがよいというのが現在の大勢であると思われます。ただ私自身はこの場合削除よりは節単位で徐々に翻訳を改訂していくというやり方のほうがベターかなとも思いますが、削除後の執筆に意欲的な方がいらっしゃるようですので削除しても問題ないだろうと思います。2.は初版がすでに削除されていましたので、詳しくは意見できませんが、この場合は公式サイトに明言されてないので、ウィキペディアからさらに二次転載が認められるのかどうかというのは争点になると思います。投稿者も削除でよいと考えているようですし、合意が形成されていると見て削除したのは厳密に方針に基づかないとしても、この場合適切であったと思われます。3.についてはAnonymous000さんのコメント通りと思います。いずれも大変参考になる具体例を示していただき、感謝いたします。--Kanbun 2006年11月22日 (水) 21:21 (UTC)

意見投票中

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節を分けました

/意見投票開始後のご意見です。--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 15:58 (UTC)

(誤訳)ルールすべてを無視しなさい

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節を落としました。-Anonymous000 2006年11月26日 (日) 15:58 (UTC)

この名称は誤訳でしょう…。英語版を倣うのに没頭するあまり、日本語で表現するのを忘れてます。有り体にいうと日本語になってません。少し言語感覚を日本語に改めみて下さい、日常でも専門でも「すべてを無視しなさい」という言い回しはないですよね? 「ルールにこだわらない」や「ルールに捕われない」の方が日本語としては馴染みます。戻した方が良いでしょう。ちなみに単語の選びについても、オリジナルであるドイツ語版と、英語版は違いが見られます。ですから文化にあった、言葉を選んで良いと思いますよ。キリカ 2006年11月24日 (金) 14:07 (UTC)

これまで議論をフォローしておらず、今頃になってのコメントで恐縮です。しかしキリカさんと同様の感想を持ちました。「ルールすべてを無視しなさい」は確かにインパクトがあるのですが、その反動として、このルールで述べたいことと開きがでてきていると感じました。内容を読めば確かに言いたいことはわかります。しかし、私は「その文章を読む必要のある人物は、その内容を決して理解しない、あるいは自分の良いように理解する」という悲観的な経験則をもっています。文書名は内容を端的に表現するものが好ましいと思います。この文書で述べたいことは「ルールすべてを無視しなさい」でしょうか?内容を読めば無視するときには多くの条件が付属していることがわかります。この文書の要旨は「ルールにこだわらない」あるいは「ときにはルールを忘れよ」じゃないかと思います。インパクトをとるなら、内容も英語版に倣った方が良いのではないでしょうか。(一感想として)電気山羊 2006年11月25日 (土) 15:33 (UTC)
「ルールをすべて無視」を残すにしても、「ルールをすべて無視する」あたりではないかと思っています。
ところで、削除依頼のrevertで消えてしまっていますが、「規則は破られるためにある」というのも、わかりやすいと思っています。-- 2006年11月25日 (土) 16:10 (UTC)

キリカさん、電気山羊さん、っさんのご意見(「ルールにこだわらない」「規則は破られるためにある」などへの賛同意見)は、#このままじゃ反対!対案などに対する反論ですね。堂々巡りの議論になるので改名の経緯についてだけお知らせしておきます(主語は省略)。

  1. 「ルールにこだわらない」の名称で正式化を打診する井戸端での告知。この直後に得られたコミュニティからの意見全てが、「そのままの名称でそのままの内容による正式化には反対」であった(#このままじゃ反対!対案など
  2. #正式化提案を撤回でignore all rulesをほぼ直訳した「ルール全てを無視しなさい」への改名が提案された。
  3. #全面改定の際に、「ルール全てを無視しなさい」に変更になった。(その後、さらに「ルールすべてを無視しなさい」に変更)。
  4. #改めて公式化しませんかの提案
  5. /意見投票のサブページ作成
  6. この節での議論

以上がこれまでの経緯のまとめです。ここ1週間くらいの議論は読んでから、それを踏まえたコメントをしてほしいな、というのが正直なところです。と愚痴をいってみる。。--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 05:22 (UTC)・lk修正--2006年11月26日 (日) 13:25 (UTC)・メンテに伴い一部修正2006年11月26日 (日) 15:58 (UTC)

ところで、削除依頼の前後にかけて、色々な会話ページ(私が知る限りで4カ所以上)で議論が行われて錯綜しているのですが、これも議論を追うのを難しくしているところだと思います。もしよろしければ、議論はなるべくこのページに集めませんか?特にサブページなどの参考資料を作成いただいたときには、Kanbunさんのように#参考資料に追加していただけるととても助かります。議論を追うのがもう少し楽になった方が、意見投票で気軽に意見を述べやすくなると思います。(「Anonymous000がやれ」(探してきて追加しろ)というのはご勘弁を。。)--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 05:22 (UTC)

Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/ルールにこだわらないで現状の文案を「ルールすべてを無視しなさい」→「ルールにこだわらない」に置換したものを置いておきます。このままだと明らかに変なので、改名(または元に戻す)を考えている方(または賛同する方)は編集しながら文案を練って欲しいと思います。そうすることで、今ここで議論中のことにも良いフィードバックがあるかもしれません。このルールは様々な解釈がありますが、今まで挙がった以外の解釈があるかどうかや、どの解釈が最も支持されているかを見てみたいという思惑があります。もし、他の改名案のページも必要なら作ります。--Michey 2006年11月26日 (日) 12:10 (UTC)
Anonymous000さん、Kanbunさん、Micheyさんおつかれさまです。この文書の意味することは理解していますし、大事な方針だと思います。内容について反対はありません。挙げられているどの解釈ももっともなものだと思います。個人的には「ルールがあるからといって思考停止したまま杓子を定規として使うようなことをせず、より深く柔軟に考えよ」という解釈をしてたりします。そもそも私はルールの乱立を好みませんし、このような文書が基本方針となることをうれしく思います。
 私の意見を簡潔にまとめると、「文書名は文書の率直な要旨であって欲しい」というものです。そして先の議論や文書の内容をふまえた上で、「ルールすべてを無視しなさい」では以前の「ルールにこだわらない」よりも、内容から離れているんじゃないかと感じたのです。Micheyさんの意見に真っ向から対立して混ぜ返す意見なので大変恐縮なのですが、「ルールにこだわらない」という文書名で「明らかに変」とは感じませんでした。「ルールにこだわらない」で最善とも思っていませんけれども。
 「ルールすべてを無視しなさい」という文にはなんら条件が付けられていませんから、これだけを読むと「いついかなる条件においても」無視することが可能ともとれます。しかし、上の議論や文書中で挙げられているように、様々な条件付きの文脈において「ルールすべてを無視」することが可能だという解釈が普通であると思います。基本的にはルールを知り、尊重することが推奨されています。とすると、(どこかの文書に「明らかに」という書き方は避けよという文がありましたが)この文書の言わんとすることは、明らかに「いついかなる状況でも」「ルールすべてを無視しなさい」ではありません。野暮ですが「ときにはルールすべてを無視しなさい」みたいな条件付きがフェアな書き方に思います。まあ、これは「ルールにこだわらない」であっても同じことが言えますが、「無視しなさい」の方がインパクトのある分、乖離具合も大きいと感じました。
 ともあれ、いろいろ文書名について考えていたのですが、これまでのところ良いアイデアは浮かんでいませんでした。有能かつ悪意をもった人にかかれば、いかに練られた文書名も簡単にねじ曲げられてしましますし、この文書は善意の人に向けたものと考えておけばよいのかもしれません。内容に異論はありませんし、今回は正式化を急ぎたいとのことですので、保留もしません。ベターなアイデアを思いつきましたら、また提案します。「文書名は文書の率直な要旨であって欲しい」ということが私の言いたかったことです。電気山羊 2006年11月26日 (日) 13:43 (UTC)
電気山羊さん、コメントありがとうございます。「あまり書きたくないな」と思いながら控えていたのですが、#(誤訳)ルールすべてを無視しなさいのご意見を寄せられた利用者:キリカ会話 / 投稿記録さんは、まさに#このままじゃ反対!対案などで私が想定していたユーザーの典型例です。つまりカテゴリの独断変更をという「荒らし」を繰り返し(他にも履歴上多数)、それに対する警告会話ページも同様)に対して「居直り」としか取りようのないコメントを行っているユーザーです。このような方から、<「誤訳」だからこの方針名を「ルールにこだわらない」に戻すべきだ>と主張されても、全く説得力に欠けるのです。もちろん、電気山羊さんやっさんをそのような方と同類に見ているわけではなく、そのような場合の反論もあるのですが、それはあえて控えておくことにします。ともあれ、正式化を急ぐことや内容そのものには反対ではないというご意見をいただいたことに、「改めて公式化」提案をしてMicheyさんの背中を押している私といたしましては感謝しておりますことをお伝えいたします。ちなみに、私は「良識に欠ける又は乏しい」ユーザーの誤解を生まない名称であれば何でもいいと思っています。--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 15:58 (UTC)


 Anonymous000さんの参考に出した資料は明らかに偏ったものですね。その後は、プロジェクト・ユーザーボックスに[1][2]継続的に参加してますし(対話が上手くなりたちませんが)、また、私は「敢えて」と言ってるにも関わらず「違う、それは居直りだ!」と言うのは、押し問答であり感情のぶつけ合いなだけです、それを前面に出すのは如何なのものでしょう。むしろ相手との対話を最初から放棄し、「悪い部分を見せびらかそう」とする姿勢は・・・、まぁ その、アレなんですよ。
 さて本題。ざーっと見た所、どうやら論点は「翻訳」ではなく「共同体原理」の方みたいですね。(←この点は誤解しました。)これは、特殊な理由により一部の人にしか分からない語にする、いわばジャーゴンにしようとする試みです。日本語でない状態にして「ボク達だけに分かる不文律」を発生させる共同体的なメカニズムの一種でしょう。これは「伝える」より「仲間に引き込む」の側面が大きくなる。
 現にMicheyさんや、Anonymous000さんは、文面や表現よりも、仲間意識を重視する方向に向かってます。言葉の節々からそれが伺える。内容ではなく人格に、むき出しの主張をぶつける所から見て、そうでしょう。なんの躊躇もなく〈理念〉ではなく〈投票〉にシフトしてしまった事からも伺えます。
 もし、この立場から解釈を続けるのでしたら、どれも似た解釈になります。それは〈みんな仲良く、みんな仲間〉という見方です。実際そうですね。他にも〈敷居を低くし参加者しやすい環境を作る〉や、〈プロジェクトの理念を見失わない〉と言った立場もあるはずです。
 ダブルスピークによる乱用を危惧するあまり、方針、本来の根ざすモノがスポイルされてしまうのは避けるべきでしょう、不安感に捕われたくないものです。キリカ 2006年11月26日 (日) 20:20 (UTC)

