鷺洲町
さぎすちょう 鷺洲町 | |
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廃止日 | 1925年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 西成郡・東成郡計17町27村→大阪市 (大阪市第二次市域拡張) |
現在の自治体 | 大阪市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 西成郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
40,904人 (国勢調査、1920年) |
隣接自治体 | 大阪市、神津町、中津町、稗島町、歌島村 |
鷺洲町役場 | |
所在地 | 大阪府西成郡鷺洲町大字海老江 |
座標 | 北緯34度42分54秒 東経135度28分14秒 / 北緯34.71497度 東経135.47044度座標: 北緯34度42分54秒 東経135度28分14秒 / 北緯34.71497度 東経135.47044度 |
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鷺洲町(さぎすちょう)は、かつて大阪府西成郡にあった町。現在の大阪市北区、福島区、西淀川区、淀川区のそれぞれ一部にあたる。
地理
[編集]大阪市街の北西から中津川左岸にかけて位置した。淀川の運んだ土砂による砂州で形成されたと考えられている。地形は全体的に平坦となっていた。古来から「鷺洲(さぎしま)」とよばれていたと伝えられていることが、町名の由来となっている。
元来の地名は、大仁(だいに)・浦江(うらえ)・海老江(えびえ)・塚本(つかもと)。明治時代の新淀川の開削により、海老江新家と塚本は新淀川の北岸に分断される形になっている。なお、現在の町名では大仁と浦江は使用されていない。
- 浦江 - おおむね現在の北区大淀北2丁目・大淀中4 - 5丁目・大淀南3丁目・福島区鷺洲。
- 古来からこの地は大江郷浦江岬と呼ばれ、その後浦江となったと伝えられる。
- 古来海中にあり、海老洲(えびす)と呼ばれていたことが地名の由来だとされる。
- 『和名抄』に「槻本郷」とあることから地名がとられたといわれる。「槻本」は「つきのもと」あるいは「つかのもと」と読ませたのではないかと指摘されている。
交通
[編集]東海道本線の線路は町内の浦江・塚本を通過したが、町内には駅は設置されなかった。現在の塚本駅の場所は旧鷺洲町域にあたるが、駅の開業は大阪市編入後の1934年である。
阪神本線は1905年に開業し、町の南端から西端を大阪市との境界を縫うように走っていた。町内に淀川駅が設置された。また野田駅(野田阪神)は町と大阪市との境界付近(大阪市側)に立地していた。
阪神北大阪線は1914年に開業した。野田阪神を起点として海老江を北へ進み、淀川の南側で東に向きを変えて浦江・大仁と町域を進んだのち、中津・天六に至る路線となっていた。また阪神国道線は野田阪神を起点として、海老江の西寄りを北西方向に貫き、西成大橋(現在の淀川大橋)を通って歌島村野里方面へ至った。
歴史
[編集]古代には難波八十島と呼ばれた地域の一角で、淀川などの流す土砂が堆積して陸地が形成されたと考えられる。中世には鷺島荘と呼ばれる荘園が形成された。
江戸時代までに地域には、摂津国西成郡大仁村・浦江村・海老江村・塚本村が成立した。江戸幕府の直轄地となり、大仁村・浦江村は谷町代官所、海老江村・塚本村は鈴木町代官所の管轄となった。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、西成郡大仁村・浦江村・海老江村・塚本村が合併して鷺洲村が発足。大字海老江(現在の福島区海老江5丁目)に村役場を設置。
- 1898年(明治31年) 淀川改修工事(新淀川開削)が始まる。
- 1911年(明治44年)2月11日 町制を施行し、西成郡鷺洲町となる。
