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TASAKIペルーレFC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
TASAKIペルーレFC
原語表記 TASAKIペルーレFC
愛称 TASAKI
クラブカラー     ロゼ
創設年 1976年
解散年 2008年
ホームタウン 兵庫県神戸市
ホームスタジアム 加古川運動公園陸上競技場ほか
収容人数 15,275
公式サイト (リンク切れ) 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

TASAKIペルーレFC(タサキペルーレエフシー)は、かつて存在した女子サッカーチーム。兵庫県神戸市を本拠としていた。

概要

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1976年に創立した神戸フットボールクラブ(神戸FC)のレディース部門を母体とし、1991年田崎真珠へチームを移管した[1]

所属選手は田崎真珠の社員として午前中は仕事をし[1]、午後は社用地にあるグラウンドで練習をする、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)では数少ない「企業チーム」であった。最盛期は選手のレベルも高く、日本女子代表や各年代での代表選手や経験者が数多く在籍していた。

女子サッカー選手の就職先という面もあるといえ、実際に下小鶴綾阪口夢穂が就職を機に加入、川上直子が退職により退部、また柳田美幸鈴木智子は就職による加入と退職による退部をした。ただし常に社員のみであったわけではなく、2006年以降は大学生も在籍していた。

2008年9月、田崎真珠はかねてからの深刻な経営危機により練習場として利用していた研修センターや寮など社用地売却を発表。2008年10月10日にはなでしこリーグ2008及び第30回全日本女子サッカー選手権大会を最後に休部し、なでしこリーグから退会することが発表された[2]

これにより、リーグでは10月14日に臨時評議会を開き、ペルーレの退会とそれに付帯する事項等を審議し、退会が承認された。その際、11月23日を期限として移管先が決定した場合は、成績面の条件に関係なく2部に所属(降格)することとなったため、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のヴィッセル神戸などと交渉するも、選手数が不足するなどの問題が浮上したことから休部(退会)が決定。

リーグ最終戦となった11月23日の日テレ・ベレーザ戦(駒沢)、チームとして最後の試合となった全日本女子選手権準決勝のINACレオネッサ戦(西が丘)は、ともに1-4のスコアでの敗戦であった。

2009年1月16日、田崎真珠は5名の引退を発表。1月30日と2月20日には残りの選手の移籍先などが発表された。

歴史

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  • 1976年
神戸FCに女子部「神戸FCレディース」創立
  • 1989年
この年に始まる日本女子サッカーリーグ(JLSL:当時の略称)参加に際し田崎真珠株式会社がスポンサーとなり、チーム名を田崎真珠神戸レディースとする
  • 1991年
第3回日本女子サッカーリーグから運営も田崎真珠に移管し、チーム名を田崎神戸レディースとする
  • 1992年
第4回日本女子サッカーリーグで最下位となり、JLSLチャレンジリーグ首位のシロキFCセレーナとの入れ替え戦にも敗退
  • 1993年
JLSLチャレンジリーグに降格。社内公募によりチーム名を田崎ペルーレFCに改称
  • 1994年
JLSLチャレンジリーグで首位となり、JLSL最下位の浦和レディースFCとの入れ替え戦に勝利
  • 1995年
L・リーグ(JLSL改め)復帰
  • 1999年
第54回国民体育大会成年女子の部優勝 (兵庫県代表として)
  • 2000年
第21回全日本女子サッカー選手権大会優勝
  • 2001年
第22回全日本女子サッカー選手権大会準優勝
第13回L・リーグ 西日本リーグ1位により上位リーグに参加し準優勝
  • 2002年
第23回全日本女子サッカー選手権大会準優勝
第14回L・リーグ 西日本リーグ1位により上位リーグに参加し準優勝
第57回国民体育大会成年女子の部優勝 (宝塚バニーズの2選手を含む兵庫県代表として)
  • 2003年
第24回全日本女子サッカー選手権大会優勝
第58回国民体育大会成年女子の部優勝 (宝塚バニーズの4選手含む兵庫県代表として)
第15回L・リーグ 西日本リーグ1位により上位リーグに参加し、初優勝
  • 2004年
第25回全日本女子サッカー選手権大会優勝
チーム名をTASAKIペルーレFCに改称
第59回国民体育大会成年女子の部準優勝 (兵庫県代表として)
  • 2005年
第60回国民体育大会成年女子の部準優勝 (兵庫県代表として)
2005(第17回)L・リーグ1部(L1)2位
  • 2006年
第27回全日本女子サッカー選手権大会準優勝
第2回なでしこスーパーカップ優勝
  • 2007年
第28回全日本女子サッカー選手権大会優勝
第3回なでしこスーパーカップ準優勝
2007(第19回)なでしこリーグ1部(Div.1)2位
  • 2008年
第29回全日本女子サッカー選手権大会準優勝
この年をもって活動休止(事実上の廃部)、なでしこリーグからも退会

