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E級駆逐艦 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
E級駆逐艦
基本情報
種別 駆逐艦
命名基準 "E"で始まる英単語
運用者  イギリス海軍
 カナダ海軍
 ギリシャ海軍
就役期間 1934年 - 1946年
前級 D級
次級 F級
要目
基準排水量 1,350トン
全長 100.28 m
104.5 m (嚮導艦)
最大幅 10.13 m
吃水 2.59 m
ボイラー 水管ボイラー×3缶
主機 蒸気タービン×2基
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 36,000馬力
38,000馬力 (嚮導艦)
速力 36.0ノット
36.75ノット (嚮導艦)
航続距離 5,520海里 (15kt巡航時)
燃料 重油470トン
乗員 145名
175名 (嚮導艦)
兵装45口径12cm単装砲×4基
 (嚮導艦では5基)
62口径12.7mm4連装機銃×2基
・53.3cm4連装魚雷発射管×2基
爆雷投射機×2基
・爆雷×20発
レーダー ※後日装備
・286型 or 291型 早期警戒用
271型 目標捕捉用
ソナー ・121型 探信儀
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E級駆逐艦英語: E-class destroyer)は、イギリス海軍駆逐艦の艦級。CD級をもとに、艦砲対空兵器としての性格を付与した改正型として、1931-2年度計画で9隻が建造された[1][2]エクリプスネームシップとしてエクリプス級Eclipse-class)と称することもある[3]

来歴

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イギリス海軍は1924-5年度より駆逐艦の建造を再開し、まずまず改W級駆逐艦をもとに第一次世界大戦の戦訓や新しい技術を盛り込んだプロトタイプとしてアマゾンアンバスケイドを建造したのち、1927-8年度で量産型としてA級、続く1928-9年度で小改正型のB級が建造された。また1929-30年度では大型化して燃料の搭載量増加を図ったC級、1930-1年度では対潜戦能力を強化したD級が建造された[4]

C・D級は好評であり、1931-2年度では、同級の設計を踏襲して装備に改正を加えた艦が建造されることとなった。これがE級である[3]

設計

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船首楼型、2本煙突という基本構成はC・D級と同様である。船首楼は3層からなり、上甲板に居住区と無線電信設備、中甲板に居住区、下甲板に弾火薬庫と燃料庫を設けている[1]。また艦橋構造物に防弾鋼板を採用しているのも同様である。なお本級では、水防性向上の要請から缶室は2室から3室に増やされ、機関区画は1フレーム分延長されたが、機関部重量はほぼ変化はなかった[3]

機関構成はC・D級と同様であり、ボイラー海軍本部の設計によるアドミラルティ式3胴型水管ボイラーを搭載した。ただし本級では、蒸気温度は315.5℃から326.7℃に高温化された。タービンはパーソンズ式オール・ギヤード・タービンであり、独立した巡航タービンは持たず、高圧タービンの中に設ける方式とされた[5]

装備

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艦砲は、45口径12cm砲(QF 4.7インチ砲Mk.IX)4門を搭載するという点ではA~D級と同様だが、従来は仰角30度~俯角10度の平射砲であるMk.XIV砲架が採用されていたのに対し、E級では仰角を40度に増して、限定的ながら両用砲としての性格を備えたMk.XVII砲架が採用された[6]。これを受けて高角砲は廃止され、対空兵器としては、4連装12.7mm機銃のみが搭載された。なお、エクスマスでは4.7インチ砲は更に1門増備され、計5門となった[1][2]。ただし、依然として射撃指揮は対水上用のAFCC(海軍本部射撃指揮時計)および方位盤で行っており、対空用としては高角照準鏡などを備えた程度で、弾幕射撃が基本となっていた[3][6]

水雷兵器としては、A級以降の21インチ魚雷発射管の4連装2基装備が踏襲された。搭載魚雷も当初はMk.IVが搭載され、後に弾頭を大型化したMk.IXに更新された[2]。また、エクリプスなど2隻は短期間で高速敷設艦に改造できるよう、新造時から機雷敷設用レールを設置していた[1]

