Wikipedia:井戸端/subj/WP:IGNOREについて
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(方針作成にて)メタ思考とか、哲学とか、構造とか
[編集]メタ思考や哲学や構造とか、そんな思考が得意な人いないかなぁ〜 とほのかに期待をよせて井戸端にやってきました。原因は「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」です。どうにも話が噛み合いません。
できる限り要約しますと、一方の主張は「内容を先に規定して行く」ことです。もう一方が、これが私の主張でもありますが、「形式と関連性の中から、この文書は意味が生まれる」です。その形式に関わるのが、「ウィキペディアのコミュニティーの尊重」「コモンセンスへの信頼」「創設者の理念への回帰」この3つの観点です。そして現在の文案は「コミュニティーの尊重」の方へ、偏ってしまい、他二つの観点がなおざり、最悪隠されてしまってます。かつ内容派の方達はそのことを認識できていないようです。「視座を示すだけでは無意味と思う」と言われました。これはNPOVの点から言っても問題です。内容派の方はリテラルさにばかり気を取られ、構造に無頓着なのかなって思った。
と、言った状況です。どうして、ここにやって来たかと言うと、なんか変な人が「警告します」「投稿ブロック依頼するか」とか喚き散らしてたので、問題を発展させない為にも井戸端にやってきました。書き込めないんですよ。困ったもんだ。キリカ 2006年12月2日 (土) 12:11 (UTC)
- 創設者の理念はどうでもいいです。プロジェクト全体の理念と戦略目標の作成主体は2004年以降、理事会です。ちょうど現在、改定のための議論をしています。詳しくは foundaiton-l をお読みください。
- なお個人的意見としては、こうした基本的な情勢を分からない方に「形式についてのメタな話」は過重な課題のように思います。しばらくROMに徹することをお勧めします。--Aphaia 2006年12月2日 (土) 12:51 (UTC)
- 横やりですが、噛み合わないのはキリカさんの議論が、あなたのおっしゃるところの「メタ思考」と哲学とか構造とかを記述するに適した表現を使っていないからのように私の目からは見えます。そういう大仰な事を問題になさりたいならば少なくとも論理的構築的に議論を進める必要があります。それが「構造」というものです。ご自分の感覚、感性に「メタ思考」とか「視座」とかいったレッテルを貼っても、他人と話を通じさせる事は出来ないのではないでしょうか。また、ウィキペディアは形而上学的議論を展開する場でもないとおもいます。個人の主義主張はとても大事ですが、ここでは百科事典を作るために必要なプラグマティックな思考も同様に尊重されなければなりません。--Pugnari 2006年12月2日 (土) 13:12 (UTC)
- この方がなにがしか哲学的訓練を受けているとは私にはあまり思えないのですが、それはおいて。Wikipedia is not (してはいけないこと?)の「プロジェクトがよくわかっていないうちに改革しようとしない」がこのケースには該当するかなと思いました。このままお続けになるとするなら、他の方にすでにいわれているようですが、強制的にお引取りいただくほうが最大多数の幸福に寄与するのではないですか。
- もっとも私としては、そうなることを望んでいるわけではありませんので、しばらくROMることを、改めてお勧めします。--Aphaia 2006年12月2日 (土) 13:17 (UTC)
- えへへ、だからさ、過重な負担だから手伝ってと、お願いしに来たの。おっしゃる通り、私は哲学やらメタやらは、にわか程度だもん。だけど、その私以下の方が方針作ってるとしたら問題じゃないかな〜ってさ。
- それでさ、どんな言語使えばいいのか分からないんですよ。おっしゃる通り悩んでます「例え」じゃ断片的だし、「構造」たって私はそこまで上手く説明できない、出来たとしても複雑怪奇な説明じゃ好ましくない。「ワンフレーズ」だと、分かった様な分からない様な状態だし。「具体案」だけ掲示しても表現には繋がらない。「記号」はちょっと高度過ぎて専門家じゃない私には無理そう。
- 一言で「物体は見る角度によって形を変える」なんて言われても、より分からないと思うんですよね。それと「プロジェクトについてよく分かってない」と言うほど無知ではないと思います。キリカ 2006年12月2日 (土) 14:02 (UTC)
- 構造というのは、複雑怪奇なものを単純なものの積み重ねで誰にでも理解できるようにする(構造主義、還元主義)考え方では?キリカさん自身がうまく表現できない事を、どうして他人が理解する事が出来るのですか。手伝おうにも手伝いようがないわけです。自戒の意味も込めて言いますが、たいていの事は、もっと簡単に、もっと卑近に述べる事が出来るはずです。そして、もっと具体的に述べる事が出来るはずです。あなたが「内容派」と名付ける方たちの主張通りにするといかなる不都合が生じるか、具体的に想定し得る場面も含めて、具体的かつ論理的に論駁する必要があります。自分の意図が伝わらないことにいらだって、相手の人格や行動様式を問題にするようなやりかたでは、ウィキペディアにおいて最も難しいルールであるWikipedia:ルールすべてを無視しなさいについて議論をする事など不可能です。ただでさえ難しい問題に感情やあなたの主観を介在させてどうしようというのですか。Aphaiaさんの仰るように、しばらく、自分の考えを整理されたらいかがですか。--Pugnari 2006年12月2日 (土) 14:15 (UTC)
