宗璞
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馮 鍾璞 | |
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ペンネーム | 宗璞 |
誕生 |
1928年7月26日(96歳) 中華民国 北平特別市 |
職業 | 小説家、翻訳家 |
言語 | 中国語 |
国籍 | 中華人民共和国 |
教育 |
南開大学 清華大学 |
活動期間 | 1948年現在 |
ジャンル | 小説 |
代表作 | 『東蔵記』 |
主な受賞歴 |
第六回茅盾文学賞 2005年 『東蔵記』 |
親族 | 父:馮友蘭 |
ウィキポータル 文学 |
馮 鍾璞 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 馮鍾璞 |
簡体字: | 冯钟璞 |
拼音: | Féng Zhōngpú |
英語名: | Feng Zhongpu |
馮 鍾璞(ふう しょうはく、1928年7月26日 - )は、中華人民共和国の小説家・翻訳家[1]。筆名は宗璞(そうはく)。代表作に小説『東蔵記』。
略歴
[編集]本貫は河南省南陽府唐県で、1928年7月26日に北京市に生まれた。父親は哲学研究者の馮友蘭[2]。
日中戦争の時、父親馮友蘭に連れられ雲南省昆明市に引っ越す。南菁小学校と西南聯大附属中学卒業。
1945年北平に帰り、翌年南開大学外文系に入学した。1948年に清華大学外文系に転入し。同年、処女作『A.K.C』は『大公報』掲載された。
1951に卒業した後、中華人民共和国政務院宗教事務委員会に配属される。年末、中国文聯研究部に転職。
1956年-1958年、『文芸報』の外国文学担当編輯となった。
1957年、「百花斉放百家争鳴」の時、短編小説『紅豆』(『人民文学』第七期)を発表したことで、「右派分子」と批判され、1959年以降、河北省の農村で労働改造。
1960年、『世界文学』編輯部に転職、編輯者の仕事に戻った。
1962年に中国作家協会に加入し会員となった。
1981年に外国文学研究所英米文学研究室へ移った。
1982年には国際ペンクラブ中国ペンクラブセンターに加入。
1984年に中国作家協会理事に選ばれた。
作品
[編集]散文集
[編集]- (中国語) 『雲在青天:宗璞散文』. 浙江文芸出版社. (2015年1月1日). ISBN 9787533941246
- (中国語) 『心的囑託』. 浙江文芸出版社. (2015年1月1日). ISBN 9787533941161
- (中国語) 『二十四番花信』. 浙江文芸出版社. (2015年1月1日). ISBN 9787533941192
- (中国語) 『客有可人』. 浙江文芸出版社. (2015年1月1日). ISBN 9787533940881
長篇小説
[編集]- (中国語) 『南渡記 東蔵記 西征記』. 人民文学出版社. (2015年5月1日). ISBN 9787020106653
- (中国語) 『四季流光』. 上海文芸出版社. (2015年1月1日). ISBN 9787532155156
伝記
[編集]- (中国語) 『我的父親馮友蘭』. 中国盲文出版社. (2014-06-01). ISBN 9787500250654
訳著
[編集]- 『繆塞詩選』
- 『拉帕其尼的女児』
受賞
[編集]1978年、『弦上的夢』、全国優秀短篇小説賞。
1978年、『三生石』、1977—年1980年全国優秀中篇小説賞。
散文集『丁香結』、全国優秀散文賞。
脚注
[編集]- ^ “宗璞”
- ^ “馮友蘭之女宗璞憶往事:父親想写《余生札記》未完成” (中国語). 新華網. (2016年4月28日)