- 1925年(大正14年)4月1日 大阪市に編入され、西淀川区大仁町・浦江町・海老江町・塚本町となる。鷺洲町役場は新設の西淀川区役所として転用された。
- 1928年(昭和3年) 大仁東・大仁本町・大仁元町・大仁西・浦江北・浦江上・浦江本通・浦江中・浦江南・川上町・海老江上・海老江中・海老江下・海老江新町・花川町の新町名が成立。
- 1942年(昭和17年) 花川北之町・花川南之町・西塚本町・東塚本町の新町名が成立。
- 1943年(昭和18年)4月1日 大仁東・大仁本町・大仁元町・大仁西・浦江北が大淀区へ転属。浦江上・浦江本通・浦江中・浦江南・川上町・海老江上・海老江中・海老江下・海老江新町が福島区へ転属。東塚本町が東淀川区へ転属。
- 1944年(昭和19年) 福島区浦江上・浦江本通・浦江中・浦江南を鷺洲上・鷺洲本通・鷺洲中・鷺洲南に改称。西淀川区西塚本町を柏里町に改称。東淀川区東塚本町を塚本町に改称。
- 1963年(昭和38年) 大淀区大淀町北・大淀町中・大淀町南の新町名が成立。
- 1973年(昭和48年) 西淀川区が現行住居表示「花川」「柏里」を実施。
- 1974年(昭和49年) 東淀川区塚本町が淀川区へ転属。淀川区が現行住居表示「塚本」を実施。
- 1975年(昭和50年) 福島区が現行住居表示「鷺洲」を実施。
- 1977年(昭和52年) 大淀区が現行住居表示「大淀北」「大淀中」「大淀南」を実施。
- 1989年(平成元年)2月13日 北区と大淀区の合区により、大淀区大淀北・大淀中・大淀南が北区へ転属。
教育
[編集]町内には以下の小学校が設置された。
- 鷺洲第一尋常高等小学校(現・大阪市立鷺洲小学校)
- 鷺洲第二尋常小学校(1946年廃校)
- 鷺洲第三尋常小学校(現・大阪市立海老江西小学校)
- 鷺洲第四尋常小学校(現・大阪市立大淀小学校)
- 鷺洲第五尋常小学校(現・大阪市立柏里小学校)
明治時代初期の学制発布に伴い、地域に小学校が設置された。
1874年、海老江村・浦江村・大仁村と上福島村の連合で、西成郡第三小学区第三番小学校(上福島小学校、のち神子田小学校。現在の大阪市立上福島小学校)が設置された。また同年には、塚本村と成小路村(町村制により中津村)の連合で西成郡第三小学区第五番小学校(成小路小学校)が設置された。
1877年には、海老江村の西成郡第三小学区第九番小学校(海老江小学校)と塚本村の西成郡第三小学区第十一番小学校(塚本小学校)が独立した。海老江小学校は大仁・浦江の両村と学校組合を設置して鷺洲小学校となったが、1887年に神子田小学校へ統合された。
また塚本小学校は1885年、光立寺村(のち中津村)の西成郡第三小学区第七番小学校(光立寺小学校、現在の大阪市立中津小学校)と統合し廃校となっている。
1889年の町村制発足当時の鷺洲村では、隣接する上福島村・下福島村と学校連合を設置し、神子田小学校を運営していた。しかし上福島村・下福島村は1897年の大阪市第一次市域拡張により大阪市に編入された。鷺洲村の児童は引き続き神子田小学校に通学していたが、村独自の小学校を設置することになり、1897年に鷺洲尋常小学校(1912年鷺洲第一尋常高等小学校に改称)が開校した。
大正時代に入ると地域の児童数の増加により、鷺洲第二尋常小学校(1912年)、鷺洲第三尋常小学校(1914年)、鷺洲第四尋常小学校(1918年)が次々と開校している。
また新淀川の開削により北岸に隔てられた塚本・海老江新家については、1910年に塚本に鷺洲校の分教場を設け、地域在住の低学年児童が通学した。分教場は1914年の鷺洲第三校の開校に伴って同校分教場へ移管されたのち、1924年に鷺洲第五尋常小学校として独立開校した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 西成郡鷺洲町役場『鷺洲町史』1925年。NDLJP:1019724。
- 大阪都市協会『大淀区史』大淀区コミュニティ協会・大淀区史編集委員会、1988年。
- 大阪都市協会『福島区史』福島区制施行五十周年記念事業実行委員会、1993年。
- 大阪都市協会『西淀川区史』1996年。