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エスク (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
発注
起工 1933年3月23日
進水 1934年3月19日
就役 1934年9月26日
退役
その後 1940年8月31日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 1,350トン
全長 318 ft 3 in (97.00 m) p/p
329 ft (100 m) o/a
全幅 33 ft 3 in (10.13 m)
吃水 12 ft 6 in (3.81 m)
機関 アドミラルティ・ボイラー3基
パーソンズ式減速タービン、2軸推進、36,000 shp (27,000 kW)
最大速 35.5ノット (40.9 mph; 65.7 km/h)
乗員 145名
兵装 119 mm Mark IX 単装砲 4門
12.7mm Mark III 四連装機銃 2基
533 mm 四連装魚雷発射管 2基
爆雷 20発
爆雷投射機 2基
爆雷投下軌条 1軌
Mark XIV 機雷 60発

エスク (HMS Esk, H15) は、1934年進水イギリス海軍駆逐艦E級

艦歴

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1931年の海軍計画で、1932年11月1日にウォールセンドのスワン・ハンター&ウィガム・リチャードソン社に発注。1933年3月24日起工。1934年3月19日進水。1934年9月28日に就役し、兵装などの政府が供給するものを除いた建造費用は24万7279ポンドであった[1]。1935年1月から3月に行われた本国艦隊西インド洋諸島への巡航に同行。アビシニア危機の際、1935年9月から1936年3月まで「エスク」は地中海艦隊に所属した。スペイン内戦時は不干渉委員会の布告を実施するため1939年3月までスペイン海域を巡回し、それからイギリスに戻った。ミュンヘン危機の際は、「エスク」と同型艦の「エクスプレス」は一時的にノアの第9駆逐艦戦隊に配属され、1938年10月3日に機雷敷設訓練を行った。1939年6月24日に「エスク」は予備役となり、8月2日まで再就役しなかった。「エスク」は15日に予備艦隊の艦観式に参列し、8月28日から機雷敷設艦への改装工事が開始された[2]

改装は1939年9月7日に完了し[2]、翌日「エスク」は第20駆逐艦戦隊に配属された[2]。9月9日、10日夜、「エクス」と駆逐艦「エクスプレス」はヘルゴラントバイトに機雷を敷設した[3]。9月23日から26日まで「エスク」は戦艦「ロイヤル・サブリン」をスカパ・フローからポーツマスまで護衛し、12月中はミルフォード・ヘイヴンやポーツマスから機雷敷設作戦を実行した[2]。12月17、18日、「エスク」、「エクスプレス」、「イントレピッド」、「アイヴァンホー」はエムス川河口沖に機雷240発を敷設した[4]。12月29日から1940年1月26日までポーツマスで修理を実施[2]

修理完了後、6ヶ月間「エスク」は機雷敷設を行う特設機雷敷設艦「プリンセス・ヴィクトリア」および「テヴェット・バンク」の護衛や、「エスク」自身での機雷敷設作戦に従事した[2]。3月3日、「エスク」、「エクスプレス」、「イカルス」、「インパルシヴ」はヘルゴラントバイト内のホーンズリーフ近くに機雷を敷設し、この機雷で3月13日ごろにドイツ潜水艦「U44」が沈没した[5]。4月はじめに「エスク」はスカパ・フローの本国艦隊に配属され、ウィルフレッド作戦(ノルウェー沿岸への機雷敷設)のため第20駆逐艦戦隊の艦とともにWV部隊に配置された。4月5日、WV部隊は第2駆逐艦戦隊の駆逐艦「ハーディ」、「ハヴォック」、「ホットスパー」、「ハンター」に護衛されてスカパ・フローから出撃した。第20駆逐艦戦隊の艦は4月8日朝にヴェストフィヨルドに234発の機雷を敷設し、それから巡洋戦艦「レナウン」と合流した。15日、「エスク」は戦艦「ロドニー」を護衛してスカパ・フローに帰投した[6]

5月10日に「エスク」、「エクスプレス」、「イントレピッド」、「プリンセス・ヴィクトリア」は北ホラント州Bergen沖に236発の機雷を敷設し、5月15日には「エスク」、「エクスプレス」、「アイヴァンホー」はHook of Holland沖に機雷164発を敷設した。この機雷原で7月26日にドイツの掃海艇「M61」、「M89」、「M136」が沈んだ[7]。5月29日、「エクス」はダンケルクからの撤退作戦に加わる。5月29日から6月3日までに「エスク」は3904名を脱出させ、その中には空襲で沈没した船「Scotia」から救助した1000人以上のフランス兵が含まれる。この最中に生じた軽微な損傷を修理後、「エスク」は以前と同じ任務に戻った[2]

1940年8月31日、「エスク」は駆逐艦「イントレピッド」、「イカルス」、「アイヴァンホー」、「エクスプレス」とともにテセル島北のオランダ沿岸への機雷敷設に向かった。その夜、新たに敷設されたドイツの機雷原で「エクスプレス」が触雷し、艦首が吹き飛んだ。さらに救援のため「エクスプレス」に接近した「エスク」も触雷。約15分後にも艦中央部で再び爆発があり、「エスク」は分断されてすぐに沈没した。沈没地点は北緯53度26分36秒東経3度48分0秒であった。「アイヴァンホー」が幾人かの生存者を救助したが、乗員127名が死亡した[2]

脚注

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  1. ^ English, pp. 63–64
  2. ^ a b c d e f g h English, p. 72
  3. ^ Rohwer, p. 4
  4. ^ Rohwer, p. 12
  5. ^ Rohwer, p. 16
  6. ^ Haar, pp. 65, 87, 308, 372
  7. ^ Rohwer, p. 23

参考文献

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  • English, John (1993). Amazon to Ivanhoe: British Standard Destroyers of the 1930s. Kendal, England: World Ship Society. ISBN 0-905617-64-9 
  • Haarr, Geirr H. (2009). The German Invasion of Norway, April 1940. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-310-9 
  • Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939-1945: The Naval History of World War Two (Third Revised ed.). Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2 

関連項目

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