(インデント戻し)だからさ、そうやって主観だの感情だのとしか、思えないってことがメタじゃないと言うの。つまり、「バカとは何かを考える」というテーマがあるとしますよね? ここでは「誰かをバカにする」のを目的としてますか? 違いますよね?なのに「バカを考えるのは、きっと俺たちの事バカにしようとしてるからだ」と思うのは、違うんですよ。
つまり、あれは個人攻撃ではなく「例え」なの。でもそれが通用しない。限界まで頑張ったんですよ。(生体の例を出したり)だから言語がなくて困ってる。それどころか本当にリテラルに、あれを個人攻撃としか認識させられないから、悩んでるんです。
以上の、所まで分からない様でしたら、私に助言するのは無理でしょう。私なんて、まだまだ未熟なのに、それ以下ではより困難です。「感情や主観」としか捉えられないのは、むしろPugnariさんが感情的だからだと思いますが
で、こうすると「バカとは何だ!」「言いたい事が分からん」ってなるんですよ。私は素直に「バカとは何かを考えたい」(←もちろん比喩ですよ)だけなのに。
それと、平坦過ぎると、これまた通じない、現に「物体は見る角度により(略)」も通じないじゃないですか。
あと、助言の「自分の考えを整理(略)」ですが、大分長い間考えたのですが行き詰まってます。ですから出来れば誰かとお話しして煮詰めたいなと思います。利用者‐会話:キリカに来て貰えると助かります。キリカ 2006年12月2日 (土) 14:47 (UTC)
- 方針の議論で「バカであるという事」が何かということを考える必要が何故あるのですか。しかも、人の発言が「バカに聞こえる」とかいうコメントは、主観的ないし感情的なものであると言えます。少なくとも客観的ではあり得ません。「以上の、所まで分からない様でしたら、私に助言するのは無理でしょう。私なんて、まだまだ未熟なのに、それ以下ではより困難です。」というのも、主観的ですよね。違うというのであれば、たとえばわたしにはあなたの文章は人とまじめに対話しようという人間のそれには読めませんし、あなたが何を意図しているのかさっぱり理解できません。従って、あなたの論理では私はキリカさん以下であるということになりますね。それでは、「私がキリカさん以下である」という命題を論理的に証明してください。私には、この命題自体があまりにもリディキュラスで証明不能だと思いますが。ちなみに、そういう発言をされるかたとは衆人環視の下でない場所でお話をするのは気がすすみません。
- 100万歩譲ってそれを措くとしても、「バカであるという事」がいったいなんであるのかということが、少なくとも多くの利用者の目からは方針の議論とあまりにかけ離れているような見える事を指摘しておきます。もし密接な関係があるというのであれば、万人が納得できるような論理的な説明をまず行ってください。--Pugnari 2006年12月2日 (土) 15:01 (UTC)
- 私の感情を述べるなら、誤解を与えるのではないという脅えと不安、意図が伝わらない事に対する戸惑い、認識を共有できない事に対する寂しさです。私は「恐い」って言ったんですよ?「恐い」って。分かってもらえないんじゃ無いかと思って恐かったんです。本当に悪気なんてありません、信じて下さい。それが私の感情です。
- あと、言い忘れてました。ノートに呼んだもう一つの理由として、井戸端が溢れかえる程、もの凄く長くなるのが予想されるからです。そして予想は多分当たります。私も冗長は嫌いだし簡潔が好きだけど、なんか無理そう。
- 「論理」にはなりませんが、ある程度は説明できますよ。(って言うか、これ閑話です。)「私がキリカさん以下である」を「AさんはBさん以下である」と置き換えてみます。その上で
- 「『AさんはBさん以下である』という命題を立ててはならない」
- とすれば、おかしさが際立つでしょう。「AさんがBさん以下である」場面は当然想定できるからです。身長、体重、年齢や、中には、IQ、年収、交際歴など、比べるのも不快な指数もあるます。だとするなら
- 「『AさんはBさん以下である』という命題を立ててはならない」は、
- 「この指数を比較するのは不快だから『AさんはBさん以下である』という命題を立ててはならない」
- の方が近いでしょう。肝心なのは
- 「何において『AさんはBさん以下である』のか?」と
- 「どれだけ自分にとって不快なテーマを自覚できるか?」と
- 「自分にとって扱いたくないテーマに、どこまで堪えられるか?」
- という問いかけじゃないですか?私はPugnariさんは自覚も出来てないように見えました。つまりテーマを扱うのを避けてるのです。この場合のテーマは、差詰め「愚か者の定義」になるのかな?。ここでつっかえるのでしたら「愚かさの認識」や「その他の認識(勇気や無謀など)」に辿り着くのが無理なのは明らかです。定義がなければ認識もできません。だから認識の点においては「以下」です。(閑話おしまい)キリカ 2006年12月3日 (日) 08:40 (UTC)
ええと、とりあえず何が言いたいのか掴みかねているのですが…対話を試みてみますね。まず、メタとか構造(主義)とか記号(学/論)とかといった言葉を使うなら、できればそれをある程度理解した上で概念的な説明を加えることを厭わない覚悟を決めるか、その言葉を持ち出さずに、また別の比喩を使うのではなくその場に即した内容に適用して具体的な作業に反映させて議論に参加するかのどっちかにして欲しいです。
で、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいでのご意見は、要するに「新しい方針案は、具体的な解釈を提示することで過度に限定的であり、またウィキペディアのコミュニティへの同化を過度に、かつ暗示的に求めているから、それはよくないんじゃないか」ということでよろしいでしょうか。つまり、