いくつか誤解されているようなので、現在の私の立場や考えを簡単に説明しておきます。

  1. 公式化の提案をしたのは、Wikipedia:五本の柱の五番目の柱の文面を確定するためである。
  2. 私はこのルールの初心者保護の点を重視している。五本の柱は初心者保護のためにこの文が使われている。
  3. 2006年11月21日 (火) 17:57(UTC)の改訂は草案のまま、当面置かれることを前提に書いた案である[3]。そのまま放置では、反対が多数で廃案になる可能性があったので、書き換えの際に反対された方の意見を無節操に取り込んだ。書き換え後、公式化の話が出たのは想定外。
  4. 現在の名前に改訂した一番の理由のも、反対意見を無節操に取り込むため。明快な名前ではこれが難しい。
  5. 現在の案での公式化は消極的である。複雑すぎるため。そこで広く意見を募るために/意見投票を提案した。決して現行案と通すためではない。
  6. 名前よりも内容の議論をしてほしい。改名には反対していない。ただ、名前を明快にする場合は、この文書の様々な解釈をそれぞれ別々の文書にする必要があるだろう。多様な解釈を許すならば、名前は明快には出来ないだろう。結局中身が決まらないと、名前案を並べただけで終わってしまう。

以上です。議論の整理に役立てば幸いです(さらに混沌とさせてしまうかもしれませんが)。--Michey 2006年11月27日 (月) 01:33 (UTC)

「ルールすべてを無視しなさい」はやっぱり日本語になってないように思います。以前のがいいとも思ってませんが、ましだとは思っています。そして、ドラフトを書かれた方には申し訳ありませんがこれに長大な解説をつけるというのはこの方針の精神と対極にある態度のように思います。むしろ「常識で考えよう」のような別文書に解説部は回したほうがいいのじゃないかと思いました。--Aphaia 2006年11月29日 (水) 17:57 (UTC)

参考資料

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メンテナンス--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 13:25 (UTC)

/意見投票でご意見を募集中。お気軽にどうぞ。

対案など

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対案は最適なものになるように編集願います

英語版の文書・議論等

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  1. 参考資料として英語版の非公式文書であるWikipedia:Suggestions on how to ignore all rules拙訳を用意しました。この投稿は2006年11月25日 (土) 11:19、同日11:22にKanbunさんによってされたものです。--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 05:22 (UTC)による署名付記
  2. 同じく参考として、英語版非公式文書であるWikipedia:Use common sense拙訳を用意しました。--Kanbun 2006年11月26日 (日) 08:30 (UTC)

公式化提案からこれまで問題になった点を個人的に整理

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たしかに議論が錯綜してわかりにくいと思いますので、私の観点からになりますが、今までの議論の推移と問題になっている点の摘出を試みてみます。

  1. この文書の由来
    1. この文書の最初期の意味は、ルールによって必要以上に記事執筆者が不利益を被らないように、とくにルールに不慣れな新規執筆者の保護を目的として提案され、採用された。(参考:[4]
    2. しかし徐々にルールに必ずしも厳密に依拠しない柔軟な適用の根拠としても使われるようになった。この時点で提案者は本来の意図と異なっていると述べている。
    3. その後、ルールを無視して編集する「荒らし」がこのルールを根拠として用いるようになり、英語版ではこのルールの是非が問われた。
    4. このルールは現在、英語版ではen:Wikipedia:Suggestions on how to ignore all rulesen:Wikipedia:Policy trifectaen:Wikipedia:Use common sensem:Don't be a dickなどの私案段階の関係文書を参照することにより、ある程度不適切な運用が排除されている。
  2. 日本語版での導入に当たって
    1. まず上の英語版での運用過程を踏まえると、日本語版では関係する文書が十分整備されていないために、この文書自体が簡潔なまま導入されると、誤解のおそれがある。(英語版で起きた「荒らし」が自分の主張の根拠とするような事例が日本語版でも起こるおそれ)
    2. しかし、反対にこのルールが簡潔で多様な解釈を許しているのが本来の精神だという意見がある。(私個人の意見でいえば、経緯から考えると、本来的な目的とは異なった解釈と思われる。が、ルールとして導入する観点からいえば十分理解できる意見。)
    3. 公式化する場合に簡潔な文書のみで方針とするか、方針文書の内容を充実した上で方針とするか、方針は簡潔なままで関連する文書を整備するか、についての問題が持ち上がっている。
  3. この文書の解釈
    1. 初心者保護を目的としているという解釈(この解釈であれば、「ルールすべてを無視しなさい」という名題は内容に忠実である)
    2. ルールがなかった頃のウィキペディアの精神にたち戻させ、百科事典としての原点回帰を述べているとする解釈。既存のルールに懐疑的な態度を述べてコミュニティや方針文書の改善に積極的な姿勢をうたうとする解釈
    3. ルールの柔軟な運用を述べているという解釈。場合によっては方針に縛られずに、総合的な見地から一定の手順を省略したり追加したりして個々の事例に当たるべきという意見の表明という解釈

以上。あくまで私個人の視点からですが、まとめてみました。--Kanbun 2006年11月26日 (日) 07:16 (UTC)

 私も、そんな感じ、「テレビを使うのに取扱説明書を全部読んだりしないでしょ?」の意味だと思いました。反語的に強調するなら「外国に行く時は、その国の全ての法律を学び、罪を犯さない状態にしてから行きましょう。でなければその国に行ってはいけません」です。もっと過激にすると「ルールを犯したものは、管理者の権限で、二度とウィキペディアの編集が出来ないようにしてやる、文句は言わせない、ここはウィキペディア国であり、ルールを知らずに編集するのが悪いのだ。だから、全てのルールを頭に叩き込んでから編集しろ、一度たりとも違反は許さん!」みたいな感じ?
 ですから、これは初心者に訴えるルールと言うよりは、熟練者に対する戒めの類いだと解釈しました。〈伝える〉より〈書き留める〉類いの方針かなと。キリカ 2006年11月26日 (日) 20:28 (UTC)

