コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高 (朝鮮人の姓)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
各種表記
ハングル
漢字
発音:
日本語読み: こう
英語表記: Go,Ko, Koh, Goh, Kho, Gho, Kor
テンプレートを表示

(こう、コ、: )は、朝鮮人の姓の一つである。2015年の国勢調査による韓国内での人口は471,396人[1]済州特別自治道ではに次ぐ3番目に多い姓(41,935人)である[2][3]

著名な人物

[編集]

氏族

[編集]

本貫済州高氏が大宗である。長興高氏清州高氏安東高氏が皆済州高氏の分宗である[4]済州梁氏済州夫氏とともに耽羅民族の耽羅開闢説話三姓神話に伝わる三神人の高乙那が始祖である。始祖から45世まで耽羅君を世襲し、46世末老が高麗に入朝し、高氏の中始祖になった。

また、高句麗東明聖王の一族も高氏で、現在の横城高氏は高句麗最後の王・宝蔵王の次男、仁勝の末裔と思われる[5]百済にも高氏という豪族があった。百済人の姓氏は、紀元前2世紀以来の8世紀以降の統一新羅のような中国式姓名への改称はなく、固有語名を使用し続けた[6][7][8][9][10]。したがって、百済の高氏は、314年頃に高句麗楽浪郡帯方郡を滅ぼした後、百済に帰投した楽浪郡で勢力を張った中国系豪族楽浪高氏の遺民である可能性が高い[11][12][13]継体天皇十年(516年)、倭国に派遣された百済の五経博士漢高安茂がいる。「漢高安茂」の「漢」は「高安茂」が漢人であることを示す表現とされており、「高安茂」が漢人であるならば、高寿高興高分屋なども同様とみられる[12]北朝鮮にある楽浪古墳群の梧野里第21号墳から出土した漆器の銘文には「高孝通」とあり、平壌貞柏洞古墳群2号墳からは「高常賢印」と刻印された銀印が出土しており、高氏の出自が楽浪郡帯方郡にあることを示す資料である[12]。ただし、前述の通り、現代の朝鮮半島の高氏のほとんどは耽羅に起源を持つ高氏である[4]

高氏は朝鮮時代に総数77人の文科及第者を輩出し、この中長興高氏が29人、済州高氏が28人、開城高氏が8人だった。

氏族(地域) 創始者 人数(2015年)[3] 備考
加山高氏 17
江陵高氏 17
康津高氏 56
江華高氏 143
開城高氏 18,247
慶城高氏 20
慶州高氏 369
桂州高氏 14
古京高氏 5
高霊高氏 51
古阜高氏 9
高山高氏 23
固城高氏 48
高敞高氏 12
高興高氏 99
公州高氏 10
冠山高氏 34
広寧高氏 95 광녕고씨
広寧高氏 16 광령고씨
光明高氏 13
光山高氏 10
広寧高氏 105 광영고씨
広州高氏 109
九老高氏 11
近城高氏 15
金城高氏 20
杞州高氏 6
金浦高氏 26
金海高氏 92
羅州高氏 111
南陽高氏 23
南原高氏 68
南平高氏 6
南海高氏 7
丹城高氏 22
丹陽高氏 78
達城高氏 13
潭陽高氏 5
大邱高氏 17
大田高氏 22
東萊高氏 10
馬斎高氏 15
牟城高氏 34
務安高氏 8
茂長高氏 9
汶山高氏 7
汶城高氏 31
密陽高氏 69
白頭高氏 9
白州高氏 10
鳳州高氏 5
釜山高氏 6
尚邑高氏 12
尚州高氏 26
宣川高氏 18
城南高氏 8
水原高氏 25
順州高氏 5
順天高氏 16
始興高氏 6
信川高氏 7
安東高氏 2,279
安山高氏 12
安養高氏 7
安義高氏 14
安州高氏 28
楊州高氏 12
礪山高氏 5
驪州高氏 9
驪興高氏 11
連山高氏 68
延安高氏 33
延日高氏 25
延州高氏 71
漣川高氏 9
霊光高氏 6
永登浦高氏 5
英陽高氏 10
寧越高氏 65
迎日高氏 19
栄州高氏 79
永川高氏 44
永興高氏 8
温陽高氏 25
龍宮高氏 10
龍潭高氏 446
龍仁高氏 7
龍沢高氏 69
蔚山高氏 44
原州高氏 10
原沢高氏 22
月城高氏 18
陰城高氏 8
宜寧高氏 43
仁同高氏 13
仁川高氏 25
臨城高氏 10
任実高氏 55
慈興高氏 12
長渓高氏 22
長光高氏 7
長鬐高氏 5
長潭高氏 135
長門高氏 33
長峰高氏 90
長城高氏 104
長水高氏 41
長安高氏 36
長玉高氏 6
長津高氏 165
長卓高氏 6
長泰高氏 8
長沢高氏 38,539
長鶴高氏 8
長項高氏 8
長興高氏朝鮮語版 75,517
梓州高氏 7
全州高氏 104
旌善高氏 64
井州高氏 19
済島高氏 7
済州高氏 高乙那 310,542
堤川高氏 50
竹山高氏 5
晋州高氏 442
晋沢高氏 15
鎮興高氏 14
昌寧高氏 252 창녕고씨
昌寧高氏 5 창영고씨
昌原高氏 40
昌沢高氏 9
昌平高氏 903
清道高氏 15
青松高氏 15
清州高氏 6,300
清平高氏 20
春亭高氏 16
忠州高氏 41
翠華高氏 11
漆原高氏 33
耽羅高氏 6 탐나고씨
耽羅高氏 237 탐라고씨
坡州高氏 10
坡平高氏 7
平山高氏 34
平昌高氏 10
平沢高氏 90
平海高氏 8
表興高氏 12
豊徳高氏 22
河東高氏 6
漢陽高氏 155
咸安高氏 19
咸平高氏 21
海州高氏 324
玄風高氏 15
荊沢高氏 9
洪城高氏 65
華城高氏 7
横城高氏朝鮮語版 9,996
興徳高氏 17
興城高氏 54
興海高氏 30