- もともとの一番短い方針文は、提案者には提案者の意図する内容があったとしても、方針として文章とすることで「記号」となり、解釈はそれを読む側、利用者に委ねられ、利用者の解釈によって、提案者の意図する内容と異なる解釈が生じ、一方では荒らしを増長させる可能性はあるけれど、それらは他の方針とその運用によって規制される。他方、荒らしに向かわない方向での解釈では、提案者が意図した内容だけではなく、ウィキペディアでの活動において有益な解釈が生じることもあり、この可能性を減ずることは好ましくない。ところが、具体的な解釈を盛り込んだ新しい方針案は、過度に内容解釈を限定するものであり、結局IARという方針名を持つにもかかわらず、IAR(ルールすべてを無視しなさい)のルールに従うことを強制するものとなってしまう。
- のみならず、このIARの方針は、原則としてルールに従うという全体構造の中において、特異点とでもいうべき方針となっています。現在の方針やガイドラインの構造は、「これまで」のコミュニティの意志の反映であり、既に複雑化しているために、新たな有益なアイディアがあったといてもそれを現実化する際には煩雑な手続を踏まなければルールに従わないとみなされ、閉塞的な状況を生み出してしまう。そのような位置にある方針を、解釈を明示することで役割を限定してしまうことは、好ましくない。
というのがキリカさんの考えと言うことで合ってるでしょうか。まずは、それを確認させてください。-Ks aka 98 2006年12月3日 (日) 17:33 (UTC)
- 横からすみません。最後の文がよく分かりません。「そのような閉塞的な状況下で、特異点の位置にあるIARの方針を、~」ということですか? --スのG 2006年12月4日 (月) 10:19 (UTC)
- ということです。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 10:27 (UTC)
- そうそうそう!!! そうなんです!!! そうなんですよ!! そうなの!! いくつか違うけど大体そんな感じですよ!! うわーーん・・・ すごく寂しかったぁ・・・。ずっと独りだったんだもん。。。不安で押しつぶされそうでした。。。助けて(リードして)くれてありがとう。
- えっと、解釈を文書の内側に規定するのは、やはり変です。解釈は文書の外側に規定して行くのがよいですよ。それを可能にするのが多元な観点です。だからカテゴライズやテンプレート化を提案しました。荒らしについては、この方針に頼らなくたって、他の方針と、管理者の裁量と、コミュニティーの力で、対処されれば良いんですよ。
- いくつか差異もあります、一つは、私は「閉塞的な状況下で」ではなく、「排斥的な作用が起こっている状況下で」と見てます。閉塞的な状況ならば離脱の自由もない状態ですからコミュニティが自覚できるのですが、排斥的な作用ですと参入の自由がない状態ですから、コミュニティが自覚しづらいと思うのですよ
- もう一つは、誤解のない様に注釈しますと「コミュニティーの同化がよくない」という訳ではありません、その解釈もあって然るべきだと思います。ただ、解釈はIARの外側に規定していくべきだと考えます。ですから「解釈を明示することで役割を限定してしまう(略)」を正確に言うと、「文書の内側に解釈を記述することで役割を限定してしまう・・・」と言うことです。キリカ 2006年12月4日 (月) 15:47 (UTC)
- キリカさんが以前「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」と同様の方針であると述べた「Wikipedia:中立的な観点」も「解釈」を方針文書内に含んでいます。解釈が方針文書の外側にあるべきという主張は私には妥当性があるものとは思えません。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 16:14 (UTC)
- ああ、それはなにより。じゃあ、とりあえず、もうちょっと詰めてみましょう。ここはIARのノートではないですし、話が拡散しますので、kanbunさんの意見については、以後ちょっとだけ保留しておいてください。まずはお願いまで。ちょっともろもろしないとあかんことがあるので、後ほど追記します。kanbunさんも、ひとまず話を保留して頂けないでしょうか。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 16:19 (UTC)
- はい、座って待ってます(ちょこん)、でも私は警告されちゃったからIARのノートには書けないです(しょんぼり)。キリカ 2006年12月4日 (月) 17:17 (UTC)
そん次
[編集]じゃ、そん次。
「上で書いたような意見+キリカさんの修正」てのは、それでも具体的な文案がそのまま導かれるようなものではなくて、そこでまた困るわけです。理念だけを考えているわけにはいきません。リテラルに受け止めても問題がない(それがたとえ反語的であっても)と思われ、方針の構造上も過度に限定的にならないような文案が提示されていれば、IARでも具体的な文言や項目の話に移行できる。で、キリカさんの意見に一番近いのは、おそらくmiyaさんが作ったやつで、現在の英語版もこの形(だったはず。最近見てないけど)。これが、さまざまな可能性をこれまで生み出し、いまなお可能性を保持しうる「テキスト」です。
