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魏巍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
魏巍
ペンネーム 紅楊樹
誕生 魏鴻傑
(1920-01-16) 1920年1月16日
中華民国の旗 中華民国 河南省鄭州市
死没 2008年8月24日(2008-08-24)(88歳没)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 北京市
職業 詩人、小説家
言語 中国語
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
最終学歴 抗日軍政大学
活動期間 1951年—1980年代
ジャンル 小説
代表作 『東方』
主な受賞歴 茅盾文学賞(1982年)
配偶者 劉秋華
ウィキポータル 文学
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魏巍(ぎ ぎ、1920年3月6日 - 2008年8月24日)は、中華人民共和国の小説家、詩人。本名は魏鴻傑、筆名は紅楊樹河南省鄭州市出身。中国共産党党員。代表作に『東方』『誰是最可愛的人』『火鳳凰』。元第一回至第三回全国人大代表中国文学芸術界連合会栄誉委員、中国作家協会顧問、中朝友好協会副会長、中国解放区文学研究会会長。

略歴

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1920年3月6日、中華民国河南省鄭州市の農村に生まれた。平民小学、郷村簡易師範卒業。

15歳の時に両親が死去。清書で生計を立てた。

1937年12月、17歳の時山西省趙城県八路軍に入隊。八路軍一一五師軍政幹部学校(後併入八路軍総部随営学校)に入学。

1938年、陝西省延安抗日軍政大学に進学。第三期学員。

1938年4月、中国共産党に入党。卒業後、魏巍に配属される晋察冀敵背抗日根拠地。

1946年3月19日、劉秋華と結婚。

1949年4月、晋察冀野戦軍騎兵第六師団第十六騎兵連隊の政治委員。

1950年5月、総政治部に移籍し、学校教育科副科長、創作室副主任に就任した。

1950年12月、抗米援朝戦争の期間、朝鮮を取材し、中国人民志願軍の英雄的献身に心打たれ、戦場からのレポート 『誰是最可愛的人』を書いた[1]。1951年4月11日、『人民日報」の頭版に掲載されると、1951年の『誰是最可愛的人』で注目される[2]

1956年と銭小恵合作映画を書いた小説「赤色の嵐』。

1957年、『華北解放戦争史』の編纂を開始。

1978年、北京軍区文化部長、北京軍区政治部顧問等に就任。

1978年、『東方』を発表。1982年に同作品で中国文学の最高権威茅盾文学賞を受賞している。

2008年8月24日、病気のため北京にて88歳で死去。

著書

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詩集

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  • 『両年』、1951年
  • 『黎明風景』、1955年
  • 『不断集』、1963年 
  • 『魏巍詩選』、1985年
  • 『紅葉集』、2007年

長篇小説

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  • 『長空怒風』、1952年
  • 『地球的紅飄帯』、1988年
  • 『火鳳凰』、1997年
  • 『東方』、1978年
  • 『懐人集』、1980年

短篇小説

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『志愿軍叔叔和朝鮮小姑娘』、1952年 『我愛老師』、1984年 『老煙筒』、1954年 『女将軍』、1958年

散文集

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  • 『我的老師』、1956年9月
  • 『誰是最可愛的人』(だれが最も愛すべき人か)、1951年
  • 『在漢江南岸的日日夜夜』、1951年
  • 『依依惜別的深情』、1958年
  • 『年軽人、讓你的青春更美麗吧』、1951年
  • 『春天漫筆』、1959年
  • 『魏巍雜文選』、1994年
  • 『幸福的花為勇士而開』、1956年
  • 『話説毛沢東』、1993年
  • 『壮行集』、1980年
  • 『魏巍散文選』、1982年
  • 『四行日記』、2008年
  • 『新語絲』、2008年

文学賞

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脚注

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