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姚雪垠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姚雪垠
姚雪垠、1949年。
ペンネーム 雪痕

沈思
姚東白
誕生 姚冠三
(1910-10-10) 1910年10月10日
清の旗 河南省鄧州
死没 1999年4月29日(1999-04-29)(88歳没)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 北京市
職業 小説家
言語 中国語
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
最終学歴 河南大学
活動期間 1935年—1999年
代表作 『李自成』
主な受賞歴 茅盾文学賞(1982年)
配偶者 王梅彩
子供 姚海雲
姚海星
姚海天
姚海燕
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姚雪垠(よう せつぎん、1910年10月10日 — 1999年4月29日)は、中華人民共和国の小説家[1]。代表作に小説『李自成[2]。元中国作家協会名誉副主席、湖北省作家協会主席。全国第六回、第七回全国政協委員

略歴

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1910年、河南省鄧州の地主家庭に生まれた。

1929年、河南大学法学院預科に進学。1931年夏休みに学校当局によって「思想の誤り、言動は道断」の罪名で除名された。

1940年代、『李自成』を書き始めた。

1943年、重慶に転居、中華全国文芸界抗敵協会理事に当選。

1945年、四川省三台県に転居、東北大学副教授。

中日戦争後、上海市に転居、大夏大学副教務長、代理文学院長。

1950年代、華中師範大学で教鞭をとる。

1957年、「右派分子」のレッテルを貼られ労改送りとなる[2]

1961年、名誉回復[2]

1963年、『李自成』(第一巻)を発表した。1982年に陳舜臣・陳謙臣によって『叛旗:小説李自成』(2冊、講談社、のち徳間文庫)の題で翻訳され、第20回日本翻訳文化賞を受賞[3]

文化大革命後の76年、81年に第二巻、第三巻を発表した。1982年に同作品で中国文学の最高権威茅盾文学賞を受賞している。

1978年、第五回、第六回全国政協委員湖北省文聯主席に当選。

1981年12月、中国共産党に入党。

1999年、北京で死去。享年88歳。

作品

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  • 『紅燈籠の故事』(短篇小説集)1940、大路出版公司
  • 『牛全德と紅蘿蔔』(中篇小説)1942、重慶文座出版社
  • 『戎馬戀』(長篇小説)、1943、重慶大東書局
  • 『重逢』(中篇小説)、1943、重慶東方書社
  • 『新苗』(長篇小説)、1943、重慶現代出版社
  • 『小説是怎樣寫成的』、1943、商務印書館
  • 『春暖花開の時候』、(第一、二、三冊、長篇小説)、1944、重慶現代出版社
  • 『差半車麦秸』、(短篇小説集)、1947、懐正出版社
  • 『長夜』(長篇小説)、1947、懐正出版社
  • 『李自成』(第一、二、三巻、巻)、中国青年出版社
  • 『大嫂』(散文集)、1982、河南人民出版社

受賞

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1982年、茅盾文学賞

家族

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21歳の時、王梅彩と結婚。

  • 長男:姚海雲
  • 二男:姚海星
  • 三男:姚海天
  • 女:姚海燕

関連項目

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  • 陳舜臣 - 『李自成』を陳謙臣とともに日本語訳(『叛旗 小説李自成』)した。

脚注

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