ところが、この一番短いやつが最善かというと、そうとは言えない。たかだか初期の関係者の一人が書き入れたルールに過ぎないわけです。英語版では、この短いルールの他に、ガイドライン的なものもある。「創設者の理念への回帰」とは、まず「創設者の理念の検証」が必要となります。たとえば、kanbunさんは、履歴を辿って、ルールが生れた時のコンテキストや、実際にどのような解釈がされたかというのを具体的に調べてみている。ルール発案者は、さまざまな解釈を必ずしも快く思っていなかったことが示されています(だからといって、その気持ちを尊重しなければいけないというものでもない)。他方、Michey.M さんは改変した試案を示し、Anonimous000さんはその整理をしたりている。ここで、解釈や文案がコミュニティの保持に流れるのは、解釈者が常にウィキペディアのコミュニティ内部にいて、百科事典を作るというコミュニティの目的に合致した解釈をよしとするという、「場」の問題がありますから、それはある程度までは必然ですし、ご理解されている通り、それは悪いことではありません。それぞれの活動歴で感じたことや、調べたことを元に、具体的に文をいじるほうが、キリカさんが構造とかなんとかの理解を共有してから考えようとするのに比べて、話は早く進んでいきます。ここでは、「コモンセンスへの信頼」が、どこまで有効かという点が検証されます。荒らしを正当化する言質となるということの前例を求めれば、おそらくAnonimous000さんは、実例を挙げてくれるでしょう。他方、信頼すべきだという意見をすすめるならば、それでもなお信頼できる、あるいはそれを上回る有効な例があるということを示すことが望ましい。ルール自体は後でも変えることができるのですから、実務的には、こういったやりとりも一つの有用な方法で、いったん抽象的な思考を止めて、地道な確認作業に向かう人がいないと話は進まないことも多いのです。
さて、ここで一つキリカさんに気付いて欲しいことは、IALのノートでの発言のいくつかや、Anonimous000さんの会話ページでのふるまいは、あまり妥当ではなかったことです。構造やメタな思考が伝わらず、意図せぬ反論を受けたことによるいらだちは理解できますが、自分自身の言語化が不十分であったこと、文案や解釈を求められることは方針のノートという場においては避けられないこと、kanbunさんやAnonimous000さんらの行動は、単に批判すれば済むものではないということがご理解頂けたと思います。また、誰かが偏っていたり特定の立場から話を進めている場合は、核心に触れずに批判するよりは、直接それに言及する方が中傷にはなりにくいです。
もう一つ、ここでキリカさんが試みなければいけないことは、なんとか文案と方針の構造で、現在考えられる中で最善のものを示し、その理由を説明することです。「構造」や「非明示的にある傾向を生み出す記述を避ける(あるいはあざとく利用する)」といったことは、ある具体的な文を生みだし、説得力ある形で提示するために自分の中で様々な配慮をするために用いるのでなければ、理念で終わってしまいがちなのです(もちろん、理念そのものを追うという道はありますし、執念で理念から実務に結びつけることもありえます。)。基本となるのは、上記の短い本文の版+運用集・解釈集という英語版の形になるでしょう。運用集・解釈集は、コミュニティになじめないけれども、投稿意欲はあり、悪意はなく、削除対象となるような投稿をしている利用者を排斥するものではなく(排斥しないためのルールでもあるように思います)、同時に荒らしの正当化に繋がることの無いような、などなど、様々なバランスを取りながら落としどころを探る必要があります。「カテゴライズしたり、テンプレートを作成する」のであれば、それがどのようなものか、具体的に示す必要があるでしょう。「上で書いたような意見+キリカさんの修正」というところから具体化していく形で意見を述べる限りは、対話は成立するはずです。具体的な想定ではない例を挙げるなら、説明したいことと正確に対応し、かつ対話の相手にとって理解しやすい例を挙げなければ指示内容は曖昧にしか伝わりません。
あるいは、しばらくは静観してみるという手もあります。ぼく自身の考えはキリカさんの考えに近いところもありますが、いましばらく忙しいのでIARの議論には参加していません。IARは、特異点的な位置にあるので、そうとう大きな記述の変化があっても、その役割自体は揺るがないものでもあるように思います。ならば1年後、2年後に再考を提案してもよいのかなと。
ついでに申しあげるなら、いわゆる言語論的転回以降、キリカさんが困っていたような説明の困難さや、具体的な事柄への適用の難しさは、多くの人を苦しめ、あるいは開き直らせました。いわゆる現代思想、ポストモダンなあれこれに関心を持つのであれば、まずは適当な入門書や啓蒙書を読み、その後そこに登場する人の本を一冊でもいいので読んでみて、その違いを実感してみてください。難解さの違い、対象としている範囲の違い、記述方法の違い、などなど、それを実感することで、なんとなく自分の知識の「程」を知ることに繋がるでしょう。それは不安と増長を抑制してくれるはずです。
では、キリカさん、kanbunさん、話を差し止めてすみませんでした。キリカさんには偉そうな説教のようなものをしてしまって申し訳なく思っています。記号論/学の項目はまだまだなので、そっちに挑戦することも考えてみてもらえると助かります。以後、IARについての話であれば以後は井戸端ではなくノートに移動した方がよいと思われますが、kanbunさんやAnonimous000さんの判断、コメント依頼の様子に応じて、それぞれご判断下さい。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 18:44 (UTC)