IAR分割提案

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議論が錯綜して参りました。原因作ったのは私で、皆さんを巻き込んで申し訳なく思います。議論整理のため、Ignore All Rules(名称未確定なので英語版の名称、または略称のIARを使わせていただきます)の現在の案を分割することを提案します。具体的には次の通りです。

  1. Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいにはシンプルな文を残す - シンプル化や初心者保護を重視する方への配慮
  2. Wikipedia:ルールは破られるためにある(仮には現行の見出し「ルールは破られるためにある」の部分を分離独立させる - ルールの柔軟な運用を重視する方や題名を分かりやすくつけるべきと考える方への配慮
  3. Wikipedia:ルールの精神と常識を尊重する(仮には現行の見出し「ルールの精神と常識を尊重する」を分離独立させる - ルールの柔軟な運用を重視する方や題名を分かりやすくつけるべきと考える方への配慮
  4. Wikipedia:IARの運用について(仮には現行の見出し「このルールの運用について」を分離独立させる - 方針文書の改善を重視する方や慣れた人・管理者への濫用を戒めることを重視する方への配慮

そして、個々のステータスは「草案」にし、それぞれのノートで議論(より良いページ名や正式化するかどうかを含む)を議論します。まずは、分割が妥当かどうか、分割の区切りが適切かどうかをご意見願います。--Michey 2006年11月27日 (月) 05:00 (UTC)

突然の提案でびっくりしたので、取り急ぎコメントします。Michey さんには、新しいコメントがつくたびに議論の形を変更するのはちょっと控えてほしいと思います。この文書の議論はもう少し慎重に進める必要があると思います。この文書は英語版では多義的な運用がされてきましたが、日本語版で正式に導入する際にはそれを踏まえて、なるべく明確な形で導入すべきというのが私の意見です。つまり英語版のように多義的な解釈を残したままだと、たしかに多様な解釈を許すという面で発展性を見込めるかもしれませんが、それ以上に英語版同様にコミュニティの混乱の元となる可能性も大きいので、日本語版は英語版以上に文書が整備された形で提供されるのが望ましいと考えたからです。私は
  1. まずこの文書が本来的にどういう意味であったのか
  2. また英語版ではどういう意味で使われてきたのか
  3. 英語版で問題となったのはどういう使われ方をしたからか
  4. 日本語版に導入する際に考えられる問題は何か
  5. どのように日本語版に反映させるか
という問題点を指摘し、それに沿って提案をしてきたつもりです。分割するかどうかについては、とりあえず現状の文書について、もっと煮詰めてからのほうがよいと思われます。文書を分割し、それぞれのノートに議論を分散させてしまうとややこしくなるのではないでしょうか。とりあえずこのノートでそれぞれの解釈に基づくテーマ別に節を分け、そこで全体的な視野を失わずに個々の点について議論を深めるのがよいと思われるのですが。--Kanbun 2006年11月27日 (月) 06:39 (UTC)
私自身は現在の内容であれば、「荒らし」の根拠にはまずならないだろうということで正式化に賛成しました。文書内容についてもノートで出た主要な解釈を網羅しているので好ましいと思ったからです。私は方針の簡潔化は解釈の多様性をもたらすかわりに「荒らし」行為も助長するのではないか、あるいは健全な議論の妨げになるのではないかと思っています。文書の分割も個々の文書が全体的な視野を失うという意味で、同様の結果となりうることから反対です。--Kanbun 2006年11月27日 (月) 06:56 (UTC)
了解しました。少し頭に血が昇っていたようです。ちょっと頭を冷やします。混乱させて申し訳ありません。--Michey 2006年11月27日 (月) 13:42 (UTC)
ちょっと議論を急ぎすぎている感じがしました。私個人の印象では、議論は建設的な方向に進んでいるように思われますし、内容自体に根本的な異論が出ているわけではないと考えています。この議論は注目されてしかるべきですし、さまざまな方がまた新たに議論に参加してきて意見を言ってくださることもあるでしょう。そういうときに少し後退して再検討することはあると思いますが、基本的には前進しているものと考えています。Micheyさんの努力には大変感謝しておりますし、私個人は現在の文書内容自体は妥当であると考えていますが、見落としていた問題点があるかもしれません。簡潔化したり分割したりすることを考える前に、今の内容が適切であるかどうかをまずは検討すべきです、誤訳であるかどうかとか項目の名称はというのは、内容よりは表面的なことで、あとから形式を整えればいいことです。--Kanbun 2006年11月27日 (月) 16:18 (UTC)

今一度内容自体に問題があるか、まず検討しましょう

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とりあえず用語の訳の適否については内容を吟味してからではないかと私は考えています。現在の内容は解釈として望ましいものであるのか、現在の内容で導入した際に何か弊害が起きないかということをまず検討すべきと思います。個人的には現在の内容は異なる解釈を併記する形となっていて、一貫性はありませんが、内容としては好ましいものであると考えています。一貫性がないのはそもそもこの方針の英語版での使われ方が一貫性がなかったためで、しかし英語版での運用実績は日本語版への導入を考えても参照すべき有意義な内容だと考えています。したがってやや一貫性に欠ける点は差し引いても、この文書の内容自体は一応問題ない、妥当な解釈を示していると考えています。これについてはいかがでしょうか。--Kanbun 2006年11月27日 (月) 16:18 (UTC)

この節でおこなわれた議論を過去ログ化しました。--Kanbun 2006年12月16日 (土) 10:09 (UTC)

Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/ログ200611291203

内容は、キリカさんの簡潔案を支持すると思われる形式を重視すべきという提案と、それについての議論、Zz2さんによる文書の編集などがおこなわれました。

またこの議論に関係して以下の議論も参考になると思います。

以上。ログ化。--Kanbun 2006年12月16日 (土) 10:09 (UTC)

一度包括的な意見投票を行ってみませんか

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キリカさんのこともあり、議論は一度停止している状態にあると思います。そこで提案なのですが、1~2週間ほどの期間を設けて、一度現在の案がコミュニティにどのように受け取られているかについて、包括的な意見投票を募ってみては思います。投票はこのようなものを考えています。いかがでしょうか。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 17:19 (UTC)

上の投票案は私の利用者ページの下書き箇所にありますが、自由に編集してくださって結構です。みなさんが聞いてみたいと思うことなどあれば、付け加えてくださればと思いますし、不適切と思われる部分は編集していただけるとうれしいです。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 17:23 (UTC)
利用者:Kanbun/作業空間/下書き2ですが、コメントしずらいのではないかと思いました。一枚一枚みんなに配布するアンケートならこれでよいのですが、何人かが書き込むWikiスタイルの場合には、あちこちに書き込む欄があると編集しずらいように思えます。かといって、議論の幅が広く項目を削ることも難しいですし、どうしたらいいのか悩みます。--Michey 2006年12月6日 (水) 08:22 (UTC)
そうですね。例えばテーマごとの意見投票を区切って、というのも考えたのですが……。それもそれで煩雑であるかなと思いました。私自身は議論で前に述べた様な私自身の観点から問題を一つ一つ解決していくのがいいかなと以前は思っていたのですが、キリカさんの件での周辺で出された意見も考えて、議論自体をコミュニティの関心の高いところから手をつけていくものにしたいと思いました。なので、あまりにわかりづらい投票になりそうだったら、現在の方針案について問題を感じる点をコメントしてもらうだけの形式でも良いかもしれません。--Kanbun 2006年12月6日 (水) 08:26 (UTC)

とりあえず予定としては 12/9 ~ 12/16 を期間とすることを考えています。井戸端などを利用して広く告知したいと思います。以前の投票はこれとは無関係に意見を吸収する場として残したいと思います。今回のはあくまで現在の方針案に対しての意見を聞くということを重視したいと思います。その間は現在の方針案を維持して、以降の議論は投票結果で目立った箇所があれば、そこをまず重点として検討していくというものを考えています。投票案は基本的に利用者:Kanbun/作業空間/下書き2に準じる形を想定していますが、この形式の投票は問題が多いあるいはあまり意味がないということであれば、代替案を検討するもしくは投票自体を見送ることも考慮しています。--Kanbun 2006年12月6日 (水) 14:52 (UTC)

上記意見投票案について

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意見投票自体を見送るべきという意見はないようですので、上記意見投票案をサブページ化しました。

混乱しないよう、下書きの方はリバートしておきます。投票は 12/9 ~ 12/16 の間を予定しています。--Kanbun 2006年12月7日 (木) 10:12 (UTC)

意見投票を開始としたいと思います。「Wikipedia:井戸端 (告知)」・「Template:意見募集中」・「Wikipedia:重要な議題のリスト」・「Wikipedia:現在行われている投票」で告知しました。細かい手入れや整備をしてくださったZz2Micheyさんに感謝します。--Kanbun 2006年12月8日 (金) 14:40 (UTC)

方針化に反対

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突然、反対の意見で、すいません。

さて、少し前から思っていたのですが、どのような実情・実態から、この難しそうなルールが必要なのでしょうか。また、今何故この難しそうなルールが必要になったのでしょうか。

英語版にあるから日本語版にもあってしかるべきという考え方を理解しないわけではありませんが、また、このような理由だけでなく、外にもこのルールが必要だとの理由がたくさんあるのでしょうが、私は、今のところ必要ではないと考えます。日本語版の参加者のほとんどは日本人ですから、その日本人は、このような哲学的ルールには慣れていないと思いますし、とまどうばかりだと思います。このルールの本質を理解し、ウィキペディアに貢献する人々も多く現れるだろうことも予想されますが、他方で、このルールを逆手にとる人たちが出る可能性だって考えられます。今のところ、このルールが正式に方針化されたら、何かが直ぐに改善されるようなことがあるのでしょうか、そういうようなことがあるのであれば必要かも知れませんが、そういうようなことが思いつきません。

このルールが、何かの改善に役立つと思われることが出てくるまで、廃止にしておけば如何でしょうか。 なお、ここに書くべきことでなかったら、削除お願いします--Kemonomichi 2006年12月21日 (木) 06:17 (UTC)

