黒田長義
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 弘化2年2月10日(1845年3月17日) |
死没 | 文久2年1月26日(1862年2月24日) |
改名 | 幼名:順丸、長義 |
戒名 | 太陽院 |
官位 | 従五位下・近江守、甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家茂 |
藩 | 筑前秋月藩主 |
氏族 | 黒田氏 |
父母 | 父:黒田長元、母:慶子(黒田長韶娘) |
兄弟 | 山内豊福、織田信民、松平忠毅、長義、長徳、毛登子ら |
子 | 養子:長徳 |
黒田 長義(くろだ ながよし)は、筑前国秋月藩の第11代藩主。第10代藩主・黒田長元の六男。母は黒田長韶の娘・慈海院(慶子)。
略伝
[編集]兄たちが他家に養子に出ていたため、父の嫡子になった。安政6年(1859年)12月1日、将軍徳川家茂に御目見した。同年12月16日、従五位下・近江守に叙任する。後に甲斐守に改める。万延元年(1860年)8月26日、父の隠居により家督を継いだ。しかし2年後の文久2年(1862年)正月26日、16歳で死去した。嗣子がなく、その死は6月5日まで隠された。跡を弟の長徳が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子
- 黒田長徳 - 長元の八男