インデント戻します。仮にキリカさんの主張がIARを「特異点の位置にある方針」とするものであったとしても、この「ルールすべてを無視しなさい」は「新たな有益なアイディアがあった」場合にその理由を示せば「それを現実化する際には煩雑な手続を踏まな」くてもよいことを示していると思われます。したがってそれが「閉塞的な状況を生み出」すものとは思えません。この方針がもし「役割を限定」している点があるとすれば、コミュニティの維持と改善を目的としている点とルールを無視する際には理由を挙げるべきことを述べているだけであると思われますし、キリカさんへの返答でも述べたとおり、これらのことが何らか抑圧的に作用する様には私には思えません。したがって問題になりうるとすれば、現在の文書が挙げている適当であると思われる解釈と不適当と思われる解釈の例示が、個別に適切であるか不適切であるかの点がまず検討されるべきかなと思っています。キリカさんの指摘が具体的な内容を検討せずに、「ルールすべてを無視しなさい」の表面的な煩雑さからこのルールの簡便性やその直接的な効果が失われているというものであれば、私は現状の方針に対して、そういう感想は持っていません。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 10:40 (UTC)
- もちろん「新たな有益なアイディア」が継続的にウィキペディアに影響を及ぼすものであれば、それはしかるべき手順を踏んで方針文書とされるべきです。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 10:48 (UTC)
- それですと、方針名は「有益なアイディアを歓迎します」と「その為の手続き」になると思います。名称を後で決めると、どうしても名称が変わってしまいますよ。解釈については、文書の内部に規定するのは「あってはならない」と信じます。これは制定の大原則であり、いかなる制定も解釈までは規定してはならないはずです。(なぜ「制定」と言う単語を使ったかと言うとルール以上の意味を含んでいるので)それに私は内容を検討するのは懐疑的だって言ったのに、ずっと内容や文案を要求するんだもん・・・・・なんか責められてる気分になって来て・・・・伝わらないのかなって・・・・。
- Kanbunさんとの見解の違いはここにあると思います。Kanbunさんが煩雑さや多義がある事をネガティブに捉えているのではないでしょうか。むしろ私はその点をポジティブに捉えています。これはlawと言うよりconstitutionに近いものであって、運用する為の方針ではないと見てるんです。おそらくこの方針自体が行使されうる場面は存在しないはずですよ。むしろ効果を及ぼす文書になっているのでしたら、もはや別物なんです。キリカ 2006年12月4日 (月) 15:47 (UTC)
- 運用というのがもし「手続き」を意味しているならば、「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」は手続き自体を定めているものであるとは私には思えません。この方針を理由もなく、それ自体で行使することはこの方針の現在述べている内容と対立的な見解であると私には思われます。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 16:14 (UTC)
Kanbunさん、ちょっと待ってみてもらえますでしょうか。とりあえず、キリカさんが言おうとしていることを確認したいのです。ぼくが書いたのは、まだ誰の意見でもない推察に過ぎません。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 12:04 (UTC)
- もちろんそうです。そういう意見であった場合について答えたのみです。最終的にはキリカさん自身が明確な表現で述べてくれないと真意はわかりません。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 12:09 (UTC)
- つまり上の意見は結局Ks aka 98さんの意見になってしまうので、キリカさん自身の発言を推測して復元することは、復元者の解釈した意見としては検討できますが、キリカさん自身の意見として検討することはできないのでは?ということです。本人に説明してもらうしかないのではないでしょうか。Ks aka 98さんの用語で置き換えることは、それがキリカさんの表現ではないという意味で「Ks aka 98さん自身の意見ではない(この場合「誰の意見でもない推察」)」という表明の仕方をすると、議論が拡散されてしまうと思いました。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 12:16 (UTC)
ええと、Kanbunさんのノートに行きます。ちょっと時間が作れないかもしれないので、夜中になるかもしれないですが。ここはひとまずここまでということにさせてください。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 12:26 (UTC)
- お願いします。Ks aka 98さん自身がキリカさんの意見の中で納得できる箇所があり、それを自分の言葉で表現できるならば、改めて自分の意見として表明され、具体的に議論されることをお勧めします。このさきはノートでお待ちします。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 12:29 (UTC)
インデント戻します。私はキリカさんが自分が「人格攻撃」した非を認め、Anonymous000さんに謝罪をし、それをAnonymous000さんが許されたならば、キリカさんと議論することを厭いはしません。私が許すことができないのは、明確に「人格攻撃」に当たる言葉であるということを直前に認識しつつ(参考:[1]・[2]・[3])、言を左右にしてそれを認めずに自己正当化して悪態をつく姿勢が許すことができません(参考:[4])。私にはキリカさんが当該ノートでAnonymous000さんの話題を出す必然性がいまだに認識できませんし、Anonymous000さんの心情から考えても、ちゃんとした謝罪行為がおこなわれていないのは大変遺憾です。本人から反省の態度が見られないうちは冷静な議論は望めそうもないので、議論がこじれてしまうかと思うと、正直相手にしたくはありません。本人が言うには「悪気はないので悪しからず」という言葉がこの場合免罪符になるそうですが、そのような認識がどうして成り立つのか、はなはだ疑問です。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 20:11 (UTC)
