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黒河市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中華人民共和国 黒竜江省 黒河市
黒河市付近のアムール川、対岸はロシア領の街並み
黒河市付近のアムール川、対岸はロシア領の街並み
黒河市付近のアムール川、対岸はロシア領の街並み
旧称:璦琿
黒竜江省中の黒河市の位置
黒竜江省中の黒河市の位置
黒竜江省中の黒河市の位置
簡体字 黑河
繁体字 黑河
拼音 Hēihé
カタカナ転写 ヘイホー
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
黒竜江
行政級別 地級市
建置 1945年
改制 1980年
面積
総面積 68,726 km²
人口
総人口(2004) 173 万人
経済
電話番号 0456
郵便番号 164300
ナンバープレート 黒N
行政区画代碼 231100
公式ウェブサイト http://www.heihe.gov.cn/

黒河市(こくが-し)は中華人民共和国黒竜江省に位置する地級市

省北部のアムール川の岸辺にあり、対岸のロシア連邦アムール州を望む北辺の町である。

中心街

地理

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黒河市は黒竜江省北部の黒竜江沿岸に位置し、358キロにわたる国境により下部行政区画である愛輝区、孫呉県城、遜克県城がそれぞれロシアと接する。愛輝区の対岸はロシア極東地区第3の町でアムール州州都のブラゴヴェシチェンスクで、その距離は僅か750メートルである。

この地から西南部国境の雲南省保山市騰衝市まで地図上で引いた線を黒河・騰衝線と称し、中国の人口分布の極端な偏りを示す線とされている。

歴史

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黒河の旧称は満洲語水貂(aihū)」を意味する[要出典]璦琿(満洲語: ᠠᡳᡥᡡᠨ
ᡥᠣᡨᠣᠨ
転写: aihūn hoton、璦琿城)である。1858年には清朝ロシア帝国の間の国境策定条約であるアイグン条約が締結されている。

黒河に行政区画が設置されたのは清初である。ロシア勢力の南下が進む中、清朝は1683年康熙22年)12月13日に黒竜江左岸旧璦琿城に黒竜江将軍衙門を設置、1685年(康熙24年)に黒竜江右岸新璦琿城(現在の愛輝鎮)に移転、更に1690年(康熙29年)には墨爾根(メルゲン、現在の嫩江市)に移転、璦琿副都統留守が新璦琿城に設置され、現在の黒河市全域を管轄していた。

中華民国が成立すると黒河道の管轄とされた。満洲国成立後は1934年12月1日に黒河省が設置されている。

満洲国崩壊後は1945年11月19日に黒河地区行政弁事処が設置され嫩江省の管轄とされたが、12月14日には黒河地区行政弁事処は黒竜江省に移管されている。1946年9月7日、黒河専区が成立、翌年には両省の合併により黒嫩省へと移管された。1947年2月7日、黒河専区は第五専区に改称されたが、黒嫩省解体に伴い9月17日に再び黒河専区に改編されている。

1967年4月に一時期黒河地区革命委員会と改称されたが、1979年2月8日に黒河地区行政公署に改編され、更に1993年2月8日に黒河地区は地級市の黒河市に改編され現在に至っている。

行政区画

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1市轄区・3県級市・2県を管轄する。

黒河市の地図

年表

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この節の出典[1][2]

黒河地区

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黒河市

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  • 1993年2月8日 - 黒河地区が地級市の黒河市に昇格。(1区2市4県)
    • 黒河市が区制施行し、愛輝区となる。
  • 1996年1月31日 - 徳都県が五大連池市に編入。(1区2市3県)
  • 2019年7月12日 - 嫩江県が市制施行し、嫩江市となる。(1区3市2県)

経済

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アムール川の中洲、大黒河島は中露辺境貿易の基地となり、黒河口岸を通して対ロシアとの貿易が活発に行われ、市内には国家級経済開発区が設置されている。

教育

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大学

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交通

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国境検問所

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航空

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鉄道

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道路

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市内の繁華街は中央街などで、バス・タクシーなどが利用できる。

健康・医療・衛生

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  • 愛輝区人民医院、黒河市第二人民医院、黒河市愛輝区婦幼保健院、北安市第一人民医院、北安市第二人民医院、北安市第三人民医院
  • 五大連池市第一人民医院、五大連池市中医医院、嫩江市人民医院、遜克県人民医院、孫呉県人民医院

名所・旧跡・観光スポット

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観光地は、 [3]

姉妹都市

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 县级以上行政区划变更情况 - 中華人民共和国民政部
  2. ^ 黑龙江省 - 区划地名网
  3. ^ 「地球の歩き方、大連・瀋陽・ハルビン、東北地方の自然と文化 2007/2008」(ダイヤモンド・ビッグ社、2006年)

外部リンク

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座標: 北緯50度14分24秒 東経127度31分16秒 / 北緯50.2401度 東経127.5210度 / 50.2401; 127.5210