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黒田長和

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黒田長和

黒田 長和(くろだ ながとし、1881年明治14年)1月30日[1] - 1944年昭和19年)3月8日[1][2])は、明治から昭和前期の華族政治家男爵貴族院議員。幼名は峯太郎[1]

経歴

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福岡藩最後の藩主・黒田長知の四男[1][3]。母は側室・田代園子[4]。異母兄に侯爵黒田長成がいる[3]

1896年(明治29年)断絶した黒田直方家の再興という形で分家し[1][3]、1896年(明治29年)12月3日、男爵を叙爵し[5]、同月、長和と改名した[6]。1904年(明治37年)7月、学習院高等科を卒業し[3]東京帝国大学法科大学に入学した[2]。1906年(明治39年)イギリス、ケンブリッジ大学に留学した[2][3]

1899年(明治32年)東宮職出仕[2]宗秩寮審議官、衆議院議員選挙革正審議会委員、内閣制度審議会委員、議会制度審議会委員、議院制度調査会委員、貴族院制度調査会委員などを務めた[2]

1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に当選し[7]公正会に所属して死去するまで在任した[2][8]

親族

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妻は子爵毛利高範の娘、久子[1]。長男は男爵・黒田長義[1]。娘の定子は伯爵伏見博英夫人(離縁)[1]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』565頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』ク76頁。
  4. ^ 金子堅太郎著『黒田如水伝』博文館、1916年、593頁。
  5. ^ 『官報』第4031号、明治29年12月4日。
  6. ^ 『官報』第4047号、明治29年12月23日。12月22日届出。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、21頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
  9. ^ 『官報』第1317号「叙任及辞令」1931年5月23日。
  10. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
黒田家(直方家)初代
1891年 - 1944年
次代
黒田長義
先代
黒田長清
黒田家分家 初代当主
1891年 - 1944年
次代
黒田長義