- 私は、ああ言う議論の場では社会通念を持ち出すのは却って不味いと考えてました。忌憚なく話す方が好ましいと。それがあんなに火を吹くとは思いませんでした。
- 暴言についてですか? それは一般的な言葉遣いや、社会通念、人格・行動への言及と見ればいいんですよね。でも、だとしたら、Anonymous000さんは、最初の方で私のこと「荒らし」って言いましたよ、「荒らし」だって。その上、話す気がなさそうで、ずーっと一度も対話してくれてません。警告や助言ばっかです。なんで私はこんな責められるのに、彼は何にも言われないんですか。どうしてAnonymous000さんは大切にされて守られてるのに、私はボロ布みたいな扱いなんですか。
- これじゃ侮辱とかそう言う問題じゃなくて、ただ私だけが責められてるだけみたいです。形だけでも「謝れ」と言うんですか? 形だけでも…、それこそ、私が常々、主張して来た形式の優先じゃないですか。何が問題だったのかお互い上手く理解できない状態で謝っても「反省」になりません。また繰り返すかもしれませんよ。無理やり謝らせても内容的にはただの「屈服」と「優越感」と「主体性を奪う」にしかならないです。そんなんで本当にいいんですか? 今は形だけでも良いから謝れってことですか? それよりどうして、その様な発言をしたのか説明をした方が誤解も解けるし、有意義だと思います。あるいは軽いジャブだと思って流せば良いと思います(私はそんなつもりないですけど)。どうしてもと言うなら、私の心を拘束し、薬を打って自我をなくし、何も考えられない玩具にしたあと、私の額をAnonymous000さん目の前で地面に着けて下さい。中身全部空っぽになった私をボロ布の様に好きにして下さい。謝れと言うなら何回も謝ります。それで良いんですよね。。。
- コミュニティの維持の為なら仕方がない、生贄は一匹でいいから、Anonymous000さんはイラナイって事ですよね。なんでコミュニティのために私の「気持ち」を踏みにじられなくちゃいけないんですか。私には、この様な形式的な儀式の中から「謝罪」の意味の発生は望めないと思います。欲しいのは内容的な「謝罪」なはずです、ここで得られる内容は「屈服による満足感」なだけです。
- 行動についての言及だって言うなら、Kanbunさんは、Anonymous000さんの方ばかり庇ってます。OFFで仲良しなんですか? それとも何か弱みを握られてるのですか? それに私は形式の話をしようとしてるのに、何度も内容の話に引き戻してばかりです、これが是と言わんばかりの勢いです。これは何ですか?
- それにAnonymous000さんは手続き的なことばかりやっていて、何をしたいのか掴みかねてます。議論を深める気配が見えない・・・。逆に、もし議論に意味がないと思うのなら私達の議論を制止しちゃえばいいのに、後から細かい事を指摘してるだけ・・・。彼は発言自体に憤りすら表明しておらず、ただ「元気が私には」と言っただけ・・・。周囲の反応を見て楽しんでいる様に見えます、何をしたいのでしょうか? これでは…… あ、すみません、何でもないです。えっと、噛み合わないながらも、誤解されながらも、議論をして下さってる方達の方が、まだありがたいし、尊敬に値します。私には彼こそルールと言うメタの階層で勤しんでいる様に見えるんですが、私の事を分析したMaris stellaさんには、同様に分析して欲しいと思いました。
- さあ「謝れ」って命令して下さい。もう何でもします。好きな様にして下さい。頑張って諦めます。私みたいなバカはどうせ人の感情なんて分からないんです。それなら命令された方がマシです。キリカ 2006年12月5日 (火) 18:11 (UTC)
少しIARの話をすると、私は『常識と良識のセンスを信頼する』と『常識を共有してない』を見て「これはいいなぁ・・・」と思ったんです。(この「いいなぁ・・・」は上手く説明できません。これを説明するのが、恐らく抽象さなのだと思います。)これら方針は、IARと並べる事で威力が増します。相乗的な意味付けに期待しました。それが現在のIARと、合わせると効果が下がってると見えるのです。
もう一つはメールマガジンとの関係です。各人に何らかの認識や価値観があっても、その主観はパーソナルな物だと限りません、主観や認識が共有される事が往々にしてあります。その認識や価値観が、どこかに存在する視座や見地に集まり紡がれるのならば、それは小さくとも濃密なコミュニティの形成に繋がると思えました。具体案にするならば、井戸端の分割です。また一種のゾーニングでもあります。(と、言ってもこれは、IARから導き出された一つの提案にすぎません。)
自己弁護も兼ねますと、決して具体的な話を放棄してる訳ではありません。再三くり出される、内容優先による文案要求から逃れるのと、形式の重要さを伝える(例えを用いたりしました)のに精いっぱいだっただけです。「質問」なら良いんですよ、それならちゃんと答えられるんです。「要求」と「場の変更」されるから、場を戻すことばかりに議論が費やされるんです。キリカ 2006年12月5日 (火) 18:13 (UTC)
おちつけ。--Ks aka 98 2006年12月5日 (火) 18:28 (UTC)