個人的に言えば、この方針がすでに草案の段階であるにも関わらず、日本語版で実際に根拠として使用された例があり、これと代替可能と思われる方針がほかに見あたらないことを考えますと、この方針に対して一定程度コミュニティが必要性を感じていると思われます。またどのくらいかはわかりませんが、一定程度のウィキペディアンがこの方針をウィキペディアの極めてファンダメンタルな基本原則と捉えて、これを導入すべきという意見を持っているのではと思われます。このルールが必要とされる実情・実態といえば、方針の運用に柔軟性をもたせるものだと私自身は考えています(ただし別の、より原理的な意見、たとえば方針全般への懐疑的態度などを述べるようなものと捉える見方もあるようです)。廃止については本ノートの最初から提議されていますが、根強い反対意見があり、また私自身には、このルールは哲学的な内容を述べているのではなくて、たとえば緊急の対処・判断が難しい事例を解決するなどの際に、管理権限の即時的な発動などが妥当であると管理者が判断するとき、ルールの細目に則らなくても権限の行使を検討できるものと考えています。しかし先日での意見投票で寄せられた意見を検討しますと、多様な解釈をこの方針に期待する意見も根強く思われ、また基本的には導入したほうがよいという意見が大勢を占めているように思われます。
したがって先日の意見投票を見ますと、コミュニティは大筋で今までの議論を支持する方向にあるとは思われます。つまり今までの議論では、結局この方針を廃止するのではなく、またそのまま導入するのではなく、日本語版にどのようにローカライズするかを問題として進展してきたように私には思われるのですが、コミュニティの意見も同じ方向性を示しているように感じられました。しかしながら、もし意見投票や日本語版の現状を踏まえて改めて廃止すべきという意見が多いのであれば、廃止やむなしとも考えますが。私自身は単純に廃止してしまうよりは、日本語版に有用と思われる解釈などを抜き取って方針化してはとは思いますが、より簡潔な内容や多様性を許容する内容を支持する意見も根強いように思われますから、性急に廃止を検討するよりはゆっくり解決を図るのがよいかなと思っています。なぜかといえば、それほど性急にコミュニティがこの方針を必要としているようには思えませんし、かといって廃止してしまうほど突飛な内容でもなさそうなので。この方針が性急に必要な事態になれば一気に話は進むと思われます。--Kanbun 2006年12月21日 (木) 07:19 (UTC)
で結局を何をすべきかと言えば、問題点が提示されるたびに議論を積み重ねてみて、大きな改変の後には意見投票をし、その成果を適宜取り込んでみてはというような感じです。少なくとも一定程度の議論の積み重ねがあれば、草案であってもガイドラインとして一定程度の重みを持つと思われますし、明らかに問題と思われるこの方針の運用は排除されるのではと思います。それにこの方針は細かい手続きなど関係するような感じではないので、個人的にはずっと草案であっても、それはそれでこの方針らしいのではとも思いますが、一方で五本の柱に言及されているところを見ましても、この方針が公式化されるにせよ廃止されるせよ、何らかはっきりした結果を出すと影響が大きいと思われますので、慎重に結果を模索して、不用意に公式化や廃止に傾くべきではないのではないかと感じております。--Kanbun 2006年12月21日 (木) 07:35 (UTC)
私もこの文書の公式化には反対を表明します。公式方針に現実的な柔軟性を持たせるという内容からしてガイドラインにとどめるべきものと思います。
少なくとも一定程度の議論の積み重ねがあれば、草案であってもガイドラインとして一定程度の重みを持つと思われますし、明らかに問題と思われるこの方針の運用は排除されるのではと思います
Kanbunさんのこの意見にはまったく同感です。方針なのにルールを無視してよいことをゆるすという理解力を要するパラドックスを含むため、基本的に誤解や拡大解釈を生み易く、悪用もされやすい性質のものだと思うので、基本的に公式化にふさわしくない性質のものだと思います。このような抽象的な文書を公式化するより、三大方針が明確にしていない具体的なケースでの方針の適用についてのガイドラインを充実させる方がはるかに有用な気がします。--モトカル 2007年7月22日 (日) 09:19 (UTC)

表題の改名について

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以前からWikipedia:ルールすべてを無視しなさいという名称はまるでルールを無視することを推奨している(無視すべきである)かのような誤解が生じやすいなと考えていましたが、実際には「ウィキペディアのルールをすべて知(ってい)る必要はない」し、「ルールに縛られて(ルール違反を恐れて)、躊躇する」ことの方が問題であるので、「場合によっては無視してもよいこともある(ルールに縛られて編集を躊躇しないように)」ということをいっているわけですよね(でないと守る必要のないルールが存在することはおかしいということになりかねないです)。で、ふと Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい のサブページを見ていたらWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/ルールにこだわらないというのがありました。Wikipedia:ルールにこだわらないなら上記のことを簡単に示せて誤解も無いと思うので、 Wikipedia:ルールにこだわらない の方がいいんじゃないでしょうか。そう思って書いていた途中でよく見たら#(誤訳)ルールすべてを無視しなさいなどにも同様の提案があったみたいですね。更に今更気がついたのですが本来は Wikipedia:ルールにこだわらない だったのを改名したみたいですね。何故、改名したのかその経緯とかぱっと見た感じよく分からないのですが。 --Mzm5zbC3 2007年5月26日 (土) 19:25 (UTC) 本人による追記 --Mzm5zbC3 2007年5月26日 (土) 19:31 (UTC)

Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/ログ200611171120などを読めば分かるかも知れませんよ。--Kemonomichi 2007年5月27日 (日) 08:38 (UTC)
どうしても長い文章のため、見落としや対うっかりとばして読んでしまっている部分もあるとは思いますが、なかなか意図がつかめません。要約すると結局、何が原因で解明改名をしたのでしょうか。どう見てもこの方針名は日本語的におかしいです。「しなさい」と命令形ですので、「無視しろ」ということになります(つまり無視することが正しいというロジックが成り立ってしまいかねません)。そういう意図がなかったとしても、これは混乱の元になります。 Wikipedia:ルールにこだわらない で十分、分かりやすいと思うんですが。この方針を簡潔に一言で説明するなら「基本的にルールを守ることは重要だが、場合によってはルールを一切忘れて編集することも必要だ」ということですよね(前半が大前提)。必要であればルールの改編もあり得るし、反対の意見が多い方針やルールをそのままにするよりは撤回するなり改善するなりの努力もすべきだということも同意はします。だけど、必要でない限り基本的には無視すべきではないと思います。 --Mzm5zbC3 2007年6月6日 (水) 16:16 (UTC)
私は、Mickeyさんによる改名の意図は「ルールにこだわらない」が日本語的にしっくりきすぎて早合点を招き、この方針の誤解を助長しているために、あえて不自然な直訳調に改め、方針文書の中身を読まないとうまく理解できないようにしたのだと認識しております。Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/ログ200611171120を参照していただければ、経緯についてはわかると思います。Mzm5zbC3さんのおっしゃっていることで、一点だけよくわからないのは、「『しなさい』と命令形ですので、『無視しろ』ということになります(つまり無視することが正しいというロジックが成り立ってしまいかねません)」というのは別に「ルールにこだわらない」でも全く同様の誤解が生じる気がするのですが(なぜなら改名した当初の理由は「こだわらない」という表現がその種の誤解を助長しているという理由であったからです)。ウィキペディアの方針が「必要でない限り基本的には無視すべきではない」ものであることはこの方針内に明示されていることですし。(もちろん私自身は少し上で述べているように、改名なんて二の次で問題は内容だと思っているので、現状の文書内容のままであれば「こだわらない」でも「無視しなさい」でもかまわないんですが。)--Kanbun 2007年6月6日 (水) 18:16 (UTC)

(インデント戻す)
「ルールすべてを無視しなさい」という名称は公式方針としてはもちろん、ガイドラインとしてもふさわしい名称ではないと思いますし、実際の文書の内容をも適切に表現しているとも思えません。内容からすればやはり、「ルールにこだわらない 」の方が真意に近いと思います。結局、ルールを守ることにこだわり過ぎて、かえってルールが作られた意図から外れて、ルールを足かせにしてしまうのはあるべき姿ではないということが言いたいのではないかと思います。それらをふまえて、タイトルとしては「ルールにこだわり過ぎない」か、もっと意訳して、「ルールは守るためにあるのではなく、生かすためにある」ぐらいにしてはどうかと思います。--モトカル 2007年7月22日 (日) 09:43 (UTC)

んー、というか「ignore」は「あえて無視する」、「知らんぷりをする」という感じなので、「ルールにこだわり過ぎない」とか、「ルールは守るためにあるのではなく、生かすためにある」とかだと私はむしろ意訳しすぎな気が。個人的には「ルールにこだわらない」も、この方針の主旨を、おそらくラリー・サンガーがこの方針を起草したときの意図からはやや外れてしまうかなぁと。私の頭の中では「ルールを知らんぷり」あるいは「ルールを見ないふり」っていうのが「Ignore all rures」の適訳ですね(とはいえ、これについては人それぞれなので……)。まあ、でも私は名称については「こだわっていません」ので、「今のままじゃ問題だ!」というのであれば、改名提案をしてみて、コミュニティに諮ってみてはどうでしょうかね?--Kanbun 2007年7月27日 (金) 10:35 (UTC)
「あえて無視する」の本質は、今のルールにこだわらず「向上させる」という意味合いで良いでしょう。たとえば検証可能性の方針には「TV情報はダメ」とは書いていませんが、しょうもないTV情報が百科事典プロジェクトを害していると思えば、「TVで見た」という情報は除去するしかないでしょう。その意味でよりよくするために「あえて無視する」ということもありうるかもしれません。--Album 2007年7月27日 (金) 15:06 (UTC)
「情報除去が記事の向上である」というのは言い過ぎでしょう。この方針で語られている内容は、結局ウィキペディアの本質が共同作業にあること、ルールに則ってなくとも、ルールを超えてコミュニティに支持される行為があり得ることを示しています。検証可能性の議論も拝見していますが、失礼ながら、Albumさんのご意見は、共同作業という「本質」から目を逸らし、ご自分の主観の正当化もしくは権威付けのためにルールを都合よく解釈・矮小化しているきらいがあると感じます。
私は方針名にはあまりこだわりがなく、ある程度の合意が得られれば早く方針化した方がよい、という立場でしたが、こういった意見が出されたり、「検証可能性」のように方針が編集除去の手段にされている風潮を見ると、このルールが一人歩きする危険が大きく、やはり慎重を期すべきかと思うようになりました。--みっち 2007年7月30日 (月) 02:44 (UTC)
この方針が公式化することに慎重なのは私もみっちさんと同じです。日本のように「2ちゃんねる文化」が発展した地合いでこの方針を公式化することは、管理者をいたずらに疲弊させるだけです。
みっちさんと私が違うのは、みっちさんは「合意が本質」だとし、私は「合意は完璧な百科事典を作るための手段の一つ」だと考えていることです。ひとつ例えましょう。「ファッションヘルス」の項目で××な人が千人集まって「働いているのは全員朝鮮人」だと合意したとしても、私は一人で「検証可能性」を持ち出して除去します。ここは「合意」を目的とした「合意を楽しむ場」ではなく、質量ともに完璧な百科事典を作るプロジェクトの場だからです。(例えが下品で申し訳ない)--Album 2007年7月30日 (月) 12:04 (UTC)

(インデント戻します)検証可能性の問題についていえば、個人的に私も検証可能性を厳密にしていこうという今のウィキペディアの姿勢を好ましく感じています。もちろん中立的な観点と検証可能性が必ずしも両立するものではないので、往々にして論争の種となるのでしょうが。とはいえ、それは別の話としまして、ここはこの方針に絞って議論するほうがよいと思います。方針の公式化には私も慎重であるべきと考えていますが、とりあえずこの節はこのルールの表題について焦点を絞って議論をすべきかなぁと思っています。--Kanbun 2007年7月30日 (月) 12:20 (UTC)

