コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

鹿野山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鹿野山
鹿野山を南南東に位置する高宕山より望む
標高 379 m
所在地 日本の旗 日本
千葉県君津市
位置 北緯35度15分20秒 東経139度58分18秒 / 北緯35.25556度 東経139.97167度 / 35.25556; 139.97167[1]
山系 房総丘陵
鹿野山の位置(千葉県内)
鹿野山
鹿野山の位置(日本内)
鹿野山
プロジェクト 山
テンプレートを表示

鹿野山(かのうざん)は、千葉県君津市にある[2]標高は379メートルで、愛宕山に次いで千葉県で2番目に高い[2]。愛宕山は旧安房国(千葉県最南部)にあるため、旧上総国(千葉県中南部)では鹿野山が最高峰である[3]

歌川広重『山海見立相撲 上総鹿楚山』

概要

[編集]

鹿野山は房総丘陵の一角を成し、南房総国定公園に指定されている。鹿野山とは、白鳥峰(東峰:379m)、熊野峰(中央峰:376m)、春日峰(西峰:352.4m、一等三角点)の3峰の総称で、それぞれの山頂には白鳥神社、熊野神社、春日神社あり[2]、峰の呼称の由来となっている。

白鳥峰の直下には久十九谷展望公園、熊野峰の直下には神野寺、春日峰には国土地理院の測地観測所がある。

山名の由来

[編集]

山名の由来は、鹿が多くいたことから鹿野苑にちなんで名づけられたという説や、砂鉄が採れたので「金生山」と呼ばれていたという説などがある。

人間史

[編集]

日本武尊が東征の際に訪れ、先住民豪族阿久留王(あくるおう)と戦い征伐したという伝説がある。598年聖徳太子により神野寺が開山され、その後修験道の山として、また上総国と安房国を結ぶ街道の町として栄えた。

鹿野山は平地から視認しやすく、旧・東京天文台から日本経緯度原点の方向の基準である原方位を定めるために、1879年には日本最初の一等三角点が山頂に置かれた。その後も2001年測量法改正まで原方位とされていた[4]1956年には国土地理院鹿野山測地観測所が設置され、地磁気[5]人工衛星の観測などが行われている[6]

なお、地磁気観測は鉄道の房総西線(現・内房線)の直流電化により支障を生じたため、観測機器の改良などを実施した[7]1960年代マザー牧場ゴルフ場がオープンして観光の山となった。

南側斜面は地盤が弱く、1970年の梅雨時の豪雨などにより度々崩壊している[8][9]

文学

[編集]
  • 1922年に大町桂月が『鹿野山』[10]を執筆。
  • 作家の志賀直哉は、学習院高等科在籍中に友人ら鹿野山を訪れ、そのときの感動から、1907年に一人で滞在した鹿野山の旅館「丸七」で『菜の花と小娘』を執筆。アンデルセンの童話に影響されて書いた作品で、のちに妻の名で婦人雑誌の懸賞童話に応募したが落選、その後に子供雑誌から原稿依頼があり、本作を提供し懸賞の数倍の原稿料を得たという。志賀の友人である里見弴も「丸七」で『お峯』を執筆[11]

文学碑

[編集]

アクセス

[編集]

山麓

[編集]

南面は、九十九谷と呼ばれる景勝地で、侵食によってできた複雑な地形となっている。

鹿野山より望む九十九谷

市宿地区などは山砂の産地で、1960年代から大量に採掘され続けており、消失した山もある[13]

脚注

[編集]
  1. ^ 千葉県の山”. 国土地理院. 2020年4月8日閲覧。
  2. ^ a b c 鹿野山 かのうざん 山と渓谷社「ヤマケイオンライン」2023年4月18日閲覧
  3. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12.千葉県』角川書店1984年
  4. ^ 国土地理院による解説
  5. ^ 地磁気を測る 国土地理院
  6. ^ 石川甲子男「鹿野山における地磁気経年変化の局地性」『測地学会誌』第26巻第1号、日本測地学会、1980年、50-58頁、doi:10.11366/sokuchi1954.26.50ISSN 0038-0830NAID 130004069975 
  7. ^ 田島稔, 瀬戸孝夫「地磁気観測の計数化処理について」『測地学会誌』第15巻第4号、日本測地学会、1970年、150-157頁、doi:10.11366/sokuchi1954.15.150ISSN 0038-0830NAID 130004189036 
  8. ^ 古谷尊彦, 大倉博「房総半島鹿野山周辺地域の斜面崩壊の地形・地質的特性」『地すべり』第28巻第4号、日本地すべり学会、1992年、29-36頁、doi:10.3313/jls1964.28.4_29ISSN 0285-2926NAID 130001009463 
  9. ^ 小平哲夫, 中村徹「鹿野山山腹崩壊地の植生 : 緑化工事跡地の初期の植生発達」『森林立地』第24巻第2号、森林立地学会、1982年、22-28頁、doi:10.18922/jjfe.24.2_22ISSN 0388-8673NAID 110008146489 
  10. ^ 『鹿野山』
  11. ^ 冨澤成實「志賀直哉『菜の花と小娘』とアンデルセン」『明治大学教養論集』第504巻、明治大学教養論集刊行会、2015年1月、67-85頁、ISSN 0389-6005NAID 120005844865 
  12. ^ 大川冨美子「千葉県内歌碑所在一覧」千葉県立中央図書館編『房総の短歌・歌人』(千葉県立中央図書館発行、1979年)、p.76
  13. ^ [気になるスポット]山砂の産地に人工峡谷日本経済新聞』夕刊2023年3月30日くらしナビ面(2023年4月18日閲覧)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]