Anonymous000さんの「荒らし」の書き込みについては批判的な捉え方もちゃんとあります(リンク先:miya 2006年12月5日 (火) 17:26 (UTC) 、Kanbun 2006年12月5日 (火) 17:38 (UTC) )。 「形式」についてもちゃんとKanbunさんが取り入れてますよ。--Ks aka 98 2006年12月5日 (火) 19:33 (UTC)
「頭が弱いように見える」と「人格障害に良く合う」
[編集]キリカ氏は、Anonymous000 氏に対し、「頭が弱いように見える」とか「犬のようだ」とか「わたしが教えてやっている」とか侮辱的な暴言を述べたことで批判されているのですが、確かに「頭が弱いように見える」などは他者の人格を貶める暴言でしょう。では、行動を分析と称して、その結論部分に、このような行動からは「キリカ氏は……自己愛性人格障害によく合う」などと断定することは、人格的な侮辱にならないというのでしょうか? キリカ氏は他者の感情について配慮していない、とか自分勝手な主張を行うというのは、その行動についての描写であって、そのこと自体は、事実あれば、そうであるので、人格攻撃とは言えないでしょう。しかし、これこれの行動の特徴からすると、この人は「統合失調症の方のように見える」とか「何々人格障害の概念がよく合います」などは、人格に対する侮辱とは言えないのでしょうか(また、「そして、このような問題を良くしていくためには、10年、20年の長い年月をかけて……」と書いていますが、この「良くしていく」は、リンクで、その先は隠れて見えませんが、人格障害#治療です。つまり、キリカ氏は「人格障害」だと、ここで断言しています。なお素人による診断規準の適用については、この文章を参照)。
人格障害は、精神科医が診断するもので、診断したとしても、その診断は個人のプライヴァシーとして、治療に必要な親しい家族のみに伝えるということは許容されますが、関係のない他者や公衆の前で、精神科医が、誰々は人格障害であって、などと公言した場合、医者としての資質や資格が疑われるでしょう。まして精神科医とはとても思えない方が、他人に対し、「人格障害」の記述や記載が当てはまるなどと公言することは、「無期限ブロック」の理由にしたいのだとしても、「頭が弱い人に見える」と同じ次元というか、いや、もっと悪質な人格攻撃とは考えられないでしょうか。ウィキペディアに参加して活動している人は色々な人がいますが、行動や編集が不適切である、というような事実指摘はともかく、「精神障害に該当すると判断しますので、10年、20年以上の時間が経過しないと直らないでしょう」などと平気で書ける神経が疑われるし、またこれは人権侵害の範疇にも入って来るのではないでしょうか。--Maris stella 2006年12月6日 (水) 13:46 (UTC)
- 私もAnonymous000さんの行動はすこし行き過ぎたと思います。論争の当事者は客観的になりにくいものであり、反論が新たな攻撃になりがちです。Anonymous000さんの行動も、プロジェクト推進ではなくて、「敵に勝つこと」(Wikipedia:丁寧)が目的になってしまってはいないでしょうか。自戒もこめて、コメントしておきます。--Aotake 2006年12月6日 (水) 16:00 (UTC)
Anonymous000さんの(Wikipedia:井戸端/subj/WP:IGNOREについて#キリカ氏の問題行動に関する分析)以降のやりとりを読み、ある種の危惧を抱き書き込ませていただきます。危惧の内容は2点、まず素人がネット上のやりとりのみで人格障害という断言をすることの危険性については、Maris stellaさんがまことに的確な説明をしておられます。
もう一点、これが実は最も私が懸念していることなのですが、自己愛性人格障害がWikipediaの投稿ブロックを行う理由になるのでしょうか?そのようなことは決してないはずです。Anonymous000さんはそのような意図でご意見を書かれたのではないと信じたいですが、「自己愛性人格障害者は10年20年かけて治療を進めていった上でなければWikipediaの投稿を認めるべきではない」。とのご意見と取られても仕方の無い書き方をされていると思います。これは例えていうならば「統合失調症の人たちは完全に治ることが無いと言われているので無期限ブロックすべき」。といった感じの人権侵害も甚だしい意見と本質的な違いはありません。自己愛性人格障害であれ何であれ、Wikipediaのルールを守っていただける限り問題はないはずです。
私自身としてはAnonymous000さんの各方面での活躍はとても頼もしく拝見しておりまして、今後の活躍に大きな期待をしていたので、今回の件はまことに残念です。どうか冷静さを取り戻していただき、より良い形でWikipediaでの貢献を期待しております。--のりまき 2006年12月7日 (木) 11:59 (UTC)
- 私自身は人格が変だと言われるのには厭わないですよ。むしろ落ち着くんです。自分が周囲と上手く合わせられないのが分かるので「人格が変だ」と言われると安心します。恐らくそれが私のベースになっているから、過激で異常な発言を侮辱だと感じられないんです。ただ周囲の人の反応を見て「イケナイ事なんだ・・・」と認識するだけ。私にとっては行動の指摘は感謝の対象になってます。あと現実でも「日本語をおかしい覚えてないか?」と、よく笑われます。と言う訳で、出来るかぎり言葉選びには気をつけて行きます。キリカ 2006年12月8日 (金) 16:01 (UTC)
- キリカさん、「出来るかぎり言葉選びには気をつけていきます。」って言ってますが、ついさっきは利用者:キリカ/IARと井戸端の件を自分なりに反省してみたでひどいことを言っていますね。コミュニティの皆さんが、さすがにあなたの言葉に耐えきれず削除していますが。今では、あなたの文全体を削除依頼に出しています。あちらで言ったこととこちらで言ったことがまるで反対のことを言っているのですから、コミュニティーからは信頼されません。あちらとこちらで言ったことのどちらが本当なのでしょうか?--Kemonomichi 2006年12月9日 (土) 07:42 (UTC)
