コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

鬼泪山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鬼泪山
標高 309.3 m
所在地 千葉県富津市
位置
鬼泪山の位置(日本内)
鬼泪山
北緯35度14分50秒 東経139度55分48秒 / 北緯35.24722度 東経139.93000度 / 35.24722; 139.93000座標: 北緯35度14分50秒 東経139度55分48秒 / 北緯35.24722度 東経139.93000度 / 35.24722; 139.93000
プロジェクト 山
テンプレートを表示

鬼泪山(きなだやま)は、千葉県富津市に所在する山。標高309.3メートル[1]鹿野山の西側に連なる[2]

歴史

[編集]

かつては村々の共有林であったらしいが、やがて地方豪族に私有化された[2]。江戸時代には佐貫城主の柳沢氏阿部氏の所領に属した[2]

明治維新で日本国有地となったが、一帯は原野と化していた[2]1905年(明治38年)に日露戦争の戦勝記念として千葉県が借り受け、植林を行って森林を造成した[2]

もともとの広さは1200ヘクタールあったが、太平洋戦争終結後、マザー牧場に30ヘクタールを割譲した[2]。そのほか、神野寺の分収林が250ヘクタールある[2]

伝説

[編集]

この地は、鹿野山を拠点とした阿久留王が、討伐に来たヤマトタケルと争った古戦場であると伝えられている[3]

敗れた阿久留王が、涙を流して投降したことから「鬼泪山」の名がつけられたという[4]。また、阿久留王の兵士たちの血で染まった川が、山中から発して東京湾に注ぐ「染川」である[4]

脚注

[編集]
  1. ^ 内田 2005, p. 176.
  2. ^ a b c d e f g 府馬 1980, p. 82.
  3. ^ 府馬 1980, pp. 82–83.
  4. ^ a b 府馬 1980, p. 84.

参考文献

[編集]
  • 府馬清『房総の古戦場めぐり』昭和図書出版、1980年8月20日。 
  • 内田栄一『房総山岳志』崙書房出版、2005年9月。