年度別成績

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年度 チーム名 リーグ チーム数 試合数 勝点 リーグ順位 リーグ杯 皇后杯 監督
都道府県リーグ
1980 神戸FCレディース ベスト4
1981 1回戦敗退
1982 ベスト8
1983 ベスト8
1984 ベスト8
1985 ベスト4
1986 4位
1987 ベスト4
1988 ベスト8
日本女子サッカーリーグ
1 1989 田崎真珠神戸レディース JLSL 6 10 8 3 2 5 3位 - ベスト4 田嶋昭策
2 1990 6 15 5 2 1 12 6位 ベスト8
3 1991 田崎神戸レディース 10 18 17 7 3 8 6位 ベスト8 高田泰樹
4 1992 10 18 4 0 4 14 10位 2回戦敗退 天野泰男
C 1993田崎ペルーレFC JLSLチャレンジリーグ 4 6 8 4 0 2 2位 ベスト8 -
C 1994 3 8 15 7 1 0 優勝 ベスト8
7 1995 L・リーグ 10 18 -- 8 -- 10 8位 ベスト8 山根誠
8 1996 10 18 -- 7 -- 11 7位 予選敗退 ベスト8
9 1997 10 18 -- 9 -- 9 5位 予選敗退 ベスト8 仲井昇
10 1998 10 18 -- 5 -- 13 7位 予選敗退 ベスト4
11 1999 8 14 32 10 2 2 3位 4位 優勝
12 2000 9 14 26 7 4 3 3位 - 準優勝
13 2001 10 14 35 11 2 1 2位 準優勝
14 2002 11 10 25 8 1 1 2位 優勝
15 2003 13 20 55 18 1 1 優勝 優勝
(16) 2004 TASAKIペルーレFC L・リーグ1部(L1) 8 14 28 9 1 4 3位 ベスト4
(17) 2005 8 21 51 16 3 2 2位 準優勝
(18) 2006 なでしこリーグ
ディビジョン1
8 17 33 10 3 4 3位 優勝
(19) 2007 8 21 52 17 1 3 2位 GL敗退 準優勝
(20) 2008 8 21 34 11 1 9 4位 - ベスト4
  • 1991年まで「勝ち点制」(勝ち2、引き分け1、負け0)を採用
  • 1992年と1993年は入替戦(別項参照)によりチャレンジリーグ所属
  • 前後期制を採用した1994年から1999年までの成績は年間順位
  • 予選(地区)リーグと決勝リーグを採用した2000年から2003年までの成績は年間順位、チーム数は両地区の合計チーム数
  • 1999年から「勝ち点制」(勝ち3、引き分け1、負け0)を採用
  • 2004年から二部制に移行。チーム数は所属リーグのみ
  • 2003年まではシーズン名に「第○回」と表記されていたが、2004年からは西暦年で表記
  • 2006年は8チーム2回戦総当たりの「レギュラーリーグ」(RL)後、その順位に基づき上位と下位の各4チームによる1回戦総当たりの「プレーオフ」(PO)を実施、試合数はRLとPOの合計で、成績は年間順位

タイトル

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  • 国体:4回 (1999年, 2002年, 2003年, 2007年)

チーム名変遷

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ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) ロゼ ロゼ ロゼ
FP(2nd) シャンパンカラー シャンパンカラー
GK(1st)
GK(2nd) グレー グレー グレー
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
  • 1976年(創部)- 1988年 神戸FCレディース
  • 1989年 - 1990年 田崎真珠神戸レディース
  • 1991年 - 1992年 田崎神戸レディース
  • 1993年 - 2003年 田崎ペルーレFC
  • 2004年 - 2008年 TASAKIペルーレFC