その後、第二次世界大戦が勃発すると、生き残っていた艦は護衛駆逐艦として改装され、271型レーダーを装備し、62口径12.7mm機銃70口径20mm機銃に換装するとともに後部魚雷発射管とバーターに45口径7.6cm高角砲(QF 3インチ砲Mk.I)を搭載して防空火力を強化、また45口径12cm砲のうち1門を撤去するかわりにヘッジホッグ対潜迫撃砲を搭載、爆雷搭載数を125発に増加させている[1][2]

同型艦

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E級駆逐艦は他の艦級と同様に嚮導艦1隻を含む9隻が建造されたが、このうち6隻が戦没した。

また、大戦中のカナダ海軍と大戦後のギリシャ海軍にそれぞれ1隻ずつ貸与されている。

# 艦名 造船所 進水 就役 その後
H02 エクスマス
HMS Exmouth
嚮導艦
ポーツマス海軍工廠 1934年
2月7日
1934年
10月3日
1940年1月20日、スコットランド北東沖の北海にてドイツ潜水艦U22の魚雷攻撃を受け沈没。
H23 エコー
HMS Echo
ウィリアム・デニー英語版 1934年
2月16日
1934年
10月25日
1944年4月5日にギリシャ海軍に貸与され、ナヴァリノ (Ναυαρίνο)[注釈 1] に改名。
1956年3月8日にイギリス海軍へ返還。同年4月にスクラップとして売却。
H08 エクリプス
HMS Eclipse
1934年
4月12日
1934年
11月29日
1943年10月24日、カリムノス島の東方沖にて触雷し沈没。
H27 エレクトラ
HMS Electra
ホーソン・レスリー 1934年
2月15日
1934年
9月15日
1942年2月27日、スラバヤ沖海戦にて日本の駆逐艦朝雲峯雲との砲撃戦により沈没。
H10 エンカウンター
HMS Encounter
1934年
3月29日
1934年
11月2日
1942年3月1日、スンダ海峡にて日本海軍により撃沈。
H17 エスカペード
HMS Escapade
スコッツ英語版 1934年
1月30日
1934年
8月30日
1946年に退役、1947年5月17日にスクラップとして売却。
H66 エスコート
HMS Escort
1934年
3月29日
1934年
11月6日
1940年7月11日、ジブラルタル東方沖にてイタリア潜水艦グリエルモ・マルコーニの雷撃により沈没。
H15 エスク
HMS Esk
スワン・ハンター英語版 1934年
3月19日
1934年
9月26日
1940年8月31日夜、オランダテセル島沖にて無標識の機雷原に入り込み触雷沈没(テセルの惨事)。
H61 エクスプレス
HMS Express
1934年
5月29日
1934年
10月31日
1943年6月3日にカナダ海軍に譲渡され、艦名をガティノー (HMCS Gatineau) に改名。
1946年1月10日に退役[7]。1948年に防波堤として自沈。

脚注

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注釈

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  1. ^ ラテン文字転写ではNavarino。ナヴァリノン(Ναυαρίνον, Navarinon)と表記されることもある。

出典

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  1. ^ a b c d e 中川務「イギリス駆逐艦史」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、68-70頁、ISBN 978-4905551478 
  2. ^ a b c d Roger Chesneau, Robert Gardiner (1980). Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946. Naval Institute Press. p. 38. ISBN 978-0870219139 
  3. ^ a b c d Friedman, Norman (2009). “A New Standard Design - The A-I Series”. British Destroyers From Earliest Days to the Second World War. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-081-8 
  4. ^ 中川務「イギリス駆逐艦建造の歩み」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、149-155頁、ISBN 978-4905551478 
  5. ^ 阿部安雄「機関 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、164-171頁、ISBN 978-4905551478 
  6. ^ a b 高須廣一「兵装 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、172-179頁、ISBN 978-4905551478 
  7. ^ Sandy McClearn (1997-2006). “RIVER Class destroyer” (英語). 2017年4月1日閲覧。

外部リンク

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