結局この文書の要旨は「ルールは単に守ればいいのではなく、ルールの精神を生かすことが大事」、「ルールに不都合があれば、変えることを検討してもよい」ということかと思います。必ずしも英語の文書を正確に翻訳しなければならないということもないですし、それを元に日本人にわかりやすく、日本のウィキペディアの状況にふさわしいようにアレンジしてもよいと思います。そうするなら、表題は「ルールにとらわれ過ぎない」くらいがいいのではと思います。--モトカル 2007年8月12日 (日) 13:55 (UTC)
「とらわれる」、「こだわる」には既に否定的なニュアンスが入り込んでいます。ルールに基いて管理者が行動したとたんに、管理者のノートに「あなたはルールにとらわれている!」といったクレームが入っていくような「余地」を広げては、いたずらに管理者やコミュニティを疲弊させるだけだと思います。日本にある2ちゃんねる文化の素地の中では、この方針はウィキペディアに何の貢献もせず、劣化させるだけだと考えます。・・・できちゃった結婚の編集履歴等をご参照いただければ・・・。--Album 2007年8月12日 (日) 14:04 (UTC)
こういう答え方でいいのかどうかイマイチよくわかりませんが、
>結局この文書の要旨は「ルールは単に守ればいいのではなく、ルールの精神を生かすことが大事」、「ルールに不都合があれば、変えることを検討してもよい」ということかと思います。
については、実はこの方針文書の今までの議論の過程で必ずしも明瞭な意見の一致が見られていない点です。英語版でラリー・サンガーが英語版のIARを提案した意図は、初心者が「ルールを意識しないで編集をしても、結果的にうまい方向にいく」という意味で、現在の「Wikipedia:ページの編集は大胆に」あるいは「Wikipedia:新規参加者を苛めないでください」に近い内容を考えていたようです。
ただもちろんルールも生き物でして、英語版でも内容についての解釈が変遷し、主に管理者が緊急時に特定の作業をすっ飛ばして応急処置をするための根拠としてとか、ルールに抵触してしまうけれども有用な対処をするときの根拠としても用いられるようになったという経緯があります。そうしてAlbumさんが言っているような意味での、あまり推奨できない使われ方もされたりしたということで。端的に言ってしまえば、英語版と比べてみればわかると思いますが、すでに内容は日本語版の状況を考慮してかなりアレンジされています。そしてそれについて/意見投票20061209を行いましたが、この意見投票の結果から明らかなことは、内容についてはいまだに合意されているわけではないですし、人によってこの方針の捉え方がだいぶ違うということです。なので、モトカルさんが言っている内容はたしかに私の考えるIARの内容に近いものですが、それがコミュニティが想定しているIARの内容であるかはまだ確定されていません。そういう意味で、方針名を変えることにコミュニティが積極的であるならば、それは価値があるのでしょうが、しかし現状でまだ内容が必ずしも定着していない状態で方針名を現在の内容に合わせて変えることに、それほど価値があるのかという疑問は少しあります。まあつまり、私自身は、それなら先に内容を吟味して合意形成をはかるか、あるいはしばらく様子見して新たな観点が提示されて議論が盛り上がるのを待つべきではという意見です。--Kanbun 2007年8月12日 (日) 14:32 (UTC)

(インデント戻します)つまり改名が必要であるとモトカルさんがお考えであれば、とりあえずそれについてより積極的な形で議論を喚起することも可能です。もし是非とも改名すべきという考えであれば、私は改名にあまり乗り気ではありませんが、議論喚起には協力しますし、各種告知や依頼手続きを代行してもかまわないです。あと確認なのですが、現在の議論はあくまで名称についてであって、この方針を公式化しよう、あるいは考慮すべきガイドラインに昇格させようというものではないですよね?いちおう告知の形式に関わりますので。--Kanbun 2007年8月12日 (日) 14:40 (UTC)

Kanbunさん、私もこの節自体は改名についての議論だと認識しています。
>現状でまだ内容が必ずしも定着していない状態で方針名を現在の内容に合わせて変えることに、それほど価値があるのかという疑問は少しあります。
おっしゃるように、内容が定着していないのでしたら、内容を問題のないように改善するのが先ですね。「ルールすべてを無視しなさい」という表題でも、管理者に「すべてのルールは無視していいんでしょ!」といったAlbumさんが懸念されているようなクレームがなされるかもしれないから、この文書の扱いは難しいですね。しかし、私はこの文書はルールの上手な活用という点ではあってもいいとは思うのですが・・・--モトカル 2007年8月12日 (日) 15:11 (UTC)
私自身はこの方針を利用した荒らしについての強い懸念を持つ反面、たとえば著作権の問題で特定版あるいは全版削除された記事の、著作権に問題ない部分を合意を形成して履歴継承に必ずしも厳密でない形で復帰させるなどの処置の根拠とするといったような、積極的な活用法があると考えています。あるいはブロックの期間の短縮・ブロック解除などの救済処置を施す積極的な根拠にするとか。これもウィキペディアンによって意見が分かれると思いますので、いいか悪いかはわかりませんが、管理者が利用者に温情主義を取ったり、初心者などへ配慮をしめすこと、ほとんどコミュニティで異論がないだろうと思われるときに、厳密には必要であるべき手続きをいくつかすっ飛ばして処置することも可能になるのかなと。もちろんルールの厳密性を攪乱するという意味で、規則に余計な解釈の幅を設けてしまったり、無駄な論争を生み出してしまうでしょうから、諸刃の刃ではあるのですが……。--Kanbun 2007年8月12日 (日) 15:38 (UTC)