チームカラー

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選手

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最終年に所属していた選手

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ポジション 背番号 選手名 生年月日 (年齢) 前所属 備考 (休部後の動向)
GK 01 日本の旗 齋田由貴 (1987-01-08) 1987年1月8日(37歳) 日本の旗 武蔵丘短期大学 日本の旗 ジェフユナイテッド市原・千葉レディース
16 日本の旗 佐々木香織 (1987-06-08) 1987年6月8日(37歳) 日本の旗 神村学園高等部 日本の旗 バニーズ京都SC
DF 02 日本の旗 朝日麗華 (1985-08-30) 1985年8月30日(39歳) 日本の旗 日ノ本学園高等学校 日本の旗 スペランツァF.C.高槻
03 日本の旗 河上恵実子 (1987-07-28) 1987年7月28日(37歳) 日本の旗 FCヴィトーリア 日本の旗 スペランツァF.C.高槻
04 日本の旗 甲斐潤子 (1984-03-24) 1984年3月24日(40歳) 日本の旗 啓明女学院高校 日本の旗 INAC神戸レオネッサ
05 日本の旗 池田浩美 (1975-12-22) 1975年12月22日(48歳) 日本の旗 本庄第一高校 引退
15 日本の旗 下小鶴綾 (1982-06-07) 1982年6月7日(42歳) 日本の旗 スペランツァF.C.高槻 引退[注1 1]
MF 06 日本の旗 佐野弘子 (1983-02-05) 1983年2月5日(41歳) 日本の旗 藤枝アミーガ 引退[注1 2]
07 日本の旗 山本絵美 (1982-03-09) 1982年3月9日(42歳) 日本の旗 湘南学院高校 アメリカ合衆国の旗 シカゴ・レッド・イレブン英語版
アメリカUSL Wリーグ
10 日本の旗 阪口夢穂 (1987-10-15) 1987年10月15日(37歳) 日本の旗 FCヴィトーリア アメリカ合衆国の旗 FCインディアナ英語版
(アメリカ・USL Wリーグ)
12 日本の旗 中岡麻衣子 (1985-02-15) 1985年2月15日(39歳) 日本の旗 本庄第一高校 日本の旗 スペランツァF.C.高槻
14 日本の旗 清原万里江 (1987-01-12) 1987年1月12日(37歳) 日本の旗 宝塚バニーズLSC 引退 (神村学園高等部教員)
17 日本の旗 白鳥綾 (1982-08-18) 1982年8月18日(42歳) 日本の旗 スペランツァF.C.高槻 日本の旗 ジェフユナイテッド市原・千葉レディース
18 日本の旗 田中明日菜 (1988-04-23) 1988年4月23日(36歳) 日本の旗 常盤木学園高校 日本の旗 INAC神戸レオネッサ
20 日本の旗 澤田由佳 (1989-02-12) 1989年2月12日(35歳) 日本の旗 啓明女学院高校 日本の旗 スペランツァF.C.高槻
22 日本の旗 佐伯彩 (1989-04-15) 1989年4月15日(35歳) 日本の旗 藤枝順心高校 日本の旗 アルビレックス新潟レディース
23 日本の旗 福場也実 (1989-10-22) 1989年10月22日(35歳) 日本の旗 山陽女学園高等部 引退
FW 08 日本の旗 大石沙弥香 (1985-04-05) 1985年4月5日(39歳) 日本の旗 清水FCレディース 日本の旗 アルビレックス新潟レディース
09 日本の旗 大谷未央 (1979-05-05) 1979年5月5日(45歳) 日本の旗 啓明女学院高校 引退[注1 3]
11 日本の旗 田頭陽子 (1987-12-10) 1987年12月10日(37歳) 日本の旗 鳳凰高校 日本の旗 福岡J・アンクラス
13 日本の旗 島村裕子 (1985-05-22) 1985年5月22日(39歳) 日本の旗 大阪体育大学 日本の旗 スペランツァF.C.高槻
19 日本の旗 坂井優紀 (1989-01-10) 1989年1月10日(35歳) 日本の旗 啓明女学院高校 日本の旗 INAC神戸レオネッサ
注釈
  1. ^ セレッソ大阪下部組織コーチ。その後、スペランツァF.C.高槻で現役復帰。
  2. ^ その後、静岡県女子リーグ島田プリンセスで現役復帰。平成21年度国民体育大会 第30回東海ブロック大会プログラムより
  3. ^ 京都精華女子中学校・高等学校コーチに就任

かつて所属していた選手

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注釈
  1. ^ サッカー競技プログラムより。改姓について明確な言及はされていないが、松下が田崎在籍中のL・リーグ公式プログラム中のプロフィールと対比すると、生年月日やポジションなどが同一であり、同一人物である可能性が非常に高いと思われる。

脚注

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  1. ^ a b 早草紀子 (2008年11月21日). “強豪TASAKI休部の衝撃、今後の行方 なでしこジャパン飛躍の陰で”. スポーツナビ. 2017年11月3日閲覧。
  2. ^ TASAKI ペルーレ FC の休部及び「日本女子サッカーリーグ」からの退会に関するお知らせ』(プレスリリース)田崎真珠、2008年10月10日https://www.tasaki.co.jp/wp-content/uploads/pdf/2008/whats045.pdf2017年11月3日閲覧 

外部リンク

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