1914年の政治
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1914年の政治(1914ねんのせいじ)では、1914年(大正3年)の政治分野に関する出来事について記述する。
できごと
[編集]- 1月10日 - 袁世凱、中華民国国会を解散。
- 1月21日 - ベルリン発ロイター外電[1]がシーメンス社員のカール・リヒテルの裁判で日本海軍将校への贈賄を伝える(シーメンス事件)[2]。}}
- 1月23日 - 衆議院予算委員会で立憲同志会の島田三郎がシーメンス事件について厳しく追及を開始[2]。
- 3月1日 - 朝鮮総督府、朝鮮の大規模な自治体の統廃合実施(都市部分は府、農村部分は郡)。
- 3月24日 - 第1次山本内閣総辞職。
- 3月27日 - 徳川家達貴族院議長に大命降下。
- 3月29日 - 徳川家達、大命を拝辞。
- 3月31日 - 清浦奎吾枢密顧問官に大命降下。
- 4月2日 - 立憲政友会と立憲国民党が超然内閣反対を採択し野党宣言。
- 4月6日 - 清浦奎吾、海軍が求めていた新艦艇建造計画、予算復活を拒否。海軍は海軍大臣推薦を事実上、拒絶。
- 4月7日 - 清浦奎吾、組閣を断念、大命を拝辞(鰻香内閣)。
- 4月13日 - 大隈重信元首相に大命降下。
- 4月16日 - 第2次大隈内閣成立。
- 5月4日 - 第32臨時議会召集。
- 5月11日 - 山本権兵衛前首相及び斎藤実前海相を予備役に編入。
- 5月19日 - 軍法会議、松本和前艦政本部長に懲役3年、追徴金40万9800円、沢崎寛猛大佐に懲役1年、追徴金1万1500円の判決。
- 6月20日 - 第33臨時議会召集。
- 6月28日 - ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が、セルビア人青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺される(サラエボ事件)。
- 7月23日
- オーストリア・ハンガリー帝国のレオポルト・ベルヒトルト外相、セルビア王国政府に10箇条のオーストリア最後通牒を送付。48時間以内の無条件受け入れを要求。
- セルビア政府、第5項と第6項の2つの項の一部分を除くすべてに同意。
- 7月25日 - オーストリア政府、セルビア政府の回答不満を理由に国交断絶。
- 7月28日 - オーストリア・ハンガリー帝国、セルビア王国に宣戦布告。第一次世界大戦勃発。
- 7月31日
- ロシア、総動員令。
- フランス社会党 (SFIO)の指導者ジャン・ジョーレスが暗殺される。
- 8月1日 - ドイツ、総動員令。
- 8月2日 - ドイツ、対露宣戦布告。
- 8月3日 - ドイツ、対仏宣戦布告。
- 8月4日
- ドイツ帝国軍、シェリーフェン・プランに従い中立国のベルギーに侵攻開始。
- 英国、対独宣戦布告。
- 8月5日~16日 - リエージュの戦い。
- 8月12日 - 英国が日本の対独参戦に同意。
- 8月15日 - 日本政府、ドイツに対して最後通牒。
- 8月23日
- 日本、対独宣戦布告。
- 米国欧州大戦に中立を表明。
- タンネンベルクの戦い(~9月2日)。以後、東部戦線は膠着する。
- 9月2日 - 日本軍、ドイツ租借地の山東省に上陸。
- 9月3日 - 第34臨時議会召集。
- 9月5日~12日 - マルヌ会戦。ドイツ帝国軍のシェリーフェン・プランが挫折、短期決戦から長期戦へと戦局が転換。
- 9月18日 - 英国で第3次アイルランド自治法成立(戦時中は施行延期)。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 小野稔『骨董金側懐中時計』新潮社 ISBN 4-10-373901-0
- ^ a b 『歴史群像太平洋戦史シリーズ21 金剛型戦艦』p.84-86『シーメンス事件』
参考文献
[編集]- 小野稔『骨董金側懐中時計』新潮社 ISBN 4-10-373901-0
- 『歴史群像太平洋戦史シリーズ21 金剛型戦艦』学習研究社 ISBN 4-05-602016-7