1880年ウィンブルドン選手権
表示
1880年7月5日から15日にかけて行われた、第4回 ウィンブルドン選手権(だい4かいウィンブルドンせんしゅけん)に関する記事。イギリス・ロンドン郊外にある「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」にて開催。
大会の流れ
[編集]- 1878年の第2回大会から「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)と「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)で優勝を決定する方式になった。大会前年度優勝者を除く選手は「チャレンジ・ラウンド」に出場し、前年度優勝者への挑戦権を争う。前年度優勝者は、無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に出場できる。チャレンジ・ラウンドの勝者と前年度優勝者による「オールカマーズ・ファイナル」で、当年度の選手権優勝者を決定した。
- 男子シングルスのチャレンジ・ラウンドには、60名がエントリーした。文献に掲載されている記録は、準々決勝以後になる。
- 1879年から男子ダブルス競技が始まったが、1883年まではオックスフォードで実施された。男子ダブルスがオールイングランド・クラブで実施され、正式な優勝記録表に掲載されるのは1884年以後になる。
大会前年度優勝者
[編集]チャレンジラウンド
[編集]準々決勝
[編集]- オトウェー・ウッドハウス vs. アーネスト・レンショー 6-3, 6-3, 3-6, 6-0
- ジョージ・モンゴメリー vs. H・C・ジェンキンス 6-3, 5-6, 6-2, 2-6, 6-3
- ハーバート・ローフォード vs. W・H・エステール 6-0, 6-3, 6-1
- G・M・バッターワース vs. R・R・ファラー 1-6, 6-1, 6-4, 6-3
準決勝
[編集]- オトウェー・ウッドハウス vs. ジョージ・モンゴメリー 6-4, 2-6, 6-3, 5-6, 6-1
- ハーバート・ローフォード vs. G・M・バッターワース 6-2, 6-3, 6-3
決勝
[編集]- ハーバート・ローフォード vs. オトウェー・ウッドハウス 6-5, 6-4, 6-0
オールカマーズ決勝
[編集]- ジョン・ハートリー vs. ハーバート・ローフォード 6-3, 6-2, 2-6, 6-3 (ハートリーが本大会の優勝者になる)
男子ダブルス決勝
[編集]- ウィリアム・レンショー&アーネスト・レンショー vs. オトウェー・ウッドハウス&C・J・コール 6-1, 6-4, 6-0, 6-8, 6-3
オックスフォード開催の第2回男子ダブルスは、決勝戦が最大7セット・マッチで行われ、セットカウント 4-1 でレンショー兄弟組が優勝した。
外部リンク
[編集]- 抽選表 (提供:Grand Slam Tennis Archive)
参考文献
[編集]- Lance Tingay, “100 Years of Wimbledon” (ウィンブルドンの100年史) Guinness Superlatives Ltd., London (1977) ISBN 0-900424-71-0 大会の様子については23ページ、シングルス試合結果は133ページ、男子ダブルス結果は246ページを参照した。
- Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3 フルネームの分かる一部選手について、本書から補足した。
先代 1879年ウィンブルドン選手権 |
テニス4大大会 1880年 - 1881年 |
次代 1881年ウィンブルドン選手権 |