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黒田長義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
黒田 長義
時代 江戸時代後期
生誕 弘化2年2月10日1845年3月17日
死没 文久2年1月26日1862年2月24日
改名 幼名:順丸、長義
戒名 太陽院
官位 従五位下近江守甲斐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂
筑前秋月藩
氏族 黒田氏
父母 父:黒田長元、母:慶子(黒田長韶娘)
兄弟 山内豊福織田信民松平忠毅長義長徳、毛登子ら
養子:長徳
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黒田 長義(くろだ ながよし)は、筑前国秋月藩の第11代藩主。第10代藩主・黒田長元の六男。母は黒田長韶の娘・慈海院(慶子)。

略伝

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兄たちが他家に養子に出ていたため、父の嫡子になった。安政6年(1859年)12月1日、将軍徳川家茂御目見した。同年12月16日、従五位下・近江守に叙任する。後に甲斐守に改める。万延元年(1860年)8月26日、父の隠居により家督を継いだ。しかし2年後の文久2年(1862年)正月26日、16歳で死去した。嗣子がなく、その死は6月5日まで隠された。跡を弟の長徳が継いだ。

系譜

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父母

養子