コメント書いたことをお知らせ。--Ks aka 98 2006年12月9日 (土) 13:55 (UTC)
お詫び
[編集]はじめに、冷静さを欠く明らかに不適切な投稿をいたしましたことをお詫びいたします。理性を失って「同じ土俵」に乗ってしまい、ウィキペディアを戦いの場と勘違いしていると取られても仕方のない投稿でした。人権侵害ではないかというご指摘があり、今回のキリカ氏との経緯(対抗言論をキリカ氏自身が持ちだしていること等。詳細は省略)を踏まえると私自身としては法的問題はないだろうと考えて投稿したために迷っていたのですが、いずれにせよウィキペディアに投稿すべき内容ではなかったことは間違いなく、今では後悔の気持ちばかりです。1日色々と考えていくうちにいくらか冷静さを取り戻し、今回の投稿について私から特定版削除依頼を提出いたしました。削除依頼については事前の議論を全く踏んでおらず、削除となる場合には多数のユーザーの方からいただいたコメント等を失うことにもなることから依頼を出すかも迷ったのですが、全てコミュニティの皆様のご判断に従いたいと思います。
最後に、コミュニティの混乱を深める要因を作ったことを改めて深くお詫びいたします。申し訳ありませんでした。--Anonymous000 2006年12月7日 (木) 14:47 (UTC)
- 事の経過は時折目にしていましたが何だかちょっと歯切れが悪いというか、コミュニティという抽象的な概念やシステムに対して詫びても仕様がないような気がします。Anonymous000さん自身、何が問題で誰に詫びるべきなのかわかっているハズだと思うのですが。Ray go 2006年12月8日 (金) 13:32 (UTC)
- (改めてお詫び)この度は、ウィキペディア日本語版上では絶対に行ってはいけない投稿を私が行ったことによって、キリカさまをはじめとする多くのウィキペディアンの方々に、大変不快な気持ちを生じさせましたことを、改めてお詫びいたします。特に、キリカさまには、履歴の中にあったにすぎないIP氏による「荒し」という指摘に私が安易に共感してしまったことや、それによって無神経にもキリカさまに対して「荒らし」と指摘したことを、まず改めて深く陳謝いたします。キリカさまが<何処行っても「荒らし」と呼ばれる>ために、そこまで「荒らし」という言葉を忌み嫌っていらっしゃることを予め知っていれば、もう少し違った形での対話を行うことができたのに、と悔恨の念を感じています。本当に申し訳ありませんでした。さらに、その後私が冷静さを失った状態で行ってしまったたひどい「反論」も併せて深くお詫び申し上げます。
- ただ、今日1日完全にwikibreakした後、ウォッチリスト等を確認してみました。そうすると、私が既に関わっていた議論等で以前から約束していたことや、議論の進行の中で私が手助けできる規約上の問題などが複数生じておりました。ここでその説明の詳細は省きますが、これ以上のwikibreakを私が続けることで、規約関係(Wikipedia名前空間)にはそれほど馴染みがないけれども、百科事典の質を向上させることに熱心な「一般ユーザー」このような呼び方も失礼かも知れませんが、私のような規約作りにばかり関わっているユーザーではなく、記事の編集を中心に行っているユーザーのことです。の方が、ウィキペディアに失望してしまうことを懸念するようになりました。また、私自身は規約整備は快適な執筆環境を作るためにあると考えて取り組んできているつもりでおりますが、少し離れた間にも気になるところがちらほら出てきております。このため、拙速とは思いながら、この後、記事空間を手始めに、規約整備も含めた投稿を少しずつ再開することにいたします。私の投稿再開によって、キリカさまの感情をさらに傷つけることになるかどうかは分かりませんが、もしそうだとすれば、その点も予め深くお詫びいたします。ウィキペディアを最高の百科事典にしようという気持ちだけは、キリカさまと共有できていることを信じて、私の投稿再開をお許し頂ければと切に願っています。
- あれだけ非常識な投稿を行った後すぐに復帰しようとする私に対して、そのような投稿態度を「居直り」だと受け取らとられるウィキペディアンの方もいらっしゃるかも知れません。全ては私が招いたことであり、そのようなご批判も謙虚に受け止める所存です。また、今回の件で私自身が投稿ブロックとなるとしても、またそれがどのような期限になろうとも、全て受け止める覚悟が私にはできています。その点も含めて、コミュニティの方々のご判断には全て従う所存です。最後になりますが、今回多大な混乱を招いたことにつきまして、キリカさまを含む全てのウィキペディアンの方々に深謝いたします。(ks aka 98さまのコメント依頼への投稿と競合しました。)--Anonymous000 2006年12月9日 (土) 14:30 (UTC)
- キリカさんからのメール(「あと、6時間早ければ・・・。(投稿ブロック)」(キリカさんのMLへの投稿))を昨日見つけ、とてもほっとした気分です。ほっとしすぎたのか、大好きなウィキペディアが夢にまで出てくるほどはまってしまっているので、しばらくウィキホリデイに入ることにしました。ウィキペディアからしばらく離れますが、またいつか戻ってきたいと思っています。はまりすぎない自信がついてから戻ってこようと思います。ここを「戦いの場」とすることを避けるためにちょっと書くのを控えていたことがあって、数日中に別途投稿した後にリバートしようと思います。削除依頼は取り下げました。お騒がせしてすいませんでした。--Anonymous000 2006年12月13日 (水) 17:46 (UTC)