脚注

[編集]
  1. ^ 문서뷰어”. kostat.go.kr. 2022年7月7日閲覧。
  2. ^ 도내 인구 17%는 ‘김씨’ 성 가졌다” (朝鮮語). 제주일보 (2016年12月26日). 2022年11月12日閲覧。
  3. ^ a b KOSIS - 성씨ㆍ본관별 인구 - 시군구 2015”. kosis.kr. 2022年11月13日閲覧。
  4. ^ a b (71)제주고씨” (朝鮮語). 중앙일보 (1983年7月2日). 2022年11月27日閲覧。
  5. ^ 언중언 고구려 고씨” (朝鮮語). 강원일보 (2004年1月29日). 2023年7月30日閲覧。
  6. ^ 伊藤英人『「高句麗地名」中の倭語と韓語』専修大学学会〈専修人文論集 105〉、2019年11月30日、378頁。 
  7. ^ 21世紀研究会『カラー新版 人名の世界地図』文藝春秋文春新書〉、2021年11月18日、212頁。ISBN 4166613405。「現在、使われている中国式の姓が一般化したのは、中国から漢字が導入され、定着してきた七世紀以後と考えられている。『三国史記』や『三国遺事』では、高句麗・百済・新羅の始祖伝説にすでに中国式の姓が使われていたように記されているが、実際には神話上の話と解釈されている。高句麗の始祖・朱蒙は国名にちなんで「高朱蒙」と高氏を名乗ったり、百済では扶余族の始祖温祚は扶余氏という姓を名乗ったと伝えられている。新羅の始祖は、一説には、馬のいななきに導かれた先で見つかったヒョウタンのように大きい卵から生まれたという伝説から、ヒョウタン(パク)を意味する「朴」、あかあかと火が燃える様や光が明るく輝く様を営味する「赫」で朴赫居世となった。新羅では四代目の脱解王からは昔氏、一三代目の味鄒王からは金氏に受けつがれ、朴氏、昔氏、金氏となるそれぞれの始祖伝説をもっている。史書によると、三国時代は、始祖伝説に関係する者以外でいわゆる中国式の姓をもっている者はほとんどみられない。六世紀から七世紀に登場する高句麗の武将は「乙支文徳」、『日本書紀』に「伊梨柯須彌」の名で登場する高句麗の権力者は「淵蓋蘇文」、七世紀の百済の軍官は「鬼室福信」に「階伯」である。新羅の始祖の赫居世も別名は「弗矩内」ともいう。実際に、朝鮮半島で姓が生まれたのは、統一新羅時代になってからである。統一新羅の王族、貴族が中国・唐の文化を取り入 れるなかで、中国式に姓をもつようになっていったのだ。また、中国の姓をまねただけでなく、自分の住んでいる地名、周囲の山や川にちなんでつけられた名前もあったようだ。そして高麗時代になると、姓をもつことが一般化し、李朝時代には『経国大典』という戸籍台帳ができて、姓名制度が確立した。」 
  8. ^ 文慶喆『韓国人の姓氏と多文化社会』東北文化学園大学総合政策学部〈総合政策論集: 東北文化学園大学総合政策学部紀要 19 (1)〉、2020年3月20日、117頁。「高麗、朝鮮時代を経て定着した中国式の漢字の姓氏が、多文化社会によって大きく変わろうとしている。…古代国家が成立する以前の単純な氏族社会においては、姓氏はなかったとされている。勿論、文献などによる記述の中で登場する表現は同族を表すものであり、今の様な姓氏とは異なると考えられる。原始社会においては、自然に母系社会になり、子供の出生は母方が明らかで、女から生まれるという「姓」の概念が生まれたと考えられる。しかし、人間社会は血縁関係から生まれ、血縁関係から発達したので、この血縁関係を中心とした氏族の観念が強く、他の氏族に対して自分達の名称の必要性を持つようになった。この名称が後に文字化して、「姓氏」の原型となったと考えられる。韓国においても同様で、三国時代から何らかの名称があったが、それは権力者を中心として使われていたと考えられる。高句麗王の「高氏」、百済王の「扶余氏」、新羅の「朴、昔、金氏」などがあるが、これはすべて漢字が齎してからの表記である。日本の『日本書紀』などの資料を見ても、朝鮮半島に7世紀以前には漢字の姓氏は見当たらない。この時姓氏を持つことは、集団の中で政治的、社会的特権であり、姓氏の獲得によって段々母系社会から父系社会に移行して行く。」 
  9. ^ 文慶喆『韓国人の姓氏と多文化社会』東北文化学園大学総合政策学部〈総合政策論集: 東北文化学園大学総合政策学部紀要 19 (1)〉、2020年3月20日、118頁。「朝鮮半島では7世紀後半になる中国の唐との交流が活発になり、中央貴族や官僚を中心に漢字の姓氏が拡大して行く。…李重煥の『擇里志』には、高麗時代以降徐々に一般の人が姓氏を持つようになったと記している。」 
  10. ^ 文慶喆『韓国人の姓氏と多文化社会』東北文化学園大学総合政策学部〈総合政策論集: 東北文化学園大学総合政策学部紀要 19 (1)〉、2020年3月20日、127-128頁。「韓国人の姓氏は、漢字の導入と共に今のような中国式の形が定着したと見られる。その中には韓国独自の姓氏もあるが、多くは中国の姓氏を借用したと考えられる。勿論、中には帰化によって中国伝来の姓氏も見られたり、日本由来の姓氏も見られた。歴史的には、特権階層だけが持っていたこの姓氏が、一般の人にまで広がるのは高麗時代の文宗(1047年)が実施した科挙の試験が大きく影響する。科挙試験には姓名を持つことが条件であり、試験を受けるために一般の人にまで広がるきっかけとなった。」 
  11. ^ 정재윤『중국계 백제관료에 대한 고찰』高麗大学歴史研究所〈史叢 77〉、2012年9月、22頁。doi:10.16957/sa..77.201209.1 
  12. ^ a b c 전덕재 (2017年7月). “한국 고대사회 外來人의 존재양태와 사회적 역할” (PDF). 東洋學 第68輯 (檀國大學東洋學硏究院): p. 109-111. オリジナルの2022年4月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220423195439/https://cms.dankook.ac.kr/web/-oriental/-23?p_p_id=Bbs_WAR_bbsportlet&p_p_lifecycle=2&p_p_state=normal&p_p_mode=view&p_p_cacheability=cacheLevelPage&p_p_col_id=column-2&p_p_col_count=1&_Bbs_WAR_bbsportlet_extFileId=99960 
  13. ^ 백길남『4~5세기 百濟의 中國系 流移民의 수용과 太守號』延世大學國學硏究院〈동방학지 172〉、2015年12月、9-10頁。doi:10.17788/dbhc.2015..172.001 

出典

[編集]

関連項目

[編集]